ヴァイオリンの 『 パティーナ技術 』 についてのお話しです。

オールド・ヴァイオリンの 制作技術のうちで 表板と裏板の「 へり 」の厚さの設定についてお話しいたします。 まず ピリオド楽器と言われる ヴァイオリンの画像で表板と裏板の「 へり 」の厚さをみてください。

Andrea Guarneri  ( 1626 – 1698 ) Cremona  1658 年
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Pietro Giovanni Guarneri ” di Mantova ” ( 1655 – 1720 )  1704 年

Nicola Gagliano  ( c. 1675 – c. 1763 ) Napoli  c. 1725 年

Giovanni Battista Guadagnini  ( 1711 – 1786 ) Piacenza  c. 1745 年

Giuseppe ( 1726 – 1793 ) &  Antonio ( 1728 – 1805 ) Gagliano    Napoli   1754 年

さて これらの ” オールド・バイオリン ” と 現代型との間には表板と裏板の「 へり 」の厚さの設定だけでも大きな違いがあります。 この例として 現在はミラノの弦楽器製作者として有名な ガリンベルティ さんが1942 年 に製作したヴァイオリンの写真を下に引用させていただきました。

Ferdinando Garimberti  ( 1894 – 1982 )  Milano   1942 年

 ガリンベルティ さんは15 歳になる 1908 年に アントニアッチー兄弟  ( Riccardo Antoniazzi  1860 – 1913 , Romeo Antoniazzi  1862 – 1925 )の工房で修業を始めました。 アントニアッチー兄弟はクレモナの Giuseppe Ceruti  ( 1787 – 1860 )と Enrico Ceruti  ( 1803 – 1883 ) のもとで修業した父親 Gaetano Antoniazzi ( 1825 – 1897 )に学んだ弦楽器製作者兄弟です。 その後 モンツィーノ MONZINO ( Founded 1750 ~ 1940 )と、ビジャッキ工房  Bisiach  laboratory ( Leandro Bisiach  1864 – 1946 ,  Carlo Bisiach 1892 – 1968 ,  Leandro Jr. &  Giacomo Bisiach  )で 経験をかさねました。そして 1963 年から 1966 年まで クレモナのバイオリン製作学校 (  the International School of Cremona )で弦楽器製作を指導しました。

ガリンベルティ さんはこの1942 年に製作したヴァイオリンの表板と裏板の「 へり 」の厚さ(  4.5 mm / maximum width   )になる前には、モダン・イタリー型を製作していました。

Carlo Antonio Testore  ( 1693 – 1765 )   Milano  c. 1740 年

これを理解するために オールド・ヴァイオリンから順番に整理してみると、上にあげた ミラノの名工 Carlo Antonio Testore ( 1693~1765 )が 1740 年頃制作したヴァイオリン( 表板アーチ 20.5 mm で、コーナーを除く 表板と裏板の「 へり 」の厚さは 2.6 ∼ 3.3 mm です。  )にみられるように エンド・ブロックの付近に “ 節 ” 状の起伏が彫り込まれています。 因みに このヴァイオリンのように ミディアム・ハイ・アーチの表板の場合は 響胴の動きをコントロールするために 起伏が強く作られている場合が多いようです。  そして モダン・イタリーでは 下写真のプレッセンダーにみられるように 少しフラットぎみの表板 ( このプレッセンダーの表板アーチは15.8 mm 、コーナーを除く 表板と裏板の「 へり 」の厚さは 3.0 ∼ 3.5 mm です。)のヴァイオリンでは 「 へり 」 をふくめてわずかな起伏や厚さの差を利用して響胴の動きが整えてあります。

Giovanni Francesco Pressenda ( worked 1777 – 1854  ) Torino  1837 年

 

 

ガリンベルティ さんが1925 年に製作したヴァイオリンです。 (  表板、裏板とも「 へり 」の厚さ 4.0 mm / maximum width です。) 表板と裏板の「 へり 」の厚さをプレッセンダーのヴァイオリンと比べてみてください。

Ferdinando Garimbert  ( 1894 – 1982 )  Milano   1925 年

 下の写真で分かると思いますが 5年ほど経った1930 年には裏板ブロック部の「 へり 」の厚さがふえます。 ただこの時期は表板側の設定は 1925 年に製作したヴァイオリンとそれほど変えた感じはしないと思います。 (  表板、裏板とも「 へり 」の厚さ 4.0 mm / maximum width です。)

Ferdinando Garimbert  ( 1894 – 1982 )  Milano   1930 年

 ところがそれから12年後の 1942 年には( はじめの横から撮影した写真と同じヴァイオリンです。) その厚さの差が少なくなるとともに、表板と裏板の「 へり 」の全体の厚さが増やされています。(  表板、裏板とも「 へり 」の厚さ 4.5 mm / maximum width です。)

Ferdinando Garimbert  ( 1894 – 1982 )  Milano   1942 年

ではここから、なぜ ガリンベルティ さんが1925 年、1930 年そして 1942年と表板と裏板の「 へり 」の全体の厚さが増やしたのかについて 私の推論を書かせていただきます。

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私はヴァイオリンの響胴は A.ブロックを含む表板、裏板の「 へり 」と側板部  と   B.共鳴振動板の役割をうけもつ表板、裏板とF字孔まわり の関係で バランスをとってあると考えています。  そして、このバランスがとれていない状態 ( 鳴らしたときのレスポンスが悪い状態 )で 鳴らすと歪みが表板に溜まり それが表板を変形させ『 逆反り変形 』が起こると考えています。 下の写真は ジエノヴァに展示されている有名な 『 カノン ( IL CANNONE ) 』です。 エンドピンのすぐ上の側板継ぎ目が V字型にすこし開くとともに、 エンドピン右側 15 mmほどの内側ブロックの境目に沿って 縦にヒビ割れが入っています。

このように真後ろから水平にしたヴァイオリンの響胴をみたときに 「 ハ 」の字型に変形するのを 弦楽器の世界では『 逆反り変形 』といいます。 下のヴァイオリン( a. ) もエンドピン部の側板ジョイント部が V字型に割れて『 逆反り変形 』しています。

 

この『 逆反り変形 』は第一段階がエンドピン側からみて「 ハ 」の字型の変形が生じ、第二段階が下のヴァイオリン( a. )の 真横からの写真のように やはり「 ハ 」の字型に変形してしまいます。

 

このような『 逆反り変形 』をした弦楽器のエンドピン部のV字型の割れは当然ブロックが割れたことで生じたものです。 そして表板の疲労が進行すると 下の( b. )のヴァイオリンの裏板にある Crack ① ~ ③ の割れのように 裏板が破損する段階まで至ります。

上写真( c. )のヴァイオリンのように ブロックの中央位置で割れたブロックをみると エンドピン・ホールやサドルを主原因と考えられる方がいらっしゃるようですが、あくまで破損の主原因は表板の疲労変形です。 下に 1919 年という微妙な昔に製作されたチェロのブロック写真を参考にあげました。 表板側から発生したヒビ割れ( 長さ 39 mm )がエンドピン・ホールまであと 9 mm のところで止まっています。  それから もうひとつ重要なのが このチェロのブロックもそうですが表板の疲労変形による割れは Aから Bに向けて進行します。因みにこのチェロの A、 B間のブロック厚みは 30 mm+1.8 mmで、 A側は 1 mmほどひらいていますが B部分を外側からみても分かりません。

 

この例として先ほどの ( c. )のヴァイオリンブロックを上から撮影した画像を下におきました。 このヴァイオリン表板の疲労変形によるブロック割れも内側は 1.5 mmほどひらいていますが B部分を外側からみてもほとんど割れは見えません。

 

 

さてここまで説明させていただいた『 逆反り変形 』型の弦楽器の疲労破壊メカニズムを[ A. ]∼[ K. ] まで順に整理してみたいと思います。

[ A. ] バランスが不調和な ヴァイオリンを鳴らすことで  注)1 表板が疲労変形をします。   [ B. ] エンドブロックのテールピース側に割れが入り、少しずつ進行します。  [ C. ]  表板のアーチにもよりますが 割れがエンドピン・ホールを越えたタイミングで表板のエンドブロック左右のどちらか ( C、 D )の位置に【  私の経験では左の C 側にヒビが入る確率が 70% で、右側の Dの方が 30% くらいだと思います。これは響胴のいくつかの条件が関係しますがネックの方向の影響がもっとも大きいようです。 】 ヒビ割れがはいります。

[ ブロック右側( D )割れの実例 ]

[ ブロック左側( C )割れの実例 ]

[ D. ] エンド・ブロックのヒビ割れが裏板に到達しエンドピン上の側板ジョイント部( B )が外から見て分かるくらいの V字型ヒビ割れとして開いていくか、エンドブロック左右端にあたる側板部 ( C、 D )のどちらかにヒビが入ります。  [ E. ] これにより表板の支えがより不十分となり はじめに表板に入ったヒビ割れが進行するとともに、新たなヒビ割れが入ります。  [ F. ] これらの破損により膠( ニカワ )で接着してある エンド・ブロックと側板か、エンド・ブロックと表板の接着面が剥がれてきます。  [ G. ] ここまでの表板と エンド・ブロック、側板の破損によってエンド・ブロックと裏板の接合部に ヒビ割れが1~3本入ります。 これは前出のヴァイオリン( b. )の裏板にある Crack ① ~ ③の ヒビ割れ破損を参照して下さい。

注)1  当然ですが鳴らさないとこの疲労変形は起こりません。 因みに、アーチが高いタイプで レスポンスが悪くて遠鳴りしていないという条件がそろったヴァイオリンだと 『 疲労 』が蓄積しやすいようです。  オールド・ヴァイオリンによくある アーチが高いヴァイオリンは高性能な設計で、結果として『 アソビ 』が少なくしてあるためにバランスが不調和な状態で使用すれば短期間で 『 疲労 』が進行しやすいようです。 それと、アイロニーなことですが演奏能力が高ければ高いほど響胴を激しく動かしてしまうために分かりやすい結果がでてしまいます。
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これにまつわるお話しとして 1903年から1926年まで ベルリンの音楽大学で教授をつとめて後世のバイオリン演奏に大きな影響をあたえた ハンガリー人のバイオリニスト カール・フレッシュ ( Carl Flesch  1873 ~ 1944 )さんが 1923年から1928年にかけて出版した 『 ヴァイオリン演奏の技法 』の翻訳版 佐々木庸一訳 音楽之友社刊( 絶版 )の 4 ページより参照のため引用させていただきます。
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【 … 特に温かい演奏会場で、ヴァイオリンに大変強い要求がなされる場合、ヴァイオリンが疲れたような、弱い響き方をすることがある。 このような場合には、絃の調子を一オクターヴ下げて、表板に対する絃の圧力を、二十四時間減少することを奨める。 こうして薄い板に対する大きい負荷が、一時的に取除かれたならば、楽器は改めて深い息をしたように思われ、今までにない新鮮な音をもって演奏者に報いるだろう。 】

[ H. ] ここまでに入った表板、エンド・ブロック、側板の割れが 時には『 パーン!』という音とともに一気に長くなったりしながら進行すると、下の( d. )のヴァイオリン裏板のように( 中央寄りの割れの長さは 28 cm です。)裏板側も一気にヒビ割れが伸びてしまうことがあります。

[ I. ] 不幸の連鎖ですが これらの疲労破損が進行するときに 魂柱が立つ位置の表板と裏板の空間( 高さ )が少しずつ狭く( 低く )なっていきます。 しかし魂柱は圧力が強くなってもほとんど縮まないので、結果として表板や裏板にめり込むかたちになります。 これを私は 『 慢性的自殺 』と呼んでいますが 緩慢なスピードで窪みが深くなっていきますので、初期から中期にかけては下の写真 e. ( チェロ )と f. ( ヴァイオリン )のように表板の割れにならない場合が多いので、楽器の外見を調べても発見できない場合が多いようです。

 

 

ヴァイオリンのアーチの条件などにもよりますが 表板の魂柱部の窪みは下写真のヴァイオリン f. のように魂柱横の厚さが 3.2 mm で、魂柱部の厚さは 1.9 mm になることすらあります。 ( 1.3 mm めり込んだようです。) この段階でも 魂柱割れ( Soundpost crack )は入っていません。

 

下の2枚の写真は 参考のために上のヴァイオリン f. の内側にサランラップを貼り 四角い木の台座に厚塗りした粘土状樹脂で 魂柱部の窪みの型をとったものです。 サランラップですこし不明確にはなりましたが直径 8 mm 程の窪みが凸型で確認できると思います。

表板の疲労変形が生じているヴァイオリンは ちょっとしたことで魂柱が倒れたりします。 下の型は別のヴァイオリンから同じくサランラップ越しにとったものですが、過去に調整を依頼された楽器屋さんが 魂柱を外に引っ張ったり、場所を変えてたてた跡が10ヶ所ほど残っていました。  あまりに頻繁に魂柱が倒れるのでかなりきつくいれたようでよく見るとサランラップ越しなのに表板のスジ状の年輪と直交するかたちで魂柱の断面にあった年輪のあとがクッキリ残っています。

 

 

さて、ここまでの説明をご理解いただけた方に 『 ヴァイオリニストの苦しみがわかる写真 』をご紹介します。  ご存じな方も多いでしょうが まず著名なヴァイオリニストである ヤッシャ・ハイフェッツ さん( 1901 ~ 1987 )が 1945 年に ニューヨークにある カーネギー・ホールで チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を演奏する動画をごらんください。

http://www.youtube.com/watch?v=gwEbOoVIwak&search=violine

この 1945 年の演奏会で 45歳のハイフェッツ さん( 1901 ~ 1987 )が使用しているのが イタリア・クレモナの巨匠である ガルネリ・デル・ジェズ ( Bartolomeo Giuseppe Guarneri  1698 – 1744 )が 1742 年に制作したとされている ” ex David ” のニック・ネームをもつ ヴァイオリンです。 このヴァイオリンを彼は 1922 年に ベルリンとニューヨークで楽器商をやっていた Emil Herrmann さんから購入し最後まで保有し続けたそうです。  ところが このヴァイオリンは カーネギー・ホールでの演奏会からわずか5 年後の 1950 年には修理が必要となり、カリフォルニアのヴァイオリン工房( Benjamin Koodlack )で大修理をしています。

 

古いモノクロ写真ですが 表板の魂柱位置に魂柱がめり込んでついた深い窪み( Sound-post hollow )が写っています。 それから エンド・ブロックにはヒビ割れ ( Crack )が認められます。 ここまで私の話を読んでくださった方には、この2ヶ所の疲労破損の意味はご理解いただけると思います。 このヴァイオリンは満身創痍だったようです。  因みにこの不具合の原因の一つはバスバーであると私は考えています。 これは制作者の意図を解さない後世の人が バスバーをイレギュラーな場所に入れてしまったのがこの写真でも判断できるからです。 このヴァイオリンの胴長は 354.0 mm で ボディ・ストップが 198.5 mm となっており、2つのF字孔間は 42.5 mm  だそうです。 このバスバーの特徴は上の写真で ” Overhang ” と指摘した場所が下にあげた類似のバスバー写真のようになっていることです。

   

経験を積めば気がつくことですが、F字孔の上にかかるようにバスバーを入れると ヴァイオリンの響きのうち 「 高音域 」は少し騒がしくなり、「 中音域 」と「 低音域 」の楽音の輪郭が不鮮明となってしまいます。  このバスバーのもう一つの特徴は エンドピン側が明らかに長く、エンドブロックとバスバーの空間が狭くなっていることです。  このバスバーを入れた人は このゾーンを ” 強化 ” しようと思ったのかもしれませんが、私は このヴァイオリンを鳴らす演奏者は駒より自分側の表板の音を聴くのが難しかった可能性が高いと考えています。 注)2  私は 1995 年の1月発行 ” The Strad ” の 「 The Heifetz legacy 」 47ページ に掲載されたこの写真を目にした途端 『 あっ! 気のどくに …!』 と叫んでしまいました。 まあ、バスバーについては解説が長くなってしまいますので … また次回にお話ししようと思います。

注)2 ヴァイオリンを演奏する方でしたら 『 左右のF字孔を中心として表板全体が発音し、眼を閉じてならすと自分の顔の前の空間に球体状の波源が出現しているような感じ … 。』とか 『 駒の手前側の表板は鳴っているけれど、駒より向こうが鳴っていない感じ …』というような表現は理解していただけると思います。 私は この時のハイフェッツさんのガルネリは 『 E線やA線を弾くと駒の向こうから音がでる感じで、高音域は少し騒がしく、中、低音域のレゾナンス音が少ない。』 と感じられた可能性が高いと考えています。

[ J. ] 魂柱部の窪みは ヴァイオリンの組み上げ作業で魂柱をいれる際など比較的早い段階で発見され、下の 1764 年のヴァイオリンのように修復が試みられます。

[ K. ]  ところが 『 疲労 』の原因がみつけられないと下のヴァイオリンの表板のように 最終段階で表板や裏板の魂柱位置が割れて ( Sound-post crack )しまいます。 悲しいことにこれは 何度修復しても 鳴りが鈍くなったと感じたときなどに調べてみると、再度 割れが見つかったりします。 これが 『 逆反り変形 』型の 疲労破壊の典型例です。

このヴァイオリンは魂柱位置のヒビ割れなどを直すためにはじめは 「 ベル・パッチ ( Chest Patch )」が入れられましたが 10 年ほど後にまた魂柱割れが開いたため 「 サウンドポスト・パッチ ( Soundpost Patch)」が再び入れられることになりました。

この他にも 『 逆反り変形 』型の 疲労破壊には、バスバーの付け根に歪みが集まり表板が割れてしまうものや、F字孔上下に ヒビ割れが入ってしまうものなどがあります。

さてヴァイオリンなどを演奏する方には 『 恐ろしい話 』 が続きましたが、 私は それこそが ガリンベルティ さんが表板と裏板の「 へり 」の厚さを増やした理由なのではないか …? と 考えています。  気付かれた方も多いでしょうが 冒頭にあげさせていただいた、ガリンベルティ さんが 1925 年に製作したヴァイオリンは(  表板、裏板とも「 へり 」の厚さ 4.0 mm / maximum width です。)すでに『 逆反り変形 』が起こっています。

私は いくつかの状況証拠から  ガリンベルティ さん(  Ferdinando Garimbert   1894 – 1982   Milano )は この『 逆反り変形 』型の弦楽器の疲労破壊メカニズムを 『 強度不足による疲労破壊 』 と捉えていたと思っています。 この点を少し時間軸で整理してみます。

    1908 年 15歳となったガリンベルティ さんはヴァイオリン製作者の修業を始めます。
●    1914 年 第一次世界大戦がはじまり 1915 年5 月イタリアはオーストリアに宣戦布告するとともに戦争状態に突入します。
 1918 年10月 戦争とかさなったこの時期にスペイン風邪でヨーロッパで700万人以上が亡くなります。 この年の 11月に第一次大戦が終戦をむかえます。
 1919 年  6月 ベルサイユ講和条約が調印されたころ ウィーンで フランツ・トマスティークと オットー・インフェルドが創業と同時にスチール弦を発売します。 これはヴァイオリン用としては世界最初と言われています。 またこの時期に同じ 『 パテンティング 』技法により ドイツ・マルクノイキルヒェンの近くのエアルバッハで レンツナー社 ( Lenzner )が ゴールドブロカットE線 ( Goldbrokat )を発売します。 これらのE線はまたたく間に世界に広がり この 7、8年後には ヴァイオリンの1番線にスチール弦を張るのは常識になります。
 1921 年 ドイツではヒトラーが ナチスの党首となり、イタリアでは『 ファシスト大攻勢 』がはじまります。 これはイタリア・ファシスト党が社会主義者のボローニャ市長就任を妨害するために市庁舎を襲撃したことから始まりました。 
 1922 年10月 イタリアのファシスタがナポリからローマに進軍し、国王エマヌエーレ3世が支持したことにより 『 ファシスト政権 』が成立し ムッソリーニには 「 独裁権 」が与えられます。
 1923 年 日本では 9月に関東大震災が発生しますが、イタリアでは 6月にシチリアのエトナ火山が大爆発をおこし大きな被害がでます。

 1925 年 先ほど私がガリンベルティ さん(  Ferdinando Garimbert   1894 – 1982  )が製作したヴァイオリンの例としてあげさせていただいた『 逆反り変形 』してしまう ヴァイオリン(  表板、裏板とも「 へり 」の厚さ 4.0 mm / maximum width  )が製作されます。
 1926 年 イタリア・ファシスト党が一党独裁体制をつくりあげました。
 1928 年 弦楽器製作にとって意味深い記述をカール・フレッシュさん( Carl Flesch  1873 – 1944 )が 『 ヴァイオリン演奏の技法 / 1923 , 1928 年 』の中に残します。  それは 『 … 絃の調子を一オクターヴ下げて、表板に対する絃の圧力を、二十四時間減少することを奨める。 こうして薄い板に対する大きい負荷が、一時的に取除かれたならば、楽器は改めて深い息をしたように思われ、今までにない新鮮な音をもって演奏者に報いるだろう。 』 と書かれています。
 1929 年10月 NY株式市場大暴落「 暗黒の木曜日 」により世界恐慌がはじまります。

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 1930 年 同じく例としてあげたヴァイオリン(  表板、裏板とも「 へり 」の厚さ 4.0 mm / maximum width )が製作されます。 ドイツでは 9月の国会選挙でナチスが 107議席( 95増 )を獲得し第2党に躍進しました。
 1931 年 5月 オーストリア中央銀行が破産し、国際金融恐慌が発生します。
   1933 年 1 月   ドイツでヒトラーが首相に就任し 2月には 「 戒厳令 」を発令します。
   1934 年 6月   ムッソリーニと ヒトラーがベネチアで初めて会談します。
 1935 年 世界ではじめてナイロンの合成が成功しました。 これは アメリカ・デュポン社で ポリマーの研究を続け 1931年に合成ゴムの「 ネオプレン 」の開発に成功していたウォーレス・カロザース (  Wallace Hume Carothers  1896 ~ 1937  )によるものでした。 この偉業は彼の急死の翌年である 1938年にナイロン製品の発売開始に繋がりました。
●    1936 年 3月 ムッソリーニ首相は イタリアの主要産業の国営化を断行します。 またスペインではフランコにより内乱が発生し 11月には ドイツ、イタリアはフランコ政権を承認します。
●    1937 年 5月  この年の 4月にはスペイン共和国軍側のバスク自治政府がある ゲルニカを ドイツ空軍が爆撃する事件が発生しています。  そしてクレモナでは イタリア・ファシスト党をあげての後援をうけ 『 ストラディヴァリ没後200年祭 』が開催されます。 この 『 国威発揚運動 』である催しの実行委員長は ファシスト党の機関紙や新聞、雑誌など広報関係の責任者でイタリア・ファシスト政権のナンバー2だった ロベルト・ファリナッチ氏 ( 左写真 )でした。  現在 クレモナのヴァイオリン製作学校となっている建物 ( Palazzo Raimondi /  15th century )の前で撮影された ( 右写真 ) 皇太子 一行の写真が当時の雰囲気をつたえています。

    

下の写真は 1937 年 9月 6日にクレモナ訪問中の国王 ヴィツトリオ・エマヌエレ( 前列の左から2人目の小柄な男性 )と同行するロベルト・ファリナッチ氏 ( 国王の右側 )です。 この写真が撮影されてから19日後に ムッソリーニ首相は ロベルト・ファリナッチ氏の仲介により ドイツを初の公式訪問をし ヒトラーと会談をします。

●     1938 年 2月 ドイツがオーストリアを併合。 5月にはヒトラーがムッソリーニを訪問し ドイツとイタリアの同盟を誓います。 そして ドイツに戻るとすぐ チェコ侵略作戦を指示します。( 10月、ズデーテン地方侵攻  )   S
  1939 年 4月 イタリアはアルバニアを併合し、5月 にはドイツ・イタリア軍事同盟を調印します。 そして 9月1日 ドイツ軍がポーランド侵攻を開始し、『 第二次世界大戦 』 がはじまります。
   1940 年 3月16日 ヒトラーと ムッソリーニが ブレンナー峠で会談し、ムッソリーニが大戦ではドイツ側に参加すると約束しました。 4月 ドイツ軍はノルウェーとデンマークに侵攻し 6月10日 イタリアは イギリス、フランスに宣戦布告します。
     1941 年 4月  ドイツ軍がギリシアと ユーゴに侵攻し、6月にはバルト海から黒海にわたる戦線でソ連にも300万人のドイツ軍が侵攻し 10月にはモスクワ攻撃を開始しました。 12月8日 日本軍は真珠湾攻撃を開始しました。

   

 1942 年 1月18日  ベルリンで 日、独、伊軍事協定が調印されます。 はじめにガリンベルティさん(  Ferdinando Garimbert   1894 – 1982   Milano )が製作したヴァイオリンの参考例の一つとしてあげた 「 へり 」が厚めのヴァイオリンはこの年 ( 1942 年ヴァイオリン、表板、裏板とも「 へり 」の厚さ 4.5 mm/ maximum width  )に製作されました。
 1943 年 7月10日 連合軍がシシリー島に上陸します。 7月25日 ムッソリーニ首相失脚、逮捕。 9月8日 イタリアは無条件降伏をしますが、 9月12日 ムッソリーニが ドイツ軍に救助され サロで共和政府樹立を宣言します。
 1944 年 1月14日 レニングラード戦線でソ連軍が大攻勢を開始し、 6月6日 ノルマンディ上陸作戦が決行されました。 そして、6月15日 米軍がサイパン島に上陸します。
 1945 年 4月27日 ベニト・ムッソリーニ ( Benit Mussolini  1883 – 1945 )がコモ湖畔でパルチザンに逮捕され、翌日銃殺されました。 そして、ベルリンでは 4月30日 アドルフ・ヒトラー ( Adolf Hitler 1889 – 1945 )が地下壕で自殺します。 こうして 5月7日 ドイツ軍は無条件降伏し、日本は 8月15日に無条件降伏をしました。
 1947年 2月10日 『 パリ平和条約 』が調印されます。 この時期に トマスティーク・インフェルド社を 1919年に ウィーンで創業しスチール弦で革命的な実績を達成していた フランツ・トマスティークと オットー・インフェルドさん達は 1935 年に開発されたナイロンを使用した弦の製造を画策して、スチール弦の成功で得られた資金をつぎ込み ナイロン弦の『 ドミナント弦 』を開発し発売しました。  この『 ドミナント弦 』は 瞬く間に ヴァイオリン弦のマーケットを席巻し世界標準に登りつめました。

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長くなりましたが ガリンベルティ さん(  Ferdinando Garimbert   1894 – 1982 Milano  )が生きた時代のうち40年間を書き出してみました。

この時代の ヴァイオリンに関わる象徴的な出来事をひとつ書いておきます。 1937 年にクレモナで開催された 『 ストラディヴァリ没後200年祭 』 の実行委員長だった ロベルト・ファリナッチ氏は イタリア・ファシスト党の中でも極右主義者として有名でした。 1945年4月28日に銃殺された ムッソリーニ ( Benit Mussolini  1883 – 1945 )の亡骸は翌日、ミラノのロレッタ広場に吊るしてさらしものにされますが その右横には一緒に銃殺された愛人のクラーラ・ペタッチ ( Clara Petacci 1912 – 1945 )が吊るされ、左側にはムッソリーニと ヒトラーを結びつけ戦争に陥れたたとして ロベルト・ファリナッチ氏の亡骸がつるされました。
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この激動の厳しい時代に ガリンベルティ さんは そのミラノでヴァイオリンを作っていたのです。
さて、はじめの部分でヴァイオリンなどの『 疲労破壊 』についての私の推論を書きましたが、この検証はとても困難です。 最大の問題点は この『 疲労破壊 』は鳴らすことによって進行しますので、かなり長いあいだの弾き込みと経過観察が必要だということです。  これについては 私が27年間にわたって楽器を観察した経験のなかでは、下にあげさせていただいたチェロのケースが最も分かりやすいと思います。
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SSSSSSSSSSSSSSSGustav Franz Wurmer     ( 1994,  Stuttgart )

これは 1994 年にドイツ・シュツットガルトで製作されたチェロです。 私は その年に新品状態でアマチュア・オーケストラに所属するお客さんに販売しました。  この写真は それから 10 年程たった 2004 年に調整のために持ち込まれたときに私が撮影しました。

私が このチェロを入っていたハード・ケースから取り出すときにテールピース脇の表板を見ると下の写真にあるヒビ割れが ( 矢印①から②まで )目に入りました。  それで表板が割れたのがほかにおよんでいないかを確認するために、クルッと裏返してエンドブロックの裏板側をみました。

   そこには下の写真のように 裏板内部のブロックの付け根から 35∼40 mm ほどの ” フレッシュな割れ “が 二本入っていました。 これは 私が考える『 逆反り変形 』型の疲労破損で、確認できた ” 最短ケース ” となりました。

      このチェロの内部です。 上の写真のヒビ割れは下写真に写っているエンドブロックの両端からのびていました。

私の経験からの推測では 『 疲労破壊 』が裏板割れまで進行するまでは、通常の現代型の設定で ある期間それなりに弾き込んでも 30 年ほどかかるのではないかと考えています。 しかし その場合でも 『 疲労 』の蓄積によってかなり早い時期に目でみて判断できる 『 逆反り変形 』が 発生するようです。

ヴァイオリンなどを演奏する方が 「 外見 」でチェックするのは難しいのですが、 実は 『 逆反り変形 』による響胴の疲労は簡単に分ってしまいます。 さみしいお話しですが … ある日急にならなくなったり、音の立ち上がりが悪くなったりするからです。 その例として下に 1998 年に私が販売した ミラノで製作学校の先生をやられていた弦楽器製作者の工房作品のヴァイオリンをあげました。
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このヴァイオリンを販売した当時、私は自分なりの経験則で弦楽器のリスクの一つとして 『 販売して3ヶ月以内に再調整が必要になる弦楽器は、年に 2回の調整が必要になる … 。』 と考えていました。  そして、その時期に この新作イタリーとの出会いをよろこんで購入してくださったお客さんから電話が入りました。 新品でちょうど 3ヶ月鳴らしたところでした。  内容は 『 購入した時に音の出かたが ” 活きが良く ” 気に入って弾いていたら、今日か昨日か分りませんが急に鳴らなくなったので見てもらいたいんですが …。』でした。 それに私は即座に 『 はい、分かりました。 おそらくその場で 10 ~ 15分の調整で済むと思いますのでよってください。』 とお答えしました。
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このお電話の段階で 魂柱がゆるくなっている … と判断出来たからです。 そしてその場で対応策を考えました。 それは、おおよそ年に2回ゆるくなった魂柱を 『 引っ張る 』 か、表板をあけて原因を取り除くかの選択でした。 結局、数日後魂柱位置を外に出して 鳴りを戻してお渡ししたものの、それから1年の間に予想通り 2回鳴らなくなり2回とも魂柱位置を変更することでしのぎました。
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そしてまた次の季節の変わり目に この イタリア・ミラノ で製作されたヴァイオリンが鳴らなくなった時 ついに原因を取り除く修理をすることにしました。 それは このヴァイオリンが製作されて 1年半後のことでした。

弦楽器を製作したり 修理した経験がある人は皆さんご存じですが、ヴァイオリンは魂柱をいれるときに 「 魂柱たて 」の感触で 魂柱が立つ部分の表板や裏板の疲労状態はおおよそ判断できます。  ですから 私が考えるように 『 逆反り疲労 』が進行して 魂柱がたっている表板や裏板の内側面がどんどん窪んでいくのは、表板をあける前にほぼ正確につかむことが出来ます。 このヴァイオリンの場合には 「 疲労 」が段階的に進むのがわずか 3ヶ月程の周期だったわけです。

因みにこのヴァイオリンの 『 逆反り疲労 』の主原因は 上写真に写っているバスバーの両端が強すぎて( 高すぎて )表板のアッパー・バーツ・ラインと ロワー・バーツ・ラインの動きを阻害したことが原因でした。 これはこの時バスバー両端をもっと動きやすいように調整して組み上げた後に 所有者の方が弾き続けても 急に鳴らなくなるようなことが起こらなくなり、一年を通して安定した状態で鳴り続けていることからも分かります。

場所取りなので写真は掲載しませんが、この新作イタリーの魂柱がたっている場所もしっかり窪んでいました。 この1998 年に ミラノの工房で製作されたヴァイオリンの魂柱部の窪みは 先ほどお話ししたようにサランラップを貼ったうえで粘土状樹脂で型取りして保存してありますが 『 たった 1年半でここまで窪むのか … 。』 と 見た方がショックを受けるほどです。
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私は 当時32歳になる ガリンベルティ さんが 後に『 逆反り変形 』 をすることとなる 1925 年製のヴァイオリンを調整しながら この問題解決に苦しんでいた … と推測しています。 私の経験でも 下の写真にあるように、魂柱位置にヒビ割れが入ったたため 「 サウンドポスト・パッチ ( Soundpost Patch)」が入れられ 仕上げられた修理部位に、再び魂柱の窪みが出来てしまったヴァイオリンなどを目にする度に ” 暗たんたる思い ” に捕らわれたものでした。

ここで 「 もしガリンベルティ さんが この『 逆反り変形 』に伴う『 疲労 』の原因が見つけられなかったとすると … 。」 を頭の中に置いて 、これからあげる写真で当時のヴァイオリン修復や調整例を3つ見てください。

 

先ほど年表のかたちでガリンベルティさんの人生を連ねましたが冒頭は   1908 年 15歳となったガリンベルティ さんはヴァイオリン製作者の修業を始めます。 … となっています。
偶然にも 上の写真であげたオールド・ヴァイオリンはその年に修復されたようです。 下に拡大写真を貼っておきましたので ご理解いただけると思いますが、内側の左上部には この大々的な修理が完成した日時を鉛筆で記録したと考えられる書き込みがあります。

それは 1908 年 11月 23日 と読めます。

弦楽器の修復をやっていると 時々このタイプの 『 修理 』を目にしますが、表板が割れただけの修復に過剰な補強が施されています。 参考のために書いておきますが、 F字孔の間に貼りつけられたシトカ・スプルースより ”赤み”が多く年輪が強い”針葉樹 ”で増やされた魂柱部の厚さは 5.2 mm でした。

この表板の修復担当者の考えは伝えられていないので、設定された厚さなどの状況証拠から推定すれば  『 このヴァイオリンの表板は強度不足で何本もヒビ割れが発生した … 。』 と判断したと考えられます。
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それからもう一つが この投稿記事の冒頭で ジエノヴァに展示されている有名な 『 カノン ( IL CANNONE ) 』の写真を引用させていただきましたが、 エンドピンのすぐ上の側板継ぎ目が V字型にすこし開くとともに、 エンドピン右側 15 mmほどの内側ブロックの境目に沿って 縦にヒビ割れが入っていて、私がお話しした 『 逆反り疲労 』が進行していると考えられます。 このヴァイオリンが開けて修復されたのは 1937 年のことでした。

 チェザーレ・カンディ氏 ( Cesare Candi  1869-1947 , Genova )が 1937 年に 『 カノン ( IL CANNONE ) 』の大修理を担当したのは 喧伝されているので有名です。 下の写真は 1995 年に Comune di Genova との共同企画としてジェノヴァで出版された ” Paganini’s violin / Its history , sound and photographs ” Dynamic Srl / Genova より引用させていただきました。  それにしてもなぜ ジェノヴァ市が所有する楽器に直しただけの人の名札が貼られなくてはならないのか理解に苦しむ … 映像です。

このヴァイオリンは 1937 年以降はパガニーニ国際音楽コンクール優勝者などによって限られた時間だけ使用されたのは周知の事実です。 たとえばこの写真を引用させていただいた 『 カノン ( IL CANNONE ) 』の資料集についている サルヴァトーレ・アッカルドさん( Salvatore Accardo )が1995 年 3月 13日と14日の二日間だけで演奏し録音したCDは非常にめずらしいものです。

それなのにこのヴァイオリンが 『 逆反り変形 』するほど『 疲労 』しているのは 重大なことではないでしょうか?  私は これらのことから このヴァイオリンは 1937 年当時の修復技術をみるのには意味深い存在だと思います。


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Niccolo Paganini  (  1784   Genoa , Italy   –   May 1840  Nice , France  ) 1795     Alessandro Rolla ,   Parma 1828 – 08 – 10   Vienna 1833 –  11           Repaired   :    J.B. Vuillaume   ( Paris ) /  copy of the Guarneri , bought by Paganini for 500 francs.  → Camillo Sivori 1851 – 07 – 04     to the City of Genoa ( 1837 – 04 – 27  )
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さて3つめの例として19世紀末に製作されたヴァイオリンの画像を下にあげました。 あまり目立たない数量ですが、 私は 1880 年頃から 1950 年頃の間にヴァイオリンの『 側板の幅を削る調整  』をおこなっていた弦楽器工房がいくつもあったと考えています。 はじめから側板幅が狭い( 26 ~ 28 mm )ヴァイオリンは ” 個性 ” として考えればいいのですが、困ってしまうのが後から削られた楽器です。

このヴァイオリンの側板はエンドピン部分が 27.0 mm でネック部で 26.7 mm です。 私はこのヴァイオリンは製作されたときはエンドピン部分で 31.5 mm あったのを 後年に裏板をはがして側板を 4.5 mm 程削られ組み立てられたと考えています。  その根拠のひとつは エンドピンの位置です。 埋めて移動する前のエンドピン・ホールの中心からサドル側は 15.5 mm で裏板側が 11.5 mm と推測されます。 これだけでも ヴァイオリンのエンドピンの通常位置から考えると 『 ある疑念 』が頭に浮かびます。 そして 私が ” 決定的 ”と考えたのはエンドピン・ホールから内側に入っているライニングの状態を見た時でした。

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先ほど『 カノン ( IL CANNONE ) 』の内部写真をあげましたので確認していただけると分かりやすいのですが、側板上下に入れられるライニングは 通常同じ幅です。  このヴァイオリンに入っているライニングは 表板側が 7.0 ~ 7.5 mm で、裏板側が およそ 2.5 mm 程となっています。 これは、この当時でも 通常はヴァイオリン制作者が 選ばない設定なのです。 私は これらの事から弦楽器を製作したり修復する方にも 『 このヴァイオリンは裏板側が 4.5 mm 程削られた可能性が高い。』には同意していただけると思います。

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因みに、なぜ『 側板の幅を削る調整  』をおこなわれたかについては、私は明確な答えを持っていません。 ただヴァイオリンの側板をここまで狭くすると 『 甘い音色 』が得られます、しかし反面 『  キャリング・パワー 』がかなり 落ちます。  これらのことから私は ハバネラ ( Habanera )の流行や タンゴの影響があったのではないかと推測しています。 セヴァスティアン・イラディエル ( 1809 – 1865 )が 1860 年頃に大流行させた ハバネラ 「 El Arreglito 」 は 1875 年に ビゼー ( 1838 – 1875 )が 「 カルメン 」で引用し再び有名になり 1887 年 にはサン・サーンス ( 1835 – 1921 )が「 ハバネラ 」を作曲し 1898 年には ラベルが「 スペイン狂詩曲 」の中でつかっています。 こうして 「 ハバネラ 」は スペインのイメージと共に定着していきますが、1900 年代になると アルゼンチン・タンゴたとえば オスヴァルド・プグリエーセ ( 1905 – 1995 )が1939 年に自身のタンゴ・バンドを創設し演奏活動をはじめたり 1944 年には アストル・ピアソラ ( Astor Piazzolla 1921 – 1992 )が本格的な 演奏活動で人気をあつめたことなどが ヴァイオリンの調整に影響したのではと考えているのです。

ヴァイオリンでハバネラやタンゴを演奏するには鋭いスタッカートを多様しリズムを生みだします。 とくにタンゴでは第一拍のアウフタクトに深い「溜め」をおいたり、第一拍や第三拍に強烈なスタッカートをおきます。 1880 年頃から1950 年頃に、これらで刻んだ強靱なリズムのうえに ロマンティックな、時としてメランコリックな主旋律が泣くのが魅力で世界的な流行となりました。 私は『 側板の幅を削る調整  』をおこなわれたのが状況証拠で その時期と推測されるヴァイオリンを何台も目にしたのでこう考えているわけです。 ただ正確に言えば現在も『 側板の幅を削る調整がなぜ実施されたか?』については調査をつづけている最中です。
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私は 「 もしガリンベルティ さんが この『 逆反り変形 』に伴う『 疲労 』の原因が見つけられなかったとすると … 。」 と書きましたが 、当時のヴァイオリン修復や調整例を見たり、影響力の大きかったカール・フレッシュさん( 1873 – 1944 )が 1928 年の自著で 『 … 絃の調子を一オクターヴ下げて、表板に対する絃の圧力を、二十四時間減少することを奨める。 こうして薄い板に対する大きい負荷が、一時的に取除かれたならば、楽器は改めて深い息をしたように思われ … 』と記述しているように 『 オールド・ヴァイオリンは調弦のピッチが上がったことなどにより疲労しやすい。』と言うような認識が背景としてあったようです。  とても残念なことですが、私は ガリンベルティ さんの一世代( One generation / およそ30年 )まえの 1880 年頃には 『 オールド・ヴァイオリンは板厚が薄いので強度不足で 割れたり、鳴りが悪くなってしまう。』 と本気で考えてしまった弦楽器製作者がふえてしまった … と思っています。 これは ヴァイオリンの胴長 ( ボディー・レングス / Body length  )のデータを調べれば 状況証拠となるでしょう。

一般にオールド・イタリアンといわれる 18世紀末までに製作されたヴァイオリンは一部の例外を除いてほとんどは裏板胴長 ( ボディー・レングス / Body length  )が 350 mm ~ 356 mmで製作されています。 もっと絞れば、このなかでも 352 mm ~ 353.5 mm が最も数が多いです。 ところが 19世紀には 360 mm 前後のラージ・サイズの ヴァイオリンが急激にふえていきます。 この例としてフランスの リュポーと ヴィヨーム、そして イタリアからは プレッセンダーや ジュセッペ・チェルーティ 以降のモダン・イタリーのヴァイオリン製作者の裏板胴長 ( ボディー・レングス / Body length  )を 原寸大写真集の2000 年に出版された 「 LES TRESORS DE LA LUTHERIE FRANCAISE DU ⅩⅨ° 」 Sylvie Masson / Paris, France と 1998 年に J.B. ビヨーム生誕200年を記念して出版された 「 Jean – Baptiste Vuillaume 」 Stefan-Peter Greiner 、そして 1988 年に出版された 「 LIUTERIA ITALIANA MODERNA  dall’ OTTOCENTO al NOVECENTO 」 Ciro Moschella の4冊と 2001 年に出版された 「 Liuteria Italiana Ⅳ 1800 – 1950 」 Eric Blot より引用させていただきます。

François  Lupot  ( 1725 – 1804 )   365 mm

Nicolas  Lupot    (  1758 – 1824 )  359 mm
SSSSSSSS1795 年頃                         358 mm

Jean – Baptiste Vuillaume  ( 1798 – 1875  )
Nr.      32 – 1825 年                       359 mm
Nr.      63 – 1827 年                       356 mm
Nr.              1840 年                        357 mm
Nr.  1550 – 1842 年                        357 mm
Nr.  1637 – 1844 年                       356 mm
Nr.               1845 年                       357 mm
Nr.  1694 – 1845 年                       354 mm
Nr.               1845 年                       357 mm
Nr.  1778 –  1847 年                      355 mm
Nr.               1850 年                       355 mm
Nr.  1924  – 1852 年                      357 mm
Nr.  2209  – 1856 年                      357 mm
Nr.              1860 年頃                        356 mm
Nr.  2348  – 1862 年                      356 mm
Nr.  2517   – 1863 年                     357 mm
Nr.  2611   – 1865 年                     356 mm
Nr.  2671   – 1867 年                     356 mm
Nr.  2771   – 1869 年                     357 mm
Nr.  2809   – 1870 年                     356 mm
Giovanni Francesco Pressenda    (  1777 – 1854  )
1826 年               356.0 mm
1829 年                 354.0 mm
1835 年                 355.0 mm
1837 年                 352.0 mm
1848 年                 355.0 mm

Alessandro  D’ Espine(  1782 – 1855  )
1817 年               360.0 mm
1826 年                348.0 mm

Giuseppe  Ceruti (  1785 – 1860  )
1825 年                             353.5 mm
Raffaele  Gagliano(  1790 ‐ 1857  ) &    Antonio  Gagliano(  1791 – 1866   )
1853 年                               360.0 mm
Giuseppe  Rocca   (  1807 – 1865  )
1845 ~ 50 年                      354.0 mm
1864 年                                355.0 mm
Enrico  Ceruti        (  1808 – 1883  )
1880 年                             357.0 mm
Gaetano  Antoniazzi(  1825 – 1897  )
1888 年                            363.0 mm
Raffaele   Fiorini       ( 1828 – 1898  )
1873 年                             360.0 mm
Antonio  Guadagnini ( 1831 – 1881  )
1861 年                                356.0 mm
1864 年                            358.0 mm
1868 年                            357.0 mm

Valentino de Zorzi(    1837 – 1916  )
1906 年                    362.0 mm
Eugenio  Degani    (   1840 – 1915  )
1873 年              360.0 mm

Riccardo  Antoniazzi      (  1853 ‐ 1912  )
1910 年                          356.0 mm
Francesco  Guadagnini  (  1863 – 1948  )
1905 年                            358.0 mm
1926 年                         357.0 mm
Paolo  Guadagnini          (   1908 – 1942  )
1929 年                         357.0 mm
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Romeo    Antoniazzi        (  1862 – 1925  )
1921 年                         357.0 mm
Leandro  Bisiach              (  1864 – 1946  )
1940 年                         357.0 mm
Celeste  Farotti                 (  1864 – 1928  )
1910 年                         361.0 mm
Cesare  Candi                     ( 1869 – 1947  )
1904 年                         357.5 mm
Paolo de Barbieri              ( 1889 – 1964  )
1928 年                         356.0 mm
Annibale  Fagnola              ( 1865 – 1939  )
1920 ~ 25 年                                  357.0 mm
1928 年                         356.0 mm
1929 年                         355.0 mm
Carlo  Bisiach                    ( 1892 – 1968  )
1949 年                        357.0 mm
Marino  Capicchioni         ( 1895 – 1977  )
1950 年                       355.5 mm
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以上のような数列になりますが、私は19世紀以降に製作されたヴァイオリンが 18世紀までの名器の標準値の  350 mm ~ 356 mm ( 352 mm ~ 353.5 mm  )より遥かに大きいのは、表板や裏板の厚みを増やした結果 『 響き 』 が低音域を中心に失われてきたため それをカバーするための苦しい選択の結果ではなかったか … と考えています。 本来、弦楽器にとって響胴の大きさは ” 非常に重要な要素 ” … もっと踏み込んだ言い方をすれば ” その楽器の特質そのもの ” といえるもので、ある意味では 『 ヴァイオリンは19世紀に違う楽器に変化してしまった。 』とすら言いえると思います。
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私はガリンベルティ さん(  Ferdinando Garimbert   1894 – 1982   Milano )が ヴァイオリンの表板、裏板の ” へり ” の厚さを増やした事に着目して、 この『 逆反り変形 』型の弦楽器の疲労破壊メカニズムを 『 強度不足による疲労破壊 』 と考えていたのでは … と推測している趣旨のことを書きましたが、個人的には彼が置かれた時代状況を鑑みるとただ … ただ同情するばかりです。
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途中でお話ししましたように『 逆反り変形 』型の弦楽器の疲労破壊メカニズムの確認には長期間のヴァイオリンの弾き込みと 経過観察が不可欠ですが、第二次世界大戦が終わってしばらくした時期まで(  彼が60歳近くになるまで … ) ガリンベルティ さんにそのチャンスは なかったようだからです …。
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私は ガリンベルティ さんが製作家として著名になる前に それを観察する機会に恵まれたら 『 オールド・ヴァイオリンの短命説 ( 使用頻度にもよりますが300年から400年位で演奏会用として使えなくなる。)』が 誤りであることや、響胴のバランスの取りかたに辿りつけたはずだと考えています。
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さて本稿のテーマに私は 『 パティーナ技術  』 について… と書きました。 これは 私の造語で 弦楽器の振動のしかたをコントロールするために製作者が弦楽器を作る際に 『  オールド・ヴァイオリンなどにみられるように あたかも演奏に使用したことにより摩耗したり、キズしてしまったかのように削ったり、焼いたりした加工による調整技術  』 を指してそう呼んでいます。
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この説明のために下に横山進一さんが 1986年に学研より出版された ” The ClassicBowed Stringed Instruments from the Smithsonian Institution ” の132 ページより 『 Signatured 』 チェロの写真を引用させて頂きました。 スミソニアン博物館に展示されているオールド・ヴァイオリンなどの楽器の中で、1915 年に アルゼンチン・ブエノスアイレスで製作されたこの 『 Signatured 』 は 1979年に亡くなったチェリスト、 エンニオ・ボロニーニ さん( Ennio Bolognini  1893  Buenos Aires – 1979 Las Vegas , U.S.A.  )が使用していた楽器ですが、 ある意味でひときわ異彩を放っています。

エンニオ・ボロニーニ さん( Ennio Bolognini  1893  Buenos Aires – 1979 Las Vegas , U.S.A.  )は30 歳の 1923 年に故郷のブエノス・アイレスを離れてアメリカに渡り、1929 年にはアメリカの市民権を得るとともに多才な活動を続けて ラスヴェガスで87 歳で亡くなられました。 彼は 23 歳のときに 52 歳となったイタリア系移民の弦楽器製作者のルイジ・ロヴァッティ さんに このチェロを製作してもらい終生このチェロを演奏し続けます。

【  Luigi Rovatti  1863 Pavia , Italy  – 1931 Buenos Aires  :   1880 年頃からジェノヴァで Enrico Rocca ( 1847 Turin – 1863 Genoa –  1915 )に学び 結婚した1884 年にトリノの展覧会で銅賞を受け、24 歳となる 1886 年にアルゼンチン ( Argentina )に移住しました。 1886 年 11月に彼らはブエノスアイレス(Buenos Aires)に着き 住居を構えました。 移民としての苦労の末 36 歳となった1898年10月にブエノスアイレスで行われた国内展示会で、ルイジ・ロヴァッティ さんのヴァイオリンとチェロは金賞を受賞しました。 その後も 1910年には 100年祭工業博覧会で出展したヴァイオリンとチェロが金賞を受賞するなどで 製作者として知られた存在となります。
そしてルイジ・ロヴァッティ さんは 1931年1月に65歳でこの世を去りました。 彼が52 歳だった 1915 年に製作された『 Signatured 』 チェロは ボディ・レングスが 773.0 mm / UB 352.0 mm – CB 235.5 mm – LB 446.5 mm  Vibrating string length 702.0 mm  だそうです。  】
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19世紀になると弦楽器は過去に製作されたなかで突出して大きいものを参照として『 巨大化 』が進められました。 そのモダン・イタリーのなかでも ルイジ・ロヴァッティ さんのチェロの 773 mm はかなり大きいタイプですので時代を感じます。 この比較資料として18世紀までのチェロの ボディ・ストップと ボディ・レングスを書き出してみました。     1799年以前のチェロ

この『 Signatured 』 チェロは内部に 1915年製作のオリジナル・ラベルの他に手書きの献辞が書かれているそうです。 私は10年程前の夜中に 横山進一さんが 1986年に学研より出版された ” The ClassicBowed Stringed Instruments from the Smithsonian Institution ” の172 ページで 英語の意訳文 【 原文はカステリャーノ ( castellano ) か エスパニョール ( español )だと思いますが、残念ながら私にはかいもく見当もつきませんのでご容赦ください。】 を改めて目にして ショックをうけました。

原文が  Te Niglior Violoncello del mondo.   Il mio padrone e Ennio Bolognini.   Cuando Studia e mi suona bene.  とされていて 英訳が ” Best Violoncello  of the world for my friend Ennio Bolognini.  When ( one )studies,  I sound good. ” で 和訳が   『 世界で最良のチェロ。 わが友エンニオ・ボロニーニのために。 練習を重ねれば、わが音色はよくなる。 』 と意訳されています。

ショックを受けたのは エンニオ・ボロニーニ氏が アルゼンチンに移住した カザルスさんのチェロの恩師に師事したこともあり、カザルスさんがこのチェロにサインを書きこむ写真を目にしたり、アメリカで録音・発売した彼のレコードでこの『 Signatured 』 チェロをレコード・ジャケットにしたものを見かけたりしましたので、はじめは私も 『 なんだ … このチェロ? 』 程度しか思わなかったのですが 気になって再度確認をした時のことでした。

 


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『 Signatured 』 チェロの製作者 ルイジ・ロヴァッティ さんは ( Luigi Rovatti  1863 Pavia , Italy  – 1886 Argentina  – 1931 Buenos Aires  ) 2002年に Eric Blot 氏が出版した ” Italian Violin Making in Argentina ” の 112ページから引用させていただいたように、通常は現代型のヴァイオリンなどを製作していました。

幸いなことに彼はヴァイオリンとチェロについてはそれなりの数量を製作したようで、その基本的な規格はイタリアのジェノヴァで Enrico Rocca ( 1847 Turin – 1863 Genoa –  1915 )に学んだものが踏襲されているのが確認できます。 信頼関係があり将来を嘱望される 23歳のチェリストのために 52 歳の1915年に製作した『 Signatured 』 チェロは本当に彼の渾身の作品だったようです。
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私は ルイジ・ロヴァッティ さんは ( Luigi Rovatti  1863 – 1886 Argentina  – 1931  )はこのチェロで Enrico Rocca ( 1847 Turin – 1863 Genoa –  1915 )さんの時代より古い名器が製作された時代の 『 技術 』を使ったと考えています。  その一つは 下にあげさせていただいた ニュルンベルグの Martin Leopold Widhalm が 1800年頃製作したとされる ヴァイオリンの表板右上にあるような焼いた針状の工具でスジ状にラインを入れその部分の動きをよくする調整技術です。
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下中央の写真は 1998年に Peter Biddulph さんがロンドンで出版した25本のデル・ジェズを実物大の写真(A3)で掲載した “ Giuseppe Guarneri del Gesu ” の1巻132ページより引用させていただきました。 私は このヴァイオリンの縦長のスジ状の線も 同じ技法でいれられていると考えています。 そして下右側は Walter Hamman さんが1964年に出版した “ Italian violin makers ” の 132ページより引用させていただいたもので Tommaso Carcassi が 1786年にフィレンツェで制作したとされる ヴァイオリンの写真表板に“谷線“が写っています。  このTommaso Carcassi  の向かって右側の表板上部には膨らみが いくつかの“谷”と“尾根”の組み合わせで出来ているのが見えますし、右側下部にも“キズ”が付きにくい窪みの底である“谷線”に沿って焼いた針や釘状のものでつけられたと考えられる“焼痕”が 点々と続いています。 私はこれらの面の動きを考えたうえで、その調整のためにスジ状の加工もされていると考えています。

          

今回 『 パティーナ技術  』で加工された例として 引用させていただいた 『 Signatured 』 チェロの場合は 縦長のスジ状に先に焼いて加工されたのが サインのアンダー・バーとしてより積極的に活用されて … その結果 サインが表板の全面に ” 書かれた ” ( よくみると同じ人物によったと考えられるサインが、焼けたコテ状の工具でいくつも刻まれています。)チェロの誕生に繋がったのではないか … と 私は10年程前の夜中に直感的に思ったというしだいです。   私は When ( one )studies,  I sound good. を ” 練習を重ねれば ” ではなく 『 名器に学べば、わが音色はよくなる。』 と 書いてあると思っています。  この『 パティーナ技術  』が使われた好例を 1990年に Brescia で出版された ” Gasparo da Salò e la liuteria bresciana tra Rinascimento e Barocco ” Flavio Dassenno /  Ugo Ravasio の57ページより引用させていただきました。

   

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この『 パティーナ技術  』のヴァリエーションをもう少しみると、この『 Signatured 』 チェロの右肩へりの特徴 … 私はこちらがより重要だと思いますが 下のような オールド・チェロのへりにみられるように あたかも演奏に使用したことにより摩耗したり、キズしてしまったかのように削ったり、焼いたりした加工があります。

私は下の1915年の『 Signatured 』 チェロの右側上部へりは、上にあげた 1680 ~ 1700 年にかけてイタリアで製作されたチェロと類似していると考えています。

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私が最初に右肩の加工を『 パティーナ技術  』ではないか … と思ったのは 1997年に クレモナ最後の名工として知られている J.B.チェルーティ(1755-1817)の代表作だと考えられる 1791年にクレモナで制作された ”ex Havemann ” のニックネームを持っている名器を販売したときでした。 これは1931年にニューヨークのウーリッツァー商会が出版した有名な ”ウーリッツァー・コレクション” で数多くのリスト掲載だけのガルネリ、ストラディヴァリウスが並ぶなかで著名制作者代表作として写真付きで掲載されている数台のひとつで、J.B.チェルーティの最良の楽器とされています。 左2枚の写真は “ex Havemann ” の細部を確認しやすいので Bein & Fushi inc. の鑑定書に添付されている写真をあげ、その右に私が撮影した 裏板写真をあげました。
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220年前の 1791年に製作されたことを意識したうえで 拡大図で ” 右肩 ” が 『 いつ? 』 この状態になったか … を考えてみてください。

Gasparo da Salo                        Girolamo Amati Ⅱ                Giovanni Battista Guadagnini (  c. 1542 – c. 1609  )                   (  1649 – 1740  )                          (  1711 – 1786  ) Viola                                     Royal  Academy           Brescia   c. 1580                        Cremona    1671                            Piacenza  c. 1745

Giovanni Francesco Pressenda               Giuseppe  Rocca                      Giuseppe  Rocca ( 1777 – 1854  )                    ( 1807 – 1865 ) Worked Pressenda workshop     1834 ~ 1838             Torino   c. 1840                         Torino 1845 ~ 50                       Torino   c. 1850

表板ネック・ブロック右肩の ” へり ” を見るために 上に6台あげました。  私は これらは エンド・ブロック側の左右も興味深い状態になっていると思っています。 それからもう一ヶ所  『 裏板の中央付近のキズ 』の例を下にあげておきます。

             

18世紀末までの弦楽器では『 裏板の中央付近とバス・サイドのキズ 』や『 へりの針などの焼痕・削り跡 』がたやすく確認できるものが多いです。   この他にも例えば下にあげた 1795 年に ウィーンで製作されたヴァイオリンのように、驚くような高度な加工がされているものすらあります。

これは現在 『 ウィーン・フィルの弦楽器 』として有名な Wien ( Vienna  )の Johann Georg Thir ( c. 1738 – after 1781 )工房で 弟の Mathias Thir ( 1741 – 1806 )が表、裏板ともに一枚板で ( One-piece back and front. )製作したもので、下の写真でもみえると思いますが きちんと針痕が入って『 センター・バーツのバス・サイド ” へり ”  』には調整痕が深くつけられています。  私はこれだけでもすばらしい技術だとおもいますが、精査していて中央左 ( 魂柱側 )の 「 カール」と逆に ” 左下がり ” の二筋の 「 カール状の模様 」は 彫り込んだ後に着色したことに気がついた時には本当にショックをうけました。 この「 カール状の模様 」は 上の写真で右から2枚目で ” ミゾ ” の深さがわかると思いますが、非常に高度な 『 木伏技術 』 だとおもいます。

また下の写真のような ” フシ ” を 『 木組み技術 』として利用する製作者も多かったようです。

      

下の 17世紀半ばに製作された オールド・ヴァイオリンはこの ” 木組み技術 ” が使われています。         上の写真は 『 焼痕 』などの設定を私が計測したものです。 そして下の写真は これを参照して 私が製作した裏板です。 私は 18世紀までに数多くつくられたヴァイオリンなどの名器は こうして製作されたと考えています。

念のために表板の計測図も下左に例として2枚あげましたが、これらの設定を参照して製作すると下右の写真のようになります。

私は可能な限りの台数の弦楽器を調べた結果 、複雑な軸組みのバランスをとる最終調整に 『 パティーナ技術 』が取り入れられたと信じています。

今回は ここまでとさせていただきます。 ありがとうございました。

横田 直己

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ヴァイオリン製作講座の受講生を 募集します!

震災後の景気低迷や少子化の進行など きびしい状況が続いています。
私はこのような難しい時代だからこそ 私が27年 続けて得た研究成果はいきると確信して、昨年 ヴァイオリン製作とオールド・ヴァイオリンも含めた弦楽器の修理・調整 の 『 技術指導講座 』を開講しました。
これはプロとして将来工房を構え ヴァイオリンなどの製作や修理・調整の専門家になると決心している方や、すでに工房を設立しながらも技術のスキル・アップをめざす方を対象としたもので 現在 2名が受講している状況です。

この度 この『 技術指導講座 』の受講生を追加募集することになりましたのでお知らせいたします。

募集人員          1名です。

年齢           18歳以上で 35歳未満です。

期間          受講生の経験により設定したいと思いますが原則2年間です。

( 未経験者の場合は2年以上は必要になると思います。 )

製作工具・材料 当然ですが自己負担です。

受講費用    2年間の場合 前期(1年目) ¥1,500,000 – 、後期( 2年目 ) ¥ 1,500,000 – です。

( お支払い方法は受講期間によりますので一括・分割も含めて相談してください。)

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即戦力になる技術指導です。 『  情報が少なく まだ決心した訳ではないのですが …  実際に考えてはいるので … 取り敢えず 話しを聞いてみたい!』 という方、 どうぞお気軽によってください。 この相談は事前に時間予約をしていただければ 無料です。
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因みに、自分のヴァイオリンをお持ちでしたら 『 論より証拠 』 で あなたのヴァイオリンで 『 すばらしい結果!』 が出る調整を披露できますので持参してください。   この無料デモンストレーションだけでも 新鮮な驚きがあると思います。
以上、ありがとうございました。
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SSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSS2012 年  1月  23 日    横田 直己

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” クレセント・カット ” など 驚異のスクロール加工技術のお話しです。

先に二つめのチェック・ポイントとしてスクロールの非対称性の観察をおすすめしましたが、この加工技術についていくつか具体例をあげたいと思います。
私はオールド・ヴァイオリンはスクロールの製作中に基礎的なバランス設定しそれが完了した後に音を出しては削り込み加工を加える調整がなされていると考えています。

少し前のことですが私は ” National Music Museum The University of South Dakota ” のサイトで Antonio and Girolamo Amati が 1595年頃にクレモナで製作したとされるヴァイオリン  ” The King Henry IV “ のヘッド画像をみていて目が釘付けになりました。

” The King Henry IV  “ Violin by  Antonio and Girolamo Amati,   Cremona,   ca. 1595
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http://orgs.usd.edu/nmm/Violins/AmatiHenryIV/HenryIVAmatiViolin.html
National Music Museum The University of South Dakota 414 East Clark Street Vermillion, SD 57069
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” The King Henry IV  “ Violin by  Antonio and Girolamo Amati,   Cremona,   ca. 1595

オールド・ヴァイオリンはじつに ” 自然 ” な加工がなされていますので、弦楽器などの専門家の方でも  『 このスクロールがどうかしたの? 』 と思われるかも知れません。
そこで下に拡大図をあげておきます。
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S” The King Henry IV  “ Violin by Antonio and Girolamo Amati,  Cremona,  ca. 1595  

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この段差を私は『 すばらしい!』と思います。
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” The King Henry IV  “ Violin by Antonio and Girolamo Amati,   Cremona,   ca. 1595

私はオールド・ヴァイオリンのスクロールは 縁( へり )が ” 剛 ( ごう)” であることを強めるためにデザインされたと考えています。 そもそも楽器は動きにくい場所と動きやすい場所の差を工夫することで完成したものですが、ヴァイオリンのスクロールの場合も ” 剛 ” である場所と比較的に平らでゆれやすい場所を設定することで胴体の複雑なゆれとつりあう小刻みな振動を生んでいると私は考えています。

『 たかだか段差程度で … 。』と思われる方は実際にスクロールを少し削ってみれば その加工により音響特性が変化するのが体験できます。 それは 『 えっ! たったこれだけで … こんなに違うのか …! 』という結果になるはずです。
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オールド・ヴァイオリンのヘッドにはこうした工夫がいくつも用いられていますが中でも弦楽器のスクロールを人間の頭部に例えれば左後頭部をすり減ったように”三日月型”に削る加工痕跡は確認しやすいので 皆さんにおすすめしています。 私が  “クレセント・カット( Crescent cut )”と名付けた この削りは オールド・ヴァイオリンには高い確率で入っています。 もちろん楽器の個体差はありますがオールド・ヴァイオリンでは反対側( 低音側 )と比べれば差は一目了然な場合がほとんどです。
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アンドレア・ガルネリとは別の事例として写真家の横山進一さんが撮影し1986年に学研より出版された ”The Classic Bowed Stringed Instruments from the Smithsonian Institution ” の27ページとより ストラディバリ  “ Parera ” のスクロールを引用させて頂きました。

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Antonio Stradivari   ( c. 1644 - c. 1737 )  Cremona  1679  ” Parera “
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SSSCremona  1679  ” Parera “                            Cremona  1694
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ストラディヴァリのスクロールにあるクレセント・カットは 真横からは簡単に識別できますが上左側の横山さんの写真にあるような真後ろのアングルでは目立たないように加工してあります。
上右側の私が撮影したストラディヴァリの ヴァイオリン・スクロールや 同じく私の工房で撮影した前出のアンドレア・グアルネリのスクロールのようにカメラをヴァイオリン・ヘッドより低い位置にかまえ少し見上げる角度で写真を撮ると確認しやすいと思います。
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  Antonio Stradivari   ( c. 1644 – c. 1737 )  Cremona  1677  “ Sunrise ”  

同じく参考のために 写真家の横山進一さんが撮影し 1984年に学研より出版された  ” Antonio Stradivari in Japan ” の15ページとより ストラディバリ  “ Sunrise ” のスクロールを引用させて頂きました。  この 1677年に製作され保存状態のよい有名な装飾入りヴァイオリンでも 控えめながらも はっきりと ”クレセント・カット ”が入っています。
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Andrea Guarneri   ( 1626 - 1698 )      Cremona  1671

上の写真は1986年に学研より出版された ” The Classic Bowed Stringed Instruments from the Smithsonian Institution ” の 61ページより  Andrea Guarneri が 1671年 に製作したといわれているヴァイオリンのヘッド写真を引用させて頂きました。
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Antonio Stradivari   ( c. 1644 – c. 1737 )  Cremona  1717  “ Park  ”

上写真は 1988年に開催された 『 ウィ・ラブ・ストラディバリ 』の展覧会カタログの 39ページより 横山進一さんが撮影した 東京芸術大学所蔵のストラディバリウス ” Park ” の写真です。 真後ろからスクロールを見ると 中心軸が右に曲がっているのが分かります。

さて話は少しかわりますが ここでヴァイオリンなどの ”クレセント・カット” を『 演奏するためのチューニングなどですり減った。注)1 』と考えている方がおいでのようなので、私がこれを作者が製作時に削ったと考える根拠をお話ししておきたいと思います。
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SS” Cremonese – 1715 “                                 ” Cremonese – 1715 “

注)1  ”クレセント・カット”を摩耗と思い込んだ人の手で埋められた楽器をまれに見かけます。
おそらくもっとも有名なヴァイオリンはクレモナに展示されている 1715年製とされる ストラディヴァリウの ” Cremonese ” でしょう。すでに 1972年にニューヨークで出版された ” Violin Iconography of Antonio Stradivari ” の453ページに”クレセント・カット” が埋められたスクロールが掲載されています。


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上の大きい画像は 2002年に ウィーンで出版された ” Masterpieces of Violin-Making  :  The Collection of Bowed Stringed Instruments of the Oesterreichische Nationalbank  ”  Rudolf  Hopfner  の 60ページに掲載された ウェルナー・ヒンクさんが使用しているストラディヴァリウスのヘッド写真です。この 1709年 製  ストラディバリ ” ex Hammerle ” のスクロールは 一段目のエッジが 激しく“ 摩耗 ” しています。  ところが 二、三段目のエッジは ほぼ最初の面取りそのままです。
また上の小さい画像は ライナー・ホーネック さんが使用している 1714年製のストラディヴァリウスのヘッドですが これにも同じ特徴をみることができます。
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試してみられたら納得していただけると思いますが チューニングでスクロールに触れたことが  “ 摩耗 ”の原因だとしたら 「 この景色 」はあり得ないと考えられます。
私は 実験考古学の手法により 2005年に実証実験をおこなった –  注)2   –  結果もあわせて考慮した結論 として 『 クレセント・カットはヴァイオリン製作者がスクロールを後ろから見たときの右曲がりとなっている中央軸の傾きをより「 強化 」するために手を加えた痕跡。』と考えています。
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この仮説にはもうひとつ状況証拠があります。
それは ヴァイオリン族のなかでも ヴァイオリンと ビオラは 演奏者がスクロールに触れることがある訳ですが それより大きいチェロのスクロールは人が触れることは殆どないということです。  ところがオールド・チェロの中には 製作者が 前出のストラディヴァリウスのヴァイオリン・スクロールと同じように 二、三段目はそのままで一段目を ” 激しく摩耗させた ” チェロが存在します
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SSSSSSSSSSDomenico Montagnana  ( 1686 – 1750 )  Cello  Venezia  1742
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上の写真は 1997年にヴェネチアの南西80㎞程の街 Lendinara で開催された展示会のカタログ ” Domenico Montagnana – Lauter in Venetia ” Carlson Cacciatori Neumann & C. の 109ページに掲載されている 1742年に Domenico Montagnana が制作したチェロのヘッド写真です。 先ほどお話ししました ” 一段目のエッジだけが 激しく摩耗しているチェロ ” の好例として引用させていただきました。
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この事については たとえばプロのオーケストラで2列目に座っているチェリストから 『  … 演奏の最中に目の前のチェロのヘッドをいつも眺めているけど ” 激しくすり減った ” 理由が何度考えてもまったく解からないんだけどどうしてそうなったか教えてください。』 と聞かれたりしました。同じような質問を何人かから受けて本腰をいれて調べはじめましたがオールドのチェロは本当に現存する台数がすくないですから結構大変でした。
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SSSSSSSSSSSSSSSSSHieronymus Brensius   -   Testudo theorbata   in  Bologna

十六、十七世紀にヴァイオリンやチェロを製作した人は イタリア語 Liutaio やフランス語 Luthier とよばれました。 つまり リュート 、シターン や テオルボ 、キタローネや ヴィオラ・ダ・ガンバ をよく知っている弦楽器製作者だったのです。
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上の写真は 1993年にボローニャの博物館カタログとして出版された ” Strumenti Musicali Europei del Museo Civico Medievale di Bologna  “  John Henry van der Meer の105ページに掲載してある十七世紀に製作されたと考えられる テオルボのヘッド写真です。
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ご覧になればわかるように後ろから見たときに中心軸が右側に曲がっていくのが特徴です。上下の写真を見比べれば 私がこれらが同じ軸取り設定により製作されたと解釈したことを理解していただけると思います。 下に資料画像をならべておきますが 私は皆さんに『 古楽器 』の時代から弦楽器胴体の中央軸線とネックの中心軸線ははじめから 『 く 』の字に組まれていたという事実が認識されることを願っています。

 

           
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ここでクレセント・カットについての余談をひとつさせていただきます。
私はスクロールの二、三段目の ” 激しく摩耗 したヴァイオリン ” の原因診断で 15年以上苦しんだ経験があります。  それは 私が23年ほど前から調整や修理を担当している Nicola Gagliano ( 1675 – 1763 )が 1725年頃製作したすばらしい響きをもつヴァイオリンをみたときに始まりました。

長期間にわたり解けなかったのは 『 このヴァイオリン・スクロールのE線側二、三段目に接ぎ木があててあるのは製作者本人の手によるものか後世の人の判断か?。』という設問でした。 それは2004年に Jost Thöne 氏が出版した ” Italian & French Violin Makers vol. Ⅱ ” の26ページにある Nicola Gagliano が 1726年に製作したとされるヴァイオリンの写真を見た事でやっと解決しました。 下に掲載した前者が私の工房で撮影したもので、後者が Jost Thöne 氏の原寸大写真集より引用したものです。
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SSSSSSSSSSNicola Gagliano ( 1675 – 1763 )  Napoli   c.1725

現在 私は下図で赤く塗ってある二、三段目の上部の接ぎ木を 後世の人の手によるものと考えています。 私が悩んだのは 『 製作者本人が接ぎ木がない状態 まで削ることがあり得るか?( スクロールの景色をここまで壊してまで “ 響 ”の調整をほんとうに実行するか? )』 ということでしたが 同じ加工をしたヴァイオリンが 1726年に製作された可能性があることで、状況証拠ですが 私はそう判断しました。 そういうことから私は Nicola Gagliano は ” 仕事の鬼 ” だったと思っています。

 

      
Nicola Gagliano ( 1675 – 1763 ) Napoli   c.1725

      
Nicola Gagliano ( 1675 – 1763 )  Napoli    1726

注)2   私は 2005年 3月に ” クレセント・カット ” の実証実験として私の娘4人が使用している弦が張って調弦してある4/4、1/2、1/4、1/8のヴァイオリン・スクロールで 試奏と削りを交互におこない確認しました。 この日、実験に立ち会ってくださった5人ともショックを受けるほどすばらしい ” 響 “の変化を経験できました。

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私はこの時期に非対称弦楽器の研究のために古い時代の弦楽器資料を大量に調べましたが 八世紀に製作されたと考えられる東大寺・正倉院宝物の 「 螺鈿紫檀五絃琵琶 」ですら
” 非対称構造  “となっているのを見るに至って …  その作業をやめました。もし興味がおありでしたら下の写真を印刷してからコンパスをあててみてください。 とてもよく出来ているのがわかると思います。
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さて この投稿記事は ヴァイオリンやチェロなどの ” 失われた製作技術 ” の痕跡を確認することで 皆さんに 『 オールド・ヴァイオリンやチェロの見分け方 』をお伝えし、最終的にすぐれた弦楽器の再評価をすすめるために書き綴っています。
ここで重要な見分け方をお話ししますので 古いヴァイオリンやチェロをを手にすることがありましたら是非このポイントに留意して観察してみてください。
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オールド・ヴァイオリンやオールド・チェロもちろんオールド・ビオラもですが … これらの弦楽器のペグボックスはかなり細やかな不連続面で形作られていることに着目してください。因みに チェロやビオラは下の写真にあるようにヘッドのペグボックス部は表側 ( 表板側 )下部の幅より 裏側( 裏板側 )下部の幅が狭い確立が高く、ヴァイオリンは逆にペグボックス部裏側下部の幅が表側よりひろい楽器が多いようです。
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参考例として下に J.B. ガダニーニとドメニコ・モンタニャーナ作のチェロ3台のヘッド裏側とそれを横方向に約5倍に引き延ばした画像をならべました。
特にペグボックス部の横側( チーク・オブ・ペグボックス )と裏側面との エッジを観察してみてください。
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SSGiovanni Battista Guadagnini   ( c.1711 – 1786 )   Cello 1777   ” Simpson “
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SSDomenico Montagnana     ( 1686 – 1750 )   Cello   Venezia  1739   ” The Sleeping Beauty ”
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SSDomenico Montagnana     ( 1686 – 1750 )     Venezia    Cello  1742
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ここであらためて 『 ヴァイオリンの ” 工具痕跡 ( tool mark )” について 』の投稿で ペグボックス部の横側( チーク・オブ・ペグボックス )の
不連続面の組み合わせの説明につかったヴァイオリン・ヘッドの写真をみてください。


Giuseppe & Antonio  Gagliano ( Giuseppe 1726 – 1793 , Antonio 1728 – 1805 )1754年

 

このヴァイオリンの確認しやすい尾根線はある程度の不連続面の存在を示していますが 実際のオールド・ヴァイオリンのペグボックスに組み込まれた不連続面は想像以上に細やかです。 画像を拡大するとライン上の赤色点の場所に焼いた針でつけた可能性が高い針痕がならんでいますし、 以前の投稿でふれましたようにヘッドのゆれを補助するため A~D の ” スジ状焼線  ” や、 ” 工具痕跡 ” が 複雑に仕掛けてあるのはこの写真からも感じられると思います。
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私はこれらのペグボックス製作技術は 左右非対称に加工してある横側( チーク・オブ・ペグボックス )2面と裏側を最終的にエッジ部分で機能的なゆれ方( ねじれ運動 )が起こるように接続したことが重要なポイントとなっている考えています。皆さんにオールド・ヴァイオリンなどで確認していただきたいのがこのエッジ部分が波うつように連なりながら横側( チーク・オブ・ペグボックス )と裏側の三面を 『 斜めにリンクさせながらつないである様子  』です。
上の3台のチェロヘッドで観察していただければ多少イメージがもてるかもしれませんので 取り敢えず良く見てください。
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では次にヴァイオリンのエッジ部を観察するために下に 1595年頃 アマティ兄弟が製作したとされるヴァイオリンのヘッドを見てみたいと思います。このヴァイオリン・ヘッドは先にあげたチェロ達とちがってヘッドの裏側が表側よりひろくつくられているために この写真では 横側( チーク・オブ・ペグボックス )をみることができませんが、先にあげたチェロ達とおなじように横側からの回り込みがエッジにはっきりあらわれているのではないでしょうか?

  
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SS” The King Henry IV  “ Violin by  Antonio and Girolamo Amati,   Cremona,   ca. 1595
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” The King Henry IV  “ Violin by  Antonio and Girolamo Amati,   Cremona,   ca. 1595

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この時に面の回り込みをアシストするためにエッジに入れられた” 針痕 ” ( 私は 焼いた針でつけたと考えています。)は とくに入念に確認してください。S
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最後にゴフリラのヴァイオリン・ヘッドを参考にあげておきます。横側( チーク・オブ・ペグボックス )が どういうふうに設定されているか考えながら エッジ部の観察をおこなってみてください。
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SSSSSSSSSSSSSMattio Goffriller  ( 1670 – 1742 ) Violin  Venezia    1702年
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SSSSSSSSSSSSMattio Goffriller  ( 1670 – 1742 ) Violin  Venezia    1702年
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今回はここまでとさせていただきます。ここまでお話ししたヴァイオリンやチェロのヘッドを不連続面の組み合わせで製作する技法はオールド・ヴァイオリンなどでは よく使われています。 古い弦楽器をみる機会がありましたら今お話しした観察のほかに 糸巻きの間をぬって横側の面( チーク・オブ・ペグボックス )をそっとなでてみてください。きっと思った以上にキッパリと面が組み合わせてあることを指先に感じることができると思います。

以上、長文にお付き合いいただきありがとうございました!

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ヴァイオリンの工具痕跡 ( tool mark )について。

工具の痕跡はチャタリング ( ビビリ )などでついてしまったと思われている方が多いようですが 私は 意図的につけてあると考えています。


SSSSSSSSDomenico Montagnana   ( 1686 – 1750 )   Cello   Venezia   1739
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例えば 1739年に製作されたこのチェロヘッドの背中下側の ” tool mark ” に着目してみましょう。 これは 4番糸巻きの取り付け位置より少し下についています。


これが製作技法であることをお話しするために ” 工具痕跡( tool mark )” を見ていただいた上のドメニコ・モンタニャーナが 1739年に製作したチェロ・ヘッド後部をまっすぐに撮影した写真を下中央 におきました。
左側は 1742年製で 右側は フランチェスコ・ルジェーリが 1695年に製作したものです。
三台のチェロに共通するだけでも偶然ではないと理解していただけると思いますが、この位置に同じ ” 工具痕跡 ” をもつオールドの弦楽器はめずらしくありません。

   
S① Domenico Montagnana            ② Domenico Montagnana        ③ Francesco Rugeri
SSSSS( 1686 – 1750 )                              ( 1686 – 1750 )                            ( 1626 – 1698 ) SSSSVenezia    Cello  1742                  Venezia    Cello  1739                Cremona  Cello  1695

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SS④ Carlo Bergonzi                  ⑤ Domenico Montagnana               ⑥ J. B. Guadagnini
SSSS( 1683 ― 1747 )                 S( 1686 – 1750 )                  ( c.1711 –1786 )   
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Cremona    Cello  1731                      Venezia  Cello  1739                  Cello c.1743
SSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSS” The Sleeping Beauty ”                   ”Havemeyer ”


SS⑦ J. B. Guadagnini
SSSS( c.1711 ― 1786 )
 S  SSSSCello  1777
SS  SSS” Simpson “

但し、すべてのオールド弦楽器についているわけでもありません。
下段に例として4台のチェロをあげさせていただきました。④番のベルゴンツィは上段と同じ ” 工具痕跡 ” をもっていますが⑤番の ” 工具痕跡 ” は中央尾根の真上ですし⑥と⑦のガダニーニはジグザグを強くしこの位置の軸の中央尾根の高さをさげることで同じ効果が得られるように工夫してあります。


Andrea Guarneri ( 1626 – 1698 )Violin  1671 Cremona

この位置に ” 工具痕跡 ” があるヴァイオリンのヘッド写真を横山進一さんの撮影で 1986年に学研より出版された ” The ClassicBowed Stringed Instruments from the Smithsonian Institution ” の61ページより引用させて頂きました。
私はこの位置の ” 工具痕跡 ” はペグボックスのねじれを誘発するために下図の補助線のように ” 斜めゆれ軸 ” を整えるために工夫したものと考えています。

これは下のブレッシア・スクールのヴァイオリンヘッドにもみることが出来ます。


Violin,  Brescian school,  ca. 1630

National Music Museum The University of South Dakota 414 East Clark Street Vermillion, SD 57069
http://orgs.usd.edu/nmm/Violins/BrescianSchool/3363/BrescianViolin3363.html

それから同じ National Music Museum The University of South Dakota に展示されている1668年に ヤーコブ・シュタイナーが インスブルック郊外のアプサムで製作した有名なヴァイオリンのスクロール・ヘッドにもみられます。


Violin by Jacob Stainer,  Absam bei Innsbruck,  1668

http://orgs.usd.edu/nmm/Violins/Before1800/Stainerviolin.html

   

もう20年以上前のことですが 取引先の社長さんがオールド弦楽器の考察のしかたでとても重要なことを話されました。いまでもその言葉がときどき私の頭のなかに響きます。

それは 『  オールド・ヴァイオリンの鑑定はなるべく造作のすくない部分を見るんです。例えば胴体では F字孔や指板や弦、テールピース、サドルなどがありにぎやかな表板より相対的に特徴を持たせにくい裏板を、またヘッドならスクロール部や正面側をさけ裏側を … という具合にです。  そこに本物の名器でしたら ” すばらしい景色 ” をみることが出来ます。 基本的に名器はすべて ” 威張って ” 見えますが、造作がすくない部分こそ弦楽器製作者の腕の差をハッキリ確認することが出来るのです。』という言葉でした。

私もそう思っていましたので この言葉にはたいへんな勇気をいただきました。
” 工具痕跡 ” は オールド・ヴァイオリンではよくみられますが 私は ” ゆれ方の調整痕 ” であると思っています。 その例を不連続面の組み合わせで製作されているペグ・ボックスでみてみましょう。


Giuseppe & Antonio  Gagliano ( Giuseppe 1726 – 1793 , Antonio 1728 – 1805 )1754年

まずオールド・ヴァイオリンのペグボックスが不連続面で形作られていることを確認しやすい尾根線をみてください。 画像を拡大するとライン上の赤色点の場所に焼いた針でつけた可能性が高い針痕がならんでいます。 私はこの加工をヘッドが 胴体のゆれとバランスをとって細やかにゆれるための設定と考えています。そしてこれを補助するために このヴァイオリンでは A~D の ” スジ状焼線 ” や、 ” 工具痕跡 ” が入れられたと推測しています。 着目されている方が少ないようですが オールド・ヴァイオリンでは よく使われている技法ですので 弦楽器の製作年代を判断するのにとても便利なチェック・ポイントです。

 

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『 ヴァイオリンやチェロの見分け方 』 … その失われた製作技術についてお話しします。

はじめに

このホームページの大部分は14ヶ月程まえにサイトをたちあげた時に私が一気に書き込んだものです。残念ながらそのため個々の記事の編集が不十分な状態となっていました。
そこで私はこれを改善するために過去の記事を整理するとともに新資料を加えながら、あらためてヴァイオリンやビオラ、チェロの魅力についてお話しをしたいと思います。

                             自由ヶ丘ヴァイオリン  横田 直己

ヴァイオリンは ” 非対称楽器 ” として完成しました。

ルネサンス終わりの 1500年代の中頃ヴァイオリンという楽器は生まれました。そして、その後改良が進むとともに普及して 1700年前後にはヨーロッパのあちこちで数多くの名器が作られました。ところが 1538年頃を始めとする ヴァイオリン製作流派で有名なイタリアのクレモナ派が 1817年のJ・B・チェルーティの死により衰退てしまったように 1800年代はじめには他の地域も製作技術の継承者が激減して ついに過日の栄光が復活することはありませんでした。そして ヴァイオリンをとりまく環境はその後 大量に製作された名器の贋作などによって より分かりにくくなってしまいました。そこでまず本物を見分けるためにヴァイオリンなどの名器の特徴のなかで ” 非対称” についてのお話からはじめたいと思います。

私達のような弦楽器製作者にとって弦楽器を知るためには 絵画も大事な資料となることがあります。 ヴァイオリンが誕生して間もない時期の 1568年 ライン川河口のスペインの支配地域のネーデルラントで 「 80年戦争 」と呼ばれる独立戦争がはじまりました。 これは休戦協定 ( 1609 – 1621 ) あけの 「 30年戦争 」( 1618 – 1648 )の終結でオランダが独立を勝ち取ることにより終わりましたが、これに先立ち 北部7州は 1581年に宣言を決行し 1609年頃には事実上 「 ネーデルラント連邦共和国 」が成立していました。

この地で 高名な画家となる レンブラント( Rembrandt H. van Rijn 1606 – 1669 )は生まれました。 そして1620年代なかごろから1631年までライバルでもあった ヤン・リーフェンス ( Jan Lievens 1607 – 1674 )と レイデン ( Leiden )に共同でアトリエを借り画業に励みました。 その 共同アトリエをはじめた1625年頃すでにプロの画家としてみとめられていた ヤン・リーフェンスが制作した 「 ヴァイオリン奏者 」のタイトルの油画が オランダ、レイデンの「 ラーケンハル美術館 」に収蔵されています。  参考のため、その 1625年頃制作された絵の中の ヴァイオリン・ヘッド部分を下にあげました。

             
SSSSGasparo da Salo                               Jan Lievens                            William  Forster Ⅰ SSS   S     ( c.1542 – c.1609 )                           ( 1607 – 1674 )                             ( c.1713 – 1801 )
SBrescia ” Cetera “   c.1560              ” The violin player ” c.1625                England   c.1740

 S

SSSS                             
Brescia school  Violin ca. 1630          at the National Music Museum

上段中央がそうですが 私はこれは完璧にモチーフのヴァイオリンを 『 写した 』ものと考えています。 レンブラントが 1632年にアムステルダムで「 トゥルプ博士の解剖学講義 」で名声を得て1642年に「 夜警 」で後世の評価を確定させたのに比べて ヤン・リーフェンスはあまりにも無名の扱いをうけていますが 、この十八歳の画家がもっていた 写実能力は まさに天才レベルだと思います。

さて ヴァイオリンのディティールを検証するために黎明期のヴァイオリン・ヘッドの画像がほしかったのですが 1625年頃描かれたこの油絵しか見つかりませんでした。 ですがこの一枚の絵で だいじなチェツク・ポイントとなる 「 ペグボックスの両側の壁厚を変化させているでしょうか? 」は ご理解いただけると思います。

ヤン・リーフェンスがモチーフにしたヴァイオリンはヴァイオリンが誕生した時期に 上段左のガスパロ・ダ・サロが 1560年頃制作した 注)1  シターン・ヘッドのペグボックス両壁のようにエッジが キリット仕上げられた作りから アンドレア・アマティ ( c.1505~1579 )が 1566年頃制作した ” The charles Ⅸ of France “ のようにエッジが丸いタイプとなる前の 移行期に製作されたヴァイオリンなのです。

さてヴァイオリンの製作技法を理解するためにこの絵にあるペグボックスの点A、点Bの『 壁厚 ( ペグボックス・ウォールズ )』を見てください。

一番線側の点A部の壁厚が薄くなるように削りこんであります。 私はこのヤン・リーフェンスがモチーフにしたヴァイオリンの点A部と点B部の壁厚の差は上段右側の 1740年頃 製作された William Forster ( c.1713~1801 )注)2  のヴァイオリンにも引き継がれていると思っています。 このようにオールド・ヴァイオリンのペグボックスは胴体の 「 ふるえ 」と調和するように左右のペグボックス壁に”非対称”に薄い部分をいくつか設けて製作されていると私は考えています。


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下に 1679年製 ストラディヴァリウスの ”Parera”  注)3  のヘッド写真を挙げましたので比べてみてください。


SSSSSSSSSAntonio Stradivari  ( c.1644 – c.1737 )  Cremona 1679  ” Parera ”

このペグボックス上端の左右壁厚差は チェロでもみることが出来ます。

                     
SSDomenico Montagnana                Giovanni Battista Guadagnini                Nicola Albani
SSSSS( 1686 – 1750 )                                  ( c.1711 – 1786 )        Worked at Mantua  SSSVenezia    Cello  1739                   Cello  1777   ” Simpson “              and  Milan,  1753 – 1776

この視線でもうすこしヴァイオリンのヘッドを見てみましょう。

SS            
SSNicola Gagliano   c.1725               Giuseppe & Antonio Gagliano  1754

上左側は Nicola Gagliano ( 1675 – 1763 )が 1725年頃制作したヴァイオリンのヘッドで、右側はその息子達であるガリアーノ兄弟 ( Giuseppe 1726 – 1793 , Antonio 1728 – 1805 )が 1754年に制作したヴァイオリンのものです。両方とも継ネックがされているため ペグボックス壁厚は下側1/4はオリジナル状態ではありませんが、上側 3 /4は制作当初の状態がよく保存されています。

このようにオールド・ヴァイオリンを見るときは 『  ペグボックスの両側の壁厚を変化させているか? 』の視線を持つことをおすすめします。
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SSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSS

SS
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それから二つめのチェツク・ポイントとして 『 スクロールが非対称となっているか? 』を観察してください。

  

私はスクロールについてのお話しをするときにいつもこの貝殻を取り出します。この貝殻は家族旅行で スペイン・マラガに滞在した 九歳の男の子のおみやげです。
三週間ほど滞在した海岸を離れるさいに足もとの砂浜でひろってきてくれました。
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S
気がついている方が少ないようですが 『 二枚貝 』の片側は 『 巻貝 』のように渦巻きの形をしています。 ヨーロッパ・ザルガイのような二枚貝だと 美しく渦巻くようすを見ることができます。
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S

私はオールド・ヴァイオリンのスクロールを彫った目線は こういうものに育まれたと信じています。下に三台のヴァイオリンとビオラ、チェロのスクロール写真を貼っておきますので その非対称のようすを見てください。

       
SS  SSSSGiovanni Battista Ceruti                                                Nicola Gagliano
SSSSSSSSSS( 1755 – 1817 )                                                        ( 1675 – 1763 )
SSSSSSSSSSCremona  1791                                                         Napoli   c.1725

           
SSSViolin  c.1750 ~ c.1780                       Johann Jais                                  Nicola Albani
SSSSSSSSSSSSS     SSSSSSSSSSSSSS( 1715 – 1765 )                            Worked at Mantua
SSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSS  Tölz   c.1760                             and  Milan,  1753 – 1776

 

ペグボックスの壁厚を変化させたのと同じ理由で Nicola Gagliano ( 1675 – 1763 )が 1725年頃制作したヴァイオリンのスクロール・アイは 向かって左側が下がるようにアイの中心軸が傾けてあります。これと逆に右側を下げた例として 東京都交響楽団の首席チェロ奏者が使用していた Nicola Albani ( worked at Mantua and Milan, 1753 – 1776 )のチェロのスクロールと Johann Jais ( 1715 – 1765 )が 1760年頃製作した 胴長 382.0 mmのビオラのヘッド写真をあげておきます。
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S
以上で 私がオールド・ヴァイオリンやビオラ、チェロの二つめのチェツク・ポイントとしてあげた『 スクロールが非対称となっているか? 』は理解していただけたと思います。
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SS
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SSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSS
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さて、オールド・ヴァイオリンの三つめのチェック・ポイントについてお話ししましょう。
これは 『 ヘッドの背中側にある中央尾根が すこしジグザグに軸取してあるでしょうか? 』です。これを下にあげた ガリアーノのヴァイオリン・ヘッドで見てください。


SSSSSSSSSSSSN SS        Nicola Gagliano
SS SSSSSSSSSSSSSSSSS ( 1675 – 1763 )
SSSSSSSSNSSSSSSSSSSSNapoli    c.1725

残念ながらヴァイオリンでは 注意深く観察しても『 背中側の中央尾根は一直線ではないのでは?』の決定的な証拠はなかなか集められません。しかし この製作技術についてはヴァイオリン族であるチェロのヘッドだと事情は違います。この例として下に六台のチェロのヘッド写真をならべました。

SSSSSSSS SSSS   Giovanni Battista Guadagnini
SSSSSSSS  SSSSSSSSSS ( c.1711 – 1786 )
SSSSSSSSSSSSS  SSCello  1777   ” Simpson “
S

これは Giovanni Battista Guadagnini が 1777年に製作した ” Simpson ” のニック・ネームでよばれているチェロです。背中の中央尾根がジグザグに彫られているのが見えると思います。

SSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSDomenico Montagnana
SSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSS( 1686 – 1750 )
SSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSVenezia    Cello  1742
S

これは Domenico Montagnana  ( 1686-1750 ) が ヴェネチア で 1742年に製作したチェロです。 これも糸巻きの取り付けラインを組み込みながら背中の中央尾根がジグザグに彫り込まれています。
S
S

         Giovanni Battista Guadagnini          Domenico Montagnana   SS   SDomenico Montagnana
SSSSS( c.1711 – 1786 )                             ( 1686 – 1750 )                          ( 1686 – 1750 )
SSCello c.1743   ” Havemeyer “            Cello  1739  Venezia                Cello  1739  Venezia
SSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSS” The Sleeping Beauty ”

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SSSSSSFrancesco Rugeri
SSSSSSS( 1626 – 1698 )
SSSSCello  1695  Cremona
S
S
以上のようにチェロのヘッドでみられる糸巻きの取り付けラインを組み込みながら背中の中央尾根がジグザグに彫りこまれている基本的な軸取りは オールドのヴァイオリンやビオラにも共通しているようです。
私はこれをオールド・ヴァイオリンの三つめのチェック・ポイントとして観察することをおすすめしたいと思います。
SS
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SSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSS
S
S



さて四つめのチェック・ポイントのお話しに入りたいと思います。
ヴァイオリンなどのヘッド
にみられる胴体の『 ふるえ 』とバランスがとれるようにした技術のひとつがスクロールを 人間の頭部に例えれば 『 右向け右!』 にした事です。
これはオールドのヴァイオリンやチェロ、ビオラでよく見かけます。


上写真は横山進一さん撮影で 1986年に学研より出版された” The ClassicBowed Stringed Instruments from the Smithsonian Institution ” の 88ページより引用させて頂きましたが、スミソニアンに展示されているオリジナルネックのチェロです。 表板の真正面から撮影されているので スクロールの 『 右向け右!』がハッキリ見えると思います。

現在ほとんどのヴァイオリン族の楽器は近代に継ネックなどで製作時よりスクロールが正面を向くように改造されていますが 注意深く見るとこのチェロのように『 右向け右!』の製作時の姿をとどめた楽器に出会うことがあります。


SS9 Old Italian Cello  c 1680 – 1700 ( F 734-348-230-432 B 735-349-225-430 stop 403 ff 1SSSSSSSSS00 )Old Italian Cello   c.1680 ~ 1700

W.E.Hill & Sonsの鑑定書で 1680年から1700年にかけてイタリアで制作されたとされている このチェロのように継ネックがされていてもペグボックスが強くねじれた形状に削り込まれている関係できちんと胴体正面に対して右側を向いています。 この例のようにスクロールが右側を向いている弦楽器は とてもすばらしい ” 響 ”をもっています。
これもオールド・ヴァイオリンなどの製作技法としてチェックすることをおすすめいたします。

 

 

 

 

注)1   1990年に Bresciaで開催された 「 ガスパロ・ダ・サロ450年祭 」の展覧会カタログ ” Gasparo da Salo’ e la liuteria Bresciana Tra Rinascimento e Barocco ” の71ページより引用しました。

注)2   1998年にロンドンで開催された展覧会 ” The British Violin  -  400 years of violin & bow making in the British Iseles ” の 展覧会カタログの 75ページより引用しました。

注)3   この写真は横山進一さん撮影で1986年に学研より出版された”The ClassicBowed Stringed Instruments from the Smithsonian Institution”の24ページより引用させて頂きました。

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ヴァイオリンの岩永先生のサイトが出来ました!

 

岩永先生がホームページを 開設されましたのでお知らせいたします。

http://www016.upp.so-net.ne.jp/jiyugaokavl-msc/
よろしくお願い致します!

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21歳。 ただ今バイオリン作りの修業をやっています。

2011-12-02

December 02, 2011  16:43 P.M.
Today’s “Jiyugaoka Violin”.
21 years young …,  He is now “Mould” is produced.

  

Another pupil has produced a violin scroll.

I’m looking forward to finishing the violin that produces them.

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ベートーベンは やはり…すばらしいと思います。

2011-12-11  17:46

Today’s concert is Beethoven’s “Eroica” was.

My daughter is 19 years participated, 15 years old.
Played in the first violin and second violin.
Our daughter has made use of my violin.

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言うまでもありませんが…『 弦 』は重要です。

『 バイオリンの弦 』 の移り変りについて書きます。

バイオリンの ” 響き” に大きな影響をあたえる弦の歴史について書かせていただきます。
16世紀の半ばにバイオリンが誕生したときに使用された弦は、現在 バロック・バイオリン用として製造されているピラストロ社の 「 コルダ 」のD線ような ( 下左写真 )プレーンなガット弦と基礎となっている技術はそれほど違わなかったと考えられます。   ( ここでは重金属を使った高度な加工をされたガット弦やロープ編みのガット弦や、ねじり加工の差、弦表面のコーティング仕上げの違い、使用前のオイル技術などの話は省略します。)

 

上の右写真はピラストロ社の 「 コルダ 」のA線をほぐしたものです。 シープ・ガットが 3枚ねじって製造されています。弦の製造は文字では説明がむずかしいので、ガット弦の製造工程がわかる動画へのリンクを下に貼っておきます。

http://www.youtube.com/watch?v=k1aYaHEl9Rg&feature=related

イギリスでテレビ放映されたもので、ガット弦の製造工程のねじり加工がわかりやすいです。

http://www.youtube.com/watch?v=2_Cwe_pz0Uo&feature=player_embedded

イタリアの絃メーカーを見学したご夫婦が( 奥さんは日本人だそうです。)交互にホーム・ビデオで撮影した映像です。
ワウンド加工の実演がとても分かりやすいと思います。 とくに後半の オープン・ワウンド のシーンは 見ておく価値があると思います。

http://www.aquilacorde.com/en/researches/stringmaking-museum/video.html

http://www.youtube.com/watch?v=2CAkXyqPyXA&feature=player_embedded

さて本題に入りたいと思います。 バイオリンの” 響き” に大きな影響をあたえた出来事が 少なくとも 1660年頃  注)1 にイタリア・ボローニャで起こりました。  巻弦技術によって製造された『 ワウンド弦 』の誕生です。 これは上の動画の後半に少し出ていましたが現在製造されている弦にとって重要な技術となりました。
因みに現在使用されているガット弦は弦楽器の事情や音楽上の都合で細やかに使い分けられています。 参考のために イギリスの弦メーカーへのリンクを貼っておきます。
Northern Renaissance Instruments NRI Home Page

ガット弦についての興味深い記述が モーツァルト(1756~91)が生まれた1756年頃父である レオポルト・モーツァルト(1719~1787)が出版した本の翻訳版 ( ”Versuch einer Grundlichen Violinschule ” L.Mozart / 『 バイオリン奏法 』 塚原哲夫訳・全音出版 http://www.zen-on.co.jp/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=15193&dispNo=001001001001002 )の第一節4ページにありますので引用させていただきます。

『 バイオリンには4本の弦が張られていて、それぞれの弦は、他に関連して適切な太さでなければなりません。 私は ” 適切な太さ ” と言いましたが、他との釣合いにおいて、1本の弦が少しでも太かったら、均一なよい音色を出すことは不可能だからです。
バイオリン奏者とバイオリン製作者は弦の太さを目で測りますが、多くの場合その結果がとても悪いものだということは否定できません。 もちろん、バイオリンの弦を正しく張り、弦の音程が互いに適切な釣合いをもっていて、従って、2弦間で正しい音が向かい合っているようにするには、非常な忍耐と注意をもってむかわなければなりません。 この苦労を進んで受けようと思う人は、これらを数学的法則によって試みることができます。
よくのびた2本の弦、A と E 、D と A 、D と G を取ります。 1本1本の弦はできるかぎり直径、横断面が均一でなければなりません。 2本の弦のそれぞれに同じおもりを取りつけます。 2本の弦がよく選ばれたならば、それを打った時完全5度の音階が出ます。 もし1本の弦が半音高く、5度を越えるようでしたら、その弦は細すぎるので、もっと太い弦にするというしるしです。 また、音が下がっている場合は、その弦が太すぎるので、細い弦と交換しなければならないというしるしです。
このようにして完全5度が得られ、弦の釣合いがとれ、本当に純良になるまで続けなければなりません。 しかし、均一につくられた太い弦を見つけるのはなんと困難なことでしょう。 それらは、一方の端は他方の端よりたいてい太いのではないでしょうか。 不均一な弦で確かな試験をどうやってすることができるでしょうか。 従って、弦を選ぶことは最大の注意をはらって行い、単に行き当たりばったりで選んではいけない、ということに気付いて頂きたいと思います。 』

現在使用されている弦は 『 モーツアルトの同一張力 』ではなく たとえば Vision E と Dominant の組み合わせでしたら E ‐ 8.0 ㎏ 、A ‐ 5.5 ㎏ 、D ‐ 4.1 kg 、G ‐ 4.4 kg の張力差を積極的に取り入れてありますのでその辺の事情は違いますが、 ガット弦の製造方法があたまにあれば 1750年頃のガット弦の状況と演奏者の苦労がしのばれます。

ところでガット弦のなかでバイオリンのガット弦だけ少し特別な事情の影響をうけています。 上の写真は ピラストロ社のバイオリン用ガット弦 『 オリーブ 』の D線です。 芯材 ( コアー )のプレーン・ガットを巻線のくい込み防止と防湿のために中間材で包みその上から 平らな断面のアルミ材とゴールド材が 「 理髪店のカンバン 」のように交互に巻かれています。これを フラット・ワウンド弦と呼びます。 このピラストロ社のモダン・バイオリン用ガット弦は長年にわたって演奏家に選ばれてきた実績があります。 これはニコロ・パガニーニ ( Nicolo Paganini  1782 ~ 1840 )が使用した事に始まるといわれています。 イタリア・ジェノヴァ 生まれの パガニーニは ナポレオンの妹のエリーザ・バチョッキ ( Elisa Baciocchi )が 1805年にトスカーナ大公妃として設けたルッカの宮廷における独奏バイオリン演奏者となりました。 その後 1809年より北イタリアからはじめた演奏活動はイタリア全土にひろがり、1828年にはウィーンで演奏会を成功させついでプラハそしてドイツ全土、1831年には3月から4月にかけて有名なパリ・デビューをおこない 5月にロンドンに渡り翌年にかけて イギリス、スコットランド、アイルランドでも大成功をおさめ 1834年9月まで続けられます。 これらの演奏により彼はヴィルトーソとして ” 近代バイオリン演奏技法 ” を完成させた人物として記憶されることになりました。

現在、弦の製造メーカーとして有名な ピラストロ社 ( Pirastro GmbH / Germany )は 1798年にイタリアからドイツに移住してきた エヴァ・ピラッツイ ( Evah Pirazzi )さんがマイン川沿いの街 オッフェンバッハ ( Offenbach )に小さい仕事場 ( ジョルジョ・ピラッツィ & フィッッリ )を設立したことに始まるそうです。  パガニーニさんがいつ頃から エヴァ・ピラッツイ さんの製造したガット弦をつかいはじめたのかははっきりしませんが 1828年のウィーン・デビューの頃にはすでに使用していたと言われています。 このパガニーニさんがヨーロッパの音楽界に与えた衝撃とともに ピラストロ社は世界に普及することと成り現在に至っています。

さてバイオリンにとって巻き弦 ( 『 ワウンド弦 』 )の登場が重要な意味をもっていたことは先にふれましたが、もうひとつ大事な技術が 『 パテンティング技術 』です。 それまでスチール弦として製造されたのはすべて低炭素線材を加工したものでした。 ところが 1828年頃高炭素線材が製造されるようになると、それを利用した技術開発が進みました。 そしてついに 『 高炭素鋼線材を加熱し オーステナイト化した後に500℃から600℃くらいに急冷し、さらに常温まで空冷する操作技術 』が開発されます。 この技術は 1854年に世界で初めてイギリスで特許法が成立した際に、 栄えある特許第一号として登録されたため 『 パテンティング 』 と呼ばれています。 一般に 『 ピアノ線 』と呼ばれるスチール弦の誕生でした。

例えばこの技法により ドイツ・マルクノイキルヒェンの近くのエアルバッハに 1900年にグスタフ・レンツナーが創業した レンツナー社 ( Lenzner )は 1900年代前半にゴールドブロカットE線 ( Goldbrokat )を発売し現在でもヴァイオリンE線のトップブランドとして評価され続けています。 また現在も強い人気を誇るドミナントを製造する トマスティーク・インフェルド社も 1919年 ウィーンで フランツ・トマスティークと オットー・インフェルドが創業した直後に発売したスチール弦はバイオリン用としては世界最初と言われており、 世界の演奏家たちの絶大な支持を得て 伝統的なガット弦の存在を脅かすほどとなりました。 これについて 1903年から1926年まで ベルリンの音楽大学で教授をつとめて後世のバイオリン演奏に大きな影響をあたえた ハンガリー人のバイオリニスト カール・フレッシュ ( Carl Flesch  1873 ~ 1944 )が 1923年から1928年にかけて出版した 『 ヴァイオリン演奏の技法 』の翻訳版 佐々木庸一訳 音楽之友社刊( 絶版 )の 5ページより参照のため引用させていただきます。

『 金属線は、ガット線を次第に駆逐しそうである。 二十年前にはまだ厳禁されていたスチールE線で転換が開始された。 アルミニュームDがこれに続き、スチールAが最近この転換を完了するように思われる。 私はスチールで出来たA線には少なくとも当分はまだ反対する。 これに反して、私は既に他の二つの絃の信奉者である。 アルミニュームD線はたやすく音が出、抵抗力が強く、音色が明るいという長所を持っている。 ガットD線ではなかなか出にくいフラジオレットが、アルミニュームD線では比較的確実に出るようである。
スチールE線の使用に必然的に伴う十分に知られた長所の方が一層重要である。 ここではスチールE線が湿気に負けないということと、高い音がたやすく出るということを想起するだけに止めておこう。 しかし更につけ加えるなら、絃が切れる危険が殆どない。 スチール線を毎週一回取り替えるならば、それが切れないということを確実に信頼できるから費用がかかるということは問題にならない。 この信頼感が演奏家をどれほど安心させるかは、ある大きな作品の公演中に、だんだんゆるむ E線にすっかり気をとられて、そのことを腹立たしく思ってもどうにもならなかったことを経験した者のみが知っている。 こういう場合、絃の切れる音が、演奏者を( 時には聴衆をも )この残酷な苦痛から救い出すものである。 なお スチールE線は、調子がすばらしく良く合い、それにガット線よりも安い。 しかし私たちは、スチールE線の短所を黙って見逃してはならない。 これらの短所はまず第一に弓の毛の磨滅がはげしくそれがよく切れるということにある。 次にはレガートにおいて、しばしば開放絃の音が出ないというところにある。 たとえば次のようなレガートの絃の移行においては、開放絃のEが振動しないで ヒュッと鳴ることが多い。    ( 音符を省略。)  それ故、スチールE線をたえず使用するときには、レガートにおいては、開放絃は出来るだけ一貫して第四指で代用されなければならない。 しかしながら、作曲者によって開放絃がはっきり指示されている場合には、接触点を駒のすぐそばに移すことが危険な瞬間を脱するのに役立つだろう。 また開放絃のオクターブ上のフラジオレットもたびたび出ないことがある。 金属的に響きすぎる不安定な開放絃のEを最高音として含んでいる和音では、次に示す指使いをするとよろしい。  ( 音符を省略。)  ピッチカートも比較的乾燥した響き方をする。 それにもかかわらず、スチール線は今や ヴァイオリン演奏界において、その勝利をすでに完全に獲得し、そして ガットE線は、現在もはや職業ヴァイオリニスト達によっては殆ど用いられていない。  -本文注釈ー  次のことがこれを最も良く証明している。 即ち私は 1923年 に刊行されたこの本の第一版の中で、この問題を両方面から十分に論じた。 それは当時なお存在していた スチール線に対する反対論と闘うためであった。 ところがその後五年間を経た今日 ( 1928年 )、その間に起こった急変を証明するためには、ごくわずかの説明で十分である。 』

『 プレーン・ガット 』、『 ワウンド絃の登場 』、『 スチールE線の登場 』 そして次は 『 ナイロン絃の誕生 』です。

世界ではじめてナイロンの合成が成功したのは 1935年 のことでした。
それは アメリカ・デュポン社で ポリマーの研究を続け 1931年に合成ゴムの「 ネオプレン 」の開発に成功していた
ウォーレス・カロザース (  Wallace Hume Carothers  1896 ~ 1937  )によるものでした。 この偉業は彼の急死の翌年である 1938年にナイロン製品の発売開始に繋がりました。

このナイロンにいち早く目をつけたのが トマスティーク・インフェルド社を 1919年に ウィーンで創業しスチール弦で革命的な実績を達成していた フランツ・トマスティークと オットー・インフェルドです。 そして彼らはスチール弦の成功で得られた資金をつぎ込み ナイロン弦の『 ドミナント弦 』を開発し発売しました。  この『 ドミナント弦 』は 第二次世界大戦の終了とともに 瞬く間に ヴァイオリン弦のマーケットを席巻し世界標準に登りつめました。

下の3枚の写真は 左からヴァイオリン・ドミナントA線 ( 青 )、D線 ( 緑 )、G線 ( 黄 )です。
フラット・ワウンドの2段巻きで外側の巻線はA線、D線がアルミニュームで G線がシルバーなのは公開されていますが内側の巻線の材料は公開されていません。 コアー( 芯材 )は現在 「 シンセティック・コアー 」とされています。

    

ドミナント弦の成功に影響をうけて 現在も多くの弦メーカーが製品開発を続けています。 検証には拡大鏡が必要で目立ちませんが巻線の加工と材質特性だけでも興味深い工夫がみられます。 例として下にあげた アメリカ・ダダリオ社のヴァイオリン弦のザイエックス ( Zyex )のように D線はフラット・ワウンドの2重巻きですが G線は フラット・ワウンドの外側巻線の内側に ラウンド・ワウンドの巻線があり、ドミナント弦の銀色と違い銅色をしているのがわかります。 この巻線の比重や硬さはどうでしょうか?  コアー( 芯線 )が ナイロンであれば比重は 1.02 ~ 1.14 です。 これに対し巻線の金属は軽いタイプとして比重 2.7 のアルミニウムや 比重 4.5 の チタン、そして比重が5以上の重金属、例えば 鉄 ( 7.86 )、マンガン ( 7.2 )、クロム ( 7.19 )、銅 ( 8.92 )、鉛 ( 11.34  )、金 ( 19.3 )、銀 ( 10.5 )、白金 ( 21.45 )、タングステン( クロム元素 / 19.3 )などの利用が考えられます。 これらの金属は純度が高い場合には スリー・ナイン( 99.9% )以上のものであれば一般に使用されている比重値で済みますが、実際によく使用されるのは硬さなどの関係で合金や金属間化合物が多いですからやっかいです。 紛らわしいことに 「 銀 ( シルバー )」と表示されていてもよく見ると AgCu = 99.99% ( フォー・ナイン )などと表示してあったりします。 これを彫金などの業界では 「 銀 」と呼びならわしていますし、絃のメーカーも使用する巻き線にこういう合金類を使用している場合がよくあります。  それからラウンド・ワウンドは弦の命である「 しなやかさ 」をコアー( 芯線 )が失わないための工夫であったりもします。  これらはすべて高度な加工技術のたまものです。

  

弦について追っていくと たとえばチェロ弦のスタンダードのひとつとなった 1956年創業のヤーガー ( JARGAR  STRINGS )があったり 1980年代半ば創業のラーセン ( LARSEN STRINGS )があったりなど、音楽に重要な貢献や影響をあたえたメーカーや製造技術があったことがわかります。 私は どれも興味深く受け止めていますが 紙面の都合もありますので今回はここまでとさせて頂きます。

 

 

注)1 John Playford 1664年刊 … 記述より

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” Bel Canto ” ( ベルカント / 美しい歌 )

 

私は どちらも ” すばらしい ! “  と思います。

You’ll Never Believe This With Your Own Eyes
Eyeshttp://www.youtube.com/watch?v=aVvqFqITYlY&feature=share

Beautiful girl singing in Strasbourg
http://www.youtube.com/watch?v=hjAHUkIfK24&feature=grec_index

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