弦楽器の鑑定について

● 弦楽器の鑑定書は 現在の性能を保証してはいません。

私は ヴァイオリン、ビオラ、チェロ の受注製作と オールド弦楽器の音質とバランス調整や 修復、そして子供用や工業製品もふくむ輸入新作弦楽器、弓などの販売と毛替えなどの一般修理をおこなっています。

そのような私ですが‥ この33年間 弦楽器に関する仕組みの研究を続け、結果としてそれなりの判断能力を得ることが出来ました。

そして、このために 私事で恐縮ですが  昨今の弦楽器鑑定や 整備について 疑義を感じることが多くなりました。そこで熟慮の末に 私は この投稿により 弦楽器鑑定についての私見を述べさせていただく事と致しました。

皆さんも「 鑑定」という言葉はよく耳にされると思います。
この言葉は 専門的な知識を持つ人が、真贋・良否などを判定することとされています。その評価・判断は、科学的で 統計学的であるとともに 専門家の深い経験に基づいたものでなければならないと思われます。

国宝「曜変天目」静嘉堂文庫所蔵

自由が丘からあまり遠くない 世田谷区岡本にある 静嘉堂文庫は 自然に囲まれた静かな佇まいの美術館であり、また 専門図書館でもあります。

ここは 三菱財閥の第2代総帥 岩崎彌之助(1851-1908 )、第4代総帥 小彌太(1879-1945 )父子の所有した庭園と遺品の古典籍・古美術コレクションを基礎として発足し 国宝7点、重要文化財 83点を含む、20万冊の古典籍と6500点に上る東洋古美術品が所蔵されています。

そして、その筆頭が 徳川家から最終的に岩崎家に渡った 国宝「曜変天目」です。私はテレビを見ませんが 2016年12月20日放送の テレビ東京系「開運!なんでも鑑定団」で 四つめの「曜変天目」として出現したものが問題となったそうですが‥ その 本物のほうですね。

このような騒ぎは 「鑑定」がまるで施設の命名権( ネーミングライツ )のような利権として乱用された結果と私は感じます。

ところで‥ 弦楽器の世界でも 残念ながら「鑑定」を名前をつける事として解釈する方が大勢いらっしゃるようです。

私はこの考え方に違和感を感じます。やはり 弦楽器の「鑑定」は真贋のみでなく良否などの判定として「性能」の評価が伴うべきではないでしょうか。

残念ながら名器と言われる弦楽器であっても 修理の際に過剰な補強がなされていたり、『 よかれと思って‥ 。』整備で 固くされたために、 バランスが調和しておらず レスポンスが悪く残響もお粗末で 演奏により本来もっていた響きを生みだすのが困難となったものが数多く存在します。

因みに このような状況は たとえば  演奏者の談話のなかに見ることができます。 ここではその例として 産経新聞から発行されているクラッシック音楽専門の月刊誌 ” MOSTLY CLASSIC ” 2008年 5月号  ” ストラディヴァリウス特集 ” P.22~25 を引用させていただきます。

これは ストラディヴァリウスを演奏している12人の日本人演奏家にアンケートしたものだそうです。その5番目の項目である 『 ストラディヴァリウスの第一印象と現在の印象 』についてのコメントを列記しました。

① 池田菊衛さん  1680年  前の楽器もストラドだったので戸惑いはなかった。前の楽器は完全に鳴らしきるのに 2~3年かかった。

② 潮田益子さん  1690年  最初は音が出てこない。2年くらい 十分にかかりました。私が音の出し方を分っていなかったのかも。弓の圧力をかけると急に音が出なくなる。今でも、子供と一緒で、ああ今日は音が上手く出てくれたとか、昨日はどうしようもなかったとか、毎日その繰り返し。

③ 漆原啓子さん  1667年  長く弾かれていなかったためか、なかなか楽器が鳴らなかった。鳴るようになると、華やかで明るい音。耳元で聴くと鳴っている感じはしないが、音は遠くに伸びる。楽器を信頼するようになり、心強いパートナーを得た感じ。

④ 加藤知子さん  1728年  人の出会いと同じように『 一目ぼれ 』。現在も恋愛中。最初は楽器の調整ができていなかったのと、ガット弦が張ってあったので音量が出なかったが、柔らかい音がした。それまでは 1800年以降の楽器を弾いていて、オールドは弾いたことがなかった。グァルネリと比べて楽器がすでに音を持っている。質のいい音がしていいなあと思った。それまでの奏法では音が出なかった。楽器から教わることが多い。

⑤ 佐藤まどかさん 1716年  他の楽器に比べて、様々な可能性を持った楽器だと思った。その印象は最初から大きく変わらない。とてもナチュラルでそのぶん奥が深く、演奏家の向かいたい方向を自在に向いてくれる。

⑥ 庄司紗矢香さん 1715年  うまくコミュニケーションが取れるようになるまで2年程かかりました。初めは、耳元が痛くなるほどの鋭い高音域が印象的でしたが、今は低音にも深みを感じます。本当かどうかは分りませんが、恩師曰く、私の声の音域のせいで私がしばらく弾いている楽器は低音が良く鳴るようになるそうです。

⑦ 諏訪内晶子さん 1714年  弾き始めたころは、あまり柔軟ではない音がしていたが、段々本来の持っている音が出て来た。あまりにも音が真っすぐ通るので、豊かな音にするか試行錯誤した。楽器の持っている個性を引き出しつつ、自分の個性をプラスして、と考えるようになった。

⑧ 宗 倫匡さん  1692年  生まれて初めて手にした時は、涙が出てきた。でも、すぐ手に取って鳴る楽器ではない。楽器との共同作業の中で、なだめたりすかしたりしながら音を作っていくと、音楽の可能性が広がる。音自体はナチュラルで上品。女優で言えば、マリリン・モンローではなく、グレース・ケリーのタイプ。

⑨ 高嶋ちさ子さん 1736年  最初に持ったときはピンと来なくて、こんなものに何億もかけるなんてもったいない、と思った。でも、徳永二男先生や楽器店の方に『 絶対に手に入れた方がいい 』と言われ、だまされたと思って購入。1ヵ月経ってもいい音が出ず、しばらく弾くのを止めていたが、ある日なんとなく弾いてみたら、いきなり素晴らしい音が出た。自分が調子悪いときでも、カバーしていい音を出してくれることがあり、勇気付けられる。

⑩ 竹澤恭子さん  1710年  際立って音のまわりの艶感が魅力的で、音の品格、深みなどに圧倒された。楽器がオープンに鳴るには時間を要したが、今では、弾くたびにこの楽器の音に大きな刺激を受けている。音色のパレットが広がり、表現意欲をより掻き立てられる。音を響かせて艶を出す奏法も学んだ。

⑪ 徳永二男さん  1719年  最初は楽器の特性に慣れようとすると、楽器と格闘し、腱しょう炎になったりすることもある。格闘し始めると楽器は反応してくれない。乗馬の馬と似ている。それが 1年くらいすると、力じゃなくて、『 こうやったら、鳴ってくれるかな 』というのが分ってくる。

⑫ 豊嶋泰嗣さん  1719年  買った当初はヴォルフトーン( うなるような音 )が出たりして使いあぐねたが、年単位で安定感を増して他の追随を許さない。形だけコピーしたものもあるが、内面から湧き出る品格はストラド独自のものだ。やっぱり楽器が自分を育ててくれると感じる。しかし、奏でられる音楽はあくまで奏者の音だ。ストラドを手に入れたことは自分の音楽に対する誠意を確認したことでもあった。

ストラディヴァリウスの第一印象として『 すぐには鳴らなかった 』などといったコメントならんでいます。それにしても、鳴りが悪い状況が 2~3年とは‥ 私は 実にイタイ‥ と思います。

この状況は ストラディヴァリウスが真作であるとすると 彼の責任ではなく、 後の時代に行われた修理の際に不調和な状態にしてしまった事が原因となっている可能性が高いと私は考えます。

それは 残念なことに同じような状況が ストラディヴァリウスだけではなく他の製作者によるオールド・ヴァイオリンでもよく見られるからです。

長文となりますが‥ その具体例として ここから一台の有名なヴァイオリンにまつわるお話をしたいと思います。

●「白系ロシア人」であった ハイフェッツについて

ヤッシャ・ハイフェッツは 1901年に ロシア帝国領であったヴィリニュス( 現 リトアニア共和国首都 )に生まれ、1910年に サンクトペテルブルク音楽院で レオポルト・アウアーに師事し、1914年には ニキシュ指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演した事が知られています。

Jascha Heifetz( 1901-1987 )

彼は 1917年に カーネギー・ホールでアメリカ合衆国デビューを果たしますが、この年の2月 そして10月のロシア革命や 第一次世界大戦の混乱を避けるためにそのままアメリカに在留することを選びました。

そして、第一次世界大戦が終結すると 本格的な演奏旅行を再開し 1923年には初来日も果たしました。彼は こうした時を経て1925年にはアメリカの市民権を獲得し、最後は 1987年にロサンゼルスで死去しています。

ロシア革命や 第一次世界大戦などによる「白系ロシア人」の亡命者や移民は世界各地におよび、日本でも 1918年の一年間で 7,251人が入国したと記録されています。「白系ロシア人」とは 赤色が共産主義、社会主義の象徴色とされ、対照的に「白系」は白軍と呼ばれたロシア帝国側の人々や 共産ソヴィエトを支持しないロシア系の人々を形容する言葉だそうです。

例えば、ハイフェッツと同じアウアー門下で 父親が ロシア帝国官僚、母親が貴族出身だった小野アンナ( Anna Dmitrievna Bubnova 1890-1979 )さんは 1917年 5月に 小野俊一氏と結婚し ペトログラード( サンクトペテルブルク )から 日本に「白系ロシア人」として移住したのが この1918年でした。

また、ロシア革命により処刑された最後のロシア皇帝 ニコライ 2世( 1868年生まれ – 在位1894年 – 1917年3月15日退位 – 1918年7月17日処刑 )の宮廷楽団 楽長をつとめたヴァイオリニスト、 アレキサンダー・モギレフスキー( 1885-1953 )も混乱するロシアを離れ来日し 祖国に戻ることなく東京で死去されています。

アメリカ合衆国には 1917年12月に家族とともにロシアを出国した「白系ロシア人」の ピアニスト、作曲家 セルゲイ・ラフマニノフ( 1873-1943 )が 1918年の秋に入国し亡命したほか、ロシアの大作曲家として知られるイーゴリ・ストラヴィンスキー( 1882-1971 )も スイス、フランスを経て亡命しニューヨークで亡くなっています。


Jascha Heifetz( 1901-1987 )1926年頃

● ハイフェッツと クッドラッチは いつ出会ったのでしょうか?

さて‥  ここで、この時代の年譜を確認させていただきます。

ロシア革命の遠因の一つは サラエボ事件を受けて1914年7月28日に オーストリア・ハンガリー帝国が セルビアに宣戦布告したことに始まる 第一次世界大戦であったと言われています。

これは 1914年8月4日にイギリスがドイツに対して宣戦布告した頃から本格化し、ついには 1917年4月6日にアメリカがドイツに対して、また その後オーストリアに対して宣戦布告をおこなう事態へと悪化していきました。

第一次世界大戦の大規模な戦闘は 1918年11月11日までの 4年3ヶ月におよび、 最後は 1919年1月18日からの パリ講和会議により協議がおこなわれ、1919年6月28日のヴェルサイユ条約などを中心とした多数の関係条約の締結によって終わりました。

Abraham  Koodlach ( 1890 Kiev, Ukraine – 1910 Winnipeg, Canada – 1920 Los Angeles – 1946 )

この長期間に及ぶ混乱期に祖国を後にした大勢の「白系ロシア人」は異郷の地で支えあいながら それぞれの地歩を築いて行くことになりました。

この写真の ロシア帝国領 キエフに生まれた弦楽器職人 アブラハム・クッドラッチ( Abraham  Koodlach 1890 – 1946 ) も それら亡命者、移住者のひとりでした。彼は 1919年末に「白系ロシア人」として一家を伴いロサンゼルスに移住してきました。それは ヤッシャ・ハイフェッツが アメリカ合衆国で 19歳を迎える頃のことでした。

彼は キエフ( 現 ウクライナの首都 )を 1910年に出国し、ウクライナ系移民も多く住む カナダ 、マニトバ州のウィニペグを経て 最終的に 1920年のはじめに ロサンゼルスの西50㎞ほどに位置し マリーナや オックスナード・ビーチからすぐの ポート・ヒューニーメに居を構えました。

Jascha Heifetz  ( Vilnius 1901-1987 )  &  Abraham  Koodlach ( Kiev 1890 – 1946 )

今となっては ヤッシャ・ハイフェッツ( 1901-1987 )と アブラハム・クッドラッチ( 1890 – 1946 ) がいつ出会ったのか‥ などの 詳しい事情はわかりませんが、 私は 彼らの親子2代におよぶ親交は 出身地である ヴィリニュスと キエフがロシア帝国領となる以前の中世のリトアニア大公国の時代から同朋としてつながりが深かったことなど‥ が、その土壌となったと想像しています。


1924年1月22日 ヤッシャ・ハイフェッツから クッドラッチへの手紙

● ハイフェッツの ガルネリ・デル・ジェス について 

ところで‥ ハイフェッツ( 1901-1987 )は 1922年に 著名ディーラーである エミール・ヘルマン( Emil Herrmann 1888 – 1968 ) から ヴァイオリンの名器、ガルネリ・デル・ジェス “Ex – David” を購入し、1987年に亡くなるまで所有し続けたことはよく知られています。

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エミール・ヘルマンの ヴァイオリン・ショップ

Emil Herrmann’s workshop in New York     1931年

Mendelssohn & David

Violin Concerto in E minor

Mendelssohn & David

Original in concept and perfect in execution, it was the product of hard graft, assisted by Mendelssohn’s friend and chosen soloist, Ferdinand David.

The original manuscript was lost for decades after World War II, but when Luigi Alberto Bianchi tracked it down some years ago, we could see that changes were being made right up to the time of publication. Mendelssohn started thinking of it in July 1838 and its opening bars haunted him, but he did not complete it until the summer of 1844, and by that September he had finished the orchestral score. Even then he was assailed by doubts and he initiated a flurry of correspondence with David on numerous details, all of which contributed to the jewelled precision of the final score.

David gave the premiere on March 13, 1845 in Leipzig with the Danish composer Niels Gade conducting the Gewandhaus Orchestra because Mendelssohn was ill. It was not until 23 October that the composer himself conducted the work, with David as soloist. At another Leipzig subscription concert on October 3, 1846, the 15-year-old Joseph Joachim played the concerto for the first time under Gade’s direction, to great acclaim.

私にとって興味深いのは 、ハイフェッツが このヴァイオリンの整備を カリフォルニアのアブラハム・クッドラッチ( 1890 – 1946 ) に依頼したことです。

また、それにとどまらず 彼は 1946年に アブラハムが死去した後も、その息子の ベンジャミン・クッドラッチ( 1914 Canada – 1990 Port Hueneme, California  )に 任せていたと考えられる 1950年の写真まで残されています。

Jascha Heifetz  ( Vilnius 1901  – 1987 )  &  Abraham  Koodlach ( 1890 Kiev, Ukraine – 1910 Winnipeg, Canada – 1920 Los Angeles – 1946 )

この父子はとても似ていますので混同しそうですが、 ハイフェッツ( 1901-1987 )と写真に納まっているのは 上写真が 父親アブラハム・クッドラッチ( 1890 – 1946 ) とされています。

 


Picture at Koodlach Studio



‘Heifetz, David’ Guarneri ‘del Gesù’ of 1740,

そして、下写真の左目端にホクロがあるのが息子ベンジャミン・クッドラッチ( 1914 – 1990 ) だそうです。


Jascha Heifetz  &  Benjamin Koodlach ( 1914 Canada-1990 Port Hueneme   California  )

これらの写真はあまりに情景が近いので 念のために 1920年代に撮影された ガルネリの修復作業写真と何度も比較してみました。

その結果として 少なくとも作業机にならんだ穴に差し込んであるノミの柄の種類と配置が違うことや、ガルネリの側板やライニング、コーナー部を絞め込んでいるクランプ位置と種類がちがうことなどから 出典元の説明文のように下写真は 1950年に撮影されたと 私も判断しました。


Benjamin Koodlach ( 1914 -1990 )により 1950年に実施された ‘Heifetz, David’ Guarneri ‘del Gesù’ of 1740 の修理写真



Tatsuo Imaishi at the restoration shop of Rare Violins of New York  (  Manhattan, N. Y.,  Jan. 9, 2017.  Samira Bouaou / Epoch Times )

NEW YORK—Thinking about investing in a Stradivarius or a Guarneri del Gesù? Well, sound is the very last thing you should consider.

When determining the value of a violin, it comes down to the maker of the instrument and the condition it is in, according to Bruno Price and Ziv Arazi, co-founders of Rare Violins of New York.

These considerations determine value because every instrument is distinct— the best ones even more so—and the most valuable and valued instruments require a certain level of skill and finesse to play, on top of a compatible playing personality.

There is a violin joke that goes, after a performance, a woman once told Jascha Heifetz how great his violin sounded. So he took the violin out of its case, held the instrument up to his ear, and said, “Funny—I don’t hear anything!”

Now, while it’s not the first consideration, the sound of a valuable violin is, of course, still important. They are musical instruments, after all.

The crack—from one end of the instrument to the other—has probably lowered the value by 10 or 15 percent, Price said. But after the repairs, the instrument may actually sound better, just because Imaishi has more carefully put the instrument back into its ideal shape and made sure everything is in the right place. So sound doesn’t matter, Price reiterated.

But as they started on repairs, they noticed repair work done to the back of the instrument that the client probably hadn’t known about—the sort of work that would halve the value of the instrument right off the bat, Price added.

 

 

 


Andrea Guarneri  violin  1665年

名器と呼ばれるブランドゆえの悲しさだと私は思いますが、本来‥ 楽器は性能をもって その誉とされるべきものではないでしょうか。


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航空貨物  輸送事故

 

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三重パッチ( Triple patch )

このような整備不良が最も分りやすいのは 弦楽器を修理した直後の不具合ですが、演奏者も修復担当者も修理直後はしょうがない‥ と思われるようで改善されないまま使用され続けることが多いようです。



私の経験では 修理直後に不安定な期間があったとしても 一般論としていえば せいぜい数日から 長くて一週間くらいだと思います。 この期間でレスポンスと 響きが回復しなかった場合は チューニングのバランスが合っていないか 『 過剰修理・過剰補強 』となってしまった可能性が高いと考えられます。


ストラディヴァリ・チェロ バスバー付け根部割れ L字補強


ヴァイオリン・バスバー部割れ L字補強


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このような状況が起こり得る弦楽器では 真贋のみの「鑑定」で名前が確定されたとしても、本当の評価とは言えないと私は思います。

名器と言われる弦楽器であってもバランスが調和していなかったり、本来の音響システムが痛めつけられている楽器については 適切に評価すべきではないでしょうか。

修理サインと修理ラベル( Repair signs and repair labels )

私は このような状況は弦楽器の音響システムについての情報が公知化されなかったことが原因となり生じたと考えています。

パブロ・カザルス( 1876 – 1973 )指揮者フルトヴェングラーの賛辞「パブロ・カザルスの音楽を聴いたことのない人は、弦楽器をどうやって鳴らすかを知らない人である。」
『 ストラディヴァリウスは自分には似合わない。』
Throughout most of his professional career, he played on a cello that was labeled and attributed to “Carlo Tononi … 1733” but after he had been playing it for 50 years it was discovered to have been created by the Venetian luthier Matteo Goffriller around 1700. It was acquired by Casals in 1913.[14] He also played another cello by Goffriller dated 1710, and a Tononi from 1730.

そこで 私は「オールド・バイオリン」などを取り巻く状況が少しでも変わるように、そして 弦楽器をリスペクトするために 長文となり恐縮ですが‥  弦楽器の音響システムについてお話ししたいと思います 。

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では、はじめに 下のストラディヴァリウスの画像をみてください。

Antonio Stradivari  violin,  1731  ” Lady Jeanne ”

Antonio Stradivari violin 1731年 Lady Jeanne - C MONO L
このときまず四つの尖ったコーナー部を観察します。
はじめは 特に  A , B 部の大きさの差に着目してください。

Joseph Thomas Klotz Violoncello piccolo Mittenwald 1794 ( 1743-1809 ) Sebastian 1696-1768 - A L

Joseph T. Klotz ( 1743-1809 ),  1794年 Violoncello piccolo, Mittenwald

私は1900年以前の弦楽器を見分ける時には、 はじめに四つの尖ったコーナー部の 左右の非対象性( アシンメトリー )を確認します。

これは弦楽器製作における古典的技術のなかで 『 あの響き‥ 』を生みだすための重要な設定だからです。

Antonio Stradivari 1673年Harrell - Du Pre - Guttmann - A L

Antonio Stradivari  1673,  Violoncello ” Harrell, Du Pre,  Guttmann ”

 

歴史を検証してみると “オールド・バイオリン”などに見られる高性能な弦楽器は レゾナンスとレスポンスのために絶妙な不安定さを積極的に取り入れることで誕生したと考えられます。

例えば ストラディヴァリウスなどの 四つの尖ったコーナー部の 非対象性設定は 下図のように振動モードのひとつとしてシュミレーションできます。

左図では 左側角が振動の起点となり奥の角がリレーションすることで「  ゆるみ 」が生まれます。また右図は対称型で 左側角の起点と手前の角がリレーションします。

つまり 四つの尖ったコーナー部のうちコーナー A が上図では 左側角の振動の起点の役割をはたし、コーナーB がそれにリレーションして響胴に「 ゆるみ 」がうまれることが共鳴現象につながっていると 私は考えているのです。

ただし‥ ヴァイオリンなどの弦楽器はF字孔という 2つの開断面がある表板が主たる振動板の役割をもっていますので、裏板は表板の振動条件を生みだすための駆動系としての要素が大きいと考えられます。

ですから 裏板コーナー部をイメージする場合は、上のシュミレーションのように表板が 緩むために 裏板側はアシストしているという位置づけが適切であると 私は考えます。

これは裏板の四つのコーナー部が 音響的には レスポンスと 振動の持続、そして 音色を左右する共鳴条件に関する役割を果たしているということです。

そもそも‥ コーナー部をみると表板と裏板が 相似形でつくられているように見えますが 実際に重さの条件だけみても、今‥ 私の手元にある 1780年頃に製作されたヴァイオリンでは 表板側が 69.0g で 裏板側が 148.0g( 響胴部 217.0g   :   ネック部 104.0g  )といった具合に 表板と裏板では差がつけられています。

また 木材の特性として重要な比重の差もあります。因みに、木材繊維( セルロースミクロフィブリル )自体の比重は 1.5 ほどで 樹種による差はほとんどないそうです。だから、もし木が空気を含まなかったら水に沈むと説明されています。

木材の重い、軽いは個々の樹種の木材繊維ではなく空気層の割合( 空隙率 )が反映したものであることを念頭に置いたうえで比重をみると、表板のスプルースが全乾比重で 0.43位で 裏板のメープルは 樹種により 0.55 ~ 0.7 と値幅がありますので 0.6位と想定しシュミレーションすると その差に意味があることが分ります。

  •  弦楽器の場合は実際は気乾比重[ 自然の温度・湿度とつりあった木材の含水率 ( 日本では15%前後) のときの比重 ]であることが望ましいのですが計測値がなかなか揃わないので、全乾比重[ 含水率ゼロのときの比重 ]が 一般値として使用されています。

それから 表板と裏板においてはアーチの差も重要です。 先程の1780年頃に製作されたヴァイオリンの場合では 表板アーチの高さが 20.7mmで、裏板アーチが 19.1mmといった具合に差がつけられています。この他のアーチの差につきましては 、私が参考にしている  ロンドンの『 ロイヤルアカデミー・コレクション 』資料集から表板と裏板のアーチの計測値を下にあげておきます。

残念ながら名器と言われる弦楽器であっても‥ この視点がなく”修復”された弦楽器は”しなやかさ”の対極の特徴を持っています。これらはレスポンスが悪く残響もお粗末で、演奏により本来もっていた響きを生みだすのは困難です。

そこで 古い弦楽器の参考例として、ここから 先週 私が整備したヴァイオリンのお話をしたいと思います。

 

Violin,  Wien 1810年~1820年
(  For example, Franz Geissenhof 1754-1821  )

このヴァイオリンは 8年程前に現在の所有者が知人からノーラベルで製作者は不明のものとして購入されました。残念ながら 楽器性能に関しては その時から‥ とにかく響かない状態でした。

そして 結局、所有者の方と私がご縁があった関係で、今年の 2月9日から2月12日までの期間で費用 ¥200,000 – の整備をすることになりました。

私が このヴァイオリン整備で まず問題と考えたのは 下写真の  “カノン”のように 逆ぞり変形による裏板割れがある事でした。

It is a violin “Il Cannone” which broke the block and cracked the side plate.

この有名な “カノン”と同じような逆ぞり変形をしたヴァイオリンで ボトム・ブロックを見て下さい。



このヴァイオリンは ブロック割れだけではなく 裏板ジョイントも剥がれた上に、写真のように裏板に3本の割れが入っていました。

因みに、私は 裏板側のひび割れは 表板の歪みと演奏に使用した時間に比例して増えていったと推測しています。

私の経験では下写真のヴァイオリンもそうでしたが、同じようにボトム・ブロックが割れていても 裏板の割れに至っていない事例も多く その破損メカニズムについて結論を得るのに 19年ほどが必要でした。

現在、私はこのボトム・ブロック割れは 「つり合いの破れ」により表板が歪んだ事で扁平に変形して、それが下幅広部を左右に押しながら陥没することによって生じたと考えています。

これは15年程前に整備したのちに 私が 販売した 1919年に英国で製作されたチェロなどが 判断の根拠となりました。
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Arthur Richardson  (  Crediton 1882 – Devon1965 )    Cello 1919年

このチェロは製作されてから 83年となりますが 裏板ジョイントが剥がれ‥ ブロック部のひび割れは表板側から入っていますが エンドピン穴までは まだ到達していません。私はボトム・ブロックのひび割れが短いケースでは ただニカワを染み込ませ締め付ける修理を淡々とこなしていましたが、 この時にやっと その原因に関する仮説をたてられたのです。

それから、私が確認できた 逆ぞり変形に伴う疲労破損の最短例も あげておきたいと思います。

これは 1994 年にドイツで製作されたチェロで、私は この年にアマチュア・オーケストラに所属する方に販売しました。  この写真は それから 10 年程たった 2004 年に調整のために持ち込まれた時のものです。

このチェロには テールピース脇の表板にすでに ヒビ割れが ( 矢印①から②まで )入っていました。  そこで私は 表板が割れたのがほかにおよんでいないかを確認するために、クルッと裏返してエンドブロックの裏板側をみました。

そこには下の写真のように 35∼40 mm ほどの フレッシュな割れが 二か所にありました。


このチェロの内部です。 このヒビ割れは下写真に写っているボトム・ブロックの両端からのびていました。新品で使いはじめられてわずか 10年でこの状態になっていたのは 私にとって衝撃でした。

Gustav Franz Wurmer ( Stuttgart )cello 1994年

私は「 歪み 」が裏板割れまで進行するまでは、現代型の設定だと それなりに弾き込んでも 30 年ほどかかるのではないかと推測しています。 しかし その場合でも 疲労の蓄積によって かなり早い時期に逆反り変形 が 発生することがあるようです。

この他にも響胴の歪みが破損につながる事例は 下にリンクを貼った ピグマリウス『 REBIRTH(リバース)』シリーズの事例のように枚挙にことかきません。

このバイオリンは、わずか12年で‥ なぜここまで壊れたのでしょうか?

私は これらの事例によりボトム・ブロック割れは エンドピン起因では無いと確信できたことによって 疲労破壊のメカニズムの仮説に合理性を持たせることが出来たと考えています。

さてここで、参考例として先程あげさせていただいたヴァイオリンの逆ぞり変形を確認したいと思います。このヴァイオリンは上下ブロックと高音側上コーナーブロック、それにライニングなどを入れ替える修理がおこなわれ 水平面( Horizontal )の補正が何度も行われていましたが 結局 この 8年間でここまで変形しました。


それと 製作者についてですが‥  私は このヴァイオリンは  ペグボックスの厚さや 高音側上コーナーブロック以外のオリジナルと考えられる 3つのコーナーブロック、それぞれの側板の厚さ配置、木理配置、などから 200年程前に ウィーンで製作された楽器ではないかと考えています。

古い弦楽器によくある事例ですが、魂柱部を通る割れは 長さ 267.0mmで裏板長の 75%ほどもありました。下図では 赤線がそれにあたります。

ご存じな方も多いように、このような裏板魂柱部の年輪に沿った割れは”オールド・バイオリン”や “オールド・チェロ”などでは それほど珍しくありません。

また、弦楽器が製作された地域や時代もほぼ無関係と 私は考えています。

これらの写真のように ドイツ製のヴァイオリンでも 有名な ストラディヴァリウスでも、下のグランチーノ派が製作したとされるチェロでも 注意深く観察すれば裏板の割れは 容易く見つけられるからです。

まあ‥ ニスの補修でかなり目立たなく出来ている弦楽器も多いようですので 見分けるには多少の訓練が必要かもしれません。

ニス補修では 上写真のように あえてオリジナル・ニス端にグラデーションがつくように 割れから少し離れた位置まで薄くした上で、タッチアップを加えるやり方があったりしますから‥ 。

さて、このヴァイオリン整備につきましては‥  私は 2月9日に表板をはずした段階で、不調の主因は『 ブロックのサイズや 位置の変更、エンドピン穴位置が移動されたこと、それとバスバー設定が調和しなかったため。』と 判断しました。

なお、裏板部は はじめにブロックがはいっていた際から割れてしまったようで黄色ラインで囲んだ部分には割れ補強のために別の板があててあります。


このヴァイオリンは裏板や表板のひび割れなどの状況から製作時には 上図で色塗りした位置にこの厚さで上下ブロックが入っていたようです。つまり、魂柱部の割れはボトム・ブロック端から生じていたと考えられます。

状況から考えれば それを嫌ってだと思いますが ボトム・ブロックはかなり右側にずらしてあります。

そしてまずい事に エンドピン穴も新たに設定したブロック幅の中央に移動されていました。

現代では 下写真のチェロのように 響胴のセンターラインにエンドピン穴を移動する”調整”をおこなっている弦楽器工房は 少なくありませんが‥ これは 音響的には 最悪の結果につながりやすいと 私は考えています。

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私の経験では 製作時の姿をとどめた弦楽器ではエンドピンの上エッジで ボトム・ブロックのヘリにある サドルをエンドピンの位置より少し右側に設定したものが多いようです。

参考資料として ニュルンベルグの 「 ドイツ・ナショナル ミュージアム 」収蔵の オリジナル状態の Leopold Widhalm( 1722~1786  )の 1757年製ヴァイオリンで サドルとロワー・ブロックの関係を X線画像で見てください。


この画像では ロワー・ブロックの下端に突き出したサドルが見えますが、ブロック位置よりあきらかに右側にずらしてあるのが 確認できると思います。

私が知っている  Leopold Widhalm  ( 1722- 1786 ) が 1769年に製作したヴァイオリンでもそうでした。



Duane Rosengard   ” Giovanni Battista GUADAGNINI  –  The life and achievement of a master maker of violins ”  P.289

Egmont Michels  ” Die Mainzer Geigenbauer ”  / Friedrich Hofmeister   P.224

サドルは弦楽器の修理・調整で取り換えられることが多く 上の写真のようなオリジナル状態が保存されている弦楽器はまれで、通常は表板のジョイントやヒビ割れや周りの状況で推測するしかない楽器が多数派です。

私はオリジナルのサドル位置がエンドピンより右側なのが一見してわかるヴァイオリンなどによる状況証拠から 『  ネジレ 』 を積極的に誘発するサドル位置を選んだヴァイオリン製作者は少なくなかったと思っています。

 

 

 

ヴァイオリンには ” 疲労破壊 ” が発生します。 現代ではその原因を ” 強度不足 ” と思い込んだ方が増えましたが 私は違うと思っています。 私の研究では ロワー・ブロック付近の破損は ① ヴァイオリンのバランスが不調和の状態で鳴らしたことにより表板に歪( ヒズミ )がたまり変形が進み ② エンドピン・ブロックと側板の接着部が上からエンドピンに向けて剥がれていくか割れが入るかしてブロックが不安定となり ③ 弦の張力でブロックと一諸にエンドピンが傾き側板にヒビを入れ ④ 枠の支えが弱くなったために表板の歪がより増え大きな割れが入る。という ” 逆ぞリ型破損 “がその典型と言えます。 上写真のエンドピンホールの左右のひび割れもそうして入ったと考えられます。

 

これを知っていると 下写真のヴァイオリンのように埋めてあっても A-B ラインに割れが入っており Cの位置に破損で傾いたエンドピンの食い込んだ跡があることから エンドピンホールは 内円の位置に開いていたとが推測できます。

 

 

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現代では ネックブロック部の “ゆれ軸”についての検証は非常に困難です。

たとえば G.B.ガダニーニ( 1711 – 1786 )が製作した ヴァイオリンの 裏板ボタン部でパフリングが途切れているのを確認したくても 製作時の状況が保たれている楽器はほとんどありません。

それらの多くは『 親切な楽器屋さん 』がパフリングの途切れた部分にミゾを彫り込み‥ 『 復元? 』された状態に変えられていると私は思っています。


これは‥ 上の写真のように 彼のヴァイオリンは パフリングを途切れさせているだけでなくその外側幅( パフリングとアウトラインの幅 )を R側が L側( G線側 )より幅広とするなど その差を意識し、しかも裏板中央軸部( たてスジ状の工具痕跡 )に合わせてきちんとスペースを空けてヴァイオリンを製作したことを示す弦楽器が数台ですが 現存していることから判断しました。

また、このように製作時の状況をとどめていない楽器でも 後世の人がパフリング・ラインを連結させようとしてもスムーズに繋がらなかったものがその状況証拠となりえると私は 思っています。


これらのヴァイオリンの継ぎ足されたパフリングを目にするとき、私は『 オールド・バイオリン 』の整備を本来は 楽器性能としての基準であたるべきところを 担当者が仕組みが分らなくて” 工芸品基準 “で判断してしまった悲劇であると思います。


現在 “オールド・バイオリン”などの弦楽器の多くに こういった設定がされていることは 本当に悲しいですね。

 

ともあれ‥ 私は 単に弦楽器取引のための 差別性を目的とした弦楽器の鑑定は 近い将来に意味をもたなくなると思っています。

真の意味での鑑定は、その弦楽器が 製作時の音響性能をどの程度 維持できているかの側面から判断され 評価されるべきなのは‥ 皆さん異論はない筈だからです。

 

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