弦楽器を研究し見出したこと。( 誤った修理事例について )

6. 【  知らなかったことを許してあげましょう。  】


Arist.Cavalli & Suoi Alunni label
( It is probably made from 1930 to 1935. )

私はヴァイオリンを観察する時にはそれらに入っているキズを確認します。例えば この ヴァイオリンでは、 右側 F字孔のキズが特徴的ですので検討が必要と判断します。

Arist.Cavalli & Suoi Alunni label
( It is probably made from 1930 to 1935. )

それは、これらのキズが 金属製の冶具を焼いてつけられているようでしたら、その楽器の製作者の考えを読み解ける可能性があるからです。

これにつきましては、私が書きかけている記事「  ”加熱痕跡”はいつ付けられたのでしょうか。」から 一部を転載いたします。

私が キズに見える加熱痕跡の読み方について確信を得たのは 15年程前にヨーゼフ・アントニオ・ロッカ(1807-1865)が製作した、このヴァイオリンに出会ったからです。

この楽器は 製作されてから まだ150年程しか経っていませんでした。

それなのに このヴァイオリンは、写真でも分かるように 表板、裏板ともに肩の位置などにキズ状の加熱痕跡があったり、あご当て部と右肩部にも大胆な加工がしてありました。

私は この仕事に入った早い時期から、弦楽器に入っているこれらのキズ状のものは全て確認するようにしていましたが、若い頃は その数を前にして 意図的とは思えず『 数えきれない‥。』と断念することもよくありました。 

 

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
Cremona 1791年 “ex Havemann”  [ Wurlitzer collection  ]

特に “オールド・バイオリン”では『 ‥やはり300年くらい前の楽器は、現代まで受け継がれる間にはひどい目に遭ったはずだから‥。』という思いに陥りやすく、製作時の意図的な加熱加工や摩耗加工であるという判断がなかなか出来ませんでした。


Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
Cremona 1791年 “ex Havemann”  [ Wurlitzer collection ]
( Photo : Jiyugaoka violin  1998年 )

その私が ”オールド・バイオリン”のすり減ったりキズ痕だらけの様子に はじめて違和感を感じたのは、20年ほど前にクレモナ派の実質的な最後の継承者である G.B. チェルーティが製作した このヴァイオリンを扱ったときでした。

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
“ex Havemann” ( Bein & Fushi inc. 1981年 )

このヴァイオリンは モーツァルトが死去した1791年にクレモナで製作されたもので、 ニューヨークのウーリッツァー商会が刊行( 1931年 )した ”ウーリッツァー・コレクション”に 写真付きで掲載されていて ”Ex Havemann ” のニックネームを持っている名器です。

私が目にした1998年は、この楽器が 1791年に製作されてから 207年ほど経っていたわけですが、私の知っている どの G.B. チェルーティより”キズ痕”が多いうえに、それらは人為的につけられた気配が濃厚でした。

なお、このヴァイオリンには 1939年に発行された レンバート・ウーリッツァー社 ( Rembert Wurlitzer Co.、) の写真添付の正式な鑑定書もついていて、その時点での様子をある程度は推測できました。
Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
“ex Havemann” ( William Moennig & Son   1958年 )

また、この他にもフィラデルフィアの著名ディーラーだった ウイリアム・メーニック ( William Moennig & Son ) が 1958年に発行したものと、シカゴの Bein & Fushi inc. が 1981年に発行したものも含めて鑑定書はあわせて3通もついていました。

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
Cremona 1791年 “ex Havemann” ( Rembert Wurlitzer Co. 1939年 )

それで私は これらの鑑定書や ”ウーリッツァー・コレクション”ブックの 添付写真をならべて、このヴァイオリンの”キズ痕”を順に確認してみました。

これは、私が販売した 1998年は製作されてから 207年、1981年は 190年経過を意味し、1958年は 167年で 1939年は 148年、そして 1931年は 140年しか経っていなかった‥  ということを踏まえた上での検討でした。


.            1998年 ( 207年経過 )                             1981年 ( 190年経過 )

  
.        1958年 ( 167年経過 )                                  1939年 ( 148年経過 )

さすがに 1939年や 1931年の写真では 外周部がだいぶん不鮮明ですが、それでも駒やF字孔周りの加熱痕跡はしっかりと写真に捉えられていました。

そして、目視確認の範囲ですが ”ウーリッツァー・コレクション”ブックの 1931年から 現代までの80年以上におよぶ期間で、このヴァイオリンのキズは ほとんど増えていませんでした。

この状況を前にした時‥ 皆さんは イタリア、クレモナで1791年に製作されたこのヴァイオリンの「キズ痕」はいつ入ったと思われますか?

Antonio Stradivari (  ca.1644 – 1737 )    Violin  “San Lorenzo”

よく言われる事ですが‥ どなたであろうと これを判断するには 様々な時代の弦楽器を 知ることが必要となります。

もし ご興味があるようでしたら、例えば 六本木ヒルズ・森アーツセンターギャラリー で開催された「 東京ストラディバリウス フェスティバル 2018 」”ストラディヴァリウス300年のキセキ展” のような機会を利用し、1718年製の  ストラディヴァリウスのような 素晴らしい弦楽器を観察する事を 私はおすすめしたいと思います。

ともあれ、私の場合は G.B. チェルーティ( 1755-1817 ) の ヴァイオリンに出会ってから 5年程後に ヨーゼフ・アントニオ・ロッカ(1807-1865)のヴァイオリンに出会うなど、多くのオールドやモダンの弦楽器を目にしたことによって、加熱痕跡は製作時に入れられていたと確信出来るようになり幸せにすごせました。

なお弦楽器のキズ痕に関しては “オールド・バイオリン”などに見られるキズ痕について。として すでに投稿してあります。そちらも参考にしていただければ幸いです。

F字孔まわりのキズ状の加熱加工は、ヴァイオリンが誕生した時期に製作された Lira da braccioにも 見ることが出来ます。

 Francesco Linarol ( 1502-1567 )  Lira da braccio
この楽器は 現在 Viola として使用されています。


Francesco Linarol ( 1502-1567 )  Lira da braccio


それから、先程触れましたようにように ストラディヴァリウス も例外ではありませんが、加熱加工に関しては 楽器ごとの程度差は大きいようです。

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  Violin
“Geraldine Morgan – Joachim”   1708年

この ストラディヴァリウス は F字孔周りの加熱痕跡が 多いタイプです。

 

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )   Violin “Vieuxtemps”  1710年

また、ストラディヴァリが製作したとされる このヴァイオリンでは 上幅広部の高音側の端 A 部が 傷あとのように”意図的”に加工してあります。


これは一見すると傷にみえますが、 “意図的”とは 下のように拡大すると星型の焼き印がいれられている状況証拠から判断出来ると思います。

”オールド・バイオリン”では このような星型焼き印は 響胴だけではなくスクロール・トップなどのヘッド部、そして駒などで時おり 見られます。

このことから考えると、すくなくとも弦楽器製作者は これらのキズ痕が人為的なものであることを隠す意図はなかったようです。

Tommaso Carcassi ( Activity period  1747-1789 )   Violin
“EX STEINBERG”  Firenze  1757年頃

それから、カルカッシは 楽器表面の凹凸のなかで 谷状のくぼみに入れられた針痕が 多い製作者ですので観察し易いと思います。

Tommaso Carcassi   Violin,  Firenze  1786年
Tommaso Carcassi   Violin,  Firenze  1786年

 

Viola   “Zukerman”,  Body length 416mm

また、私はこのビオラも 凹凸に富んだ立体的形状と 加熱痕跡がすばらしいと思っています。

Francesco Linarol ( 1502-1567 )  Lira da braccio

さて、ここで参考例としてキズ状痕や 焼いたピンで付けられた痕と 立体的形状のつきあわせを行いたいと思います。

まず、上写真で 点状のものでは最も大きい右下側の丸いキズの位置を下写真で確認します。

すると、やはり谷状のミゾのなかに位置していることが分ると思います。

  Francesco Linarol ( 1502-1567 )  Lira da braccio

この要領で キズ状痕や 焼いたピンで付けられた痕に赤色で番号を振っていきます。


そしてその位置を平面写真で確認し、 同じように白色で番号を振ってみました。

このようなやり方で、例えばこのマッジーニ作のヴァイオリンのように作家性が高いものを検証していくと、加熱痕跡や摩耗が一定の原理で用いられていることが理解出来ると思います。

Giovanni Paolo Maggini ( 1580 – ca.1633 )  Violin, Brescia

そして、複雑な立体ですから計測しにくいですが コンパスをあてて キズ痕と縁部、ピークなどの位置から それぞれの関係性を検討すれば、ブロック部からの応力のかかり方が多少なりとも推測できます。

私がこの投稿のはじめに『 これらのキズが 金属製の冶具を焼いてつけられているようでしたら、その楽器の製作者の考えを読み解ける可能性があります。』としたのは、このように表板や裏板の立体的形状との突きあわせによる 解析によってもたらされます。
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Andrea Guarneri ( 1623 – 1698 )   Violin,  Cremona 1686年

さて、冒頭のヴァイオリンですが そういう機会に恵まれなかった方が 整備を担当してしまったようです。

このヴァイオリンは、スクロールの窪みの中にも 焼いた工具で加工を施し、スクロールのボトム面も はっきりと傾斜させるなど、古典的技術を踏襲あるいは模倣したクオリティーの高いものだと 私は思います。


Arist.Cavalli & Suoi Alunni label
( It is probably made from 1930 to 1935. )

Arist.Cavalli & Suoi Alunni label
( It is probably made from 1930 to 1935. )

Arist.Cavalli & Suoi Alunni label
( It is probably made from 1930 to 1935. )

私は この投稿のタイトルを「 誤った修理事例について 」としています。

そして参考事例としてあげた このヴァイオリンでは、キズにそってニス色が薄くなっていたり 染み色で年輪色が反転しており、修理をしようとした人が おそらく『 キズを消そうとして‥』削ってしまったと推測できます。

この人は このヴァイオリンに入っているキズ状の加熱痕跡を、使用した期間に付いたと思い込んでいたようです。

その結果がこれですが、 この失敗事例でもわかるように 加熱痕跡は 深さがあるものが多いために簡単には無くせません。

そして‥ 悲しいことに この人は、この『修理』のさいに スジ状キズ部だけでなく、駒が立つ付近の段差状に加工された部分や、裏板のキズ部まで削ってしまい 収拾がつかないひどい状態に陥っています。

Arist.Cavalli & Suoi Alunni label
( It is probably made from 1930 to 1935. )


Arist.Cavalli & Suoi Alunni label
( It is probably made from 1930 to 1935. )

弦楽器の加熱痕跡は 英語だとパティーナ  ( Patina, or antique patina ) という表現でいいと思います。これは 日本語だと「寂(さび)」がそれに近いとされています。

「寂(さび)」の意味として「 閑寂さのなかに、奥深いものや 豊かなものがおのずと感じられる美しさ。」と定義される方がおられるようですが、私は それを意味深いと感じます。

どうか‥ 弦楽器の加熱痕跡が 可能なかぎり そのまま残される時代がふたたび来ることを、私は 心から願いたいと思います。

 

2018-10-15      Joseph Naomi Yokota