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〇  弦楽器を研究し見出したこと ( ネック部についての考察 )

○  弦楽器を研究し見出したこと( 誤った修理事例について )

 

○  弦楽器を研究して見出したこと。( スクロール基礎部キズについて )

○   弦楽器を研究して見出したこと。( ペグボックス内側上端部について )

〇  弦楽器の性能を確認する方法






○   弦楽器の鑑定について

Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) violin 1699年 Auer - V L改訂版 高等学校 物理Ⅰ - 数研出版株式会社 平成23年12月印刷 - B L

 

【  “オールド・チェロ” の 特徴について 】
【  弦楽器において非対象が 常識だった時代 について  】
【  “バイオリンの秘密 “を生んだ 複雑な音響メカニズム  】
【  グスレという弦楽器について  】
【  ヴァイオリンの誕生につながった重要な技術  】
【  本物の弦楽器を確認する方法  】

 

○   弦楽器製作における 失われた情報について‥はじめに

Violin Made in West Germany - Antonius Stradivarius 1713 - 1950年代 - 5 LUmgegend von Flensburg gebraucht Bredebro 1909 Verlag Th Thomson Flensburg - A L

 ピアノの弦数について
『 オールド・ヴァイオリン 』の時代と 自然科学

  弦楽器製作における 失われた情報について ‥ その確認方法
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○   あなたの楽器と ビニールテープ 0.4g を使って 『 オールド・バイオリン 』の響きを疑似体験してください。

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   弦楽器製作者として ペグホール位置について思うこと

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○  
非対称楽器であるバイオリンの “名器的響き” を楽しんでください。

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○   あなたは 三角フラッグ現象を ご存じでしょうか?

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○   自作弦楽器

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弦楽器の『響』の話

ヴァイオリンと能面の類似性について    –   前編
ヴァイオリンと能面の類似性について    –   後編

● 立体的形状により剛性を高める技術について
● 18世紀の音楽ホール事情
● 残響と干渉について
パイプオルガンの 『音の数』について
● ピアノの弦 ( ミュージックワイヤー) の本数 について

 

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○   ブログ

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○   更新前の 2015年までの  “自由ヶ丘ヴァイオリン” ウエブサイト

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弦楽器の鑑定について

● 弦楽器の鑑定書は 現在の性能を保証してはいません。

私は ヴァイオリン、ビオラ、チェロ の受注製作と オールド弦楽器の音質とバランス調整や 修復、そして子供用や工業製品もふくむ輸入新作弦楽器、弓などの販売と毛替えなどの一般修理をおこなっています。

そのような私ですが‥ この33年間 弦楽器に関する仕組みの研究を続け、結果としてそれなりの判断能力を得ることが出来ました。

そして、このために 私事で恐縮ですが  昨今の弦楽器鑑定や 整備について 疑義を感じることが多くなりました。そこで熟慮の末に 私は この投稿により 弦楽器鑑定についての私見を述べさせていただく事と致しました。

皆さんも「 鑑定」という言葉はよく耳にされると思います。
この言葉は 専門的な知識を持つ人が、真贋・良否などを判定することとされています。その評価・判断は、科学的で 統計学的であるとともに 専門家の深い経験に基づいたものでなければならないと思われます。

国宝「曜変天目」静嘉堂文庫所蔵

自由が丘からあまり遠くない 世田谷区岡本にある 静嘉堂文庫は 自然に囲まれた静かな佇まいの美術館であり、また 専門図書館でもあります。

ここは 三菱財閥の第2代総帥 岩崎彌之助(1851-1908 )、第4代総帥 小彌太(1879-1945 )父子の所有した庭園と遺品の古典籍・古美術コレクションを基礎として発足し 国宝7点、重要文化財 83点を含む、20万冊の古典籍と6500点に上る東洋古美術品が所蔵されています。

そして、その筆頭が 徳川家から最終的に岩崎家に渡った 国宝「曜変天目」です。私はテレビを見ませんが 2016年12月20日放送の テレビ東京系「開運!なんでも鑑定団」で 四つめの「曜変天目」として出現したものが問題となったそうですが‥ その 本物のほうですね。

このような騒ぎは 「鑑定」がまるで施設の命名権( ネーミングライツ )のような利権として乱用された結果と私は感じます。

ところで‥ 弦楽器の世界でも 残念ながら「鑑定」を名前をつける事として解釈する方が大勢いらっしゃるようです。

私はこの考え方に違和感を感じます。やはり 弦楽器の「鑑定」は真贋のみでなく良否などの判定として「性能」の評価が伴うべきではないでしょうか。

残念ながら名器と言われる弦楽器であっても 修理の際に過剰な補強がなされていたり、『 よかれと思って‥ 。』整備で 固くされたために、 バランスが調和しておらず レスポンスが悪く残響もお粗末で 演奏により本来もっていた響きを生みだすのが困難となったものが数多く存在します。

因みに このような状況は たとえば  演奏者の談話のなかに見ることができます。 ここではその例として 産経新聞から発行されているクラッシック音楽専門の月刊誌 ” MOSTLY CLASSIC ” 2008年 5月号  ” ストラディヴァリウス特集 ” P.22~25 を引用させていただきます。

これは ストラディヴァリウスを演奏している12人の日本人演奏家にアンケートしたものだそうです。その5番目の項目である 『 ストラディヴァリウスの第一印象と現在の印象 』についてのコメントを列記しました。

① 池田菊衛さん  1680年  前の楽器もストラドだったので戸惑いはなかった。前の楽器は完全に鳴らしきるのに 2~3年かかった。

② 潮田益子さん  1690年  最初は音が出てこない。2年くらい 十分にかかりました。私が音の出し方を分っていなかったのかも。弓の圧力をかけると急に音が出なくなる。今でも、子供と一緒で、ああ今日は音が上手く出てくれたとか、昨日はどうしようもなかったとか、毎日その繰り返し。

③ 漆原啓子さん  1667年  長く弾かれていなかったためか、なかなか楽器が鳴らなかった。鳴るようになると、華やかで明るい音。耳元で聴くと鳴っている感じはしないが、音は遠くに伸びる。楽器を信頼するようになり、心強いパートナーを得た感じ。

④ 加藤知子さん  1728年  人の出会いと同じように『 一目ぼれ 』。現在も恋愛中。最初は楽器の調整ができていなかったのと、ガット弦が張ってあったので音量が出なかったが、柔らかい音がした。それまでは 1800年以降の楽器を弾いていて、オールドは弾いたことがなかった。グァルネリと比べて楽器がすでに音を持っている。質のいい音がしていいなあと思った。それまでの奏法では音が出なかった。楽器から教わることが多い。

⑤ 佐藤まどかさん 1716年  他の楽器に比べて、様々な可能性を持った楽器だと思った。その印象は最初から大きく変わらない。とてもナチュラルでそのぶん奥が深く、演奏家の向かいたい方向を自在に向いてくれる。

⑥ 庄司紗矢香さん 1715年  うまくコミュニケーションが取れるようになるまで2年程かかりました。初めは、耳元が痛くなるほどの鋭い高音域が印象的でしたが、今は低音にも深みを感じます。本当かどうかは分りませんが、恩師曰く、私の声の音域のせいで私がしばらく弾いている楽器は低音が良く鳴るようになるそうです。

⑦ 諏訪内晶子さん 1714年  弾き始めたころは、あまり柔軟ではない音がしていたが、段々本来の持っている音が出て来た。あまりにも音が真っすぐ通るので、豊かな音にするか試行錯誤した。楽器の持っている個性を引き出しつつ、自分の個性をプラスして、と考えるようになった。

⑧ 宗 倫匡さん  1692年  生まれて初めて手にした時は、涙が出てきた。でも、すぐ手に取って鳴る楽器ではない。楽器との共同作業の中で、なだめたりすかしたりしながら音を作っていくと、音楽の可能性が広がる。音自体はナチュラルで上品。女優で言えば、マリリン・モンローではなく、グレース・ケリーのタイプ。

⑨ 高嶋ちさ子さん 1736年  最初に持ったときはピンと来なくて、こんなものに何億もかけるなんてもったいない、と思った。でも、徳永二男先生や楽器店の方に『 絶対に手に入れた方がいい 』と言われ、だまされたと思って購入。1ヵ月経ってもいい音が出ず、しばらく弾くのを止めていたが、ある日なんとなく弾いてみたら、いきなり素晴らしい音が出た。自分が調子悪いときでも、カバーしていい音を出してくれることがあり、勇気付けられる。

⑩ 竹澤恭子さん  1710年  際立って音のまわりの艶感が魅力的で、音の品格、深みなどに圧倒された。楽器がオープンに鳴るには時間を要したが、今では、弾くたびにこの楽器の音に大きな刺激を受けている。音色のパレットが広がり、表現意欲をより掻き立てられる。音を響かせて艶を出す奏法も学んだ。

⑪ 徳永二男さん  1719年  最初は楽器の特性に慣れようとすると、楽器と格闘し、腱しょう炎になったりすることもある。格闘し始めると楽器は反応してくれない。乗馬の馬と似ている。それが 1年くらいすると、力じゃなくて、『 こうやったら、鳴ってくれるかな 』というのが分ってくる。

⑫ 豊嶋泰嗣さん  1719年  買った当初はヴォルフトーン( うなるような音 )が出たりして使いあぐねたが、年単位で安定感を増して他の追随を許さない。形だけコピーしたものもあるが、内面から湧き出る品格はストラド独自のものだ。やっぱり楽器が自分を育ててくれると感じる。しかし、奏でられる音楽はあくまで奏者の音だ。ストラドを手に入れたことは自分の音楽に対する誠意を確認したことでもあった。

ストラディヴァリウスの第一印象として『 すぐには鳴らなかった 』などといったコメントならんでいます。それにしても、鳴りが悪い状況が 2~3年とは‥ 私は 実にイタイ‥ と思います。

この状況は ストラディヴァリウスが真作であるとすると 彼の責任ではなく、 後の時代に行われた修理の際に不調和な状態にしてしまった事が原因となっている可能性が高いと私は考えます。

それは 残念なことに同じような状況が ストラディヴァリウスだけではなく他の製作者によるオールド・ヴァイオリンでもよく見られるからです。

長文となりますが‥ その具体例として ここから一台の有名なヴァイオリンにまつわるお話をしたいと思います。

●「白系ロシア人」であった ハイフェッツについて

ヤッシャ・ハイフェッツは 1901年に ロシア帝国領であったヴィリニュス( 現 リトアニア共和国首都 )に生まれ、1910年に サンクトペテルブルク音楽院で レオポルト・アウアーに師事し、1914年には ニキシュ指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演した事が知られています。

Jascha Heifetz( 1901-1987 )

彼は 1917年に カーネギー・ホールでアメリカ合衆国デビューを果たしますが、この年の2月 そして10月のロシア革命や 第一次世界大戦の混乱を避けるためにそのままアメリカに在留することを選びました。

そして、第一次世界大戦が終結すると 本格的な演奏旅行を再開し 1923年には初来日も果たしました。彼は こうした時を経て1925年にはアメリカの市民権を獲得し、最後は 1987年にロサンゼルスで死去しています。

ロシア革命や 第一次世界大戦などによる「白系ロシア人」の亡命者や移民は世界各地におよび、日本でも 1918年の一年間で 7,251人が入国したと記録されています。「白系ロシア人」とは 赤色が共産主義、社会主義の象徴色とされ、対照的に「白系」は白軍と呼ばれたロシア帝国側の人々や 共産ソヴィエトを支持しないロシア系の人々を形容する言葉だそうです。

例えば、ハイフェッツと同じアウアー門下で 父親が ロシア帝国官僚、母親が貴族出身だった小野アンナ( Anna Dmitrievna Bubnova 1890-1979 )さんは 1917年 5月に 小野俊一氏と結婚し ペトログラード( サンクトペテルブルク )から 日本に「白系ロシア人」として移住したのが この1918年でした。

また、ロシア革命により処刑された最後のロシア皇帝 ニコライ 2世( 1868年生まれ – 在位1894年 – 1917年3月15日退位 – 1918年7月17日処刑 )の宮廷楽団 楽長をつとめたヴァイオリニスト、 アレキサンダー・モギレフスキー( 1885-1953 )も混乱するロシアを離れ来日し 祖国に戻ることなく東京で死去されています。

アメリカ合衆国には 1917年12月に家族とともにロシアを出国した「白系ロシア人」の ピアニスト、作曲家 セルゲイ・ラフマニノフ( 1873-1943 )が 1918年の秋に入国し亡命したほか、ロシアの大作曲家として知られるイーゴリ・ストラヴィンスキー( 1882-1971 )も スイス、フランスを経て亡命しニューヨークで亡くなっています。


Jascha Heifetz( 1901-1987 )1926年頃

● ハイフェッツと クッドラッチは いつ出会ったのでしょうか?

さて‥  ここで、この時代の年譜を確認させていただきます。

ロシア革命の遠因の一つは サラエボ事件を受けて1914年7月28日に オーストリア・ハンガリー帝国が セルビアに宣戦布告したことに始まる 第一次世界大戦であったと言われています。

これは 1914年8月4日にイギリスがドイツに対して宣戦布告した頃から本格化し、ついには 1917年4月6日にアメリカがドイツに対して、また その後オーストリアに対して宣戦布告をおこなう事態へと悪化していきました。

第一次世界大戦の大規模な戦闘は 1918年11月11日までの 4年3ヶ月におよび、 最後は 1919年1月18日からの パリ講和会議により協議がおこなわれ、1919年6月28日のヴェルサイユ条約などを中心とした多数の関係条約の締結によって終わりました。

Abraham  Koodlach ( 1890 Kiev, Ukraine – 1910 Winnipeg, Canada – 1920 Los Angeles – 1946 )

この長期間に及ぶ混乱期に祖国を後にした大勢の「白系ロシア人」は異郷の地で支えあいながら それぞれの地歩を築いて行くことになりました。

この写真の ロシア帝国領 キエフに生まれた弦楽器職人 アブラハム・クッドラッチ( Abraham  Koodlach 1890 – 1946 ) も それら亡命者、移住者のひとりでした。彼は 1919年末に「白系ロシア人」として一家を伴いロサンゼルスに移住してきました。それは ヤッシャ・ハイフェッツが アメリカ合衆国で 19歳を迎える頃のことでした。

彼は キエフ( 現 ウクライナの首都 )を 1910年に出国し、ウクライナ系移民も多く住む カナダ 、マニトバ州のウィニペグを経て 最終的に 1920年のはじめに ロサンゼルスの西50㎞ほどに位置し マリーナや オックスナード・ビーチからすぐの ポート・ヒューニーメに居を構えました。

Jascha Heifetz  ( Vilnius 1901-1987 )  &  Abraham  Koodlach ( Kiev 1890 – 1946 )

今となっては ヤッシャ・ハイフェッツ( 1901-1987 )と アブラハム・クッドラッチ( 1890 – 1946 ) がいつ出会ったのか‥ などの 詳しい事情はわかりませんが、 私は 彼らの親子2代におよぶ親交は 出身地である ヴィリニュスと キエフがロシア帝国領となる以前の中世のリトアニア大公国の時代から同朋としてつながりが深かったことなど‥ が、その土壌となったと想像しています。


1924年1月22日 ヤッシャ・ハイフェッツから クッドラッチへの手紙

● ハイフェッツの ガルネリ・デル・ジェス について 

ところで‥ ハイフェッツ( 1901-1987 )は 1922年に 著名ディーラーである エミール・ヘルマン( Emil Herrmann 1888 – 1968 ) から ヴァイオリンの名器、ガルネリ・デル・ジェス “Ex – David” を購入し、1987年に亡くなるまで所有し続けたことはよく知られています。


エミール・ヘルマンの ヴァイオリン・ショップ


Emil Herrmann’s workshop in New York     1931年

私は このヴァイオリンの鑑定書( Certificate )やレター( Letter )を とても興味深く思っています。

鑑定書は 1922年のもので同時期に書かれたレターに このガルネリ・デル・ジェス “Ex – David” の由来がしるされていました。


1922, Letter :  ” The label the instrument bears is not the original but I am sure that it dates from 1739, 40 or 41, and consider ‥.

until 1860
このレターによると このヴァイオリンは 1860年までパリの著名な弦楽器商で製作者でもあった ヴィヨーム( Jean – Baptiste Vuillaume 1798-1875 )が所有していたとされています。

1860 – 1873
そして 1860年から ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の元コンサートマスターでメンデルスゾーン( Felix Mendelssohn Bartholdy 1809-1847 )との親交で知られるライプツィヒ音楽院教授の フェルディナンド・ダヴィッド( Ferdinand David 1810-1873 )の所有となりました。

1873 – 1884
この期間はフェルディナンドの息子 ポール( Paul David )が所有していたそうです。

1884 – 1885
ドイツのヴァイオリニストである アウグスト・ウィルヘルミ( August Wilhelmj  1845-1908 )のものとなりました。

[ 恐縮ですが ここからは書いている途中です。]

Mendelssohn & David

Violin Concerto in E minor

Mendelssohn & David

Original in concept and perfect in execution, it was the product of hard graft, assisted by Mendelssohn’s friend and chosen soloist, Ferdinand David.

The original manuscript was lost for decades after World War II, but when Luigi Alberto Bianchi tracked it down some years ago, we could see that changes were being made right up to the time of publication. Mendelssohn started thinking of it in July 1838 and its opening bars haunted him, but he did not complete it until the summer of 1844, and by that September he had finished the orchestral score. Even then he was assailed by doubts and he initiated a flurry of correspondence with David on numerous details, all of which contributed to the jewelled precision of the final score.

David gave the premiere on March 13, 1845 in Leipzig with the Danish composer Niels Gade conducting the Gewandhaus Orchestra because Mendelssohn was ill. It was not until 23 October that the composer himself conducted the work, with David as soloist. At another Leipzig subscription concert on October 3, 1846, the 15-year-old Joseph Joachim played the concerto for the first time under Gade’s direction, to great acclaim.

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私にとって興味深いのは 、ハイフェッツが このヴァイオリンの整備を カリフォルニアのアブラハム・クッドラッチ( 1890 – 1946 ) に依頼したことです。

また、それにとどまらず 彼は 1946年に アブラハムが死去した後も、その息子の ベンジャミン・クッドラッチ( 1914 Canada – 1990 Port Hueneme, California  )に 任せていたと考えられる 1950年の写真まで残されています。

Jascha Heifetz  ( Vilnius 1901  – 1987 )  &  Abraham  Koodlach ( 1890 Kiev, Ukraine – 1910 Winnipeg, Canada – 1920 Los Angeles – 1946 )

この父子はとても似ていますので混同しそうですが、 ハイフェッツ( 1901-1987 )と写真に納まっているのは 上写真が 父親アブラハム・クッドラッチ( 1890 – 1946 ) とされています。

 


Picture at Koodlach Studio



‘Heifetz, David’ Guarneri ‘del Gesù’ of 1740,

そして、下写真の左目端にホクロがあるのが息子ベンジャミン・クッドラッチ( 1914 – 1990 ) だそうです。


Jascha Heifetz  &  Benjamin Koodlach ( 1914 Canada-1990 Port Hueneme   California  )

これらの写真はあまりに情景が近いので 念のために 1920年代に撮影された ガルネリの修復作業写真と何度も比較してみました。

その結果として 少なくとも作業机にならんだ穴に差し込んであるノミの柄の種類と配置が違うことや、ガルネリの側板やライニング、コーナー部を絞め込んでいるクランプ位置と種類がちがうことなどから 出典元の説明文のように下写真は 1950年に撮影されたと 私も判断しました。


Benjamin Koodlach ( 1914 -1990 )により 1950年に実施された ‘Heifetz, David’ Guarneri ‘del Gesù’ of 1740 の修理写真



Tatsuo Imaishi at the restoration shop of Rare Violins of New York  (  Manhattan, N. Y.,  Jan. 9, 2017.  Samira Bouaou / Epoch Times )

NEW YORK—Thinking about investing in a Stradivarius or a Guarneri del Gesù? Well, sound is the very last thing you should consider.

When determining the value of a violin, it comes down to the maker of the instrument and the condition it is in, according to Bruno Price and Ziv Arazi, co-founders of Rare Violins of New York.

These considerations determine value because every instrument is distinct— the best ones even more so—and the most valuable and valued instruments require a certain level of skill and finesse to play, on top of a compatible playing personality.

There is a violin joke that goes, after a performance, a woman once told Jascha Heifetz how great his violin sounded. So he took the violin out of its case, held the instrument up to his ear, and said, “Funny—I don’t hear anything!”

Now, while it’s not the first consideration, the sound of a valuable violin is, of course, still important. They are musical instruments, after all.

The crack—from one end of the instrument to the other—has probably lowered the value by 10 or 15 percent, Price said. But after the repairs, the instrument may actually sound better, just because Imaishi has more carefully put the instrument back into its ideal shape and made sure everything is in the right place. So sound doesn’t matter, Price reiterated.

But as they started on repairs, they noticed repair work done to the back of the instrument that the client probably hadn’t known about—the sort of work that would halve the value of the instrument right off the bat, Price added.

 

 

 


Andrea Guarneri  violin  1665年

名器と呼ばれるブランドゆえの悲しさだと私は思いますが、本来‥ 楽器は性能をもって その誉とされるべきものではないでしょうか。


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航空貨物  輸送事故

 

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三重パッチ( Triple patch )

このような整備不良が最も分りやすいのは 弦楽器を修理した直後の不具合ですが、演奏者も修復担当者も修理直後はしょうがない‥ と思われるようで改善されないまま使用され続けることが多いようです。



私の経験では 修理直後に不安定な期間があったとしても 一般論としていえば せいぜい数日から 長くて一週間くらいだと思います。 この期間でレスポンスと 響きが回復しなかった場合は チューニングのバランスが合っていないか 『 過剰修理・過剰補強 』となってしまった可能性が高いと考えられます。


ストラディヴァリ・チェロ バスバー付け根部割れ L字補強


ヴァイオリン・バスバー部割れ L字補強


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このような状況が起こり得る弦楽器では 真贋のみの「鑑定」で名前が確定されたとしても、本当の評価とは言えないと私は思います。

名器と言われる弦楽器であってもバランスが調和していなかったり、本来の音響システムが痛めつけられている楽器については 適切に評価すべきではないでしょうか。

修理サインと修理ラベル( Repair signs and repair labels )

私は このような状況は弦楽器の音響システムについての情報が公知化されなかったことが原因となり生じたと考えています。

パブロ・カザルス( 1876 – 1973 )指揮者フルトヴェングラーの賛辞「パブロ・カザルスの音楽を聴いたことのない人は、弦楽器をどうやって鳴らすかを知らない人である。」
『 ストラディヴァリウスは自分には似合わない。』
Throughout most of his professional career, he played on a cello that was labeled and attributed to “Carlo Tononi … 1733” but after he had been playing it for 50 years it was discovered to have been created by the Venetian luthier Matteo Goffriller around 1700. It was acquired by Casals in 1913.[14] He also played another cello by Goffriller dated 1710, and a Tononi from 1730.

そこで 私は「オールド・バイオリン」などを取り巻く状況が少しでも変わるように、そして 弦楽器をリスペクトするために 長文となり恐縮ですが‥  弦楽器の音響システムについてお話ししたいと思います 。

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では、はじめに 下のストラディヴァリウスの画像をみてください。

Antonio Stradivari  violin,  1731  ” Lady Jeanne ”

Antonio Stradivari violin 1731年 Lady Jeanne - C MONO L
このときまず四つの尖ったコーナー部を観察します。
はじめは 特に  A , B 部の大きさの差に着目してください。

Joseph Thomas Klotz Violoncello piccolo Mittenwald 1794 ( 1743-1809 ) Sebastian 1696-1768 - A L

Joseph T. Klotz ( 1743-1809 ),  1794年 Violoncello piccolo, Mittenwald

私は1900年以前の弦楽器を見分ける時には、 はじめに四つの尖ったコーナー部の 左右の非対象性( アシンメトリー )を確認します。

これは弦楽器製作における古典的技術のなかで 『 あの響き‥ 』を生みだすための重要な設定だからです。

Antonio Stradivari 1673年Harrell - Du Pre - Guttmann - A L

Antonio Stradivari  1673,  Violoncello ” Harrell, Du Pre,  Guttmann ”

 

歴史を検証してみると “オールド・バイオリン”などに見られる高性能な弦楽器は レゾナンスとレスポンスのために絶妙な不安定さを積極的に取り入れることで誕生したと考えられます。

例えば ストラディヴァリウスなどの 四つの尖ったコーナー部の 非対象性設定は 下図のように振動モードのひとつとしてシュミレーションできます。

左図では 左側角が振動の起点となり奥の角がリレーションすることで「  ゆるみ 」が生まれます。また右図は対称型で 左側角の起点と手前の角がリレーションします。

つまり 四つの尖ったコーナー部のうちコーナー A が上図では 左側角の振動の起点の役割をはたし、コーナーB がそれにリレーションして響胴に「 ゆるみ 」がうまれることが共鳴現象につながっていると 私は考えているのです。

ただし‥ ヴァイオリンなどの弦楽器はF字孔という 2つの開断面がある表板が主たる振動板の役割をもっていますので、裏板は表板の振動条件を生みだすための駆動系としての要素が大きいと考えられます。

ですから 裏板コーナー部をイメージする場合は、上のシュミレーションのように表板が 緩むために 裏板側はアシストしているという位置づけが適切であると 私は考えます。

これは裏板の四つのコーナー部が 音響的には レスポンスと 振動の持続、そして 音色を左右する共鳴条件に関する役割を果たしているということです。

そもそも‥ コーナー部をみると表板と裏板が 相似形でつくられているように見えますが 実際に重さの条件だけみても、今‥ 私の手元にある 1780年頃に製作されたヴァイオリンでは 表板側が 69.0g で 裏板側が 148.0g( 響胴部 217.0g   :   ネック部 104.0g  )といった具合に 表板と裏板では差がつけられています。

また 木材の特性として重要な比重の差もあります。因みに、木材繊維( セルロースミクロフィブリル )自体の比重は 1.5 ほどで 樹種による差はほとんどないそうです。だから、もし木が空気を含まなかったら水に沈むと説明されています。

木材の重い、軽いは個々の樹種の木材繊維ではなく空気層の割合( 空隙率 )が反映したものであることを念頭に置いたうえで比重をみると、表板のスプルースが全乾比重で 0.43位で 裏板のメープルは 樹種により 0.55 ~ 0.7 と値幅がありますので 0.6位と想定しシュミレーションすると その差に意味があることが分ります。

  •  弦楽器の場合は実際は気乾比重[ 自然の温度・湿度とつりあった木材の含水率 ( 日本では15%前後) のときの比重 ]であることが望ましいのですが計測値がなかなか揃わないので、全乾比重[ 含水率ゼロのときの比重 ]が 一般値として使用されています。

それから 表板と裏板においてはアーチの差も重要です。 先程の1780年頃に製作されたヴァイオリンの場合では 表板アーチの高さが 20.7mmで、裏板アーチが 19.1mmといった具合に差がつけられています。この他のアーチの差につきましては 、私が参考にしている  ロンドンの『 ロイヤルアカデミー・コレクション 』資料集から表板と裏板のアーチの計測値を下にあげておきます。

残念ながら名器と言われる弦楽器であっても‥ この視点がなく”修復”された弦楽器は”しなやかさ”の対極の特徴を持っています。これらはレスポンスが悪く残響もお粗末で、演奏により本来もっていた響きを生みだすのは困難です。

そこで 古い弦楽器の参考例として、ここから 先週 私が整備したヴァイオリンのお話をしたいと思います。

 

Violin,  Wien 1810年~1820年
(  For example, Franz Geissenhof 1754-1821  )

このヴァイオリンは 8年程前に現在の所有者が知人からノーラベルで製作者は不明のものとして購入されました。残念ながら 楽器性能に関しては その時から‥ とにかく響かない状態でした。

そして 結局、所有者の方と私がご縁があった関係で、今年の 2月9日から2月12日までの期間で費用 ¥200,000 – の整備をすることになりました。

私が このヴァイオリン整備で まず問題と考えたのは 下写真の  “カノン”のように 逆ぞり変形による裏板割れがある事でした。

It is a violin “Il Cannone” which broke the block and cracked the side plate.

この有名な “カノン”と同じような逆ぞり変形をしたヴァイオリンで ボトム・ブロックを見て下さい。



このヴァイオリンは ブロック割れだけではなく 裏板ジョイントも剥がれた上に、写真のように裏板に3本の割れが入っていました。

因みに、私は 裏板側のひび割れは 表板の歪みと演奏に使用した時間に比例して増えていったと推測しています。

私の経験では下写真のヴァイオリンもそうでしたが、同じようにボトム・ブロックが割れていても 裏板の割れに至っていない事例も多く その破損メカニズムについて結論を得るのに 19年ほどが必要でした。

現在、私はこのボトム・ブロック割れは 「つり合いの破れ」により表板が歪んだ事で扁平に変形して、それが下幅広部を左右に押しながら陥没することによって生じたと考えています。

これは15年程前に整備したのちに 私が 販売した 1919年に英国で製作されたチェロなどが 判断の根拠となりました。
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Arthur Richardson  (  Crediton 1882 – Devon1965 )    Cello 1919年

このチェロは製作されてから 83年となりますが 裏板ジョイントが剥がれ‥ ブロック部のひび割れは表板側から入っていますが エンドピン穴までは まだ到達していません。私はボトム・ブロックのひび割れが短いケースでは ただニカワを染み込ませ締め付ける修理を淡々とこなしていましたが、 この時にやっと その原因に関する仮説をたてられたのです。

それから、私が確認できた 逆ぞり変形に伴う疲労破損の最短例も あげておきたいと思います。

これは 1994 年にドイツで製作されたチェロで、私は この年にアマチュア・オーケストラに所属する方に販売しました。  この写真は それから 10 年程たった 2004 年に調整のために持ち込まれた時のものです。

このチェロには テールピース脇の表板にすでに ヒビ割れが ( 矢印①から②まで )入っていました。  そこで私は 表板が割れたのがほかにおよんでいないかを確認するために、クルッと裏返してエンドブロックの裏板側をみました。

そこには下の写真のように 35∼40 mm ほどの フレッシュな割れが 二か所にありました。


このチェロの内部です。 このヒビ割れは下写真に写っているボトム・ブロックの両端からのびていました。新品で使いはじめられてわずか 10年でこの状態になっていたのは 私にとって衝撃でした。

Gustav Franz Wurmer ( Stuttgart )cello 1994年

私は「 歪み 」が裏板割れまで進行するまでは、現代型の設定だと それなりに弾き込んでも 30 年ほどかかるのではないかと推測しています。 しかし その場合でも 疲労の蓄積によって かなり早い時期に逆反り変形 が 発生することがあるようです。

この他にも響胴の歪みが破損につながる事例は 下にリンクを貼った ピグマリウス『 REBIRTH(リバース)』シリーズの事例のように枚挙にことかきません。

このバイオリンは、わずか12年で‥ なぜここまで壊れたのでしょうか?

私は これらの事例によりボトム・ブロック割れは エンドピン起因では無いと確信できたことによって 疲労破壊のメカニズムの仮説に合理性を持たせることが出来たと考えています。

さてここで、参考例として先程あげさせていただいたヴァイオリンの逆ぞり変形を確認したいと思います。このヴァイオリンは上下ブロックと高音側上コーナーブロック、それにライニングなどを入れ替える修理がおこなわれ 水平面( Horizontal )の補正が何度も行われていましたが 結局 この 8年間でここまで変形しました。


それと 製作者についてですが‥  私は このヴァイオリンは  ペグボックスの厚さや 高音側上コーナーブロック以外のオリジナルと考えられる 3つのコーナーブロック、それぞれの側板の厚さ配置、木理配置、などから 200年程前に ウィーンで製作された楽器ではないかと考えています。

古い弦楽器によくある事例ですが、魂柱部を通る割れは 長さ 267.0mmで裏板長の 75%ほどもありました。下図では 赤線がそれにあたります。

ご存じな方も多いように、このような裏板魂柱部の年輪に沿った割れは”オールド・バイオリン”や “オールド・チェロ”などでは それほど珍しくありません。

また、弦楽器が製作された地域や時代もほぼ無関係と 私は考えています。

これらの写真のように ドイツ製のヴァイオリンでも 有名な ストラディヴァリウスでも、下のグランチーノ派が製作したとされるチェロでも 注意深く観察すれば裏板の割れは 容易く見つけられるからです。

まあ‥ ニスの補修でかなり目立たなく出来ている弦楽器も多いようですので 見分けるには多少の訓練が必要かもしれません。

ニス補修では 上写真のように あえてオリジナル・ニス端にグラデーションがつくように 割れから少し離れた位置まで薄くした上で、タッチアップを加えるやり方があったりしますから‥ 。

さて、このヴァイオリン整備につきましては‥  私は 2月9日に表板をはずした段階で、不調の主因は『 ブロックのサイズや 位置の変更、エンドピン穴位置が移動されたこと、それとバスバー設定が調和しなかったため。』と 判断しました。

なお、裏板部は はじめにブロックがはいっていた際から割れてしまったようで黄色ラインで囲んだ部分には割れ補強のために別の板があててあります。


このヴァイオリンは裏板や表板のひび割れなどの状況から製作時には 上図で色塗りした位置にこの厚さで上下ブロックが入っていたようです。つまり、魂柱部の割れはボトム・ブロック端から生じていたと考えられます。

状況から考えれば それを嫌ってだと思いますが ボトム・ブロックはかなり右側にずらしてあります。

そしてまずい事に エンドピン穴も新たに設定したブロック幅の中央に移動されていました。

現代では 下写真のチェロのように 響胴のセンターラインにエンドピン穴を移動する”調整”をおこなっている弦楽器工房は 少なくありませんが‥ これは 音響的には 最悪の結果につながりやすいと 私は考えています。

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私の経験では 製作時の姿をとどめた弦楽器ではエンドピンの上エッジで ボトム・ブロックのヘリにある サドルをエンドピンの位置より少し右側に設定したものが多いようです。

参考資料として ニュルンベルグの 「 ドイツ・ナショナル ミュージアム 」収蔵の オリジナル状態の Leopold Widhalm( 1722~1786  )の 1757年製ヴァイオリンで サドルとロワー・ブロックの関係を X線画像で見てください。


この画像では ロワー・ブロックの下端に突き出したサドルが見えますが、ブロック位置よりあきらかに右側にずらしてあるのが 確認できると思います。

私が知っている  Leopold Widhalm  ( 1722- 1786 ) が 1769年に製作したヴァイオリンでもそうでした。



Duane Rosengard   ” Giovanni Battista GUADAGNINI  –  The life and achievement of a master maker of violins ”  P.289

Egmont Michels  ” Die Mainzer Geigenbauer ”  / Friedrich Hofmeister   P.224

サドルは弦楽器の修理・調整で取り換えられることが多く 上の写真のようなオリジナル状態が保存されている弦楽器はまれで、通常は表板のジョイントやヒビ割れや周りの状況で推測するしかない楽器が多数派です。

私はオリジナルのサドル位置がエンドピンより右側なのが一見してわかるヴァイオリンなどによる状況証拠から 『  ネジレ 』 を積極的に誘発するサドル位置を選んだヴァイオリン製作者は少なくなかったと思っています。

 

 

 

ヴァイオリンには ” 疲労破壊 ” が発生します。 現代ではその原因を ” 強度不足 ” と思い込んだ方が増えましたが 私は違うと思っています。 私の研究では ロワー・ブロック付近の破損は ① ヴァイオリンのバランスが不調和の状態で鳴らしたことにより表板に歪( ヒズミ )がたまり変形が進み ② エンドピン・ブロックと側板の接着部が上からエンドピンに向けて剥がれていくか割れが入るかしてブロックが不安定となり ③ 弦の張力でブロックと一諸にエンドピンが傾き側板にヒビを入れ ④ 枠の支えが弱くなったために表板の歪がより増え大きな割れが入る。という ” 逆ぞリ型破損 “がその典型と言えます。 上写真のエンドピンホールの左右のひび割れもそうして入ったと考えられます。

 

これを知っていると 下写真のヴァイオリンのように埋めてあっても A-B ラインに割れが入っており Cの位置に破損で傾いたエンドピンの食い込んだ跡があることから エンドピンホールは 内円の位置に開いていたとが推測できます。

 

 

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現代では ネックブロック部の “ゆれ軸”についての検証は非常に困難です。

たとえば G.B.ガダニーニ( 1711 – 1786 )が製作した ヴァイオリンの 裏板ボタン部でパフリングが途切れているのを確認したくても 製作時の状況が保たれている楽器はほとんどありません。

それらの多くは『 親切な楽器屋さん 』がパフリングの途切れた部分にミゾを彫り込み‥ 『 復元? 』された状態に変えられていると私は思っています。


これは‥ 上の写真のように 彼のヴァイオリンは パフリングを途切れさせているだけでなくその外側幅( パフリングとアウトラインの幅 )を R側が L側( G線側 )より幅広とするなど その差を意識し、しかも裏板中央軸部( たてスジ状の工具痕跡 )に合わせてきちんとスペースを空けてヴァイオリンを製作したことを示す弦楽器が数台ですが 現存していることから判断しました。

また、このように製作時の状況をとどめていない楽器でも 後世の人がパフリング・ラインを連結させようとしてもスムーズに繋がらなかったものがその状況証拠となりえると私は 思っています。


これらのヴァイオリンの継ぎ足されたパフリングを目にするとき、私は『 オールド・バイオリン 』の整備を本来は 楽器性能としての基準であたるべきところを 担当者が仕組みが分らなくて” 工芸品基準 “で判断してしまった悲劇であると思います。


現在 “オールド・バイオリン”などの弦楽器の多くに こういった設定がされていることは 本当に悲しいですね。

 

ともあれ‥ 私は 単に弦楽器取引のための 差別性を目的とした弦楽器の鑑定は 近い将来に意味をもたなくなると思っています。

真の意味での鑑定は、その弦楽器が 製作時の音響性能をどの程度 維持できているかの側面から判断され 評価されるべきなのは‥ 皆さん異論はない筈だからです。

 

【  “オールド・チェロ” の 特徴について 】

【  弦楽器において非対象が 常識だった時代 について  】

【  “バイオリンの秘密 “を生んだ 複雑な音響メカニズム  】

【  グスレという弦楽器について  】

【  ヴァイオリンの誕生につながった重要な技術  】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つり合いという現象

私は ルネサンス期の1500年代中頃に誕生した ”オールド・ヴァイオリン” は 1650年から1750年頃ヨーロッパ各地で盛んに製作されたものの、 1800年頃にはその製作者が激減し‥ ついには絶えてしまったと考えています。

この投稿は その失われた ”オールド・ヴァイオリン” の 音響システムについてのお話しです。

現在、私たちは ヴァイオリンネック材として ヘッド部がこの状態まで加工されたものを ¥5,000 以下で購入出来ます。

まあ‥ 機械加工のものや「工場制手工業」タイプなどいろいろですが。

また下写真の 英国にある製作学校系統の人達のように‥ 敢えてネック部が全体価格の20%だと換算すると‥ ヘッドを削りあげた状態でそれが おおよそ¥100,000 を超えると考えられる製作者も 大勢います。

当然ですが 前者の無頓着さと比べて 後者はとても丁寧に削られているので、工芸品としてのヒエラルキーは 十分成立しているようです。

しかし残念なことに 音響上の特性においては、この両者にほとんど差はないのではないかと 私は考えます。

それは この製作工程では『 原則に従うことで ヴァイオリンの諸部分が相互に補完しあう、バランスのとれた楽器 』は製作出来ないと考えられるからです。

そこで まずこの点について レオポルト・モーツァルト著の書籍( 翻訳版 )により検証してみたいと思います。

レオポルト・モーツァルト( 1718-1787 )は 息子のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが誕生した年である 1756年の秋に『 Versuch einer gründlichen Violinschule( ヴァイオリンの基礎的入門の試み ) 』を出版しました。

この書籍は 日本でも 塚原晢夫氏が翻訳したものが 全音楽譜出版社から1974年に『 バイオリン奏法 』として出版されています。

ところがこの翻訳底本は 1951年に出版されたクノッカーの英語版の改訂版であったため、私たちの間では ながらく原典版の翻訳が待ちのぞまれていました。

そうして時が経ちましたが‥‥、 今年5月に 同じ全音楽譜出版社から 原典版である「初版」がついに レオポルト・モーツァルト『 ヴァイオリン奏法 』新訳版( ISBN978-4-11-810142-2  C3073  ¥3800E )として出版されました。

これは音楽学の久保田慶一氏が 初版( 1756年 )、第2版( 1770年 )、第3版( 1787年 )、第4版( 1800年 )などを検証した上で 「初版」を底本として翻訳したものだそうです。

献呈文に続く「はじめに」の部分に書かれたあいさつ文の署名は
” ザルツブルク、1756年7月26日 モーツァルト ” となっており( P.XX )、そのあとに『 ヴァイオリン奏法への導入 』として 第1節が  『 弦楽器、とりわけヴァイオリンについて 』のテーマで 7項目に分けて並べられていて(本文 P.1~P.11)、 全文は 295ページです。

そこで18世紀半ばの弦楽器製作を考証するために この翻訳本の一部をここに引用させて頂きたいと思います。

【  第1節    弦楽器、とりわけヴァイオリンについて  】

第3項目

Füssen trained maker.  

『  (中略)‥‥ ヴァイオリン製作者は、カタツムリのような優雅な曲線や 巧みに彫られたライオンの頭などを最後に装着して、楽器を完成させる。

彼らは楽器本体よりも こうした装飾にしばしば手間をかけるのだ。そのためにあろうことか、ヴァイオリンは 外面的な虚飾という、俗に言うごまかしの犠牲になってしまうのである。


Salzburg,  1713年


West Norwegian Museum of Decorative Art  ( Bergen, Norway )

Ole Bull ( 1810-1880 ) Violin / West Norwegian Museum of Decorative Art


鳥を羽でもって、馬をブランケットでもって評価する人は、きっとヴァイオリンも、色艶やニスの色でもって判断して、本体部分の状態を詳しく調べたりはしなであろう。

またこのような人たちすべてが、頭脳ではなく、 見た目 )を判断基準にしているのである。ぼさぼさ髪のカツラをかぶったところで、生身の人間の頭がよくならないのと同じように、美しく彫られたライオンの頭がつけられても、ヴァイオリンの音はよくならないだろう。

こうは言っても、多くのヴァイオリンは見た目のよさだけで評価されるのである。身なりのよさや 金を持っているだけで、そして華やかで巻き毛のカツラをかぶっているだけで、多くの人々は、やれ学者だの、助言者だの、医者だのと思ってしまうのである。

それにしても、私は何の話をしているのだろうか!うわべの見かけだけで判断してしまう習慣を嫌うあまり、脱線をしてしまったようだ。』

そして、第5項目では

『  とりわけ嘆かわしいことは、今日の楽器製作者たちが、自分たちの仕事に対して あまり努力していないことである。注( 3 )

では何が必要なのだろうか? ひとりひとりが 自分なりの考えや 想像で仕事をしていて、楽器の諸部分についての確かな基準を持っていないのだ。

例えば、側板が低い場合には、胴は高く湾曲させなくてはならない、しかし反対に、側板が高くても、表板を少しだけ湾曲させて高くするだけで、音の通りがよくなる

注)JIYUGAOKA VIOLIN

【  所有者の依頼により、自由ヶ丘ヴァイオリンで 側板の高さを増やしたオールド・ヴァイオリンの事例  】

注( 3 )
楽器製作者は今日でも たいていは生活のために仕事をしている。ある点で彼らは批判されるべきではないだろう。それというのも、人々はいい仕事を求めるが、それに対して多くを支払おうとしないからだ。

―― 要するに、音は側板の高さからは それほど悪い影響は受けないという原則を、ヴァイオリン製作者は 経験から得ているわけである。

さらに裏板となる木は 表板の木より強くなくてはいけないこと、そして表板も裏板も周辺よりも中央部分で厚くなっていること、さらに次第に薄くなったり厚くなったりするにしても、木の厚みにはある一定の均一性がなくてはならないことを知っていて、このようなことを 外側カリパス( 訳注:厚みを計測するはさみ尺のこと )を使って検査するのである。

● どうして ヴァイオリンは ひとつとして同じではないのだろうか?

●  どうして あるヴァイオリンは大きな音が出て、別のヴァイオリンは小さな音しか出ないのであろうか?

● どうして ある楽器は、いわば鋭くとがった音がし、別の楽器の音は響かないのだろうか?

●  荒々しく叫ぶような音がしたり、悲しく押し殺したような音がするのは、どうしてなのだろうか?

これ以上 問うのはやめよう。

これらすべては 楽器製作者のやり方の違いに起因しているのだ。ある製作者は目分量で 高さや厚さなどを決めていて、十分な確固とした原則に立っているわけではないのである。

そのために、ある人にはうまくできるのに、別の人には まずい結果に終わるのである。このことこそ、音楽から 多くの美しさを現実に奪っている諸悪の根源なのである。

 

そして 第6項目では

『 (中略)‥‥ それよりも、私たちがいい楽器にあまりに出会わない、そして出来映えも不揃いで 音質もさまざまであるということを、もっと真剣に考えた方がいいのではないだろうか?

そうすれば 学者先生たちの研究の力を借りて、もっと進展だってできるであろう。

○  例えば、どんな種類の木が弦楽器には適しているのか?
○  そのような木をどうすればうまく乾燥させられるのか?
○  製作にあたって、表板と裏板とで木の年齢が違うとうまくいかないのではないだろうか?

注)JIYUGAOKA VIOLIN
これは 1998年にロンドンで Peter Biddulph さんが出版した ジュゼッペ・ガルネリ( 1698-1744 )の原寸大写真集 ” Giuseppe Guarneri del Gesu “の 161ページから引用させていただきました。

年輪年代学の研究者である ピーター·クラインさんが 25台の ガルネリ・デル・ジェスのヴァイオリン表板を研究した結果を表にしたものです。

現代ではヴァイオリンを製作する場合‥ 材木のスプルースを上からみて放射状に切断して、その板の外側どうしをジョイントすることで左右対称の木組みが なされているために、表板の年輪は左右で違ったとしても数本以内で製作される場合がほとんどです。

ところが ピーター·クラインさんの研究では、これら25台のガルネリ・デル・ジェス( ロワー・バーツ部での左右の年輪合計は 131本から 260本です。)のうち 16台が ジョイントされた左右の年輪数が 10本以上( 10~63本 )も違うことが指摘されています。

これに 年輪年代学 の材木の時代考証をあわせて考えると、ガルネリ・デル・ジェスは 積極的に” 木伏技術 ” として左右が非対称の表板によってヴァイオリンを製作したと考えられます。

私も オールド・ヴァイオリンの年輪などを調べたことが何度もありますので、左右の材木が違う組み合わせで製作されたヴァイオリンなどを 何台も知っています。


客観的に考えれば 一枚板で柾目( まさめ )だけでなく板目の木取りをした弦楽器がいくつも残っているのですから、 なんの不思議もないはずですが、19世紀あたりからの ”習わし“を学んだ『 専門家 』には頭が痛い技術です。

【  一枚板で製作された ヴァイオリン表板  】

私は、ジュゼッペ・ガルネリは 表板に” 木理 ”を考慮して別々の時期に伐採された木材をジョイントした” 疑似的な一枚板 ”を 強いねじりを生みだすために使用していたと思っています。

 

○  どうしたら 木の気孔はうまく埋めることができるのだろうか?
○  そのために内側にもニスを塗るべきなのかどうか、そして どのようなニスが適しているのか?

○  さらに大切なこととして、表板、裏板、そして側板がどのくらいの高さや厚さであればいいのだろうか?


最後の 第7項目では

『 とにかく研究熱心なヴァイオリン奏者というのは、弦、上駒、魂柱を改良しては、自分の楽器をできる限りいいものにしようと努力している。

ヴァイオリンの胴が大きければ、確かに太い弦がいい効果を生むだろう。反対に小さければ、細い弦を張らなくてはならないだろう。

魂柱は高すぎても低すぎてもいけないし、駒の足の下の少し右側に置かなくてはならないだろう。魂柱を正しく置くことのメリットは決して小さくない。

かなり大変ではあるのだが、ときどき魂柱の位置を変えるべきだろう。そのつどすべての弦でいろんな音を出して、楽器の響きを調べ、いい音の状態が見つかるまで、これを繰り返し続けてみるとよい。

駒もまた大いに役にたつ。例えば、音が荒々しくて刺すような、言うなれば、鋭くて、心地よく響かないときには、低い、幅広の、いくぶん厚めの、とりわけ下部を少し切り抜いた駒を使うと、少しはましになる。

音そのものが弱く、静かで、沈む場合には、薄い、あまり幅広でない、そしてできることなら、下方だけでなく中央部も大きく切り抜かれた駒を使うとよくなる。

しかも このような駒の材料は総じて、とても木目が細かくて、気孔のない、よく乾燥した木でなくてはならない。この駒は、表板のローマ字のf形に切り抜かれたふたつの孔の間に置かれる。

注)JIYUGAOKA VIOLIN

また 音が沈まないようにするために、弦が固定されエンド・ピンにつけられた、一般には狩人たちの言葉で「緒留め」と呼んでいるテールピースを置くにしても、下方の細くなった端が ヴァイオリンの表板から突き出したり、はみ出したりしないよう、表板と同じ高さになるようにうまく調節しなくてはならない。

最後に、自分の楽器はいつもきれいにしておくように。特に演奏をはじめる前には、弦と表板にある ほこりやコロフォニウム( 訳注:松ヤニのこと )は取り除いておかなくてはならない。

ものごとがしっかりと考えられる人には、とりあえずは この程度のわずかなことで十分であろう。やがて私の望みどおりに、私のこの小さな試み( 訳注:この「ヴァイオリン奏法」のこと )を さらに広げて、すべてのことがらを 正しく規則として示してくれる人が、きっと現れるだろう。』

( 引用終了 )

[  Small size violin of Wolfgang Amadé Mozart  ]
Andreas Ferdinand Mayr  1746年頃
Worked for the Salzburg Court ( 1720-1764 ).
[  Concert violin of Wolfgang Amadé Mozart  ]
until November, 1780.
Klotz family of violin makers in Mittenwald.

私は この 1756年に出版された レオポルト・モーツァルト著『 ヴァイオリン奏法 』において音楽家の立場から弦楽器製作者に対し 怒りが込められた意見や疑問が記されていることは重要と考えています。

これは 弦楽器の専門家として 私自身が ”オールド・ヴァイオリン” を検証した結果とも符合しているからです。

私が知る限りでは‥‥ 弦楽器製作や整備に関するこのようなネガティブな情報は、弦楽器マーケットの情報発信役となった楽器商の「顧客に対する忖度などにより‥」社会に報告されることはほとんどなく、結果として混乱状態のまま革命と大規模な戦争の時代に 進んでいったようです。

また、音楽の世界も 世俗音楽の領域をこえた市民階級の進出により 、宗教音楽や宮廷音楽でさえもスタイルを変化させながら より広域化しましたので、その移ろいのなかで 弦楽器製作や整備に関する領域は 社会的に より共有されにくくなったと考えられます。

18世紀の音楽ホール事情

ところで下の画像は 私が 大切にしている新聞記事です。
私はこれを 17年前に目にして警鐘ととらえ、この予言通りにならないように 努力してきました。


「 過去へ 」と題されたこの記事の終わりには
『 ‥‥ そう考えると、私たちの日常はだんだん貧しくなっているようにも思える。極端な例では、あの輝かしい音を響かせるバイオリンの名器は、18世紀からあと二度と私たちの手から生まれなくなった。今後、あの音は失われてゆくだけだ。』と書かれています。

ジャーナリストであり西洋音楽史の研究者でもある 梅津時比古さんは、現在 桐朋学園大学学長でもあるようですが、この時の 梅津さんのパンチは 私にとっては強烈でした。

また、レオポルト・モーツァルトの『 弦楽器製作者は 十分な確固とした原則に立っていない。このことこそ、音楽から 多くの美しさを現実に奪っている諸悪の根源なのである。』とのことばも 私には応えました。

ご存じな方も多いでしょうが 現代の弦楽器製作者が製作したヴァイオリンのほとんどが‥ これは 当時の私を含めてですが‥ とにかく鳴りません。

しかし、皮肉なことに その私達が専門家として ”オールド・ヴァイオリン” の修理や整備をおこなっている現実がありました。

ですから 自分が製作したヴァイオリンと弾き比べを行えば  ”オールド・ヴァイオリン” の響き方と まったく違うことはすぐに確認できたのです。アイロニー( irony )ですね。

とにかく‥この頃になって、私は ”オールド・ヴァイオリン” の特質は『 原則に従うことで ヴァイオリンの諸部分が相互に補完しあう、バランスのとれたシステム 』にあると考えるようになりました。

2003年 9月29日  16:45頃

そして再度  ”オールド・ヴァイオリン”に関する状況証拠を検討したのちに、 私は「 失われた ”オールド・ヴァイオリン” の 音響システム 」を ガリレオ的手法により解明できると確信して、2004年11月11日に本格的な研究と製作に着手しました。

Violin –  Joseph Naomi Yokota ,  Tokyo  2008年

この研究は “オールド・ヴァイオリン” や “オールド・チェロ” などを精査し、仮説を立てそれを製作に反映し‥ その結果から 再び検証と仮説を進めるもので、あくまで楽器としての性能の復元をめざしました。

まあ‥今となっては 本当に長かったとしか 言いようがありませんが、 結果としてこの研究は 2015年12月26日まで続きました。

さて 前文が長くなりましたが、私はこの投稿で その 11年間に及んだ弦楽器研究で得たことを いくつかお話ししようと思います。


“オールド・ヴァイオリン”の 音響システム

【  ネックとヘッドの関係について  】


私は ”オールド・ヴァイオリン” のスクロールは 響胴と接続されている ネック端部と対となってゆれる仕掛けとなっていると考えています。

基準振動として区別していくために これを【 mode 1 】とします。

【 mode 1 】

この 振動モードは明解です。上図のように 線分ab を天秤として N字型に立ち上がったスクロール部( 線分ac )と 指板、裏板ボタンを含んだネック端部( 線分bd )が 天秤部を軸として激しく揺れるように設定されたととらえるものです。

因みに 私は 線分ac と 指板、裏板ボタン部を含んだ線分bd は、この図のように同じ長さ( 幅 )であった可能性が高いと思っています。

この設定で大切なのは、 ヘッドを含むネック部は スクロール部( 線分ac )と ネック端部( 線分bd )との間で 「ニュートンのゆりかご」のように エネルギーを受け渡しながら、揺れが持続できるようになっているという事です。

この両者の関係をイメージさせるものが、たまたま‥  Facebook で『 事故映像 』として貼られていましたので、パラパラ連続写真にして下にならべさせていただきました。

若者が ヴァイオリンネック端部を 二度ほどハンマーでたたいた顛末‥ です。


彼のヴァイオリンは 完成する前に修理をすることになったようです。お気の毒でした‥。

しかし 彼のおかげで 、ヴァイオリンのネック端部に ハンマーで入力されたエネルギーが大きいと、木理に沿って折れるほど激しく反対側のスクロールを揺らすということを 皆さんに理解していただけたと思います。

【  ネックの重心と ねじりの中心について  】

ヴァイオリンやチェロに親しむ方は 下写真のように指板がネック側からはがれてしまう事があるのをご存じだと思います。私は それが 二つのタイプに分かれていることに気がつきました。

私の経験では “オールド・ヴァイオリン”はもちろんですが、クオリティーが高い弦楽器のほとんどが、指板が剥がれる場合は このようにネックの中央付近で剝がれた事例がほとんどでした。

また、新作イタリア製を含む 重たい工場製品や「硬い弦楽器」、そして”オールド・ヴァイオリン”であっても 極端に厚い指板に交換されている場合などでは 下写真のように ネック端部がはがれるパターンで 私はたくさんの修理依頼を受けました。


私は この2種類の指板剝がれのうち前者は ”オールド・ヴァイオリン” 型の 音響システム がそれなりに機能していたので生じた可能性が高いと考えています。

この音響システムの設定は 点に指板、ヘッドを含むネック部の重心があること。( ネックの重心 


そしてネック部が強いねじりを生むように響胴表板の接着面である基準面( ホリゾンタル )と 指板、ヘッドを含むネック部の軸が 点e で交わっていることが基礎となっていると思います。( ねじりの中心 

私は “オールド・ヴァイオリン”では【 mode 1 】のようなねじりを、 ネックの重心と ねじりの中心の間が “節”として機能することでスムーズに なお且つ持続しやすく設計されたと考えています。


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T『 原則に従うことで ヴァイオリンの諸部分が相互に補完しあう、バランスのとれた楽器 』の製作は、ネック部の重心をコントロールするために 先ずは指板の製作からはじめます。

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Antonio Stradivari    violin 1712年 “Schreiber”  Vibration modes

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では‥ ここからチェロの指板を具体例として 製作工程をご説明したいと思います。


まず 指板のネック端にあたる部分に鉛筆でしるしをつけます。

指板を取り付ける響胴の『 くせ( 剛性 )』を考え重心の位置を決めます。 18世紀に製作されたチェロの特性を持たせた私の自作チェロの場合は、さきほどのネック端のラインを『 重心( Center of gravity )』としています。


指板の黒壇は当然ながら自然素材ですから指板材の個体差がかなりあります。 そこで 下の写真のように『 重心( Center of gravity )』をもって指板を水平にして振ってみます。

 


こうして振ったときの指板のゆれ方の変化を読み取りながら、削り工程のプランを考えて 指板のゆれ特性を整えていきます。


指板材ははじめは厚いですから‥ かなり重いですね。 因みに このチェロ指板は 440.0g もありました。この荒削りのときに指板裏の彫り込みは 両側にあるへり部分より少し中央部が薄くなるように意識しながら丸刃などでしっかり彫り込みます。


そして、また振ってみます。そうすると裏の彫り込みによって揺れ方が変化するのが左手の感触で分かります。


ほどほどに窪みの中央部を削りこんでから また振ると 指板の両側へり部の重さが 『 V字状 』に感じられるようになります。 そこで両側へり部の彫り込みをすすめ 指板をゆらした時に『 中央の尾根部( Center line )』に重さがくるように軽くしていきます。


専門店で使用される市販の指板の裏側彫り込みの奥部にある『 基準線( Reference line )』は ネック端ラインよりかなり手前で、その間に『 スペース 』が設けられています。最初にご説明したように 指板を取り付ける響胴がゆれやすい特性があるようでしたら 少しずつ『 基準線( Reference line )』を移動して 『 スペース 』を減らしては‥ 振ったときに軽やかに指板がゆれるように作業をすすめていきます。逆に響胴が” 頑固 “なようでしたら 用心して適度に 『 スペース 』を残す方針で‥ その量を探っていきます。

そして適度な揺れが起るようになってきたと判断したら整形工程にはいっていきます。これは指板の駒側部が『 中央の尾根部( Center line )』を軸として 下写真の模型のようなイメージに曲がるように加工していく工程です。

これも指板を振ってみると判断は簡単で‥ 上写真の ⓐ部をまず削りそれから確認のために指板を揺らし そしてもう一方のⓑ部を彫り込み、また 揺らす手順で進めます。 ここは指板の両側へりのつけ根にあたるため それぞれのへり部の揺れをつかさどります。ですから削り込みを進めると 指板駒側ゾーンのヘリ部分のゆれが大きくなるのが 確認できます。


こうして指板裏の両側へり部分と付け根部を削ったら、また 尾根部裏側窪みの中央( Center line )を削る‥ といった具合で彫り込みをすすめながら 随時 ゆれ方を確認します。

これらの彫り込みによって 指板の駒側部センター・ラインに『 尾根状の変形 』が生じるようになると、揺らした際に 重さが『 中央の尾根部( Center line )』から指板重心付近にコンパクトにまとまって来た感じがすると思います。


指板をゆらした際の変形は 裏側彫り込み部中央をすこし薄くしたうえで、写真の『 円部 』を削ると割と簡単に生じます。


ここは先にお話しした『 関節部 』の役割をはたしますので 私は丸刃などでしっかり彫り込むことをお奨めいたします。


私はこれらの経験則によって『 ゆらした際に 中央尾根部の軸と重心部の狭いゾーンに重さがコンパクトに集まり、それでいて良く揺れる指板 』が良い響きを生みだすと考えています。


初めにお話しさせていただいたように 今回製作した自作チェロは 18世紀に製作されたオールド楽器の特性を取り込んでいますので 指板裏側部の彫り込みはネック端のラインを『 重心( Center of gravity )』として削りあげました。 この時点でこの指板の重さは 216.0g となりました。

指板のネック端部に『 関節的な自由度 』を設定する弦楽器製作者は現代でも少数ながら存在しています。 例えば下写真の Hans Weisshaar 氏はスクエアーに近い彫り込みの指板も製作しているようです。

ともかく 古( いにしえ )の弦楽器製作者はこれらの条件を十分把握してヴァイオリンを製作したようで‥ 当時のヴァイオリンをよく見ると下の写真のように指板先をV字型にカットしてあったり指板の厚みをG線側とE線側で変えることでゆれを誘導してあったり、バロック・ヴァイオリンの指板のように意図的にネック端部の指板を加工することで 指板のゆれが響胴に対して不要な応力をくわえないように工夫したあとを見ることが出来ます。

            

下写真の2台のガダニーニに取り付けられた指板は ネック端と裏側彫り込みとの間にスペースをもうけてあるようです。上段は裏側彫り込みを急激に深くしてあり( Steep slope )、下段の指板は 緩斜面( Gentle slope )として彫り込んであるのが分ります。

指板を削る見本として挙げさせていただいた自作チェロの指板はこれらを判断した結果 下写真の設定で仕上げました。これはネックに仮貼りの後に 表側のスロープを整形し、それから指板のゆれが細やかになるようにオイル仕上げ‥ 今回はリンシードとあと2種類を使用してみがきあげながらフィニッシュします。

ヴァイオリンなどの弦楽器専門家として指板をみるとき 響胴といかに調和させる工夫がされているかは必ずチェックしています。 この投稿のはじめに過去例としてあげさせていただいた 1年2ヶ月ほどで剥がれた指板は すこし頑固な胴体のドイツ製ヴァイオリンに取り付けられていました。 そのため接着面積が少なかった事もさることながら、どちらかといえば胴体のゆれと指板の特性が合わなかったことが早期の脱落につながったと私は思っています。

このタイプの指板は まれにですが オールド・ヴァイオリンとみごとに適合して何十年も剥がれないで使用されたケースを私は知っていますので その判断の誤りを残念に思います。

指板の設定では他にもだいじな事がいくつもありますが 、今回はここまでとさせていただきます。

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【 mode 1 】

さて ここで、ヴァイオリン製作にとって重要なことを 一つ記憶しておいてください。

先程 、天秤の役割をもつ 線分ab から N字型に立ち上がったスクロール部( 線分ac )と ネック端部( 線分bd )が 天秤部を介することで揺れると指摘しましたが、この時に ネック端部には響胴までが含まれているということです。


それを上図で A部とB部として示しましたが、私は この両端部が対となって揺れるという仕組みが『 確固とした原則 』の 一つであったと考えています。

弦楽器製作者の立場から別の捉え方をすると 、スクロールやヘッド部の設定により 響胴のゆれ‥ そして響が ある程度 コントロール出来るということです。

それから私は、下の動画で 水鳥の白い羽を スクロールに見立て、それを支える4~5本からなる一方の端部を ヴァイオリンのヘッドとみなし、それが 反対側の二股となっている端部とつりあう様子からヴァイオリンの響胴をイメージしてみるのをお勧めします。

私は このように  “オールド・ヴァイオリン” の音響システムは『 原則に従うことで ヴァイオリンの諸部分が相互に補完しあう、バランスがとれた仕組 』にその特質があると 思っています。

なお バランスを取るうえでは 重心が 大切になってきます。
このように、石にしてもヴァイオリンにしても重心が存在します。

重心を中心線状にならべる石積み遊びをしている 彼は‥ これが趣味とのことで、ここのところ何年間も 思い立つ度にトライしているそうです。

彼くらい熟練して来るとこのくらいの作品でしたら数分間で 一気に立てられるとのことでした。

【 mode 2 】

さて、私はこの投稿の冒頭で ヘッドが削ってあるヴァイオリンネック部‥ ¥5,000以下 タイプと¥100,000以上タイプを例示したうえで音響上の特性においては、この両者にほとんど差はないと考えている趣旨のことを書きました。

それは”オールド・ヴァイオリン”を検証した結果、弦楽器製作は 現代の弦楽器製作学校で教えられているやり方とは まったく違うシステムに基づいて製作された可能性が高いと 私は考えるに至ったからです。

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私は 弦楽器製作と 修理や調整をおこなっていますので、それらの特性やバランスをイメージするために 弦楽器のジャンルをこえた さまざまな事象の記憶を大切にしています。

たとえば 私が大学生だった 36年ほど前にはじめて目にして 感銘を受けた下の写真もそうです。

皆さんは このブロー・ノックス・デュアル・キャンチレバー・タワー 、別名 ダイヤモンド・アンテナ( Blaw-Knox dual cantilevered towers /  “Diamond antenna” )をご存じでしょうか。


これは 1933年にハンガリー・ブタペスト( Lakihegy )に建設された ダイヤモンド・アンテナを撮影したものといわれています。

この塔の高さは 314.0m もあり建設当時はヨーロッパで最も高い構造物だったようです。ライバルである エッフェル塔は 1889年の竣工時は『 世界一 』の高さを誇っていましたが 旗部を含んでも 312.3m でしたので 抜かれたわけですね。

因みに‥ エッフェル塔は 1940年代になって放送用アンテナが設置された事で結果として 現在の 324.0m になりました。

1933年にこの ダイヤモンド・アンテナ( Lakihegy )が竣工した時点ではすでに エッフェル塔が保持していた『 世界一 』の座は ニューヨークにある クライスラー・ビルなどに奪われていましたが、ヨーロッパ地域ではエッフェル塔が最も高い建造物とされていました。

クライスラー・ビルは 1930年 にマンハッタン・カンパニー・ビル( トランプ・ビル )の 284.0m を抜く 319.0m( 283.0m )として竣工しました。 しかし その翌年の1931年にエンパイア・ステート・ビルディング( 381.0m –  1950’s 電波塔増設  443.2m  )が完成した事によりひとまずこの競争は終結したかのような状況となっていました。

 


私には これらの建築物が長期間にわたって自らの荷重や強風、落雷などの影響を克服していることがとても興味深く思えます。

具体的に見ていくと‥ 高さ314.0mの ダイヤモンド・アンテナ( Lakihegy )と 312.3mの エッフェル塔のどちらも基礎には大きな荷重をささえる工夫がされています。

とくにエッフェル塔は おおよそ4000t といわれている東京タワーの2倍位はあるそうです。資料集ではエッフェル塔は材料の錬鉄だけで約7300t とされ、すべて合わせると約9700t から10,000t と推定されています。


この高さと重さを支えるために基部は4脚あわせると そこそこの面積が確保されているのが上の写真からもご理解いただけると思います。

 

また‥  エッフェル塔の基礎部分には面積のほかにも慎重な配慮がなされています。とくに軟弱な地盤であるセーヌ川に面する2脚の基礎工事には 1841年にロワール川の砂洲でフランスの M.トリジェールが世界ではじめて鉄筒( 鉄製ケーソン )と圧気を利用し20mの深さまで掘削・沈設に成功し その後 改良された『  潜函工法(ニューマチック・ケーソン) 』が採用されました。

  

この工法はアメリカ合衆国 セントルイスで 1874年に完成した イーズ橋や 1883年竣工のブルックリン橋 主塔基礎工事、そして1890年に建設されたイギリスのフォース鉄道橋の基礎などでも採用されました。

エッフェル塔は この潜函工法が優れていたことと、塔の基部に水平に保つためのジャッキが組み込まれたことなど‥ 多くの工夫により工期2年2ヶ月と5日で竣工したそうです。

さて‥ もう一方の ブロー・ノックス社が建設した ダイヤモンド・アンテナの場合にも その独特なフレキシブル・ベースには過酷な荷重がかかっています。

   

 

なお、1933年にハンガリー・ブタペスト( Lakihegy ) に 竣工した 初代のダイヤモンド・アンテナ  は 戦時下でドイツ軍により破壊されたため、現在のダイヤモンド・アンテナは 1946年に再建されたものです。

下の図面は アメリカで 1933年に 取得された  ダイヤモンド・アンテナ( Blaw Knox-Antenne )の特許(  USA, No.1897373 )の公開図面で、発明者の Nicholas Gerten さんはペンシルバニア州 ピッツバーグにあるブロー・ノックス社の社員とのことです。

1927年頃にこの構造からはじまったブロー・ノックス・アンテナは改良を重ね 1931年頃には冒頭の写真にあるタイプとなり 1936年の特許( U.S., No. 2116368 the inventors Edward J. Staubitz )のころには全米各地で盛んに建設されました。

それは 1958年にブロー・ノックス社がこの部門を廃止するまで続いたそうです。

 

この設計図のベース部はゆれにくい構造だったようですので、私は 強風や落雷などの影響で初期フレキシブル・ベースは破損が生じたり、想定以上にタワー部がゆれたりして‥ 設計変更がおこなわれたと推測しています。

因みに 1933年に製作されたこの図面に近いのは ノースカロライナ州シャーロットの WBT- AM ラジオアンテナです。

このブロー・ノックス・アンテナは高さ 130.0m( 428 ft ) だそうです。


These towers come down to a small point at the bottom.

設置時から3本で 中央がオリジナル、 左右のアンテナは 1989年9月22日のハリケーン被害により再建されました。

WBT tower :  Charlotte, North Carolina / Three towers 130 m each.

September 22, 1989  :   WBT transmitter towers just after Hurricane Hugo.

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[ 恐縮ですが ここから書かけです。]


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浅草寺五重塔    1855年
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落雷
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1936年 Radio transmitter in Belfast, Northern Ireland  ( 54°29’23” N, 06°03’37” W  –  Elevation / Airde  44.3 m )Tower height  108 m( 354 ft )← 144.8m( 475 ft )

The height of a Blaw-Knox radiator is related to the frequency( or wavelength ) of the service transmitted, and for maximum efficiency should be exactly one half wavelength. Its height was originally 144.8 m, but it was shortened when the station’s broadcast frequency was changed.

Similar masts in Europe can be found nowadays only at Lakihegy, Hungary, at Riga, Latvia, at Vakarel, Bulgaria and at Stara Zagora, Bulgaria; in the US: WFEA tower in Manchester, New Hampshire, WBT-AM tower in Charlotte, North Carolina, WSM-AM tower in Nashville, Tennessee, WLW-AM tower in Cincinnati, Ohio

それから ”Lakihegy” タワーが 314.0m ( 1,031 ft )で竣工した翌年である 1934年にアメリカ・オハイオ州 メイソンに WLWアンテナとして建設されたブロー・ノックス・タワーも参考事例としてあげておきたいと思います。WSMのブロウ・ノックス・タワー

WLWアンテナは高さが 831フィートで竣工し その後の事情で 747フィートに改造されて現在にいたります。そのアンテナ重量は 約 136t だそうです。



上部にある “ダイヤモンド・アンテナ” のおよそ 136t の荷重はこのフレキシブル・ベースの一点で支えられています。このために台座側は 300t 以上の負荷がかかっても破損しないように設計されているそうです。




現在、北アメリカにはブロー・ノックス社が建設した “ダイヤモンド・アンテナ” が 8基残されています。
その中で最も高いのが 1932年にテネシー州ナッシュビル郊外にWSMラジオ・タワーとして竣工した下の写真の塔で、竣工時には高さが 878フィートあったそうです。
これは1939年に受信状況を改善するために 246m( 808フィート)に改築され現在に至っています。このラジオ・タワーの建設以降 ブロー・ノックス社は全米各地からの受注が相次ぎます。 こうして10年後の 1942年には米国内のすべてのラジオ塔の70%がブロー・ノックス社が建設したものという状況を生みます。


   

このWSMラジオ・タワーは 計算値で 約300t の重さとされ、それを支えるベース・インシュレーター( porcelain insulators / 磁器ガイシ )は600tまで耐えられるように設計してあるそうです。

因みに 1932年10月にブロー・ノックス社  “ダイヤモンド・アンテナ 建設チーム” はテネシー州ナッシュビル郊外でこのWSMラジオ・タワーを竣工させるとすぐに 前出のオハイオ州メイソンにあるWLWラジオ・タワーの建設現場に移動し1934年4月14日には それを完成させていますので、工期は1年5ヶ月といったところのようです。



私はこの”ダイヤモンド・タワー( Blaw Knox-Antenne ) “のつり合い方やゆれ方‥なかでも回転運動などの要素が ヴァイオリンと類似していると思っています。
あご当ても含んだヴァイオリンの重さは およそ450g位で全長が590mm前後なのに対し、WSMラジオ・タワーの 300t ほどの質量と 246mの高さは直接比較してもあまり意味はないと思いますが、力学的に考えてみると‥ いろいろ思い当たる事柄があるからです。私は “ダイヤモンド・タワー “の写真を見たときから『 ヴァイオリンの質量の中心はどの位置におかれたか?』について考え‥ 現在も その検証を続けています。

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下のリンクは Tobias Hutzler – ” BALANCE  / バランス・パフォーマンス” です。
(  5分44秒 )

節を重心近くに集めれば、操縦の特性はよくなります。

つり合いという現象

 

 

大型旅客機の重心位置は機体のどの辺にあるのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

B747 を例に取りますと重心位置は MAC(Mean Aerodynamic Chord:平均空力翼弦)の 10~31% の間に維持しておかねばなりません。MAC の翼弦長は 327.8inch ですので、その 21% は 68.8inch=1.75m となり、重心位置の許容範囲は大型機でも意外と狭い言えます。その位置は赤い線で示しました前から3番目のドアの所になります。

また重心位置を挟むように重量物である前後のエンジンが配置されてるのが分かると思います。
因みに人間が一人、一番前の席から一番後ろの席まで移動しますと重心位置が約12mm 変化します。

重心位置は離陸時の Stabilizer Trim Setting にも関係しますが、B747 にはノーズギアにセンサーが付いてまして、重心位置が前寄りにあるのか後ろ寄りにあるのかを感知しております。その測定結果と Stabilizer Trim Setting の間に矛盾があると警報を発します。

よほど偏った乗り方をしない限り乗客や燃料による重心位置の変化はそれほどではありませんので、重心位置の調整は主として貨物で行っております。

時々貨物の搭載場所を変えて調整したりしておりますので貨物の搭載管理もなかなか大変な仕事のようです。

【スネーキング現象の特徴】

スネーキング現象とは急制動や速度超過などをきっかけにヒッチボールを
支点として連結車両が屈曲運動を起こして操縦不能になる現象のことで
キャンピングトレーラーなどに起こりやすい現象のこと。
一度起こってしまうと道路に横倒しに横転してしまって2次的にも
重大事故になりがちな傾向があります。
ことが非常に多い危険な事象のことです。
名前の由来はその時のトレーラーの状態が蛇のようにうねって
蛇行運転状態にあることからそのように呼ばれています。

 

 

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Sotheby’s, October 5th 2018 “Banksy’s question”

Do you have an answer?

この動画のように「Girl with Balloon ( 少女と風船 ) 」の落札価格は、2008年のバンクシー作品の最高記録と同額の 104万2000ポンド( 約1億5000万円 )でした。

しかし‥。自らシュレッダーを仕掛けるとは‥。

2018-10-7  Joseph Naomi Yokota

弦楽器を知るための音楽年表

Sandro Botticelli  ( 1445-1510 )
” 地獄の見取り図”( La Carte de l’Enfer )1490年

ヴァイオリンという弦楽器は、14世紀初頭にはじまるルネサンスと 宗教改革により中世的な世界観に変わり 新しい認識や価値観がヨーロッパに広がっていくなかで考案され普及していきました。

その時期は、それまで長らく信じられてきた天動説の体系から コペルニクス ( 1473-1543 ) が唱えた地動説が常識となっていく激動の時代とかさなります。

Cathédrale Notre-Dame de Chartres

Cathédrale Notre-Dame de Chartres    130m × 46m ( 32m )

Cathédrale Notre-Dame de Chartres
身廊全長 128m / 幅 16.4m / 高さ 37mm

ピサの洗礼堂( ピサのドゥオモ広場 )

1409年に この地で「ピサ教会会議」がおこなわれクレタ島生まれのギリシャ人 アレクサンデル5世( 1339-1410 / 対立教皇、在位 1409年 – 1410年)が「教皇」に選出されました。カトリック教会においての教会大分裂 ( 大シスマ  Scisma d’Occidente ) のはじまりです。

この「ピサ教会会議」は、1377年に 教皇グレゴリウス11世が アヴィニヨン ( Avignon 1309-1377 ) からローマに教皇庁を移しましたが その翌年に亡くなってしまい 、結果として ローマとアヴィニヨンに それぞれ「教皇」が存在する状況に陥っていたのを解決するために招集されたものでした。

しかし、ローマの教皇 グレゴリウス12世 ( 1326-1417 / ローマ教皇、在位 1406年 – 1415年 ) と アヴィニョンの ベネディクトゥス13世 ( 1328-1423  対立教皇、在位 1394年 – 1417年 )は廃位に応じませんでした。

その混乱の最中、「ピサ教会会議」で選出された アレクサンデル5世 ( 1339-1410 )が急死したために フィレンツェのメディチ家当主 ジョヴァンニ・ディ・ビッチ ( 1360-1429 ) の支援を受けた バルダッサレ・コッサ ( Baldassare Cossa  ca.1370-1419 ) が ヨハネス23世 (  1370-1419  対立教皇 / 在位 1410年 – 1415年 )として「教皇」となり、1399年にナポリから追われていたプロヴァンス伯 ルイ2世・ダンジューとともに軍を進め 1410年に ローマを占領しました。

そして目まぐるしいですが、ヨハネス23世 ( 1370-1419  )と ルイ2世・ダンジュー ( 1377-1417 )のローマ占領は、1413年にナポリ王 ラディズラーオの軍の反撃によりフィレンツェに退却する事で終わりました。

この教会大分裂を解消するために神聖ローマ帝国皇帝ジギスムントは 1414年、ドイツで コンスタンツ公会議を召集しました。 この公会議で3人の教皇は退位あるいは 廃位さとれ、1417年にマルティヌス5世 ( 1368- 1431  /  在位 1417年 – 1431年 )が選出されたことにより3人の教皇が同時に存在するという混乱は収束しました。


Battistero di San Giovanni ( Pisa ) / Piazza del Duomo
1152 年~ 1363年 外側高さ54.85m / 直径35.5m

ヴァイオリンなどの弦楽器を知るには、16世紀初めから400年ほどの期間を俎上に上げなくてはなりませんので、時間軸上での考察のために 私はこの投稿をまとめることにしました。

念のために申し上げれば  ここでは楽器と弓の製作者、そして時間座標のために音楽家、科学者などの生まれた年や重要な出来事を考慮して列挙してあります。そして、全体の項目を減らすために敢えて ハイドンやベートーヴェンさん達を記載していません。この点はどうかご了承ください。

■  Violin maker  ●  Violinist, Teacher, Composer  □  Bow maker

▶  Pythagoras ( BC.582-BC.496 )
▶  Archimedes ( BC.287-BC.212 )

1321年  Dante Alighieri ( 1265-1321 ) “La Divina Commedia” ( 神曲 )
1378 ~ 1417年   “Schisma” Roma : Avignon ( 1309-1377 )
1453年   コンスタンティノープル陥落によるビザンツ帝国の滅亡   Constantinopolis  /  The Eastern Roman Empire ( 330-1453 )

1492年   San Salvador Island  /  Columbus ( 1451-1506 )
1498年   Santa Maria delle Grazie /  Leonardo da Vinci ( 1452-1519 )

1499年   Vasco da Gama ( ca.1460-1524 ),  Lisbon-Inldia-Lisbon
1517年   “95 Thesen” Martin Luther ( 1483-1546 )

1538年   Naval battle of Preveza / Turkish Empire
1543年   Nicolaus Copernicus ( 1473-1543 )

ヴァイオリンの歴史を紐解くと”クレモナ派”の存在が重要であると分かります。ポー平原の中央に位置するクレモナは ミラノから 80㎞、ブレッシアから 60㎞、トリノと ヴェネツィアからおおよそ200㎞ほどに位置する古都で、ポー川などの水上交通や街道などによって それらの都市や モデナ、ボローニャ、フィレンツェ、ローマ、ナポリなどと繋がっていました。

ヨーロッパでは ヴァイオリンが誕生する直前にオスマン・トルコが支配地域を拡大させ、ついには 1453年にコンスタンティノーブルが陥落し東ローマ帝国 ( ヴィザンチン帝国 ) が滅亡するという事件がありました。

オスマン帝国はその後も勢力範囲をひろげ、この抗争の最終局面で ヴェネツィア共和国、スペイン、ジエノヴァ共和国、教皇領などの艦船で結成された神聖同盟艦隊( ローマ教皇連合艦隊  )とオスマン帝国艦隊が イオニア海にあるレフカダ島沖で戦うことになります。 この “プレヴェザの海戦”( 1538年 )は神聖同盟艦隊側の敗北に終わり、以降はオスマン帝国が地中海の制海権を握ります。

こうした変化はヨーロッパでの音楽事情に影をさし、当然ながらヴァイオリンなどの弦楽器製作にも影響を与えたと考えられます。

それから『 ペスト( 黒死病 ) 』などの疫病の大流行が大きな社会不安を発生させていたことも忘れてはならないと思います。

ペスト菌には3 種類の亜種が知られ、それぞれが歴史上有名なペストの大流行の原因となりました。541 年に東ローマ帝国から始まった大流行は ペスト菌 Antiqua によるもので、14 世紀からのヨーロッパでの大流行は Medievalis によるとされ 、そして中国雲南省で1855 年に始まった大流行は Orientalis によるものとされています。

このうち ルネサンス時代に大流行を引き起こしたペスト菌 Medievalis は まず1348年~1351年にかけてコンスタンティノープルをはじめ、キプロス、サルデーニャ 、コルシカ、マジョリカ等の地中海の主要都市、さらにマルセイユ、ヴェネチア等の港町に上陸します。

そして翌年に入ると アヴイニヨン、フイレンツェ、イングランドにまで広がり、その次の年にはスウエーデンやポーランドも浸食し 1351年末にはロシアにまで達したそうです。

この流行ではヨーロッパの総人口8000万人のうち、その3割にあたる2500万人が 犠牲となったといわれています。

悲しいことに このときの大流行をきっかけとして、ペストはいわば風土病化して ヨーロッパの地に根を下ろし、それ以後18世紀にいたるまで何度もくりかえし発生しました。


▶  1656年頃  A plague doctor in seventeenth-century Rome

とくに 17世紀にはヨーロッパの各地 で頻発したことが記録されています。アムステルダムでは 1622年から1628年にかけて毎年 発生して 3万5000人程が死亡し、パリでは 1612年、1619年、1631年、1638年、1662年、1668年( 最後の流行 )にペストの大流行があり深刻な被害がでました。


▶  1679年  ペスト撲滅( ウィーンでの ペスト最期の流行による 累計死者およそ10万人を追悼 ) 記念碑 1683~1693年建造

また、ロンドンでは 1593年から1664年にかけて、そして 翌年の1665年と ペストが 5回も流行し 死者の合計はおよそ 15万6000人におよんだと言われています。

CNNからの引用です。【   “ 1665年に英ロンドンで大流行して年間7万5000人超を死亡させたのは、ペスト菌が引き起こす腺ペストだったことが、DNA鑑定を通じてこのほど初めて実証された。ロンドン考古学博物館などの研究チームが発表した。

この年の大流行では当時のロンドンの人口のほぼ 4分の1が死亡。ピークだった9月には1週間だけで8000人が死亡した。原因は腺ペストとする説が有力だったが、これまで確認はできていなかった。

しかしロンドン市内で地下鉄の延伸工事中に見つかった集団埋葬地を 2015年に発掘調査したところ、1665年の大流行で死亡したと思われる17世紀の遺骨42柱が見つかった。

研究チームがその遺骨から採取したDNAを調べた結果、腺ペストを引き起こすペスト菌のDNAと一致することをが判明。発掘調査を主導したロンドン考古学博物館の専門家ダン・ウォーカー氏は「1665年のペスト大流行の原因が初めて分かった」と解説している。”   】

因みに、1664年に『スカラー』となっていた ニュートン ( 1642-1727 ) は、 1665年から 翌年にかけてペスト禍を逃れて故郷のウールスソープへ戻り 18ヶ月程の期間をすごしたと言われています。

回想録などでは、25歳までの この期間にニュートンの三大業績は全て成されたとされています。

同じように、クレモナの街も何度にもわたってペスト禍にみまわれ 1630年の大流行の際には、クレモナ派の始祖アンドレア・アマティの息子で父の工房を引き継いでいた ジロラモ・アマティ( Girolamo Amati  1561-1630 )とその妻 そして 2人の娘が犠牲となり、アマティ工房は 34歳となっていた ニコロ・アマティ( Nicolò Amati  1596-1684 )が引き継いだといわれています。

また、アントニオ・ストラディバリ ( ca.1644-1737 ) の 生年月日と出生場所が 判然としないのも、ペスト禍をさけた両親の避難先の町で誕生したからと伝承されています。

1500 – 1550
■   Andrea Amati ( ca.1505-1577 ),  Cremona  /  1539年
Established a workshop in Cremona.
■   Antonio Amati ( 1540-1640 ),  Cremona
■   Gasparo di Bertolotti ( ca.1540- ca.1609 ),  “Gasparo da Salò”       Brescia

Andrea Amati ( ca.1505-1577 )   Violin,  Cremona  1555~1560年頃

Catherine de Médicis ( 1519-1589 )
1533年   She married Henry II at the age of 14.

Charles Ⅸ de France ( 1550-1574 )
1561年   He was crowned the king of France.

Andrea Amati ( ca.1505-1577 )   Violin,  “King Charles Ⅸ”  Cremona  1566年頃

Andrea Amati ( ca.1505-1577 )   Violin,  “King Charles Ⅸ”  Cremona  1566年頃

Andrea Amati ( ca.1505–1577 )  Violin,  “ex Ross”   1570年頃

1572年  “St. Bartholomew’s Day Massacre”


Charles Ⅸ de France  1574年

1550 – 1600
■  Girolamo AmatiⅠ( 1561-1630 ),  Cremona
■  Giovanni Paolo Maggini ( 1580- ca.1633 ),  Brescia
■  Nicolò Amati ( 1596-1684 ),  Cremona

▶  Galileo Galilei ( 1564-1642 )
▶  Johannes Kepler (1571-1630 )
▶  Marin Mersenne  ( 1588-1648 )
▶  René Descartes ( 1596-1650 )

●  Biagio Marini ( 1594-1663 ),  Brescia / 1615  Venezia ‘ Basilica di San Marco’ / 1620 Brescia / 1621 Parma / 1623 ~ 1649 Neuburg an der Donau / 1649 Milan / 1652 Ferrara / 1654 Milan / 1656 Vicenza  /  Venezia 1663  :   Violinist
“Scordatura”,   “double and even triple stopping”,   “Tremolo”   

1600 – 1650
▶  Otto von Guericke ( 1602-1686 )

Gaspar da Saló ( ca.1540-ca.1609 )  Violin,  Brescia  1600年頃 

■  Jacob Stainer ( 1617-1683 ),  Absam, Tirol


●  Maurizio Cazzati ( 1618-1678 ), Luzzara / 1641 Ferrara, Bozzolo, Bergamo / 1657 ~ 1671 Bologna / 1671 Mantova

Giovanni Paolo Maggini ( 1580 – ca.1633  )  Violin,  Brescia 1620年頃

Giovanni Paolo Maggini ( 1580 – ca.1633  )  Violin,  Brescia 1620年頃

Antonio Amati ( ca. 1540-1607 )  &  Hieronymus Amati ( ca. 1561-1630 )   Violin,   Cremona   1624年頃

■  Andrea Guarneri ( 1626-1698 ),  Cremona  /  1654年  He founded the workshop in Casa Guarneri .

 

  ca.1626 ~ ca.1761  ” Les Vingt-quatre Violons du Roi ” ( “The King’s 24 Violins” )  The Royal Palace in Paris

 

Antonio Amati ( ca. 1540-1607 )  &  Hieronymus Amati ( ca. 1561-1630 )   Violin,   Cremona   1629年頃

■  Giovanni Grancino ( 1637-1709 ),  Milan
■  Hendrik Jacobs  ( 1639-1704 ),   Amsterdam

▶  Christiaan Huygens ( 1629-1695 )
▶  Antonie van Leeuwenhoek ( 1632-1723 )
▶  Robert Hooke ( 1635-1703 )
▶  Isaac Newton ( 1642-1727 )

■  Alessandro Gagliano ( ca.1640–1730 ),  Napoli
■  Giovanni Tononi ( ca.1640-1713 ),  Bologna
■  Giovanni Baptista Rogeri ( ca.1642 – ca.1705 ),   Brescia

●  Jean-Baptiste Lully ( 1632-1687 ),  Firenze / 1646 France / 1652 The Royal Palace in Paris  / 1653 “Petits Violons” / 1661 French subject , 1661 ~ 1682 “Château de Versailles”  / 1685,1686,1687

●  Giovanni Battista Vitali ( 1632-1692 ),  Bologna / 1666 Accademia Filarmonica di Bologna / 1774 Modena  :   Violinist

Nicolò Amati ( 1596–1684 )  Violin,  Cremona  1641年

●  Heinrich Ignaz Franz von Biber ( 1644-1704 ), Bohemia / 1668  Zámek Kroměříž / 1671 Salzburg,  ca.1676 ” Rosenkranz-Sonaten ” ( Scordatura )  :   Violinist

■  Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ),  Cremona  /  1680年 He founded the workshop in Casa Stradivari .

▶  Arp Schnitger ( 1648-1719 ),  active in Northern Europe, especially the Netherlands and Germany,  Pipe organ builder.

■  Francesco Ruggieri ( ca.1645-1698 ),  Cremona
■  Girolamo Amati Ⅱ ( 1649-1740 ),  Cremona

1650 – 1700

●  Arcangelo Corelli ( 1653-1713 ), Fusignano / 1666 Bologna / 1675 Rome / 1681 München / 1685 Roma / 1689 Modena / 1708 Rome :   Violinist

●  Giuseppe Torelli ( 1658-1709 ), Verona / Bologna / 1684 Accademia Filarmonica di Bologna / 1697 ~ 1699 Fürstentum Ansbach / 1699 Wien / Bologna :   Violinist

Nicolò Amati ( 1596–1684  )  Violin,  Cremona  1651年

■  Matthias Klotz ( 1653-1743 ),   Mittenwald
■   Pietro Giovanni Guarneri ( 1655-1720 ),  Cremona  /  Mantua

Jacob Stainer ( 1617-1683 )  Violin,  Absam ( Tirol )  1655年頃

Andrea Guarneri ( 1626-1698 ),  Cremona 1658年頃
( 1654年  He founded the workshop in Casa Guarneri . )

■  Matteo Goffriller ( 1659–1742 ),  Venice
■  Vincenzo Ruggeri ( 1663-1719 ),  Cremona
■  Carlo Giuseppe Testore ( ca.1665-1716 ),  Milan

●  Giacomo Antonio Perti ( 1661-1756 ),  Bologna / Parma / Venezia / 1690 ~ 1756 Bologna  :   Violinist
●  Tomaso Antonio Vitali ( 1663-1745 ), 1674 Modena :  Violinist

■   Filius Andrea Guarneri ( 1666-1740 ),  Cremona

Nicolò Amati ( 1596–1684 )  Violin,  Cremona  1669年

Francesco Rugeri ( ca.1645-1698 )  Violin, 1670年

Giovanni Maria Del Busetto   Violin,  Cremona  1680年頃

■  Francesco Stradivari ( 1671-1743 ),  Cremona
■  Giovanni Battista Grancino II ( 1673-ca.1725 ),  Milan
■  Carlo Tononi ( ca.1675-1730 ),  Bologna  /  Venice
■  Johann Michael Albani ( 1677-1730 ),  Bozen / Bulsani in Tyroli  / Graz

  Louis XIV ‘Roi-Soleil’ ( 1638 – ‘1643-1715’ )
“Château de Versailles” 1661 ~ 1682 

Plan du Château de Versailles  1664年

1678年  (1678–1684 )
The opulent Hall of Mirrors at the Palace of Versailles

●  Antonio Vivaldi ( 1678-1741 ), Venezia 1703 / 1740 Wien :   Violinist
● 
Pietro Castrucci ( 1679-1752 ),  Roma / 1715 London / 1750 Dublin :   Violinist

■  Omobono Stradivari ( 1679-1742 ),  Cremona
■  Carlo Bergonzi ( 1683-1747 ),  Cremona

▶  Gottfried Silbermann ( 1683-1753 ) Saxony / Dresden, Pipe organ builder.
Zacharias Hildebrandt ( 1688-1757 ),  Pipe organ builder.

●  Johann Sebastian Bach ( 1685-1750 ), Eisenach / 1703 Weimar, Arnstadt / 1705.10 Lübeck 1706. 1 /  1707 Mühlhausen / 1708  Weimar / 1717 Köthen, 1721 Anna Magdalena Bach  / 1723 Leipzig

●  Giovanni Battista Somis ( 1686-1763 ), Turin / 1731 Paris / Turin :   Violinist

■  Domenico Montagnana ( 1686-1750 ),  Venice
■  Georg Klotz ( 1687-1737 ),   Mittenwald

●  Francesco Geminiani ( 1687-1762 ), Lucca / 1711 Naples / 1714 London  :   Violinist
●  Francesco Maria Veracini ( 1690-1768 ),  Firenze / 1711 Venezia / 1714 London / 1616 Venezia / 1723 Firenze / 1733 London / 1744 Firenze  :  Jacob Steiner violin  /   Violinist

Hendrik Jacobs (1639-1704)  Violin,   Amsterdam 1690年頃  

Giovanni Grancino ( 1637-1709 )  Violin,  Milan 1690年頃

Carlo Giuseppe Testore ( ca.1665-1716 )   Violin,  Milano  1690年

Giovanni Grancino ( 1637-1709 )  Violin,  Milan 1690年

■  Andrea Guarneri ( 1691-1706 ),  Cremona
■  Carlo Antonio Testore ( 1693-1765 ),   Milan

●  Giuseppe Tartini ( 1692-1770 ), Pirano / 1721 Padova, 1726 Violin School  :   Violinist
●  Pietro Locatelli ( 1695-1764 ), Bergamo / 1723 Mantua, Venezia, München, Dresden, Berlin, Frankfurt, Kassel / 1729  Amsterdam  :   Violinist

■  PietroⅡ Guarneri ( 1695-1762 ),  Cremona  /  1718年  moved to Venezia
■  Sebastian Klotz ( 1696-1775 ),  Mittenwald

Giovanni Baptista Rogeri ( ca.1642 – ca.1705 )   Violin, Brescia  1695年頃

Antonio Stradivari ( 1644-1737 ),  Violin   “Auer – Benvenuti”  Cremona   1699年

●  Jean-Marie Leclair ( 1697-1764 ), Lyon / Turin / 1723 Paris, ‘Palais des Tuileries’  / 1733 ~ 1737  ‘ Louis XV ( 1710 – ‘1715-1774’ ) / 1738 ~ 1743 Den Haag  / 1743 ~ 1764 Paris  :   Violinist

■  Andrea Castagneri ( 1696-1747 ),   Paris ■  Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 ),  “Guarneri del Gesù”  Cremona  /  1722年頃  He is independent.

 1700 – 1750
Giovanni Grancino ( 1637-1709 )  Violin,  Milan 1700年頃

Giovanni Grancino ( 1637-1709 )  Violin,  Milan 1702年頃

Giuseppe Guarneri ( 1666-1740 )   “filius Andrea”   Violin, 1703年

■  Camillo Camilli ( ca.1704-1754 ), Mantua,  Violin maker.

Carlo Tononi ( ca.1675-1730 )  Violin,    Bologna 1705年

1700 – 1750

1701 ~ 1714年  War of the Spanish Succession
“France : Louis XIV ( 1638-1715 ) × Habsburg : Karl VI ( 1685-1740 )”
Cremona governance countries
España ( 1513 ~ 1524, 1526 ~ 1701 ) – France (  1701 ~ 1702 ) –  Republik Österreich / Habsburg  ( 1707 ~ 1848 )

スペイン継承戦争 ( 1701-1714 )のさなか クレモナは、1701年から1702年の クレモナの戦いで オーストリア軍に敗れるまで フランスが短期間支配したのちに、1707年にミラノまでの北イタリア やナポリなどをオーストリア軍が平定したことによりハプスブルク家の所領となりました。そして、この状況は 1713年の ユトレヒト条約などにより確定しました。

ユトレヒト条約によるヨーロッパの勢力図

茶色はイギリス、青はフランス、黄色はスペイン、緑はオーストリア、橙はサヴォイア、深緑はブランデンブルク=プロイセン

Casa Savoia :  1713年 Regno di Sicilia – 1720年 Regno di Sardegna  / Torino – 1848年 The First War of Independence – 1859年 The Second War of Independence –  1866年 The Third War of Independence

●  Giovanni Battista Martini ( 1706-1784 ), Bologna / 1758 Accademia Filarmonica di Bologna / 1774 “Saggio dl contrapunto”

●  Franz Xaver Richter ( 1709-1789 ), Moravia / 1740 ~ 1747 Kempten i.a. / 1747 Mannheim / 1769 ~ 1789  ‘Cathédrale Notre-Dame-de-Strasbourg’  :  Violinist
●  Jean-Joseph de Mondonville ( 1711-1772 ), Narbonne / 1733 ~ 1772 Paris  :  Violinist

Antonio Stradivarius ( ca.1644-1737 )  Violin,  “Viotti”  1709年

Girolamo Amati Ⅱ ( 1649-1740 )   Violin,  Cremona  1710年

Vincenzo Ruggeri ( 1663-1719 )   Violin,  Cremona  1710年頃

■  Nicola Gagliano ( ca.1710-1787 ),  Napoli

■  Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 ),  Cremona  /  1729 Parma  /  1740 Piacenza  /  1749 Milan  /  1757 Cremona  /  1759 Parma  /  1771-1786 Turin

Giovanni Battista Grancino II ( 1673-ca.1725 )  Violin,  Milan 1715年

Antonio Stradivari ( 1644-1737 ),  Violin   “Tartini – Lipinski”  Cremona   1715年

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ),  Violin  Cremona  “Marsick – James Ehnes”  1715年

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ),  Violin  Cremona  1722年

●  Johann Wenzel Stamitz ( 1717-1757 ), Bohemian / Praha / 1741 Mannheim / 1754 ~ 1755 Paris / 1755 Mannheim :  Violinist

●  Leopold Mozart ( 1719-1787 ),  Augsburg / 1737 Salzburg / 1785 Wien, Salzburg :  Violinist
1751年  “Versuch einer gründlichen Violinschule”
– – – 
Wolfgang Amadeus Mozart ( 1756-1791 )

■ Giovanni Battista Gabrielli  ( 1716-1771 ),  Florence
■  Leopold Widhalm ( 1722-1776 ),  Nürnberg 

●  Pietro Nardini ( 1722-1793 ), Fibiana / Livorno / Padova / 1762 Stuttgart / 1770 Firenze :   Violinist
●  Pierre Gaviniès ( 1728-1800 ),  Paris /  1744 “The Concert Spirituel”  / 1795 He became a professor at the newly-founded ‘Conservatoire de Paris ‘.  :   Violinist

Matthias Klotz ( 1653-1743 )  Violin,  Mittenwald  1725年 

Giuseppe Guarneri ‘filius Andreae’ ( 1666-1740 )   Violin,  Cremona  1725年頃

Johann Michael Albani ( 1677-1730 )   Violin,  Bulsani in Tyroli   1728年頃

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )  Violin,  1729年頃

■  Johannes Theodorus Cuypers ( 1724-1808 ),  Hague Netherlands

Georg Klotz ( 1687-1737 )  Violin,  Mittenwald  1730年頃

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )  Violin,  Cremona
“Goldberg-Baron Vitta”  1730年頃

Antonio Stradivari ( 1644-1737 ) Violin,   “Lady Jeanne”  Cremona   1731年

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )  Violin,   “Posselt – Philipp”  1732年

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )   Violin,  “Spagnoletti”   1734年

●  Gaetano Pugnani ( 1731-1798 ), Torino / 1749 Roma / 1750 Torino / 1754 Paris, Nederland, London, Deutschland / 1763 Torino  / 1767 London / 1770 Torino / 1780 ~ 1782 Russia, 1782 Torino :  Violinist

■  Georg Klotz Ⅱ ( ca.1723-1797 ),  Mittenwald
■  Aegidius Klotz ( 1733-1805 ),  Mittenwald 

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  Violin,  Cremona
“Rode – Le Nestor”  1733年

■  Johann Gottfried Reichel ( ca.1735-1775 ),   Markneukirchen

Nicola Gagliano ( ca.1710-1787 )  Violin,  Napoli  1737年

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )  Violin,   “Ex Menuhin”   1739年

Carlo Antonio Testore ( 1693-1765 )   Violin,  Milan 1740年頃

Andrea Castagneri ( 1696-1747 )  Violin,  Paris 1742年


Bartolomeo Giuseppe Guarneri  / ” Guarneri del Gesù”
( 1698-1744 )  Violin,  “Carrodus”   1743年

■  Joseph Klotz ( 1743-1829 ),  Violin  Mittenwald  1760年
■  Lorenzo Storioni  ( 1744-1816 ),  Cremona

Andrea Castagneri ( 1696-1747 )  Violin,  Paris  1744年

Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 ) Violin, Piacenza 1747年

● Luigi Rodolfo Boccherini ( 1743-1805 ), 1743 Lucca / 1757 Vienna  “The court employed” / 1761 Madrid / 1771 String Quintet Op. 11  No. 5 ( G 275 ) :   Italian cellist and composer 

●  Johann Peter Salomon ( 1745-1815 ), Bonn / Prussia / ca.1780 London / 1791 ~ 1792, 1794 ~ 1795 Franz Joseph Haydn  :  Violinist

●  Carl Stamitz ( 1745-1801 ), Mannheim / 1762 Mannheim palace orchestra / 1770 Paris / Praha, London  :  Violinist

□  Nicolas-Léonard Tourte ( 1746-1807 ),   Paris  :   Bow maker
□  François-Xavier Tourte ( 1747-1835 ),   Paris  :   Bow maker

Camillo Camilli ( ca.1704-1754 )  Violin,  Mantua  1750年頃

Sebastian Klotz ( 1696-1775 )  Violin,  Mittenwald  1750年頃

Sebastian Klotz ( 1696-1775 )  Violin,  Mittenwald  1750年頃

1750 – 1800
●  Johann Anton Stamitz ( 1754 – ‥ ), Mannheim / 1770 Paris / 1782 ~ 1789 Versailles / ‘ 1798‥1809 Paris ‘  :   Violinist

■  Nicola Bergonzi ( 1754-1832 ),   Cremona
■  Antonio Vinaccia ( 1754-1781 ),   Napoli
■  Gennaro Vinaccia ( 1755-1778 ),  Violin  Napoli
■  Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 ),   Cremona

Giovanni Battista Gabrielli ( 1716-1771 )  Violin,  Florence  1755年

Joseph Klotz ( 1743-1829 )  Violin,  Mittenwald  1760年

●  Giovanni Battista Viotti ( 1755-1824 ), Fontanetto Po / Torino, Paris, Versailles, 1788 Paris, London, 1819-1821 Paris,  London :   Violinist

●  Federigo Fiorillo ( 1755-1823 ),  Braunschweig / 1780 Poland / 1783 Riga / Paris / 1788 London  He played the viola in Saloman’s quartet.  / 1873 Amsterdam, Paris

Marie Antoinette ( 1755-1793.10.16 )
1770年  She married  Louis-Auguste ( 1754-1793.1.21 )  /  ” Louis XVI ( 1774 ) “  at the age of 14.

French Revolution  1789 ~ 1793年

▶  1793年  ” Louis XVI ” ( 1774 )  /  Louis-Auguste ( 1754-1793.1.21 )

●  Wolfgang Amadeus Mozart ( 1756-1791 ), Salzburg / 1762 München, Wien / 1763 ~ 1766 Frankfurt, Paris, London / 1767 ~ 1769 Wien / 1769 ~ 1771 Milano, Bologna, Roma, Napoli / 1773, 1774 ~ 1775 Wien / 1777 München, Mannheim, Augsburg / 1778 Paris / 1779 Salzburg / 1781 München, Wien / 1783  Salzburg  / 1787 Praha, Wien / 1789 Berlin / 1790 Frankfurt / 1791 Wien, Praha, Wien

●  Bernhard Heinrich Romberg  ( 1767-1841 ),   “The Münster Court Orchestra” / 1790 Bonn  “The Court Orchestra” /  He lengthened the cello’s fingerboard and ‘Flattened’ the side under the C string  :   German cellist and composer

Leopold Widhalm ( 1722-1776 )  Violin,  Nürnberg  1769年

Tommaso Balestrieri ( ca.1735 – ca.1795 )  Violin,  Mantua  1770年

Johann Gottfried Reichel ( ca.1735-1775 ) Violin,   Markneukirchen  1770年頃

Giovanni Battista Gabrielli ( 1716-1771 )  Violin,  Florence
1770年頃

Georg Klotz Ⅱ ( ca.1723-1797 )  Violin,   Mittenwald  1773年

Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 ),  Turin  “Ex Joachim” 1775年

Gennaro Vinaccia ( 1755-1778 )  Violin,  Napoli  1780年頃

●  Rodolphe Kreutzer ( 1766-1831 ), Versailles / 1803 Wien “Kreutzer Sonata ” Ludwig van Beethoven 1770-1827,  Paris 1795 ~ 1826 ‘Conservatoire de Paris’ –  1796年 Caprices – 1807 comprises 40 pieces – “42 Études ou Caprices”  / Genève, Swiss :   Violinist
●  Pierre Baillot ( 1771-1842 ),  Paris :   Violinist
●  Pierre Rode ( 1774-1830 ), Bordeaux / 1787 Paris /  1804 Saint Petersburg, Moscow / 1812 Wien ” Ludwig van Beethoven 1770-1827  Violinsonate Nr. 10 in G-Dur, Op. 96 ” / 1814 ~ 1819年  Berlin,  “24 capricci”  /  1830 Lot-et-Garonne :   Violinist

□  François Lupot II (1774 – 1838),  He worked for Leonard Tourte in Paris. Once Lupot set up his own Parisian establishment in 1815.   :  Bow maker

18世紀の音楽ホール事情

▶  1763年  Haydn Saal ( Eisenstadt )  38.0m  ×  14.7m  (  H 12.4m )
▶  1766年  Eszterháza (  Fertőd )  15.5m  ×  10.3m  (   H  9.2m  )
▶  1772年  The Crown & Anchor  ( 271㎡ )   24.7m  × 11.0m

▶  1774年  Hanover Square R. ( 235㎡ ) 24.1m  ×  9.8m  (  H 8.5m  )

▶  1776年  Willis’s Rooms  (  305㎡  ) 25.0m  × 12.2m

 

▶  1781年  Leipzig Gewandhaus   23.0m  ×  11.5m   (  H  7.4m  )

▶  1795年  “Le Conservatoire de musique” ( Conservatoire de Paris )

▶  1780~1782年  弓のフェルールが考案される。

●  Niccolò Paganini ( 1782-1840 )
1802 ~ 1817年  ” 24 Caprices for Solo Violin ”  :   Violinist

●  Louis Spohr ( 1784-1859 ), Braunschweig / 1802 Saint Petersburg / 1804 Leipzig / 1805 ~ 1812 Gotha / 1813 ~ 1815 Wien /  1816,1817 Italiana / 1817 ~ 1819 ‘Oper Frankfurt’  / 1820 England / 1821 Paris / 1822 ~ 1859 Kassel :   Violinist
” Chin rest & Conductor’s stick “

■  Giovanni Francesco Pressenda ( 1777-1854 ),  Lequio Berria  /  Cremona  / 1815 Torino,  1821 was able to open his own firm.

Johannes Theodorus Cuypers ( 1724-1808 )  Violin,  Hague Netherlands   1780年頃

Antonio Vinaccia ( 1754-1781 )  Violin,  Napoli  1781年

1789年  “États généraux”

第一身分は10万人のカトリック聖職者で、彼らはフランス全土の10%程の土地を所有し、さらにその財産は免税されていました。第二身分は貴族で、子供や婦人を含んだ人口は40万人でした。1715年のルイ14世の崩御後、貴族は権力を回復し 高位官職や高位聖職、軍会議そしてその他の公共および半官半民の特権を独占していました。そして封建的慣習により彼らも第一身分と同じく免税されていました。第三身分は2500万人でブルジョワ、農民その他のフランス国民からなっていました。第一、第二身分と異なり、第三身分は納税を強いられていましたが、ブルジョワは何らかの手段でこれを逃れていたそうです。結局、フランス財政の重荷は農民や都市労働者といった貧しい人々に課せられていたのです。

French Revolution  1789 ~ 1793年
▶  1791年  Metric system ( metre & kilogram )
Maximilien Robespierre ( 1758-1794 )

Aegidius Klotz ( 1733-1805 )  Violin,  Mittenwald  1790年頃

Nicola Bergonzi ( 1754-1832 )   Violin,  Cremona  1790年頃

Lorenzo Storioni ( 1744-1816 )  Violin,  Cremona  1790年頃

 


Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   Violin, “ex Havemann”

Cremona 1791年

□  ■  Jean Baptiste Vuillaume ( 1798-1875 ),  Vuillaume was born in Mirecourt, He moved to Paris in 1818 to work for François Chanot.
In 1821, he joined the workshop of Simon Lété, François-Louis Pique’s son-in-law, at Rue Pavée St. Sauveur. He became his partner and in 1825 settled in the Rue Croix des Petits-Champs under the name of “Lété et Vuillaume”.
In 1827, at the height of the Neo-Gothic period, he started to make imitations of old instruments.  :  Bow maker.

Aegidius KLOTZ ( 1733-1805 )  Violin,  Mittenwald  1797年

Nicola Bergonzi ( 1754-1832 )   Violin,  Cremona  1800年頃

1800 – 1850

□  Nicolas Rémy Maire (1800–1878),   Maire was born in Mirecourt. He trained in the Lafleur workshop and served his apprenticeship in the workshop of Pajeot in Mirecourt. He opened his own workshop in Mirecourt in 1826 and left in 1853 to work in Paris.
:  Bow maker.

●  Georg Hellmesberger ( 1800-1873 ), Vienna / 1826 ~ 1833 ‘The Vienna Conservatory’ / His students were Joachim, Leopold Auer.  :  Violinist
●  Charles-Auguste de Bériot ( 1802-1870 ), Leuven / 1843  ‘Royal Conservatory of Brussels’ /  ‥ 1852. – 1858 – 1866 Brussels :   Violinist

■  Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 ),  Barbaresco / 1834 Turin,   It was during this time that he became acquainted with Luigi Tarisio, a violin dealer  / Rocca won prizes in his craft at a national arts and crafts exhibitions in 1844 and 1846.
■  Enrico Rocca ( 1847-1915 ),  Turin  /   1850 ~ 1865 Genova

■  Ferdinand Joseph Homolka ( 1810-1861 ),   Prague

□  Pierre Simon ( 1808-1881 ),  He apprenticed and worked in his hometown of Mirecourt until 1838, when he moved to Paris to join the workshop of Dominique Peccatte.  :  Bow maker

□  Dominique Peccatte ( 1810-1874 ),   He was born in Mirecourt. On the recommendation of Nicolas Vuillaume he moved to Paris in 1826 to join J.B. Vuillaume’s workshop. Paris 1838  / 1847 Mirecourt   :   Bow maker

▶  1804年 Napoléon Bonaparte  “Emperor”
Napoléon Bonaparte ( 1769-1821 / ” 1804 – 1814, 1815″ )

1812 – 1814年  [ ナポレオンのロシアからの撤退 ]

●  Heinrich Wilhelm Ernst ( 1812-1865 ), Moravia / 1825 ‘The Vienna Conservatory’ /  1828 Niccolo Paganini visited Vienna. 1830 He played Paganini’s Nel cor pìù non mi sento. / 1865 Nice :   Violinist
●  Jakob Dont ( 1815-1888 ), Vienna / 24 Etudes and Caprices :  Violinist
●  Henri Vieuxtemps ( 1820-1881 ),  Belgium / Liège , Brussels /  1829 Paris /  Brussels / 1833 Germany  /  1835 Wien / 1836 Paris / 1849  ~ 1851 Saint Petersburg / 1850 Paris / 1871  ‘Royal Conservatory of Brussels’ / Paris 1879 / Algeria :   Violinist

□  François Peccatte ( 1821-1874 ),  Mirecourt  /  1842 Paris   :   Bow maker
□  Joseph Henry ( 1823-1870 ),  Henry studied with Dominique Peccatte and established his own shop in 1851.   :   Bow maker

Niccolò Paganini ( 1782-1840 )
▶  1827年7月12日( 木曜日 )プログラム

イタリア・ジェノヴァ 生まれの パガニーニは ナポレオンの妹のエリーザ・バチョッキ( Elisa Baciocchi ) が 1805年にトスカーナ大公妃として設けたルッカの宮廷における独奏者として演奏活動をはじめます。

そしてナポレオンが失脚するとパガニーニは独奏者としての活動をはじめました。彼は 1809年より北イタリアからはじめた演奏会の開催場所をイタリア全土にひろげました。

その後の 1828年にはウィーンでも成功をつかみ、ついでプラハ そしてドイツ各地で開催した後である 1831年には 3月から4月にかけて有名なパリ・デビューを成功させ 5月にロンドンに渡り翌年にかけて イギリス、スコットランド、アイルランドでも大成功をおさめました。


     1831年4月17日( 日曜日 )

□  François Nicolas Voirin ( 1833-1885 ),  He was born in Mirecourt. He moved to Paris in 1855 to join his cousin Jean Baptiste Vuillaume.   :   Bow maker

▶  1831年  Gesellschaft der Musikfreunde ( Tuchlauben, Vienna )a concert hall for ca. 700 people

●  Joseph Joachim ( 1831-1907), Kittsee / 1833 Budapest / Wien / 1843 Leipzig / 1846 London / 1848  “Gewandhausorchester Leipzig ” / 1850 Weimar / 1852 Hannover  / 1866 ~ 1907 Berlin :   Violinist

●  Henryk Wieniawski ( 1835-1880 ), Lublin / 1843 ‘Conservatoire de Paris’ / 1874 ~ 1877 ‘Royal Conservatory of Brussels’ / Moscow :   Violinist

▶  1842年  The founding of the Vienna Philharmonic.

●  Pablo de Sarasate ( 1844-1908 ), Pamplona / 1854 Madrid / 1855 Paris / 1860 London, Paris, performing in Europe, North America, South America / 1864 Camille Saint-Saëns ‘Introduction et Rondo capriccioso en la mineur’   / 1878 Zigeunerweisen, 1883 Carmen Fantasy  / Biarritz 1908 :   Violinist

●  Leopold Auer ( 1845-1930 ),Veszprém  / Budapest, Wien / Hannover : Joachim / 1868 ~ 1917 Saint Petersburg  : St Petersburg Conservatory / 1918 America / 1824 The Curtis Institute of Music  :   Violinist

Ferdinand Joseph Homolka ( 1810-1861 )  Violin,  Prague   1840年  

Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 )  Violin,  Genoa
1845-1850 年頃

Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 )  Violin,  Turin  1850 年頃

Enrico Rocca ( 1847-1915 ) Violin,  Genova  1893年

□  Charles Nicolas Bazin ( 1847-1915 ),  Son of Mirecourt bowmaker François Xavier Bazin,  Charles Nicolas Bazin inherited the family workshop in 1859 following his father’s death from cholera.
Charles Nicolas was only 18 at the time, but already had ample experience from his father’s training, and the shop flourished under his leadership.  :   Bow maker

 

1848年  :  ウィーン体制が崩壊しヨーロッパの不安定化が進みます。

たとえば イタリアでは 1861年にヴィットーリオ・エマヌエーレ2世がイタリア統一をおこない、プロイセンは 鉄血宰相ビスマルク( 1815-1898 )の指導のもとクルップ社の鉄鋼製品( 鉄道、大砲 )を背景として 1866年の普墺戦争に勝利して 1867年に北ドイツ連邦に領土を拡大します。

そしてその後 の普仏戦争により 1871年には ワーグナーを擁護するとともにノイシュヴァンシュタイン城を建設させたルートヴィヒ2世( 1845 – 1886 )のバイエルン王国( Bavaria )やフランス領だったロレーヌ・アルザスを併合してドイツ帝国が成立しました。

また 1842年にアヘン戦争に勝利したヴィクトリア女王( 1819 – 1901 、在位 1837 – 1901 )のイギリスも植民地拡大をすすめ大英帝国を構築し繁栄します。 こうして帝国主義を国是としたヨーロッパ列強( ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、オーストリア、ロシア )が世界地図を分割していったことで『 諸戦争を終わらせる戦争( War to end wars )』と言われた1914年の第一次世界大戦( 1914 – 1918 )が発生することになりました。

 

1850 – 1900

パブロ・デ・サラサーテ( 1844 – 1908 )

カミッロ・シヴォリは 神童の誉れ高くニッコロ・パガニーニに一人だけ弟子入りを許されたヴァイオリニストとして名を遺して います。

□  Charles Peccatte ( 1850-1918 ),  He was born in Mirecourt, the son of François Peccatte and the nephew of Dominique Peccatte.   :   Bow maker
□ Louis Thomassin (1856–1905),  He learned his craft in Mirecourt where he worked for the Bazin Family. In 1872 he went to Paris to work for François Nicolas Voirin and carried on Voirin’s shop after his death.   :   Bow maker


1858年
The world’s most valuable violin?  The Messiah Stradivarius
0:57   ” 1716 ‥ It is the only as new Stradivarius ‥”

●  Eugène-Auguste Ysaÿe ( 1858-1931 ),  Liège / 1886 ‘Royal Conservatory of Brussels’  / 1918 Cincinnati  /  Brussels :   Violinist

●  Jenő Hubay ( 1858-1937 ),  Pest / Berlin / Paris / 1882 Brussels / 1886 Hungary, ‘Budapest Quartet’ / Hubay’s main pupils Joseph Szigeti.   :   Violinist

▶  1870年  Großer Musikvereinssaal( Wien )1680席,  48.8m  ×  19.1m  (  H 17.75m  )

1861年 Wilhelm I ( 1797 – “1861 – 1888”  / “Deutscher Kaiser 1871 – 1888” ) : Otto von Bismarck ( 1815 – 1898  / “Eiserner Kanzler 1862 – 1890″ )

▶  1870年9月2日 普仏戦争
投降したナポレオン3世とビスマルクの会見 ]
Napoléon III ( 1808-1873 / 1848 -“1852 -1870” )

□  Eugène Sartory ( 1871-1946 ),   Bow maker from Mirecourt. After having first apprenticed with his father, he went on to work in Paris for Charles Peccatte and Joseph Alfred Lamy (père) before setting up his own shop in 1889.   :   Bow maker

□  Victor Fétique ( 1872–1933 ),   He learned his craft in Mirecourt with J. B. Husson.  Later he went on to work for Charles Nicolas Bazin II, before joining Caressa et Français in 1901.   :   Bow maker

●  Lucien Capet ( 1873-1928 ), Paris / 1893 “Capet Quartet”  :   Violinist

▶  1884年  Neues Concerthaus – “Leipzig Gewandhaus ”
Die Gewandhaus-Ruine, 1947年

 

Regno d’Italia ( 1861 ~ 1946 ) Last Casa Savoia : 1946年 UmbertoⅡ( 1904-1983 )

1894年   : ペスト菌がはじめて発見されました。

中国雲南省で1855 年に始まったペストの大流行はペスト菌 Orientalis によるものとされています。このとき香港でこの原因調査にあたっていた医師であるとともに細菌学者であった 北里柴三郎 ( 1853-1931 )さんと パスツール研究所のアレクサンドル・イェルサン( Alexandre Yersin, 1863-1945 )の両名が ほぼ同時にペスト菌を始めて発見し 治療法の研究がより進むようになりました。

ペストの世界的大流行の最後は 1903年~1921 年で、地域別ではインドでの死者が特に多く、1907 年には インドだけで131万人の死亡が報告されています。この最後の世界的大流行での死亡者は 約1,000 万人だったそうです。

1914年6月28日「20世紀が始まった街角 」サラエボ ( ボスニア・ヘルツェゴビナ )

By NAFTALI BENDAVID    2014 年 6 月 29 日 09:35 JST
Matt Lutton for The Wall Street Journal 

当地の博物館の外壁に掲げられた横断幕からオーストリア=ハンガリー帝国のフランツ・フェンディナント大公が堂々と前を見据えている。別の壁では取りつかれたような顔をしたガブリロ・プリンツィプが大きく目を見開いている。ちょうど100年前、プリンツィプはこの美術館の前の通りで大公を銃撃し、第1次世界大戦の引き金を引いた。

「20世紀が始まった街角」――。横断幕にはそう書かれている。

38口径の銃から発射された2発の銃弾は最新の兵器の誕生を許し、いくつもの帝国を倒し、米国を孤立主義から引きずり出した。さらに凄惨な次の大戦や大虐殺、冷戦による欧州の分断の種がまかれたのもこの時だった。

100年経った今も、第1次世界大戦の傷跡は消えずに残っている。暗殺現場に掲げられた横断幕は現地のオーストリア人やドイツ人から「不適切で忌まわしい」と猛烈な怒りを買った。フェンディナント大公とプリンツィプはエイブラハム・リンカーン大統領と、大統領を暗殺したウィルクス・ブースのようなものだ。しかし、横断幕はまだ取り外されていない。

問題はプリンツィプをどのように記憶にとどめるべきか、そして、彼は英雄なのか、それともテロリストなのか、という点だ。弱々しい19歳のセルビア人革命家プリンツィプは100年前の6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の支配に抗議する目的で大公を殺害した。欧州では、戦闘員と市民を合わせて約1500万人が犠牲となり、現代の幕開けとなった第1次世界大戦の記念式典の準備が4年がかりで進められている。その間、くすぶり続けた議論の1つがプリンツィプの評価をめぐる議論だった。

ガブリロ・プリンツィプ
Historical Archive Sarajevo/Associated Press

1914年6月28日、大公の車列がサラエボの町を進むと、共謀者の1人が手りゅう弾を投げつけた。大公には当たらなかったが、複数の随行者が負傷した。大公は入院した随行員を見舞うことにしたが、車が道を誤り、プリンツィプの目の前を走った。プリンツィプは大公と妻のゾフィーを狙って至近距離から銃を発射、2人を殺害した。

当時20歳になっていなかったプリンツィプは絞首刑を免れたが、数年後、服役中に死亡した。オーストリア=ハンガリー帝国は報復としてサラエボを攻撃、欧州各国は即座に敵味方に分かれた。新しい兵器の登場によって大戦ではかつてないほど多くの人が死んだ。

プリンツィプの亡骸はサラエボ郊外の、ビールの看板のすぐ隣にある小さな礼拝堂に安置されている。そこを訪れたときには、2つの枯れた花束とろうそく1本が供えられていた。

多くのセルビア人は、戦争を望んでいた欧州の列強はプリンツィプによる暗殺を言い訳に利用した上、今になっても自らの罪を隠そうと、暗殺が大戦の原因だったと強調していると考えている。一部には、プリンツィプをオーストリア=ハンガリー帝国の支配からスラブ人を解放しようとした英雄とみる人々もいる。

ボスニアにあるバンジャ・ルカ大学の歴史家、Zeljko Vujadinovic氏は「第1次世界大戦に関係した全ての国、特に修正主義的な願望を持つ国は、ガブリロ・プリンツィプを大量虐殺者や暗殺者、オサマ・ビン・ラディンと呼び、彼を非難する口実を探している」と語った。
( 以上、下記からの転載です。)http://jp.wsj.com/articles/SB10001424052702304057704579653160707644406

1917年  :  第一次世界大戦の 最終局面となった この年に ついにアメリカも参戦しました。

アメリカは南北戦争 ( 1861-1865 )を経て国力を拡大し 特にゴールドラッシュ以降はヨーロッパ各地から入国した移民が ‥ 例えば 1880~90年の10年間で520万人に達するといった状況で 1900年代初頭には当時世界最大の産業国であったイギリスに肩を並べるまでに成長していました。

不幸の連鎖という言葉が頭に浮かびますが‥ この参戦によって 1918年3月にデトロイトやサウスカロライナ州で最初の流行がはじまっていた『 スペイン風邪 』が世界中に広がりパンデミック( 大流行 )をまねくこととなり 感染者6億人、死者が4,000万人から 5,000万人といわれる状況まで招きました。

Old Manhattan  1929年

さてここまではウィーン体制崩壊以降のヴァイオリンを取り巻く状況のうち 負の側面についてまとめてみましたが、この時期には産業革命の勝者である『 富豪 』が登場するなど経済の発展が続きヴァイオリンに対する強力な追い風も吹いていました。

この例をアメリカでみてみましょう。 アメリカでは南北戦争の軍需景気もあり製鉄業、鉄道、駅舎・交通業、それと石油や電気関連のエネルギー産業などから大富豪が誕生します。

アメリカ富豪の総資産ランキングでは 1位のビル・ゲイツを除くと 2位ロックフェラー、3位カーネギー、4位ヴァンダービルトとこの産業革命当時の富豪たちが名を連ねています。

製鉄では スコットランドからの移民でのちに『 鉄鋼王 』とよばれたアンドリュー・カーネギー ( Andrew Carnegie  1835-1919 )が最も有名です。彼は1860年代から 石油、電話、鉄道と新しい時代の中心産業に次々と投資しました。 そしてペンシルバニア州のピッツバーグに製鉄技術の向上により製造可能となっていた鋼鉄( スティール )を生産する大規模な製鉄所を設立します。

この工場での大量生産と鉄道での大量輸送はアメリカの産業発展に大きな役割をはたしました。なお‥ このカーネギー製鉄社は 1901年に『 金融王 』といわれた J.P.モルガンに 4億8000万ドルで売却され、これにフェデラル・スチール・カンパニー およびナショナル・スチール・カンパニーの2社が統合されUSスチール( 資本金の14億ドルは 当時のアメリカの国富の4%に相当しました。)が誕生しました。この年に USスチールは 1社でアメリカで生産されたすべての鋼の67%を生産しました。

Carnegie Hall   2013年

Carnegie Hall    1891年

Carnegie Hall

大富豪となったアンドリュー・カーネギーは 1891年にマンハッタンの7番街57丁目に『 音楽堂 』であるカーネギー・ホール ( Carnegie Hall )を建設します。ここではニューヨーク・フィルが リンカーン・センター内のフィルハーモニック・ホールへと拠点を移した1961年まで レジデンス・オーケストラを務めていました。

そしてカーネギー・ホールのメインホール( 2804席 )では 1893年12月16日アントニン・ドヴォルザーク( Antonín Leopold Dvořák  1841 – 1904 )が作曲した交響曲第9番 作品95『 新世界より』がアントン・ザイドル指揮のニューヨーク・フィルハーモニックで世界初演されるなど、中ホールであるザンケル・ホール( 599席 ) や 小ホールのウェイル・リサイタルホール( 268席 )も含めて アメリカの音楽文化の発展に大きく寄与しました。

アンドリュー・カーネギーは83歳の 1919年8月11日気管支肺炎のためマサチューセッツ州レノックスで亡くなりました。生前、既に3億5069万5653ドルを寄付済みで 遺産の3000万ドルも基金や慈善団体や年金などに遺贈されたそうです。

 

 

 

 

 

2018-2-16                Joseph Naomi Yokota

 

 

 

 

 

”加熱痕跡”はいつ付けられたのでしょうか。

前の章からの続きになりますが、私が加熱痕跡から何を読み解いているかについてお話ししたいと思います。
私が 加熱痕跡の読み方について確信を得たのは 15年程前にこのヨーゼフ・アントニオ・ロッカ(1807-1865)が製作した、このヴァイオリンに出会ったからです。

この楽器は 製作されてから まだ150年程しか経っていませんが 表板、裏板ともに肩の位置などにキズ状の加熱痕跡があったり、あご当て部と右肩部にも大胆な加工がしてありました。

私はそれまでもキズ状のものは全て確認するようにしていましたが、”オールド” に入っているその数は『 数えきれない‥。』と思うこともしばしばでした。

これは ヴァイオリンの歴史として” 1500年代半ばに登場し1700年前後には黄金期を迎え、弦楽器製作者が 技術の粋を尽くして 沢山の名器が製作されたものの、 スペイン継承戦争でフランスとオーストリアの領地争奪戦に巻き込まれたロンバルディアの諸都市は言うまでもなく、ヨーロッパ世界を恐怖に陥れたペスト禍や 相次ぐ戦争が 弦楽器製作の世界にも影をおとし、18世紀末までに急激にその製作者数が減少し‥ ついには絶えてしまった。” とされている影響だったと思います。

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
Cremona 1791年 “ex Havemann”  [ Wurlitzer collection 1931 ]
( Photo : Jiyugaoka violin  1998年 )

“オールド・バイオリン”を目にした時、頭のなかに『 やはり300年くらい前の楽器は、現代まで受け継がれる間にはひどい目に遭ったはずだから‥。』という発想をもつと 単純な思い込みに陥るようです。

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
“ex Havemann” ( Bein & Fushi inc. 1981年 )

その私が はじめて”オールド・バイオリン”のすり減ったりキズ痕だらけの様子に『 あれっ?』と違和感を感じたのは、 20年ほど前にクレモナ派の実質的な最後の継承者である G.B. チェルーティが製作した このヴァイオリンを扱ったときでした。

このヴァイオリンは モーツァルトが死去した1791年にクレモナで製作されたもので ”ex Havemann ” のニックネームを持っていて、すでに 1931年には ニューヨークのウーリッツァー商会が出版し公表した有名な ”ウーリッツァー・コレクション”で写真付きで掲載されている名器です。

私が目にした1998年は、この楽器が 1791年に製作されてから 207年ほど経っていたわけですが、私の知っている どの G.B. チェルーティより”キズ痕”が多いうえに、それらは人為的につけられた気配が濃厚でした。

なお、このヴァイオリンには 1939年に発行された レンバート・ウーリッツァー社 ( Rembert Wurlitzer Co.、) の写真添付の正式な鑑定書もついていて、その時点での様子をある程度は推測できました。

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
“ex Havemann” ( William Moennig & Son   1958年 )

また、この他にもフィラデルフィアの著名ディーラーだった ウイリアム・メーニック ( William Moennig & Son ) が 1958年に発行したものと、シカゴの Bein & Fushi inc. が 1981年に発行したものも含めて鑑定書はあわせて3通もついていました。

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
Cremona 1791年 “ex Havemann” ( Rembert Wurlitzer Co. 1939年 )

それで私は このヴァイオリンの”キズ痕”を順に確認してみました。もちろんですが 1998年は製作されてから 207年、1981年は 190年経過を意味し、1958年は 167年で 1939年は 148年、そして 1931年は 140年しか経っていなかった‥  ということを踏まえた上での話です。

.            1998年 ( 207年経過 )                             1981年 ( 190年経過 )

       1958年 ( 167年経過 )                                  1939年 ( 148年経過 )

さすがに 1939年や 1931年の写真では 外周部がだいぶん不鮮明ですが、それでも駒やF字孔周りの加熱痕跡はしっかりと写真に捉えられていました。

では‥ このイタリア、クレモナで1791年に製作されたこのヴァイオリンの「キズ痕」はいつ入ったのか?

ヨーゼフ・アントニオ・ロッカ(1807-1865)のヴァイオリンに出会ったのは、私が  G.B. チェルーティ作のヴァイオリンと出会った後に さらに5年程の歳月があり、その間にも多くのオールドやモダンの弦楽器を目にしたことによって『  製作時にはじめから入れられていた。』という結論を探っていたタイミングでした。

さて 話が長くなり恐縮ですが、 ここで製作されてから 100年ほど経過したヴァイオリンのこともお話ししておきたいと思います。

( Photo : Jiyugaoka violin  2012年 )

これは 1910年に ミラノで  レアンドロ・ビジャッキ( Giuseppe Leandro Bisiach  1864 – 1945 )氏が製作したヴァイオリンです。

これは所有者の方が 25年程前に 当時 ‥ 一般的に認識されているレアンドロ・ビジャッキ作 ヴァイオリンの販売価格の 2倍くらいの値段で購入されたもので、私は 翌年の 1992年から整備を担当しています。

すばらしい事にこのヴァイオリンは ブリュッセルで開催された 万国博覧会にイタリアから出品され、ゴールド・メダルを受賞した製作当初の状況が 私がこの写真を撮影した 2012年までの 102年間ほぼそのまま保たれています。

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )   violin,    Milano  1910年

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano  1910年
( Photo : Jiyugaoka violin  2012年 )

なぜ そう言えるかというと、このヴァイオリンは万博のコンペテーション部門の展示作品なので、1910年に撮影された新品状態だった時の写真が残っているからです。

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano 1910年
( Expo 1910 de Bruxelles,  Photo : 1910年 )

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano  1910年
( Photo : Jiyugaoka violin  2012年 )


Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano  1910年
(   Expo 1910 de Bruxelles,  Photo : 1910年  )

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano  1910年
( Photo : Jiyugaoka violin  2012年 )

 

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano  1910年
(   Expo 1910 de Bruxelles,  Photo : 1910年  )

因みに、ブリュッセル万国博覧会は 1910年 4月23日から 11月7日までベルギーの首都ブリュッセルで開催された国際博覧会で 会期中に 1300万人が来場したそうです。

この博覧会にイタリアから出品されたレアンドロ・ビジャッキ(  Leandro Bisiach  1864 – 1945  )が製作したヴァイオリンのラベルには 1910年にミラノで製作したと書かれています。

これはおそらく 4月からの万国博覧会出品のために前年にはあらかた完成していたヴァイオリンに このラベルを貼って仕上げたためではないかと 私は推測しています。

そして、このヴァイオリンは 二つの世界大戦や恐慌などの時代を乗り越えて 戦後のいつかは判然としませんが、遅くとも 1990年頃には日本に運ばれていて、購入された後はそのまま東京で所蔵されることになった次第です。

私は このヴァイオリンの実物と、 ブリュッセル万国博覧会に出品された時の新品写真、そして 2012年に私の工房で撮影した写真を詳細につき合わせてその差異を確認しました。

その結論として、このヴァイオリンは 指板の左右表板の『  演奏キズ  』や 表板C字部中央付近の『  弓の打撃痕  』、そしてそれ以外にも縁などについている『  キズ状  』の加熱痕跡も製作時の加工によるもので、裏板やヘッドのニスが剥がれている景色も 製作時に加工されたことが確認できる貴重なミント・コンディションの楽器であると確信しました。

そして 加熱痕跡のようすから考えると、レアンドロ・ビジャッキ( Giuseppe Leandro Bisiach  1864 – 1945 )氏も “オールド・バイオリン” のキズ痕や ニスの剥離した景色は「 製作時にはじめからそう作られていた」と判断して、それに学びながら弦楽器を製作していたと 私は考えることにしました。

Andrea Amati ( ca.1505–1577 ) Cremona,  Violin 1555年頃

そして、ここで やっと 加熱痕跡の読み方の話しに帰ってきます。

上にリンクを貼ってありますが、私が 第4章で触れた アンドレア・アマティが 1555年頃に製作したと考えられるヴァイオリンの裏板に点々と入った加熱痕跡についての考察です。

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G.B. チェルーティ ( Giovanni Battista Ceruti  1755-1817 ) が 207年前の1791年に製作したヴァイオリンや、レアンドロ・ビジャッキ( Giuseppe Leandro Bisiach  1864-1945 )氏が 82年前の1910年に製作したものなど、加熱痕跡があるヴァイオリン達に学んでいた私は 2003年に153年程前に製作された 前出の ヨーゼフ・アントニオ・ロッカ(1807-1865)のヴァイオリンに出会いました。


そして 精査した結果いくつもの状況証拠により、私はこのヴァイオリンにある このような加熱痕跡も『 製作者本人が製作時に 加えたもの。』と判断しました。

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Gaspar da Saló   /  Violoncello

“オールド・バイオリン”などに見られるキズ痕について。

私達が “オールド”と呼びならわしている弦楽器のなかに『どうして このキズがついたのだろう?』と不思議に思える楽器があります。


Andrea Amati ( ca.1505–1577 )   violin,  “King Charles Ⅸ” ( Ashmolean ) 1564年

そこで、私は これらのキズの特徴を調べてみました。
その結果 これらのキズ痕に見えるものの多くが、焼いた金具や針状のものでつけられていることを見出しました。
それから 私はこれを 加熱痕跡と呼ぶことにしました。

因みに”オールド・バイオリン”を検証すると 同一の製作者でも 加熱痕跡が多い弦楽器と そうでないものを作ったことが分りますが、私は 前者こそが 弦楽器特性を確認する上で重要と考えています。

なぜなら 私はこの加熱痕跡を 理想的な響きを生みだすための “木伏”として捉えているからです。

木工の世界で “木伏”としての技術は現在でも受け継がれています。シンプルなものとしては下の動画にあるように 木材を火で焼き焦がすなどの熱処理があります。
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火にかざすシーンは 3分36秒辺りからです。 ( 4分39秒 )

また、『 焼き杉 』の板壁もそうです。 新建材が普及するまでは 防腐加工として表面が焦げる程度に焼き、その後にススを落として磨き込んで艶を出すなどの加工をして土壁などの外側に被せて化粧壁として利用されていました。

 

風雨にさらされる建築物では 焼いたまま使用することもあったようです。

今日ではめずらしくなりましたが 焼き杉は 伝統的な建物の外壁材でした。杉板の表面を焦がして炭化状にしておくことで火を付きにくくして 耐火性能を高めることが出来たり、 雨風にさらされる外壁の耐久性を高めることが出来ることはかなり昔から知られていたようです。

それから‥この浮世絵は 葛飾北斎、歌川広重らと同時代に活躍した歌川国芳( 1797 – 1861 )が1831年頃( 天保2年 )に製作した「東都三ツ股の図」です。

隅田川の中州から深川方面を眺望する構図で 川にはシジミ取りの舟が浮かび、 手前の中州では船底を焼く様子が描かれています。 これは虫害・腐食の防止のためにフナクイムシを退治する方法である『 船蓼(ふなたで)』作業だそうです。

フナクイムシはフナクイムシ科の二枚貝で貝殻は1センチにも満たないもので 体の一部だけに被っていて、体は貝殻から外に細長く伸び 成長すると1メートル前後にも達するそうです。

恐ろしい事にこのフナクイムシは ヤスリ状になっている貝殻の前部を動かして船底外板に穴を掘り木質部のセルロースを消化しながら深く侵入するため、ついにはこの穴から浸水したり船体に亀裂を生じさせるなどの被害をまねきます。

ですから木造船にとって この『 船蓼(ふなたで)』という船底の熱処理は重要であったことがわかります。

これは、サントリー白州醸造所の見学コースを撮影したもので ウイスキー樽の『リチャー』とよばれる再利用工程だそうです。

私達の日常には 多くの木材が用いられていますので このウイスキー樽の『リチャー』のように、あまり目立たない場所でも 木材の加熱加工は受け継がれています。

http://www.kagakueizo.org/create/other/426/

お琴の製作工程にも 加熱加工である焼入れ工程があります。これはいささか古い映像で恐縮ですが、7分6秒辺りからがそれにあたります。(16分20秒 )


最近(2014年)の動画でいくと、この製作工程を紹介する番組では焼き作業は 5分55秒あたりから出てきます。( 14分00秒 )

これらの動画にもあるように琴や鼓、三味線などでは木材の加熱加工以外にも 良い響きをうむために響胴に 綾杉彫りや 子持ち綾杉彫り、すだれ彫りなどの立体的形状の工夫が施されているそうですが、 番組中でも 加熱加工である『 焼きは 琴の品質を左右する最も重要な工程。』と説明されています。

Here Charles Bazin is cambering a stick.
In Mirecourt the bowmakers would go to the bakery when they swept the coals out of the oven. They would fill an old ‘Marmite’ or Dutch oven with coals and use them for cambering. I use an old fashioned hotplate with an exposed element to give the same even heat but in other traditions an alcohol lamp is used as well.

This is a great photo of the archetier Joseph Arthur Vigneron.  Vigneron was born in Mirecourt and trained with his step father Claude Nicholas Husson.  His early work is indistinguishable from the work of his master.  In 1880 he relocated to Paris to work for Gand & Bernadel.

そして‥ 我らが 楽弓のスティック( 棹 )で施されている ベンディング ( 熱処理工程 ) が意味していることを 改めて考えてみるのはどうでしょうか?


Making a Violin Bow /  Bending the Stick( Reid Hudson )

写真のように 19世紀末にフランスで弓製作者として知られていた Charles Bazin ( 1847-1915 )と、1880年から Gand & Bernadelの工房で弓製作をしていた Joseph Arthur Vigneron ( 1851-1905 ) の 作業台にも スティックの加熱加工のために 石炭が入れられた容器が置かれています。

Vigneron の小さい容器には この写真が撮影されたときに ニカワの湯煎ポットが置かれていますが、写真で作業台の手前側にある窪みがベンディングの際にスティックを曲げるために使用した跡と考えられますので、彼も ベンディング作業中の Bazin と同じように この石炭容器を 加熱加工のための熱源として使用していたようです。

現代の楽弓製作者も スティックの ベンディングのための熱源こそ 電熱ヒーター、アルコールランプ、ヒートガン、ブタンバーナーなどと選択肢は増えましたが ペルナンブーコ材などに加熱加工を施すことによって弓の特性が向上するように工夫しています。

 

私はこのように木材を素のままではなく加熱加工や雨ざらし、蒸気加工、可塑剤の塗布、剛性差を生むための立体的形状の工夫、そして高度な木組みなどの人為的行為によって素材特性を変化させ利用する技術を ”木伏”と捉えることにしています。

特に、加熱加工はこのような木材の多岐にわたる利用のなかで経験則から最終的に確立された高度な技術であると思っています。


Georg Klotz (1687-1737),  Mittenwald 1730年頃

さて‥ 弦楽器においての加熱痕跡ですが、これを理解するためには 例えば このクロッツのように 表板全体に施されたものから それらの関係性を読み解く糸口となるキズ痕を確認していくことが大切になります。


なお、加熱痕跡のうちスジ状のキズにみえるものは 立体的表面形状の特性をととのえる目的で用いられている可能性がありますのでより慎重に観察する必要があります。

例えば、ヴェネチアで マッテオ・ゴフリラーが製作したとされるこのヴァイオリンで スジ状のキズを見て下さい。


私は このキズ状の加熱痕跡は製作者本人が このヴァイオリンを作った時に入れたもので間違いないと思っています。 それは次の 撮影光線角度を工夫した写真により 皆さんにも納得していただけると思います。


この写真でわかるように「キズ」に見えたスジは傷がつきにくい窪みの底にあたる“谷線”に入っています。 これが加熱痕跡が偶発的なものでないと理解していただくための状況証拠です。

そして申し添えれば このようなF字孔の加工は マッテオ・ゴフリラー の独自のものではありません。

ここでは類似事例として Walter Hamma が1986年に出版した “ Violin-makers of the German School from the 17th to the 19th century ”の vol.Ⅱの125ページに掲載されている Johann Adam Popel ( Ende 17.~Anfang 18.)のビオラの写真をあげさせていただきます。

この楽器は  Bruckで1664年に製作されたものとされています。
ご覧のように 右側F字孔に2本のスジ状のキズ が入っているのが とても際立っています。

右側F字孔はその響のなかで特に高い音域を担当することが多いようですので、このように加工された弦楽器を 私は興味深いと思っています。


なお、 “オールド・バイオリン”の製作者は F字孔に複雑な振動をさせるために スジ状のキズ より下の写真のような彫り込みによる立体的表面形状を 枢要な条件設定と考えたようで、F字孔にこのようなスジ状の加工まで施された楽器はまれにしか見つかりません。

Andrea Guarneri ( 1623 – 1698 ) violin,  Cremona 1658年

Front of the Guarneri del Gesù

Antonio Gragnani    violin,  Livorno

それでも、このキズの有無はほかの加熱痕跡とあわせて考えることで状況証拠として音響性能を推測するのに役立つのではないでしょうか。

Ignatius Christianus Partl ( 1732-1819 )   violin,  Wien 1760年頃

下にあげた写真は ミラノで弦楽器製作を栄させた Carlo Giuseppe Testore( 1660~1738 )の息子で同じく ミラノ派を代表する Carlo Antonio Testore( 1687~1765 )が 1740年頃に製作したヴァイオリンのものです。

このヴァイオリンの右側F字孔にもスジ状のキズ があります。 これをその下にある 角度を変えて撮影した写真と比べてみてください。

この写真でスジ状のキズに見えた線は 谷線として刻まれていることがご理解いただけると思います。


Carlo Antonio Testore ( 1693-1765 )    Violin Milano  1740年頃

もう一度正面から位置関係を確認してみましょう。
そうすると先程ご覧いただいたスジ状のキズ以外の 加熱痕跡、特に直線的に並んでいるものが 意志的に見えてくるのではないでしょうか。


このように調べていった結果‥ 私は 右側F字孔の加熱痕跡についての典型事例として、アマティ兄弟が 1629年に製作したとされるこのヴァイオリンにたどり着きました。

右側F字孔部には 加熱痕跡がたくさんみられますが、ほかの部分は少し抑制的な印象をうけます。このコントラストこそ 製作者が 視覚的要素より聴覚的情報を頼りとして、このヴァイオリンを仕上げたことを暗示しているのではないでしょうか。

そういう切り口から考えて、私は このヴァイオリンの加熱痕跡は  理想的な響きを生みだすための “木伏”の見本だと思っています。

Antonio e Girolamo Amati  violin,  1629年


このように入念に加えられた加熱痕跡は、当時の製作者の技術能力の高さを 今に伝える貴重な状況証拠と言えるでしょう。


それから、余談ですが‥ このような加熱痕跡がある弦楽器を 私は特にアマティ工房の名器に多数見るように思います。

例えば ジローラモ・アマティの息子である ニコロ・アマティが 1640年以降に製作したとされる このヴァイオリンもそのひとつです。

Nicolò Amati ( 1596–1684 )   Violin 1640年

私は このヴァイオリンは本当に『すばらしい!』と思います。

 


Nicolò Amati ( 1596–1684 )   Violin 1640年以降

 

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恐縮ですが 続きは こちらです。

 

 

 

 

2018-1-26                Joseph Naomi Yokota

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

軸線の役割について

軸線についてご質問がありましたので投稿いたします。
私は ヴァイオリンやチェロなどの軸線が節として動かないのは”一瞬だけ”であると認識しています。

それは 人間の二足直立歩行が 左の足で体重を支えることで右足を動かし、次の瞬間に移動した右足に体重を乗せ 左足の自由度をあげることでそれを動かすのに似ており、

下図で言えば 赤線が軸線として支えている瞬間に 点 aと点 b の側にゆるみが生まれやすくなり、つぎの瞬間にはモードが反転して線分 ab が軸線の役割をはたすというイメージです。


また、軸線のゆれを表板左側にあるバスバーに由来する軸線ゾーンの破損にみることも出来ます。

表板のなかでも剛性が高いはずの このゾーンが 最も破損していることは一見不思議ですが、私はこれが軸線がゆれた証明となっていると考えます。

これらの事などから 私は箱体のヴァイオリンでは X型と十字型の軸線が”対”で設定されていると考えるようになりました。

この X型と十字型の軸線はつり合った状態から ゆらすのにはより大きなエネルギーが必要となります。弦楽器の場合 これは音の立ちあがりが遅くなったり、鳴りにくい状態につながると思われます。

私は 弦楽器は これを避けるために”対”となっている軸線の一方に年輪をあわせることで意図的に差をつけてあったと思っています。

それは 響胴の左右で剛性差がつけられたことでねじりが生じやすくなり、スムーズなレスポンスが得られると考えられるからです。

それから、軸線は年輪やバスバーだけではなく 私が参考例としてあげている 1736年頃の製作とされるストラディバリウス ( Antonio Stradivari c.1736 violin ” Prince Jussupov ” ) などの表板等厚線図の板厚配置でも取り入れられている事がわかります。

 

この2台のストラディバリウスを比較すると 上下端にしっかり確保してある C部D部の厚いゾーンの幅が左側のヴァイオリンよりも右側が狭くしてあり、 おなじくF字孔外側のA部B部の上下方向の幅が狭く変更してあることが分ります。

私は これらのヴァイオリンには 板厚が厚いゾーンの切れ目である  点e, 点f, 点g, 点hを結ぶ軸線が設定されていると考えています。

この二つのストラディヴァリウスの比較から、私は e-f 軸と g-h 軸が交わるx型の軸線角度を 左側のヴァイオリンより右側は 狭くしたと判断しました。

私はストラディヴァリは 後者のヴァイオリンでこれらの条件を変更することでレスポンスの高速化と『 低音域 』の明瞭化を実現しようとしたと考えています。

 

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2017-9-21                   Joseph Naomi Yokota

弦を交換する前に 試してみてください。  

 


ヴァイオリンや チェロの響は ヘッドの影響を大きく受けています。そこで私は、その応用で弦楽器の鳴り方を改善する実験をお薦めしたいと思います。

これは ヴァイオリンや チェロのナットにある溝に、弦の滑りを良くするために 鉛筆( 5B )やローソクを塗る 通常メンテナンスを工夫したものです。

一般にはナット溝のメンテナンスとしては鉛筆が普及しているようですが、私は 蜜蝋入りロウソクの方が より効果が大きいと思っています。この実験のために 恐縮ですが それを準備してください。

因みに、私の場合は仕事でお客さんに差し上げたりしていますので  山田念珠堂  /  蜜蝋入りローソク あさみどり3号 54本入り ( 税込3,888円 )を使用しています。

それから、 この実験は簡単ですので 所要時間 1~2分といったところだと思います。


実験は、まずはじめに準備した弦楽器の響を 開放弦程度でかまいませんので4本とも確認してください。

それから、ヴァイオリンやチェロのナットにある 4本の弦溝のうち 4番線( 一番左側 )の溝だけ 弦の滑りを良くするためにローソクを塗り その後また調弦します。

そして、もう一度 響を確認してください。すると‥ ローソクを塗った4番線だけでなく他の3本も含めて 鳴り方が改善しているのではないでしょうか。

これは4本のうち1本のナット溝だけ塗ったことで ヘッド部のねじりが大きくなり、それが響胴の共鳴条件を改善したためと考えられます。


なお、この実験は弦の状況でも結果にある程度の差が生れます。

例えば、上写真のチェロに張ってあるスピロコアーC線のように芯弦のケーブル 注)1  の上を ナイロンの中間材でさや状に包み、その外側に銅色の丸い金属線が巻いてあり( ラウンドワウンド )、それにまた 白銅色の丸い金属線が巻きつけてあり、最後に平たいベルト状の白みがかった金属が巻き付けてあるフラットワウンド弦で、ある期間使用し‥ 少ししなやかさが失われかけたものは、劇的に改善がみられるようです。

 

注)1
写真では解いていませんが この弦は 中央に2本のピアノ線がねじって糸状にされ、それを包むように6本のピアノ線が強く編み込まれて合計8本で線状ケーブルになっています。つまり、このスピロコアーのC線は 中間材のナイロン部を一つとして数えると12本の線材などで作られています。

私の経験では、ヴァイオリンやチェロで一般に使用されている弦はフラットワウンド弦が多いので 、張ってから時間が経つと内部のずれなどの影響で一番外側の平らなベルト状金属に隙間ができてしまい、駒の弦溝やナットの弦溝部でのすべりが悪くなっていることが 多いようです。

つまり、弦を交換する頃が この実験に最もふさわしいのではないかと 私は思っています。

少し前のトマスティーク社のドミナント弦の広告で、伝統的な手作業でフラットワンド加工をしている写真が貼られていました。

 


芯弦( コアー )がナイロンの場合は 当然‥ 不安定要因が多くなりますので、この実験は より効果が分かりやすいかもしれません。

なお、私はこの投稿では 一応「実験」と言う表現を使っていますが この実験の効果は特に一時的なものではありませんので‥ 結果として、弦を使用できる期間をのばせるのではないかと思います。

それから、弦楽器においてのねじり条件をより知りたい方のために、下に別の実験のリンクを貼っておきます。

非対称楽器であるバイオリンの “名器的響き” を楽しんでください。

 以上、ありがとうございました。

 

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2017-7-18               Joseph Naomi Yokota

ヴァイオリンの音は 聴くほかに “見て‥” 知ることが出来ます。

皆さんがご存じなように、弦楽器の表板は スプルース材の年輪がたてになるように使用されています。

そのため縦に割れやすい特性があり それが影響して このチェロの魂柱部には縦方向の割れ( Sound post Crack )が入っていて 表面のニスにも 縦方向のひび割れがはいっています。


私はこのニスに入った縦ひび( a. )はバランスが調和していなかったことで歪みが溜まり 表板が疲労した過程できざまれたものと思っています。

では b. c. そして d. のひび割れはなぜ入ったのでしょうか?
私は この年輪に直交するひび割れは チェロやヴァイオリンに設定された音響システムによって入ったものと考えます。

因みに‥ 私がこのように ニスのひび割れと響きを関係づけて考えるようになったのは  2003年 9月29日 の 16:45頃からです。

長くなりますが、ここで その時のお話をさせて下さい。

それは 2週間前まで 11歳の長女が使っていた 1/2サイズのヴァイオリンを 7歳の二女が使いたいと言い張ったので 、その準備として 弦などの交換を検討するために 工房の入り口に立ってこのヴァイオリンを私がチェックしている時のことでした。

風もなく空が晴れわたったおだやかな夕方で 私が立っている工房の入り口には まだ日差しがさしこんでいました。

そのときニスのひび割れが 『 キラッ ! 』と蜘蛛の糸のように光ったのが 私の目にとびこんできました。 それで私は このヴァイオリンの表板と側板にはいった ニスのひびを確認してみました。 はじめは 『  なるほど。 分数ヴァイオリンでも フルサイズとおなじ入り方をするんだ‥‥ 。』と思いながら観察していたのですが、 当時 私が記憶していた他の事例とあまりにも合致していたので 『  これは‥ もしかして! 』と思ったときに 私の顔色は変ったと思います。

それまでニスのひび割れを特に重大なことと思っていなかった私でしたが、このときヴァイオリン響胴の振動モードとそれが きちんと繋がったのです。 私はこのとき『  ヴィジョンが降りてきた‥‥ 。』感覚のなかで 『  いま自分の頭のなかにうかんでいるヴァイオリンのヴィジョンは本当なのかな? 』と 戸惑いながらも楽器の角度を変えたりしながら観察して、もう一度 頭にうかんだ ヴァイオリンの振動モードに誤りがないかを検討しました。

その最中のことです。  私が表板側と側板に気をとられてよくみていなかった 裏板がレイヤー映像のように頭のなかに浮かんだのです。 『  表板がこう振動して側板はブロックによって こう動き‥ということは裏板のここら辺りにこういう形状のニスひびが‥‥ 。』と 私は 独り言をいいながら 裏板を見るために ヴァイオリンをひっくり返しました。

いまでも その瞬間をときどき思い出します。
とにかく感動しました。  私が予測したとおりの形状の小さなニスひび割れが 裏板の推定した位置に 入っていたのです。 おかげさまで 私は 鉱山技師が鉱脈を発見したような 歓びを経験しました。

下の図は そのニスひび( 表板側 )を 2005年になって 私のノートに記録したものです。


この時に私がはじめに気がついたのは下幅広部に真横に入っているニスひびが テールピースの下で繋がっておらず 魚のウロコ状のニスひびとなっている事でした。

それで私は このニスひびは ボトムブロックの端付近( 高音側 )の点 a. から ゆれがはじまる”ねじり”によるものと判断したのです。

その証拠に反対側のネックブロック部をみると 点 b. 辺りからブロックのねじりによるニスひびがはいっています。


このような ネックブロックのねじりは上の動画で確認できます。
おそらく撮影の都合だと思いますが鏡像になっていますので ネックブロックは手前側が高音でその奥が低音側となっています。

私は これらのニスに刻まれたヒビは弦楽器のねじりについて 決定的な状況証拠となるものと考えています。

“Varnish crack”   1970年製     Karl Hofner Cello( 2006年撮影 )

【  弦楽器のニスに入ったヒビが物語ること‥。】

この投稿はここまでとさせていただきます。

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2017-7-10               Joseph Naomi Yokota

私は テールガットを リスペクトします。

 

スタインウエイが 1872年に取得した特許で デュープレックス機構というのがあります。


スタインウエイの アグラフとチューニングピン

これは ‥ ピアノの響には 打弦された弦が自由に振動する範囲の前後外側部分にあるアグラフや チューニングピン位置などの条件が影響していることに着目し、それを 積極的に利用するものでした。

公告番号 US126848 A
公開タイプ 認定
公開日 1872年5月14日
公告番号 US 126848 A, US 126848A, US-A-126848, US126848 A, US126848A
発明者 C. F. Theodor Stedtway

IMPROVEMENT IN DUPLEX AGRAFFE SCALES FOR PIANO-FORTES.

UNInn STATES’ PATENT OFFICE.
G. F. THEODOR STEINWAY, 0F NEW YORK, N. Y., ASSIGNOR TO HIMSELF, .elli-BART STEINVAY, AND WILLIAM STEINWAY.

Speciiication forming part of Letters Patent No. 126,943, dated May 14, 187
To all whom it may concern:

Be it known that I, (l. I?. Trinonon S’rnnt WAY, of the city, county, and State of New York, have invented anew and Improved Duplex Agrai’e Scale for Piano-Fortes; and I do hereby declare the following to be a full, clear, and exact description thereof, which will enable those skilled in the art to make and use the saine, reference being had to the aecompanying drawing forming part ot this specification, which drawing represents a plan of a grand piano-forte with my improved scale.

My invention consists in brin ging the vibrations of that portion or’ the string which is situated between the agrade and the tuningpin, in proportion to those ot’ the main portion of the string, in such a manner that the tone produced by said a gratie section is brought in harmony with that of the main section, and thereby the purity and fullness of the tone of the instrument is materially increased, also,4

in bringing the longitudinal vibrations of that portion ot’ the string which is situated between the sounding-board bridge and the hitch-pin in proportion to the vibrations of the main section of the string, so that the sounds due to these longitudinal vibrations are brought in harmony with the tone ot the main section of the string, and the purity and fullness of the tone of the instrument is improved.

In order to enable others to understand my invention, I will here remark that the term scale77 of a piano-torte comprises the position of the strings side by side or above each other, their length and thickness and their tension; and my improvement is applicable to all stringed instruments in which the sounds are produced by the action ol hammers.

If the bass tones of a stringed hammer instrument are sounded -irom octave to octave toward the trcblea great diiierence appears in the effect of the various strings, according to their length, as far as the partial tones of the strings are concerned, which are duc to the spontaneous subdivisions of said strings in halves, quarters, eighths, sikteenths, 85o. rl’he longest duration ofthe vibrations and the highest quality’ to subdivide in partial tones is found in the strings between the contra C and the small c. Within these limits each string subdivides itseli` by the blows of the hammer and by the transverse vibrations due to the same in a large number of nodes whereby the so-called harmonic overtones are produced, and whereby the fundamental tone is rendered rich and brilliant. At the same time this portion of the strings, particularly, produces, by the longitudinal vibrations, a number of unharmonic side tones, making a whistling sound, which disturbs the purity of the tone. Both these qualities disappear as the height of the tone increases, so that the limit of producing a pure fundamental tone is found at a4, while it is in most cases desirable to obtain a clear tone from c5,- but the inherent firmness of the thick strings generally employed, and the great tension required on account of thickness prevents the string ot’ the above-named o5 to make the proper transverse vibrations due to the fundamental tone, and a division into partial tones is out of thc question. In order to eft’ect or promote the subdivision of the string and to produce the desired partial tones, I combine with that portion of the string which is situated between the tuning-pin a (see drawing) and the main agrafte b a secondary agratt’e, c, which supports the string and is placed at a distance from the main agrae corresponding to one of the above-named subdivisions of the main section d oi’ the stringthat is to say, at a distance equal to l, l, 15, or of the length of the main section, or to any combination ot’ these fractions. The main agrafte Z), which supports the string only at one point, allows the transverse vibrations to extend to that part of the string between the said agrafte and the tuning-pin, the vibration of this part being in a direction opposite to that of the main section of the string. By inserting the second agrafi’e c at a distance from the main agraffe equal to gf, gg, ,15, 517 or E13 of the length of the main section oi the string, the subdivision of the string into partial vibrations, and the consequent production of harinonic overtones is effected or promoted7 and a clear, strong, and brilliant tone is obtained up to the highest note.

In the drawing I have marked opposite to each tuning-pin the proportion existing between the distance of the two agra’es and the length of the main section of the string.

By allowing the vibration of the strin g to extend beyond the main agraie the durability of the string is materially increased, since by cutting oft` the vibration of the string at this bration of the strings, I avoid by supporting that portion of the string between the sounding-board bridge and the hitch-pin at distances from the outer bridge-pins equal to l, or 51T of the length of the main portion of each string, or kto any combination 0f these fractions. By the sounding-board bridge the continuation of the transverse vibrations must necessarily be interrupted, owing to the width of the bridge supporting the string, whereby these vibrations are ei’ectually stopped; but particularly With strings of’great thickness, as generally used in piano-fortes of recent construction, the longitudinal vibrations ofthe strings .extend to those portions which are situated between the kbridge and the hitchpins; and in order to avoid unharmonic tones due to these longitudinal vibrations I apply between the bridge and the hitch-pin g, under each string, a support, e, at a distance from the outer bridge-pinf, corresponding to T15, 3 1? or of the length of the main section d of the’ string, or to any combination of these fractions.

In the drawing I have marked opposite to each hitch-pin the proportion existing between the distance from the support c to the bridgepin and the length of the main section of the string. By these means the unharmonic tones due to the longitudinal vibrations ofthe strings are converted into harmonious tones, whichl being transmitted through. the bridge to the sounding-board reach the ear and strengthenl and enrich the fundamental vtone of the string, instead of disturbing the purity thereof, as heretofore. The supports c and e may be made of metal, ivory, or any other material capable of resisting the pressure of the string.

What I claim as new, and desire to secure by Letters Patent, is

l. rIhe arrangement, in a piano-forte, of a g series of successive strings, in each of which the vibrations of that portion situated between the agraie and tuning-pin are brought in har- Witnesses W. HAUFF, E. F. KASTENHUBER.

C. F. THEODOR STEINVAY.

私は ヴァイオリンなどの弦楽器もこれとおなじようなものと考えています。例えればサドルが ピアノにある アグラフの役割といったイメージです。


ところで ピアノは弦( ミュージックワイヤー )がエンドピンの位置までそのまま張られていますが 、ヴァイオリンなどの弦楽器はひも状の テールガットやテールナイロン そして写真にあるカーボン繊維で作られたテールコードなどが弦の末端の役割を果たしています。

このため‥ この部分は弦楽器の響きにおおきな影響をあたえています。

因みに、テールコードは ボワ・ダルモニ( Bois d’Harmonie )などが販売する非常に軽くて丈夫な素材のアラミド繊維( ケブラー )を主体とした高強度のひもで 鋼鉄と比べて5倍くらいの強度を持つとされています。

個人的な結論ですが テールコードは 響胴が硬い楽器には有効で 高音域は多少さえますが低音域を失う傾向があります。このため、私は 限定的な使用にとどめています。

私は 弦楽器の多くは弦が響胴に ねじりを加え 弛める仕掛けが 美しい音色を作り出していると考えているからです。


ところで、少し前ですが フェイスブックで 独創的な工夫をしたこの写真が流れてきました。真鍮でしょうか‥ 少なくとも このねじりは有効だと私も考えます。バロック・バイオリンですからテールピースもねじれ易く、音響的にはそれほど破綻していないと想像します。

私もスチールやチタン、額縁ワイヤーを使用した弦楽器は知っていますが真鍮はまだ実験していません。

下図にあるようにサウンドホールが二つある弦楽器では 金属線やワイヤー、テールコードなどを使用すると点 C、点 D がすばやく近寄ってしまうことで 点 B、点 A の倒れ込みが阻害されてしまい共鳴が失われ易くなることを 私は知っているからです。

そもそもヴァイオリンなどの弦楽器では 黎明期から戦後すぐまでの 430年ほどの間、下写真の 1741年製 ガルネリ・デル・ジェス “Vieuxtemps” のように  当然ですが テールガットが用いられていました。

December 3rd, 2013 article The Economist reported that the purchase price of the “Vieuxtemps” violin exceeded $16 million.

日本円で16億円以上 ‥ 。そして、それを終身貸与されている アン・アキコ・マイヤースさんもテールガットのままで使用されているようです。

現代では新素材などの影響もあり あたかも選択肢は多数あるようにみえますが、私はテールガットは最良の選択だと考えています。

不幸なことに テールガットを ガット弦の不安定性( 上質なしなやかさ )と同じイメージでとらえてしまう方が増えてしまいましたが 実際にテールガットはガット弦と違い 丈夫なのです。

私は TORO社のテールガットを本結び( リーフノットまたはヘラクレスの結び )で 長さの調整をして使用しています。弦楽器に取り付ける場合の技術的な熟練には数年を要しましたが、私はこの製品を使用していて今までほとんど不都合を感じたことがありません。

たとえば強度上の特性はコントラバスにテールガットを取り付けることで確認できましたし、テールガットの長さについては テールピースと駒の距離を適切に選ぶことでテールピースの良好な振動をえらぶことが可能なことを知りました。

私は テールガットは ねじって製造されていることで弦楽器の響胴のねじりをサポートし、それが豊かな共鳴音につながっていると考えています。これは前出の写真のように金属線をねじるより遙かに合理的です。

さて、私は この投稿を 弦楽器工房を営む同業者の方に「 40年程前からテールナイロンの普及によりテールガットを使用している人は少数派となってしまいましたが、 TORO社のテールガットは代理店である ムジカアンティカ湘南( 社名:コースタールトレーディング )で購入出来ますので、是非ためしてみてください。」とお伝えしたくて書いています。

私は 心からテールガットが再び主役の座に帰り着くことを望んでいるのです。


ヒル型テールピース

そこで‥  初めての方には多少は役に立つかもしれないので、ここからテールガット取りつけの実例をあげさせていただきます。

1. ガットのゲージについて

ガットのゲージ( 直径 )ですが 私はヴァイオリンの場合で TORO tail gut No.200 または No.220 を選択しています。このほかに楽器条件によっては Contrabass G string  No.230 を使用する場合があります。

ガットは製造時期などの諸条件でメーカー出荷時から多少規格が変化することがありますので、私は 入荷したガットは30年程前に購入したピラストロ社の直径計測器で確認しています。

これはピラストロ社のガット弦直径検査用なので 計測時の圧力がソフトです。 私はとても気に入っています。
TORO 直径 No.230( Contrabass G string )
PIRASTRO String gauge  46.0

因みにピラストロ社の直径計測器は 目盛りが TORO社の 1/5になっていますが換算は簡単ですね。

なお、この太さのテールガット( No.230 )をヴァイオリンやビオラに使用する場合は、テールピース穴を直径2.3mmのドリルで大きくする必要があります。

TORO 直径 No.220( Viola tail gut )
PIRASTRO String gauge  44 1/2

私も以前は 市販のマイクロメーターを使用していました。
ラチェットストップ付きなので 検査傷はそれほど心配いらないのですが、ガット製品は結構‥ 直径が不揃いですから マイクロメーターのレベルで計測していると心の病に陥りそうなのでやめました。

TORO 直径 No.200( Violin tail gut )
PIRASTRO String gauge  40 3/4

私は 一般的なガット製品は 時間の経過により痩せることを考慮して、この TORO社のヴァイオリン用テールガットのように出荷時は表示より少し太めとされていると推測しています。

このように同じ製品単位( ロット )でも 私は実測して使い分けていますが、その結果はなかなか興味深いものでした。

ゲージに関しては 経験則が必要ですので、まずは計測し記録することから始めてください。


2. 作業のはじめに ガットの長さを決定します 

今回は実例として 2004年製の YAMAHA violin に、 TORO社  No.200( Violin tail gut  / PIRASTRO String gauge  40 3/4 )を取り付けました。

私はこれらのガット製品は入荷時の直径確認後 すぐにトリートメントして保管しています。このため 今回のように使用時は本結びなどの加工がしやすくなっています。

このヴァイオリンのテールピース長は 110.0mm で 依頼された時には駒とテールピースの距離 ( A )が 44.0mm でしたが、私は 52.0mm に設定することにしました。


( A ) を 52.0mm に設定するためには、このヴァイオリンでは ガットをギリギリに短くする必要があります。


私は 結び目が締まって長くなることを考慮してこの長さを選びました。そして後の工程のために マジックでマークをいれました。

3. 本結びにはいります 


決定した長さになるようにガットに折り目をつけながら なるべく結び目が小さくなるように工夫します。


4. テールガット端の処理

テールピースの裏穴規格にもよりますが、私はガット端の熱処理部の長さは ヴァイオリンの場合で 7.0mm 位としています。

では‥ まず 1回目の焼き入れです。

ガット端が熱でやわらかくなっているタイミングで 釘の頭状に成形します。


そして 2回目の焼き入れです。


ガット端は根元付近まで加熱しますが本結び部を傷めないようにしてください。


こんな感じでだいじょうぶです。

ここで反対側のガット端の工程に移ります。長さは おなじく 7.0mm位とします。


こちら側のガット端も 1回目の焼き入れをします。


そして、2回目の焼き入れです。

こちらも、こんな感じに加工します。

5. テールガットを トリートメントします

テールガットの取り付け作業はここから本番のようなものです。
ガット弦やテールガットの愛用者の中には ガットをオイル処理などをした上で使用されている方がいらっしゃいます。

私も そうです。ただし私の場合は オイルではなく 2種類の塗布材を使いトリートメントしています。


この後の締め込み工程のために ここでもう一度トリートメントをしました。

6. 本結びを締め込みます


指のなかでもみ込んだり つまんで引っ張ったり、押し込んだりして、結び目が少しでも小さくなるように工夫します。


この工程は 結構 ‥ 指の力を使います。

7. 仮組工程

ヴァイオリンのテールピースに開けられているテールガット穴部は それほど丈夫ではありません。ガットを絞め込む際には 決して”テコ原理” を使わないでください。

テールピースの材料特性とテールガット穴が開けられた位置によっては、この工程でテールピース穴部が割れてしまうことがあります。


私はこれを避ける為に 不要になった音叉を利用して締め込みをして、最後に本結びがゆるまないように そっと曲げて仮組準備を終わります。

さて、テールガットをエンドピンに架けてみます。私は このテールガットを ( A ) の距離が 52.0mm となるように作業を進めていますが、この段階で駒とテールピースの距離は 54.5mmくらいでした。

8. 最終締め込み工程

さて、いよいよ本結びの仕上がりが見えて来ました。


この工程は指の中の作業なので やはり写真では確認しにくいと思います。とにかく、丁寧にもみ込んだりつまんで引っ張ったり、押し込んだり‥  この頃には指がだいぶん痛くなります。


ところで 私が なぜ締め込みにこだわるかと言うと、このタイプのヴァイオリンでは 楽器がゆれ続ける条件として テールピースがエンドブロック部を強くゆらす必要があると考えているからです。

このことから、私は『 このヴァイオリン 』では ( A )52.0mm  -( B )110.0mm  -( C )1.5 ~ 2.0mmでこの条件が達成できると考えました。そして、このテールピースとサドル距離を 1.5 ~ 2.0 mmに設定しようとすると “ギリギリ感”が大切になってきます。

この工程で 私は テールガット長があと 1.0mm 位は 伸びるように締め込みの努力しています。


それにしても‥ 人間の指はあまり丈夫ではありません。
この段階になると 私はいつも「 手が‥!手がぁぁ~!!」と叫びたくなったりします。


こうして 駒とテールピースの距離は 54.0mm までたどり着きました。

9. 弦張り工程


さて、ここまで来るとテールガットの本結び部は こうなっています。

ここから弦を架けますが その際には ガットの本結び部が表板に接触しないように厚紙を折り重ねたものを挿みます。

そして弦の張力を少しづつあげていきます。この時にはサドルの上にテールピースが引っかかったように乗っていますので、テールピースが破損しないように‥すべらせるような感じでおろします。


今 ‥ このヴァイオリンの弦はチューニングしてあります。
そして 駒とテールピースの距離は 53.5mm です。

10. 仕上がり

枕を入れた状態で30分ほど工夫をして テールガットの本結びが締め込まれました。


そこで、いよいよ枕を外しました。この段階でサドルとテールピースの間や表板とテールピースの空間がしっかり確保されている事をたしかめます。

実例としたテールガット取りつけが終了しました。
こうして駒とテールピースの距離は 52.0mm となりました。


最後になりましたが、今回 参考例とさせていただいた 2004年製の YAMAHA violin にも テールガットは調和していたことをご報告いたします。

16億とはだいぶん違うケタ数の 6万円ほどの このヴァイオリンは響胴が硬い楽器の典型事例のようなものと言えるのではないでしょうか。

アジャスターが 4個取り付けられて初心者に近い方が使用されていますので、私はこのようにしっかり締め込んだ本結びにより 適切なテールガット長として取り付ける事が本当に大切と考えます。

テールガットの取り付け経験が少ない方にとって ガット長の調節が難問でしょうが 、すばらしい響きが持続性をもって設定できると理解されたら 皆さんの判断は速いのでは‥ と 私は思っています。

以上‥ 長文にお付き合い下さって ありがとうございます。

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2017-5-17                 Joseph Naomi Yokota

 

メメント・モリ

古い思い出話しで恐縮です。

私が 18歳だった頃、近所の喫茶店でのことでした。
常連客の一人のファゴットの多田さんが 「プロと アマチュアの差はなんだろう?」とつぶやきました。

すると、カウンター席の中央で コーヒーを飲んでいた 鈴木公平さんが すぐに小さく手をあげて「俺、それに答えられる。」と応じました。

彼は その場のみんなに話し始めました。「 ヴァイオリンの演奏で例えると‥ 演奏の結果は同じ奏者でも毎回違うので幅がある。この幅の上端をトップラインで下端をボトムラインと表現すると、アマチュアは『いつの日か 最高の演奏をしたい。』と夢をみる。それは トップラインに心が向いている状態といえる。

そして自分もそうだけど‥プロはいつもボトムラインを意識して下げないように、毎日 努力する。たとば 体のコンデションが悪くて納得のいく演奏が出来なかった時にボトムラインが下がったとしても‥ それを受入れ、一旦下がってしまった自分のボトムラインを 今日を使って 少しでも上げようとする。

常に演奏のボトムラインに留意し下げないように‥ 努力をするのがプロフェッショナルだと思う。」彼は そう言い切りました。

この時の 私に とって ほぼ同年齢の彼のことばは戦慄を覚えるほど衝撃的でした。

それから数年後のことですが‥ 私は『 ヴァイオリン製作を仕事にしよう!』 と考えるきっかけを 彼から貰いました。

1983年のことでした。当時 22歳の大学生だった私の住むアパートの扉が真夜中にノックされました。私は 眠っていましたが  びっくりして目を覚まし 時計を見たら夜中の 2時20分 でした。扉越しに『 誰?』と聞くと『 あの ‥、鈴木公平ですが ‥。』との声。

彼のお願いは『 今からバッハを聴いてもらいたいのですが‥。』 でした。それから彼の住む羽沢 2丁目のマンションで朝まで 彼の演奏するバッハの「無伴奏ヴァイオリンの為のソナタとパルティータ」を聴きました。

私は幸せでした。おかげさまで 「 彼らの役にたてる人間になりたい。」と思った 私は 程なくしてヴァイオリン製作の修業をはじめました。


それから時がたち‥ドイツのオーケストラでヴァイオリン奏者を続けていた彼と私が再会したのは 2013年 6月の終わりのことでした。私たちが 最後に会ってから 30年近くが経っていました。

この時は 7月の演奏会までに ヴァイオリン調整と弓の毛替え、そして飲み会‥で 自由が丘と新宿で三回だけ会いました。

そして 7月の演奏会は 彼らの演奏を‥ 当然ながらそのあとの打ち上げも十分に楽しむことが出来ました。

この日、終電が過ぎた時間に別れる際には一年後の再会を約束して‥  私も家路につきました。


ところが、その約束は果たされることがありませんでした。
一年ほど過ぎて そろそろ演奏会の連絡があるはずと思っていたある日、訃報が届いたのです。

彼は 桜の舞う 2014年4月7日に 55歳で帰天しました。


彼の告別式は 4月10日に東京でおこなわれました。

私は彼をほんとうに”マコトの人”であったと思っています。
今日は、彼の三回目の命日です。

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2017-4-07                      Joseph Naomi Yokota

裏板ボトムブロックの端付近も確認してください。

ご存じな方も多いように 弦楽器製作を取り巻く環境は 1980年代後半からとても良くなりました。

デジタルカメラの高性能化、データ処理技術の向上、そしてインターネットの普及などによる情報交換の高速・広域化は 私にとってめまいを感じるほどのスピードでした。

そして 気がつけば  “オールド・バイオリン” などについての資料が容易に集められる時代となっていました。

Giuseppe Guarneri del Gesù  /  The back thickness
VIENNA micro-CT LAB

こうして‥ グアルネリ・デル・ジェズとされるヴァイオリン裏板の厚さをながめたり、ヤコブ・シュタイナーのそれを知ることができる訳ですから 時代とはいえ 不思議なものだと思います。

Jacob Stainer   /  The back thickness

これらの追い風もうけて‥  私は “オールド・バイオリン”の表板、 裏板にみられる響きにつながる要素と そのへりのオーバーハング部に特徴的な加工がしてあること、そしてコーナーブロックの形状は 音響的目的のために関係( Relation )させてあると考えるようになりました。


私は この連続性こそが “オールド・バイオリン” の発音システムの “失われた技術”の正体であると思っています。

左図では 左側角が振動の起点となり奥の角がリレーションすることで「  ゆるみ 」が生まれます。また右図は対称型で 左側角の起点と手前の角がリレーションします。

ヴァイオリンやチェロ、ビオラなどは F字孔周りの振動と 共鳴部の響きによって独特の音色を生みだしています。私は この発音システムが その時に共鳴部に十分な “ゆるみ”を発生させる役割を果たしていると考えるようになりました。


そこで “オールド・バイオリン”などの高性能型を区別するためのチェック・ポイントとして、私は上図 a. の裏板ボトムブロックの端付近( 高音側 )の剛性差を確認することを皆さんにおすすめしたいと思います。

この例として アンドレア・アマティが 1555年頃に製作したと考えられるヴァイオリンと ニコロ・アマティ ( 1596–1684  ) の 1651年製、そして アントニオ・ストラディヴァリの 1733年製から その部分の画像を並べてみました。
左側の アンドレア・アマティ ( ca.1505-1577 ) のヴァイオリンにおける 点 A の剛性差については異論がないと思います。

そして‥ もし判断が分かれるとすると、あとの二台ですね。

これが意図的な剛性差のための加工と確信するには 下図の 赤線辺りが 響胴のねじり軸として機能するとスムーズにゆるみが生じることを理解する必要があるのではないでしょうか。

“Thickness”   G.B. GUADAGNINI ( 1711-1786 )  Cellos
1743年頃 & 1757 年

そのために‥ 少し話がそれて恐縮ですが 下に私の過去の投稿をあげさせていただきます。

【 ヴァイオリンの音は聴くほかにも “見て‥” 知ることが出来ます。】

弦楽器の表板は スプルース材の年輪がたてになるように使用されています。そのため縦に割れやすい特性があり それが影響してこのチェロの魂柱部には縦方向の割れ( Sound post Crack )が入っていて 表面のニスにも 縦方向のひび割れがはいっています。


私はこのニスに入った縦ひび( a. )はバランスが調和していなかったことで歪みが溜まり 表板が疲労した過程できざまれたものと思っています。

では b. c. そして d. のひび割れはなぜ入ったのでしょうか?
私は この年輪に直交するひび割れは チェロやヴァイオリンに設定された音響システムによって入ったものと考えます。

因みに‥ 私がこのように ニスのひび割れと響きを関係づけて考えるようになったのは  2003年 9月29日 の 16:45頃からです。

長くなりますが、ここで その時のお話をさせて下さい。

それは 2週間前まで 11歳の長女が使っていた 1/2サイズのヴァイオリンを 7歳の二女が使いたいと言い張ったので 、その準備として 弦などの交換を検討するために 工房の入り口に立ってこのヴァイオリンを私がチェックしている時のことでした。

風もなく空が晴れわたったおだやかな夕方で 私が立っている工房の入り口には まだ日差しがさしこんでいました。

そのときニスのひび割れが 『 キラッ ! 』と蜘蛛の糸のように光ったのが 私の目にとびこんできました。 それで私は このヴァイオリンの表板と側板にはいった ニスのひびを確認してみました。 はじめは 『  なるほど。 分数ヴァイオリンでも フルサイズとおなじ入り方をするんだ‥‥ 。』と思いながら観察していたのですが、 当時 私が記憶していた他の事例とあまりにも合致していたので 『  これは‥ もしかして! 』と思ったときに 私の顔色は変ったと思います。

それまでニスのひび割れを特に重大なことと思っていなかった私でしたが、このときヴァイオリン響胴の振動モードとそれが きちんと繋がったのです。 私はこのとき『  ヴィジョンが降りてきた‥‥ 。』感覚のなかで 『  いま自分の頭のなかにうかんでいるヴァイオリンのヴィジョンは本当なのかな? 』と 戸惑いながらも楽器の角度を変えたりしながら観察して、もう一度 頭にうかんだ ヴァイオリンの振動モードに誤りがないかを検討しました。

その最中のことです。  私が表板側と側板に気をとられてよくみていなかった 裏板がレイヤー映像のように頭のなかに浮かんだのです。 『  表板がこう振動して側板はブロックによって こう動き‥ということは裏板のここら辺りにこういう形状のニスひびが‥‥ 。』と 私は 独り言をいいながら 裏板を見るために ヴァイオリンをひっくり返しました。

いまでも その瞬間をときどき思い出します。
とにかく感動しました。  私が予測したとおりの形状の小さなニスひび割れが 裏板の推定した位置に 入っていたのです。 おかげさまで 私は 鉱山技師が鉱脈を発見したような 歓びを経験しました。

下の図は そのニスひびを 2005年になって 私のノートに記録したものです。


この時に私がはじめに気がついたのは下幅広部に真横に入っているニスひびが テールピースの下で繋がっておらず 魚のウロコ状のニスひびとなっている事でした。

それで私は このニスひびは ボトムブロックの端付近( 高音側 )の点 a. から ゆれがはじまる”ねじり”によるものと判断したのです。

その証拠に反対側のネックブロック部をみると 点 b. 辺りからブロックのねじりによるニスひびがはいっています。

【  弦楽器のニスに入ったヒビが物語ること‥。】


このような ネックブロックのねじりは上の動画で確認できます。
おそらく撮影の都合だと思いますが鏡像になっていますので ネックブロックは手前側が高音でその奥が低音側となっています。

“Varnish crack”   1970年製     Karl Hofner Cello( 2006年撮影 )

Cittern  /  English  (  Length 616mm – String length 340  )  1600年頃


Cittern by Gasparo da Salo  (  ca.1542 – ca.1609 ) Brescia  1570年頃


Jacob Stainer  ( Absam, Tyrol  )  Bass Tenor Viola da Gamba 1673年

Cello –  Joseph Naomi Yokota ,  Tokyo  2014年

それから 私が上図で – 7.0° としているねじりの軸線は 下にあげさせていただいた アントニオ・ストラディヴァリ ( 1644-1737 ) が 1679年に製作したヴァイオリンの “サンライズ”の裏板年輪の木取を参考にしました。


私はこれらの仮説と状況証拠によりその楽器が “オールド・バイオリン”の音響システムに基づいているかを確認するために 裏板ボトムブロックの端付近( 高音側 )の”意図的”な剛性差の痕跡を確認することは重要と考えています。


最後に実例として アンドレア・アマティ ( ca.1505-1577 ) が 1566年頃に製作したと考えられるヴァイオリンをあげると‥  裏板へりのオーバーハングの差異は小さかったとしても、点 B. のひび割れを この楽器の特質のひとつと見ることが出来ると思います。

これにより 少なくとも 下に並べた 1555年頃のヴァイオリンと同じ製作者によると考えても違和感はないのではないでしょうか?

このように音響システムの視点を持ちながら 弦楽器を観察すると “オールド・バイオリン” と贋作の違いは 意外と見分けやすいのではないかと 私は思います。

 Gasparo da Salò  /   Violoncello

 

2017-2-09                 Joseph Naomi Yokota