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○  パティーナ( Patina ) 加工について

○『 ヴァイオリン製作 』という仕事について

○  私は 弦楽器製作者を目指す人に “デッサン” を推奨します。

○ ”不安定( 自由度 )”によって得られる豊かさについて

○  ヴァイオリンや チェロの、豊かな響きについての考察

○  『 巾接ぎ( はばはぎ ) 』で製作されたチェロが、教えてくれること。

○  ヘッドは “ネック端上の構築物”であるということ

○「螺鈿紫檀五弦琵琶」の “工具痕跡” が 意味することについて

○  弦楽器のヘッド端に与えられた役割について

○   スクロール基礎部のキズについて

 

○    弦楽器製作者として ペグホール位置について思うこと

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○  “オールド弦楽器”の 特徴について

○  オールド・ヴァイオリンのコーナー側線角度は 75%以上の確立で傾斜させてあります。

○  コーナー部側線角度の自由さは どこからくるのでしょうか?

○  弦楽器のコーナー部には “音響技術”が 集積されています。

  コーナー部差異の検証実例

○  パティーナ( Patina ) 加工について

○  表板、裏板のふちの特徴を知るには

〇  弦楽器を研究し見出したこと ( ネック部についての考察 )

○  弦楽器を研究し見出したこと( 誤った修理事例について )

 

○  弦楽器を研究して見出したこと。( スクロール基礎部キズについて )

○   弦楽器を研究して見出したこと。( ペグボックス内側上端部について )

〇  弦楽器の性能を確認する方法






○   弦楽器の鑑定について

Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) violin 1699年 Auer - V L改訂版 高等学校 物理Ⅰ - 数研出版株式会社 平成23年12月印刷 - B L

 

【  “オールド・チェロ” の 特徴について 】
【  弦楽器において非対象が 常識だった時代 について  】
【  “バイオリンの秘密 “を生んだ 複雑な音響メカニズム  】
【  グスレという弦楽器について  】
【  ヴァイオリンの誕生につながった重要な技術  】
【  本物の弦楽器を確認する方法  】

 

○   弦楽器製作における 失われた情報について‥はじめに

Violin Made in West Germany - Antonius Stradivarius 1713 - 1950年代 - 5 LUmgegend von Flensburg gebraucht Bredebro 1909 Verlag Th Thomson Flensburg - A L

 ピアノの弦数について
『 オールド・ヴァイオリン 』の時代と 自然科学

  弦楽器製作における 失われた情報について ‥ その確認方法
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○   あなたの楽器と ビニールテープ 0.4g を使って 『 オールド・バイオリン 』の響きを疑似体験してください。

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   弦楽器製作者として ペグホール位置について思うこと

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○  
非対称楽器であるバイオリンの “名器的響き” を楽しんでください。

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○   あなたは 三角フラッグ現象を ご存じでしょうか?

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○   自作弦楽器

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弦楽器の『響』の話

ヴァイオリンと能面の類似性について    –   前編
ヴァイオリンと能面の類似性について    –   後編

● 立体的形状により剛性を高める技術について
● 18世紀の音楽ホール事情
● 残響と干渉について
パイプオルガンの 『音の数』について
● ピアノの弦 ( ミュージックワイヤー) の本数 について

 

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○   ブログ

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○   更新前の 2015年までの  “自由ヶ丘ヴァイオリン” ウエブサイト

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弦楽器の鑑定について

● 本物の弦楽器を見分ける方法

1.   “オールド弦楽器” の 特徴について
2. コーナー部差異の検証実例
3. パティーナ( Patina ) 加工について


4.   表板、裏板のふちの特徴を知るには


5.  ヴァイオリン属と 改変の歴史

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  Niccolò Paganini ( 1782-1840 )
1827年7月12日( 木曜日 )プログラム

イタリア・ジェノヴァ 生まれの パガニーニは ナポレオンの妹のエリーザ・バチョッキ( Elisa Baciocchi ) が 1805年にトスカーナ大公妃として設けたルッカの宮廷における独奏者として演奏活動をはじめます。

そしてナポレオンが失脚するとパガニーニは独奏者としての活動をはじめました。彼は 1809年より北イタリアからはじめた演奏会の開催場所をイタリア全土にひろげました。

その後の 1828年にはウィーンでも成功をつかみ、ついでプラハ そしてドイツ各地で開催した後である 1831年には 3月から4月にかけて有名なパリ・デビューを成功させ 5月にロンドンに渡り翌年にかけて イギリス、スコットランド、アイルランドでも大成功をおさめました。

 

 

 

1848年  :  ウィーン体制が崩壊しヨーロッパの不安定化が進みます。

たとえば イタリアでは 1861年にヴィットーリオ・エマヌエーレ2世がイタリア統一をおこない、プロイセンは 鉄血宰相ビスマルク( 1815-1898 )の指導のもとクルップ社の鉄鋼製品( 鉄道、大砲 )を背景として 1866年の普墺戦争に勝利して 1867年に北ドイツ連邦に領土を拡大します。

そしてその後 の普仏戦争により 1871年には ワーグナーを擁護するとともにノイシュヴァンシュタイン城を建設させたルートヴィヒ2世( 1845 – 1886 )のバイエルン王国( Bavaria )やフランス領だったロレーヌ・アルザスを併合してドイツ帝国が成立しました。

また 1842年にアヘン戦争に勝利したヴィクトリア女王( 1819 – 1901 、在位 1837 – 1901 )のイギリスも植民地拡大をすすめ大英帝国を構築し繁栄します。 こうして帝国主義を国是としたヨーロッパ列強( ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、オーストリア、ロシア )が世界地図を分割していったことで『 諸戦争を終わらせる戦争( War to end wars )』と言われた1914年の第一次世界大戦( 1914 – 1918 )が発生することになりました。

 

正しさを競うと戦争が起きますが、美しさを競うと感動が生まれ、人が幸せになります。奇異な表現かもしれませんが・・ 私は、古の弦楽器制作者が究極に求めたものは  “The violin is a singing instrument, not a stringed instrument.” ということではないかと思っています。

そして彼らの思想の根底をながれていたのは、「美」や「調和」「利他の心」であったと信じています。

しかし、残念ながら それは1800年代の半ばを境とするかのようにして薄れていったようです。

STRADIVARI’S FABLED “MESSIAH” THREE CENTURIES ON: THE MOST CONTROVERSIAL VIOLIN IN HISTORY?

It was donated to the Ashmolean Museum in 1940 by the firm of W.E. Hill & Sons to become a benchmark for future makers.


The world’s most valuable violin? The Messiah Stradivarius
0:57 ” 1716 ‥ It is the only as new Stradivarius ‥”

Violin   1854年頃

●  Eugène-Auguste Ysaÿe ( 1858-1931 ),  Liège / 1886 ‘Royal Conservatory of Brussels’  / 1918 Cincinnati  /  Brussels :   Violinist

●  Jenő Hubay ( 1858-1937 ),  Pest / Berlin / Paris / 1882 Brussels / 1886 Hungary, ‘Budapest Quartet’ / Hubay’s main pupils Joseph Szigeti.   :   Violinist

▶  1870年  Großer Musikvereinssaal( Wien )1680席,  48.8m  ×  19.1m  (  H 17.75m  )

1861年 Wilhelm I ( 1797 – “1861 – 1888”  / “Deutscher Kaiser 1871 – 1888” ) : Otto von Bismarck ( 1815 – 1898  / “Eiserner Kanzler 1862 – 1890″ )

▶  1870年9月2日 普仏戦争
[ 投降したナポレオン3世とビスマルクの会見 ]

Napoléon III ( 1808-1873 / 1848 -“1852 -1870” )

▶  1884年  Neues Concerthaus – “Leipzig Gewandhaus ”

 

 

 

Violin   1854年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

● 響胴の観察ポイント


Hendrik Jacobs (1639-1704)     Violin,  Amsterdam 1690年頃

真の意味で‥ 完成度が高いヴァイオリンなどの弦楽器は その響きと操作性を達成するための工夫がなされています。

そこで 私は、ヴァイオリンや チェロで それを「 識別 」する際には 響胴低音側の 肩口から観察をはじめます。

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )
Violin “Ex Havemann”,  Cremona 1791年

Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 )
Violin, Torino  1845-1850年頃

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )
Violin,  Milano 1910年

Nicolas Lupot ( 1758-1824 )
Violin,   Paris  1807年

その参考例として 4台のヴァイオリンを並べましたが、観察ポイントは 下図の 点A、点Bの辺りです。

では、拡大写真でご覧ください。

そして これらのポイントは、チェロにおいても検証が可能です。

Domenico Montagnana ( 1686-1750 )
Cello,  Venezia  1733年頃

Old Italian Cello,  1680-1700年頃
(  F 734-348-230-432 / B 735-349-225-430 / Stop 403 / ff 100  )

Antonio Stradivari (ca1644-1737 )
Violoncello,   “Stauffer – Ex Cristiani”   Cremona  1700年

ヴァイオリンや チェロの響を生みだす響胴は木製の箱ですから、共鳴現象を誘発する 表板などの瞬間的な「 緩み 」は、正中線を挟んだ左右の非対称性や 弦の張力差による「 ねじり 」により発生していると考えられます。

私が 表板低音側の 点A、点B としたポイントは 裏板側の軸が回り込むための加工で、完成度が高い弦楽器であれば “意図的” な痕跡を確認できます。

続きを読む 弦楽器の鑑定について

つり合いという現象

私は ルネサンス期の1500年代中頃に誕生した ”オールド・ヴァイオリン” は 1650年から1750年頃ヨーロッパ各地で盛んに製作されたものの、 1800年頃にはその製作者が激減し‥ ついには絶えてしまったと考えています。

そして その状況は、イタリアの ヴァイオリン博物館に遺された ストラディヴァリの木型( モールド )や、型紙などの製作補助具の扱われ方が象徴していると思っています。

これらは、最近も新しい器材を用いた丁寧な再計測がおこなわれており 考古学的な資料としては大切にされてはいますが、実際の弦楽器製作には それほど活用されていません。

ストラディバリウスなどの “オールド・ヴァイオリン”の名器は、音の立ち上がりが俊敏で 倍音の響きがとても良く、指板上だけではなくフラジオレットなども含めて指向性を持った響が作り出せます。そして演奏者自身の耳でも 音程や響きの輪郭が捉えやすく、弾き方によったヴァリエーションが工夫しやすいため豊かな色彩感を生みだすことが可能です。

そのような “オールド・ヴァイオリン”ですので、弦楽器製作者や演奏者にその特質について尋ねると『 音が生みだせる 』という要素に意識が向きがちのようです。

しかし、私の結論は違いました。
私は “オールド・ヴァイオリン” の特質は 端的に言って『 演奏者が随意に音を止められる 』という操作性こそにある思っています。

1700年代の弦楽器製作者にとって、演奏時に レスポンスが良いことはとても大切で、その探求は 最終段階で『 音の始末が良い‥ 』という高難度の演奏が生みだせる操作性能にまで至ったと考えられるからです。

この仮説で 重要な意味をもつのが、ストラディヴァリが 弦楽器を製作するために使用した木型( モールド )や、型紙などに製作時の基準として刻まれた 印しや括弧、あるいは 同心二重括弧 (  Concentric double parenthesis ) などの読み解きです。

Stradivari’s moulds

Form G  Length  347  UB  161  CB  103  LB  201

Antonio Stradivari made his violins by utilising a thick ca.14 mm wooden mould or ‘form’, to which the four C-bout corner blocks, together with the top and bottom blocks, were lightly glued, and around which the thin lengths of rib were shaped and then strongly glued to the blocks. Simplistically, once all the glue had dried, the ‘garland’ of blocks and ribs could be carefully detached from the inner mould, and the front and back plates could then be attached to the garland to create the soundbox. Although Stradivari’s moulds, made of walnut wood, have varying lengths, widths and proportions, these variations are often by no more than a few millimetres and sometimes the difference between a particular measurement on one mould and the same measurement on another is just one millimetre; for example, the three bout-width measurements of the P mould, and those of the PG mould, are identical, while the body lengths differ by just one millimetre: P mould 343.5 mm; PG mould 344.5 mm (Stewart Pollens’s measurements).

Almost all the moulds bear identifying letters, inked or incised in block capitals: for example, the letters P, S, and T, G, PG, and MB. Because there are so few extant documents known to be written in Stradivari’s hand, it is not certain which, if any, of these mould letters were drawn by him. Some of the moulds have dates, also inked or incised into the surface of the wood: the mould marked SL is dated  November 9, 1691 (incised), and one of the two moulds marked S is dated September 20, 1703. The two B moulds are dated June 3, 1692 and December 6, 1692 (both incised), while the PG mould is dated June 4, 1689 (also incised).

弦楽器の音響メカニズムは難解ですが、これらを少し読み解くとすれば‥ まず、上図の点 P が “オールド・ヴァイオリン “の裏板にみられる『 セントラル・ピン 』とほぼ一致するという状況証拠から、点 P を 裏板におけるつりあいの中心点として印されていると考えることができます。

Jacob Stainer ( ca.1617-1683 )  Violin,   Absam ( Tirol )

Underneath the parchment covering the center joint of the back of the violin by Jacob Stainer, five marking points are hidden.Their distance from the lower end of the body can be measured precisely.

ヤコブ・シュタイナーによる このヴァイオリンの裏板では、中央部を縦に覆う羊皮紙の下に、5つのマーキングポイントがあります。余談ですが  現在では、それらと響胴の下端からの距離は正確に測定されています。

Nicolò Amati ( 1596–1684 )  Violin,   “The Brookings”   1654年

“Guarneri del Gesù”  /  Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 )

また、グァルネリ・デル・ジェズ や ニコロ・アマティのヴァイオリンのなかには 裏板中央部のピンだけが埋め込んであるものが見られるので、それは『 セントラル・ピン 』、『 背部ピン ( Dorsal Pin ) 』と呼ばれています。裏板の表面に達するまで円錐状の穴を穿った上で、埋め込まれた木片は 皆さんにとっても興味深いのではないでしょうか。

Nicolò Amati ( 1596–1684 )  Violin,   “The Brookings”   1654年

さて、弦楽器の音響メカニズムの読み解きでは『 セントラル・ピン 』以外にも、下図のように 『 同心二重括弧 』から同心円を導きその中心に点 C を置き 点 P との距離の意味や、コーナーブロックとの関係を検討することもできます。

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  Violin,  “San Lorenzo”  1718年

また、それらの モールド と対応している可能性がある楽器‥ この ヴァイオリン製作用木型 “Form G” の場合は、1718年製の ストラディバリウス “San Lorenzo” などと照らし合わせて 駒位置や 魂柱位置の条件設定も学ぶことも可能です。

 

しかし 残念なことに、 現代では このような 音響システムに関する研究はおざなりにされ、”販売”を目的とした “製品”としての “現代ヴァイオリン”が盛んに製作されています。

そのような昨今ですので、ヴァイオリンネック材として ヘッド部がこの状態まで加工されたものを インターネットを検索することにより、私たちは ¥5,000 以下で購入出来たりします。

まあ‥ 機械加工のものや「工場制手工業」タイプなど出来はいろいろユニークですが‥ 。

また、下写真の製作学校系の人達のように、敢えてネック部が全体価格の20%だと換算すると ヘッドを削りあげた状態でそれが おおよそ¥100,000 を超えると考えられる製作者も 大勢います。


しかし残念なことに 音響上の特性において、この両者にほとんど差はないのではないかと 私は思っています。

そこで まずこの点に関する資料として、 レオポルト・モーツァルト著の書籍( 翻訳版 )を紹介させてください。

レオポルト・モーツァルト( 1718-1787 )は 息子のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが誕生した年である 1756年の秋に『 Versuch einer gründlichen Violinschule( ヴァイオリンの基礎的入門の試み ) 』を出版しました。

この書籍は 日本でも 塚原晢夫氏が翻訳したものが 全音楽譜出版社から1974年に『 バイオリン奏法 』として出版されています。

ところがこの翻訳底本は 1951年に出版されたクノッカーの英語版の改訂版であったため、私たちの間では ながらく原典版の翻訳が待ちのぞまれていました。

そうして時が経ちましたが‥‥、 今年5月に 同じ全音楽譜出版社から 原典版である「初版」がついに レオポルト・モーツァルト『 ヴァイオリン奏法 』新訳版( ISBN978-4-11-810142-2  C3073  ¥3800E )として出版されました。

これは音楽学の久保田慶一氏が 初版( 1756年 )、第2版( 1770年 )、第3版( 1787年 )、第4版( 1800年 )などを検証した上で 「初版」を底本として翻訳したものだそうです。

献呈文に続く「はじめに」の部分に書かれたあいさつ文の署名は
” ザルツブルク、1756年7月26日 モーツァルト “ となっており、そのあとに『 ヴァイオリン奏法への導入 』として 第1節が  『 弦楽器、とりわけヴァイオリンについて 』のテーマで 7項目に分けて並べられていて(本文 P.1~P.11)、 全文は 295ページです。

[  Small size violin of Wolfgang Amadé Mozart  ]
Andreas Ferdinand Mayr  1746年頃
Worked for the Salzburg Court ( 1720-1764 ).

少し長くなりますが、18世紀半ばの弦楽器製作を考証するために この翻訳本の一部をここに引用させて頂きたいと思います。

【  第1節    弦楽器、とりわけヴァイオリンについて  】

第3項目

Füssen trained maker.  

(中略)‥‥  ヴァイオリン製作者は、カタツムリのような優雅な曲線や 巧みに彫られたライオンの頭などを最後に装着して、楽器を完成させる。

彼らは楽器本体よりも こうした装飾にしばしば手間をかけるのだ。そのためにあろうことか、ヴァイオリンは 外面的な虚飾という、俗に言うごまかしの犠牲になってしまうのである。


Salzburg,  1713年

 

Ole Bull ( 1810-1880 ) Violin / West Norwegian Museum of Decorative Art

鳥を羽でもって、馬をブランケットでもって評価する人は、きっとヴァイオリンも、色艶やニスの色でもって判断して、本体部分の状態を詳しく調べたりはしないであろう。

またこのような人たちすべてが、頭脳ではなく、 見た目 を判断基準にしているのである。ぼさぼさ髪のカツラをかぶったところで、生身の人間の頭がよくならないのと同じように、美しく彫られたライオンの頭がつけられても、ヴァイオリンの音はよくならないだろう。

こうは言っても、多くのヴァイオリンは見た目のよさだけで評価されるのである。身なりのよさや 金を持っているだけで、そして華やかで巻き毛のカツラをかぶっているだけで、多くの人々は、やれ学者だの、助言者だの、医者だのと思ってしまうのである。

それにしても、私は何の話をしているのだろうか!うわべの見かけだけで判断してしまう習慣を嫌うあまり、脱線をしてしまったようだ。

第5項目

とりわけ嘆かわしいことは、今日の楽器製作者たちが、自分たちの仕事に対して あまり努力していないことである。注( 3 )

では何が必要なのだろうか? ひとりひとりが 自分なりの考えや 想像で仕事をしていて、楽器の諸部分についての確かな基準を持っていないのだ。

例えば、側板が低い場合には、胴は高く湾曲させなくてはならない、しかし反対に、側板が高くても、表板を少しだけ湾曲させて高くするだけで、音の通りがよくなる

【  所有者の依頼により 側板の高さを増やした事例  】

注( 3 )
楽器製作者は今日でも たいていは生活のために仕事をしている。ある点で彼らは批判されるべきではないだろう。それというのも、人々はいい仕事を求めるが、それに対して多くを支払おうとしないからだ。

―― 要するに、音は側板の高さからは それほど悪い影響は受けないという原則を、ヴァイオリン製作者は 経験から得ているわけである。

さらに裏板となる木は 表板の木より強くなくてはいけないこと、そして表板も裏板も周辺よりも中央部分で厚くなっていること、さらに次第に薄くなったり厚くなったりするにしても、木の厚みにはある一定の均一性がなくてはならないことを知っていて、このようなことを 外側カリパス( 訳注:厚みを計測するはさみ尺のこと )を使って検査するのである。

● どうして ヴァイオリンは ひとつとして同じではないのだろうか?

●  どうして あるヴァイオリンは大きな音が出て、別のヴァイオリンは小さな音しか出ないのであろうか?

● どうして ある楽器は、いわば鋭くとがった音がし、別の楽器の音は響かないのだろうか?

●  荒々しく叫ぶような音がしたり、悲しく押し殺したような音がするのは、どうしてなのだろうか?

これ以上 問うのはやめよう。

これらすべては 楽器製作者のやり方の違いに起因しているのだ。ある製作者は目分量で 高さや厚さなどを決めていて、十分な確固とした原則に立っているわけではないのである。

そのために、ある人にはうまくできるのに、別の人には まずい結果に終わるのである。このことこそ、音楽から 多くの美しさを現実に奪っている諸悪の根源なのである。

第6項目

(中略)‥‥ それよりも、私たちがいい楽器にあまりに出会わない、そして出来映えも不揃いで 音質もさまざまであるということを、もっと真剣に考えた方がいいのではないだろうか?

そうすれば 学者先生たちの研究の力を借りて、もっと進展だってできるであろう。

○  例えば、どんな種類の木が弦楽器には適しているのか?
○  そのような木をどうすればうまく乾燥させられるのか?
○  製作にあたって、表板と裏板とで木の年齢が違うとうまくいかないのではないだろうか?

これは 1998年にロンドンで Peter Biddulph さんが出版した ジュゼッペ・ガルネリ( 1698-1744 )の原寸大写真集 ” Giuseppe Guarneri del Gesu “の 161ページから引用させていただきました。

年輪年代学の研究者である ピーター·クラインさんが 25台の ガルネリ・デル・ジェスのヴァイオリン表板を研究した結果を表にしたものです。

現代ではヴァイオリンを製作する場合‥ 材木のスプルースを上からみて放射状に切断して、その板の外側どうしをジョイントすることで左右対称の木組みが なされているために、表板の年輪は左右で違ったとしても数本以内で製作される場合がほとんどです。

ところが ピーター·クラインさんの研究では、これら25台のガルネリ・デル・ジェス( ロワー・バーツ部での左右の年輪合計は 131本から 260本です。)のうち 16台が ジョイントされた左右の年輪数が 10本以上( 10~63本 )も違うことが指摘されています。

これに 年輪年代学 の材木の時代考証をあわせて考えると、ガルネリ・デル・ジェスは 積極的に” 木伏技術 ” として左右が非対称の表板によってヴァイオリンを製作したと考えられます。

私は、ジュゼッペ・ガルネリは 表板に” 木理 ”を考慮して別々の時期に伐採された木材をジョイントした” 疑似的な一枚板 ”を 強いねじりを生みだすために使用していたと思っています。

○  どうしたら 木の気孔はうまく埋めることができるのだろうか?
○  そのために内側にもニスを塗るべきなのかどうか、そして どのようなニスが適しているのか?

○  さらに大切なこととして、表板、裏板、そして側板がどのくらいの高さや厚さであればいいのだろうか?

第7項目

とにかく研究熱心なヴァイオリン奏者というのは、弦、上駒、魂柱を改良しては、自分の楽器をできる限りいいものにしようと努力している。

ヴァイオリンの胴が大きければ、確かに太い弦がいい効果を生むだろう。反対に小さければ、細い弦を張らなくてはならないだろう。

魂柱は高すぎても低すぎてもいけないし、駒の足の下の少し右側に置かなくてはならないだろう。魂柱を正しく置くことのメリットは決して小さくない。

かなり大変ではあるのだが、ときどき魂柱の位置を変えるべきだろう。そのつどすべての弦でいろんな音を出して、楽器の響きを調べ、いい音の状態が見つかるまで、これを繰り返し続けてみるとよい。

駒もまた大いに役にたつ。例えば、音が荒々しくて刺すような、言うなれば、鋭くて、心地よく響かないときには、低い、幅広の、いくぶん厚めの、とりわけ下部を少し切り抜いた駒を使うと、少しはましになる。

音そのものが弱く、静かで、沈む場合には、薄い、あまり幅広でない、そしてできることなら、下方だけでなく中央部も大きく切り抜かれた駒を使うとよくなる。

しかも このような駒の材料は総じて、とても木目が細かくて、気孔のない、よく乾燥した木でなくてはならない。この駒は、表板のローマ字のf形に切り抜かれたふたつの孔の間に置かれる。

 

また 音が沈まないようにするために、弦が固定されエンド・ピンにつけられた、一般には狩人たちの言葉で「緒留め」と呼んでいるテールピースを置くにしても、下方の細くなった端が ヴァイオリンの表板から突き出したり、はみ出したりしないよう、表板と同じ高さになるようにうまく調節しなくてはならない。

最後に、自分の楽器はいつもきれいにしておくように。特に演奏をはじめる前には、弦と表板にある ほこりやコロフォニウム( 訳注:松ヤニのこと )は取り除いておかなくてはならない。

ものごとがしっかりと考えられる人には、とりあえずは この程度のわずかなことで十分であろう。やがて私の望みどおりに、私のこの小さな試み( 訳注:この「ヴァイオリン奏法」のこと )を さらに広げて、すべてのことがらを 正しく規則として示してくれる人が、きっと現れるだろう。

( 引用終了 )

[  Concert violin of Wolfgang Amadé Mozart  ]
until November, 1780.
Klotz family of violin makers in Mittenwald.

私は この レオポルト・モーツァルト著『 ヴァイオリン奏法 』において、音楽家の立場から 弦楽器製作者に対し 告発文のような怒りが込められた意見や疑問が提起されているのは、現代の私たちににとっても本当に重要だと思っています。

少なくとも 1756年頃にはすでに 弦楽器製作者達のなかに『 楽器の諸部分についての確かな基準を持っていない。』実力に問題を抱えた人が増えていたことがハッキリと証言されているからです。


話しは変わりますが、これは 私が大切にしている新聞記事です。

「 過去へ 」と題されたこの記事の終わりには
そう考えると、私たちの日常はだんだん貧しくなっているようにも思える。極端な例では、あの輝かしい音を響かせるバイオリンの名器は、18世紀からあと二度と私たちの手から生まれなくなった。今後、あの音は失われてゆくだけだ。と書かれています。

ジャーナリストであり西洋音楽史の研究者でもある 梅津時比古さんは、現在 桐朋学園大学学長でもあるようですが、私はこの記事を目にしたとき『 流石‥。』と思いました。

もう 20年ほど経ちましたが、私はこの頃から ”オールド・ヴァイオリン” の音響システムは『 原則に従うことで ヴァイオリンの諸部分が相互に補完しあうバランスを礎とした仕組 』にあると考えるようになりました。

2003年 9月29日  16:45頃

そして、このように ”オールド・ヴァイオリン” の音響システムに関する検討を経た後の 2004年11月11日 に本格的な復元楽器の製作に着手しました。

Violin –  Joseph Naomi Yokota ,  Tokyo  2008年

この研究は “オールド・ヴァイオリン” や “オールド・チェロ” などを精査し、仮説を立てそれを製作に反映し‥ その結果から 再び検証と仮説を進めるもので、私は あくまで楽器としての性能の復元をめざしました。

因みに、この研究が終了したのは 2015年12月26日 でした。

“オールド・ヴァイオリン”の 音響システム

“伝承”が修正されるべき時が来ています。

■  1830年~1850年  英国において 1830年に開設されたマンチェスター・リヴァプール鉄道にはじまる鉄道開設ブームがおこり、1850年までに営業開始した旅客鉄道のイギリス国内総延長は およそ9656km に達しました。

また、アメリカでも 1830年にボルチモア – メリーランド州エリコット間に旅客鉄道が開業し1850年には国内総延長が13,700kmを超え、1869年にはユニオン=パシフィック鉄道の東西路線がつながり最初の大陸横断鉄道が完成したことで国内総延長は79,000kmを超えました。

ドイツにおいては 1835年に最初の鉄道が開業し、1838年にベルリン – ポツダム間、1839年にはライプツィッヒ – ドレスデン間が開通し1840年頃には総延長469kmとなり、1871年には10,000kmを超えました。ロシアでは、1851年にペテルスブルク – モスクワ間が最初の鉄道開業でした。そして1891年にはシベリア鉄道( 9,000km )が着工されました。これは1913年に開業しました。因みに、日本の鉄道開業は 新橋駅 – 横浜駅間で、1872年のことでした。

■  1851年5月1日~10月15日    第1回万国博覧会であるロンドン万国博覧会がハイド・パークで開催されました。会場として建設されたクリスタル・パレスは 長さ約563m、幅約124mの規模で、1850年7月30日に着工され、1851年1月に完成しました。有料入場者数は 141日間で 6,039,000人におよびました。

■  1852年  大統領であったルイ・ナポレオンは 前年にクーデターを起こし、独裁体制である「第二帝政」を確立し、1852年に皇帝ナポレオン三世( Napoléon III 1808-1873 )として即位します。
■  1853年7月8日  ペリー提督の艦隊( 4隻 )が浦賀沖に来航し、次いで1854年には横浜沖に再来航( 9隻 )しました。これにより 1858年に日米修好通商条約が結ばれました。

フランス帝国とサルデーニャ王国の間で締結された「プロンビエールの密約 ( 1858年 )」で、ニースと サヴォイア地域がフランスに引き渡されるまでの地図

Nicolò Paganini( 1782-1840 ) died in Nice on May 27, 1840 :  in the will drawn up in 1837 he had ordered that the instrument be left to his hometown, Genoa, “So that it may be preserved in perpetuity”. The events surrounding the legacy were, however, complex and concluded only on July 14, 1851, with the delivery of the instrument by Baron Achille Paganini( 1825-1895 ), son of the maestro, to the then mayor of Genoa. 

■  1848年~1871年  「1815年のウィーン議定書で ジェノヴァ共和国を併合したトリノを事実上の首都とするサルデーニャ王国」が主導してミラノ、ヴェネツィアに反乱が起こり、イタリア統一運動( リソルジメント )が本格化し、1859年の第2次イタリア独立戦争を経た 1861年に南イタリアに「イタリア王国」が確立され、そのままサルデーニャ王国と合併します。

そして、1866年には ヴェネツィアを併合、その後 1871年に教皇領であったローマを占領し、「サルデーニャ国王 ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世( 1820-1878 / 在位1849-1861 )」が統一イタリアの国王( 在位1861-1878 )として正式にローマを首都として定め、近代国家であるイタリア王国が成立しました。

■  1851年7月14日 パガニーニが演奏に用いていたとされる「グァルネリ・デル・ジェズ」 “イル・カノーネ 1743年”が、ジェノヴァ市に引き渡されました。

■  1857年頃   前所有者が判然としない 1743年製「グァルネリ・デル・ジェズ」ヴァイオリンが 英国に出現しました。そして購入者である John Tiplady Carrodus( 1836–1895 )が リサイタルなどで使用したことで、このヴァイオリンは”キャロダス ( Carrodus )”と呼ばれるようになりました。

Guarneri del Gesù ( Bartolomeo Giuseppe Guarneri 1698-1744 )  Violin, “Carrodus” 1743年

この両者を比較するときは 対をなすコーナー部の面積差と、コーナーブロック端位置( A,B,C,D )でパフリング外側縁に施された”摩耗加工”を見ると 違いが分かりやすいと思います。

J.T. Carrodus( 1836–1895 ) was an English violinist.
He had the advantage of studying between the ages of twelve and eighteen at London and Stuttgart, with Wilhelm Bernhard Molique( 1802-1869 ). On 1853, Sir Michael Costa got him engagements in the leading orchestras. He was a member of the Covent Garden opera orchestra from 1855. He made his debut as a solo player at a concert given on 22 April 1863 by the Musical Society of London.

キャロダスは、ルイ・シュポーア( Louis Spohr 1784-1859 )に学び シュトゥットガルトと ロンドンで活動したベルンハルト・モーリック( 1802-1869 )の生徒でした。

さて、ここからは私の見解で、現在も その証拠集めをしている途中であることをご承知置きください。

私は、パガニーニが演奏に用いていたとされ、現在も ジェノヴァ市に「グァルネリ・デル・ジェズ」 “イル・カノーネ 1743年”として展示されている楽器は、その規格等の特徴から考えて パガニーニが演奏に使用したヴァイオリンでは無いと判断しました。

Guarneri del Gesù ( Bartolomeo Giuseppe Guarneri 1698-1744 )  Violin, “Carrodus” 1743年

また その視点で、現代に残された Guarneri del Gesù のヴァイオリン達を検証した結果、パガニーニ ( Nicolò Paganini 1782-1840 )が イル・カノーネ ( Il Cannone )と呼んでいたヴァイオリンは、1857年頃に Londonに出現した 1743年製ヴァイオリン”Carrodus”である可能性が高いと考えています。

そもそもパガニーニがサルデーニャ王国のニース( Nice )で亡くなった1840年5月27日から、ヴァイオリンがジェノヴァ市に引き渡された1851年7月14日までの『11年間』遺産相続者である息子の Baron Achille Paganini( 1825-1895 )は不可解な行動を取っています。

私は ジェノヴァ市に遺贈された 1851年( 第1回ロンドン万国博覧会の年 )に、パガニーニのイル・カノーネ ( Il Cannone )は、ドイツ、カッセルの宮廷楽長を1822年~1859年の長期間務めるとともに、ヴァイオリニストでもあった ルイ・シュポーアに内密に譲渡されたと推測しています。

Guarneri del Gesù ( Bartolomeo Giuseppe Guarneri 1698-1744 )  Violin, “Carrodus” 1743年

興味深いことに、1851年にシュポーア ( 1784-1859 )は、雇用者であるカッセルの選帝侯が許可しなかった2ヵ月の旅行に出発し、その後 この期間分給与が未払いとなった事を不服とし、訴訟を起こしています。また、この時期に 財産の整理もしてもいるようです。そして、1857年には 腕を骨折したことによりヴァイオリニストとしての活動を終えているのです。

この ルイ・シュポーア( 1784-1859 )らが指導し、1825年に23歳の若さでシュトゥットガルト宮廷楽長兼コンサートマスターとなり、1849~1866年にはロンドンを拠点とし活動したベルンハルト・モーリック( 1802-1869 )の仲介によりイル・カノーネは 1851年の時と同じように、再び内密にキャロダス( 1836–1895 )に譲渡されたものと、私は 考えています。

この説にもとづき、”Guarneri del Gesù “と呼ばれた Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 )が製作したヴァイオリン“Carrodus” 1743年 の所有者名を “Il Cannone”期から時系列で並べるとこのようになります。

Nicolò Paganini ( 1782-1840 )  … 1840年
Baron Achille Paganini( 1825-1895 ) 1840年~1851年

Louis Spohr ( 1784-1859 ) 1851年~1857年頃 

Wilhelm Bernhard Molique( 1802-1869 )

John Tiplady Carrodus ( 1836-1895 ) 1857年頃~1895年
W.E. Hill & Sons 1895年
Major C. E. S. Phillips 1895年~1909年
W.E. Hill & Sons 1909年
Dr. Felix Landau (Berlin) 1909年~1931年
Margaret Abraham 1949年
Ossy Renardy 1955年
Henry Hottinger (New York) 1965年
Rembert Wurlitzer Inc. 1965年
Dr. Ephraim P. Engleman (San Mateo, California) 1976年
David L. Fulton 2003年~2007年
Anonymous 2007年

因みに、この1743年製 “Carrodus” ガルネリウスは、そう呼ばれる以前から 弦楽器製作者の間では重要なヴァイオリンとして扱われていたようです。

私が このガルネリウスを強く意識するようになったのは 有名な “Wurlitzer collection”のヴァイオリンを販売した時でした。

そのヴァイオリンは、パガニーニ( 1782-1840 )が演奏活動を開始する以前の 1791年にクレモナでGiovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 ) が製作したものでしたが、ヘッドが “Carrodus” 1743年の影響を強く受けていたのです。

ここで 私の過去のブログで”加熱痕跡”に関した投稿の抜粋をあげさせていただきます。

私が “加熱痕跡”の読み方について確信を得たのは 15年程前にヨーゼフ・アントニオ・ロッカ( 1807-1865 )が製作した、このヴァイオリンに出会ったからです。

この楽器は 製作されてから まだ150年程しか経っていませんが 表板、裏板ともに肩の位置などにキズ状の加熱痕跡があったり、顎当て部と右肩部にも大胆な加工がしてありました。

私はそれまでもキズ状のものは全て確認するようにしていましたが、”オールド” に入っているその数は『 数えきれない‥』と思うこともしばしばでした。

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
Cremona 1791年 “ex Havemann”  [ Wurlitzer collection 1931 ]
( Photo : Jiyugaoka violin  1998年 )

オールド・バイオリンを目にした時、頭のなかに『 やはり300年くらい前の楽器は、現代まで受け継がれる間にはひどい目に遭ったはずだから‥』という発想をもつと 単純な思い込みに陥るようです。

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
“ex Havemann” ( Bein & Fushi inc. 1981年 )

その私が はじめてオールド・バイオリンのすり減ったりキズ痕だらけの様子に『 あれっ?』と違和感を感じたのは、26年以上前にクレモナ派の実質的な最後の継承者である G.B. チェルーティが製作した このヴァイオリンを扱ったときでした。

このヴァイオリンは モーツァルトが死去した1791年にクレモナで製作されたもので “ex Havemann”のニックネームを持っていて、すでに 1931年には ニューヨークのウーリッツァー商会が出版し公表した有名なウーリッツァー・コレクションに 写真付きで掲載されている名器です。

私が目にした1998年は、この楽器が 1791年に製作されてから 207年ほど経っていたわけですが、私の知っている どの G.B. チェルーティより”キズ痕”が多い上に、それらは人為的につけられた気配が濃厚でした。

なお、このヴァイオリンには 1939年に発行された レンバート・ウーリッツァー社 ( Rembert Wurlitzer Co.、) の写真添付の正式な鑑定書もついていて、その時点での様子をある程度は推測できました。

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
“ex Havemann” ( William Moennig & Son   1958年 )

また、この他にもフィラデルフィアの著名ディーラーだった ウイリアム・メーニック ( William Moennig & Son ) が 1958年に発行したものと、シカゴの Bein & Fushi inc. が 1981年に発行したものも含めて鑑定書はあわせて3通も付いていました。

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
Cremona 1791年 “ex Havemann” ( Rembert Wurlitzer Co. 1939年 )

それで私は このヴァイオリンの”キズ痕”を順に確認してみました。もちろんですが 1998年は製作されてから 207年、1981年は 190年経過を意味し、1958年は 167年で 1939年は 148年、そして 1931年は 140年しか経っていなかった‥  ということを踏まえた上での話です。

.            1998年 ( 207年経過 )                             1981年 ( 190年経過 )

       1958年 ( 167年経過 )                                  1939年 ( 148年経過 )

さすがに 1939年や 1931年の写真では 外周部がだいぶん不鮮明ですが、それでも駒やF字孔周りの加熱痕跡はしっかりと写真に捉えられていました。

では‥ このイタリア、クレモナで1791年に製作されたこのヴァイオリンの「キズ痕」はいつ入ったのか?

ヨーゼフ・アントニオ・ロッカ( 1807-1865 )のヴァイオリンに出会ったのは、私が  G.B. チェルーティ作のヴァイオリンと出会った後で さらに5年程の歳月があり、その間にも多くのオールドやモダンの弦楽器を目にしたことによって”製作時にはじめから入れられていた”という結論を探っていたタイミングでした。( 抜粋終了 )

下に その Guarneri del Gesù ( 1698-1744 ) Violin, “Carrodus” 1743年のヘッド写真と Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 ) Violin, “Wurlitzer collection-Ex Havemann” 1791年 のヘッド写真を並べました。

そして その右にはマントヴァ派の名工 ステファノ・スカランペラの下で製作を学び工房を受け継いだガエタノ・ガッダ ( Gaetano Gadda 1900-1965 )が 1925年頃に製作したヴァイオリン・ヘッドの写真を置きました。

この 1925年頃製作されたヴァイオリンも、私がヴァイオリニストに販売したものですが、初めて目にしたときに『おそらく前者の、どちらかのモデル‥』と推測しました。

弦楽器製作者が このレベルの模倣をした意味は大きいと、私は考えます。

そういう意味でも Guarneri del Gesù Violin, “Carrodus” 1743年は、音楽史にとって重要だと思います。

Andrea Amati ( ca.1505-1577 )   Violin,  Cremona  1555~1560年頃

それから、もう一つの黒歴史を挙げておきたいと思います。
日頃から 私は “コーナー先端部の非対称性”についての確認をお奨めしています。

なぜなら、オールド・バイオリンやオールド・チェロでは それらの関係性が 響胴の共鳴現象を誘導する”ねじり”の要となっていると思っているからです。

Andrea Amati ( ca.1505-1577 )   Violin,  Cremona  1555~1560年頃

先ずは、それを見てください。上図で R1L1 、そして R2L2 とした「一対」の要素をもつ裏板コーナー先端部の面積差と、エッジの摩耗加工の様子をならべ、その下には他のヴァイオリンを列挙しました。

Andrea Amati ( ca.1505-1577 )   Violin,  Cremona  1555~1560年頃

Andrea Amati ( ca.1505–1577 )   Violin,   “Ex Ross”   1570年頃

Gaspar da Saló ( ca.1540-1609 )   Violin,   Brescia   1600年頃

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )   Violin,  “Lady Jeanne”    1731年

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )   Violin,   “Carrodus”   1743年

観察ポイントは、コーナー先端横の狭隘部にいれた左右の赤点の上下位置関係とそこからの垂線( 赤線 )の外側に突き出た幅、そして水平補助線( 黒線 )から突き出た高さから 相対的に小さくされている様子を観察するだけです。

そして 次に、 裏板を俯瞰しながらコーナー先端部を比較するためにヴァイオリンを年代順にならべました。


Andrea Amati ( ca.1505–1577 )  Violin,  “Ex Ross”   1570年頃

多数のオールド弦楽器を観察すると、 R2 コーナー先端部が相対的に小さくされているのが 裏板のトレンドと考えることができます。 ( R1 が最小の場合もそれなりあります。)

Gaspar da Saló ( ca.1540-1609 )  Violin,  Brescia  1600年頃

 

Andrea Amati ( ca.1505-1577 )   Violin,  “King Charles Ⅸ”  Cremona  1566年頃

Jacob Stainer ( 1617-1683 )  Violin,  Absam ( Tirol )  1655年頃

Giovanni Grancino ( 1637-1709 )  Violin,  Milan 1702年頃

Giuseppe Guarneri ( 1666-1740 )   “filius Andrea”   Violin, 1703年

Carlo Tononi ( ca.1675-1730 )  Violin,    Bologna 1705年

Antonio Stradivari ( 1644-1737 ),  Violin   “Tartini – Lipinski”  Cremona   1715年

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )  Violin,  Cremona
“Goldberg-Baron Vitta”  1730年頃

Antonio Stradivari ( 1644-1737 ) Violin,   “Lady Jeanne”  Cremona   1731年

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )  Violin,   “Posselt – Philipp”  1732年

 

Andrea Castagneri ( 1696-1747 )  Violin,  Paris 1742年

Camillo Camilli ( ca.1704-1754 )  Violin,  Mantua  1750年頃

Joseph Klotz ( 1743-1829 )  Violin,  Mittenwald  1760年

Tommaso Balestrieri ( ca.1735 – ca.1795 )  Violin,  Mantua  1770年Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 )  Violin, Turin
1845-1850 年頃

Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 )  Violin,  Turin  1850 年頃

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  Violin “Lady Jeanne” 1731年

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )   Violin,   “Carrodus”   1743年

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )   Violin,   “Carrodus”   1743年

このようにヴァイオリン型の弦楽器は 黎明期からずっと、響胴のコーナー部の剛性差を工夫することで”ねじり”が俊敏になるように製作され続けました。

■  1855年  Jean-Baptiste Vuillaume ( 1798-1875 )が “Messiah violin, 1716″を Luigi Tarisio ( 1796-1854 )の遺族から購入したとして、店の ガラスケースに入れ展示をはじめました。

The world’s most valuable violin? The Messiah Stradivarius
0:57 ” 1716 ‥ It is the only as new Stradivarius ‥”

STRADIVARI’S FABLED “MESSIAH” THREE CENTURIES ON: THE MOST CONTROVERSIAL VIOLIN IN HISTORY?上記の事実により、私は このヴァイオリンは 1854年頃に製作されたものと判断しています。

It was donated to the Ashmolean Museum in 1940 by the firm of W.E. Hill & Sons to become a benchmark for future makers.

“Messiah Stradivarius  1716”  Forged Nails and Round head wood screw

“Messiah Stradivarius  1716”  Forged Nails and Round head wood screw

Jean Baptiste Vuillaume ( 1798-1875 ) Violin, No.2209
“Ex Hubermann” 1856年

“Round head wood screw” Jean Baptiste Vuillaume ( 1798-1875 ) Violin,  No.2209  “Ex Hubermann” 1856年

“Round head wood screw” Jean Baptiste Vuillaume ( 1798-1875 ) Violin,  No.2209 ” Ex Hubermann” 1856年

 

“Forged Nails and Round head wood screw” J.B.Vuillaume ( 1798-1875 ) Violin, No.2209 “Ex Hubermann” 1856年  –  “Messiah Stradivarius 1716”

“Messiah Stradivarius 1716”  Forged Nails and Round head wood screw

因みに 個人的なことで恐縮ですが、私は この音響的判断基準に関して、上左のオールド・バイオリンの “摩耗部”を観察していて 初めてこれらは 製作時のパティーナ加工であると確信しました。

私もその時まで、ヴァイオリンや チェロの表板、裏板のふちは ヨーロッパの街を囲む城壁のように一定の高さを持たせて連続させてあると思っていました。

ところが、実際のオールド・バイオリンなどでは 赤印を入れた位置のように、 摩耗したかのように削ってあったり、別の木片で継ぎがしてあったりすることに この裏板を観察していてやっと思いが至ったのです。

ともあれ、”伝承”に誤りが混入したことは残念でしたが、 インターネットで情報が共有できる時代となりましたので 訂正されるのは時間の問題だと 私は予想しています。

 

Joseph Naomi Yokota

May 14, 2025 10:12   

Varnishing process
Step 15

“Iron mordanting”
Iron mordant is a method of dyeing wood black by reacting iron with tannins.
When the iron in the iron mordant solution penetrates the wood, it reacts with the tannins in the wood, gradually changing the color to a dark gray.
When using iron mordant, care must be taken to maintain high “fastness.”
So when dyeing, it is important to use a dark color.


The iron mordant process began yesterday.

Test coating with 5% aqueous iron mordant solution.
After a year and a half, it has become transparent.

After a few years, it was iron mordanted so that it would look like this cello.
Traces of iron mordant create a transparent navy blue image.
GIOVANNI GRANCINO ( 1637-1709 ) Cello, Milan 1690年頃

 

Joseph Naomi Yokota

May 12, 2025 15:22

Varnishing process
Step 6

The process up to this point is similar for both the modern and old types.

The next step is where there is a big difference between the old and new varnishing.

 

Joseph Naomi Yokota

May 6, 2025 12:19

満月になる1日前の”14番目の月”に浸るような作業です。弦をゆらし、響きを確認しながら…  響胴の中にあるネック・ブロック付近にあたる裏板を削り込んでいます。

“Guarneri del Gesù”( 1698-1744 )   Cello, “Messeas” 1731年

Nicolò Amati ( 1596–1684 ) Cello,  “Herbert” 1677年

“Old Italian Cello” 1700年頃 (  B. 735-349-225-430 )

基本は響胴の”ねじり”の調整ですので、多少は下部のエンドピン・ブロック部裏板にも工夫を加えますが、メインは上部です。

この工程で”このチェロの響き”を決定します。ですから、難易度が最も高い作業と言えるかもしれません。

“The final adjustment zone for the sound”
The cello is carved in while being played.

This is the “finishing process” of the initial plan.

May 7, 2025  10:59

私は、表板や裏板を 多層構造のペンデンティブドームの集合体と見なし、下層のペンデンティブと 上層ドーム の接合部窪み等で上図点A、点Bのように 任意の対とする工夫で その付近の剛性が下げられ、ネジリが誘導されていると理解しています。

オールド弦楽器では ドーム部が 響胴のねじりを阻害しないように 中央から微妙にずらしてあり、このような音響加工は その不連続面の合成線である谷線や、尾根線上などの要所に見ることができます。

Andrea Guarneri ( 1623-1698 ) Violin

“Guarneri del Gesù”( 1698-1744 )   Cello “Messeas”, Cremona 1731年

“Guarneri del Gesù”( 1698-1744 )   Cello,  “Messeas” 1731年

“Old Italian Cello” 1700年頃 (  F. 734-348-230-432 /  B. 735-349-225-430 / stop 403 / ff 100-167-231 )


Andrea Guarneri ( 1626-1698 ) Violin, Cremona 1658年頃


Andrea Guarneri ( 1626-1698 ) Violin, Cremona 1658年頃

Antonio Stradivari( ca.1644-1737 )  Violin, “Loder” 1729年

“Aus der römischen Schule” um.1780  L.354-161-101-202 Hamma & Co.

“Aus der römischen Schule” um.1780  L.354-161-101-202 Hamma & Co.

 

Nicola Gagliano ( ca.1710-1787 )  Violin,  Napoli 1737年

Giovanni Francesco Pressenda ( 1777-1854 ) Violin, Turin  1837年

Santo Serafin ( 1699-1776 ) Violin, Venice 1720年

Santo Serafin ( 1699-1776 ) Violin, Venice 1720年

“Guarneri del Gesù”( 1698-1744 )   Cello “Messeas”, Cremona 1731年

Nicola Gagliano ( ca.1710-1787 )  Violin,  Napoli 1737年

ですから、一見すると不可解とも思える アーチの不連続形状や、これらの加熱した治具などでつけられたキズは 塗装直前の最終段階で、演奏しながら… 響きやバランスを検討して施されたものと考えます。

“Old Italian Cello” 1700年頃 (  F. 734-348-230-432 /  B. 735-349-225-430 / stop 403 / ff 100-167-231 )

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 ) Violoncello, “Messeas” 1731年

 

Joseph Naomi Yokota

May 4, 2025  13:42 

We decided to change the cross-sectional shape of the wood pin from the initial plan.

I am currently learning from an old cello, which I am using as a reference for my cello making.

“Old Italian Cello” 1700年頃 (  F. 734-348-230-432 /  B. 735-349-225-430 / stop 403 / ff 100-167-231 )

 

“Old Italian Cello” 1700年頃 (  F. 734-348-230-432 /  B. 735-349-225-430 / stop 403 / ff 100-167-231 )

It is important that the cross section of a wood pin is an irregular shape close to a hexagon, rather than round or square.

May 4, 2025 18:59
Hardwood pins were embedded in a “playable cello”.

Now we will check the difference in sound between having and not having hardwood pins.

May 6, 2025  12:19
   

Hardwood pin in Neck block  /  Hardwood pin in Endpin block

May 4, 2025 1:02

The bridge for the cello is finished.


2023.6.08  “JIYUGAOKA VIOLIN”, Cello Bridge.

私は、皆さんに‥ 私自身が 過去に試みた実証実験をお勧めしています。

それは、市販のチェロ駒で ハート穴の中央に垂れている “Heart wing” 狭隘部( 下右図 P幅 )を 揺らしてみては少し削り込む作業を繰り返しながら2.9mm以下まで削るものです。

市販のチェロ駒 “AUBERT-DE LUXE” フレンチ・モデルは初めは( 下左 4.5mm / 23.4g  )『軽く感じる駒』なのですが、弦高を合わせてから( 16.8g )、”Heart wing”狭隘部の削り込みを重ねる度に、次第に 水平に保持した指に感じる重さが増していき ます。( 下中央 2.4mm / 14.9g )

実際の質量は 削った分だけ軽くなっていく訳ですが、水平に保持した時の印象が 逆に『重く感じる駒』に変化していきます。

   
2023.6.08  “JIYUGAOKA VIOLIN”, Cello Bridge.

駒を削る技術は”木”と対話し その個性を活かすことが重要で、それは一本の年輪( 赤線 )を、どの位置で終わらせ、この年輪が作用しない区間 A-Bを その年輪全長の どの位置に置き、対となる残された年輪C側と 年輪D側の長さの差や、その下に連なる足部にどのようなキャラクターを与えるかという発想から展開されるものだと思います。

先ずは、駒を揺らして得られたイメージから推測し、たとえば 年輪が作用しない区間 A-Bの距離条件に置き換え、『この年輪を あと0.2mm削って、点Aを左に移動し年輪が切除された区間を13.8mmまで広げて、ねじりを増やそう・・ 』などと構想しながら作業を進めると音響的に優れた駒に辿りつけるようです。

 

Joseph Naomi Yokota