裏板と表板の剛性に関する問題

9.  比率だと チェロの表板はヴァイオリンより薄いのです  

ヴァイオリンや チェロの表板下端に取り付けられたサドル付近の ひび割れをサドル・クラックと言います。 このサドル・クラックは ヴァイオリンより チェロに発生しやすい傾向が認められます。

弦楽器製作者によっては その対策として、サドルの端に 1mm程の隙間を設けたり サドル両端の角切りを選択するなど 知恵をしぼっています。

 

しかし、それらはあまり役には立っていません。その典型は 下の新しいチェロに生じた表板割れに見ることができます。

Rainer Leonhardt    Cello,  Mittenwald   2014年 

このチェロには 製作時に サドル・クラックを予防するためと考えられる 厚さ2.9mm程の それなりに丈夫な補強材 ( 111.0 × 17.2 )が ボトムブロックとバスバーの間に 入れられていました。

   

ラベルでも分かるように この楽器は 2014年に ドイツで製作されたものですが、3年程で 鳴りが悪くなり サドル・クラックも長く伸びてしまったので、所有者の依頼により 私が 2017年に 割れを修理すると共に バスバーを入れ替えバランスを合わせる整備をしました。

写真のように割れの長さは 18cm 程もあり、この補強材が サドル・クラック対策に全く役立たなかったことが分かります。

Rainer Leonhardt    Cello,  Mittenwald   2014年 Rainer Leonhardt    Cello,  Mittenwald   2014年 

また、この写真はその修理の際に撮影したものですが、魂柱が立てられていた表板には 既にダメージ窪みが出来ていました。

このように バランスが合っていない ヴァイオリンや チェロは、皆さんが想像する以上に「あっという間に」表板が歪んでいき、演奏した時に鳴りが悪いだけでなく、そのまま使用するとサドル付近に割れが入ったり、テールピース左側のバスバー下端にあたる表板が沈み込んで割れたりします。

Rainer Leonhardt    Cello,  Mittenwald   2014年                                     Front  760 -345-243-440   Back  760-344-240-440 

因みに、このチェロはその解決策としてバスバーを入れ替えました。上が製作時に入れられたバスバーと補強のための裏打ちで、その下が私が入れた割れ補強とバスバーです。

このような表板の凹凸が少ない楽器はどうしても縦方向の剛性が不足しがちですので、製作時バスバーの長さ 578mm で高さ 24.0mm より、私が入れたような L 598mm – H 27.6mm くらいの『主張のあるバスバー』の方が バランスが調和しやすくなります。


なお、バランスが合っていないために 弦の張力によって表板の変形が進行しているチェロは、F字孔に段差が生じやすいので 私は その確認をおすすめしています。

                      Cello 1930年頃

   Cello 1930年頃

ところで‥ このように響胴が歪むことがあるのを念頭において オールド・チェロの表板の厚さをながめると、不思議に思えるほど薄く作られていることがわかります。

そこで その薄さを理解するために、チェロ表板の重さをいくつか並記してみました。

Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 )  Cello  “Teschenmacher”  Milan,  1757年

Front 717.0 – 339.3 – 247.1 – 420.9

Back 712.2 – 332.7 – 237 – 419

Stop 391.1 

総重量 2584g
                                                                                                                     

表板の重さ 319g ( アーチ 28.4mm )

裏板の重さ 464g ( アーチ 36.4mm )

Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 )  Cello                                          “Ngeringa”  Piacenza,  1743年頃                                  Front 716.8 – 338.8 – 231.2 – 425.9                                                                  Back 716.6 – 340 – 228.7 – 423.3                                                                               Stop 391.0                                                                                                                                総重量 2456g                                                                                                                         表板の重さ 387g  ( アーチ 25.4mm )                                                                         裏板の重さ 482g  ( アーチ 30.9mm )

例示した ガダニーニに限らず、 オールド・チェロの表板は 本当に薄く軽やかです。ですから、新作チェロでも オールド・チェロの複製として作られていれば、 当然ですが 表板は重くはありません。

たとえば 2015年に 私が製作したチェロの表板は 396g でした。

 

Joseph Naomi Yokota ( 1960 –  )   Cello,  2015年

Front  745.5 – 347.0 – 243.0 – 449.0

Back  741.0 – 356.5 – 239.5 – 448.0

Stop  404.0

総重量 2389.2g

 

表板の重さ 396g  ( アーチ 28.7mm )

裏板の重さ 548g  ( アーチ31.8mm )

 

これに対して、たとえば 先程の サドル・クラック対策の補強材 ( 111.0 × 17.2 × 2.9 )が 入れられた 2014年製チェロ 下(右) の表板重量は 535g でした。                          

(左)  Wilfried Leonhardt   Cello,  Mittenwald  1995年  (  Front 752 – 347 – 239 – 434 )   487g  

(中)  Harald Bächle   Cello,  Hausen  1998年  ( Front 755 – 348 – 239 – 439 )   490g  

(右)  Rainer Leonhardt   Cello,  Mittenwald  2014年  ( Front  760 – 345 – 243 – 440 )   535g 

父親 Wilfried Leonhardt が 1995年製作したチェロに対し、息子の Rainer Leonhardt が 2014年に製作したチェロは 10%増となっているのは象徴的だと思います。

このようにして比較すると、現在 製作されているチェロの表板厚は破損を心配して増やされていて過剰気味であると思われます。

このタイプのチェロを 演奏技術がある方が使用すると、早ければ半年ほどで 表板と側板、あるいは裏板と側板の貼り口や サドル接着部などが剝れます。

これは響胴をゆらすための 弦の応力が 過剰に厚くされた表板などで阻害され、開断面であるF字孔などの変換点まで 到達できなくなり、その手前にある部材どうしの接着部が動こうとするからです。

 

 

弦楽器は、弦の張力を ブロックとアーチなどの立体的形状( 不連続曲面 )や板厚、バスバーなどによって支えることに失敗すると、表板が平らに変形して表板や裏板に割れが入るとともに‥

ジェノヴァに展示されている “カノン”のように ボトムブロックや 側板のブロック端が割れ、エンドピン位置にある側板の合わせ目が開いて「逆反り」が進行していきます。

なお、弦楽器の「逆反り」による変形や破損は、このようにお饅頭を割ったイメージで捉えれば わかりやすいと思います。

⦅  この写真の撮影後に “カノン”は 修理されています。⦆

このように「逆反り」で ボトムブロックの割れが進行すると、 サドルが剥がれて起きあがり 側板内側とブロックの接着部も剥がれ、エンドピンがテールピースに引きずられるように傾いていきます。

下は ボトムブロック割れなどが修復されたヴァイオリンです。中央にある C  エンドピンの傷は エンドピンの外縁部が食い込んだものです。

因みに、このヴァイオリンは痕跡をつきあわせると 最初のエンドピン穴は割れた A- B ライン上の中心と表示した位置で 二重に書いた円の小円の直径6mmから 6.5mmで開けられていたと推測できます。

このように 表板の変形により生じた「逆反り」は、最後に 裏板の割れを引き起こします。 その参考として、撮影時点で割れは修復済みの状態ですが ストラディバリと ヨーゼフ・ガルネリが製作したヴァイオリンに入った割れ痕を赤線で書き込んでみました。

このように、ストラディバリウスや ガルネリ・デル・ジェスであっても逆反り変形した場合には、最終的に‥ 例外なく裏板にひび割れが入ります。

 

Aegidius Klotz ( 1733-1805 )  Violin,  Mittenwald  1790年頃   

現在では 弦楽器の不調や割れなどの破損を、板厚の不足や ”乾燥”などの影響と思う方が増えてしまいましたが‥

私は その多くは 製作時やその後の”修復”により 板厚、ブロック、ネック、ヘッドなどの 柔構造的バランス設定 や、組み上げられた後の 応力バランス が合っていない状態となり、 それらが『 演奏された‥ 』ことで表板が歪み、その結果 鳴りが悪くなったり割れが生じたものと考えています。

ヴァイオリンや チェロは「強制振動楽器」であることから「動的設計感覚」が必要で、柔構造的バランスが調和していない楽器は かなり早い段階‥ たとえば弦を張って 組み上げてから数時間後から 数日で、初期症状として レスポンスの遅さや 響きの悪化を確認することが出来るようです。   ここで、その極端な事例に関する投稿を あげさせていただきます。参考にしていただければ幸いです。

このバイオリンは、わずか12年で‥ なぜここまで壊れたのでしょうか?

  さて‥ 投稿記事が 長くなり恐縮ですが、破損事例をもう少し列挙させていただきます。

先ずは イタリア、パドヴァの  Alberto Cassutti のサイトから グランチーノ作のチェロの修復具合を見て下さい。 “Grancino’s School Cello” Liuteria Cassutti Via Formis, 535129 Padova 

http://www.liuteriacassutti.it/portfolio/grancinos-school-cello/ 裏板の魂柱部の割れは かなり激しかったようです。 側板の割れかたも 酷いと 思います。

このチェロはネックが 響胴の正中線より 左側( C線側 ) に向けて取り付けてあったようです。そして バスバーのボトム側が「つり合いの破れ」を起こし陥没したことで魂柱年輪に沿った軸に負担がかかり、長い魂柱割れ ( サウンドポスト クラック )に至ったと推測できます。

同じような変形による魂柱割れ ( サウンドポスト・クラック ) の例それから表板が平に変形したことで、裏板も魂柱付近を斜めに通る木理に沿ったねじり軸上で逆反りが進み、ついには割れてしまったと考えられます。

では 次の破損事例として、下写真の ストラディヴァリ作である 1711年製チェロ  “Giovanni Mara” は どうでしょうか?

この楽器は 弦楽器専門誌に取り上げられたことも影響して、破損時の写真が最も有名なチェロかも知れません。

なお、このチェロは 1961年の事故のあとで 修復されて ハインリッヒ・シフ ( Heinrich Schiff 1951-2016 )氏が 演奏に使用したことで有名です。

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )                                                                         Violoncello  Back 756 – 338 – 226 – 436   “Giovanni Mara”  1711年

私も この写真には 些かショックを受けましたが、このチェロは 1961年にラプラタ川 ( The Rio de la Plata )での船舶事故のために この状態になったそうです。

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )                                                                         Violoncello  756 – 338 – 226 – 436  “Giovanni Mara”  1711年

しかしよく見ると表板、裏板の中央ジョイントは水難事故によりニカワが劣化してきれいに剥がれていて、表板右に置いてあるバスバーもそのまま脱落していることがわかります。

失われた部材もあり 文字通りバラバラになっていますが 、音響上の要素から検証してみると 意外と「健康」であることが分かります。弦が張ってあった状況で崩壊しながら 多少、割れがはいったというところではないでしょうか。 Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )                                                                         Violoncello 756 – 338 – 226 – 436  “Giovanni Mara”  1711年

そして、次は メンデルスゾーンが 1845年に「チェロとピアノのための無言歌   ニ長調 作品109」を献呈したことで知られるリサ・クリスティアーニ ( Lisa Cristiani 1827-1853 ) が使用した ストラディバリウスです。

Antonio Stradivari (ca.1644-1737 )  Violoncello                        “Stauffer – ex Cristiani”   1700年

このチェロは CTスキャンした画像があるので 割れが確認しやすいと思います。 Antonio Stradivari (ca.1644-1737 )  Violoncello                        “Stauffer – ex Cristiani”   1700年

このように 割れを赤線にして全体の破損状況と照らし合わせてみると バスバーに沿った年輪の割れの様子などから、やはり この表板も平らに変形したことにより これらの破損が生じたと考えられます。 Antonio Stradivari (ca.1644-1737 )  Violoncello                 “Stauffer – ex Cristiani”   1700年

なお、バスバーに沿った割れのほとんどは バスバー起因の「つり合いの破れ」によりもので、下のチェロ表板は その典型例ですので参考にしてください。 このチェロは どこかの工房で内側に補強が入れられていて修理済みですが、 バスバー下端部が陥没して割れが入ったことが外見からも確認できます。 Arthur Richardson  (  Crediton 1882 – Devon1965 )    Cello  1919年

さて ここまでご説明させていただいたように、私は「つり合いの破れ」などにより表板が歪んで扁平に変形し、それにより表板ロワーバーツ部が左右に押されながら陥没していく過程でボトム・ブロックに 割れが生じていると考えています。

それは19年程前に整備したのちに 私が 販売した 1919年に英国で製作されたチェロなどの破損事例が根拠となりました。

これは そのチェロの ボトムブロックです。表板側から発生したヒビ割れ ( 長さ 39 mm ) がエンドピン・ホールまであと 9 mm のところで止まっています。

重要なのは、表板の逆反りによる割れはAから Bに向けて進行するということです。因みにこのチェロの A、B間のブロック厚みは 30 mm ( 裏板側 31.8 mm )で、A側は 1 mmほどひらいていますが B部分を外側からみても分かりません。それからボトムブロックの木口の年輪からわかるように、この割れは木理方向より 40°くらいずれています。

 これらの事から この割れは乾燥割れではなく、表板のBからAの方向に働く応力‥ つまり弦の張力を 支えきれず割れたと判断できます。

 

そして 最後に、もう一台 「逆ぞり」の事例をあげておきたいと思います。

これは 1994 年にドイツで製作されたチェロで、私は この年にアマチュア・オーケストラに所属する方に販売しました。 この写真は それから 10 年程たった 2004 年に調整のために持ち込まれた時のものです。 このチェロには テールピース脇の表板にすでに ヒビ割れが ( 矢印①から②まで )入っていました。 

そこで私は 表板が割れたのがほかにおよんでいないかを確認するために、クルッと裏返してエンドブロックの裏板側をみました。

そこには下の写真のように 35∼40 mm ほどの フレッシュな割れが 2本入っていました。

Gustav Franz Wurmer ( Stuttgart )cello 1994年

そのチェロの内部です。 このヒビ割れは ボトム・ブロックの両端角からのびていました。新品で使いはじめられてわずか 10年でこの状態になっていたのは‥  私にとって衝撃でした。 昨今では 『オールド・バイオリン』などを製作するための秘密があったと本当に信じている方がいらっしゃるようですが、私は このように破損事例を分析した結果、弦楽器に関した最近の状況は 技術力の低下がその主因となっているのではないかと考えるようになりました。

この投稿の主題ですが、低下した技術の一つが アーチなどの立体的形状( 不連続曲面 )によって 剛性を高める という基礎的なもので、『 オールドと呼ばれる弦楽器は 表板などの立体的形状( 不連続曲面 )と 板厚の関係のバランスを合わせたことで あの響きが達成された。』という考えかたです。

たとえば 上写真は、工業製品をダンボール箱に納める時に緩衝材として使用される 古紙を主原材料とした パルプモールドの立体成型品を少しずつ平にちぎったものです。 このイメージを一歩進めて、もし 古紙を主原材料とした パルプモールドの紙があったとすると 皆さんは どの程度の剛性を想像されますか? そして、それが立体化された場合はどれくらいの剛性を持っに至るでしょうか。

 

Andrea Guarneri ( 1626-1698 )   Violin,  Cremona   1658年  

「オールド」弦楽器における 立体的形状( 不連続曲面 )は、水平方向から光をあてて写真を撮影し、ヴァイオリンや チェロが 単純なアーチではなく 小さい膨らみや、谷状や尾根状の直線部が巧みに とり込まれていることを確認すれば 理解できると思います。

Andrea Guarneri ( 1626-1698 )   Violin,  Cremona   1658年

また これらの ヴァイオリンや チェロは、表板や裏板の隆起が高い「ハイアーチ」や「ミディアム・ハイアーチ」で作られているものが多いという特徴があります。

ヴァイオリン表板アーチと 裏板アーチの変遷

一般論として言えば、板材は 厚ければ強度がありますが 振動し難く、逆に 薄くなるほど振動はしやすくなりますが強度は弱まります。

 

 

 

 

 

 

それから、同じ板厚でも 平らなものよりも お椀を伏せたようになっているものの方が強く、その曲面がきつくなるのに比例して「剛性」も高くなります。

 

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Giovanni Paolo Maggini ( 1580 – ca.1633 )  Violin,  Brescia 1620年頃 

Antonio Stradivari   Violin,    “Alsager”  Cremona  1703年

Tommaso Carcassi ( Worked 1747-1789 ),  Firenze  1786年 

Tommaso Carcassi ( Worked 1747-1789 ),  Firenze  1786年

Hendrik Jacobs (1639-1704)    Violin,  Amsterdam   1690年頃 

Andrea Guarneri ( 1626-1698  )   Violin,  Cremona  1686年   

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私は この投稿の冒頭で、オールド・チェロの表板は「逆反り」などの変形で割れたり歪んだりする危険を苦にしないかのように 薄く作られている事についてふれました。

 

 

 

しかし、ハイアーチの場合このカーブの変化が複雑なため、表板などのバランスを取ることがとても難しくなります。

この事実は 弦楽器製作者である 私にとって重大な問題でした。なぜなら、「ハイアーチ」の弦楽器を上手に作ることは 技術的な難易度がとても高いからです。

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薄くし過ぎると割れたり歪んだりしやすくなりますし、かといって全体的に厚めに作ると当然鳴りにくくなります。

このあたりのバランスがミディアムアーチよりも非常に繊細で難しいところです。強度を保ったままどれだけ振動しやすい板を削り出すかというのが弦楽器製作における大命題です。

ヴァイオリンやチェロなどの弦楽器は こういった自然界の現象に着目し理論化し、それを 実験・観察・数理で発展させた人々の生活のなかで発明されました。

 

 

 

 

 

 

Ksh Holm,  Cello  /  DENMARK, Copenhagen  1791年

Ksh Holm,  Cello  /  DENMARK, Copenhagen  1791年

Ksh Holm,  Cello  /  DENMARK, Copenhagen  1791年

 

 

先程もふれましたが、私たちが「オールド・ヴァイオリン」や「オールド・チェロ」と呼ぶ弦楽器は 単純なアーチではなくいくつもの膨らみが合成されたように隆起が複雑に絡み合うかのような形状をしています。

 

当然ですが、そうすると より剛性が高くなりやすいので 板厚も薄く削りこまれていると考えられます。

私は オールド弦楽器は 板厚とその膨らみなどの立体的形状( 不連続曲面 )を、振動エネルギーを誘導したり 引き込み現象をおさえたり、なお且つ 幾何剛性を有効に活用するために

 

それから、 このように チェロなどの表板が不連続曲面による「剛性」が 巧みに利用されているという事について考えていくと、現在に生きる 私たちの身の回りにも 同様な事例があふれていることに思いが至ります。

例えば、この缶コーヒーの容器もそうです。

あるいは、柔らかいアルミ缶の剛性を高くするために工夫された口部や底部なども そうだと思います。

では‥ 立体的形状( 不連続曲面 )による「剛性」は 柔構造のようなバランスをもつ ヴァイオリンなどの弦楽器が発明された ルネサンス期には どのように認識されていたと考えればよいでしょうか。 今から 500年程前の ルネサンス期に 彼らの身の回りにあるもので 「剛性」や 剛構造 あるいは柔構造的バランスをイメージしやすいものとして考えてみると、私は 昆虫の羽や、卵の殻、人の頭蓋骨、そして建築物などを思いおこします。

羽をもつ昆虫の種類は多いですから いろいろなタイプがありますが 、たとえば トンボの羽で考えてみると それなりの「剛性」をもっていることを私たちは知っています。また それは、断面形状がジグザグした形状であることも知られています。 因みに、トンボは飛翔中に この凸凹した部分に小さな空気の渦が生じることにより揚力を得ているそうです。

そして上画像のように 強い風の中であっても、このように発生する渦のおかげで 羽の周りを流れる風は大きく乱れることが無く、トンボは安定して滑空することができるとされています。

その上に、トンボは羽の表面にトゲ状の突起までもっています。 飛行機の場合は乱流翼と言うそうですが 突起物によって乱流を生み出し、翼面がいつも乱流境界層に覆われるために 低速でも揚力が失われ難いようになっているそうです。

トンボの羽は 剛性に関してだけではなく、ほんとうに高機能であることに 私は「神」の存在を感じます。

さて、ヴァイオリンが誕生した 盛期ルネサンスの終わりごろに目を向けると、羽や翼などの自然物を観察し記録したものとしては 、レオナルド・ダ・ヴィンチ  ( Leonardo da Vinci 1452-1519 ) の ノートや作品が 重要な資料であることがわかります。

彼は 鳥の翼の観察や羽ばたきの様子、そして水や空気の渦から翼のまわりの乱流などを考察をした記録を残しました。

因みに、レオナルド・ダ・ヴィンチ ( 1452-1519 ) は 14歳であった 1466年頃からアンドレア・デル・ヴェロッキオ ( Andrea del Verrocchio 1435-1488 ) の工房で絵画の訓練を受けたそうです。

 彼にとっても‥ 空を飛ぶものは とても興味深い観察対象だったようです。これは、現在に生きる私たちと それ程違わなかったかも知れません。また、卵の殻などから得られる「剛性」に関する知見も同じだったと推測できます。

(  3分01秒の位置を お薦めします。)

それでは、「剛性」を頭蓋骨に学ぶというのは どうでしょうか?  頭蓋骨というと、日本人にとっては感覚的に「遠い存在」であるかもしれませんが、ヨーロッパでは そうではなかったようです。

たとえば‥ これは 街全体が世界遺産に登録されているマルタ共和国の首都ヴァレッタにある聖ヨハネ大聖堂の写真です。

ここの床は 聖ヨハネ騎士団に所属した騎士たちの墓石 375枚で作られています。日本人的感覚だと、どうしてもお墓は踏みたくないものですが、この点に関して ヨーロッパの習俗は全く違います。

「 デカルト ( René Descartes 1596-1650 ) の頭蓋骨 」    “Musée de l’Homme”  Palais de Chaillot,  Paris

また、1637年の『 方法序説 』によって「 我思う ゆえに我あり / Cogito, ergo sum 」や、「 デカルト座標系 」などが知られている フランス生まれの哲学者、数学者の デカルトの頭蓋骨は、1821年にスウェーデンで発見されたのちにフランスに運ばれ、現在はセーヌ川をはさんでエッフェル塔の対岸にあるシャイヨ宮にある人類博物館内で、大量にある収蔵品の一つとして さり気なく展示されています。

因みに 書き込みは この頭蓋骨の歴代の所有者の氏名などだそうです。

ルネ・ デカルト ( René Descartes 1596-1650 )

合理主義哲学の祖である者の遺骨が ある意味では相応しい扱いを受けているのかもしれませんが、私が はじめてこの事実を知ったときには かなりショックをうけました。 日本人なんですね。『 彼の頭蓋骨をそういう扱いにしていいんでしょうか‥。』と、心の声がしました。

それから 習俗の違いの極まりが、 ポーランドのクドヴァ・ズドゥルイにある骸骨教会などのように、納骨供養として装飾に用いられたり 大量に並べたりしている教会や墓所の存在です。ご存じの方も多いように、頭蓋骨などの遺骨がそのまま安置してある教会は ヨーロッパでは至るところにあったりします。

ここで、レオナルド・レオナルド・ダ・ヴィンチ  ( 1452-1519 )の 記録ノートの話に戻りましょう。

彼が 最初の頭蓋骨の素描をノートに描き記したのは 1489年、37歳頃であることが確認できます。しかし、20歳の時にヴェロッキオを手伝って完成させた作品「キリストの洗礼」には、すでに解剖学に根ざした表現が見て取れると言われています。

このことから、ヴェロッキオとダヴィンチは、この頃解剖学についてある程度の素養を持っていたのではないかと推測されています。

ヴェロッキオの工房の近くには、彫刻家で画家のポッライオーロ兄弟の工房がありました。当時 この兄弟は 解剖を行なっていたため、ダヴィンチは彼らに解剖を教わったのではないか とする指摘もあります。

その レオナルド・ダ・ヴィンチは 当初は絵画の写実性を高めるために解剖をしていたと言われています。

しかし、その後 ミラノで解剖学者の Marcantonio della Torre と共に解剖を進めるうちに、人体そのものに興味を抱くようになり、芸術家としてではなく科学者として人体とその器官の素描を行うようになったようです。  彼は 1489年から このように‥ 解剖した人体の詳細な素描を描き始め、 それを 教皇レオ10世に禁止されるまで‥ およそ 20年間つづけ、30体近い死体を解剖して750枚ほどの素描を遺しています。

哺乳動物の運動能力をささえる骨格 全般に言えることですが、特に頭蓋骨の 立体的形状や厚さなどの特徴は見事としか言いようがないものだと思います。

少なくともルネサンス期には その研究は飛躍的に進んだようで、それによる知識は自然科学の成立にも寄与しました。

それから、ルネサンス期に生きた人々の身の回りにあるもので 「剛性」や「構造」などについてイメージしやすいものとしては、橋や教会などの建築物があります。これらは 、実験と観察あるいは分析と総合または 仮説と実証の最たるものだと思います。

残念ながら この手法をルネサンス期の建築物で例示しようにも、断片的な資料しか残っていないようですので、時代を降りて この証明方法を鮮やかに用いた アントニ・ガウディ ( 1852-1926 ) の コロニア・グエル教会地下聖堂の「フニクラ(逆さ吊り模型)」で、それらをイメージしてください。

コロニア・グエル教会は アントニ・ガウディ ( 1852-1926 ) が1898年に構想に取りかかり1908年に着工され 1915年には半地階部が落成した状態で、上層は未完成ですが 地下聖堂部分がそのまま教会堂として利用されています。

ガウディは 『 美しい形は構造的に安定している。構造は自然から学ばなければならない。』と語っていたとされ、自然の中に最高の形があると信じていたと伝えられています。その背景には、幼い頃 バルセロナ郊外の村で過ごし、道端の草花や小さな生き物たちと触れ合った体験があるそうです。

コロニア・グエル教会地下聖堂は 傾斜した柱や壁、荒削りの石、更に光と影のめくるめく色彩が作り出す洞窟のような空間になっています。

彼は この柱と壁の傾斜を設計するのに 数字や方程式を一切使わず、10年の歳月をかけて実験を行ったそうです。

その実験装置が「フニクラ(逆さ吊り模型)」とよばれ、鎖を組み合わせたタイプや 紐で物体( 錘 )を吊り下げたものなどがあり、これで重力を捉え、それから これを逆さにすることで 強度を得るという発想だったそうです。この構造力学的合理性による発想は 「 サグラダ・ファミリア 」でも用いられました。

ガウディは このように設計段階で模型を重要視し、設計図をあまり描かなかったので、彼の巨大な最後の作品「サグラダ・ファミリア」の場合でも設計図は 役所に届ける必要最小限のものを作成したのみと伝えられています。

その設計図も スペイン内戦の戦火のためにあまり残っておらず、焼失を免れた数少ない資料を手がかりに現在も工事が進められているそうです。

La Colònia Güell   

La Colònia Güell   

Sagrada Família   

さて このように、自然のなかにあるものに着目し 建築のための構造などを学んだ人はアントニ・ガウディ ( 1852-1926 ) より以前に既に存在していました。

1851年、ロンドンで世界初の万国博覧会が開催されました。 会場となったのは ジョセフ・パクストン ( Sir Joseph Paxton 1803-1865 ) によって設計された「クリスタルパレス」でした。

彼はアマゾン原産のオオオニバスの栽培を初めて成功させた優秀な造園家でしたが、建築家としても才能がありました。

その「クリスタルパレス」は ジョセフ・パクストン ( 1803-1865 )の基本設計により、施工はフォックス・アンド・ヘンダーソン社が担当し竣工したもので、横幅 552m、奥行き 122m そしてドーム頂上部の高さは 41m もある 大規模な建築物でした。

因みに、この建物は 大量生産した規格部材を現場で組立てるプレハブ工法で建設されたことで有名です。

それは 約3300本の柱、2224本の梁、8万 1000m2のガラスを用いながら工期は 9ヵ月と当時の常識をやぶる短期間で、広々とした空間を確保したうえに明るさがある 近代建築の初期を飾る最も代表的な建築として完成しました。

 

 

万国博覧会後、解体されて ロンドンのシデナムの新しい敷地に恒久的な施設として移築されたことも特記に価します。移築後の建物は、改良がなされていて一段と良い施設となっていたそうです。

このクリスタルパレスの設計にあたり ジョセフ・パクストン ( 1803-1865 ) が 参考にしたと伝えられているのが、オオオニバスの巨大な葉を支える葉脈の構造と葉柄( リブ )です。

彼は 30万枚ほどのガラス板を、オオオニバスの葉脈のように交差した鋳鉄の支柱に埋め込みました。

そして屋根を直接支える骨組みの部分に、オオオニバスのリブのようなパイプ状の鉄柱を使用したそうです。この骨組みと鉄柱は 雨水を集めて流す雨どいとしての役割も担っていたのが 白眉とされています。

 

石やレンガ造りの建物が当たり前だった時代に ガラスと鉄筋によって作られたクリスタルパレスは、とても画期的で、多くの人の心を虜にしたそうです。  

このような現代建築が誕生する 源流である ルネサンス期の建築にも奥深さはあります。ルネサンス期には 建築の美というものが単純な整数比に支配された幾何学的な構造によって 厳密に定義されるべきと考えられ実際に建築に応用されました。

その着想の原点である、和音などの音律に関する現象は 古くから知られていて、特定の整数比( 1:2や 2:3など )を『 宇宙の秩序 』などと神聖視する考え方は 『 万物の原理が数である。』とするピタゴラスにまで遡ることができます。

このことについて建築家で理論家としても著名だったレオン・バッティスタ・アルベルティ( 1404-1472 )は、1451年頃の著書「建築論 」で これをさらに拡張して 2:3、3:4、1:2、1:3、1:4、8:9 という数比を挙げて、建築形態の美や調和がそれによって生み出されるという考え方を広げました。