弦楽器の性能を確認する方法

私が  “オールド・バイオリン” の特徴を検証しようと決心したのは、写真家である 横山進一さんが撮影され 1986年に学研より出版された ”The Classic Bowed Stringed Instruments from the Smithsonian Institution ” の 47ページに掲載されている この写真を見ているときでした。

Nicolò Amati ( 1596–1684  )  Violin,  Cremona  1675年

それは、このヴァイオリンの左下コーナー部のニスが薄い様子と同じ特徴の “オールド・バイオリン” を よく目にしていることに思いが至ったからです。

そこで、すぐに身近にあった “オールド・バイオリン” で それらのニスの薄い部分を確認しました。

比較対象は 例えばこのように製作時の状況が比較的によく保存されているヴァイオリンです。

Old violin   1650年頃

これらの比較検証によって 私は 左下コーナー部のニスが薄くなっている箇所は、古の製作者が  響のバランスを調整をした状況証拠のひとつであると判断しました。

この話は 細やかなことのようですが、私にとっては “オールド・バイオリン”の検証に関しての立ち位置が変わった大きな瞬間でした。

ルネサンス末に誕生した”オールド・ヴァイオリン”は、その後に改良が進むとともに普及しましたが‥  残念ながら 1800年代初頭には  その製作者が激減し、ついには絶えて今日に至っています。

そもそも このような混乱は、現在 “オールド・ヴァイオリン”と呼ばれているものが  創作されたものと、それを丁寧に写したものから成り立っていたところに、大量の贋作が製作され その一部が真作と信じられてしまった事に起因していると私は思っています。

このために その検証は “オールド・ヴァイオリン”の特徴を明確に捉え、その変遷を時間軸のなかで整理し、そこから得た知見から音響的システムの仮説をたて、それを実証できるヴァイオリンやチェロ、ビオラを製作するという 高いハードルへの挑戦を意味していました。

ともあれ、この日から 弦楽器のなかにある贋作(フェイク )を区別するために小さい状況証拠をつみ重ねる 私の本格的な古楽器研究がはじまりました。

これらの研究成果を 公表するにはかなり長文にお付き合い頂く事になりますが、私なりの社会貢献として 皆さんに弦楽器をリスペクトしていただくためにここから話をはじめたいと思います。

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Joseph Naomi Yokota

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まず “オールド・ヴァイオリン”の時間軸を理解していただく為に音楽年表のなかに それらの裏板写真を置いてみました。

そして、これらのヴァイオリン裏板画像から “オールド・バイオリン”の特徴としてコーナー部の非対象性 ( 4つのコーナー部の剛性バランス )、特に A コーナーと B コーナーの面積差異を見ていただく事にしました。

私は 弦楽器を見る時には、 はじめに四つの尖ったコーナー部の 左右の非対象性( アシンメトリー )を確認します。なぜなら 私はこれを弦楽器製作において『 あの響き‥ 』を生みだすための重要な設定だと考えているからです。

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  Violin,   “Lady Jeanne”  Cremona   1731年

なお、コーナー部の非対象性 につきましては 過去の投稿でチェロの場合についても触れていますので参照としてください。

●  “オールド・チェロ” の 特徴について

先程ふれましたように、私は “オールド・ヴァイオリン”と呼ばれているものは創作されたものと、それを精密に写したものの総称だと思っています。

そこで 「創作型」の参考例として シモン・ゴールドベルク ( Szymon Goldberg  1909-1993 )さんの愛器だったグァルネリ・デル・ジェス『バロン・ヴィッタ』を まず見て下さい。


Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )  Violin,  Cremona  “Goldberg / Baron Vitta”  1730年頃

ユダヤ系ポーランド人であった シモン・ゴールドベルク ( 1909-1993 )さんは、少年期にワルシャワでヴァイオリンを学び、1917年よりベルリンで カール・フレッシュの指導を受けられました。

そして 12歳でワルシャワでデビューを果たすと 1925年にはわずか16歳でドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターに就任されます。

その後 1929年には ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの招きで、弱冠20歳でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターに就任され、1930年には、パウル・ヒンデミットやエマヌエル・フォイアーマンと弦楽三重奏団を結成して室内楽演奏を展開するとともに、ピアニストのリリー・クラウスとデュオを組んでソリストとしての演奏活動も積極的に続けられました。

ゴールドベルクさんが使用していた このヴァイオリンは ゴールドベルグ山根 美代子 ( 1939-2006 )さんにより アメリカ合衆国連邦議会図書館 ( Library of Cngress )に寄贈されました。
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Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )  Violin,  Cremona  “Goldberg / Baron Vitta”  1730年頃

Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 )  Violin,  Turin  1850 年頃

それから、「写し型」の参考例としては ” 厳密な意味での最後の名工”といえる ヨーゼフ・アントニオ・ロッカ( Giuseppe Antonio Rocca 1807-1865 )が 1850年頃に製作したヴァイオリンを挙げたいと思います。

また、このヴァイオリンと同じ基準で製作されたと考えられる 1845年から1850年にかけて製作されたヴァイオリンの裏板画像を下に貼りました。 

Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 )  Violin,  Genoa
1845-1850 年頃

 

● 恐縮ですが、ここに年表へのリンクが貼ってあります。

弦楽器製作流派である ”クレモナ派”の始祖 アンドレア・アマティ ( ca.1505–1577 ) から グァルネリ・デル・ジェズ ( 1698-1744 ) が死去するまでの ルネサンス晩期~バロック時代がおおよそ 200年間とされています。

そののちに最後のクレモナ派 G.B. チェルーティ ( 1755-1817 ) が亡くなるまでの古典派の時代が 70年ほど続きます。

それから “モダン・バイオリン” が製作される近代となります。
そして、厳密な意味でイタリア最後の名工として トリノなどで 弦楽器製作をおこなった ヨーゼフ・アントニオ・ロッカ ( 1807-1865 ) が亡くなるまでがまた 50年程 でした 。

アマティ工房は クレモナの木工や金細工職人が集中した地区で  ” 島( isola )” とよばれた San Faustino にあり、イタリア最古のヴァイオリン製作者として知られる アンドレア・アマティ( c.1505 – 1579 ) が、プレヴェザの海戦の翌年である 1539年頃に工房を設立したことに始まるとされています。

そして、すばらしい事に1740年に アンドレアの曾孫である ジロラモ Ⅱ( Girolamo Ⅱ Amati  1649 – 1740 )が亡くなるまで 4代に渡りおよそ200年間 ヴァイオリンなどの名器が製作し続けられたこともよく知られています。

 

 

 

 

クレモナ派において このヴァイオリンと共に重要となのが シャルル9世の 摂政カトリーヌ・ド・メデシスによってフランス宮廷で使用された楽器群だと思っています。

これらの楽器は この後 リシュリュー枢機卿が ルイ13世の宰相となった 1626年ころに 5パートからなる弦楽合奏団である『王様の24人ヴァイオリン隊 ( Les Vingt-quatre Violons du Roi )』の設立につながり、 ルイ14世が親政をはじめる 1761年ころまで この合奏団で用いられたとされています。

つまり これらの楽器達は、ヴァイオリンという楽器の黎明期の性能をさぐるときに 実際に演奏された音楽と連動させることで私たちに気づきを与えてくれる 生き証人なのです。

私は現在得られる情報から判断して、この楽器が ヴァイオリンの完成型としては 最も初期に製作されたものと考えています。

それから ヴァイオリンにとって ” ガスパロ・ダ・サロ ”の愛称で呼ばれた ガスパーロ・ディ・ベルトロッティを 始祖とするブレシア派の弦楽器製作者も重要だと思います。

私は この ジョバンニ・パオロ・マッジーニが製作したとされる ヴァイオリンなどにみられる 彼らの能力の高さを心から尊敬しています。

 

残念なことに “オールド・バイオリン”の時代は1800年代初頭に終わり半世紀ほどたった1854年頃
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Jean Baptiste Vuillaume ( 1798-1875 )

このヴァイオリンは 一般的に目にする象嵌(ぞうがん)タイプのパフリングではなく”描きパフリング” になっています。


象嵌パフリングは音響的な理由で採用されたようですが、摩耗しても景色に違和感が生じにくいという特徴があります。

切り落とされた場合は修理範囲の状況証拠にはなります。
これは、コーナー部に修理木片がジョイントされたヴァイオリン表板の例で、下はチェロ裏板コーナーの修理例です。

 

このように 長い間使用された弦楽器は、摩耗や損傷 そして修理などによって 製作されたときと様子が変わってしまった物も多いので、製作されたときの様子が推測しやすい描きパフリングの弦楽器は重要な資料的価値があります。

また、19世紀以前に描きパフリングでつくられた弦楽器は 当時の音響技術の粋として 高い目的意識のもとに製作されたと考えられますので、弦楽器の特徴を観察するのには最適です。
その描きパフリング型では 下写真のカルロ・アントニオ・テストーレが製作したヴァイオリンのように 、表板が一枚板で迫力のある楽器などがその代表的なものだと思います。

 


Carlo Antonio Testore ( 1693-1765 ) ,   Violin  /  Milan 1740年頃

Giovanni Paolo Maggini ( 1580 – ca.1633 )  Violin, Brescia

残念なことに “オールド・バイオリン”の時代は1800年代初頭に終わり半世紀ほどたった1854年頃

Jean Baptiste Vuillaume ( 1798-1875 )

これらの比較検証によって 私は 左下コーナー部のニスが薄くなっている箇所は、古の製作者が  響のバランスを調整をした状況証拠のひとつであると考えるようになりました。


こういった社会情勢下でクレモナでのヴァイオリン製作はアマティ工房を中心に展開されていました。 上の地図にあるように 1680年にはアントニオ・ストラディヴァリも アマティ工房がある San Faustino に工房を設立します。( No.⑤ )これはニコロ・アマティの絶大な信頼を得ていた兄弟子 アンドレア・ガルネリが 1654年頃から住んでいた家( No.④ )のお隣でした。

この時 ストラディヴァリ( 1644 – 1737 )は 36歳くらい、師であるニコロ・アマティ( 1596 – 1684 )は 85歳前後 、そして兄弟子 アンドレア・ガルネリ( 1626 – 1698 )は 54歳で ジロラモ・アマティⅡ( 1649 – 1740  )は 31歳と考えられます。

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ヒル商会( William Henry Hill, Arthur F. Hill & Alfred Ebsworth Hill著 )が研究書として 1902年にロンドンで出版した  ” Antonio Stradivari, His Life and Work (1644-1737) “や
1931年に出版の ” The Violin-Makers of The Guarneri Family (1626-1762) ” によれば、ヴァイオリンの製作技術を 初代アンドレア・アマティ( c.1505 – 1579 )と二代目にあたるアマティ兄弟( Girolamo  1561 – 1630 , Antonio 1540 – 1640 )までは『 家職 』として 『 一子相伝 』的にあつかっていたと記述されています。

このスタイルを三代目のニコロ・アマティ( 1596 – 1684 )は激変させたそうです。
これは当時クレモナにはイタリア各地の宮廷やその他の国々から楽器の注文が殺到しておりもっと大々的に製作する必要が生じていたためと伝えられています。
このニコロ・アマティの決断はグアルネリ・ファミリーや ストラディヴァリ・ファミリー、ルジェーリ・ファミリーなどを生みだしヴァイオリン製作にとって非常に重要な意味をもっていました。

 

 

弦楽器には裏板が上幅広部で 2枚の板が上下に繋いであるものがあるように、ヴァイオリンの上下の幅広部は重要な役割をもっています。

例えば この幅広部の高音側の端  A を 下写真のアントニオ・ストラディヴァリが製作したとされるヴァイオリンでは 傷あとのように”意図的”に加工してあります。


Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  1710年 Violin,  ” Vieuxtemps”

これは一見して傷にみえますが “意図的”とは、下のように拡大すると星印の焼き印がいれられている状況証拠から私はそう判断しました。


また、下の グァルネリ・デル・ジェス の ヴァイオリン “キャロダス”では同じ場所 B に 焼いた針で入れられたと考えられる痕跡があります。


” Guarneri del Gesù ” Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 )   Violin  ” Carrodus ” 1743年   /  English violinist,  John Tiplady Carrodus ( 1836–1895 )

そして 先程の描きパフリングの “オールド・バイオリン” の  上幅広部の高音側の端  C  は こういう彫り込みがされています。


これら 三つのタイプを下に並べました。
私の経験では  “オールド・バイオリン”では 裏板や表板の上幅広部の高音側の端は この何れかの加工がなされていました。

Old violin   1650年頃


” Guarneri del Gesù ”
Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 )   Violin
” Carrodus ” 1743年

そもそも、ヴァイオリン族のへり部分( 表板、裏板と 側板との接続部 )は響胴が特定のゆれ方をするように側板からオーバーハングする設定そのものが “意図的”に選ばれたと考えられます。

これは オーバーハングしていない設定の弦楽器と比較すると分かり易いかも知れません。

この ヴィオラ・ダ・ガンバは 現代のギターなどと違って エッジが 丸くなだらかに削られています。まるで長期間の使用により摩耗したかのようですが、人為的なものでなければ エッジがこういう状態になることは あり得ません。

オーバーハングと真逆の設定ですが その繊細な設定を私はすばらしいと思います。

それから‥ ヴァイオリンの黎明期に製作された下写真のような弦楽器が 現存していますので、私は ヴァイオリン族のへり部分がオーバーハングした設定は この二つの要素を融合させたものと考えています。


Lira da braccio → Viola  /   Francesco Linarol Venice 1563年

そこで もう少し 弦楽器では上幅広部の高音側の端が意識されたと私が考えた状況証拠をご覧いただきたいと思います。

コントラバスは 裏板が フラット・バックあるいはそれに近い設計で製作されたものが ある程度 現存しています。そして この写真にある 19世紀に製作されたフラット・バック型コントラバスの上幅広部の高音側の端はこのようになっています。

この楽器では 低音側も削ってあるようですが 、私は高音側の削り角度がより大きくしてあると推測します。


この加工をすると響胴のなかでバネ的な役割を担わされた側板だけでなく裏板にもバネ的な緩みやすさが生じやすくなります。

これはアーチ・バックのコントラバスでも重要な要素として意識されているようです。

弦楽器の場合にも振動は”節”( 一定の剛性を持ちゆれ難い部分 )と”腹”( 振動板として機能する部分 )で生み出されています。

ですから 下写真のように 中央部に立体的形状を工夫し剛性を高くして、その外側を”腹”として設定すると 響胴にレゾナンスのための “緩み”が生まれやすくなります。

この要素を強く意識した弦楽器は 今日でもたくさん見ることができます。

たとえば ベルリンの楽器博物館には このような古楽器が展示されています。


これらの弦楽器を観察すると その使いやすさに関する工夫のほかに、楽器製作者が豊かな響きをもとめて そのシステムと取り組み続けたことがわかります。


皆さんも このような弦楽器を見ると いくつも疑問が湧くと思います。例としてあげれば 『この弦楽器の側板端は なぜこの位置で終っているのでしょうか?』など‥はどうでしょうか。

この弦楽器製作者一人をとっても 当時すでにヨーロッパに広がっていたヴァイオリンは熟知していたようですし、おそらく‥ その名工であったと推測できます。


19世紀以前に製作された弦楽器をよく観察してみると、例えば先程のコントラバスの 上幅広部の高音側の端にはアーチなどの立体的形状のながれを整える役割と考えられる 冶具で焼いた痕を見ることができたりします。


私は位置関係などの要素から 下写真の 一見して装飾風に十字架がいれられているようにみえる加工も 音響的な役割として入れられていると思っています。


このように”オールド・バイオリン” などの弦楽器は へり部が特定のゆれ方をするように側板からオーバーハングする設定が採用された前提で 上幅広部の高音側の端を観察すると”意志的”と考えられる痕跡を見ることができます。

では もう一度、別のヴァイオリンで 上幅広部の高音側の端を見ておいてください。

Francesco Goffriller ( 1692–1750 )      Violin,  Udine 1719年頃

ヴェネツィアで生まれ育った フランシスコ・ゴフリラーは 1714年にヴェネツィア共和国の第二の都市だった  ウーディネに移り弦楽器製作を続けたそうです。

このヴァイオリンはその頃の作とされています。


Francesco Goffriller ( 1692–1750 )    Violin  1719年頃

 

さて、ここまで私は  “オールド・バイオリン”などの響胴の特徴を 音響上の要素としてお話しして来ました。

長文となり恐縮ですが 私はそれを重要なことと考えていますので‥ この切り口でもう少し話を進めさせてください。

ヴァイオリン属の弦楽器は側板からオーバーハングする設定であるとともに へり部にハス状隆起が採用されています。


オオオニバス

ヴァイオリンやチェロなどの弦楽器は これによって生じる剛性を冒頭で指摘した 左下コーナー部のニスが薄くなっている部分のように低くすることで、響胴のねじりなどの変形がスムーズに生じるように設計されていると私は理解しています。

これについては 私が参考とした描きパフリングの “オールド・バイオリン” などでニス薄部の内部がどうなっているかを確認することで異論は無くなるのではないでしょうか。

“オールド・バイオリン” などでは 上写真のように 裏板のニス薄部に対応するように、側板の役割も持つコーナーブロックの一部が 薄くされていたり切れ込みが入れてある楽器は多いようです。


Cornerblock  /   Leonhardus Maussiell    Violin  Nurmberg  1726年
この部分の設定は それぞれの弦楽器製作者ごとに工夫がみられ私は毎回それらを確認することを楽しみにしています。

たとえば 上写真のように プレッセンダーのヴァイオリンでは この位置に焼いた針が刺された痕がありました。

Leopold Widhalm  ( 1722- 1786 ),   Violin  1769年  Nurmberg

また ニュルンベルクの宮廷弦楽器製作者である Leopold Widhalm が製作したヴァイオリンでは、こういったバランスが設定されたいました。

 

 

Antonio Stradivari ( ca.1644- 1737 )  Cello  “Marquis de Corberon”  1726年

響胴へり部に関するこの他のチェツク・ポイントにつきましては後の投稿に送ろうと思いますが、取りあえずその予告として下の画像をあげさせて頂きます。


これは先程の 描きパフリング の “オールド・バイオリン” を真横から撮影したものです。

この画像を上下回転させてから 縦方向を 5倍にすると下写真、中央のようになります。


このヴァイオリンの上幅広部の高音側は画像に向って左側の切れ込み状の部分です。

Francesco Goffriller ( 1692–1750 )    Violin  1719年頃

皆さんも 今回指摘した以外でも 多くの板厚が薄い部分や切れ込み状の部分を見てとることが 出来ると思います。


Giulio Cesare GIGLI ,    Rome

私は これらの気づきにより 独自の研究をすすめ、 “オールド・バイオリン”などの弦楽器が持つ響きはこれらが構築する音響システムによるものと考えるようになりました。

そして 2004年11月11日より 2015年12月26日まで この研究の検証も兼ねて自作のヴァイオリンやチェロの製作を行ないました。

 

Violin –  Joseph Naomi Yokota ,  Tokyo  2008年

おかげさまで これにより私が立てた仮説が正しかったことが ほぼ確認できましたので、 長文となったこの投稿はここまでとしますが 随時その研究を 新たな投稿で公開して行こうと考えています。

私は 皆さんが 弦楽器を性能で 再評価することで オールド弦楽器が リスペクトされることを願っています。

T

 

2017-1-27                Joseph Naomi Yokota

続きは こちらです。

それが本物の”オールド・バイオリン”でしたら 裏板の マークを確認してください。

裏板 右回転 21°~23°位置 のオーバーハングについて

裏板ボトムブロックの端付近も確認してください。