弦楽器の響胴についての考察

●  弦楽器の歴史から 響胴特性について考えてみましょう

弦楽器の響胴に関する研究は ヴァイオリンが誕生する遥か以前からおこなわれており、その過程で膜鳴型やフラットバック型、ボールバック型などの弦楽器が製作され、それらの蓄積があったことにより ヴァイオリン特有のフォルムは生みだされました。

ですから、ヴァイオリンの観察と 読み解きにも これらの音響システムについての理解が不可欠となります。そこで 少し長くなりますが弦楽器史の観点からお話しを始めたいと思います。

弦楽器の特質を考えるときには、まず‥ それらの弦は “緩む” ことで波のような “運動”をし、それが進行波、そして反射波となり振動を形成することを念頭に置いてください。

弦楽器の響胴などの共鳴部 ( 変換点 )も これと同じように “緩む”ことで “腹”の役割が果たしやすくしてあります。

つまり 振動部が緩まなかったら “腹”として機能せず、その結果としての『響』も生まれないという事です。

これらの条件を考えると、弦楽器は その黎明期に 振動部を膜状とするか板状とするかの 大きな分岐点があったと推測できます。

このうち‥ 少数派となった膜鳴型の弦楽器は、長い歴史の末に 現代でも 民族楽器としてチベット地方、バルカン半島地域、北欧、エチオピアなどの北東アフリカ地域、そしてアジア地域などで 製作され 演奏に用いられています。

” African Lyre ”

“Sgra-Snyan ( ダムニェン )”   Tibetan lute,   全長 752mm

“Sgra-Snyan”   ( or “Rubab” )   L. 909mm – H. 216mm – W. 169mm

しかし、このように 絶えることなく伝承されたとは言え、これら膜鳴弦楽器には 限られた音楽にしか適応できないという弱点があります。

汎用性の低さは複数の要素によりますが、演奏を続けると 駒が立つ革部がのびてしまい歪みとなり、響きも失われてしまうという‥ 弦楽器としては致命的ともいえる特性も その原因のひとつとなっています。

この「対策」は 革を張り直すか、下写真の グスレ ( Gusle )のように 響き方をチェックして 駒を立てる位置や 角度を工夫するなどの方法しかありません。

これは、私が 駒の移動調整に気づくきっかけとなった写真です。
なめし革についた駒の痕跡と、縁部の弦端をつまんで移動した痕から演奏者の努力が想像できます。

それから、私は 膜鳴響胴の特質を ティンパニーの革張り替えとバランス調整 ( 18:05 位置 ) をしている この動画で理解することをお勧めしています。きっと、振動膜のバランスの意味についての 気づきがあると思います。

そして、このような膜鳴弦楽器の弱点を解決しようとする試みの中からその発展型として「 針葉樹を薄い板状の振動板とした弦楽器」が 製作されるようになったと 私は考えています。

 

さて 弦楽器史のお話しにもどりますが‥   あなたは 現存する「世界最古の弦楽器」を問われたら、何を思い浮かべられますか?

Objects allotted to the British Museum from the Ur excavations, season 1928-1929.

この質問には、大英博物館などで展示されている  シュメールの王墓から出土した “Silver lyre”  ( 2600 – 2400 BC ) などを 「それ」と考える方も多いかもしれません。

確かに レオナード・ウーリー ( Leonard Woolley 1880-1960 ) は 1929年にイラクのウルにあるメソポタミア時代の遺跡から断片化した少なくとも3つのハープを発見しました。しかし それは パラフィンワックスを使用してやっと型取ることができる状態だったそうです

しかし 私は、弦楽器の研究対象として”Silver lyre” を 俎上にあげようとは思いません。なぜなら これらのリラ (  lyre ) は、楽器としての響きに関する条件が あまりに失われていて推測することが ほぼ不可能となっているからです。

This object was originally reconstructed by Woolley in 1936 using paraffin wax. This gave way in July 1949 and the object was removed from display. Steps were begun to conserve and restore the object in 1962 when it was sent to the laboratory on 16 July, and over the course of the following two years Mr R.M. Organ of the Research Laboratory worked on this project, assisted by Mrs Charlotte Podro, then Conservation Officer in the Dept of Western Asiatic Antiquities. The work was then taken over and completed by Marjorie Hutchinson (nee MacGregor) under the supervision of Mr H. Barker and Mr A. Oddy of the Laboratory, and the object returned in May 1968.

After preliminary treatment to remove the paraffin wax, the carbonates and copper salts, the remaining silver chloride was reduced electrolytically to massive silver by a the- new process known as consolidative reduction (the process later published by Organ). Through this process, all shapes and surface details, including the impressions of string, the bridge and the matting on which the object lay in the ground, were preserved. The bridge and tuning pegs were substituted with perspex and the lyre mounted on a frame of the same material which was fashioned by Mr Ian McIntyre of the Research Laboratory. The silver was re-attached using a hard wax of high melting point (Cosmolid 80H) with 25% beeswax. A decision was made to add perspex levers to the reconstruction rather than incorporate the silver originals which were considered too weak. The reconstruction was also strung with nylon threads to help show its original appearance (Report to Trustees 2 June 1969).

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その “大転換”は、 敦煌郊外にある 4世紀半ばから穿ち始められた 莫高窟 ( ばっこうくつ ) 壁画に琵琶などがいくつも描かれていることなどから考えると、少なくとも 3世紀以前であったと推測できます。

この 莫高窟壁画では 盛唐 ( 712年~765年頃 )の時代と推定されている第172窟や、第112窟 ( 中唐 ) の伎楽図にある 「反弾琵琶」が有名です。

現在、第112窟の伎楽図は壁画の中央上部が剥がれているようですが、この資料画像のように モデルとされた琵琶はそれなりの完成度であったと考えられています。

およそ1000年程にわたり彫り続けられ、総数は大小600程と言われる莫高窟にある 多くの彩色塑像や壁画は、それらの時代に 多数の弦楽器が製作されていたことを証ししていると言えます。

そして、これら壁画のモデルとされた琵琶などが存在したことにより、8世紀頃に 5弦琵琶の完成型と言える 東大寺正倉院の宝物「 螺鈿紫檀五弦琵琶 」が製作されるに至ったと考えられます。

 

螺鈿紫檀五弦琵琶   700年 ~ 750年頃 ( 全長108.1cm、最大幅30.9cm )

螺鈿紫檀五弦琵琶が渡来した経緯は 不明のようですが、私は 奈良時代 ( 710年-794年 )に 多治比広成 ( たじひ の ひろなり :  大使 ) と、中臣名代 ( なかとみ の なしろ :  副使 ) が遣唐使として派遣された際に奈良にもたらされたと考えています。

そのころ 唐は 玄宗皇帝の治世‥ 後に「 開元の治」と呼ばれる繁栄の時代で、都の長安は空前の賑わいを見せ 文化は爛熟期を迎えていたそうです。

あくまで個人的な意見としてですが、このような状況から考えると、この螺鈿紫檀五弦琵琶は 長安か 洛陽あたりで製作されたのではないかと 私には思われます。

唐朝最大領域 660年頃

玄宗皇帝 ( 685-762 在位712年~756年 )「 開元の治 713-741 」

遣唐使出発 : 733年 (天平5年) 難波津を4隻で出港し、734年4月に唐朝( 618年-907年 ) の都 長安で 玄宗皇帝の謁見を受けます。
帰路 : 734年10月 4隻とも出港し、735年 多治比広成 ( たじひ の ひろなり) は平城京に帰着しました。

また、一緒に出港しながらも 難破して735年3月に長安に戻った 中臣名代 ( なかとみ の なしろ ) は、唐の援助を受け船を修復し 735年11月に再び出港して 736年8月 奈良に戻ります。

この時、聖武天皇( 701年-756年、在位 724年-749年 )による謁見に同行した「唐人三人、波斯人一人」のうち 唐楽の演奏家として知られていた 皇甫東朝 ( こうほ とうちょう )と、楽人とも 技術の伝授に当たった工匠ではないかとも言われている 波斯人 ( ペルシャ人 ) の 李密翳 (り みつえい ) は その後 位を授かり貴族となりました。

東大寺正倉院は 聖武太上天皇の七七忌 ( 756年6月21日 ) の際に、光明皇太后が 天皇遺愛の品 約650点などを東大寺の廬舎那仏に奉献したのが始まりで、その後も3度にわたって皇太后自身や 聖武天皇ゆかりの品が奉献されたことにより、その保管のために建設されたそうです。

この「 螺鈿紫檀五弦琵琶 」の弦楽器としての特質は 、”ねじり”を素早く生じさせるための 徹底した非対称性にあると 私は考えています。

例えば A部B部 の剛性差も そうですし、 ナットにあたる「乗絃」から上の揺れかたを左右する C部D部 の角度の選び方も確信に満ちていると思われます。

 

この琵琶は、頸 ( けい = Neck ) から絃蔵を経て修復部も含めた海老尾までの全てが紫檀で作られており、裏板にあたる槽 ( そう ) も「直甲」といわれる一木の紫檀材だそうです。

また、表板である腹板 ( ふくばん )は ヤチダモ またはシオジ材が用いられ 非対称の「三枚接ぎ」で製作されています。そして、このような 非対称性は 螺鈿の形状や配置などにも 見ることができます。

そして念を入れるように‥ 紫檀材で製作された 転手 ( 絃巻き = ペグ ) の配置も 海老尾の方から 左( P3 )・左( P4 )・右( P2 )・左( P5 )・右( P1 )の順で 強い非対称設定です。

 

私は「弦楽器の変遷」を理解するためには、 このように”非対称性” を確認していくことが大切であると考えています。

なぜなら、このような非対称設定は 振動板である表板が変換点として機能するように “ねじり”を誘導するための 高度な設計技術であると考えられるからです。

このように「弦楽器の変遷」れらの検証によって、私は 螺鈿紫檀五弦琵琶にみられる “ねじり”を誘導する技術は、800年程後の ルネサンス期やバロック期の弦楽器にもそのまま継承されたと信じています。

もしも あなたが、そのイメージの共有を希望されるのでしたら、私は 演奏弦 5本の左外側に回頭機構として 2本の弦が張ってある リラ・ダ・ブラッチョ ( Lira da braccio ) や、 オルファリオン ( Orpharion ) の ナット、フレット、ブリッジの放射状設定と その対角方向を上手く利用したねじり軸組み、そしてL字状断面のネックなどが採用された シターン ( Cittern )などの観察をお勧めします。

まず リラ・ダ・ブラッチョ ( Lira da braccio ) ですが、回頭機構の大胆さや、非対称な響胴フォルムに “開断面”である 左右のF字孔に長さの違いを設け さらに傾斜角度も調和させてあることなどが 秀逸だと思います。

オルファリオン ( Orpharion )    Francis Palmer  /  London  1617年

このオルファリオンは ナット、フレット、ブリッジの放射状設定がとても印象的ですが、響胴のフォルムのなかで小さな括れ状部や 切れ込み部を上手く利用したねじり軸組みが構成されているのも素晴らしいと思います。

シターン ( Cittern )   “L字状断面のネック “は、響胴右側を高音側で左側を低音側と表現した場合 響胴正中線よりもかなり高音側に向けてあります。

正面からは分かりにくいですが、実質的にこの弦楽器のネックは 裏側からみたときの高音側の厚さがある部分であると捉えることすら可能です。

“Cittern”   Petrus Rautta,  England  1579年

また 縦方向の 軸組みに関しては、この時期に盛んに製作されるようになったリュート系の弦楽器が 特にわかり易いと思います。

Hieronymus Brensius  –  Testudo theorbata  in Bologna    1600年代

そこで 比較するために、「 螺鈿紫檀五弦琵琶 」と 1600年代のフランス国王 ルイ14世の肖像画にもあるような バロックリュート系の 「 テオルボ  ( キタローネ ) 」を 2台並べてみました。

Louis XIV  ( 1638-1715 在位 1643-1661-1681-1715 )   1688年        Architecte, Sculpteur et Peintre  :  François Puget

16世紀にリュート族の撥弦楽器として現れた テオルボ ( キタローネ )は、ルネサンス期からバロック末期にかけて盛んに製作されました。

しかし、規格は標準化されておらず 大きさや形状が様々ですが 概ね長尺で、全長が 2mにもおよぶものも多数残されています。

それゆえに ヘッド部とネック部 そして響胴に設定された 縦方向の 軸組みに絡む横方向軸組の複雑さを一見して知ることができます。

ここで特記すべきことは、この高度な弦楽器製作技術のすべてが 8世紀前半に製作されたと考えられる「 螺鈿紫檀五弦琵琶 」にも確認できるという事です。

 

 

 

 

 

 

 

 

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この結果は 私にとっては少しショックな事でした。

●  螺鈿紫檀五弦琵琶などの「 工具痕跡 」の役割について

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