“不安定( 自由度 )”によって得られる豊かさについて

ヴァイオリン弓や チェロ弓などには、 馬毛などの他に、アイレット( Eyelet )や 雄ネジ( Screw )などの消耗部品が組み込まれています。

これらにより ネジ部が構成されていますが、アイレット( Eyelet )はフロッグ穴にねじ込んである柄( Shank )がネジ状になっているために、雄ネジ( Screw )よりも交換が容易になっています。

しかし、アイレット交換修理は 熟慮する必要があります。

特に オールド弓の場合は 摩耗などで止むを得なかったとしても、アイレットの条件が変わることによって、弦楽器を響かせる弓としての性能が低下してしまうことがあるからです。

これは、アイレット( Eyelet or Nut )と 雄ネジ( Lead screw )の 噛み合せに設定された隙間などによる『 遊び 』( バックラッシュ Backlash ) や、摩耗劣化などによる ある程度の自由度が、アイレットを交換したことで減少することが 原因のようです。

Charles Nicolas BAZIN( 1847-1915 ),  Cello bow

例えば この C.N. BAZIN作のチェロ弓の劣化したアイレット交換の場合も、それが問題となりました。

Charles Nicolas BAZIN( 1847-1915 ),  Cello bow

このチェロ弓は『 最上級オールド弓 』の特徴である “S”字型尾根 ( “S” shaped ridge )なども理解したうえで スティックが製作されており、独特の豊かな響きを持っています。

現代では この特徴について、多様な意見がみられます。『 I am of the opinion that this typical deviation from a straight line that is nearly always seen in Tourte’s bows is a result of a quirk of hand, rather than an aesthetic consideration. 』

François Xavier Tourte( 1747-1835 ),  Tourte cello bows.

The ridges of these two bows follow almost exactly the same line, deviating to the left towards the bottom (from above), then centering up just as they meet the silver point.  This feature is nearly always seen in Tourte’s bows.

因みに、この “S”字型尾根 ( “S” shaped ridge )などの特徴は モダン弓の創始者フランソワ=グザヴィエ・トルテ( François Xavier Tourte )によって製作された弓のほとんどで確認できます。

例えば、”Collection Jacques Français”の ヴァイオリン弓の場合は、ご覧の通りです。

Étienne Pajeot (1791-1849),   Violin bow
また、フランソワ=グザヴィエ・トルテ( François Xavier Tourte 1747-1835 )と同じ 18世紀の楽弓製作者 エティエンヌ・パジョ ( 1791-1849 )が製作した楽弓においても同様です。

Dominique Peccatte( 1810-1874 )  [ Paul Childs  “The Peccatte family” ]
そして、1840年頃に フランソワ=グザヴィエ・トルテ( 1747-1835 )から、モダン弓製作の『 第一人者 』を引き継いだドミニク・ペカット( Dominique Peccatte )の楽弓にも、当然ですが認められます。

Charles Peccatte( 1850-1918 )[ Paul Childs “The Peccatte family” ]

François Nicolas Voirin ( 1833-1885 ),  Cello bow  1872~75年頃

それから、1860年代以降の楽弓製作者をインスパイアーした フランソワ=ニコラ・ヴォワラン François Nicolas Voirin ( 1833-1885 )や、その影響を受けた シャルル・ペカット( Charles Peccatte 1850-1918 )達の世代にあっても、”S”字型尾根 ( “S” shaped ridge )が その仕事振りを特徴付けています。

Charles Nicolas BAZINⅡ( 1847-1915 ),   Violin bow

Charles Nicolas BAZINⅡ( 1847-1915 ),   Cello bow

その シャルル・ペカット( Charles Peccatte 1850-1918 )と同世代の楽弓製作者が、冒頭のチェロ弓を製作したシャルル・ニコラ・バザン( Charles Nicolas BAZINⅡ 1847-1915 )です。

Charles Nicolas BAZINⅡ( 1847-1915 ),   Cello bow

このチェロ弓は、日本に輸入された時点で 摩耗のためにネジ山が 3.0本程しか機能していませんでしたが、試奏してみると 響きは良好でした。ですが、このアイレットの状態では販売できませんので交換修理は必須な状態でした。

しかし、写真でも分るように 摩耗する前はネジ山 8.0本タイプのアイレットであることと、フロッグにねじ込んである柄( Shank )が 難易度が高いタイプであることから、性能を低下させない交換修理は、ほぼ『 超絶技巧 』と言っていいレベルと思われましたので 難しい判断をすることになりました。

さて ここから本題に入りますが、1900年代初頭までの名工による楽弓にはそもそも『 ある程度の自由度 』を取り込んだ設計 がなされています。

ここから、それについて考えてみましょう。

【 アイレット幅についての考察 】

1935年頃製作されたネジ( German-made bow screw )と 現代の交換用ネジ

アイレット( Eyelet  )と 雄ネジ( Screw )の素材は、雌ネジであるアイレットが 真鍮などの柔らかい金属で ( 少数派ですが 銅合金のハードタイプも製作されました。)、雄ネジはそれより硬い 鉄などで製作されています。

そして、この組み合わせ部の ネジ山の数は 楽弓としての性能上で重要なポイントとなっています。

なお、名工による楽弓に『 ある程度の自由度( 不安定要素 ) 』が取り込まれていることを 音響的に検証するには、製作時より幅が広いアイレットに交換して安定性を増すことで  簡単に証明できます。

私の場合は、1992年でしたが、演奏中に アイレットの摩耗により、ネジ山数段分ゆるんだ ヴィヨーム工房 ( J.B. Vuillaume  1798-1875 )で製作された弓を修理した時に気がつきました。

これは 所有者のヴァイオリニストが『 一応まだ音は出せるのですが‥ 。』と目前で演奏した後に『  フロッグがだいぶん ぐらつくようになってきたし、今日のように演奏中に緩んだら困るので交換して下さい。』との修理依頼に対応したものでした。

時代物アイレットでしたので 嫌な予感はしたのですが、急ぎだった事とスクリュー、アイレットの在庫の関係で、私は一般的に使用されている交換用アイレットを 30分程でそのまま取り付けました。

結果として、摩耗したアイレットが ネジ山 3~3.5本 だったのに、4.0mm 幅で ネジ山 6.0本 の新品に変えたわけです。

それから確認のためにヴァイオリニストの方が試奏した直後に、 私達は青ざめながら顔を見合わせました。 『 なぜでしょう‥?  ヴァイオリンの鳴りが悪くなりましたよね‥? 』 と彼が言い、『 はい‥。 私もそう思いました。』と 私は答えました。

そして、この時に検討した結論が アイレット幅が広くなって安定しすぎたことが原因で、アイレットは元の幅に削って取り付けないといけない。ということでした。そして幸いなことに この追加作業によって元の響きは復活しました。これは 私にとって衝撃的な出来事でした。

さてもう少しネジ部の規格についてお話しをすると‥ アイレットの縦ネジ部( Shank )の直径は 2.9mmを中心として 2.7mm~3.3mmが一般的で 200年前も現在とそれほど違わなかったと思われます。

しかしアイレットのネジ山数に直結するその幅は、 1800年代末になると幅広のものが急速に普及していきます。

上写真の 1930年代にドイツで製作されたヴァイオリン弓のアイレット幅は 6.0mmで、私の取り扱ったものでは最も幅広タイプです。 そしてこの幅に雄ネジの10本のネジ山が対応しています。

この1930年代のドイツ弓フロッグの下に 交換用のネジセットを 2組ならべていますが、アイレット幅が 4.9mmは ネジ山が 8本で 4.1mm幅はネジ山が 6本に対応しています。 この新品のネジセットはドイツの発売元より世界中に出荷され一般的なものとして使用されています。

ところが、1880年以前は状況がまったく違います。

例えば 下写真のように Joseph MEAUCHAND( ca.1720-1775 )が製作した弓のアイレット幅は ネジ山 3本で、Jean-Jacques MEAUCHAND( 1758-1817 )が 同時期に製作したものは ネジ山が 2.5本に設定してあります。

これらの 雌ネジ部の幅に着目してみると、アイレットの 縦ネジ部( Shank )の直径より幅を狭くしてあることがわかります。当然ですが‥弓は使用し続けると、ネジ山が摩耗により”ネジ切れた状態 “となり空回りするようになります。

つまり幅が狭くネジ山が少ないアイレットは 使用できる期間が短く、おまけにフロッグ( Frog )のぐらつきを生みやすいということが弱点となります。それから、この雄ネジは製作時のものと考えられますが、使用されたことにより アイレットとの接触部が磨耗しています。

これは、アイレットの素材合金が硬すぎたのが 主たる原因であると推測できます。

このような アイレットや 雄ネジの磨耗は、空回りした時や、フロッグとスティックの間に隙間が生じたり、演奏中にフロッグが回るようにズレた場合や、馬毛の交換時に見つかります。

それでは、 アイレット幅とネジ山の数についてもう少し具体例を見てみましょう。

下写真は楽弓製作者として最も有名なフランソワ・グザビエ・トゥルテ( François Xavier TOURTE  1748-1835 ) が 1780年頃製作したものとされています。このビオラ弓のアイレットは ネジ山が 4.5本です。先に触れましたように、ヴァイオリンの近代奏法が完成した19世紀前半までは 響きを阻害しないように、アイレットのネジ山は 2.5~4.5本が一般的だったと 私は考えています。

この時期のアイレットの例外規格としては、下写真のレオナルド・トルテ( Nicolas Léonard TOURTE 1746-ca.1807 )が製作したヴァイオリン弓のように、フロッグのアンダースライド部( Under slide )が最終的に普及した凹型ではなく凸型であるという構造的な理由により、ネジ山 6本が採用されたと考えられるケースなどがあります。

私は これらの少数事例により、ネジ山が多いアイレットは 18世紀末にも製作可能であったことが証明されていることを‥ 幸いだと思っています。

本格的なアイレット交換修理の経験がある方は 皆さんご存じですが、スクリューのネジ山 2.5~4.5本に対応するように 直径が 2.9mm程あるアイレット縦ねじ部( Shank )よりアイレットの雌ネジ幅を狭く削る作業は思った以上に難儀です。

このことから私は偶発的にこの幅が選ばれた訳ではないと確信しています。





それから1900年頃までのアイレットは、不定形のものが用いられたケースがよく見られます。また フロッグの Shank穴が 垂直にあけていない弓も多いです。


Stewart Pollens & Henryk Kaston with M.E.D.Laing   ” FRANÇOIS-XAVIER TOURTE-BOW MAKER ”   p37,  2001年.

近代楽弓を完成させたといわれている、フランソワ・グザビエ・トゥルテ( 1747-1835 )が 1824年頃に製作したラベル入りで、保存状態が良いこの弓に 取り付けられたアイレット幅は、おそらく ネジ山 3本 であったと私は推測します。                                        Dominique Peccatte( 1810-1874 )  [ Paul Childs  “The Peccatte family” ] 【 Details of “Self-rehairing” Bows 】
VUILLAUME Á PARIS ( D. PECCATTE  )Violin bow










このように弓の変遷を考察した結果、 私はアイレット幅が広がる端緒は ミルクールの製作者 フランソワ・バザン ( François Xavier BAZIN 1824-1865 )の工房にあったと考えるようになりました。

彼が アイレットのネジ山が 5.5本もありネジ山が磨耗し難く、フロッグのぐらつきが出にくい弓を製作したからです。

この アイレット幅についての考え方は、  François Xavier BAZIN ( 1824-1865 )が 1865年に病死したために、若干18歳で工房を引き継いだ息子の Charles Nicolas BAZIN Ⅱ( 1847-1915 )が踏襲しました。

Charles Nicolas BAZIN Ⅱはまだ若かったので、1870年代初頭まで 父の友人であった Claude Charles Nicolas HUSSON ( 1823-1872 )の助言をうけながら楽弓製作家として認められるようになり、1867年に いとこであった Jeanne Emileと結婚し 3人の子供にめぐまれます。

彼のミルクールの工房は 1893年頃から、それなりに上質な弓を大量に生産します。これは彼が工房経営を息子の Charles Louis BAZIN ( 1881-1953 )に渡した 1907年まで続きます。

下のカタログは BAZIN 工房が 1900年頃に発行したものですが、 私には交換ねじのネジ山数がとても興味深かったです。

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下にこのカタログからピック・アップしましたが  No.93と No.94が それまでの標準タイプで ねじ山が 4.0本と4.5本の設定であることが分ります。



これに対して No.95 が BAZIN工房の『 一押し!』としてありねじ山が 7.0本もあります。
また‥ アイレットを『 硬い 』とうたっているところに楽弓のネジ磨耗を意識していると読み取れます。

それから No.100と No.107 として 彼の父が採用した ねじ山数 5.5本タイプも販売していた事が確認できます。

 







さて、これらを整理するために、この投稿で例示した弓アイレットの ネジ山数を並べてみました。これによってネジ山数をあまり増やさない、言い換えれば 『 自由度を守る』という意識が 1775年~1900年頃まで、大切に受け継がれていたことが判ります。

10. 0  Made in Germany  /  Vn. bow  1930年頃, アイレット幅 6.0mm
8.0      Replacement Screw Set   Vn. bow  1990年頃, 幅 4.9mm
6.0      Replacement Screw Set   Violin bow  2000年頃,  幅 4.1mm

3.0      Joseph MEAUCHAND ( ca.1720-1775 ) Vn. bow, 1775年頃
2.5      Jean-Jacques  MEAUCHAND( 1758-1817 ) Vn. bow,1775年頃
4.5      François Xavier TOURTE ( 1748-1835 ) Viola bow, 1780年頃
3.5      Nicolas Léonard TOURTE ( 1746-1807 ) Vn. bow, 1780年頃
6.0      Nicolas Léonard TOURTE ( 1746-1807 ) Vn. 1785~1790年頃
3.0     Louis Simon PAJEOT( c.1759-1804 ) Viola bow, 1785~90年頃
4.5      Nicolas Léonard TOURTE ( 1746-1807 ) Viola bow, 1790年頃
2.5     Nicolas DUCHAINE Ⅱ( 1772-1840 ) Vn. B., 1790~1800年頃
4.0     François LUPOT Ⅱ ( 1774-1838 )  Vn. bow,  1800~1810年頃
4.0     François J. GAULARD ( 1787-1857 )  Cello B.,1820~1825年頃
4.0     Nicolas Joseph HARMAND ( 1793-1862 )  Vn. bow,  1830年頃
4.0     Claude Joseph FONCLAUSE( 1799-1862 ) 1830年~1835年頃
3.5     Jacob EURY ( 1765-1848 ) Vn. bow,  1835~1840年頃
4.0     Jean ADAM ( 1767-1849 )  Vn. bow,  1835~1840年頃
4.0     Étienne PAJEOT ( 1791-1849 )  Vn. bow,  1835~1840年頃
4.0     Dominique PECCATTE( 1810-1874 )Viola B.,1838~1840年頃
5.5     François Xavier BAZIN (  1824-1865 )  Vn. bow, 1845年頃
3.0     François PECCATTE ( 1821-1855 )  Cello B., 1845~1847年頃
3.0     François PECCATTE “VUILLAUME” Cello B.,1845~1850年頃
3.5      C. J. Théodore GUINOT ( 1809-1877 ) Vn. B.,1845~1850年頃
3.0     Joseph GAUDE (É)( 1818-ca.1881 )  Vn. bow,  1850年頃
3.5     G. Eugène URY – C. EULRY ( 1821-1900 ) Cello B., 1850年頃
3.0     François PECCATTE ( 1821-1855 )  Vn. bow, 1853~1855年頃
4.5     Pierre SIMON ( 1808-1881 )  Cello bow,  1855年頃
4.5     Nicolas Rémy MAIRE ( 1800-1878 )  Cello B., 1855~1860年頃
4.0     Jean-B. VUILLAUME ( 1798-1875 )  Vn. bow, 1860~1865年頃
3.0     Jean-B.VUILLAUME ( Atelier MALINE )  Vn. bow,   1870年頃
4.5     Jean Joseph MARTIN ( 1837-1910 )  Vn. bow  1880年頃

8.5     Charles Nicolas BAZIN Ⅱ ( 1847-1915 )  Cello bow,  1900年頃

4.0     C.N. BAZIN Ⅱ ( 1847-1915 )  Vn. Screw set  No.93,  1900年頃
4.5     C.N. BAZIN Ⅱ ( 1847-1915 )  Vn. Screw set  No.94,  1900年頃
7.0     C.N. BAZIN Ⅱ ( 1847-1915 )  Cello Screw set No.95, 1900年頃
5.5     C.N. BAZIN Ⅱ ( 1847-1915 )  Vn. Button set No.100, 1900年頃
5.5     C.N. BAZIN Ⅱ ( 1847-1915 )  Cello Button  No.107, 1900年頃

8.0     Joseph Alfred LAMY ( 1850-1919 )  Vn. bow,  1885~1886年頃
7.0     Joseph Alfred LAMY ( 1850-1919 )  Vn. bow,  1886~1890年頃
8.5     Charles François PECCATTE ( 1850-1918 )  Viola B.,  1895年頃
8.5     Charles F. PECCATTE ( 1850-1918 )  Vn. B., 1895~1900年頃
7.0     L. É. Jérôme T. – LAMY ( 1833-1902 )  Vn. bow, 1900年頃
6.5     L. É. Jérôme T. – LAMY ( 1833-1902 )   Vn. bow, 1910年頃
6.5     Louis Joseph MORIZOT ( 1874-1957 )  Vn. B.,1920~1925年頃
8.0     W. R. Retford ( 1875-1970 ) “Hill & S.”  Vn B., 1925~1930年頃

問題は 1900年代初頭ですね・・。

世代( Generation )を越えた技術伝承には気づきのために『 徹底的な模倣 』が重要な役割をはたすことは一般に知られていますが、ゲーテ ( Johann Wolfgang von Goethe 1749-1832 ) の言う “疾風怒涛 ( Sturm und Drang )の時代”から 世界大戦まで続いた混乱がそれをゆるさなかった‥ という事かもしれません。

François Xavier Tourte( 1747-1835 ),  Violin bow 1790年頃

このように、弓の特徴などから設計原理を誰も説明できない時代となりましたので、オールド弓で アイレットのネジ山が少なかった理由について、取り敢えず 私の仮説をお話しておきます。

オールド弓では 線分ABの馬毛が 弦を細やかに振動させるために過度に堅くしない工夫として、ヘッドの高さ線分BDの中点線分ACの中点位置に、中央軸(  線分L1-L2  )が生じるように設計したと考えることができます。

この時、線分BDが 例えば 24.0mmであれば、線分ACも 24.0mmとなり、点Cは アイレットのスクリュー穴の中心とされていたようです。

François Xavier Tourte( 1747-1835 ), Violin bow 1790年頃

そして、ヘッド部は 中点位置に 交点L1が生じるように”S”字型尾根 ( “S” shaped ridge )加工がなされ、フロッグ側にも線分CD線分ABを平行させないことによる『 微妙なねじり 』によって 交点L2を生じさせる仕掛けを見ることができます。François Xavier Tourte( 1747-1835 ), Violin bow 1790年頃

この結果、中央軸である線分L1-L2が “節”として弓のなめらかな直線運動をしっかり支え、それによって線分ABの馬毛が”腹”としての自由度を得て、弦を繊細にゆらすことに貢献しているのではないでしょうか。

このとき、線分ABと対となる 線分CDの基点 点Dは ねじりが生じやすい華奢なL字型とされ、点Cの アイレットとスクリューの接点では噛み合せ部の隙間などによる『 遊び 』( バックラッシュ Backlash ) などによって スムーズな”ねじり”を生じさせるために、ネジ山数が 2.5~4.5本という最小限の設計とされたと推測できます。

そして これらの工夫によって、レガートに演奏するときには中央軸である線分L1-L2 の重さで馬毛に丁度良い圧力が加えられるだけでなく、演奏者が強い表現で弦楽器を鳴らしたいときには、上図の赤塗りで示した三角ゾーンが “節”として機能していると 私は考えています。

先弓を使用する場合も、元弓の場合も “腹”となる馬毛の “対”として三角ゾーンがしっかり支える設定によって スティックを長くすることが可能となったとも言えると思います。

このように、ヴィオッティ ( Giovanni Battista Viotti 1755-1824 ) 以降の時代に 当時の弓製作者が しっかり対応したことを、現代まで遺された弓達が 証していると 私は感じているのです。

 

ともあれ 残念なことですが、ウジェーヌ・ニコラ・サルトリー ( Eugène Nicolas Sartory  1871-1946 ) 以降の楽弓は、響きを少し遮る傾向が特徴であるとも 私は思っています。

Eugène Nicolas Sartory ( 1871-1946 ) Cello bow, 1930年

そのような昨今の状況ですが、私は、再び『 豊かな世界 』が訪れることを祈ろうと思います。

 

2023-2-06        Joseph Naomi Yokota

 

最後に余談ですが、”ネジと フランソワ・グザビエ・トゥルテ( 1748-1835 )”について書き留めておきたいと思います。

ネジの歴史は 古代ギリシアのアルキメデス( B.C.287年頃 – B.C.212年 )が考案したとされる螺旋構造を使用したアルキメディアン・スクリューが製作された時期以前にさかのぼるとされています。

この発明は時を経て 16世紀半ばにはリヨン近郊のフォレや イングランドのミッドランド地方で木製旋盤を用いて家内工業的にネジが多数製造される状況にまでつながり、そうして製造されたネジは 時計や 銃、甲冑用のボルトなど多岐にわたって使用されるようになりました。

1586年には フランス国王シャルル9世( Charles IX of France  1550-1574 )の宮廷技術者 ジャック・ベッソン( Jacques Besson  ca.1540-1573 )が、半自動のねじ切り旋盤を製作してネジの製造技法を改善しました。

また 1760年にはミッドランド地方のジョブとウイリアムスのワイアット兄弟( Job and William Wyatt )が手で刃を動かしてねじを切る代わりに、カッターで自動的にねじを切れるようにして、当時は数分かかっていた作業をわずか 6~7秒で作ることができるようにするという画期的なネジ製造法を開発し‥ 特許を取得するとともにバーミンガムの北郊にネジ製造工場を設立し効率的な製造を開始しました。

この工場は その後に経営を引き継いだ所有者が蒸気機関の活用など各種の改善を実施し大規模事業化されました。

また‥ねじ切り旋盤は 1770年頃にイギリスのラムスデン( Jesse Ramsden  1735–1800 )が木製旋盤の代わりにカッターの先端にダイアモンドを使用した金属製の旋盤を作り、さらに 1800年にはヘンリー・モーズリー( Henry Maudslay  1771-1831 )が、それまでの旋盤をさらに改良し鉄鋼製のネジ切り用旋盤を開発しました。そしてこれらの技術をもとに モーズリーは、フランス人ブルネルと組み 1800年頃にポーツマスに世界初のほぼ完全に自動化された工場を建設します。

この工場では精密な加工ができる旋盤が駆使され、これにより 1万分の1インチの精度のマイクロメーターが製作され 完成品のチェックに使用されました。こうして極めて精度が高いネジが普及していきました。

また 1841年にはモーズリーの弟子であったジョセフ・ウイットウォース(J. B. Whitworth  1803-1887 )が ネジのさらなる大量生産技術を確立するとともに 多様なねじの形状を整理した上でネジ山の角度を55度とするなどの規格化を進めます。

この『 ウィットウォースねじ規格 』が 1901年には英国の国家規格 BS ( British Standards )にまで発展普及し現代のネジ規格の基礎となりました。


Screw making machine        1871年


Breguet  Frères & Cie. Lathe      1908年頃

ネジは そのリード角に沿って 三角形、四角形などいろいろの断面で製造され、その断面形状から三角ネジ、台形ネジ、角ネジ、のこ歯ネジなどと呼ばれており、それらの隣り合うねじ山の対応する2点間の距離はピッチとされています。

また現在 一般に用いられているネジは一条ねじで、これは1回転で1ピッチだけ進むように設計されています。


一条ねじが 1回転でピッチの分だけ進むのは1ピッチの間に 1条のらせんがあるためです。 因みにリードとは ねじを1回転させたときに進む距離のことです。

このほかに 1ピッチの間に 2条あるいは3条のらせんがあるねじもあります。これを多条ねじと言い この場合のリードはピッチの条数倍となります。

オールド弓を使用したことがある演奏者の中にはお気づきの方も多いですが 1900年以前の名工が製作した ヴァイオリン弓やチェロ弓には ピッチが広いネジや 多条ねじがよく用いられました。

皆さんの記憶にとどめていただきたいのは‥ この投稿で取り上げさせていただいているフランスを中心とした楽弓の製作者達は、ネジの製造技術が急激に発展した時代の真っただ中で、弓の雄ネジや アイレットを製作していたということです。


アブラアム・ルイ・ブレゲ( Abraham Louis Breguet  1747–1823 )No. 92

アブラアム・ルイ・ブレゲ ( 1747–1823 ) 1783年着手 – 1827年完成 No. 160   マリー・アントワネット ( Marie-Antoinette  1755-1793年10月16日 )Patek Philippe – Tiffany & Co.  1880年  ( Gold pocket watch )

その状況を端的に象徴するのが、1755年にジャン=マルク・ヴァシュロン( Jean-Marc Vacheron )が 創業した”ヴァシュロン・コンスタンタン”や、 1875年にオドマール ( Jules-Louis Audemars 1851-1918 )とピゲ ( Edward-August Piguet 1853-1919 ) が創業した “オーデマ・ピゲ”、そして 1839年に 2人のポーランド人アントニ・パテックと フランチシェック・チャペックによって創業された “パテック・フィリップ( Patek Philippe )”などのスイスの高級時計メーカーのムーブメントでしょう。

そして、これらの精密な加工技術の粋である時計と弓の世界を繫ぐのが、近代楽弓の父といわれるフランソワ・グザビエ・トゥルテ( 1748-1835 )です。

彼は 1748年にヴァイオリンと弓の製作者である父 ピエールのもとに生まれました。
しばらくして兄レオナルドは弓製作の仕事にはいりますが 弟フランソワ・グザビエ・トゥルテは時計製作者の工房で働きはじめました。この時‥ 彼は8歳だったと伝えられています。

彼はこの時計製作の仕事を父親が亡くなる 1764年頃まで続けましたが、それ以降は兄と共に本格的に弓製作の仕事を開始し近代音楽史に影響をあたえるような多くの楽弓を製作しました。

この投稿はここまでとさせていただきます。

 

●  渦部( ボリュート : Volute )の”秘密”について