私が 『 思えば 遠くへきたもんだ … 。』 と 感じる時は … 。

2011-1-12  18:00

日本郵船で外国航路の貨物船の船長さんをやっていた家内の父から 「 計算尺 」がいかにすばらしいかという話を聞いたことがあります。 その話のなかで 会社が備品として船に配備したギア式計算機のことを教えてもらいました。 1950年代の体験談ですから おそらく ヴィルゴット・オドネル ( 1845 ~ 1903 )が 1874年に発表した「 オドネル計算機 」を元に 大本寅治郎氏が製作した「 タイガー計算機 」や、ユダヤ系オーストリア人の クルト・ヘルツシュタルク ( 1902 ~ 1988 )がブーヘンヴァルト強制収容所を生き抜いたのち 1948年にリヒテンシュタインで製作した 「 クルタ計算機 」あたりのことだと思いますが 『 計算尺とくらべて スピードがかなり遅い!』 ということで 60年代にはほとんど使われなくなったそうです。

1987年の「 ワープロ 」 の広告も 一昨日「 成人式 」の年齢を迎えた人には ” 化石時代のお話し” でしょう。

これは写真技術についても いえるかもしれません。 私は学生の頃に むかしのカメラマンが ” レンガ ” を振った話を聞いたことがあります。  そうして 私がもったフィルム式カメラの写真撮影には 「 困難 」のイメージがはりついていました。私が仕事の関係で 1988年当時に フルセット( 交換レンズ2本 )で17万円を越えた ミノルタ社製のオートフォーカス・一眼レフのカメラを購入したのも 藁にもすがる思いがあったからです。 それでも ピントが合っていて資料価値のある写真を撮影するのが難しい状況は続きました。 当時の答えは 『 とにかく枚数をこなすこと!』でした。

現在、私の工房では そうして撮影した写真の内で 製作中に参考にできるように選んだものが作業机の左横にケースにいれて並べてあります。 これはすべて 「 お店プリント 」で 1998年にデジタル一眼レフカメラに持ちかえた後も 2005年に機能が十分なプリンターを購入するまで続きました。  バイオリンやチェロで1回で 120枚、オールド弦楽器で240枚を 撮影しすべてプリントしては10%程度の 『 これは… 。』 の写真だけ選び資料としたものですから ありがたいものですが、残りの90%の「 お店プリント 」が 工房のそこ此処に残ることとなりました。 この当時1ヶ月あたり 十数万円を「 お店プリント 」にかけていましたので、家内とたまに眺めては溜め息をついています。 因みに作業机の横にある写真でもスキャンしてデジタル化できたのは 時間の都合でまだ 2~3%程度です。 この分では必要な写真をデジタル化するには10年以上かかるかもしれません。 そして、その頃には 紙の写真は『 化石時代 』 の 「 昔話 」のひとつになっているのでしょう … 。