ボヴァリー夫人が憧れた 『 レース 』 を 知っていますか?

私ごとで恐縮ですが 28歳の時にいいものに出会える歓びを再び知りました。 それは 1988年の1月5日の正月のお休みのことでした。 私は気分転換に出かけようと イベント情報誌「 ぴあ 」を 何度も見返して 竹橋の東京国立近代美術館ではじまった 『 ブリュッセル王立美術歴史博物館所蔵 ヨーロッパのレース展 』 を見に行くことにしました。 たまたま 映画や他の催しに興味をそそるものがなく 『 レース編みに詳しい男性は ほとんどいないだろうから女性との会話で受けるかも …。』 といった程度の ひとり身男の『 邪 ( よこしま ) 』 な動機に拠りました。

そのような 『 スケベ心のなせるワザ 』で 地下鉄の竹橋駅から 近代美術館にでる階段をのぼり北の丸公園が見通せるお堀沿いの道路にでた直後に 『 … 帰ろうかな …。』 と思いました。 初詣の混雑と見まがえるほどの行列が美術館まで続いていたのですが すべて女性だったのです。 それでもよく見ると人混みの中に ちらほら男性の頭が見つけられましたが、 当然のようにカップルで 私のように男性が一人というのは皆無でした。 結局 迷いながらも 人混みに押されるようにして美術館のガラス張りの入り口までたどりついてしまいました。  それでも決心がつかなくて入り口横のガラス越しに中をうかがいながら 『 … 女子大学の中みたいだ … 、やっぱり帰ろうかな …。 』としばらく悩みました。 ひとり暮らしの独身男性がひとりですごす正月休みって寒さが身に沁みますよね… 。

もともとそれほど興味があった訳でもなく 『 レース編み 』 と 「 ぴあ 」で眼にしたときにルーブル美術館に収蔵されている43歳で亡くなったオランダ・デルフトの画家 フェルメール ( 1632~1675 )が 1664年頃制作したとされる有名な絵画が頭に浮ぶと共に、 大学生のときに読んだ フローベール( 1821~1880 )が 1857年に出版した『 ボヴァリー夫人 』で 主人公のエマが 田舎の医師シャルル・ボヴァリーと結婚するシーンで 『 黒いレース 』を身にまとうのが印象深かったので 『 あるかな?』 くらいの私でした … 。

迷った末に結局中に入ったのですがいきなり 『 お…っ!』と思いました。 入場してすぐの場所から 1646年にペーテル・ヴァン・リントが制作した絵画 『 芸術家の肖像 』と 絵画の中の男性の襟かざりと同一製品と考えられる 「 ボビン・レース 」で編まれた1600年代のフランドル製の「 ボーダー 」や、 コルネリウス・ジョンソン・ヴァン・ケーレンが1646年に描いた『 婦人の肖像 』 中と同じデザインで 1740~50年にかけてフランドルで編まれた「 ボーダー 」 などが 絵画とならべて展示してあったからです。 絵画とその中に描かれた 同時期で同じデザインの「 ボビン・レース 」や「 ニードルポイント・レース 」製品の展示はこのほかにも ヤコブ・ヴァン・リースブレイク作 『 バルタザール・モレチュニス3世の肖像 』 と 1660年頃フランドル地方で「 ボビン・レース 」で編まれた 絵画と同じ男性用襟という具合に何点もならんでいました。

ここでレース編みについての歴史に少しふれると、 レース編みの源流は1520年代のなかばに アントウェルペン ( フランドル )と ヴェネチアで 「 ボビン・レース 」が製造された事に始まるとされています。 とくに ライン川の河口地域では 1648年の 「 ウエストファリア条約」で北部7州がネーデルラント連邦共和国として独立し東インドを支配しポルトガルから香料貿易を奪い取ることで繁栄を勝ち取り、南部ネーデルラントは宗主国スペインにとどまりながらもハプスブルク家の干渉を受けたりなど時代の大変革にもまれながらも 1500年代の終わりから流行しはじめた3段4段の 「 ボビン・レース 」の 「 フレーズ 」( 円形のひだ襟 )などが盛んにヨーロッパ各地に輸出され、1600年代の終わりには 高価な「 ニードルポイント・レース 」より購入しやすい「 ブリュッセル・レース 」 ( ピエス・ラポルテ )が製造されるようになるとますます輸出量が増えることになりました。 先ほど触れました ヨハネス・フェルメール ( 1632~1675 )が 1664~1670年頃にかけて 現在ルーブル美術館に収蔵されている 『 レースを編む女 』 をデルフトのアトリエで描いたのもこういう時代背景があったからです。 そうして需要が高まった18世紀になると新しい製作技術を発案し本格的な生産をはじめる都市がヨーロッパのあちらこちらに出現し宮廷衣装のレース飾りや袖口飾りにはじまった流行はフランス革命の後は 都市部に住む女性のあこがれであるモードとして舞踏会や婚礼用のドレスやヴェールや帽子飾りなど多様されるようになりました。 最終的には 1830年頃にジャガード機構による生産がはじまり旺盛な需要に応える試みが続き 1870年以降になると、 一般に 『 レース 』 といえば 『 機械編みレース 』 を指すほどに普及していきました。

 

そして先ほどふれましたが フランス・ルーアンの外科医の息子として生まれた ギュスターブ・フローベール ( 1821~1880 )が 1851年9月から4年半かけて推敲したのちの1856年6月から12月まで文芸誌 『 パリ評論 』に分割掲載で発表し、 1857年の起訴と無罪判決を受け4月に出版した小説 『 ボヴァリー夫人 』のなかに出てくる 『 エマ・ボヴァリーが被った黒いレースのヴェール 』 を想わせる婚礼用ヴェールやショールも、しっかり当時のモード版画や家庭新聞の挿絵入りモードなどの資料とともに展示されていました。

私はこの小説 『 ボヴァリー夫人 』 をはじめは特に評価してはいませんでした。 『 写実主義 』だの 『 自然主義の先駆け 』などの評価があることには異論はありませんが、著者が25歳の時から恋愛関係となり8年後の1854年に絶縁状を送るまで付き合い ″ ミューズ ″とよばれた11歳年上の詩人 ルイーズ・コレの影が透けてみえる不倫小説くらいの認識でした。 小説中に登場する薬剤師のオメーのごとく 45歳の1866年にレジオン・ドヌール勲章を授与された作家に 『 平凡な現実を平凡なままに描く … 。』 といわれても、ちょっと … 。 ただ描写力の精緻さのなせるワザなのでしょうか 「 エマの婚礼場面 」のあたりでは、 舞台となるノルマンディ地方の田舎町 トストの景色が見えた気がしていました。

それからしばらくして1867年にイプセンが発表した戯曲 『 ペール・ギュント 』を 1876年のオスロの王立劇場で初演されたグリーグ作曲版に沿ったものとして聴きました。   これには少しばかりショックを受けました。 放蕩の限りを尽くした農家の息子ペールギュントが若者のとき妻を置き去るように旅にでて 長い旅の最後に歳をとり老女となった故郷で待ち続けたその″ 純情な女 ″ ソルヴェイの住む家にたどり着き、 彼女の胸にいだかれ子守唄に癒されながら永眠する … あんまりだ … と思いましたが、 その時ふと 『 ボヴァリー夫人 』 のエピローグで夫人が服毒自殺をしてはてた後に 夫のシャルル・ボヴァリーが 庭先でエマの遺髪を握りしめたまま頓死したことを思い出しました。 私は 直感で 『 イプセン( 1828~1906 )もフローベール( 1821~1880 )の影響を受けている …。』 と思いました。

そういえば … と 何度も読み返した オーストリア・ハンガリー帝国のプラハに生まれ40歳11カ月で死去したドイツ語作家のカフカ( 1883~1924 )はフローベールに強く影響をうけたことを思いだしたり、 同じく印象深い アルジェリア生まれのフランスの作家 アルベール・カミュ( 1913~1960 )が描く『 不条理 』にも同じにおいを感じるのを想い起しあらためてフローベールのすごさにやっと気がついたのでした。

そしてこの時にあらためて『 ボヴァリー夫人 』を読み返しましたので複雑な感覚と共に 『 エマ・ボヴァリーが被った黒いレースのヴェール 』の印象が なおさら私の中の深いところに残っていたようです。

こうして私は エマ・ボヴァリーが被ったであろう 『 婚礼用の黒いレースのヴェール 』 を 竹橋の東京国立近代美術館ではじめて眼にすることが出来ました。  私が この 1800年代の中頃のレースが展示されているエリアまで展示品をながめてきたころには、 心を込めて編まれた 『 レース 』 がどんなにすばらしいかに気づき少し興奮ぎみでした。

私の経験で恐縮ですが 『 人は見たいものや見るべき物や人に容易く会える。』 と感じていました。 ただそれには条件がある事にこの時に思い至ったのです。 ことばで言えば 『 ゼロ・スタート原則 』です。 人は思い込みで思考をショートカットするので多くの不都合にいたります。これをさけるには可能な限り思考を『 ゼロ・レベル 』から始めれば能力を発揮する機会がふえるという行動理論です。  因みに、このとき眼にしたすばらしいレース編みの数々は 私に物づくりの原点を目覚めさせるのに十分なクオリティを持っていましたし、23年ほど経た現在も 『 力 』をいただいています 。  またこの日の経験をときどき想い起し反省や修正をしながら 弦楽器の仕事をつづけてきました。 それほど私にとってとても貴重な経験でした。

そういうことで私は17世紀と18世紀に編まれたレースをご存知ない方には機会がありましたら美術博物館などで一度ご覧になることをお勧めしています。

注) 写真は東京国立近代美術館で開催された   『 ブリュッセル王立美術歴史博物館所蔵 ヨーロッパのレース展 』

1987年10月20日~12月6日 京都国立近代美術館  1988年1月5日~1月31日 東京国立近代美術館

の展覧会カタログより引用いたしました。