螺鈿紫檀五弦琵琶の「 工具痕跡 」の役割について

●  弦楽器の響胴の変遷

弦楽器の響胴に関する研究は ヴァイオリンが誕生する遥か以前からおこなわれており、その過程で膜鳴型やフラットバック型、ボールバック型などの響胴を持つ弦楽器が製作され、それらの蓄積があったことにより ヴァイオリン特有のフォルムは生みだされました。

ですから、ヴァイオリンの観察と 読み解きにも これらの音響システムについての理解が不可欠となります。そこで 少し長くなりますが弦楽器史の観点からお話しを始めたいと思います。

弦楽器の特質を考えるときには、まず‥ それらの弦は “緩む” ことで波のような “運動”をし、それが進行波、そして反射波となり振動を形成することを念頭に置いてください。

弦楽器の響胴などの共鳴部 ( 変換点 )も これと同じように “緩む”ことで “腹”の役割が果たしやすくしてあります。

つまり 振動部が緩まなかったら “腹”として機能せず、その結果としての『響』も生まれないという事です。

楽器史の原点である打楽器から展開した膜鳴打楽器の存在により、板状より膜状のものが より緩みやすい事は理解されていたと考えられますので、その後に 製作された弦楽器の響胴は 膜鳴型が先であったと推測できます。

なお 膜鳴型の響胴が 弦の振動を空気の振動に変換する仕組みは 糸電話を思い浮かべるとイメージし易いのではないでしょうか。

Robert Hooke ( 1635-1703 )   1665年

この 膜鳴型の弦楽器は 長い歴史を持っており、現代でも 民族楽器としてチベット地方、バルカン半島地域、北欧、エチオピアなどの北東アフリカ地域、そしてアジア地域などで 製作され 演奏に用いられています。

” African Lyre ”

“Sgra-Snyan ( ダムニェン )”   Tibetan lute,   全長 752mm

“Sgra-Snyan”   ( or “Rubab” )   L. 909mm – H. 216mm – W. 169mm

ところで‥ 世界に普及したとは言え、これら膜鳴弦楽器には 限られた音楽にしか適応できないという弱点があります。

汎用性の低さは複数の要素によりますが、演奏を続けると 駒が立つ革部がのびてしまい歪みとなり、響きも失われてしまうという‥ 弦楽器としては致命的ともいえる特性も その原因のひとつとなっています。

この対策は 革を張り直すか、下写真の グスレ ( Gusle )のように 響き方をチェックして 駒を立てる位置や 角度を工夫するなどの 限られた方法しかありません。

これは 私が 駒が移動されている事に はじめて気づいたグスレの画像ですが、駒の痕跡から演奏者の苦労が想像できます。

なお、膜鳴響胴の特質は ティンパニーの革張り替えと バランス調整( 18:05 位置 )の動画によって知ることが出来ます。

私は このような膜鳴型響胴の弱点を克服するために、その発展型として 針葉樹を薄い板状として振動板の役割をもたせる弦楽器が製作されるようになったと考えています。

その “大転換”は、 敦煌郊外にある 4世紀半ばから穿ち始められた 莫高窟 ( ばっこうくつ ) 壁画に琵琶などがいくつも描かれていることなどから考えると、少なくとも 3世紀以前であったと推測できます。

なお、この莫高窟壁画では盛唐 ( 712年~765年頃 )の時代と推定されている第172窟や、第112窟 ( 中唐 ) の伎楽図にある 「反弾琵琶」が有名です。

現在、第112窟の伎楽図は壁画の中央上部が剥がれているようですが、この資料画像のように モデルとされた琵琶はそれなりの完成度であったと考えられています。

およそ1000年程にわたり彫り続けられ、総数は大小600程と言われる莫高窟にある 多くの彩色塑像や壁画は、それらの時代に 多数の弦楽器が製作されていたことを証ししていると言えます。

そして、これら壁画のモデルとされた琵琶などが存在したことにより、5弦琵琶の完成型と言える 東大寺正倉院の宝物「 螺鈿紫檀五弦琵琶 」が製作されるに至ったと考えられます。

 

螺鈿紫檀五弦琵琶      700年 ~ 750年

螺鈿紫檀五弦琵琶が渡来した経緯は 不明のようですが、私は 奈良時代 ( 710年-794年 )に 多治比広成 ( たじひ の ひろなり :  大使 ) と、中臣名代 ( なかとみ の なしろ :  副使 ) が遣唐使として派遣された際に奈良にもたらされたと考えています。

そのころ 唐は 玄宗皇帝の治世‥ 後に「 開元の治」と呼ばれる繁栄の時代で、都の長安は空前の賑わいを見せ 文化は爛熟期を迎えていたそうです。

あくまで個人的な意見としてですが、このような状況から考えると、この螺鈿紫檀五弦琵琶は 長安か 洛陽あたりで製作されたのではないかと 私には思われます。

唐朝最大領域 660年頃

玄宗皇帝 ( 685-762 在位712年~756年 )「 開元の治 713-741 」

遣唐使出発 : 733年 (天平5年) 難波津を4隻で出港し、734年4月に唐朝( 618年-907年 ) の都 長安で 玄宗皇帝の謁見を受けます。
帰路 : 734年10月 4隻とも出港し、735年 多治比広成 ( たじひ の ひろなり) は平城京に帰着しました。

また、一緒に出港しながらも 難破して735年3月に長安に戻った 中臣名代 ( なかとみ の なしろ ) は、唐の援助を受け船を修復し 735年11月に再び出港して 736年8月 奈良に戻ります。

この時、聖武天皇( 701年-756年、在位 724年-749年 )による謁見に同行した「唐人三人、波斯人一人」のうち 唐楽の演奏家として知られていた 皇甫東朝 ( こうほ とうちょう )と、楽人とも 技術の伝授に当たった工匠ではないかとも言われている 波斯人 ( ペルシャ人 ) の 李密翳 (り みつえい ) は その後 位を授かり貴族となりました。

東大寺正倉院は 聖武太上天皇の七七忌 ( 756年6月21日 ) の際に、光明皇太后が 天皇遺愛の品 約650点などを東大寺の廬舎那仏に奉献したのが始まりで、その後も3度にわたって皇太后自身や 聖武天皇ゆかりの品が奉献されたことにより、その保管のために建設されたそうです。

この「 螺鈿紫檀五弦琵琶 」の弦楽器としての特質は 、”ねじり”を素早く生じさせるための 徹底した非対称性にあると 私は考えています。

例えば A部B部 の剛性差も そうですし、 C部D部 の角度の選び方も確信に満ちていると思われます。

このような 非対称性の追求は 螺鈿の形状や配置と、ヘッド部やネック部 そして響胴に設定された 縦方向の 軸組みにも見ることができます。

これは、ヴァイオリンが誕生した ルネサンス期やバロック期の弦楽器にも共通していて、装飾的な要素も踏まえたうえで 響胴のねじりを誘導するような工夫を認めることができます。

ルネサンス期やバロック期の弦楽器でそれをイメージするには、演奏弦 5本の左外側に回頭機構として 2本の弦が張ってある リラ・ダ・ブラッチョ ( Lira da braccio ) や、 オルファリオン ( Orpharion ) の ナット、フレット、ブリッジの放射状設定と その対角方向を上手く利用したねじり軸組み、そしてL字状断面のネックなどが採用された シターン ( Cittern )などの観察をお勧めします。

まず リラ・ダ・ブラッチョ ( Lira da braccio ) ですが、回頭機構の大胆さや、非対称な響胴フォルムに “開断面”である 左右のF字孔に長さの違いを設け さらに傾斜角度も調和させてあることなどが 秀逸だと思います。

オルファリオン ( Orpharion )    Francis Palmer  /  London  1617年

このオルファリオンは ナット、フレット、ブリッジの放射状設定がとても印象的ですが、響胴のフォルムのなかで小さな括れ状部や 切れ込み部を上手く利用したねじり軸組みが構成されているのも素晴らしいと思います。

シターン ( Cittern )   “L字状断面のネック “は、響胴右側を高音側で左側を低音側と表現した場合 響胴正中線よりもかなり高音側に向けてあります。

正面からは分かりにくいですが、実質的にこの弦楽器のネックは 裏側からみたときの高音側の厚さがある部分であると捉えることすら可能です。

“Cittern”   Petrus Rautta,  England  1579年

また 縦方向の 軸組みに関しては、この時期に盛んに製作されるようになったリュート系の弦楽器が 特にわかり易いと思います。

Hieronymus Brensius  –  Testudo theorbata  in Bologna    1600年代

そこで 比較するために、「 螺鈿紫檀五弦琵琶 」と 1600年代のフランス国王 ルイ14世の肖像画にもあるような バロックリュート系の 「 テオルボ  ( キタローネ ) 」を 2台並べてみました。

Louis XIV  ( 1638-1715 在位 1643-1661-1681-1715 )   1688年        Architecte, Sculpteur et Peintre  :  François Puget

16世紀にリュート族の撥弦楽器として現れた テオルボ ( キタローネ )は、ルネサンス期からバロック末期にかけて盛んに製作されました。

しかし、規格は標準化されておらず 大きさや形状が様々ですが 概ね長尺で、全長が 2mにもおよぶものも多数残されています。

それゆえに ヘッド部とネック部 そして響胴に設定された 縦方向の 軸組みに絡む横方向軸組の複雑さを一見して知ることができます。

ここで特記すべきことは、この高度な弦楽器製作技術のすべてが 8世紀前半に製作されたと考えられる「 螺鈿紫檀五弦琵琶 」にも確認できるという事です。

 

● 螺鈿紫檀五弦琵琶に残っている「 工具痕跡 」の位置について

螺鈿紫檀五弦琵琶   絃蔵端   /  鼠歯錐 ( ネズミバキリ )による掘削痕

螺鈿紫檀五弦琵琶 絃蔵底面 / 鼠歯錐 ( = 鼠刃錐 )による掘削痕

鼠歯錐 ( = 鼠刃錐  ネズミバキリ )

さて、写真資料のように「 螺鈿紫檀五弦琵琶 」の絃蔵底面には鼠歯錐 ( ネズミバキリ )によると考えられる掘削痕が いくつも残っています。

そこで 私は 視認できる鼠歯錐での12個の掘削痕を、着手した順番などを推測して 上図に赤線でマークしてみました。

因みに、この工具痕跡について宮内庁正倉院事務所が公開している「 正倉院宝物  ” 螺鈿紫檀五絃琵琶 “模造品作製事前調査 」の報告書の 16ページ 第八節に 以下の所見が書かれています。

『 ‥ちなみに、本品の絃蔵内部の掘り残しの底面には 鼠歯錐による掘削の痕が見られ、多少は研磨して均したことも判るのではあるが、装飾的な彫刻が施されるなど 頗る丁寧な作りになっている外面と比べると、いかにも仕事が粗い。 掘削する手間を必要最小限に抑えたことを 如実に物語っているのではないかと思われる。 』

この掘削痕 ( =工具痕跡 )を目にしたとき、この担当者に限らず 同様に考える方は多いと思いますが、私は 意図的に加工されたものと考えます。

その根拠として、ヴァイオリンや チェロのヘッド裏に見られる “工具痕跡”のお話しをさせてください。

Domenico Montagnana ( 1686-1750 )  Cello,   Venezia   1739年

現代では 弦楽器の傷跡状の加工や 製作時の掘削痕などの多くが「 工具痕跡 」と呼ばれるようになりました。これはどうやら 刃物使いなどを失敗したと考えた方の命名のようですが、名工がこんな失敗をするでしょうか?

例えば 1739年に製作されたこのチェロヘッドの背中下側の “工具痕跡” に着目してみましょう。これは 4番線のペグ取り付け位置より少し下についています。

不思議なことに‥ この”工具痕跡”は 製作された時期や 地域に制約されることなく、多数のオールド・ヴァイオリンや オールド・チェロに出現しています。

その具体例として、まず ドメニコ・モンタニャーナが 1742年に製作したチェロ・ヘッド後部を撮影した写真 ①を下に置きました。

その下のは 前出の斜めから撮影された 1739年製もので、 は フランチェスコ・ルジェーリが 1695年に製作したとされているチェロです。

3台のチェロに共通するだけでも偶然ではないと理解していただけると思いますが、この位置に同じ ” 工具痕跡 ” をもつオールドの弦楽器はめずらしくありません。

 

①  Domenico Montagnana( 1686-1750 ) Venezia   Cello 1742年

  Domenico Montagnana( 1686-1750 )Venezia    Cello  1739年

  Francesco Rugeri( 1626-1698 )Cremona   Cello  1695年

但し、すべてのオールド弦楽器にこの工具痕跡がついている訳ではありません。 下に別の例として4台のチェロをあげさせていただきました。

一見して分るように の ベルゴンツィは上と同じ “工具痕跡” をもっていますが、の “工具痕跡” は中央尾根の真上ですし、の ガダニーニはジグザグを強くし中央尾根の高さを不連続面とすることで同じ効果が得られるように工夫してあります。

  Carlo Bergonzi ( 1683-1747 )  Cello,   1731年

  Domenico Montagnana( 1686-1750 )Venezia  Cello, 1739年 ” The Sleeping Beauty ”

  J. B. Guadagnini( ca.1711-1786 )Cello,  ”Havemeyer ” 1743年頃

  J. B. Guadagnini( ca.1711-1786 )Cello,  1777年   ” Simpson ”

下画像は、背面中央尾根のジグザグを確認していただくために試みとして ガダニーニが 1777年に製作したとされる このチェロの画像を横方向に延ばしたものです。

J. B. Guadagnini  Cello,     ” Simpson ” 1777年  水平方向5倍拡大

J. B. Guadagnini( ca.1711-1786 )Cello,  1777年   ” Simpson ”              ( 原図 )

それから、これらの画像を検証すると チェロ・ヘッドのヒールが円形ではなく 楕円を基本型としたかのように非対称とされていることが ご理解いただけると 思います。

私はこれは シターン ( Cittern ) などの  “L字状断面のネック ”と類似したもので、 ヘッドのゆれ ( 運動 = 並進運動と回転運動 ) のうち 回転運動を増やしゆれる時間を長くする工夫であると考えています。

“Guarneri del Gesù”  ( 1698-1744 )  Cello,   Cremona 1731年

オールド・チェロでは  ヘッド・ヒール部を ガルネリが製作したとされる このチェロのように、明確な非対称で製作されたものも多いです。

“Guarneri del Gesù”   Cello,   Cremona 1731年

そして、それは オールド・ヴァイオリンの場合でも言えると思います。

上にあげたチェロのように ヘッド・ヒールが 非対称なものは、このように博物館で展示されている有名なヴァイオリンのヘッド・ヒールでも 確かめられる訳ですから‥ 。

ただし、チェロと違って ヴァイオリンの場合は演奏中に親指が触れることがあるので、これを “摩耗”と思い込んでいる方が多いのも現実です。

しかし、カルロ・ベルゴンツィ ( 1683-1747 ) が何台か製作したヴァイオリンのように “摩耗” 仕上げではなく、ヒール部分を工具で切り取ったかのような “工具痕跡”としてバランスを調整したヴァイオリンの存在が 非対称の意味を教えてくれます。

私は このように “工具痕跡”を大胆に使いこなせる カルロ・ベルゴンツィという弦楽器製作者は 偉大だと思います。

そして、パリで活躍した J.B.ヴィヨーム ( 1798-1875 ) もそう考えたようです。彼は カルロ・ベルゴンツィ ( 1683-1747 ) が亡くなって100年程後に 下写真のヴァイオリンを製作しています。

 Jean Baptiste Vuillaume

また‥ 先程 チェロでご紹介した ヘッド下部の “工具痕跡” や、ジグザグを強くし中央尾根の高さを不連続面とした加工もよく見られます。


Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  Violin,  1733年
“The Prince Khevenhuller”

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )   Violin,   “Park”  1717年

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  Violin,  1733年
“Rode – Le Nestor”

Michele Deconet ( worked at Venice, 1722 – 1785 )  Violin,  1766年

Jacob Stainer ( ca.1619-1683 )  Violin,  Absam bei Innsbruck  1668年

Giovanni Paolo Maggini ( 1580 – ca.1633 )  Brescia,    ca.1620

  

J. B. Guadagnini ( ca.1711-1786 )  Violin,  Turin  1775年
“Ex Joachim”

このように オールド・ヴァイオリンや オールド・チェロで ヘッド背面に工具痕跡があったり 中央尾根に不連続加工がしてある楽器は少なくないので「工具痕跡」や 不連続加工などには 注意深い観察が必要だと思います。

さて 螺鈿紫檀五弦琵琶の “工具痕跡”についてですが、これは J. B. Guadagnini ( ca.1711-1786 ) が 1743年頃製作したとされる チェロ ”Havemeyer ” と同じ工夫であると 私は判断しました。

 

 

 

私にとって 螺鈿紫檀五弦琵琶の 鼠歯錐による掘削痕と ガダニーニが 1743年頃に製作したチェロのヘッド下部の不連続加工とほぼ同様なバランスであった事は、本当に衝撃でした。

宮内庁が公開している螺鈿紫檀五弦琵琶の 詳細な画像を先日になって拝見させて戴いたことにより、私の守備範囲を 1321年( ダンテ Dante Alighieri 1265-1321 『神曲』完成 )に始まるルネサンス以降としていた立ち位置を変更せざるを得なくなりました。

 

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この両者のジグザグ状の”工具痕跡”は、チェロは裏側からで 螺鈿紫檀五弦琵琶は表側からしか見れませんので、同一方向からの視線で比較するために チェロの画像を下にあげたように左右反転し比較資料としました。

 

そして、ガダニーニが 1743年頃に製作したチェロのヘッド下部と 螺鈿紫檀五弦琵琶のヘッド下部を並べると、ほぼ同じバランスでジグザグと蛇行している事が確認できます。

 

私は 以前から ガダニーニのチェロのように、ヘッド背面にある中央尾根のジグザグを強くし不連続面とすることでヘッド部の回転運動を増やす工夫がしてあるものが何台も存在していることを知っていましたので、宮内庁の公開資料で “螺鈿紫檀五弦琵琶”の絃蔵底面にのこされた鼠歯錐 ( ネズミバキリ )によると考えられる掘削痕を目にしたときには、本当に驚愕しました。

 

 

 

この結果は 私にとっては少しショックな事でした。

●  螺鈿紫檀五弦琵琶などの「 工具痕跡 」の役割について

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