2. 黒色顔料を 見ましょう。 

チェック・ポイント 2

前のページまで見ていただいた ”刻み目”は 表板の振動面積を区切ったりするために駆使されていて ”節”がF字孔に入る場所に刻むことで”節”の役割を強めるための工夫の後です。 それは主に制作者が楽器を組み立てた後で 最後に「 音を出しながら 」”響”を調整した時に入れられたものです。 これは弦楽器の制作技術のなかで 最高レベルの”技”のひとつです。 チェツクポイントとして挙げたのは調べてみると贋作では 「ためらい」が見てとれる仕上げや 手を付け切れなかった楽器が多く、F字孔に “刻み目”や “焼痕”があるのは一見して分かる特徴ですが 名器の証しである場合が多いのです。 このほかにも F字孔の辺りには 美しい響が得られるように多くの工夫がされています。
2つめのチェツクポイントは 「 重たい金属性の顔料が使われているでしょうか?」です。 これを巧く使うと「 キラキラ音 」が出やすくなります。注)1  すでに前のページのF字孔画像にも書き込んでありますが F字孔の上下に突き出した部分に“黒っぽい顔料”が塗布してあって、最も高い音域を担当する尖った部分が擦り落とされていますね。 尖端に比重0.43のスプルースがいて、その揺れを受け止めるつけ根(ベース = 節)側は 比重7.65に応援されて“より動きにくい”状態が用意されているのです。 これも弦楽器の制作技術の最高レベルの “技”のひとつです。 それでは“差が大切”ということを念頭にして実際の使用例を見てみましょう。

注)1 名前は 黒辰砂(硫化第二水銀)といいます。 4℃で1g/㎤の水と比べた“比重”は 7.65もあります。 ほとんどの楽器でつかわれている原理は 『 “動かない場所”(the base = 節)のすぐ近くで周期的な震えを発生させることで音は得られる。』 ということです。 そして『 “動かない場所や動きにくい場所”(節)と“動きやすい場所”(腹)の差があればある程“倍音”が豊かになる。』 という現象も取り込まれています。 ヴァイオリンなどに使われている材木は 表板のスプルースが比重0.43 (全乾比重)で裏板や側板に使われる楓は比重0.7 ぐらいで、この表と裏側の比重差で上音が増えるように合わせてあります。 例えば裏板に楓ではなく 比重が0.75~0.82 のローズウッドで組めば高音域のキラキラ感が増えますが ヤング率で示される曲がりやすさがはっきり違いますので低音域がかなり失われます。  “内部摩擦”という言葉がありますが部材が動きにくいと想像以上に弦振動のエネルギーが“音”になる前に 「材料に食べられてしまう。」からです。 そこで重たい粉末の顔料が選ばれた訳です。

前出の“デル・ジェズ”のヴァイオリン“ Carrodus ” 1743年のF字孔です。 黒っぽい顔料の黒辰砂が塗布された部分は少し不透明な景色です。 この濃淡が “音”のクオリティーを上げるために制作者が磨きながら顔料を残留させる量を決めた痕跡です。 私が指摘したF字孔の先端部の磨き込みはご覧のとおりです。 下側の突き出した部分は 左側がメゾ・ソプラノで右側がソプラノ担当なので擦り落としとしてある量が変えてあります。  参照 :  ” Jarnowich “ 1741年

弦楽器の中には チロル系( オーストリア インスブルック近郊 )の製作者によるものを筆頭に 黒辰砂を楽器全体に塗布したあとで必要なゾーン以外を擦り落として仕上げられた楽器があります。  このクロッツも 注)1    よく保存されたオリジナルの塗装が製作者の意図や息遣いまで感じさせます。

注)1 このヴァイオリンは Joseph Thomas Klotz ( 1743~1809 )が 1785年頃 ドイツ、ミッテンバルトで制作したものです。 Mittenwaldは ドイツとオーストリアのチロル地方を南北に分けるように横たわる バイエルン・アルプスの切れ目に位置し、国境から6㎞の街です。 街のすぐ東にはガーヴィンデル山があり 南東方向に直線で20㎞でインスブルック、約45㎞北西にフェツセンがあり 北北東方向にあるバイエルンの中心都市ミュンヘンまで約70㎞で、中世以来ヴェネチアから皇帝都市ニュルンベルクやアウクスブルクとの交易ルートの街として重要な役割を果たしました。 そしてここはヴァイオリン製作家 Mattias Klotz ( 1656~1743 )の街としても知られています。 彼はチロル地方 Absamの Jacob Stainer( 1621~1683 )のもとで弦楽器製作を学び シュタイナーの没後1683年頃に帰郷し“ 30年戦争” ( 1616~1648 )のあと疲弊していた街をヴァイオリン製作で復興したことで知られています。 マティアスの4人の息子のなかで最も有名となった Sebastian Klotz ( 1696~1768 )の息子が Joseph ThomasKlotzです。  この3人の他にあと8人の Klotz がいて、このMattias Klotz にはじまり 4世代に渡りヴァイオリン製作を続けた 11人を Klotz family と呼んでいます。

モーツァルトの生家に展示されている彼が使用したヴァイオリンは 1746年製の分数サイズと 同時期に製作されたフルサイズのどちらも F字孔周りやスクロール部、指板下とテールピース下に黒辰砂が使われているのがわかります。注)1   画面下側の製作ラベルが残っているヴァイオリンは ウィーンに生まれ1720年から1764年にかけてザルツブルクで弦楽器を製作した Andreas Ferdinand Mayr が製作したとされています。

注)1   現在大量に使われている人工顔料や人工色素の歴史は意外と新しいそうです。  世界初の顔料として開発されたのは 1704年に ドイツ人のディースバハが開発した“ディースバハの青”とされていますし、人工色素は 1869年にドイツのグレーベがアリザリンを合成したことからなのは知られています。  因みに顔料や色素は開発されてすぐ普及した訳でなかったようです。  ひとつ例を挙げると油画で白色顔料としてよくつかわれる “ジンク・ホワイト”(酸化亜鉛)は フランスのクルトアが 1782年に製法を開発しましたが1845年に工業生産が始まった後に広まったと言われています。 これらの化学的に合成される顔料が登場する以前は、天然に出土する鉱物を粉にしたり熱を加えたりすることでつくられた顔料が使われていました。 古くはエジプト第11王朝(紀元前2050年頃)の時代に緑と青の天然鉱物が彩料として使用されたのが確認されていますが、本格的な利用は紀元前300年頃のギリシャでリード(鉛白)の作り方が知られていたり 天然出土の辰砂=朱/硫化第二水銀α態(バーミリオン)が使用されていたり 葡萄酒の搾りかすを乾燥炭化してブドウ炭(ノアール・ド・ビーニュ)として使用されていたあたりからのようです。 またこの時期のギリシャでは 瑠璃(ラピスラズリ)、黄土、琥珀(アンバー)が使用されていたことが確認できるそうです。 ヴァイオリンで使用されている顔料の硫化第二水銀β態である黒辰砂もこの2300年程前には天然顔料としての使用が増えたと考えられます。

 

 モーツァルトの生家に展示されているフルサイズのヴァイオリンの黒辰砂の量はおさえてあり写真の撮り方によっては目立ちませんがしっかり使用されています。 2009年の音楽祭で ジュリアーノ・カルミニョーラが演奏したあと携帯のデジタルカメラで撮った画像では残念ながら写りませんでした。