「弦楽器の鑑定について」カテゴリーアーカイブ

“バイオリンの秘密 ” を生んだ 複雑な音響メカニズム

これは 中央下部に黎明期のヴァイオリンが描かれている カラヴァッジオ作の油彩画『 リュートを弾く若者 』です。現代では ヴァイオリンという楽器の初期の状態は こういった絵画などによる検証が重要となりました。

カラヴァッジオ リュート奏者 ( 1595年頃 ) - 1 L
Michelangelo Merisi da Caravaggio  1571-1610
” Suonatore di liuto”  1590年頃    エルミタージュ美術館

 

私は この絵画に描かれた ヴァイオリンのネックと指板の設定、ネック角度と駒の低さなどは、当然ですが響胴の規格に調和するように選ばれたと推測出来ますので 音響システムとして量的にとらえることを助けてくれると私は思っています。

さてバロック・ヴァイオリンではプレーンガット弦を用い、多くの場合A線を415Hz(バロック・ピッチ)あるいは392Hz(ベルサイユ・ピッチ)に調弦する。

さて‥ 私は ここまで ヴァイオリンを見分けるために、コーナー部分の左右の非対象性‥  特に A コーナーと B コーナーの面積差異に注意しながら観察することをお勧めしました。

ここはストラディヴァリが使用したと考えられている F字孔位置を設定するテンプレートでも重要な基準線として書き込まれています。

Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) F - HOLE placement template G violin ( MS No 117 ) - 1 Lまた、このテンプレートにより 『 オールド・バイオリン 』における響胴の基本設定が ヴァイオリンの表板や裏板の輪郭ではなく側板のアウトラインによってコントロールされていたことを知ることが出来ます。

VIENNA micro-CT LAB - C L

私は 弦楽器を観察するときには、まず側板から表板や 裏板がオーバーハングした幅をおおよそ把握します。

それから表板や 裏板が正対するように ひっくり返して パフリング位置との関係をめやすに 真正面から裏板や 表板をながめ、非対称性を”一定の剛性比”として観察するようにしています。

 Antonio Stradivari 1720年 Ex Bavarian - J L
Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) violin 1699年 Auer - M L
また私は この時、表板と裏板の大きさ( 幅 )の差も大切な観察ポイントとしています。

Matteo Goffriller Venice 1710 (1659-1742 ) X-ray - A L
実際に厳密に計測してみれば分かることですが 『 オールド・バイオリン 』の左右の長さや 幅の差は およそ 1.0 ~ 2.0mmほどの場合が多く、板厚に関しては 0.1mm以下の違いまでが 音響システムとして利用されていると考えられます。

VIENNA micro-CT LAB - D L

ですから 表板や裏板の輪郭線をたよりに見分けようとされる方達の試みは、 このわずかな差を視きることが出来ないことで 確信を持って判断できないという状況に陥ってしまうのではないでしょうか。

また、2次元の画像でそうであった方が‥ 実際に現物を手にもって観察した場合には その上に 左右2つの眼球の視覚差異がかさなり、なおさら混乱が起こっていると 私は推測しています。

ところが‥ 私の場合もそうでしたが 音響上のしかけとして観察すると面白いほど弦楽器の見分けができるようになるようです。ここまで指摘させていただいた4つのコーナー部は関係性をもっている 言わば 4桁ないしは 8桁のパスワードの様なものと私は思っています。

ここまでその具体例としてコーナー部の非対象性‥  特に A コーナーと B コーナーの面積差異に気をつけて観察するのをおすすめしたのは この 4つのコーナー部の剛性バランスの選ばれ方で その弦楽器の製作者の 音響的技術力と その時代性が判断できるからです。

私が資料として手元においている都立高校の 物理 Ⅰにこういう趣旨のことが書かれています。

【  複雑に見える運動でも‥ 】
物体の”重心”は、その物体全体に広がっている質量の代表点です。物体の運動を考えとき 一見複雑に見える運動でも その重心の動きとしてとらえ観察すると、すべてに共通する一定の規則性が浮かび上がってくることがあります。これこそが力学の基礎的な概念を形づくる根源となるのです。

私は 『 オールド・バイオリン 』などの弦楽器を研究した結果、古典的技術に基づいたヴァイオリンは 4つのコーナーブロック部の内で  ひとつのコーナー部の剛性が意図的にさげられた設定とされている事に気がつきました。

私は これをヴァイオリンが鳴り続けられる‥ つまりゆれ続けられる工夫で、『 オールド・バイオリン 』の特質の一つだと考えるようになりました。

また、私は これらのヴァイオリンは演奏時には 弦の振動によって ねじりが加わることで 1:3 として分割され ヴァイオリン弦の振動によって “一対”でスムーズに ゆれ始められるように 非対称の形状が選ばれたと理解しています。

Andrea Amati ( c1505–1577 ) Violin ( 1555 ) - F L

ヴァイオリンの響胴のゆれは 表板側が駒部からで 裏板側は 鳴らす弦にもよりますが上下ブロックに近い Dライン辺りが折れ曲がり両側C字コーナー部が表板側にある F字孔にむけて倒れこむように揺れることからスタートする場合が多いと私は考えています。

因みに、この時にみられる響胴の動きは ティシュ・ペーパーの箱でA部とB部分を指で変形させることで再現できます。

下の写真のように 指でA部とB部に圧力をくわえると 同時にC部とD部が近づく動きをするので、それを横から見ると平行だったC部とD部が 『 ハの字形』に動いているのが確認できます。

実際のヴァイオリンでは 弦のゆれが C部とD部に力を加えるかたちとなり、その作用でA部とB部がゆれている訳です。

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ヴァイオリンを含めた多くの弦楽器は 下図のように指で押されて膨らんだ ティッシュペーパーの箱の表板中央ゾーンに駒をたてて 表板が膨らむ動きを E部とF部にふりわけて響胴が共鳴しやすいように変形していると私は考えています。

このときにA部とB部のそばの適当な位置にカッターなどで 6 ~ 7cm のまっすぐな切れ込みを二筋入れて指で圧力を加えてみてください。 指の圧力に対して『 閉断面 』と『 開断面 』では劇的な 違いがあることが理解していただけると思います。

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BOX-3-300x211

この駆動システムは実際のヴァイオリンの破損痕跡でも確認できます。

たとえば このヴァイオリンは製作されてから わずか12年後に バスバーの両側が完全に剥がれ、なお且つ指板下の表板ジョイント部が 140mm程( 表板全長 354mm )の長さにわたって剥がれていました。

ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - 2 L

ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - 3 L
ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - 4 L
ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - 5 L (2)
そして表板ジョイントの剥がれを撮影しようと私が表板をさわっていたら『 パキッ 』という音とともにバスバーが外れてしまいました。

ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - 6 L
そしてこの景色となった訳ですが、このようにバスバーがはずれたのは私の33年間の経験のなかで3例目の事例となりました。

ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - 7 L
これが脱落したバスバーをE線側から見たものでバスバー長さが 275.0mm 上下スペースがネックブロック側 39.0mmのエンドブロック側 40.0mmで厚さが写真向かって左のネック側端が 5.5mmで 駒部 6.4mmのエンドブロック側端が 5.8mmとなっています。

そしてバスバーの高さは駒部が 11.6mmで両端が 4.5mmとしてありました。
また F字孔間距離の最狭部は 39.8mmにしてあり、これに対しバスバーは 0.1mm内側に取り付けてありました。

ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 MONO - A L
このピグマリウス『 REBIRTH(リバース)』シリーズのヴァイオリンは魂柱( Soundpost )が立っていた部分が表板、裏板ともすでに窪みができていました。

ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - B L

Violin Sound post MONO - 1 L
ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - C L
ヴァイオリンはバランスが合っていない状態で使用すると、疲労が進行し魂柱が立つ位置の表板と裏板の空間( 高さ )が少しずつ狭く( 低く )なっていきます。

しかし魂柱は圧力が強くなってもほとんど縮まないので、結果として表板や裏板にめり込むかたちになります。この破損につながる疲労の原因が  “つり合いの破れ” という現象です。

破損 - 2 L

この疲労破損がまねいた 最悪な事例です。

私が取り扱った事例ではないので推測ですが、疲労破損がすすみ表板や裏板に変形がおこり 上下ブロックの接着部などもゆるんだ状態だったところで、最後に楽器を落としてしまったのだと思います。

単純な原因でヴァイオリンが真っ二つに割れることはおこりませんので、これは言わば『 競合破損 』と言ったほうがいいかもしれません。

破損 - 1 L
ヴァイオリンを “強制振動楽器”と表現する方がいらっしゃるくらいで 弦をゆらすと思った以上に響胴は動きます。残念ながら、『 新品のヴァイオリンを買って間もないのに‥ 』という破損事例を 私もいくつか経験しました。

SUZUKI-1
たとえば バスバー剥がれの次の事例となりますが、この写真は 1992年5月に私の工房で撮影したものです。この1/2 サイズのヴァイオリン( SUZUKI VIOLIN No.280 )は 私が 1ヵ月前に新品で販売したものでした。

SUZUKI-2-231x300
このヴァイオリンは 新品で使い始めてわずかな期間しか経っていないのにバスバー剥がれによって鳴らすと すごいノイズ ( お子さんのお母さんもビックリするような 『 ダダダーッ!』という音がしました。)がしました。

当然ですが 私も持ち込まれた直後に修理が必要なことが分かりましたので、購入者のショックが深くならないように翌日に仕上げて納品するためにすぐに修理に入りました。このバスバーも 表板の動きにまったく合わない設定となっていました。

そして、このように バスバーが表板からはがれるプロセスが分かるのが下にあげさせていただいた写真です。

この Eugenio Degani (1842 – 1915) が 1910年に製作したとされるヴァイオリンの バスバー剥がれをごらんください。

Eugenio Degani (1842-1915) - 1 L上の2台のバスバーはがれと違って バスバーの先端部はまだ剥がれておらず 表板の幅広部にあたる位置だけが剥がれているのが分かります。

Eugenio Degani (1842-1915) - 2 LBOX-3-300x211

さて‥ 私はこの投稿を ヴァイオリンの見分け方のお話しをするために記述しています。その話のながれで響胴のゆれかたに ふれていますが ここで重要な事実を再確認しておこうと思います。

実際に『 オールド・バイオリン 』で達成されたことは独特の響きが生じるように、 響胴をすばやく 且つ、はげしく揺らし続けられる条件設定であったということです。

本物の弦楽器は 木工製の置物である箱状のものと違い 製作技術は

①  ゆれの初動がスムーズに生じる設定。
② 音高が明確で多様であること。

そのポイントとして 冒頭から例示させていただいたコーナー部の非対象性‥  特に A コーナーと B コーナーの面積差異を 私はヴァイオリンの音響システムの第二段階と捉えている関係で、まず響胴の 第一段階の動きについて説明いたしました。

弦の揺れによって生じさせていると 私は考えています。

Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) violin 1699年 Auer - V L

そして 私は 第二段階で コーナー部 A,B,C,D が ねじれ始めると思っています。このとき 裏板コーナーA部が相対的に小さくするなど 剛性を低くしてあると、三角形 BCD が 一定の剛性を持ったまま 線分BDなどを折れ目として曲がると考えられます。

これは あくまで初動のイメージですが、私はヴァイオリンの響胴はF字孔端が弦の直接振動により内部の空気に疎密波を生じさせ( 一次振動 )、それがヴァイオリンの “駆動系”により表板の波源部にうまれたゆるみを共鳴振動させる( 二次振動 )仕掛けとなっていると考えています。

それを 単純モデルとして表現すると 静止状態では 四角形 ABCD の重心が点 G にあるととらえます。それが 響胴のねじりによって 点 A 部が他の剛性に負け、それにより 三角形 ABD が一時的に機能しなくなり 相対的に剛性を保った 三角形 BCD の重心点 H に重心が移動するというイメージとなります。

改訂版 高等学校 物理Ⅰ - 数研出版株式会社 平成23年12月印刷 - B L

Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) violin 1699年 Auer - U L

表板につきましては 詳しくは これから先の投稿でふれようと思いますが、私は 裏板側 A コーナー部に剛性をさげる工夫がしてある場合には 表板のコーナー部では 裏板 B コーナー部にあたる 表板 Bass side – Lower corner に同じような工夫がしてある可能性が高いと思います。これを図にすると下のようなイメージとなります。

左図では 左側角が振動の起点となり奥の角がリレーションすることで「  ゆるみ 」が生まれます。また右図は対称型で 左側角の起点と手前の角がリレーションします。

 

私は 裏板の初動として ご説明した ねじりが 確実にすばやく起こるように工夫することで『 オールド・バイオリン 』などの弦楽器は すばやい音の立ち上がり( レスポンス )を確保していると考えています。これには “一定の剛性比”をふくむ 非対称性が重要となるのは言うまでもない事だと思います。

Half Size Violin 1998 - 2000 Varnish crack - B L
  Gasparo da Salò   /   Violoncello

では、ここで一台の 『 オールド・チェロ 』のコーナー部を見てみましょう。

Old cello reference - A L
この楽器は 表板 Bコーナー部( Bass side – Lower corner )に摩耗痕跡と面積差が認められます。

Old cello reference - C L
そうすると‥ 裏板 Aコーナー部はどうでしょうか?

Old cello reference - 2 L
一見したところ左右の面積比はおおきくないように見えます。
ところが 裏板 Aコーナー部をよく見てみると‥ 。

Old cello reference - 3 L
赤色で塗った 点 a.部と 点 b.部に 下の参考写真のような ” 復元加工”が施されていることが認められます。

Old cello - 5 L

私は このチェロも 表板 Bコーナー部と裏板 Aコーナー部にみられるように 響胴全てが 非対称設定で製作されたと 思います。
そう考えて検証すると このチェロのフォルムの歪みが意図されたと理解できるのではないでしょうか。

悲しいことですが、弦楽器を観察するときに踏まえてないといけないのが 19世紀初頭から この 1700年代に製作されたチェロのように 弦楽器工房で 非対称加工などが修復された事例が多数あるという事です。

現在では、弦楽器製作や修復の関係者で コーナー部は8か所とも全て 下の写真のように加工されていたと信じてしまっている人が過半数の状況となっていますので 、弦楽器を観察する場合には その程度が時代性を判断する状況証拠となりうるのではないかと私は思います。

Corner - 1 Lでは 恐縮ですが ここまでの説明を参考に現代のイタリア人製作者が『 オールド・チェロ 』を参考にして昨年製作した新作チェロと その見本で、コーナー部の特徴の差を観察してみてください。

Old cello reference - Contemporary Italian L
私は ヴァイオリンを観察し見分ける場合には “名のある楽器のイメージ”に頼るのではなく 音響システムの到達度や 温存度をヴァイオリンの評価基準とする事が大切と考えています。

 

 

Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) 1726年 - B L
Antonio Stradivari ( ca.1644 – 1737 ),   Violin 1726年

Violin Corner block - G MONO L

The middle in the 17th century - F L

Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) violin 1699年 Auer - AAntonio Stradivari ( ca.1644-1737 ),   Violin 1699年 ” Auer ”

Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) violin 1699年 Auer - F L

Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) violin 1699年 Auer - C L

Violin back - C L

Antonio Stradivari violin 1715年 Giuseppe Tartini ( 1715-1770 ) - 1 LAntonio Stradivari,   Violin 1715  Cremona,  “The Lipinski”  .
( Giuseppe Tartini  1692 – 1770  )
Antonio Stradivari violin 1722年 de Chaponay - A LAntonio Stradivari,   Violin 1722  Cremona,  “”

Antonio Stradivari violin 1731年 1715年 1722年 - 1 LT
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弦楽器において非対象が 常識だった時代 について

ここでヴァイオリンなどの弦楽器における時代性について お話ししたいと思います。

私の別の投稿 [ ヴァイオリンと能面の類似性について ]でふれていますが、『 オールド・バイオリン 』を見分けるには おなじ時期に日本で製作された 能面を観察するのと おなじような視点が必要となってきます。

それは『 オールド・バイオリン 』などの弦楽器を理解するには、当時の弦楽器工房で “創作”と  “写し”が表裏一体としておこなわれたという事実に着目するということです。

Noh Masks - 1 L

Cremona Map - A L

■  Violin maker  ●  Violinist, Teacher, Composer  □  Bow maker

Pythagoras ( BC.582-BC.496 )
Archimedes
( BC.287-BC.212 )

1378 ~ 1417年  “Schisma” Roma : Avignon ( 1309-1377 )
1453年  Constantinopolis /  The Eastern Roman Empire ( 330-1453 ),  Extinction.

Christophorus Columbus ( 1451-1506 ),  1492年 Palos de la Frontera,España – San Salvador Island – 1493  Palos de la Frontera

Leonardo da Vinci ( 1452-1519 )
Vasco da Gama ( ca.1460-1524 ), 1497 Lisbon – Inldia – 1499 Lisbon 55 / 147

1517年  “95 Thesen” Martin Luther ( 1483-1546 )

1538年  Naval battle of Preveza / Turkish Empire
1543年  Nicolaus Copernicus ( 1473-1543 )

■  Andrea Amati ( ca.1505-1577 ) Cremona, Violin maker.
1539年   Established a workshop in Cremona.

Andrea Amati ( c1505–1577 ) violin - B L
Andrea Amati ( c1505–1577 ) violin - E LAndrea Amati ( c1505–1577 )  violin, Cremona   1555 ~ 1560年頃

私は現在得られる情報から判断して、この楽器が ヴァイオリンの完成型としては 最も初期に製作されたものと考えています。

また、クレモナ派において このヴァイオリンと共に重要となのが シャルル9世の 摂政カトリーヌ・ド・メデシスによってフランス宮廷で使用された楽器群だと思っています。

これらの楽器は この後 リシュリュー枢機卿が ルイ13世の宰相となった 1626年ころに 5パートからなる弦楽合奏団である『王様の24人ヴァイオリン隊 ( Les Vingt-quatre Violons du Roi )』の設立につながり、 ルイ14世が親政をはじめる 1761年ころまで この合奏団で用いられたとされています。

つまり これらの楽器達は、ヴァイオリンという楽器の黎明期の性能をさぐるときに 実際に演奏された音楽と連動させることで私たちに気づきを与えてくれる 生き証人なのです。

Catherine de Médicis ( 1519-1589 )
1533年  She married Henry II at the age of 14.

Charles Ⅸ de France ( 1550-1574 )
1561年  He was crowned the king of France.

それから ヴァイオリンにとって ” ガスパロ・ダ・サロ ”の愛称で呼ばれた ガスパーロ・ディ・ベルトロッティを 始祖とするブレシア派の弦楽器製作者も重要だと思います。

私は この ジョバンニ・パオロ・マッジーニが製作したとされる ヴァイオリンなどにみられる 彼らの能力の高さを心から尊敬しています。

■  Antonio Amati ( 1540-1640 ) Cremona, Violin maker.
■  Girolamo AmatiⅠ( 1561-1630 ) Cremona, Violin maker.

“Gasparo da Salò”
■  Gasparo di Bertolotti ( ca.1540- ca.1609 )  Brescia, Violin maker.
■ 
Giovanni Paolo Maggini ( 1580- ca.1633 )  Brescia, Violin maker.

Giovanni Paolo Maggini ( 1580 – c1633 ) Brescia c1620 - 3
Giovanni Paolo Maggini ( 1580 – ca.1633 ) Violin,  Brescia  1620年頃

Galileo Galilei ( 1564-1642 )
Johannes Kepler (1571-1630 )
Marin Mersenne  ( 1588-1648 )
René Descartes ( 1596-1650 )

 

●  Biagio Marini ( 1594-1663 ),  Brescia / 1615  Venezia ‘ Basilica di San Marco’ / 1620 Brescia / 1621 Parma / 1623 ~ 1649 Neuburg an der Donau / 1649 Milan / 1652 Ferrara / 1654 Milan / 1656 Vicenza  /  Venezia 1663  :   Violinist
Scordatura”,   “double and even triple stopping”,   “Tremolo”   

 

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■  Nicolò Amati ( 1596-1684 ) Cremona, Violin maker.
■ 
Andrea Guarneri ( 1626-1698 ) Cremona, Violin maker.
1654年  He founded the workshop in Casa Guarneri .

Otto von Guericke ( 1602-1686 )

●  Maurizio Cazzati ( 1618-1678 ), Luzzara / 1641 Ferrara, Bozzolo, Bergamo / 1657 ~ 1671 Bologna / 1671 Mantova

■  Jacob Stainer ( 1617-1683 ) Absam, Tirol.  Violin maker.

 

ca.1626 ~ ca.1761  ” Les Vingt-quatre Violons du Roi ” ( “The King’s 24 Violins” )  The Royal Palace in Paris  

Louis XIV ‘Roi-Soleil’ ( 1638 – ‘1643-1715’ ),  1661 ~ 1682  “Château de Versailles”

●  Jean-Baptiste Lully ( 1632-1687 ),  Firenze / 1646 France / 1652 The Royal Palace in Paris  / 1653 “Petits Violons” / 1661 French subject , 1661 ~ 1682 “Château de Versailles”  / 1685,1686,1687

●  Giovanni Battista Vitali ( 1632-1692 ),  Bologna / 1666 Accademia Filarmonica di Bologna / 1774 Modena  :   Violinist

■  Giovanni Grancino ( 1637 – 1709 ) Milan,  Violin maker.
■  Alessandro Gagliano ( ca.1640–1730 ) Napoli,  Violin maker.
■  Giovanni Tononi ( ca.1640-1713 ) Bologna, Violin maker.

Christiaan Huygens ( 1629-1695 )
Antonie van Leeuwenhoek ( 1632-1723 )
Robert Hooke ( 1635-1703 )
Isaac Newton ( 1642-1727 )

 

■  Antonio Stradivari ( c.1644-1737 ) Cremona,  Violin maker.
1680年 He founded the workshop in Casa Stradivari .

■  Girolamo Amati Ⅱ ( 1649-1740 ) Cremona,  Violin maker.

Arp Schnitger ( 1648-1719 ),  active in Northern Europe, especially the Netherlands and Germany,  Pipe organ builder.

●  Heinrich Ignaz Franz von Biber ( 1644-1704 ), Bohemia / 1668  Zámek Kroměříž / 1671 Salzburg,  ca.1676 ” Rosenkranz-Sonaten ” ( Scordatura )  :   Violinist

●  Arcangelo Corelli ( 1653-1713 ), Fusignano / 1666 Bologna / 1675 Rome / 1681 München / 1685 Roma / 1689 Modena / 1708 Rome :   Violinist

●  Giuseppe Torelli ( 1658-1709 ), Verona / Bologna / 1684 Accademia Filarmonica di Bologna / 1697 ~ 1699 Fürstentum Ansbach / 1699 Wien / Bologna :   Violinist

 


 

■  Francesco Ruggieri ( 1655-1698 ) Cremona, Violin maker.
■  Pietro Giovanni Guarneri ( 1655-1720 ) Cremona / Mantua, Violin maker.

■  Matteo Goffriller ( 1659–1742 )  Venezia,  Violin maker.

●  Giacomo Antonio Perti ( 1661-1756 ),  Bologna / Parma / Venezia / 1690 ~ 1756 Bologna  :   Violinist

●  Tomaso Antonio Vitali ( 1663-1745 ), 1674 Modena :  Violinist

■  Carlo Giuseppe Testore ( c.1665-1716 )  Milan, Violin maker.
■  Filius Andrea Guarneri ( 1666-1744 ) Cremona, Violin maker.

■  Francesco Stradivari ( 1671-1743 ) Cremona,  Violin maker.
■  Omobono Stradivari ( 1679-1742 ) Cremona,  Violin maker.

■  Carlo Tononi ( c.1675-1730 ) Bologna / Venezia,  Violin maker.

●  Antonio Vivaldi ( 1678-1741 ), Venezia 1703 / 1740 Wien :   Violinist
● 
Pietro Castrucci ( 1679-1752 ),  Roma / 1715 London / 1750 Dublin :   Violinist

■  Carlo Bergonzi ( 1683-1747 ) Cremona,  Violin maker.
■  Domenico Montagnana ( 1686-1750 ) Venezia,  Violin maker.

Gottfried Silbermann ( 1683-1753 ) Saxony / Dresden, Pipe organ builder.
Zacharias Hildebrandt ( 1688-1757 ),  Pipe organ builder.

1687年  Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica

●  Johann Sebastian Bach ( 1685-1750 ), Eisenach / 1703 Weimar, Arnstadt / 1705.10 Lübeck 1706. 1 /  1707 Mühlhausen / 1708  Weimar / 1717 Köthen, 1721 Anna Magdalena Bach  / 1723 Leipzig

●  Giovanni Battista Somis ( 1686-1763 ),  Turin / 1731 Paris / Turin
:   Violinist
●  Francesco Geminiani ( 1687-1762 ), Lucca / 1711 Naples / 1714 London  :   Violinist

●  Francesco Maria Veracini ( 1690-1768 ), Firenze / 1711 Venezia / 1714 London / 1616 Venezia / 1723 Firenze / 1733 London / 1744 Firenze  :  Jacob Steiner violin  /   Violinist

■  Andrea Guarneri ( 1691-1706 )  Cremona,  Violin maker.

●  Giuseppe Tartini ( 1692-1770 ), Pirano / 1721 Padova, 1726 Violin School  :   Violinist

●  Pietro Locatelli ( 1695-1764 ), Bergamo / 1723 Mantua, Venezia, München, Dresden, Berlin, Frankfurt, Kassel / 1729  Amsterdam  :   Violinist

■  PietroⅡ Guarneri ( 1695-1762 )  Cremona / Venezia, Violin maker.  1718年  moved to Venezia

●  Jean-Marie Leclair ( 1697-1764 ), Lyon / Turin / 1723 Paris, ‘Palais des Tuileries’  / 1733 ~ 1737  ‘ Louis XV ( 1710 – ‘1715-1774’ ) / 1738 ~ 1743 Den Haag  / 1743 ~ 1764 Paris  :   Violinist

 

“Guarneri del Gesù”
■  Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 )  Cremona  :  Violin maker.  1722年頃  He is independent.

弦楽器製作流派である ”クレモナ派”の始祖  アンドレア・アマティ( Andrea Amati  ca.1505–1577 )  からヨーゼフ・グァルネリ( Bartolomeo Giuseppe Guarneri  1698-1744 )の活躍する時期までは、おおよそ 170年ほどです。

そののちに最後の”クレモナ派” J.B. チェルーティ( Giovanni Battista Ceruti  1755-1817 )が亡くなる 1817年までが 約100年、そして厳密な意味でイタリア最後の名工として トリノなどで 弦楽器製作をおこなった ヨーゼフ・アントニオ・ロッカ( Giuseppe Antonio Rocca 1807-1865 )の他界までがまた 50年程 でした 。

 

Giuseppe Guaneri Cremona c1730 Goldberg-Baron Vitta - A L“Guarneri del Gesù”  Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 )
Violin  ‘Goldberg-Baron Vitta’,  1730年頃

その ヨーゼフ・グァルネリが 1730年頃製作したとされる このヴァイオリンのコーナー部は挑戦的と 私は感じます。

Bartolomeo Giuseppe Guarneri - del Gesù ( 1698-1744 ) Violin Carrodus 1743年 - A L“Guarneri del Gesù”  Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 )     Violin  ‘Carrodus’,  1743年

 

Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 ) Violin 1845-1850年頃 - C L
Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 )  Violin, Turin  1845 ~ 1850年頃

■  Camillo Camilli ( ca.1704-1754 ) Mantua,  Violin maker.

Carlo Tononi Bologna 1705 ( 1675 Bologna 1717-30 Venice ) - A L
Carlo Tononi  (  ca.1675 Bologna, 1717-30 Venice ) Violin,  Bologna  1705年

私は この楽器の左右のコーナー部に設けられた面積の差が 明解な設定とされていることをすばらしいと思っています。

このヴァイオリンが製作されたボローニャは ヴァイオリン演奏史のはじめに輝く アルカンジェロ・コレッリ ( Arcangelo Corelli 1653-1713 )が滞在していたことでも知られています。

彼は Bolognaから約40㎞ほど Ravenna方面に行った Fusignano の出身で 13歳である1666年にボローニャに移り1670年には わずか17歳でアカデミア・フィルアルモニカに入る事を認められ、1675年にはローマの 聖ジョバンニ・ディ・フィオレンティーニ教会の主席ヴァイオリン奏者となり 演奏活動を終えた5年後の 1713年にローマで亡くなりました。

ご承知のように彼が作曲し厳選して残した“ ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集 ”などのすばらしい音楽は 今日でも演奏されています。 ボローニャはヴァイオリンの演奏でそうであったように、弦楽器製作でも重要な役割を果たしていました。

そして、この街で弦楽器製作者として有名になったのが  Giovanni Tononi ( ca.1640-1713 )と Carlo Tononi でした。

●  Giovanni Battista Martini ( 1706-1784 ), Bologna / 1758 Accademia Filarmonica di Bologna / 1774 “Saggio dl contrapunto”

●  Franz Xaver Richter ( 1709-1789 ), Moravia / 1740 ~ 1747 Kempten i.a. / 1747 Mannheim / 1769 ~ 1789  ‘Cathédrale Notre-Dame-de-Strasbourg’  :  Violinist

●  Jean-Joseph de Mondonville ( 1711-1772 ), Narbonne / 1733 ~ 1772 Paris  :  Violinist

1701 ~ 1714年  War of the Spanish Succession
“France : Louis XIV ( 1638-1715 ) × Habsburg : Karl VI ( 1685-1740 )”

●  Cremona governance countries
España ( 1513 ~ 1524, 1526 ~ 1701 ) – France (  1701 ~ 1702 ) –  Republik Österreich / Habsburg  ( 1707 ~ 1848 )
●  Casa Savoia :  1713年 Regno di Sicilia – 1720年 Regno di Sardegna  / Torino – 1848年 The First War of Independence – 1859年 The Second War of Independence –  1866年 The Third War of Independence

■  Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 ), 1711 Cremona / 1729 Parma / 1740 Piacenza / 1749 Milan / 1757 Cremona / 1759 Parma / 1771-1786 Turin, Violin maker.

■  Nicolò Gagliano ( active. ca.1730-1787 ) Napoli, Violin maker.
■  Lorenzo Storioni  ( 1744-1816 ) Cremona, Violin maker.
■  Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 ) Cremona, Violin maker.

●  Johann Wenzel Stamitz ( 1717-1757 ), Bohemian / Praha / 1741 Mannheim / 1754 ~ 1755 Paris / 1755 Mannheim :  Violinist

●  Leopold Mozart ( 1719-1787 ),  Augsburg / 1737 Salzburg / 1785 Wien, Salzburg :  Violinist
1751年  “Versuch einer gründlichen Violinschule”
– – – 
Wolfgang Amadeus Mozart ( 1756-1791 )

●  Pietro Nardini ( 1722-1793 ), Fibiana / Livorno / Padova / 1762 Stuttgart / 1770 Firenze :   Violinist

●  Pierre Gaviniès ( 1728-1800 ),  Paris /  1744 “The Concert Spirituel”  / 1795 He became a professor at the newly-founded ‘Conservatoire de Paris ‘.  :   Violinist

●  Gaetano Pugnani ( 1731-1798 ), Torino / 1749 Roma / 1750 Torino / 1754 Paris, Nederland, London, Deutschland / 1763 Torino  / 1767 London / 1770 Torino / 1780 ~ 1782 Russia, 1782 Torino :  Violinist

Antonio Stradivari violin 1731年 Lady Jeanne - C LAntonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  Violin,  1731年  Cremona
  ” Lady Jeanne “

 

Camillo Camilli ( c1704-1754 ) Violin Mantua 1750年頃 - A LCamillo Camilli ( ca.1704-1754 ) Violin,  Mantua  1750年頃

ボローニャから西北西方向に30㎞ほどのモデナ( Modena )を経て、そこから北に60㎞ほどゆくと マントヴァ( Mantua )があります。因みにこの街道は そのまま北上すれば ブレンネロ( Brennero )の峠を越えインスブルックから ミュンヘンへと至る重要な街道です。

このマントヴァは 1708年に スペイン継承戦争の敗北とマントヴァ公カルロ4世の死により公位が廃止されて ハプスブルク家に支配される事になりました。

このヴァイオリンが製作された時期には ピエトロ・ガルネリ(  “Pietro Guarneri di Mantova”  1655-1720 )の流れをくむ 弦楽器製作者が活躍していました。カミロ・カミリは そのマントヴァ派の 有名な弦楽器製作者です。

このヴァイオリンは コーナー部の左右の非対象性がはっきりと読み取れ、また表板と裏板が 強いアーチをもつ名器です。

● Luigi Rodolfo Boccherini ( 1743-1805 ), 1743 Lucca / 1757 Vienna  “The court employed” / 1761 Madrid / 1771 String Quintet Op. 11  No. 5 ( G 275 ) :   Italian cellist and composer 

Marie Antoinette ( 1755-1793.10.16 )
1770年  She married  Louis-Auguste ( 1754-1793.1.21 )  /  ” Louis XVI ( 1774 ) “  at the age of 14.
1793年  ” Louis XVI ” ( 1774 )  /  Louis-Auguste ( 1754-1793.1.21 )  

●  Johann Peter Salomon ( 1745-1815 ), Bonn / Prussia / ca.1780 London / 1791 ~ 1792, 1794 ~ 1795 Franz Joseph Haydn  :  Violinist

□  François-Xavier Tourte ( 1747-1835),  Paris :   Bow maker

●  Carl Stamitz ( 1745-1801 ), Mannheim / 1762 Mannheim palace orchestra / 1770 Paris / Praha, London  :  Violinist

●  Johann Anton Stamitz ( 1754 – ‥ ), Mannheim / 1770 Paris / 1782 ~ 1789 Versailles / ‘ 1798‥1809 Paris ‘  :   Violinist

■  Giovanni Battista Ceruti  ( 1755-1817 ) , Cremona  :  Violin maker.

●  Giovanni Battista Viotti ( 1755-1824 ), Fontanetto Po / Torino, Paris, Versailles, 1788 Paris, London, 1819-1821 Paris,  London :   Violinist

●  Federigo Fiorillo ( 1755-1823 ),  Braunschweig / 1780 Poland / 1783 Riga / Paris / 1788 London  He played the viola in Saloman’s quartet.  / 1873 Amsterdam, Paris

●  Wolfgang Amadeus Mozart ( 1756-1791 ), Salzburg / 1762 München, Wien / 1763 ~ 1766 Frankfurt, Paris, London / 1767 ~ 1769 Wien / 1769 ~ 1771 Milano, Bologna, Roma, Napoli / 1773, 1774 ~ 1775 Wien / 1777 München, Mannheim, Augsburg / 1778 Paris / 1779 Salzburg / 1781 München, Wien / 1783  Salzburg  / 1787 Praha, Wien / 1789 Berlin / 1790 Frankfurt / 1791 Wien, Praha, Wien

 

●  Bernhard Heinrich Romberg  ( 1767-1841 ),   “The Münster Court Orchestra” / 1790 Bonn  “The Court Orchestra” /  He lengthened the cello’s fingerboard and ‘Flattened’ the side under the C string  :   German cellist and composer 

●  Rodolphe Kreutzer ( 1766-1831 ), Versailles / 1803 Wien “Kreutzer Sonata ” Ludwig van Beethoven 1770-1827,  Paris 1795 ~ 1826 ‘Conservatoire de Paris’ –  1796年 Caprices – 1807 comprises 40 pieces – “42 Études ou Caprices”  / Genève, Swiss :   Violinist

●  Pierre Baillot ( 1771-1842 ),  Paris :   Violinist

●  Pierre Rode ( 1774-1830 ), Bordeaux / 1787 Paris /  1804 Saint Petersburg, Moscow / 1812 Wien ” Ludwig van Beethoven 1770-1827  Violinsonate Nr. 10 in G-Dur, Op. 96 ” / 1814 ~ 1819年  Berlin,  “24 capricci”  /  1830 Lot-et-Garonne :   Violinist

●  August Duranowski ( ca.1770-1834 ), Warsaw / Paris / 1790 Brussels / Strasbourg :   Violinist

●  Ignaz Schuppanzigh ( 1776-1830 ), Vienna /  He gave violin lessons to Beethoven, and they remained friends until Beethoven’s death.  :  “Schuppanzigh Quartet”  :   Violinist

■  Giovanni Francesco Pressenda ( 1777-1854 ),   Lequio Berria / Cremona / 1815 Torino,  1821 was able to open his own firm.    Violin maker.

●  François Antoine Habeneck ( 1781-1849 ), Charleville-Mézières / 1801 ‘Conservatoire de Paris’ / Paris  :  Violinist

●  Jacques Mazas ( 1782-1849 ), Lavaur / 1802 Paris / Bordeaux  :   Violinist

●  Niccolò Paganini ( 1782-1840 )
1802 ~ 1817年  ” 24 Caprices for Solo Violin ”  :   Violinist

●  Louis Spohr ( 1784-1859 ), Braunschweig / 1802 Saint Petersburg / 1804 Leipzig / 1805 ~ 1812 Gotha / 1813 ~ 1815 Wien /  1816,1817 Italiana / 1817 ~ 1819 ‘Oper Frankfurt’  / 1820 England / 1821 Paris / 1822 ~ 1859 Kassel :   Violinist
” Chin rest & Conductor’s stick “

●  French Revolution  1789 ~ 1793年
1791年  Metric system ( metre & kilogram )
Maximilien Robespierre ( 1758-1794 )

Giovanni Battista Ceruti ex Havemann 1791年 Cremona ( 1755-1817 ) 355-163-113-208 Wurlitzer collection 1931 - A LGiovanni Battista Ceruti  ( 1755-1817 )  Violin,  Cremona 1791年   “ex Havemann”  1931 Wurlitzer collection  

●  Joseph Böhm ( 1795-1876 ), Hungarian,  Pest  /  1819 ~ 1848 professor at the Vienna Conservatory,  His many students included Hubay, Joachim, Ernst,  Jakob Dont, Hellmesberger. Sr . :  Violinist

●  Georg Hellmesberger ( 1800-1873 ), Vienna / 1826 ~ 1833 ‘The Vienna Conservatory’ / His students were Joachim, Leopold Auer.  :  Violinist

●  Charles-Auguste de Bériot ( 1802-1870 ), Leuven / 1843  ‘Royal Conservatory of Brussels’ /  ‥ 1852. – 1858 – 1866 Brussels :   Violinist

■  Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 ),  Barbaresco / 1834 Turin,   It was during this time that he became acquainted with Luigi Tarisio, a violin dealer  / Rocca won prizes in his craft at a national arts and crafts exhibitions in 1844 and 1846.  / Enrico Rocca ( 1847-1915 ) / 1850 ~ 1865 Genova  :   Violin maker.

●  Auguste-Joseph Franchomme ( 1808-1884 ), 1831, 1833  Paris –  Frédéric Chopin,  In 1843 He acquired the Duport Stradivarius for the then-record sum of 22,000 French francs. He also owned the De Munck Stradivarius of 1730. Franchomme succeeded Norblin as the head professor of cello at the Paris Conservatory in 1846  :  French cellist and composer

●  Joseph Lambert Massart ( 1811-1892 ), Liège / 1829 Paris, 1843 ~ 1890 ‘The Conservatoire de Paris’  :  Violinist

●  Heinrich Wilhelm Ernst ( 1812-1865 ), Moravia / 1825 ‘The Vienna Conservatory’ /  1828 Niccolo Paganini visited Vienna. 1830 He played Paganini’s Nel cor pìù non mi sento. / 1865 Nice :   Violinist

  Risorgimento  ( 1815 ~ 1861 )

●  Jakob Dont ( 1815-1888 ), Vienna / 24 Etudes and Caprices :  Violinist

●  Henri Vieuxtemps ( 1820-1881 ),  Belgium / Liège , Brussels /  1829 Paris /  Brussels / 1833 Germany  /  1835 Wien / 1836 Paris / 1849  ~ 1851 Saint Petersburg / 1850 Paris / 1871  ‘Royal Conservatory of Brussels’ / Paris 1879 / Algeria :   Violinist

●  Joseph Joachim ( 1831-1907), Kittsee / 1833 Budapest / Wien / 1843 Leipzig / 1846 London / 1848  “Gewandhausorchester Leipzig ” / 1850 Weimar / 1852 Hannover  / 1866 ~ 1907 Berlin :   Violinist

●  Henryk Wieniawski ( 1835-1880 ), Lublin / 1843 ‘Conservatoire de Paris’ / 1874 ~ 1877 ‘Royal Conservatory of Brussels’ / Moscow :   Violinist

●  Pablo de Sarasate ( 1844-1908 ), Pamplona / 1854 Madrid / 1855 Paris / 1860 London, Paris, performing in Europe, North America, South America / 1864 Camille Saint-Saëns ‘Introduction et Rondo capriccioso en la mineur’   / 1878 Zigeunerweisen, 1883 Carmen Fantasy  / Biarritz 1908 :   Violinist

●  Leopold Auer ( 1845-1930 ),Veszprém  / Budapest, Wien / Hannover : Joachim / 1868 ~ 1917 Saint Petersburg  : St Petersburg Conservatory / 1918 America / 1824 The Curtis Institute of Music  :   Violinist

●  Eugène-Auguste Ysaÿe ( 1858-1931 ),  Liège / 1886 ‘Royal Conservatory of Brussels’  / 1918 Cincinnati  /  Brussels :   Violinist

●  Jenő Hubay ( 1858-1937 ),  Pest / Berlin / Paris / 1882 Brussels / 1886 Hungary, ‘Budapest Quartet’ / Hubay’s main pupils Joseph Szigeti.    Violinist

●  Lucien Capet ( 1873-1928 ), Paris / 1893 “Capet Quartet”  :   Violinist

●  Regno d’Italia ( 1861 ~ 1946 ) Last Casa Savoia : 1946年 UmbertoⅡ( 1904-1983 )

 

 

Nicolò Amati ( 1596–1684 ) violin 1669年 body L350 W201 - C LNicolò Amati ( 1596–1684 ),  Violin 1669年

Antonio e Girolamo Amati violin 1629年 - G LAntonio e Girolamo Amati,   Violin 1629年

Andrea Amati 1570年頃 ex Ross - D LAndrea Amati ( ca.1505-1577 ),  Violin 1570年頃  ” ex Ross ”
Leopold Widhalm ( 1722- 1786 ) 1769年 - A L
Leopold Widhalm  ( 1722- 1786 ),  Violin 1769年

 

 BALFOUR March 1903 - B L
BALFOUR March 1903 - A L
VOLLER BROTHERS violin 1900年頃 - A L

 VOLLER BROTHERS violin 1900年 - 1 L

 

 

■  William Voller ( 1854-1933 ), Guildford / London   : Violinist,  Violin Maker.

■  Alfred Voller ( 1856-1918 ),  Guildford / London /  Devon  :  Cellist,  Violin Maker.

■  Charles Voller ( 1865-1949 ), Guildford / London / Paignton, Devon  :  Violinist,  Violin Maker.

 

 

 

 

 

 

“オールド・チェロ” の 特徴について

チェロなどを観察する場合に 楽器が『オールド・チェロ』で、その上に A コーナーに加工がされたタイプであれば それほど判断に迷う必要はないと 私は思います。

Antonio Stradivari 1673年Harrell - Du Pre - Guttmann - C LAntonio Stradivari  1673,  Violoncello ” Harrell, Du Pre,  Guttmann ”

このストラディヴァリ 1673年の A コーナーは 摩耗に見えますか?

Giovanni Baptista Rogeri cello 1695年頃 - C L
このチェロは ブレッシアに生まれ、ニコロ・アマティの工房で修行を積み 1670年頃にブレッシアに戻って製作家となったといわれている ロジェーリ作とされています。確かに 私もはじめの頃は このタイプの場合は より注意深さが必要と感じていました。

Grancino cello made around 1690 cooper-collection - A LGiovanni Battista Grancino ( 1637-1709 ) Milan 1697年 - A L A コーナーと B コーナーの差が見えやすい グランチーノと ストラディヴァリのチェロ画像 三枚です。

Antonio Stradivari cello 1707年 Boni-Hegar - G L
そして 私自身が 摩耗説が誤りであることに気づく きっかけとなった『 オールド・チェロ 』の写真です 。

Old Italian Cello c1680 - 1700 ( F 734-348-230-432 B 735-349-225-430 stop 403 ff 100 ) - 1 LOld Italian Cello    1700年頃
( F 734-348-230-432,  B 735-349-225-430, stop 403 ff 100 )

著名な楽器で 参考例を挙げるとすると、ストラディヴァリ・ソサエティのヨーロッパ代表 エドゥアルド・ウルフソン( Eduard Wulfson 所有し、ナターリャ・グートマン( Natalia Gutmanさんが使用している グァルネリ・デル・ジェスが製作したとされる このチェロが『 A コーナーに施された加工 』の代表事例といえるかもしれません。

Guarneri 'del Gesù' cello 1731年 - A L

” Guarneri del Gesù ”
Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 )
Violoncello  1731,  ” Natalia Gutman ”

私はこのチェロを 知らなかった8年ほど前に 共通の知人から ウルフソン( Eduard Wulfson 氏が グートマン( Natalia Gutman )さんたちと美術館のなかでトリオで演奏している DVDをいただき拝見したのですが 、このチェロがもつ深い響きには衝撃をうけました。

Guarneri 'del Gesù' cello 1731年 - C L

Guarneri ‘del Gesù’   Violoncello  1731,  ” Natalia Gutman ”

Bach :  Suite for solo cello No. 3 in C major
( Paris, Musée du Luxembourg,  2002/11/16 )
Natalia Gutman,Violoncelle

【Bach, Mozart, Schubert 】”La Société Stradivarius”
Yvietta Matison, Alto ( instrument )
Eduard Wulfson, Violin


 A コーナーに施された加工 』と指摘している 摩耗痕跡は ガルネリが製作したとされるチェロ以外にも、下写真の Francesco Ruggieri  ( ca.1645-1695 )が 1675年に製作したとされるチェロでも見ることが出来ます。

Francesco Ruggieri cello 1675年 - A L

Francesco Ruggieri  ( ca.1645-1695 ),  Violoncello 1675年

確かに、チェロは A コーナーにひざを添えたり グリップしたりする際に触れることがあるので 摩耗痕跡は それにより生じたように見えます。

Joseph Thomas Klotz Violoncello piccolo Mittenwald 1794 ( 1743-1809 ) Sebastian 1696-1768 - C LJoseph Thomas Klotz  ( 1743-1809 )  Violoncello piccolo  Mittenwald 1794年

ところが 摩耗痕跡をよく見ていくとそれが不自然である事に気がつきます。上のクロッツで これを見ると コーナーである A 部の塗装は多少はがれていますが、それよりも Q 部の方がもっと 剥がれています。そして問題なのは この Q 部に 演奏時にチェリストが 触れることは まず無いということです。

これは R 部についても言えますが、 実際にチェロの肩にはさわりますので 判断しにくいと思われる方のために 次の事実を指摘しておきたいと思います。

版画で使用する版木は 凸部が紙にふれくぼみ部は接触しないことで役割をはたします。摩耗する場合もおなじことで凸部が摩耗することがあっても くぼみ部は摩耗しないのが普通です。

なのに‥ 上のクロッツでいえば 摩耗したようになっているゾーンの中でも特に Q 部と S 部は谷状にくぼんだ部分なのに塗装が剥がれた様になっています。

Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 ) Violoncello 1850年 - D L
それから、これらを 演奏や運搬による摩耗であるとすると 当然ですが それなりの期間使用される必要があります。

弦楽器製作の黄金期が終わる1750年から 100年後、日本では江戸時代末期なわけですが この時期に製作された弦楽器の 摩耗痕跡は、私が “意図的加工”と考えたことの最終的な証明となっています。

この時期に 厳密な意味で最後の名工である ヨーゼフ・アントニオ・ロッカ( Giuseppe Antonio Rocca 1807-1865 )は トリノなどで 弦楽器製作をおこなっていました。

私は このチェロで コーナー部に設けられた面積の差から 彼も左右の非対象性( アシンメトリー )が弦楽器における古典的技術の特質と考えていたと思っています。

Giuseppe Antonio Rocca Torino 1850年頃 - A LGiuseppe Antonio Rocca( 1807-1865 ),  Contrabass  1850年頃

これは上のチェロと同時期に製作したとされる コントラバスの コーナー部面積の非対称性によって論じる必要がない事実と確認出来るのではないでしょうか。

コントラバスは A コーナーにひざを添えたり グリップしたりする事は 100パーセントありませんので ここの 摩耗痕跡は 当然ながら 製作時の設定と判断することが出来るからです。

Giuseppe Antonio Rocca Torino 1850年頃 - B LGiuseppe Antonio Rocca( 1807-1865 ),  Contrabass  1850年頃

2016-10-22      Joseph Naomi Yokota

グスレという弦楽器について

Gusel - 1 L

グスレはバルカン半島地域(ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、クロアチアなど)に伝わる一本弦の弓奏楽器です。
楓材などの木をくり抜くように削り出して製作され、胴体部のくぼみを覆うように皮が張ってあり、ネック部やヘッド部はシンプルな形状のタイプや 馬や猛禽類の鳥などの彫刻がされているタイプなどがあります。

弦はネックから距離をおいて張られていて、音程を変える時はネックに弦を押さえ込まずに音程を変えるようになっています。
この楽器の伝統的な演奏者(guslar)は、英雄や歴史の物語・抒情詩を語るときに伴奏楽器として用いるそうです。


グスレは 54分20秒から出てきます。
( セルビア語:2010年にモンテネグロの村で撮影されたようです。前半は村の教会でのミサが入祭から聖体拝領までほぼすべてが記録されており、その後 集会所で奉献祭の食事会がおこなわれています。そして その終盤でグスレが登場します。)


クロアチアの独立記念日の祝いとして クロアチア共和国の首都ザグレブ(ヤルン)で 数千人の観客のまえでグスレが演奏されています。

Gusel - 2 L

私が このグスレという弓奏楽器に着目したのは 響かせるのが難しい 一本弦( 例外もあります。)という条件に加えて、 彫りおこしの響胴の関係から使用するためには “コツ” が必要と考えられたからです。

おなじ一本弦の弓奏楽器であっても 14世紀から18世紀半ばまでドイツなどを中心としたヨーロッパで流行した トロンバマリーナのように 響胴が板材で箱状となっていれば極端な “コツ”は必要なかったと 私は推測しています。

Canon Francis Galpin (1858-1945) - 1 L

Trumpet Marine Switzerland c1675-1750 - 1 L
Trumpet Marine Switzerland c1675-1750 - 3 L

Trumpet Marine Switzerland c1675-1750 - 4 L

 

このトロンバマリーナの駒部です。 この駒は ヴィヴラート・ブリッジと説明されています。
Trumpet Marine Switzerland c1675-1750 - 5 L

さて、グスレという楽器の特徴についてお話しすると、バルカン半島のそれぞれの地域で製作されるときに音響上の理由で 表皮部のサウンド・ホール( 一組型と二組型が基本です。)が選ばれ、また 響胴部の裏側中央に穴をあけるかどうかが考慮されているようです。

Gusel - 8 L

しかし最後は演奏者が 駒をどの位置にどの角度でたてるかが問われ、 その判断により 楽器の響きに極端な差が出ていると‥ 私は思っています。

Gusel - 7 L
そのいくつかの実例を下にあげたグスレ奏者( Guslar )の写真で ごらんください。

GUSLAR - 1 L

因みに さきほど 私が「  演奏者が使用するときの “コツ” 」 といったのは、ネックに対する 駒の角度と 位置を意味します。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

私は グスレという楽器は 左右の非対象性( アシンメトリー )が大きいタイプと、そうでないものに大別できると考えています。

そして非対象性が小さい楽器では『 ねじり 』の不足を補うために正中線に対して駒を極端に斜めにたてたり、響きを聴きながら 駒位置を微妙に左右にずらすことで 残響を保つ工夫をしながら演奏されていると私は推測しています。

一組型のサウンド・ホールをもつ グスレはこの工夫が 顕著です。

Gusel - 9 L

また、二組型の場合は表皮部のサウンド・ホールを 左右非対称とすることで『 ねじり 』の不足が補えるために、一組型よりも 駒の角度が正中線に直交するイメージに近い立てかたで演奏されていることが確認できると思います。

GUSLAR - 3 L私は 表皮部サウンド・ホールが 二組型で左右非対称タイプを このグスレ奏者の楽器のようなイメージとして捉えています。

the traditional Montenegrin gusle - B Lそれから この表皮部で駒がたてられた跡を見てください。

私は このグスレという弓奏楽器は バランスを変えないで連続使用をすると、演奏することで生まれるひずみにより 結局 響かなくなってしまうという特徴があると思っています。

ですから この駒跡にみられるようにグスレ奏者はこれを解決するために 駒位置と角度を時おり移動しながら使用しているはずと推測しています。
the traditional Montenegrin gusle - C L

 

私は グスレの専門ではありませんが 弦楽器がゆれ続ける条件について検証した結論として、これらの問題は 左右の非対象性( アシンメトリー )が大きいタイプでは生じにくいと考えています。

Gusel - 3 L
私はこの左右の非対象性( アシンメトリー )が弦楽器における古典的技術の特質だと考えています。

Gusel - 4 L

Gusel - 6 MONO L

たとえばルネサンス期の弦楽器で非対象性をみてください。
多くの部位で『 ねじり 』を生むために工夫されていることが解ります。
Gasparo da Salo - Cetera Brescia c 1560 ( c 1542-c 1609 ) L
Cittern by Gasparo da Salo ( c 1542 - c 1609 ) Brescia c 1570  L

これにより残響が確保され それにより独特の響きがうみだされていると 私は理解しています。

 

Cetera di anonimo - Ashmolean Museum L

Cittern c1600 English ( Length 616 - String length 340 ) National Music Museum - 1 L

Cittern c 1600 English ( Length 616 - String length 340 ) National Music Museum L

 

 

 

 

 

 

Bass viol  - 1    L

Hieronymus Brensius  -  Testudo theorbata  in Bologna    -  L

Hieronymus Brensius  -  Testudo theorbata  in Bologna   -  L
Ottavio Smidt    Liuto ( Tenore ) Parma 1612年  - 1     L
Magno Stegher  -  Gran liuto basso   Venezia 1607年  - 1     L

Magno Stegher  -  Gran liuto basso   Venezia 1607  - 1
Hieronymus Brensius  -  Testudo theorbata  in Bologna    - 1    L

私は “オールド・バイオリン”などの弦楽器も この左右の非対象性( アシンメトリー )が揺り籠となり 誕生につながったと考えています。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
H F - Liuto tenore in Bologna - 1 L

この 弦楽器における古典的技術の特質といえる 左右の非対象性( アシンメトリー )は『螺鈿紫檀五弦琵琶』にもその要素を見いだす事ができます。

「螺鈿紫檀五絃琵琶」(長さ108㌢ 幅31㌢) - A L

この『螺鈿紫檀五弦琵琶』は知られているように 聖武天皇の崩御にともない 765年に光明皇后が天皇遺愛の品を 東大寺に献納したことにより北倉に収蔵され今日に至っています。

この校倉造りの倉庫には ほかにも 四弦琵琶,四弦阮咸(げんかん),七弦琴(きん),十二弦新羅琴,六弦和琴(わごん),大破した竪型ハープの箜篌(くご)があり,この他に箏に似た二十四弦瑟(しつ)の残欠などが残されているそうです。

この五弦の琵琶はインドが発祥とされ,中央アジア天山南路(西域北道)のほぼ中央で栄えたキジル(亀茲)国,現在のクチャ(庫車)を経由し,北魏に入り,唐を経由して日本にもたらされたとされています。

私はこの『螺鈿紫檀五弦琵琶』の画像に丁寧にコンパスをあててみたことにより、非対象性( アシンメトリー )が調和した見事なバランスで製作されていると理解しています。

ともあれ グスレという弓奏楽器を考察することで 響かせる条件をととのえるために『ねじり』が用いられていることが 皆さんに理解していただければ幸いだと私は思います。

これらの経験をするたびに 私は本当に弦楽器の世界は奥深いと感じます。

この投稿は以上といたします。

 

2016-8-04    Joseph Naomi Yokota

 

弦楽器の鑑定について

● 弦楽器の鑑定書は 現在の性能を保証してはいません。

私は ヴァイオリン、ビオラ、チェロ の受注製作と オールド弦楽器の音質とバランス調整や 修復、そして子供用や工業製品もふくむ輸入新作弦楽器、弓などの販売と毛替えなどの一般修理をおこなっています。

そのような私ですが‥ この33年間 弦楽器に関する仕組みの研究を続け、結果としてそれなりの判断能力を得ることが出来ました。

そして、このために 私事で恐縮ですが  昨今の弦楽器鑑定や 整備について 疑義を感じることが多くなりました。そこで熟慮の末に 私は この投稿により 弦楽器鑑定についての私見を述べさせていただく事と致しました。

皆さんも「 鑑定」という言葉はよく耳にされると思います。
この言葉は 専門的な知識を持つ人が、真贋・良否などを判定することとされています。その評価・判断は、科学的で 統計学的であるとともに 専門家の深い経験に基づいたものでなければならないと思われます。

国宝「曜変天目」静嘉堂文庫所蔵

自由が丘からあまり遠くない 世田谷区岡本にある 静嘉堂文庫は 自然に囲まれた静かな佇まいの美術館であり、また 専門図書館でもあります。

ここは 三菱財閥の第2代総帥 岩崎彌之助(1851-1908 )、第4代総帥 小彌太(1879-1945 )父子の所有した庭園と遺品の古典籍・古美術コレクションを基礎として発足し 国宝7点、重要文化財 83点を含む、20万冊の古典籍と6500点に上る東洋古美術品が所蔵されています。

そして、その筆頭が 徳川家から最終的に岩崎家に渡った 国宝「曜変天目」です。私はテレビを見ませんが 2016年12月20日放送の テレビ東京系「開運!なんでも鑑定団」で 四つめの「曜変天目」として出現したものが問題となったそうですが‥ その 本物のほうですね。

このような騒ぎは 「鑑定」がまるで施設の命名権( ネーミングライツ )のような利権として乱用された結果と私は感じます。

ところで‥ 弦楽器の世界でも 残念ながら「鑑定」を名前をつける事として解釈する方が大勢いらっしゃるようです。

私はこの考え方に違和感を感じます。やはり 弦楽器の「鑑定」は真贋のみでなく良否などの判定として「性能」の評価が伴うべきではないでしょうか。

残念ながら名器と言われる弦楽器であっても 修理の際に過剰な補強がなされていたり、『 よかれと思って‥ 。』整備で 固くされたために、 バランスが調和しておらず レスポンスが悪く残響もお粗末で 演奏により本来もっていた響きを生みだすのが困難となったものが数多く存在します。

因みに このような状況は たとえば  演奏者の談話のなかに見ることができます。 ここではその例として 産経新聞から発行されているクラッシック音楽専門の月刊誌 ” MOSTLY CLASSIC ” 2008年 5月号  ” ストラディヴァリウス特集 ” P.22~25 を引用させていただきます。

これは ストラディヴァリウスを演奏している12人の日本人演奏家にアンケートしたものだそうです。その5番目の項目である 『 ストラディヴァリウスの第一印象と現在の印象 』についてのコメントを列記しました。

① 池田菊衛さん  1680年  前の楽器もストラドだったので戸惑いはなかった。前の楽器は完全に鳴らしきるのに 2~3年かかった。

② 潮田益子さん  1690年  最初は音が出てこない。2年くらい 十分にかかりました。私が音の出し方を分っていなかったのかも。弓の圧力をかけると急に音が出なくなる。今でも、子供と一緒で、ああ今日は音が上手く出てくれたとか、昨日はどうしようもなかったとか、毎日その繰り返し。

③ 漆原啓子さん  1667年  長く弾かれていなかったためか、なかなか楽器が鳴らなかった。鳴るようになると、華やかで明るい音。耳元で聴くと鳴っている感じはしないが、音は遠くに伸びる。楽器を信頼するようになり、心強いパートナーを得た感じ。

④ 加藤知子さん  1728年  人の出会いと同じように『 一目ぼれ 』。現在も恋愛中。最初は楽器の調整ができていなかったのと、ガット弦が張ってあったので音量が出なかったが、柔らかい音がした。それまでは 1800年以降の楽器を弾いていて、オールドは弾いたことがなかった。グァルネリと比べて楽器がすでに音を持っている。質のいい音がしていいなあと思った。それまでの奏法では音が出なかった。楽器から教わることが多い。

⑤ 佐藤まどかさん 1716年  他の楽器に比べて、様々な可能性を持った楽器だと思った。その印象は最初から大きく変わらない。とてもナチュラルでそのぶん奥が深く、演奏家の向かいたい方向を自在に向いてくれる。

⑥ 庄司紗矢香さん 1715年  うまくコミュニケーションが取れるようになるまで2年程かかりました。初めは、耳元が痛くなるほどの鋭い高音域が印象的でしたが、今は低音にも深みを感じます。本当かどうかは分りませんが、恩師曰く、私の声の音域のせいで私がしばらく弾いている楽器は低音が良く鳴るようになるそうです。

⑦ 諏訪内晶子さん 1714年  弾き始めたころは、あまり柔軟ではない音がしていたが、段々本来の持っている音が出て来た。あまりにも音が真っすぐ通るので、豊かな音にするか試行錯誤した。楽器の持っている個性を引き出しつつ、自分の個性をプラスして、と考えるようになった。

⑧ 宗 倫匡さん  1692年  生まれて初めて手にした時は、涙が出てきた。でも、すぐ手に取って鳴る楽器ではない。楽器との共同作業の中で、なだめたりすかしたりしながら音を作っていくと、音楽の可能性が広がる。音自体はナチュラルで上品。女優で言えば、マリリン・モンローではなく、グレース・ケリーのタイプ。

⑨ 高嶋ちさ子さん 1736年  最初に持ったときはピンと来なくて、こんなものに何億もかけるなんてもったいない、と思った。でも、徳永二男先生や楽器店の方に『 絶対に手に入れた方がいい 』と言われ、だまされたと思って購入。1ヵ月経ってもいい音が出ず、しばらく弾くのを止めていたが、ある日なんとなく弾いてみたら、いきなり素晴らしい音が出た。自分が調子悪いときでも、カバーしていい音を出してくれることがあり、勇気付けられる。

⑩ 竹澤恭子さん  1710年  際立って音のまわりの艶感が魅力的で、音の品格、深みなどに圧倒された。楽器がオープンに鳴るには時間を要したが、今では、弾くたびにこの楽器の音に大きな刺激を受けている。音色のパレットが広がり、表現意欲をより掻き立てられる。音を響かせて艶を出す奏法も学んだ。

⑪ 徳永二男さん  1719年  最初は楽器の特性に慣れようとすると、楽器と格闘し、腱しょう炎になったりすることもある。格闘し始めると楽器は反応してくれない。乗馬の馬と似ている。それが 1年くらいすると、力じゃなくて、『 こうやったら、鳴ってくれるかな 』というのが分ってくる。

⑫ 豊嶋泰嗣さん  1719年  買った当初はヴォルフトーン( うなるような音 )が出たりして使いあぐねたが、年単位で安定感を増して他の追随を許さない。形だけコピーしたものもあるが、内面から湧き出る品格はストラド独自のものだ。やっぱり楽器が自分を育ててくれると感じる。しかし、奏でられる音楽はあくまで奏者の音だ。ストラドを手に入れたことは自分の音楽に対する誠意を確認したことでもあった。

ストラディヴァリウスの第一印象として『 すぐには鳴らなかった 』などといったコメントならんでいます。それにしても、鳴りが悪い状況が 2~3年とは‥ 私は 実にイタイ‥ と思います。

この状況は ストラディヴァリウスが真作であるとすると 彼の責任ではなく、 後の時代に行われた修理の際に不調和な状態にしてしまった事が原因となっている可能性が高いと私は考えます。

それは 残念なことに同じような状況が ストラディヴァリウスだけではなく他の製作者によるオールド・ヴァイオリンでもよく見られるからです。

長文となりますが‥ その具体例として ここから一台の有名なヴァイオリンにまつわるお話をしたいと思います。

●「白系ロシア人」であった ハイフェッツについて

ヤッシャ・ハイフェッツは 1901年に ロシア帝国領であったヴィリニュス( 現 リトアニア共和国首都 )に生まれ、1910年に サンクトペテルブルク音楽院で レオポルト・アウアーに師事し、1914年には ニキシュ指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演した事が知られています。

Jascha Heifetz( 1901-1987 )

彼は 1917年に カーネギー・ホールでアメリカ合衆国デビューを果たしますが、この年の2月 そして10月のロシア革命や 第一次世界大戦の混乱を避けるためにそのままアメリカに在留することを選びました。

そして、第一次世界大戦が終結すると 本格的な演奏旅行を再開し 1923年には初来日も果たしました。彼は こうした時を経て1925年にはアメリカの市民権を獲得し、最後は 1987年にロサンゼルスで死去しています。

ロシア革命や 第一次世界大戦などによる「白系ロシア人」の亡命者や移民は世界各地におよび、日本でも 1918年の一年間で 7,251人が入国したと記録されています。「白系ロシア人」とは 赤色が共産主義、社会主義の象徴色とされ、対照的に「白系」は白軍と呼ばれたロシア帝国側の人々や 共産ソヴィエトを支持しないロシア系の人々を形容する言葉だそうです。

例えば、ハイフェッツと同じアウアー門下で 父親が ロシア帝国官僚、母親が貴族出身だった小野アンナ( Anna Dmitrievna Bubnova 1890-1979 )さんは 1917年 5月に 小野俊一氏と結婚し ペトログラード( サンクトペテルブルク )から 日本に「白系ロシア人」として移住したのが この1918年でした。

また、ロシア革命により処刑された最後のロシア皇帝 ニコライ 2世( 1868年生まれ – 在位1894年 – 1917年3月15日退位 – 1918年7月17日処刑 )の宮廷楽団 楽長をつとめたヴァイオリニスト、 アレキサンダー・モギレフスキー( 1885-1953 )も混乱するロシアを離れ来日し 祖国に戻ることなく東京で死去されています。

アメリカ合衆国には 1917年12月に家族とともにロシアを出国した「白系ロシア人」の ピアニスト、作曲家 セルゲイ・ラフマニノフ( 1873-1943 )が 1918年の秋に入国し亡命したほか、ロシアの大作曲家として知られるイーゴリ・ストラヴィンスキー( 1882-1971 )も スイス、フランスを経て亡命しニューヨークで亡くなっています。


Jascha Heifetz( 1901-1987 )1926年頃

● ハイフェッツと クッドラッチは いつ出会ったのでしょうか?

さて‥  ここで、この時代の年譜を確認させていただきます。

ロシア革命の遠因の一つは サラエボ事件を受けて1914年7月28日に オーストリア・ハンガリー帝国が セルビアに宣戦布告したことに始まる 第一次世界大戦であったと言われています。

これは 1914年8月4日にイギリスがドイツに対して宣戦布告した頃から本格化し、ついには 1917年4月6日にアメリカがドイツに対して、また その後オーストリアに対して宣戦布告をおこなう事態へと悪化していきました。

第一次世界大戦の大規模な戦闘は 1918年11月11日までの 4年3ヶ月におよび、 最後は 1919年1月18日からの パリ講和会議により協議がおこなわれ、1919年6月28日のヴェルサイユ条約などを中心とした多数の関係条約の締結によって終わりました。

Abraham  Koodlach ( 1890 Kiev, Ukraine – 1910 Winnipeg, Canada – 1920 Los Angeles – 1946 )

この長期間に及ぶ混乱期に祖国を後にした大勢の「白系ロシア人」は異郷の地で支えあいながら それぞれの地歩を築いて行くことになりました。

この写真の ロシア帝国領 キエフに生まれた弦楽器職人 アブラハム・クッドラッチ( Abraham  Koodlach 1890 – 1946 ) も それら亡命者、移住者のひとりでした。彼は 1919年末に「白系ロシア人」として一家を伴いロサンゼルスに移住してきました。それは ヤッシャ・ハイフェッツが アメリカ合衆国で 19歳を迎える頃のことでした。

彼は キエフ( 現 ウクライナの首都 )を 1910年に出国し、ウクライナ系移民も多く住む カナダ 、マニトバ州のウィニペグを経て 最終的に 1920年のはじめに ロサンゼルスの西50㎞ほどに位置し マリーナや オックスナード・ビーチからすぐの ポート・ヒューニーメに居を構えました。

Jascha Heifetz  ( Vilnius 1901-1987 )  &  Abraham  Koodlach ( Kiev 1890 – 1946 )

今となっては ヤッシャ・ハイフェッツ( 1901-1987 )と アブラハム・クッドラッチ( 1890 – 1946 ) がいつ出会ったのか‥ などの 詳しい事情はわかりませんが、 私は 彼らの親子2代におよぶ親交は 出身地である ヴィリニュスと キエフがロシア帝国領となる以前の中世のリトアニア大公国の時代から同朋としてつながりが深かったことなど‥ が、その土壌となったと想像しています。


1924年1月22日 ヤッシャ・ハイフェッツから クッドラッチへの手紙

● ハイフェッツの ガルネリ・デル・ジェス について 

ところで‥ ハイフェッツ( 1901-1987 )は 1922年に 著名ディーラーである エミール・ヘルマン( Emil Herrmann 1888 – 1968 ) から ヴァイオリンの名器、ガルネリ・デル・ジェス “Ex – David” を購入し、1987年に亡くなるまで所有し続けたことはよく知られています。


エミール・ヘルマンの ヴァイオリン・ショップ


Emil Herrmann’s workshop in New York     1931年

私は このヴァイオリンの鑑定書( Certificate )やレター( Letter )を とても興味深く思っています。

鑑定書は 1922年のもので同時期に書かれたレターに このガルネリ・デル・ジェス “Ex – David” の由来がしるされていました。


1922, Letter :  ” The label the instrument bears is not the original but I am sure that it dates from 1739, 40 or 41, and consider ‥.

until 1860
このレターによると このヴァイオリンは 1860年までパリの著名な弦楽器商で製作者でもあった ヴィヨーム( Jean – Baptiste Vuillaume 1798-1875 )が所有していたとされています。

1860 – 1873
そして 1860年から ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の元コンサートマスターでメンデルスゾーン( Felix Mendelssohn Bartholdy 1809-1847 )との親交で知られるライプツィヒ音楽院教授の フェルディナンド・ダヴィッド( Ferdinand David 1810-1873 )の所有となりました。

1873 – 1884
この期間はフェルディナンドの息子 ポール( Paul David )が所有していたそうです。

1884 – 1885
ドイツのヴァイオリニストである アウグスト・ウィルヘルミ( August Wilhelmj  1845-1908 )のものとなりました。

[ 恐縮ですが ここからは書いている途中です。]

Mendelssohn & David

Violin Concerto in E minor

Mendelssohn & David

Original in concept and perfect in execution, it was the product of hard graft, assisted by Mendelssohn’s friend and chosen soloist, Ferdinand David.

The original manuscript was lost for decades after World War II, but when Luigi Alberto Bianchi tracked it down some years ago, we could see that changes were being made right up to the time of publication. Mendelssohn started thinking of it in July 1838 and its opening bars haunted him, but he did not complete it until the summer of 1844, and by that September he had finished the orchestral score. Even then he was assailed by doubts and he initiated a flurry of correspondence with David on numerous details, all of which contributed to the jewelled precision of the final score.

David gave the premiere on March 13, 1845 in Leipzig with the Danish composer Niels Gade conducting the Gewandhaus Orchestra because Mendelssohn was ill. It was not until 23 October that the composer himself conducted the work, with David as soloist. At another Leipzig subscription concert on October 3, 1846, the 15-year-old Joseph Joachim played the concerto for the first time under Gade’s direction, to great acclaim.

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私にとって興味深いのは 、ハイフェッツが このヴァイオリンの整備を カリフォルニアのアブラハム・クッドラッチ( 1890 – 1946 ) に依頼したことです。

また、それにとどまらず 彼は 1946年に アブラハムが死去した後も、その息子の ベンジャミン・クッドラッチ( 1914 Canada – 1990 Port Hueneme, California  )に 任せていたと考えられる 1950年の写真まで残されています。

Jascha Heifetz  ( Vilnius 1901  – 1987 )  &  Abraham  Koodlach ( 1890 Kiev, Ukraine – 1910 Winnipeg, Canada – 1920 Los Angeles – 1946 )

この父子はとても似ていますので混同しそうですが、 ハイフェッツ( 1901-1987 )と写真に納まっているのは 上写真が 父親アブラハム・クッドラッチ( 1890 – 1946 ) とされています。

 


Picture at Koodlach Studio



‘Heifetz, David’ Guarneri ‘del Gesù’ of 1740,

そして、下写真の左目端にホクロがあるのが息子ベンジャミン・クッドラッチ( 1914 – 1990 ) だそうです。


Jascha Heifetz  &  Benjamin Koodlach ( 1914 Canada-1990 Port Hueneme   California  )

これらの写真はあまりに情景が近いので 念のために 1920年代に撮影された ガルネリの修復作業写真と何度も比較してみました。

その結果として 少なくとも作業机にならんだ穴に差し込んであるノミの柄の種類と配置が違うことや、ガルネリの側板やライニング、コーナー部を絞め込んでいるクランプ位置と種類がちがうことなどから 出典元の説明文のように下写真は 1950年に撮影されたと 私も判断しました。


Benjamin Koodlach ( 1914 -1990 )により 1950年に実施された ‘Heifetz, David’ Guarneri ‘del Gesù’ of 1740 の修理写真



Tatsuo Imaishi at the restoration shop of Rare Violins of New York  (  Manhattan, N. Y.,  Jan. 9, 2017.  Samira Bouaou / Epoch Times )

NEW YORK—Thinking about investing in a Stradivarius or a Guarneri del Gesù? Well, sound is the very last thing you should consider.

When determining the value of a violin, it comes down to the maker of the instrument and the condition it is in, according to Bruno Price and Ziv Arazi, co-founders of Rare Violins of New York.

These considerations determine value because every instrument is distinct— the best ones even more so—and the most valuable and valued instruments require a certain level of skill and finesse to play, on top of a compatible playing personality.

There is a violin joke that goes, after a performance, a woman once told Jascha Heifetz how great his violin sounded. So he took the violin out of its case, held the instrument up to his ear, and said, “Funny—I don’t hear anything!”

Now, while it’s not the first consideration, the sound of a valuable violin is, of course, still important. They are musical instruments, after all.

The crack—from one end of the instrument to the other—has probably lowered the value by 10 or 15 percent, Price said. But after the repairs, the instrument may actually sound better, just because Imaishi has more carefully put the instrument back into its ideal shape and made sure everything is in the right place. So sound doesn’t matter, Price reiterated.

But as they started on repairs, they noticed repair work done to the back of the instrument that the client probably hadn’t known about—the sort of work that would halve the value of the instrument right off the bat, Price added.

 

 

 


Andrea Guarneri  violin  1665年

名器と呼ばれるブランドゆえの悲しさだと私は思いますが、本来‥ 楽器は性能をもって その誉とされるべきものではないでしょうか。


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航空貨物  輸送事故

 

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三重パッチ( Triple patch )

このような整備不良が最も分りやすいのは 弦楽器を修理した直後の不具合ですが、演奏者も修復担当者も修理直後はしょうがない‥ と思われるようで改善されないまま使用され続けることが多いようです。



私の経験では 修理直後に不安定な期間があったとしても 一般論としていえば せいぜい数日から 長くて一週間くらいだと思います。 この期間でレスポンスと 響きが回復しなかった場合は チューニングのバランスが合っていないか 『 過剰修理・過剰補強 』となってしまった可能性が高いと考えられます。


ストラディヴァリ・チェロ バスバー付け根部割れ L字補強


ヴァイオリン・バスバー部割れ L字補強


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このような状況が起こり得る弦楽器では 真贋のみの「鑑定」で名前が確定されたとしても、本当の評価とは言えないと私は思います。

名器と言われる弦楽器であってもバランスが調和していなかったり、本来の音響システムが痛めつけられている楽器については 適切に評価すべきではないでしょうか。

修理サインと修理ラベル( Repair signs and repair labels )

私は このような状況は弦楽器の音響システムについての情報が公知化されなかったことが原因となり生じたと考えています。

パブロ・カザルス( 1876 – 1973 )指揮者フルトヴェングラーの賛辞「パブロ・カザルスの音楽を聴いたことのない人は、弦楽器をどうやって鳴らすかを知らない人である。」
『 ストラディヴァリウスは自分には似合わない。』
Throughout most of his professional career, he played on a cello that was labeled and attributed to “Carlo Tononi … 1733” but after he had been playing it for 50 years it was discovered to have been created by the Venetian luthier Matteo Goffriller around 1700. It was acquired by Casals in 1913.[14] He also played another cello by Goffriller dated 1710, and a Tononi from 1730.

そこで 私は「オールド・バイオリン」などを取り巻く状況が少しでも変わるように、そして 弦楽器をリスペクトするために 長文となり恐縮ですが‥  弦楽器の音響システムについてお話ししたいと思います 。

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では、はじめに 下のストラディヴァリウスの画像をみてください。

Antonio Stradivari  violin,  1731  ” Lady Jeanne ”

Antonio Stradivari violin 1731年 Lady Jeanne - C MONO L
このときまず四つの尖ったコーナー部を観察します。
はじめは 特に  A , B 部の大きさの差に着目してください。

Joseph Thomas Klotz Violoncello piccolo Mittenwald 1794 ( 1743-1809 ) Sebastian 1696-1768 - A L

Joseph T. Klotz ( 1743-1809 ),  1794年 Violoncello piccolo, Mittenwald

私は1900年以前の弦楽器を見分ける時には、 はじめに四つの尖ったコーナー部の 左右の非対象性( アシンメトリー )を確認します。

これは弦楽器製作における古典的技術のなかで 『 あの響き‥ 』を生みだすための重要な設定だからです。

Antonio Stradivari 1673年Harrell - Du Pre - Guttmann - A L

Antonio Stradivari  1673,  Violoncello ” Harrell, Du Pre,  Guttmann ”

 

歴史を検証してみると “オールド・バイオリン”などに見られる高性能な弦楽器は レゾナンスとレスポンスのために絶妙な不安定さを積極的に取り入れることで誕生したと考えられます。

例えば ストラディヴァリウスなどの 四つの尖ったコーナー部の 非対象性設定は 下図のように振動モードのひとつとしてシュミレーションできます。

左図では 左側角が振動の起点となり奥の角がリレーションすることで「  ゆるみ 」が生まれます。また右図は対称型で 左側角の起点と手前の角がリレーションします。

つまり 四つの尖ったコーナー部のうちコーナー A が上図では 左側角の振動の起点の役割をはたし、コーナーB がそれにリレーションして響胴に「 ゆるみ 」がうまれることが共鳴現象につながっていると 私は考えているのです。

ただし‥ ヴァイオリンなどの弦楽器はF字孔という 2つの開断面がある表板が主たる振動板の役割をもっていますので、裏板は表板の振動条件を生みだすための駆動系としての要素が大きいと考えられます。

ですから 裏板コーナー部をイメージする場合は、上のシュミレーションのように表板が 緩むために 裏板側はアシストしているという位置づけが適切であると 私は考えます。

これは裏板の四つのコーナー部が 音響的には レスポンスと 振動の持続、そして 音色を左右する共鳴条件に関する役割を果たしているということです。

そもそも‥ コーナー部をみると表板と裏板が 相似形でつくられているように見えますが 実際に重さの条件だけみても、今‥ 私の手元にある 1780年頃に製作されたヴァイオリンでは 表板側が 69.0g で 裏板側が 148.0g( 響胴部 217.0g   :   ネック部 104.0g  )といった具合に 表板と裏板では差がつけられています。

また 木材の特性として重要な比重の差もあります。因みに、木材繊維( セルロースミクロフィブリル )自体の比重は 1.5 ほどで 樹種による差はほとんどないそうです。だから、もし木が空気を含まなかったら水に沈むと説明されています。

木材の重い、軽いは個々の樹種の木材繊維ではなく空気層の割合( 空隙率 )が反映したものであることを念頭に置いたうえで比重をみると、表板のスプルースが全乾比重で 0.43位で 裏板のメープルは 樹種により 0.55 ~ 0.7 と値幅がありますので 0.6位と想定しシュミレーションすると その差に意味があることが分ります。

  •  弦楽器の場合は実際は気乾比重[ 自然の温度・湿度とつりあった木材の含水率 ( 日本では15%前後) のときの比重 ]であることが望ましいのですが計測値がなかなか揃わないので、全乾比重[ 含水率ゼロのときの比重 ]が 一般値として使用されています。

それから 表板と裏板においてはアーチの差も重要です。 先程の1780年頃に製作されたヴァイオリンの場合では 表板アーチの高さが 20.7mmで、裏板アーチが 19.1mmといった具合に差がつけられています。この他のアーチの差につきましては 、私が参考にしている  ロンドンの『 ロイヤルアカデミー・コレクション 』資料集から表板と裏板のアーチの計測値を下にあげておきます。

残念ながら名器と言われる弦楽器であっても‥ この視点がなく”修復”された弦楽器は”しなやかさ”の対極の特徴を持っています。これらはレスポンスが悪く残響もお粗末で、演奏により本来もっていた響きを生みだすのは困難です。

そこで 古い弦楽器の参考例として、ここから 先週 私が整備したヴァイオリンのお話をしたいと思います。

 

Violin,  Wien 1810年~1820年
(  For example, Franz Geissenhof 1754-1821  )

このヴァイオリンは 8年程前に現在の所有者が知人からノーラベルで製作者は不明のものとして購入されました。残念ながら 楽器性能に関しては その時から‥ とにかく響かない状態でした。

そして 結局、所有者の方と私がご縁があった関係で、今年の 2月9日から2月12日までの期間で費用 ¥200,000 – の整備をすることになりました。

私が このヴァイオリン整備で まず問題と考えたのは 下写真の  “カノン”のように 逆ぞり変形による裏板割れがある事でした。

It is a violin “Il Cannone” which broke the block and cracked the side plate.

この有名な “カノン”と同じような逆ぞり変形をしたヴァイオリンで ボトム・ブロックを見て下さい。



このヴァイオリンは ブロック割れだけではなく 裏板ジョイントも剥がれた上に、写真のように裏板に3本の割れが入っていました。

因みに、私は 裏板側のひび割れは 表板の歪みと演奏に使用した時間に比例して増えていったと推測しています。

私の経験では下写真のヴァイオリンもそうでしたが、同じようにボトム・ブロックが割れていても 裏板の割れに至っていない事例も多く その破損メカニズムについて結論を得るのに 19年ほどが必要でした。

現在、私はこのボトム・ブロック割れは 「つり合いの破れ」により表板が歪んだ事で扁平に変形して、それが下幅広部を左右に押しながら陥没することによって生じたと考えています。

これは15年程前に整備したのちに 私が 販売した 1919年に英国で製作されたチェロなどが 判断の根拠となりました。
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Arthur Richardson  (  Crediton 1882 – Devon1965 )    Cello 1919年

このチェロは製作されてから 83年となりますが 裏板ジョイントが剥がれ‥ ブロック部のひび割れは表板側から入っていますが エンドピン穴までは まだ到達していません。私はボトム・ブロックのひび割れが短いケースでは ただニカワを染み込ませ締め付ける修理を淡々とこなしていましたが、 この時にやっと その原因に関する仮説をたてられたのです。

それから、私が確認できた 逆ぞり変形に伴う疲労破損の最短例も あげておきたいと思います。

これは 1994 年にドイツで製作されたチェロで、私は この年にアマチュア・オーケストラに所属する方に販売しました。  この写真は それから 10 年程たった 2004 年に調整のために持ち込まれた時のものです。

このチェロには テールピース脇の表板にすでに ヒビ割れが ( 矢印①から②まで )入っていました。  そこで私は 表板が割れたのがほかにおよんでいないかを確認するために、クルッと裏返してエンドブロックの裏板側をみました。

そこには下の写真のように 35∼40 mm ほどの フレッシュな割れが 二か所にありました。


このチェロの内部です。 このヒビ割れは下写真に写っているボトム・ブロックの両端からのびていました。新品で使いはじめられてわずか 10年でこの状態になっていたのは 私にとって衝撃でした。

Gustav Franz Wurmer ( Stuttgart )cello 1994年

私は「 歪み 」が裏板割れまで進行するまでは、現代型の設定だと それなりに弾き込んでも 30 年ほどかかるのではないかと推測しています。 しかし その場合でも 疲労の蓄積によって かなり早い時期に逆反り変形 が 発生することがあるようです。

この他にも響胴の歪みが破損につながる事例は 下にリンクを貼った ピグマリウス『 REBIRTH(リバース)』シリーズの事例のように枚挙にことかきません。

このバイオリンは、わずか12年で‥ なぜここまで壊れたのでしょうか?

私は これらの事例によりボトム・ブロック割れは エンドピン起因では無いと確信できたことによって 疲労破壊のメカニズムの仮説に合理性を持たせることが出来たと考えています。

さてここで、参考例として先程あげさせていただいたヴァイオリンの逆ぞり変形を確認したいと思います。このヴァイオリンは上下ブロックと高音側上コーナーブロック、それにライニングなどを入れ替える修理がおこなわれ 水平面( Horizontal )の補正が何度も行われていましたが 結局 この 8年間でここまで変形しました。


それと 製作者についてですが‥  私は このヴァイオリンは  ペグボックスの厚さや 高音側上コーナーブロック以外のオリジナルと考えられる 3つのコーナーブロック、それぞれの側板の厚さ配置、木理配置、などから 200年程前に ウィーンで製作された楽器ではないかと考えています。

古い弦楽器によくある事例ですが、魂柱部を通る割れは 長さ 267.0mmで裏板長の 75%ほどもありました。下図では 赤線がそれにあたります。

ご存じな方も多いように、このような裏板魂柱部の年輪に沿った割れは”オールド・バイオリン”や “オールド・チェロ”などでは それほど珍しくありません。

また、弦楽器が製作された地域や時代もほぼ無関係と 私は考えています。

これらの写真のように ドイツ製のヴァイオリンでも 有名な ストラディヴァリウスでも、下のグランチーノ派が製作したとされるチェロでも 注意深く観察すれば裏板の割れは 容易く見つけられるからです。

まあ‥ ニスの補修でかなり目立たなく出来ている弦楽器も多いようですので 見分けるには多少の訓練が必要かもしれません。

ニス補修では 上写真のように あえてオリジナル・ニス端にグラデーションがつくように 割れから少し離れた位置まで薄くした上で、タッチアップを加えるやり方があったりしますから‥ 。

さて、このヴァイオリン整備につきましては‥  私は 2月9日に表板をはずした段階で、不調の主因は『 ブロックのサイズや 位置の変更、エンドピン穴位置が移動されたこと、それとバスバー設定が調和しなかったため。』と 判断しました。

なお、裏板部は はじめにブロックがはいっていた際から割れてしまったようで黄色ラインで囲んだ部分には割れ補強のために別の板があててあります。


このヴァイオリンは裏板や表板のひび割れなどの状況から製作時には 上図で色塗りした位置にこの厚さで上下ブロックが入っていたようです。つまり、魂柱部の割れはボトム・ブロック端から生じていたと考えられます。

状況から考えれば それを嫌ってだと思いますが ボトム・ブロックはかなり右側にずらしてあります。

そしてまずい事に エンドピン穴も新たに設定したブロック幅の中央に移動されていました。

現代では 下写真のチェロのように 響胴のセンターラインにエンドピン穴を移動する”調整”をおこなっている弦楽器工房は 少なくありませんが‥ これは 音響的には 最悪の結果につながりやすいと 私は考えています。

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私の経験では 製作時の姿をとどめた弦楽器ではエンドピンの上エッジで ボトム・ブロックのヘリにある サドルをエンドピンの位置より少し右側に設定したものが多いようです。

参考資料として ニュルンベルグの 「 ドイツ・ナショナル ミュージアム 」収蔵の オリジナル状態の Leopold Widhalm( 1722~1786  )の 1757年製ヴァイオリンで サドルとロワー・ブロックの関係を X線画像で見てください。


この画像では ロワー・ブロックの下端に突き出したサドルが見えますが、ブロック位置よりあきらかに右側にずらしてあるのが 確認できると思います。

私が知っている  Leopold Widhalm  ( 1722- 1786 ) が 1769年に製作したヴァイオリンでもそうでした。



Duane Rosengard   ” Giovanni Battista GUADAGNINI  –  The life and achievement of a master maker of violins ”  P.289

Egmont Michels  ” Die Mainzer Geigenbauer ”  / Friedrich Hofmeister   P.224

サドルは弦楽器の修理・調整で取り換えられることが多く 上の写真のようなオリジナル状態が保存されている弦楽器はまれで、通常は表板のジョイントやヒビ割れや周りの状況で推測するしかない楽器が多数派です。

私はオリジナルのサドル位置がエンドピンより右側なのが一見してわかるヴァイオリンなどによる状況証拠から 『  ネジレ 』 を積極的に誘発するサドル位置を選んだヴァイオリン製作者は少なくなかったと思っています。

 

 

 

ヴァイオリンには ” 疲労破壊 ” が発生します。 現代ではその原因を ” 強度不足 ” と思い込んだ方が増えましたが 私は違うと思っています。 私の研究では ロワー・ブロック付近の破損は ① ヴァイオリンのバランスが不調和の状態で鳴らしたことにより表板に歪( ヒズミ )がたまり変形が進み ② エンドピン・ブロックと側板の接着部が上からエンドピンに向けて剥がれていくか割れが入るかしてブロックが不安定となり ③ 弦の張力でブロックと一諸にエンドピンが傾き側板にヒビを入れ ④ 枠の支えが弱くなったために表板の歪がより増え大きな割れが入る。という ” 逆ぞリ型破損 “がその典型と言えます。 上写真のエンドピンホールの左右のひび割れもそうして入ったと考えられます。

 

これを知っていると 下写真のヴァイオリンのように埋めてあっても A-B ラインに割れが入っており Cの位置に破損で傾いたエンドピンの食い込んだ跡があることから エンドピンホールは 内円の位置に開いていたとが推測できます。

 

 

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現代では ネックブロック部の “ゆれ軸”についての検証は非常に困難です。

たとえば G.B.ガダニーニ( 1711 – 1786 )が製作した ヴァイオリンの 裏板ボタン部でパフリングが途切れているのを確認したくても 製作時の状況が保たれている楽器はほとんどありません。

それらの多くは『 親切な楽器屋さん 』がパフリングの途切れた部分にミゾを彫り込み‥ 『 復元? 』された状態に変えられていると私は思っています。


これは‥ 上の写真のように 彼のヴァイオリンは パフリングを途切れさせているだけでなくその外側幅( パフリングとアウトラインの幅 )を R側が L側( G線側 )より幅広とするなど その差を意識し、しかも裏板中央軸部( たてスジ状の工具痕跡 )に合わせてきちんとスペースを空けてヴァイオリンを製作したことを示す弦楽器が数台ですが 現存していることから判断しました。

また、このように製作時の状況をとどめていない楽器でも 後世の人がパフリング・ラインを連結させようとしてもスムーズに繋がらなかったものがその状況証拠となりえると私は 思っています。


これらのヴァイオリンの継ぎ足されたパフリングを目にするとき、私は『 オールド・バイオリン 』の整備を本来は 楽器性能としての基準であたるべきところを 担当者が仕組みが分らなくて” 工芸品基準 “で判断してしまった悲劇であると思います。


現在 “オールド・バイオリン”などの弦楽器の多くに こういった設定がされていることは 本当に悲しいですね。

 

ともあれ‥ 私は 単に弦楽器取引のための 差別性を目的とした弦楽器の鑑定は 近い将来に意味をもたなくなると思っています。

真の意味での鑑定は、その弦楽器が 製作時の音響性能をどの程度 維持できているかの側面から判断され 評価されるべきなのは‥ 皆さん異論はない筈だからです。

 

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