1.  チェック・ポイント 

” ヴァイオリン ”は 2種類に分けられます。 

  17世紀と18世紀に数多く作られた名器と後の楽器は性能が全く違います。ヴァイオリンを多少弾いた事がある位の人でも比べればすぐに分かります。まず ”音”の立ち上がり(レスポンス)がびっくりするほど素早いです。これは試奏すれば最初の2、3秒でヴァイオリンに添えた左手に伝わる振動が信じられないほど細やかなのと併せて『おぉーッ!』と思います。試奏する人が次にショックを受けるのが音程が明瞭で合いやすく高い音域を鳴らしても”息苦しさ”をほとんど感じさせない鳴り方をすることです。そして、もっと試してみると調整状態が良ければ大きなホールの遠くの客席まで”音”が届く事を知ります。そして試奏の初めからずっと”甘い音色”で鳴り続けてくれます。方や『どうして…?』の差があります。
 

 そこで、私はこの性能の違いを見分ける方法をお話しようと思います。
まず一つめのチェック・ポイントは名器のF字孔には今でも弦楽器に刻まれている ” V字形の刻み目” ( the notch )の他に”刻み目”(the nick)や ”焼痕”が見られる場合が多いことに着目しましょう。実例として10台の弦楽器のF字孔を挙げます。

   

 現存する16世紀の名器は希少なので 2006年にクレモナで開催された ”The Amati’s DNA” 展覧会カタログの61ページにある1595年に アマティ兄弟が制作した ”Tenor viola reduced” のF字孔を使用させていただきます。 左F字孔の “V字形刻み目”のすぐ下に “刻み目”が入っています。

 

 前のページと同じくアマティ兄弟のすばらしいヴァイオリンの画像がシカゴのDARNTON & HERSH FINE VIOLINS のホームページ( www.darntonhersh.com )に掲載されていましたので参照のため挙げさせていただきます。左右のF字孔の”V字刻み目”の下に”刻み目”が入っているのがはっきりと見えます。 このヴァイオリンはAndrea Amati( c.1505~1577 )の息子である Antonio( c.1540~1607 )と Girolamo( c.1561~1630 )の兄弟によって制作された名器だと 私も考えます。  興味深いのは このヴァイオリンが作られた1624年頃は Girolamoの息子の Nicolo( 1596~1684 )は29歳で同じ工房で仕事をしていたという事実です。 

 イタリアのクレモナにおける弦楽器制作にとってJ.B.チェルーティ(1755-1817)が最後の名工として知られている事は先にふれましたが、私が1997年に扱ったヴァイオリンが彼の代表作だと考えています。モーツァルトが死去した1791年にクレモナで制作されたもので ”ex Havemann ” のニックネームを持っている名器です。これは1931年にニューヨークのウーリッツァー商会が出版した有名な ”ウーリッツァー・コレクション”で数多くのリスト掲載だけのガルネリ、ストラディヴァリウスが並ぶなかで著名制作者代表作として写真付きで掲載されている数台のひとつで、J.B.チェルーティの最良の楽器とされています。注)1  残念ながら私が撮影したこの写真は “ex Havemann ” の細部を確認しにくいので Bein & Fushi inc. の鑑定書に添付されている写真を“刻み目”と”焼痕”を見るために二枚並べて掲載してあります。

 注)1 因みに鑑定書は3通で1939年のThe Rudolph Wurlitzer Co. と 1958年のフィラデルフィアの著名ディーラー William Moennig and Son そして 1981年にシカゴのBein & Fushi inc.が発行したいずれも写真添付の正式なものです。

 F字孔周りの”刻み目”や ”焼痕”は響の調整痕です。  当然ですがストラディヴァリにも入っています。 例として Antonio Stradivari ( c.1644-1737 )の1712年制作 ” Schreiber ” の写真を 1972年にニューヨークで出版された ” Violin Iconography of Antonio Stradivari ” の417ページより引用しました。注)1  この写真では“V字形の刻み目”の他にいくつも”刻み目”や”焼痕”が確認できます。因みにこのヴァイオリンが1991年 4月に CHRISTIE’S/Londonのオークションに出品された時のカタログ写真をに貼っておきます。

注)1 またこのヴァイオリンは1945年にシカゴで出された ” How Many Strads ” の169ページにも掲載されています。そのほかにこのストラデイヴァリは1870年頃 Wieniawskiが弾いていた事や、1968年から72年まで Pinchas Zukermanが使用していたことが知られています。   このストラディヴァリが振動する様子はミュンヘン近郊の街 シュトックドルフ(  Stockdorf,Munchen GERMANY  )に弦楽器工房を構えるMartin Schleskeさんの ホームページwww.schleske.com. で ① ドイツ語 ( Deutsch )だと 右側メニューの上から4つめ ” Schwingungsanalyse ” で、② 英語 ( English )だと右側メニューの上から5つめ ” Vibration analysis ” を開くと276ヘルツから2060ヘルツまでの動きが横方向1倍対 縦方向100倍のグラフィック動画として見る事ができます。

【  後ほど説明することにしていますが ”変換点(楽器の振動が音波に変わる場所)”の説明が解りやすくなりますので一度ご覧になることをお薦めします。 】             なお ”焼痕”は焼いた針や釘状の工具を押し当てて付けられています。

 ストラディヴァリの”刻み目”(the nick)で思い出されるのがワシントンのスミソニアン博物館 www.si.edu/guides/japanese.htm に展示されているヴァイオリンです。 クレモナの街の中央部にあったサン・ドメニコ教会のすぐ近くにある師匠のニコロ・アマティ工房から4軒隣に 兄弟子であるアンドレア・ガルネリが工房を構えたのが1654年で、その26年後の1680年にその隣に36歳となったストラディヴァリは工房を持ちますが  その前年の1679年に制作した 注)1 楽器で”Parera” のニックネームで呼ばれています。 この写真は横山進一さん撮影で1986年に学研より出版された ”The ClassicBowed Stringed Instruments from the Smithsonian Institution” の24ページより引用させて頂きました。 私はこのヴァイオリンを35歳の熟練制作者のストラディヴァリが渾身の力を注いだものと思っています。左側F字孔の外側下部に”V字刻み目”と同じ大きさで切り込まれた”刻み目”(the nick)が 凛としている様子には凄みすら感じられます。

 

注)1 このヴァイオリンが作られた時ニコロ・アマティは84歳で息子のジロラモ・アマティⅡは30歳、そして隣人のアンドレア・ガルネリは53歳でした。 因みに5年後の1684年にニコロ・アマティは89歳で亡くなります。

 さて、6台目のヴァイオリンですね。 私が”刻み目”を本格的に調べ始めるきっかけとなったのが ジロラモ・アマティⅡ(1649~1740)が 1692年に制作したこのヴァイオリンでした。 この楽器には1949年ロンドンの William E. Hill & Sonsの鑑定書と 1994年の Peter Biddulph が作成したものが付いていましたが、それより嬉しかったのが Stuttgartの著名なディーラーだった Walter Hammaが 1964年に出版した ”Italian Violin makers ” 通称ハンマー・ブックの40ページに掲載されているという事実でした。 注)1   1996年のことですが取り扱って3カ月ほどたったある日 ハンマー・ブックでF字孔に”刻み目”が入っているのに気付きショックをうけました。 私の工房にこのアマティが届いたときにはすでに”刻み目”は丁寧に埋められており、その”痕”を見落としたことを32年以上前の写真を再度見てやっと気付いたからです。 私は不注意を反省した後で考えました。 それまでは 他の楽器でも 「ふぅーん…。”刻み目”があるな…。」程度しか考えていませんでしたが 「もし、弦楽器の ”響”の調整痕だとしたらどういう”仮説”が成立するか?」と 「弦楽器の名器での”刻み目”や”焼痕”の”出現率”はどれくらいか?」の 2つのテーマでした。

 注)1 実際に この時 初対面のウィーン・フィルのヴァイオリニストに 『いまどういう楽器をあつかっている?』と質問されて 「ハンマー・ブックの40ページの 1692年もののアマティが在りますよ。」 と答えたら 『オー、その本は自分も持っていて よく眺めているので分かる。ジロラモの立派なグランド・パターンだ!』 と即答されたほどでした。

 

さて7台目に ストラディヴァリと並び称され ”デル・ジェズ” のニックネームを持つ Bartolomeo Giuseppe Guarneri( 1698~1744 )の場合を見てみましょう。  先にふれましたが 祖父である Andrea Guarneri( 1626~1698 )がサン・ドメニコ教会の斜向かいに 1654年に工房を構え、そこで生まれた 父 Filius Andrea Guarneri( 1666~1744 )もその生涯をここで過ごします。  この Casa Guarneri では兄の Pietro Guarneri  “ of Venice “ ( 1695~1762 )が 1718年に24歳で独立するまで仕事を続け、弟である Bartolomeo Giuseppe も 1722年に 25歳で自立のために出て行くまで仕事をしていたと考えられます。注)1  この後、本格的な制作活動に入った Bartolomeo Giuseppe Guarneri は多くのヴァイオリンを1744年に亡くなるまで制作し続けます。  写真のヴァイオリンは 彼が他界する前年の 1743年に制作され ”Carrodus” と呼ばれる ”デル・ジェズ”の代表作の一つです。注)2  これにも 左F字孔の外側上部に “V字刻み目” と同じ大きさの ”刻み目” が付けられています。                     

注)1 因みに、この時 父 Filius Andreaは56歳で お隣に住むAntonio Stradivari( c.1644~1737 )は78歳、息子のFrancesco Stradivari( 1671~1743 )52歳で Omobono Stradivari( 1679~1742 )が44歳、そして4軒隣のアマティ家の当主である Girolamo Amati Ⅱ( 1649~1740 )は73歳となっていました。

注)2 写真は1998年に Peter Biddulphがロンドンで出版した25本のデル・ジェズを実物大の写真(A3)で掲載した “ Giuseppe Guarneri del Gesu ” の1巻132ページより引用しました。

 さて現在 Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698~1744 )が制作した”デル・ジェズ”の代表作といえば 2009年10月に$10,000,000-( 約9億1千万円 )でアーロン・ローザンドが ロシア人富豪に譲渡した 1741年制作の ” Kochanski ” が最初に挙げられます。注)1     8台目の参照楽器としてこの ”Kochanski ” が作られた前年の 1740年に制作されたと考えられるヴァイオリンを挙げます。  これは35年前に東京芸術大学の先生が使用していたもので “ガルネリ・デル・ジェズ” の特徴をはっきり持っています。  4ヶ所の”刻み目”( the nick )は”V字刻み目”と同じほどの大きさで刻まれています。その他にも よいレスポンスと響を生みだす為に制作技術において重要な意味をもつ工夫が見られます。

 注)1 1948年に21歳だったローザンド( Aaron Rosand )がヴァイオリニストとしてデビューした時から およそ60年におよぶ演奏活動を支えた名器で、Bartolomeo Giuseppe Guarneriが制作したヴァイオリンのなかで最高傑作のひとつと言われています。

    さて ”刻み目”や ”焼痕”が名器に入っている写真の締めとして有名な ロシア( ソ連 )が保有する名器の展示会カタログ( 1988年 “ The State Collection of the Soviet Union ”  )より 1725年製のストラディヴァリと、1998年にロンドンで Peter Biddulph が出版した原寸大写真集 ” Giuseppe Guarneri del Gesu “ の108ページより1741年 ” Kochanski ” のF字孔を見てください。

  左端のモノクロ写真は Walter Hamma が1964年に出版した ” Italian Violin makers ” の421ページより引用させて頂きました。