”加熱痕跡”はいつ付けられたのでしょうか。

前の章からの続きになりますが、私が加熱痕跡から何を読み解いているかについてお話ししたいと思います。
私が 加熱痕跡の読み方について確信を得たのは 15年程前にこのヨーゼフ・アントニオ・ロッカ(1807-1865)が製作した、このヴァイオリンに出会ったからです。

この楽器は 製作されてから まだ150年程しか経っていませんが 表板、裏板ともに肩の位置などにキズ状の加熱痕跡があったり、あご当て部と右肩部にも大胆な加工がしてありました。

私はそれまでもキズ状のものは全て確認するようにしていましたが、”オールド” に入っているその数は『 数えきれない‥。』と思うこともしばしばでした。

これは ヴァイオリンの歴史として” 1500年代半ばに登場し1700年前後には黄金期を迎え、弦楽器製作者が 技術の粋を尽くして 沢山の名器が製作されたものの、 スペイン継承戦争でフランスとオーストリアの領地争奪戦に巻き込まれたロンバルディアの諸都市は言うまでもなく、ヨーロッパ世界を恐怖に陥れたペスト禍や 相次ぐ戦争が 弦楽器製作の世界にも影をおとし、18世紀末までに急激にその製作者数が減少し‥ ついには絶えてしまった。” とされている影響だったと思います。

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
Cremona 1791年 “ex Havemann”  [ Wurlitzer collection 1931 ]
( Photo : Jiyugaoka violin  1998年 )

“オールド・バイオリン”を目にした時、頭のなかに『 やはり300年くらい前の楽器は、現代まで受け継がれる間にはひどい目に遭ったはずだから‥。』という発想をもつと 単純な思い込みに陥るようです。

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
“ex Havemann” ( Bein & Fushi inc. 1981年 )

その私が はじめて”オールド・バイオリン”のすり減ったりキズ痕だらけの様子に『 あれっ?』と違和感を感じたのは、 20年ほど前にクレモナ派の実質的な最後の継承者である G.B. チェルーティが製作した このヴァイオリンを扱ったときでした。

このヴァイオリンは モーツァルトが死去した1791年にクレモナで製作されたもので ”ex Havemann ” のニックネームを持っていて、すでに 1931年には ニューヨークのウーリッツァー商会が出版し公表した有名な ”ウーリッツァー・コレクション”で写真付きで掲載されている名器です。

私が目にした1998年は、この楽器が 1791年に製作されてから 207年ほど経っていたわけですが、私の知っている どの G.B. チェルーティより”キズ痕”が多いうえに、それらは人為的につけられた気配が濃厚でした。

なお、このヴァイオリンには 1939年に発行された レンバート・ウーリッツァー社 ( Rembert Wurlitzer Co.、) の写真添付の正式な鑑定書もついていて、その時点での様子をある程度は推測できました。

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
“ex Havemann” ( William Moennig & Son   1958年 )

また、この他にもフィラデルフィアの著名ディーラーだった ウイリアム・メーニック ( William Moennig & Son ) が 1958年に発行したものと、シカゴの Bein & Fushi inc. が 1981年に発行したものも含めて鑑定書はあわせて3通もついていました。

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
Cremona 1791年 “ex Havemann” ( Rembert Wurlitzer Co. 1939年 )

それで私は このヴァイオリンの”キズ痕”を順に確認してみました。もちろんですが 1998年は製作されてから 207年、1981年は 190年経過を意味し、1958年は 167年で 1939年は 148年、そして 1931年は 140年しか経っていなかった‥  ということを踏まえた上での話です。

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       1958年 ( 167年経過 )                                  1939年 ( 148年経過 )

さすがに 1939年や 1931年の写真では 外周部がだいぶん不鮮明ですが、それでも駒やF字孔周りの加熱痕跡はしっかりと写真に捉えられていました。

では‥ このイタリア、クレモナで1791年に製作されたこのヴァイオリンの「キズ痕」はいつ入ったのか?

ヨーゼフ・アントニオ・ロッカ(1807-1865)のヴァイオリンに出会ったのは、私が  G.B. チェルーティ作のヴァイオリンと出会った後に さらに5年程の歳月があり、その間にも多くのオールドやモダンの弦楽器を目にしたことによって『  製作時にはじめから入れられていた。』という結論を探っていたタイミングでした。

さて 話が長くなり恐縮ですが、 ここで製作されてから 100年ほど経過したヴァイオリンのこともお話ししておきたいと思います。

( Photo : Jiyugaoka violin  2012年 )

これは 1910年に ミラノで  レアンドロ・ビジャッキ( Giuseppe Leandro Bisiach  1864 – 1945 )氏が製作したヴァイオリンです。

これは所有者の方が 25年程前に 当時 ‥ 一般的に認識されているレアンドロ・ビジャッキ作 ヴァイオリンの販売価格の 2倍くらいの値段で購入されたもので、私は 翌年の 1992年から整備を担当しています。

すばらしい事にこのヴァイオリンは ブリュッセルで開催された 万国博覧会にイタリアから出品され、ゴールド・メダルを受賞した製作当初の状況が 私がこの写真を撮影した 2012年までの 102年間ほぼそのまま保たれています。

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )   violin,    Milano  1910年

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano  1910年
( Photo : Jiyugaoka violin  2012年 )

なぜ そう言えるかというと、このヴァイオリンは万博のコンペテーション部門の展示作品なので、1910年に撮影された新品状態だった時の写真が残っているからです。

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano 1910年
( Expo 1910 de Bruxelles,  Photo : 1910年 )

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano  1910年
( Photo : Jiyugaoka violin  2012年 )


Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano  1910年
(   Expo 1910 de Bruxelles,  Photo : 1910年  )

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano  1910年
( Photo : Jiyugaoka violin  2012年 )

 

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano  1910年
(   Expo 1910 de Bruxelles,  Photo : 1910年  )

因みに、ブリュッセル万国博覧会は 1910年 4月23日から 11月7日までベルギーの首都ブリュッセルで開催された国際博覧会で 会期中に 1300万人が来場したそうです。

この博覧会にイタリアから出品されたレアンドロ・ビジャッキ(  Leandro Bisiach  1864 – 1945  )が製作したヴァイオリンのラベルには 1910年にミラノで製作したと書かれています。

これはおそらく 4月からの万国博覧会出品のために前年にはあらかた完成していたヴァイオリンに このラベルを貼って仕上げたためではないかと 私は推測しています。

そして、このヴァイオリンは 二つの世界大戦や恐慌などの時代を乗り越えて 戦後のいつかは判然としませんが、遅くとも 1990年頃には日本に運ばれていて、購入された後はそのまま東京で所蔵されることになった次第です。

私は このヴァイオリンの実物と、 ブリュッセル万国博覧会に出品された時の新品写真、そして 2012年に私の工房で撮影した写真を詳細につき合わせてその差異を確認しました。

その結論として、このヴァイオリンは 指板の左右表板の『  演奏キズ  』や 表板C字部中央付近の『  弓の打撃痕  』、そしてそれ以外にも縁などについている『  キズ状  』の加熱痕跡も製作時の加工によるもので、裏板やヘッドのニスが剥がれている景色も 製作時に加工されたことが確認できる貴重なミント・コンディションの楽器であると確信しました。

そして 加熱痕跡のようすから考えると、レアンドロ・ビジャッキ( Giuseppe Leandro Bisiach  1864 – 1945 )氏も “オールド・バイオリン” のキズ痕や ニスの剥離した景色は「 製作時にはじめからそう作られていた」と判断して、それに学びながら弦楽器を製作していたと 私は考えることにしました。

Andrea Amati ( ca.1505–1577 ) Cremona,  Violin 1555年頃

そして、ここで やっと 加熱痕跡の読み方の話しに帰ってきます。

上にリンクを貼ってありますが、私が 第4章で触れた アンドレア・アマティが 1555年頃に製作したと考えられるヴァイオリンの裏板に点々と入った加熱痕跡についての考察です。

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G.B. チェルーティ ( Giovanni Battista Ceruti  1755-1817 ) が 207年前の1791年に製作したヴァイオリンや、レアンドロ・ビジャッキ( Giuseppe Leandro Bisiach  1864-1945 )氏が 82年前の1910年に製作したものなど、加熱痕跡があるヴァイオリン達に学んでいた私は 2003年に153年程前に製作された 前出の ヨーゼフ・アントニオ・ロッカ(1807-1865)のヴァイオリンに出会いました。


そして 精査した結果いくつもの状況証拠により、私はこのヴァイオリンにある このような加熱痕跡も『 製作者本人が製作時に 加えたもの。』と判断しました。

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Gaspar da Saló   /  Violoncello

“オールド・バイオリン”などに見られるキズ痕について。

私達が “オールド”と呼びならわしている弦楽器のなかに『どうして このキズがついたのだろう?』と不思議に思える楽器があります。


Andrea Amati ( ca.1505–1577 )   violin,  “King Charles Ⅸ” ( Ashmolean ) 1564年

そこで、私は これらのキズの特徴を調べてみました。
その結果 これらのキズ痕に見えるものの多くが、焼いた金具や針状のものでつけられていることを見出しました。
それから 私はこれを 加熱痕跡と呼ぶことにしました。

因みに”オールド・バイオリン”を検証すると 同一の製作者でも 加熱痕跡が多い弦楽器と そうでないものを作ったことが分りますが、私は 前者こそが 弦楽器特性を確認する上で重要と考えています。

なぜなら 私はこの加熱痕跡を 理想的な響きを生みだすための “木伏”として捉えているからです。

木工の世界で “木伏”としての技術は現在でも受け継がれています。シンプルなものとしては下の動画にあるように 木材を火で焼き焦がすなどの熱処理があります。
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火にかざすシーンは 3分36秒辺りからです。 ( 4分39秒 )

また、『 焼き杉 』の板壁もそうです。 新建材が普及するまでは 防腐加工として表面が焦げる程度に焼き、その後にススを落として磨き込んで艶を出すなどの加工をして土壁などの外側に被せて化粧壁として利用されていました。

 

風雨にさらされる建築物では 焼いたまま使用することもあったようです。

今日ではめずらしくなりましたが 焼き杉は 伝統的な建物の外壁材でした。杉板の表面を焦がして炭化状にしておくことで火を付きにくくして 耐火性能を高めることが出来たり、 雨風にさらされる外壁の耐久性を高めることが出来ることはかなり昔から知られていたようです。

それから‥この浮世絵は 葛飾北斎、歌川広重らと同時代に活躍した歌川国芳( 1797 – 1861 )が1831年頃( 天保2年 )に製作した「東都三ツ股の図」です。

隅田川の中州から深川方面を眺望する構図で 川にはシジミ取りの舟が浮かび、 手前の中州では船底を焼く様子が描かれています。 これは虫害・腐食の防止のためにフナクイムシを退治する方法である『 船蓼(ふなたで)』作業だそうです。

フナクイムシはフナクイムシ科の二枚貝で貝殻は1センチにも満たないもので 体の一部だけに被っていて、体は貝殻から外に細長く伸び 成長すると1メートル前後にも達するそうです。

恐ろしい事にこのフナクイムシは ヤスリ状になっている貝殻の前部を動かして船底外板に穴を掘り木質部のセルロースを消化しながら深く侵入するため、ついにはこの穴から浸水したり船体に亀裂を生じさせるなどの被害をまねきます。

ですから木造船にとって この『 船蓼(ふなたで)』という船底の熱処理は重要であったことがわかります。

これは、サントリー白州醸造所の見学コースを撮影したもので ウイスキー樽の『リチャー』とよばれる再利用工程だそうです。

私達の日常には 多くの木材が用いられていますので このウイスキー樽の『リチャー』のように、あまり目立たない場所でも 木材の加熱加工は受け継がれています。

http://www.kagakueizo.org/create/other/426/

お琴の製作工程にも 加熱加工である焼入れ工程があります。これはいささか古い映像で恐縮ですが、7分6秒辺りからがそれにあたります。(16分20秒 )


最近(2014年)の動画でいくと、この製作工程を紹介する番組では焼き作業は 5分55秒あたりから出てきます。( 14分00秒 )

これらの動画にもあるように琴や鼓、三味線などでは木材の加熱加工以外にも 良い響きをうむために響胴に 綾杉彫りや 子持ち綾杉彫り、すだれ彫りなどの立体的形状の工夫が施されているそうですが、 番組中でも 加熱加工である『 焼きは 琴の品質を左右する最も重要な工程。』と説明されています。

Here Charles Bazin is cambering a stick.
In Mirecourt the bowmakers would go to the bakery when they swept the coals out of the oven. They would fill an old ‘Marmite’ or Dutch oven with coals and use them for cambering. I use an old fashioned hotplate with an exposed element to give the same even heat but in other traditions an alcohol lamp is used as well.

This is a great photo of the archetier Joseph Arthur Vigneron.  Vigneron was born in Mirecourt and trained with his step father Claude Nicholas Husson.  His early work is indistinguishable from the work of his master.  In 1880 he relocated to Paris to work for Gand & Bernadel.

そして‥ 我らが 楽弓のスティック( 棹 )で施されている ベンディング ( 熱処理工程 ) が意味していることを 改めて考えてみるのはどうでしょうか?


Making a Violin Bow /  Bending the Stick( Reid Hudson )

写真のように 19世紀末にフランスで弓製作者として知られていた Charles Bazin ( 1847-1915 )と、1880年から Gand & Bernadelの工房で弓製作をしていた Joseph Arthur Vigneron ( 1851-1905 ) の 作業台にも スティックの加熱加工のために 石炭が入れられた容器が置かれています。

Vigneron の小さい容器には この写真が撮影されたときに ニカワの湯煎ポットが置かれていますが、写真で作業台の手前側にある窪みがベンディングの際にスティックを曲げるために使用した跡と考えられますので、彼も ベンディング作業中の Bazin と同じように この石炭容器を 加熱加工のための熱源として使用していたようです。

現代の楽弓製作者も スティックの ベンディングのための熱源こそ 電熱ヒーター、アルコールランプ、ヒートガン、ブタンバーナーなどと選択肢は増えましたが ペルナンブーコ材などに加熱加工を施すことによって弓の特性が向上するように工夫しています。

 

私はこのように木材を素のままではなく加熱加工や雨ざらし、蒸気加工、可塑剤の塗布、剛性差を生むための立体的形状の工夫、そして高度な木組みなどの人為的行為によって素材特性を変化させ利用する技術を ”木伏”と捉えることにしています。

特に、加熱加工はこのような木材の多岐にわたる利用のなかで経験則から最終的に確立された高度な技術であると思っています。


Georg Klotz (1687-1737),  Mittenwald 1730年頃

さて‥ 弦楽器においての加熱痕跡ですが、これを理解するためには 例えば このクロッツのように 表板全体に施されたものから それらの関係性を読み解く糸口となるキズ痕を確認していくことが大切になります。


なお、加熱痕跡のうちスジ状のキズにみえるものは 立体的表面形状の特性をととのえる目的で用いられている可能性がありますのでより慎重に観察する必要があります。

例えば、ヴェネチアで マッテオ・ゴフリラーが製作したとされるこのヴァイオリンで スジ状のキズを見て下さい。


私は このキズ状の加熱痕跡は製作者本人が このヴァイオリンを作った時に入れたもので間違いないと思っています。 それは次の 撮影光線角度を工夫した写真により 皆さんにも納得していただけると思います。


この写真でわかるように「キズ」に見えたスジは傷がつきにくい窪みの底にあたる“谷線”に入っています。 これが加熱痕跡が偶発的なものでないと理解していただくための状況証拠です。

そして申し添えれば このようなF字孔の加工は マッテオ・ゴフリラー の独自のものではありません。

ここでは類似事例として Walter Hamma が1986年に出版した “ Violin-makers of the German School from the 17th to the 19th century ”の vol.Ⅱの125ページに掲載されている Johann Adam Popel ( Ende 17.~Anfang 18.)のビオラの写真をあげさせていただきます。

この楽器は  Bruckで1664年に製作されたものとされています。
ご覧のように 右側F字孔に2本のスジ状のキズ が入っているのが とても際立っています。

右側F字孔はその響のなかで特に高い音域を担当することが多いようですので、このように加工された弦楽器を 私は興味深いと思っています。


なお、 “オールド・バイオリン”の製作者は F字孔に複雑な振動をさせるために スジ状のキズ より下の写真のような彫り込みによる立体的表面形状を 枢要な条件設定と考えたようで、F字孔にこのようなスジ状の加工まで施された楽器はまれにしか見つかりません。

Andrea Guarneri ( 1623 – 1698 ) violin,  Cremona 1658年

Front of the Guarneri del Gesù

Antonio Gragnani    violin,  Livorno

それでも、このキズの有無はほかの加熱痕跡とあわせて考えることで状況証拠として音響性能を推測するのに役立つのではないでしょうか。

Ignatius Christianus Partl ( 1732-1819 )   violin,  Wien 1760年頃

下にあげた写真は ミラノで弦楽器製作を栄させた Carlo Giuseppe Testore( 1660~1738 )の息子で同じく ミラノ派を代表する Carlo Antonio Testore( 1687~1765 )が 1740年頃に製作したヴァイオリンのものです。

このヴァイオリンの右側F字孔にもスジ状のキズ があります。 これをその下にある 角度を変えて撮影した写真と比べてみてください。

この写真でスジ状のキズに見えた線は 谷線として刻まれていることがご理解いただけると思います。


もう一度正面から位置関係を確認してみましょう。
そうすると先程ご覧いただいたスジ状のキズ以外の 加熱痕跡、特に直線的に並んでいるものが 意志的に見えてくるのではないでしょうか。


このように調べていった結果‥ 私は 右側F字孔の加熱痕跡についての典型事例として、アマティ兄弟が 1629年に製作したとされるこのヴァイオリンにたどり着きました。

右側F字孔部には 加熱痕跡がたくさんみられますが、ほかの部分は少し抑制的な印象をうけます。このコントラストこそ 製作者が 視覚的要素より聴覚的情報を頼りとして、このヴァイオリンを仕上げたことを暗示しているのではないでしょうか。

そういう切り口から考えて、私は このヴァイオリンの加熱痕跡は  理想的な響きを生みだすための “木伏”の見本だと思っています。

Antonio e Girolamo Amati  violin,  1629年


このように入念に加えられた加熱痕跡は、当時の製作者の技術能力の高さを 今に伝える貴重な状況証拠と言えるでしょう。


それから、余談ですが‥ このような加熱痕跡がある弦楽器を 私は特にアマティ工房の名器に多数見るように思います。

例えば ジローラモ・アマティの息子である ニコロ・アマティが 1640年以降に製作したとされる このヴァイオリンもそのひとつです。

Nicolò Amati ( 1596–1684 )   Violin 1640年

私は このヴァイオリンは本当に『すばらしい!』と思います。

 


Nicolò Amati ( 1596–1684 )   Violin 1640年以降

 

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恐縮ですが 続きは こちらです。

 

 

 

 

2018-1-26                Joseph Naomi Yokota