弦楽器を研究し見出したこと。( ペグボックス上端部について )

8. 【  スクロール基礎部はペグボックスとの接合部です。  】

Andrea Guarneri ( 1626-1698  )   Violin, Cremona  1684年

私は、アンドレア・ガルネリをリスペクトします。

彼は ガルネリ一族の礎を築いただけでなく、その創造性はストラディヴァリなど 数多くのクレモナ派弦楽器製作者に多大な影響を与えたと考えられるからです。

Andrea Guarneri ( 1626-1698  )   Violin, Cremona  1684年

その彼が、1684年に製作したとされる このヴァイオリンの ペグボックス上端部を 私はすばらしいと思います。

その理由は、先ず ペグボックス壁部の厚さを 左右上端 ( a.b. ) で はっきりとした差をつける条件設定が 選ばれている事です。

それから、中心軸 ( Central axis ) として 上端中央より右寄りの位置に窪みのような彫り込み ( ノッチ ) がしてある事も 音響上の効果は大きいと私は考えます。そして、なによりもこの楽器が製作された時期が重要です。

このヴァイオリンが製作された 1684年頃に、彼は 弦楽器製作家としての円熟期を迎えていました。


彼の工房があった クレモナは、 アンドレア・アマティ ( ca.1505-1577 ) が工房を設立する少し前の 1526年から『  スペイン継承戦争( 1701 – 1714 )』までは スペイン王国領でした。

そして、1701年から1702年の『 クレモナの戦い 』でオーストリア軍に敗れるまでフランスが短期間支配したのちに、1707年にミラノまでの北イタリア やナポリなどをオーストリア軍が平定したことによりハプスブルク家の所領となりました。

私は 当時の地図でクレモナの サン・ドメニコ教会 ( 下地図 )と、”San Faustino” の ガルネリ工房 ( ピアッツァ・サン・ドメニコ地区中央 ● Casa Guarneri ) 、その左側の  The Amati house 、そして 右隣の Casa Stradivari の位置関係をながめる度に神の恵みを感じます 。


アンドレア・ガルネリ ( 1626-1698  )  は、1641年頃に ニコロ・アマティの工房 ( The Amati house )で徒弟として働きはじめたと伝えられています。

彼の師匠 ニコロ・アマティ ( 1596–1684 ) は アンドレア・アマティ ( ca.1505-1577 ) の直系で、その工房は 祖父の代からクレモナの木工や金細工職人が集中した この “San Faustino” にありました。

アンドレア・ガルネリは 弟子として研鑽を積んだのち、1654年に 師匠の工房に隣接する建物にガルネリ工房 ( ● Casa Guarneri ) を立ち上げた時、28歳位だったそうです。

そして、すばらしい事に 1680年には 弟弟子の アントニオ・ストラディヴァリ ( ca.1644-1737 )が 新婚だった1667年から暮らしたガリバルディ通り57番地から、ガルネリ工房の隣である ピアッツァ・サン・ドメニコ 2番地に工房 (  Casa Stradivari ) を移設し、弦楽器の研究がより進展しやすい状況が生じました。

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  Violin,   1733年
“Rode ,  Le Nestor”

冒頭のヴァイオリンが 製作されたと考えられる 1684年は、師匠 ニコロ・アマティ ( 1596–1684 ) が他界した年で、この時 アンドレア・ガルネリは おそらく58歳、隣家の アントニオ・ストラディヴァリが 40歳位だったと思われます。


ところで、念のために申しあげれば‥  ペグボックス壁部の厚さを左右差があるように製作すること自体は、ある意味では弦楽器製作者の常識でした。

Mandora   1420年頃    L 360.0  W 96.0  D 80.0( 83.0 )   /   Wt. 255 g

“The Renaissance Cittern”    Francis Palmer  London  1617年

これは ルネサンス・シターンや テオルボ ( Theorbo ) などで、垂直軸に対して直交方向に取り付けられている ペグ、ナット、フレット、ブリッジなどの傾きや、ペグボックス部の左右壁厚差を見れば明白だと思います。

しかし 検証を進めた結果‥ 従来の宮廷音楽に加えて ヤコポ・ペーリ (1561-1633 ) や、クレモナに生まれ学び 後にヴェネツィアのサン・マルコ寺院楽長となった クラウディオ・モンテヴェルディ ( 1567-1643 ) 達が、1600年前後にオペラを誕生させたあたりから弦楽器には時代の風が吹いていたことが分りました。

オペラは 急速に普及し1637年には ヴェネツィアにサン・カッシアーノ劇場が開設されると歌劇場建設ブームが起こりました。この時期から 器楽や演奏会場の多様化は 急速に進んだようです。

たとえばフランスでは 1661年にルイ14世の親政が始まり ジャン=バティスト・リュリ ( 1632-1687 )は 宮廷音楽監督に任命され、それまで以上に活躍しました。

Plan du Château de Versailles  1664年

1678年  (1678–1684 )
The opulent Hall of Mirrors at the Palace of Versailles

また、アルカンジェロ・コレッリ ( 1653-1713 )は 1675年に ボローニャからローマに移り ヴァイオリン奏者として本格的な活動を始め、1679年にはカプラニカ劇場でオーケストラを指揮し、1681年にはトリオ・ソナタ 作品1 ( 全12曲 )を ローマで出版しています。

Arcangelo Corelli (  1653-1713  )

Michelangelo’s design of New St. Peter’s Basilica

現在のローマにあるサン・ピエトロ大聖堂は 1506年に建設に着手し、ミケランジェロ ( Michelangelo Buonarroti  1475-1564 ) が 担当したドームは 1588年に着工し1593年に頂塔部の工事が終わりました。そして1666年にやっと全体が竣工し完成しています。

また、ヴェネツィア共和国では 1685年にアントニオ・ヴィヴァルディ(  1678-1741 ) がサン・マルコ大聖堂のヴァイオリニストに就任しています。

Guardi 1775年~77年「1763年の総督アルヴィセⅣモセニーゴの選出」
“サン・マルコ寺院” は 他の都市の中心的聖堂とは異なり、ヴェネツィア共和国時代はカトリック教会の司教座聖堂ではなく、公式には共和国総督の礼拝堂だったそうです。ですから 総督の館であるドゥカーレ宮殿と隣接し繋がっています。これはヴェネツィア共和国のカトリック教会からの政治的独立性の象徴とされ、このことにより宗教関連以外で使用されることも多かったようです。

“18世紀の音楽ホール事情” 

これらの時代状況により、私は 1600年代中頃から 弦楽器は ペグボックスの上端位置などで左右差を強くすることも含めた基礎性能の改変がおこなわれたのではないか推測しています。

アンドレア・アマティに代表される黎明期の弦楽器より、17世紀中頃から アントニオ・ストラディヴァリ ( ca.1644-1737 )や、ヨーゼフ・ガルネリ ( “Guarneri del Gesù” 1698-1744 ) も含めた 多くの製作者の弦楽器で “動的”な要素が増やされていくのがこの証と言えるのではないでしょうか。

製作技法に関しては 330年程 前のことですから判然としない事も多いのですが、少なくとも 彼は 1684年に窪み状の彫り込みがあるヴァイオリンを製作し、その後 アンドレア・ガルネリ ( 1626-1698  )  、アントニオ・ストラディヴァリ の両者とも ペグボックス上端に半円形ノッチ ( Chapel ) があるヴァイオリンを製作したということは確かめられます。

因みに、1685年は バッハ ( Johann Sebastian Bach  1685-1750 ) と ヘンデル ( Georg Friedrich Händel  1685-1759 )、そしてナポリで ドメニコ・スカルラッティ ( Domenico Scarlatti  1685-1757 ) が生まれた年です。

Andrea Guarneri ( 1626-1698  )   Violin,  Cremona  1685年頃

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )    Violin,   “Nachez”   1686年

William ForsterⅠ( Brampton ca.1714 -1801 )   Violin,  England  1740年頃

そして、18世紀になると このような工夫は イタリアだけでなくイギリスや フランスなど クレモナから遠く離れた地域においても見られるようになります。

現在に受け継がれているヴァイオリンなどの名器達の多くはこのような創造的な改変がうみだしたと考えられます。ですから、私は これら弦楽器製作者の相関関係を重要と考えます。

ところで‥ 私がアンドレア・ガルネリ ( 1626-1698  ) が クレモナ派において果たした役割について着目したのは、1997年に 有名な ガルネリ・ファミリーの研究書である ” The Violin-Makers of the Guarneri Family  1626-1762″ (  W.E.Hill & Sons 1932年 )に “1680~1685年頃”のものとして掲載されている左下のヴァイオリンと 出会ったからです。

このヴァイオリンは 2000年に出版された ” Masterpieces of Italian Violin Making – Important Stringed Instruments from The Collection at The Royal Academy of Music ” の 35ページにも掲載されています。

そして 写真でも分かるように、とにかく見事な非対称ヘッドで、ペグボックス上端部の左右壁厚差も明快な作りになっていました。最初は 感想をもつことすら難しかったです。『 まさか、こうなっちゃった‥ という訳では無いよね。』と、しばらく思考停止するほど 私は衝撃を受けました。

さて、その非対称ヘッドについてですが‥  ここまで ペグボックス上端部についてのお話しをしてきましたが、この位置はスクロールが始まる場所で そのゆれ方をつかさどる基礎部分の役割も持っています。

このため、左右壁厚差の意味を理解するには「オールド・バイオリン」などのスクロールの役割とそのバランス調整の仕方を知ることが必要となりますので長文となり恐縮ですが、ここから それに関しての説明を挟ませていただきます。

Nicola Gagliano ( ca.1710-1787 )   Violin,  Napoli  1737年

「オールド・バイオリン」などでは 摩耗したように加工する “パティーナ加工 ( antique patina) ” が施されているものが多いので、ヘッド部を観察するときも これを念頭に置く必要があります。

その参考例として、このスクロールの右側突起部に注目してください。この部分は 製作された後の “修復” によって 現在この状態となっていると私は判断しました。
それは、この ヴァイオリン・ヘッドの “修理部分”( 上写真右側 )が、同時期に製作されたヴァイオリンの摩耗痕跡( 上中央 )と 同様であったと考えられることが決め手となりました。

このような特殊レベルの “パティーナ加工” が施されているヴァイオリンが複数台あるということは本当に素晴らしいと思います。

私は これらを 製作時に摩耗したような加工をする弦楽器製作者がいた状況証拠のひとつと考えています。

Johann Jais  Viola  Tölz ( 1715-1765 )    Viola   1760年頃

また、上の事例のように 摩耗仕様で生み出された非対称性については、このビオラのように 着手時の設定段階( 木取り )で意図されたことが分る弦楽器との比較がその理解をより深めることに役立つと思います。

このように、摩耗痕跡タイプの “パティーナ加工 ” は 複数の作品で比較してみると 一定の法則性をとらえることが出来るのではないでしょうか。

Antonio Stradivari  ( ca.1644-1737 )    Violin  Cremona  1715年
“Lipinski”   /   Giuseppe Tartini ( 1692-1770 )

たとえば このヴァイオリンは、1700年代に ヴァイオリンソナタ『 悪魔のトリル (  Devil’s Trill Sonata ) 』で有名となった 作曲家 ジュゼッペ・タルティーニ( Giuseppe Tartini  1692-1770 )が使用したとされる ストラディバリウスです。

私は 「 クレセント・カット( Crescent cut )」と呼んでいますが 三日月型の” 激しい摩耗痕跡 “があります。

そして写真右側はイタリア・クレモナに展示されている 有名なヴァイオリンです。クレセント・カット部には 修復痕跡が認められます。さて、これは どう考えるべきでしょうか?

残念ながら このような摩耗痕跡を 『 演奏するためのチューニングなどですり減った。』 と思っている方も多いようで、実際にその判断の誤りにより このように ‘修復’ されてしまう弦楽器もあとを絶ちません。

Antonio Stradivari  (  ca.1644-1737  )   Violin,  “Sunrise” 1677年

これは、 ストラディヴァリが製作した装飾文様入りの有名なヴァイオリン “Sunrise” です。 彼が初期に製作した作品ですが 装飾加工も含めて製作時の状況がよく保存されていることでも知られています。

このヴァイオリン・ヘッドにも 小さなクレセント・カットが入っています。ところがその周りには他に摩耗したような痕跡はあまり見られません。私は このヘッドにみられる摩耗部とそのまわりの’落差’ を不自然( = 意図的 )と感じます。

それから、これは オーストリア国立銀行が ウィーン・フィル( Wiener Philharmoniker )のコンサートマスターに貸与している 1709製ストラディヴァリウス ”ex Hämmerle” の ヘッド写真です。

2008年に定年退団するまで ウェルナー・ヒンク氏 (  Werner Hink  1943 –  ) が使用し、その後 1992年から コンサートマスターに就任していた ライナー・ホーネック氏 ( Rainer Honeck 1961-  ) が 演奏に用いている有名な楽器です。

クレセント・カットとなっていたと考えられる 赤色部は接木されているようですが、このヴァイオリンで摩耗部とその周りとの’落差’ を 見て下さい。

下画像のように 私はスクロール部を 1段目、2段目、3段目と区別していますが、摩耗痕跡が 1段目のエッジ部でみとめられるのに 2段目、3段目のエッジ部は 完成時のままであるかのように フレッシュです。

この 1709製 ストラディヴァリウス ”ex Hämmerle” の ヘッド1段目とそれ以外のエッジ摩耗の差は、ほかの ストラディヴァリウス‥ たとえば 下写真の 1714年製でも 見ることができます。

この 1714年製のストラディヴァリウスでも、前出の1709年製のヘッド程ではありませんが 同じように三角形の接木がしてあるようです。また、摩耗痕跡も 1段目のエッジ部でみとめられるのに 2段目、3段目のエッジ部は 完成時のままであるかのように フレッシュです。

ヴァイオリンを演奏したことがある方でしたらイメージ出来ると思います。もし チューニングでヘッドに触れたことが摩耗の原因だとしたら 「 この景色 」はあり得ないのではないでしょうか。

これらを検証した結果、ストラディヴァリは 摩耗加工を 多少不自然になるのを承知のうえで、 音響上必要とおもわれる最低限にとどめた弦楽器製作者だと私は考えるようになりました。

さて‥ ヴァイオリン族のなかでも ヴァイオリンと ビオラは 演奏者がヘッドに触れることがある訳ですが、チェロのヘッドは人が触れることは殆どありません。

ところがオールド・チェロの中には、製作者が 前出の ストラディヴァリウスのヘッドと同じように 2、3段目はそのままで1段目だけを”激しく摩耗させた” チェロが存在します。

私も 最初にプロのオーケストラで 2プルトに座っているチェリストから 『 演奏の最中に目の前のオールド・チェロのヘッドをいつも眺めているけど ”激しくすり減った” 理由が何度考えてもまったく解からないんだけどどうして?』と質問された時には まったく説明できませんでした。

しかし、同じような質問を何人かから受けましたので 本腰をいれて調べることになりました。

これは 1997年に ヴェネチアの南西80㎞程の街 Lendinara で開催された展示会カタログ ” Domenico Montagnana – Lauter in Venetia ” Carlson Cacciatori Neumann & C. の 109ページに掲載されている 1742年に Domenico Montagnana が製作したとされるチェロです。

16世紀から18世紀にかけて ヴァイオリンやチェロを製作した人は リュート 、シターン や テオルボ 、キタローネや ヴィオラ・ダ・ガンバ をよく知っている弦楽器製作者でした。

左側に1993年に ボローニャの博物館カタログとして出版された ” Strumenti Musicali Europei del Museo Civico Medievale di Bologna ” John Henry van der Meer の105ページに掲載してある、17世紀に製作されたと考えられる テオルボのヘッド写真を置きました。

両者とも、後ろから見たときに中心軸が右側に曲がっていくのが特徴となっています。左右の写真を見比べれば同じ軸取りがしてあるのが理解していただけると思います。

このことにつきまして『 弦楽器の製作方法 』として少し具体的な説明をさせて頂きたいと思います。その事例として ここでは、ヴァイオリンより多少バランスの違いが見えやすいチェロを用いますが、基本的な仕組みはヴァイオリンやビオラもおなじです。

弦楽器は固有振動がそのキャラクターを決定します。ですから製作する場合は まず、総重量とそれを構成する それぞれの部分の重量配置 ( 重心コントロール )と、 それらのゆれ方の関係性を決定する必要があります。

Cello 1700年頃     パーツ無し重量 2280g  /  総重量 2789g

ここでは 16世紀中頃から 18世紀の終わりまで製作された弦楽器の音響システムを実証するために、2015年に私が製作したチェロの規格などを用いて お話しをさせて頂こうと思います。

さて、まず基本からですが オールド・チェロは 響胴サイズが様々です。これを アントニオ・ストラディヴァリ ( ca.1644-1737 )や、ジロラモ・アマティ Ⅱ ( 1649-1740 )、ヨーゼフ・ガルネリ ( 1698-1744 ) などのチェロで見て下さい。

●  Girolamo Amati Ⅱ ( 1649-1740 )  Cello, 1690年                                    F. 737 -352 – 243 – 439  /  B. 738 – 352 – 239 – 431                                  Stop 397mm  /  ff ( between Tow holes ) 82.2mm                                   Head L. 209mm  /  Eyes width 63.2mm

●  Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Cello,”Gore-Booth” 1710年F. 756 – 343.5 – 230 – 437  /  B. 756 – 341.5 – 229 – 437       Stop 407mm  /  ff 90.8mm  / Head L.  204.5mm / Eyes width 67.4mm 

●  Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Cello, “Pleeth” 1732年頃      F. 719 – 339.5 – 231 – 422  /  B. 717 – 340 – 230 – 420                            Stop 398mm  /  ff 92.8mm  / Head L.  214mm  /  Eyes width 66.5mm

●  Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Cello,  “Josefowitz” 1732年  F. 693.5 – 316.5 – 219 – 403  /  B. 690 – 319.5 – 220 – 408                    Stop  375mm / ff 86.2mm  / Head L.  204mm  / Eyes width 67.5mm     

●  Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )  Cello,  “Messeas” 1731年          F.  730 – 349 – 241 – 434  /  B.  735 – 354 – 243 – 437                              Stop  392mm  /  ff 102mm  /  Head L.  210mm  /  Eyes width 66.0mm 

このように オールド・チェロは、総重量の前提となる響胴の大きさを理解するだけでも 難易度は高いと思います。

それらを勘案した上で、音響システムの実証用チェロ製作時に私が直接的に参考としたのは上画像のものも含めた下記の5台でした。

This image has an empty alt attribute; its file name is Nicola-Albani-Cello-Worked-at-Mantua-and-Milan-1753-1776-A.jpg

Nicola Albani   /  Cello (  Worked at Mantua and Milan 1753-1776  )

① Cello 1700年頃                       パーツ無し重量 2280g  ( Back 735 – 349 – 225 – 430 / Stop 403.0 ) 総重量  2789g

② Nicola Albani  Cello ( Worked at Mantua & Milan 1753~1776 )パーツ無し重量 2250g  ( Back 734 – 343 – 236- 427.5 / Stop 392.5 )総重量  2747.8g

③ Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 )  Cello  1757年   総重量  2584g ( Back 712.2 – 332.7 – 237 – 419 / Stop 391.1 )

④ Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 )  Cello  1743年頃  総重量  2456g  ( Back 716.6 – 340 – 228.7 – 423.3  / Stop 391.0 )

⑤ Cello 1790年頃                      パーツ無し重量 1826g  ( Back 707 – 320 – 215 – 408  / Stop 379 )  総重量  2330g

そして、最終的に私は下記の規格を採用しました。

●  Joseph Naomi Yokota      Cello,  2015年
総重量  2389g

表板サイズ:745.5 – 347.0 – 243.0 – 449.0                                                       裏板サイズ:741.0 – 356.5 – 239.5 – 448.0                                                      側板:ネック側 108.3mm  –  エンドピン側  120.0mm                            

表板アーチ:28.7mm                                                                                                   裏板アーチ:31.8mm

ヘッド長:205.0mm(  ボトム・ヒール位置まで  )                              スクロール・アイ幅:66.2mm                                                                              指板:30.0mm – 62.4mm – 583.5mm                                                                   ストップ:403.0mm

この実証用チェロで重要と考えたのは次の5点です。

①  オールド弦楽器の豊かな響きは それぞれの部分の振動が合成されることで成り立っていると考えられます。そして、それは 振動体の質量や長さが整数倍の関係のときに重なりやすいと推測できます。

例えば、下図のチェロのように 指板も含めたネック部と 響胴の重さの関係は 1 : 3 で、ヴァイオリンのそれは 1 : 2 といった設定が望ましいと私は考えます。

また、現代型の指板の場合は 指板が空中に突きでるネック端部に重心を合わせて 1 : 1 にしておくと 音量バランスが整いやすく、そのうえ指板自体の軸組を工夫することで運動特性をある程度 選択できるため、響胴に対してのバランスをあわせることが可能だと思われます。

②  弦楽器で深い響きを生むためには駆動系と変換点のエネルギーロスを減らすこと‥ あえて極端な表現をすれば「 振動の持続時間をすこしでも長くすること。」が大切だと考えられます。

このためには”対” となってゆれが残りやすい天秤の「 腹 – 節 – 腹 」の関係を剛性や運動を勘案し設定すること、そして振動エネルギーが通過する経路の工夫、変換点の「 節 – 腹 」の設定も表板の材料特性をよく観察し適切におこなうことで達成できると信じます。

③  響胴部のバランスは6本の柱 ( ブロック ) の形状と、1本の交換式柱 ( 魂柱 ) やパフリング外縁部の剛性 ( 形状 ) を工夫して 表板と側板の接着面( Reference plane )に対しての重心位置をあわせることで調和させることが可能と思われます。

④  響胴中央軸に対してのネック上面の軸は低音側 ( バスバー方向 )に合わせ、ネック下方面 の軸は裏板ジョイント方向にむけて「 ねじり 」を積極的に活用する設定で製作します。

⑤  低音の共鳴現象が生じやすいように 表板の重さはバスバー無しの白木状態で 350g以下で、裏板は 550g以下、側板部が 500g以下とし、響胴部のなかで 表板と裏板側 ( 側板を含む )の関係を 1 : 3 で製作します。

同じく響胴とネック部の関係を 1 : 3 とするために指板は 200g以下で ネック & ヘッドは 300g以下にします。これらの合計である 2000g以下にするためには、立体的形状や幾何剛性を積極的に利用し安定した状態が持続できるように工夫します。

干渉と共鳴についてのメモ

■  自作チェロの重量配分図( 塗装前 )

総重量:2389.2g  ( 完成日 2015-12-26 )                                                      パーツ無し重量:1942.0g  ( 白木 1885.5g )  /   パーツ合計:447.2g

重量配分     ネック部  485.5g : 響胴  1456.5g

塗装前ネック & ヘッド:297.0g   –    指板 & ナット:186.0g              表板部: 411.0g  –  側板部:484.7g  –  裏板部:531.0g

このチェロは 仕上がり総重量が 2389.2g でしたが、これはもちろん偶々ではなく着手時の目標値が 2250g ~ 2500g でしたので計算の通りといったところです。

なお、 現在一般的に使用されているパーツ重量の合計は 380g~580g 程で、普及品タイプのチェロはパーツ無し( 指板含む )重量が 2300g~2800g 程もあるため総重量も 2300g~3200gくらいあります。

私は チェロの総重量が 2900g を越えるのは避けたほうが望ましいと思っています。例えば、2012年製 GLIGA  gemsⅠシリーズの 初心者用チェロは パーツ無し重量が 2800gで、総重量が 3186g もありました。 

GLIGA Cello ( gems Ⅰ),  2012年

こういう楽器は響胴からネック、ヘッドが一直線に硬直していて鳴らすとチューニングも狂いやすく、響胴も硬いのでボーイングが難しく 右手が疲れやすいのではないでしょうか。

その上、音量が望めませんので 合奏楽器としては薦められません。こういう現実を常々目にしていますので、私は 初心者用のチェロがもっと楽器として性能が改善されることを心から願っています。

  響胴の軸組

私は 18世紀末までの弦楽器製作者は 響胴の「 節と腹 」の原理をほぼ正確に理解し、実際に用いていたと考えています。

それらの要素をバランスよく組み合わせるためには 座標となる多数の軸線が必要と考えられます。

私は 16世紀中頃から 18世紀の終わりまで製作された弦楽器の音響システムとしてこれらに残されている座標軸線の痕跡を検証し、表板側で 100本、裏板側で 60本の軸線としてまとめました。

  では、製作に着手します。はじめの工程はまずネックとブロック配置により 表板と裏板の基本となる軸線のバランスを組み合わせる工程です。

  側板が一段落したら、裏板に取りかかります。

  そして表板です。

こうして軸組みのバランスを合わせた響胴を製作しました。

■  これに指板を取り付けたネック部を 取り付けるわけですが、当然ですが、先にこれ自体のバランスをあわせる必要があります。

先ずは、指板です。

はじめに、ネック端位置をとります。

それから、ゆらしてみます。

TT

今回の指板は最終的にこの規格としました。

 

これは多少コツが必要となりますが、たとえば下図のようにネック端部に節があっていれば「多重振り子」のような原理がはたらき、指板端が激しく震えるのが分かります。


このように節を想定した場所をタップしたり、重心位置を持って水平や垂直状態でゆらして仮説をたて、バランス修正の必要を感じた場合は それぞれの部位の剛性を調節したあとで 再度ゆらしてみると”ねじり”の感じや重心位置の移動がかんじられます。

このときにイメージするのは 豊かな響きをもつオールド・チェロのネック部を実際に手にしてゆらした時の記憶です。

T

私はこれらの事から 1800年ころまでの弦楽器製作者はヘッドの特質として上図で1段目と赤色で塗ってある部分と、響胴部の回転運動につながる軸とのバランス( 関係性 )を、響胴にネック部

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参考としてヤーノシュ・シュタルケル( János Starker   1924 – 2013 )さんが使用していたチェロの画像を貼らせていただきました。このチェロでも” スジ状キズ線  ” などの ” 工具痕跡 ” が確認できます。

チェロのヘッドはヴァイオリンより大きいので”オールド・バイオリン”などを製作した弦楽器製作者の『 匠の技 』を確認することができます。これはヘッドのバランス調整技術のひとつでヘッド製作時の最後に左右のスクロール・サイドのうち高音弦側( 私は区別のためこちらを R側とし、低音弦側を L側と呼んでいます。)のカールなどを削り込んでヘッドのゆれを補正する技術です。

これを 東京都交響楽団の首席チェロ奏者が使用していた Nicola Albani ( worked at Mantua and Milan, 1753 – 1776 )のチェロのスクロールで見てみましょう。

オールド・チェロの時代には 上右写真の Flat と書いてあるスクロール側面は多少の起伏だけで『 特殊な加工 』は加えず、反対側の Unevennessとしている部分には 下の写真のような意図的な彫り込み加工がなされているものがいくつも製作されました。

私はこの特殊な加工を『 パティーナ加工 』と呼んでいます。
私のホームページにおいて別の投稿でもふれていますが『 オールド・バイオリン 』などの研究の結果‥  これらは製作時にタップなどでネックやヘッドのゆれる条件を確認しながらバランスを調整した痕跡と私は考えています。

歴史上の検証は難しいですが 少なくともこれは実験考古学の手法で説明できます。
チェロのネック、指板、ヘッドを仕上げる最終工程で全体のバランスを意識したうえでヘッドの揺れが不十分と感じた時にこの『 パティーナ加工 』を少しずつ彫り込んでいくとヘッドの回転運動が大きくなり ヘッドのゆれが重くなったと感じられます。

このバランスで組み上げると響胴のレゾナンスを豊かにできます。オールド・チェロでは完成させるために弦を張って響のバランス調整をする最後の段階で もう一度この部分の左右差を焼けた工具などを用いて調整したものがたくさんあります。

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この投稿の、サブ・タイトルは「 スクロール基礎部はペグボックスとの接合部です。」としてあります。

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私はスクロールの機能を 1段目( L1,R1 )と2段目( L2,R2 )、そして3段目( L3,R3 )と分け、なおかつ左右を区別して考えることをお奨めします。


私はこの楽器から 中心軸の組み合わせによる「 穏やかなねじり 」に満足せずに、外観上の均衡を犠牲にしてでも 音響的効果を取りに行った アンドレア・ガルネリの強靭な意志を感じました。

Andrea Guarneri ( 1626-1698 )  Violin,  Cremona “1680~1685”

私は このように本格的にバランスを改変したものは、この時期のアンドレア・ガルネリ ( 1626-1698  ) より前の弦楽器では 出会ったことがありません。 

これらの時間軸の状況証拠から あくまで仮説ですが‥ 私は アンドレア・ガルネリが ペグボックス上端の切れ込みを 半円形ノッチ ( Chapel / Chapelle ) に進化させた可能性が高いと考えています。

半円形ノッチがある弦楽器アンドレア・ガルネリ ( 1626-1698  )  や アントニオ・ストラディヴァリ ( ca.1644-1737 ) が製作しただけでなく、17世紀末からそれを試みる製作者が増え18世紀中頃には ヴェニスの サント・セラフィン( 1699-1776 )や パリの サロモン ( Jean Baptiste Deshayes Salomon 1713-1767 ) 派の人達が積極的に製作しました。

Santo Serafin ( 1699-1776 )  Cello pegboxes, “Chapel ( Chapelle )”   The semi circular notch at the upper end of the pegbox.

Santo Serafin ( 1699-1776 )   Cello pegboxes,  “Chapel”
Santo Serafin ( 1699-1776 )   Cello pegboxes,  “Chapel”
Santo Serafin ( 1699-1776 )   Cello pegboxes,  “Chapel”

Jean Baptiste Deshayes Salomon (1713-1767)     Violon, Paris  ca.1760

ここで、この事について少し考えてみたいと思います。

下写真の アンドレア・アマティ ( ca.1505-1577 ) が製作したヴァイオリンの ペグボックス上端部のように、ヴァイオリンは その誕生時から ヘッド部のねじりが生じやすいように工夫はされていたようです。

Andrea Amati ( 1505–1578 )   Violin,  Cremona  1559年頃

ただし、それは「 様式的な美を損なわない範囲 」に留められていたと考えられます。

ところが 弦楽器を観察してみると、17世紀後半あたりから 外観上の均衡を破るかのような試みが 増えてきます。

私はこれに気づいた当初は、この改変を先導した人物は ニコロ・アマティ ( 1596–1684 ) か、アントニオ・ストラディヴァリ ( ca.1644-1737 ) だったのではないかと考えました。

Stradivari’s first house   2012年
( ストラディヴァリは 新婚の1667年から1680年までこの家で暮らし、弦楽器などの製作に励みました。)

彼がクレモナ派の弦楽器製作者におよぼした影響については言うまでもありませんが、特に1678年ころからの活動は 意味深いのではないでしょうか。

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  Guitar,  “Sabionari”  1679年

例えば 1679年には、つい先日ですが 六本木ヒルズ・森アーツセンターギャラリー で開催された「 東京ストラディバリウス フェスティバル 2018 」”ストラディヴァリウス300年のキセキ展"に展示されていたギターを製作しました。

また、この時期にはマンドリンも製作していたようで、サウスダコタ州立大学のアメリカ国立音楽博物館に展示されている 1680年製のものや、1706年に製作されたマンドリンを製作したことが知られています。

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )   “Arpetta” ( Harp )
Cremona   1681年

それから ピアッツァ・サン・ドメニコ 2番地に工房を移転した翌年である 1681年には 現在、ナポリ音楽院に保存されている小型ハープ “アルペッタ ( Arpetta )” を製作しています。

そして活動の中心にあるヴァイオリン製作では、1679年に 非常に興味深い特徴をもつ “Parera”と呼ばれる名器を完成させたのです。

Antonio Stradivari  ( ca.1644-1737 )    Violin,  “Parera”  1679年

このヴァイオリンは 彼が1677年に製作した有名な"Sunrise"と同じように一枚板で作られているすばらしいヴァイオリンですが、私にとってその F字孔は特に衝撃的でした。

F字孔の外側ウイング中央部切込み下にダンパーとして接ぎ木してあるのは、同様な事例を見つけることができます。

Antonio Stradivari  ( ca.1644-1737 )    Violin,  “Parera”  1679年

非常に興味深いのは、 F字孔の上丸穴部に接ぎ木が施されていることです。私は このような事例を他に知りません。それにしても、何という大胆さでしょう。

Nicola Gagliano ( ca1710-1787 )  Violin,  Napoli  1737年

Ferdinando Gagliano ( 1706-1784 ) Violin,  Napoli  1761年

また、このヴァイオリンでは下図のように 一枚板で作られた表板、裏板の個性がよく考慮された木組みがされていることも、本当に見事だと思います。

Antonio Stradivari  ( ca.1644-1737 )    Violin,  “Parera”  1679年

Antonio Stradivari  ( ca.1644-1737 )    Violin,  “Parera”  1679年

これだけ”ねじり”が意識された木組みの場合は、すばやい音のレスポンスが期待できるのではないでしょうか。

このように アントニオ・ストラディヴァリ ( ca.1644-1737 ) の活動においてもアマティ工房で学んだことを土台にして、積極的に音響的な改善を試み そのまま 1690年あたりから1699年頃まで 8年以上に及ぶロング・パターンの時代に突き進んでいきます。

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )   Violin,  “Auer”  1699年

Andrea Amati ( 1505–1578 )  Violin,  Cremona   1559年頃

Andrea Amati ( ca.1505–1577 )    Violin, “Charles IX” 1564年

Antonio ( ca.1537–1607 ) & Girolamo I ( ca.1550–1630 ) Amati    Violin,   Cremona   1596年頃

Girolamo  Amati ( ca.1561-1630 )   Violin,  Cremona   1609年

Antonio ( ca.1540-1607 ) & Girolamo ( ca.1561-1630 ) Amati   Violino piccolo  ( Head L. 96.7mm )  Cremona  1613年

Francesco Rugeri ( ca.1645-1695 )    Violin,  Cremona   1670年

Nicolò Amati ( 1596–1684 )    Violin,   Cremona   1671年

 Antonio Stradivari  ( ca.1644-1737 )   Violin,  “Sunrise”  Cremona   1677年

Antonio Stradivari  ( ca.1644-1737 )  Violin,  “Parera”  1679年

Andrea Guarneri ( 1626-1698  )   Violin,  Cremona   1680 – 1685年頃

Andrea Guarneri ( 1626-1698  )   Violin,  Cremona   1685年頃

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )   Violin,  “Nachez”  1686年

Girolamo Amati II ( 1649-1740 )   Violin,   Cremona   1691年

Giovanni Grancino ( 1673-ca.1726 )  Violin,  Milan  1700年頃

Carlo Giuseppe Testore ( ca.1665- Milan1687- 1716 )    Violin,   1703年

Alessandro Gagliano (1640–1730 )  Violin,  1704年

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )   Violin, “Sleeping Beauty –  Isabelle Faust”   1704年頃

Girolamo Amati II ( 1649 – 1740 )   Violin,   Cremona  1710年

Matthias Albani ( 1620-1712 )  Violin  Bolzano  1710年頃

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )   Violin, “Cremonese”  1715年

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  Violin,  “Park”  1717年

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  Violin,  “Hamma”   1717年

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  Violin,  “General kyd”  1720年

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  Violin,  “General kyd”  1720年

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  Violin,   Cremona   1724年

Domenico Montagnana ( 1686-1750 )  Violin,   Venezia  1727年

Georg Klotz ( 1687-1737 )  Violin,   Mittenwald   1730年頃

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )   Violin,  “Posselt – Philipp”  1732年

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )   Violin,   “The Red Diamond”   1732年

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  Violin,  “Rode  –  Le Nestor”  1733年

Santo Seraphin ( 1699-1776 )   Violin  “Chapel”  Venice  1734年

Nicola Gagliano ( ca.1710-1787 )   Violin,  Napoli   1737年

William Forster Ⅰ  ca.1740  ( ca.1713 Brampton England – 1801 )   Violin

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )   Violin,   “Kochanski”   1741年

Andreas Ferdinand Mayr ( 1693-1764 )   Violin,   Salzburg    1750年頃

Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 )   Violin,   Milan  1754年

J. & A. Gagliano ( J. 1726-1793 & A. 1728-1805 )   Violin,  Napoli 1754年

 

 

 

 

 

私はこれらのことから アントニオ・ストラディヴァリ ( ca.1644-1737 )の “創作期”と呼んでいいような 1678年から1699年頃までの20年間は、ストラディヴァリの仕事において 高齢のニコロ・アマティ ( 1596–1684 )の影響が低下し、結果として兄弟子アンドレア・ガルネリ ( 1626-1698  )  と共に生きた期間だったのではないかと考えるようになりました。

つまり、ストラディヴァリの 20年に及ぶ “創作期”は アンドレア・ガルネリ ( 1626-1698  ) の影響により生じ、その死をもって終わったという仮説はどうでしょうか?

もし、アンドレア・ガルネリが「 様式的な美を損なわない範囲 」に留まるように製作されていたヴァイオリンなどの弦楽器を、外観上の均衡を破るかのようなバランスとなっても音響的要素を優先したとすると、彼が亡くなった年に生まれた孫の ヨーゼフ・ガルネリ ( “Guarneri del Gesù” 1698-1744 ) が 試み続けたことが理解しやすくなります。

“Guarneri del Gesù” ( 1698-1744 )  Violin,  “Kochanski”  Cremona  1741年

ヨーゼフ・ガルネリ ( “Guarneri del Gesù” 1698-1744 ) が製作したヴァイオリンの最高傑作のひとつとして挙げられる 1741年製 “Kochanski” の ヘッドでペグボックス上端をみると、祖父の執念が そこに結実しているように私には思えます。

少なくとも ヨーゼフ・ガルネリは 46歳という若さで亡くなる最後まで、ヴァイオリン製作において 挑戦的な姿勢を貫いた事実と、その作品が祖父であるアンドレア・ガルネリのアイデアにかなり影響を受けたという事実を 私は重要であると考えます。