裏板と表板の剛性に関する問題

9. 【  比率だと チェロの表板はヴァイオリンより薄いのです  

チェロを製作するときには、4本の弦によりおよそ47kg~61kg の張力がかかることを念頭に置かなければなりません。

これはヴァイオリンの弦張力合計 18kg~26.5kg の 2.3倍程で、チェロは個体差が大きいので単純比較が難しいですが 表板の面積比率は4倍以上もありますので、その分だけ ヴァイオリンより「つり合いの破れ」を起こすリスクは高くなっています。

Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 )  Cello  “Teschenmacher”  Milan,  1757年

Front 717.0 – 339.3 – 247.1 – 420.9                                                                        Back 712.2 – 332.7 – 237 – 419                                                                             Stop 391.1                                                                                                                               総重量 2584g                                                                                                                      表板の重さ 319g ( アーチ 28.4mm )                                                                     裏板の重さ 464g ( アーチ 36.4mm )

Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 )  Cello                                          “Ngeringa”  Piacenza,  1743年頃

Front 716.8 – 338.8 – 231.2 – 425.9                                                                  Back 716.6 – 340 – 228.7 – 423.3                                                                               Stop 391.0                                                                                                                                総重量 2456g                                                                                                                         表板の重さ 387g  ( アーチ 25.4mm )                                                                         裏板の重さ 482g  ( アーチ 30.9mm )

弦の圧力を アーチなどの立体的形状や板厚の剛性などによって支えることに失敗し「つり合いの破れ」が起こった場合は、表板が「平らに」変形してブロックが中央部で割れ、さらに表板や裏板 あるいは‥ ジェノヴァに展示されている “カノン”のようにブロックと側板の境目などが割れてきます。

そしてサドルが剥がれて起きあがり、側板とボトムブロックの接着部が剥がれ エンドピンがテールピースに引きずられるように傾きます。

そして、最後にボトムブロックと裏板の接着が剥がれるとともに、側板がエンドピンの中央位置から上下に引き裂かれるように割れてしまいます。

このヴァイオリンはそうして破損した後に すでに修理されていますがさ、痕跡をつきあわせると 最初のエンドピン穴は中心と表示した位置で 二重に書いた円の小円の直径6mmから 6.5mmで開けられていたと考えられます。

上写真の A-B割れは エンドピンの応力で割れたと考えられ、Cの傷はエンドピンの外縁部が食い込んだ後と思われます。

そして他の事例であるこのヴァイオリンでも 同じ様に観察すると、割れの A- B ライン上にエンドピン穴があり、直径はもっと小さかったと 推測できます。

このヴァイオリンでも同じ要領で破損した状況が推測できると思います。エンドピン位置が異様なくらい下げられていますが、ボトムブロックは入れ替えなかったのでしょうか?

修復後のこの写真でも 響胴の逆ぞり変形が残っていることが判断できます。

Liuteria Cassutti
Via Formis, 5
35129 Padova

Alberto Cassutti  “Grancino’s School Cello”  http://www.liuteriacassutti.it/portfolio/grancinos-school-cello/

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Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )                                                                         Violoncello  756 – 338 – 226 – 436  “Giovanni Mara”  1711年

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )                                                                         Violoncello 756 – 338 – 226 – 436  “Giovanni Mara”  1711年

Antonio Stradivari (ca.1644-1737 )  Violoncello                        “Stauffer – ex Cristiani”   1700年

Antonio Stradivari (ca.1644-1737 )  Violoncello                        “Stauffer – ex Cristiani”   1700年

Antonio Stradivari (ca.1644-1737 )  Violoncello                 “Stauffer – ex Cristiani”   1700年

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これは 1919 年に製作されたチェロのブロック写真です。

表板側から発生したヒビ割れ( 長さ 39 mm )がエンドピン・ホールまであと 9 mm のところで止まっています。  それから もうひとつ重要なのが このチェロのブロックもそうですが表板の疲労変形による割れは Aから Bに向けて進行します。因みにこのチェロの A、 B間のブロック厚みは 30 mm+1.8 mmで、 A側は 1 mmほどひらいていますが B部分を外側からみても分かりません。

 

昨今では 『オールド・バイオリン』などを製作するための秘密があったと本当に信じている方がいらっしゃるようですが、現在の状況の本質は技術力の低下にあると 私は思っています。

その一つが剛性を立体的形状によって高めるという基礎的な技術です。

たとえば 冒頭の写真は、工業製品をダンボール箱に納める時に緩衝材として使用される 古紙を主原材料とした パルプモールドの立体成型品を平にしたものです。

このイメージを一歩進めて、もし 古紙を主原材料とした パルプモールドの紙があったとすると 皆さんは どの程度の剛性を想像されますか?

因みに、写真のパルプモールドは 私がパソコンのプリンターを購入した際にダンボール箱の中の緩衝材として使用されていたものです。もちろん、そのまま輸出しても 大丈夫なようになっていました。

現代では ヴァイオリンやチェロにおいての「剛性」を 板厚だけでコントロール出来ると考える方が増えてしまいましたが、オールド弦楽器では板の厚さに加えてその立体的形状が重要な条件とされていたようです。

このような 立体的形状によって剛性が高められるという事について考えていくと、私たちの身の回りには 同様な事例があふれていることが分ります。例えば、この缶コーヒーの容器もそうです。

あるいは、柔らかいアルミ缶の剛性を高くするために工夫された口部や底部なども そうだと思います。

ところで‥このように立体的形状によって剛性が高くできることについてヴァイオリンなどの弦楽器が発明された時代には どのように認識されていたでしょうか。

今から 500年程前 ( 盛期ルネサンス ) に 彼らの身の回りにあるものとして考えてみると、私は 昆虫の羽などの立体的な形状については それなりに知られていたと思います。

たとえば、トンボの羽は断面形状がジグザグしているのは 現代でも一般に知られています。

トンボは飛翔中に、この凸凹した部分に小さな空気の渦が生じることにより揚力を得ているそうです。

また強い風の中であっても、このように発生する渦のおかげで、羽の周りを流れる風は大きく乱れることが無く、トンボは安定して滑空することができるとされています。

その上に、トンボは羽の表面にトゲ状の突起までもっています。 飛行機の場合は乱流翼と言うそうですが 突起物によって乱流を生み出し、翼面がいつも乱流境界層に覆われるために 低速でも揚力が失われ難いようになっているそうです。

この乱流翼は 1960年にイギリスで 世界初の実用垂直離発着機 ( VTOL機 )として開発され、 現在も製造されている ホーカー・シドレー ハリアー攻撃機の 翼上面の突起 ( タービュレーター )が 参考になると思います。

このように、私たち人類は 自然のなかに摂理を見出し、それを応用することを今日まで続けて来たわけですから 、500年程前もそれは同じだったと考えられます。

さて‥ ヴァイオリンが誕生した 盛期ルネサンスの終わりごろに、このように 羽や翼について観察した記録としては レオナルド・ダ・ヴィンチ  ( Leonardo da Vinci 1452-1519 ) のノートや作品が 最も秀逸ではないでしょうか。

彼は 鳥の翼の観察や羽ばたきの様子、そして水や空気の渦から翼のまわりの乱流などを考察をした記録を残しました。

因みに、レオナルド・ダ・ヴィンチ ( 1452-1519 ) は 14歳であった 1466年頃からアンドレア・デル・ヴェロッキオ ( Andrea del Verrocchio 1435-1488 ) の工房で絵画の訓練を受けたそうです。

彼が 最初の頭蓋骨の素描をノートに描き記したのは 1489年、37歳頃であることが確認できます。しかし、20歳の時にヴェロッキオを手伝って完成させた作品「キリストの洗礼」には、すでに解剖学に根ざした表現が見て取れると言われています。

このことから、ヴェロッキオとダヴィンチは、この頃解剖学についてある程度の素養を持っていたのではないかと推測されています。

ヴェロッキオの工房の近くには、彫刻家で画家のポッライオーロ兄弟の工房がありました。当時 この兄弟は 解剖を行なっていたため、ダヴィンチは彼らに解剖を教わったのではないか とする指摘もあります。

当初、レオナルド・ダ・ヴィンチは絵画の写実性を高めるために解剖をしていたと言われています。しかし、その後 ミラノで解剖学者の Marcantonio della Torre とともに解剖を進めるうちに、人体そのものに興味を抱くようになり、芸術家としてではなく科学者として人体とその器官の素描を行うようになったようです。

レオナルド・レオナルド・ダ・ヴィンチ  ( 1452-1519 )  は、このように 1489年から 解剖した人体の詳細な素描を描き始め、 それを 教皇レオ10世に禁止されるまで‥ およそ 20年間つづけ、30体近い死体を解剖して750枚ほどの素描を遺しています。

これらの素描から レオナルド・ダ・ヴィンチが 頭蓋骨の断面や構造を研究したことにより、剛性などの特徴を十分知り得たと推測できます。

因みに、成人の頭蓋骨は通常28個の骨から構成されていて、下顎を除いて 頭蓋の骨格はすべて縫合(移動をほとんど許さない厳密な接合)によって互いに連結されているそうですが、私は火葬場で お骨を拾った経験くらいしかありませんので 知りませんでした。

「 デカルト ( René Descartes 1596-1650 ) の頭蓋骨 」    “Musée de l’Homme”  Palais de Chaillot,  Paris

しかし、ヨーロッパでは事情が違います。たとえば、1637年の『 方法序説 』によって「 我思う ゆえに我あり / Cogito, ergo sum 」や、「 デカルト座標系 」が知られるようになったフランス生まれの哲学者、数学者の デカルトの頭蓋骨はこのようにエッフェル塔の対岸にある人類博物館に展示されています。

また、チェコのクドヴァ・ズドゥルイにある骸骨教会などのように 納骨供養として装飾に用いられたり 大量に並べたりしている場所が 至るところにあります。

現代にいきる私たちのほとんどは「生の死」から遠ざけられた環境で日常をすごすようになりましたが、数千年前からほんの少し前までは 頭蓋骨の剛性について知る機会は それなりに 有ったようです。

頭蓋骨 ( 穿頭術による 穿孔 )

内部にある脳や眼球や聴覚器官などを護り、栄養摂取のために歯を用い咀嚼したりする駆動性も保持し、呼吸もスムーズに行なうと共に 発声を妨げないなど、多くの役割を支える頭蓋骨は、眼窩上隆起などの複雑な立体的形状によって その剛性が高くされています。

私たちは 自分の抜けた歯などを 観察したことがあるわけですが、同じように 頭蓋骨の場合も、実際に切り落としたり その断面を観察すると「 良くできている 」ことが分かるのではないでしょうか。

戦国時代の日本では、織田信長が 天正二年 (1574年 ) 1月1日、前年討ち取った浅井久政、浅井長政 そして朝倉義景の髑髏に漆を塗り金箔を施したものを披露した。あるいは、盃として酒をふるまったとの話があります。

これについては解釈が分かれますが、当時は「 討ち取った首を荼毘にふして その遺骨を7年間供養することで成仏出来る 」という考えがあったそうです。

ですから、髑髏を装飾して披露するというのは、信長とともに酒宴を楽しんでもらうという事になります。つまり、討ち取った敵将に後々まで敬意を払ったと見れば、これは 信長なりの供養だったと理解することができます。

Ksh Holm,  Cello  /  DENMARK, Copenhagen  1791年

ヨーロッパでは、紀元前8世紀あたりから栄えた スキタイト族に同様の習俗があったことが最古の伝承で、その後も沢山の事例が記録されています。

Ksh Holm,  Cello  /  DENMARK, Copenhagen  1791年

また、ユーラシアから中東にかけた地域でも同様で、たとえば 1510年に サファヴィー朝の シャー・イスマーイール ( 在位 1501-1524 ) は、シャイバーニー朝の ムハンマド・シャイバーニー・ハーン ( 在位 1500-1510 ) を討ち取り、その頭蓋骨に金箔を塗って盃にしたとの伝承が残っていたりします。

Ksh Holm,  Cello  /  DENMARK, Copenhagen  1791年

頭蓋骨の剛性を知る機会は このような 戦争時以外でも、 事件や 事故、病気、葬儀などにおいて 私たちのように 市井に暮らす人々にも それなりに有ったのではないかと私は 推測しています。

Amati,  Cello

チェロやヴァイオリンなどの表板や裏板の膨らみ ( アーチ ) は、

 

Tommaso Carcassi ( Worked 1747-1789 ),  Firenze  1786年
Carlo Antonio Testore ( 1693-1765 )  Violin  /   Milan,  1740年頃

1851年、ロンドンで世界初の万国博覧会が開催されました。
会場となったのは ジョセフ・パクストン ( Sir Joseph Paxton 1803-1865 ) によって設計されたクリスタルパレスです。彼はアマゾン原産のオオオニバスの栽培を初めて成功させた優秀なガーデナーでしたが、建築家としても才能がありました。

クリスタルパレスは パクストンのプランにより工事はフォックス・アンド・ヘンダーソン社が担当し、幅 552m、奥行き 122m そしてドーム頂上部の高さは 41m だったそうです。

この建物は 大量生産した規格部材を現場で組立てるプレハブ工法がとられことで有名です。それは 約 3300本の柱、2224本の梁、8万 1000m2のガラスを用いながら工期は 9ヵ月と当時の常識をやぶる短さを誇り、広々とした空間を確保したうえに明るさがある 近代建築の初期を飾る最も代表的な建築として完成しました。

万国博覧会後、解体されて ロンドンのシデナムの新しい敷地に恒久的な施設として移築されたことも特記に価します。移築後の建物は、改良がなされていて一段と良い施設となっていたそうです。

このクリスタルパレスの設計にあたり ジョセフ・パクストンが 参考にしたと伝えられているのが、オオオニバスの巨大な葉を支える葉脈の構造と葉柄( リブ )です。


彼は 30万枚ほどのガラス板を、オオオニバスの葉脈のように交差した鋳鉄の支柱に埋め込みました。そして屋根を直接支える骨組みの部分に、オオオニバスのリブのようなパイプ状の鉄柱を使用したそうです。この骨組みと鉄柱は 雨水を集めて流す雨どいとしての役割も担っていたのが 白眉とされています。

石やレンガ造りの建物が当たり前だった時代にガラスと鉄筋によって作られたクリスタルパレスは、とても画期的で、多くの人の心を虜にしたそうです。