" クレセント・カット " など 驚異のスクロール加工技術のお話しです。

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先の投稿でチェック・ポイントとしてスクロールの非対称性の観察をおすすめしましたが、この加工技術についての例示をさせていただきます。 私はオールド・ヴァイオリンはスクロールの製作中に基礎的なバランスを設定して、それが完了した後に音を出しては削り込み加工を加える調整がなされていると考えています。

少し前のことですが私は ” National Music Museum The University of South Dakota ” のサイトで Antonio and Girolamo Amati が 1595年頃にクレモナで製作したとされるヴァイオリン  ” The King Henry IV ” のヘッド画像をみていて目が釘付けになりました。

” The King Henry IV  “ Violin by  Antonio and Girolamo Amati,   Cremona,   ca. 1595
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http://orgs.usd.edu/nmm/Violins/AmatiHenryIV/HenryIVAmatiViolin.html

National Music Museum The University of South Dakota 414 East Clark Street Vermillion, SD 57069


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” The King Henry IV
  “ Violin by  Antonio and Girolamo Amati,   Cremona,   ca. 1595

オールド・ヴァイオリンはじつに ” 自然 ” な加工がなされていますので、弦楽器などの専門家の方でも  『 このスクロールがどうかしたの? 』 と思われるかも知れません。 そこで下に拡大図をあげておきます。

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S” The King Henry IV  “ Violin by Antonio and Girolamo Amati,  Cremona,  ca. 1595
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Sこの段差を私は『 すばらしい!』と思います。
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” The King Henry IV  “ Violin by Antonio and Girolamo Amati,   Cremona,   ca. 1595
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私はオールド・ヴァイオリンのスクロールは 縁( へり )が ” 剛 ( ごう)” であることを強めるためにデザインされたと考えています。 そもそも楽器は動きにくい場所と動きやすい場所の差を工夫することで完成したものですが、ヴァイオリンのスクロールの場合も ” 剛 ” である場所と比較的に平らでゆれやすい場所を設定することで胴体の複雑なゆれとつりあう小刻みな振動を生んでいると私は考えています。

『 たかだか段差程度で … 。』と思われる方は実際にスクロールを少し削ってみれば その加工により音響特性が変化するのが体験できます。 それは 『 えっ! たったこれだけで … こんなに違うのか …! 』という結果になるはずです。
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オールド・ヴァイオリンのヘッドにはこうした工夫がいくつも用いられていますが中でも弦楽器のスクロールを人間の頭部に例えれば左後頭部をすり減ったように”三日月型”に削る加工痕跡は確認しやすいので 皆さんにおすすめしています。 私が  “クレセント・カット( Crescent cut )” と名付けた この削りは オールド・ヴァイオリンには高い確率で入っています。 もちろん楽器の個体差はありますがオールド・ヴァイオリンでは反対側( 低音側 )と比べれば差は一目了然な場合がほとんどです。


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アンドレア・ガルネリとは別の事例として写真家の横山進一さんが撮影し1986年に学研より出版された ”The Classic Bowed Stringed Instruments from the Smithsonian Institution ” の27ページとより ストラディバリ  “ Parera ” のスクロールを引用させて頂きました。
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   Antonio Stradivari   ( c. 1644 – c. 1737 )  Cremona  1679  ” Parera ”
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SSCremona  1679  ” Parera ”                            Cremona  1694

ストラディヴァリのスクロールにあるクレセント・カットは 真横からは簡単に識別できますが上左側の横山さんの写真にあるような真後ろのアングルでは目立たないように加工してあります。 上右側の私が撮影したストラディヴァリの ヴァイオリン・スクロールや 同じく私の工房で撮影した前出のアンドレア・グアルネリのスクロールのようにカメラをヴァイオリン・ヘッドより低い位置にかまえ少し見上げる角度で写真を撮ると確認しやすいと思います。
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SSSS        SSSSSSS   Antonio Stradivari   ( c. 1644 – c. 1737 )  Cremona  1677  ” Sunrise ” 

同じく参考のために 写真家の横山進一さんが撮影し 1984年に学研より出版された  ” Antonio Stradivari in Japan ” の15ページとより ストラディバリ  “ Sunrise ” のスクロールを引用させて頂きました。  この 1677年に製作され保存状態のよい有名な装飾入りヴァイオリンでも 控えめながらも はっきりと ”クレセント・カット ”が入っています。
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Andrea Guarneri   ( 1626 – 1698 )      Cremona  1671

上の写真は1986年に学研より出版された ” The Classic Bowed Stringed Instruments from the Smithsonian Institution ” の 61ページより  Andrea Guarneri が 1671年 に製作したといわれているヴァイオリンのヘッド写真を引用させて頂きました。
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Antonio Stradivari   ( c. 1644 – c. 1737 )  Cremona  1717  ” Park  ”

上写真は 1988年に開催された 『 ウィ・ラブ・ストラディバリ 』の展覧会カタログの 39ページより 横山進一さんが撮影した 東京芸術大学所蔵のストラディバリウス ” Park ” の写真です。 真後ろからスクロールを見ると 中心軸が右に曲がっているのが分かります。

さて話は少しかわりますが ここでヴァイオリンなどの ”クレセント・カット” を『 演奏するためのチューニングなどですり減った。注)1 』と考えている方がおいでのようなので、私がこれを作者が製作時に削ったと考える根拠をお話ししておきたいと思います。
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SSSS” Cremonese – 1715 ”                                 ” Cremonese – 1715 ”
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注)1  ”クレセント・カット”を摩耗と思い込んだ人の手で埋められた楽器をまれに見かけます。 おそらくもっとも有名なヴァイオリンはクレモナに展示されている 1715年製とされる ストラディヴァリウスの ” Cremonese ” でしょう。すでに 1972年にニューヨークで出版された ” Violin Iconography of Antonio Stradivari ” の453ページに”クレセント・カット” が埋められたスクロールが掲載されています。


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上の大きい画像は 2002年に ウィーンで出版された ” Masterpieces of Violin-Making  :  The Collection of Bowed Stringed Instruments of the Oesterreichische Nationalbank  ”  Rudolf  Hopfner  の 60ページに掲載された ウェルナー・ヒンクさんが使用しているストラディヴァリウスのヘッド写真です。この 1709年 製  ストラディバリ ” ex Hammerle ” のスクロールは 一段目のエッジが 激しく“ 摩耗 ” しています。  ところが 二、三段目のエッジは ほぼ最初の面取りそのままです。 また上の小さい画像は ライナー・ホーネック さんが使用している 1714年製のストラディヴァリウスのヘッドですが これにも同じ特徴をみることができます。
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試してみられたら納得していただけると思いますが チューニングでスクロールに触れたことが  “ 摩耗 ”の原因だとしたら 「 この景色 」はあり得ないと考えられます。 私は 実験考古学の手法により 2005年に実証実験をおこなった –  注)2   –  結果もあわせて考慮した結論 として 『 クレセント・カットはヴァイオリン製作者がスクロールを後ろから見たときの右曲がりとなっている中央軸の傾きをより「 強化 」するために手を加えた痕跡。』と考えています。
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この仮説にはもうひとつ状況証拠があります。 それは ヴァイオリン族のなかでも ヴァイオリンと ビオラは 演奏者がスクロールに触れることがある訳ですが それより大きいチェロのスクロールは人が触れることは殆どないということです。  ところがオールド・チェロの中には 製作者が 前出のストラディヴァリウスのヴァイオリン・スクロールと同じように 二、三段目はそのままで一段目を ” 激しく摩耗させた ” チェロが存在します。


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Domenico Montagnana  ( 1686 – 1750 )  Cello  Venezia  1742
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上の写真は 1997年にヴェネチアの南西80㎞程の街 Lendinara で開催された展示会のカタログ ” Domenico Montagnana – Lauter in Venetia ” Carlson Cacciatori Neumann & C. の 109ページに掲載されている 1742年に Domenico Montagnana が制作したチェロのヘッド写真です。 先ほどお話ししました ” 一段目のエッジだけが 激しく摩耗しているチェロ ” の好例として引用させていただきました。
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この事については たとえばプロのオーケストラで2列目に座っているチェリストから 『  … 演奏の最中に目の前のチェロのヘッドをいつも眺めているけど ” 激しくすり減った ” 理由が何度考えてもまったく解からないんだけどどうしてそうなったか教えてください。』 と聞かれたりしました。同じような質問を何人かから受けて本腰をいれて調べはじめましたがオールドのチェロは本当に現存する台数がすくないですから結構大変でした。
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SSSSSSSSSSSSSSSSSHieronymus Brensius   –   Testudo theorbata   in  Bologna

十六、十七世紀にヴァイオリンやチェロを製作した人は イタリア語 Liutaio やフランス語 Luthier とよばれました。 つまり リュート 、シターン や テオルボ 、キタローネや ヴィオラ・ダ・ガンバ をよく知っている弦楽器製作者だったのです。
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上の写真は 1993年にボローニャの博物館カタログとして出版された ” Strumenti Musicali Europei del Museo Civico Medievale di Bologna  ”  John Henry van der Meer の105ページに掲載してある十七世紀に製作されたと考えられる テオルボのヘッド写真です。
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ご覧になればわかるように後ろから見たときに中心軸が右側に曲がっていくのが特徴です。上下の写真を見比べれば 私がこれらが同じ軸取り設定により製作されたと解釈したことを理解していただけると思います。 下に資料画像をならべておきますが 私は皆さんに『 古楽器 』の時代から弦楽器胴体の中央軸線とネックの中心軸線ははじめから 『 く 』の字に組まれていたという事実が認識されることを願っています。
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ここでクレセント・カットについての余談をひとつさせていただきます。 私はスクロールの二、三段目の ” 激しく摩耗 したヴァイオリン ” の原因診断で 15年以上苦しんだ経験があります。  それは 私が23年ほど前から調整や修理を担当している Nicola Gagliano ( 1675 – 1763 )が 1725年頃製作したすばらしい響きをもつヴァイオリンをみたときに始まりました。

長期間にわたり解けなかったのは 『 このヴァイオリン・スクロールのE線側二、三段目に接ぎ木があててあるのは製作者本人の手によるものか後世の人の判断か?。』という設問でした。 それは2004年に Jost Thöne 氏が出版した ” Italian & French Violin Makers vol. Ⅱ ” の26ページにある Nicola Gagliano が 1726年に製作したとされるヴァイオリンの写真を見た事でやっと解決しました。 下に掲載した前者が私の工房で撮影したもので、後者が Jost Thöne 氏の原寸大写真集より引用したものです。
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 SSSSSSSSSSNicola Gagliano ( 1675 – 1763 )  Napoli   c.1725

現在 私は下図で赤く塗ってある二、三段目の上部の接ぎ木を 後世の人の手によるものと考えています。 私が悩んだのは 『 製作者本人が接ぎ木がない状態 まで削ることがあり得るか?( スクロールの景色をここまで壊してまで “ 響 ”の調整をほんとうに実行するか? )』 ということでしたが 同じ加工をしたヴァイオリンが 1726年に製作された可能性があることで、状況証拠ですが 私はそう判断しました。 そういうことから私は Nicola Gagliano は ” 仕事の鬼 ” だったと思っています。
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Nicola Gagliano ( 1675 – 1763 ) Napoli   c.1725
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Nicola Gagliano ( 1675 – 1763 )  Napoli    1726
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注)2   私は 2005年 3月に ” クレセント・カット ” の実証実験として私の娘4人が使用している弦が張って調弦してある4/4、1/2、1/4、1/8のヴァイオリン・スクロールで 試奏と削りを交互におこない確認しました。 この日、実験に立ち会ってくださった5人ともショックを受けるほどすばらしい ” 響 “の変化を経験できました。
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私はこの時期に非対称弦楽器の研究のために古い時代の弦楽器資料を大量に調べましたが 八世紀に製作されたと考えられる東大寺・正倉院宝物の 「 螺鈿紫檀五絃琵琶 」ですら ” 非対称構造  “となっているのを見るに至って …  その作業をやめました。もし興味がおありでしたら下の写真を印刷してからコンパスをあててみてください。 とてもよく出来ているのがわかると思います。
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さて この投稿記事は ヴァイオリンやチェロなどの ” 失われた製作技術 ” の痕跡を確認することで 皆さんに 『 オールド・ヴァイオリンやチェロの見分け方 』をお伝えし、最終的にすぐれた弦楽器の再評価をすすめるために書き綴っています。 ここで重要な見分け方をお話ししますので 古いヴァイオリンやチェロをを手にすることがありましたら是非このポイントに留意して観察してみてください。
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オールド・ヴァイオリンやオールド・チェロもちろんオールド・ビオラもですが … これらの弦楽器のペグボックスはかなり細やかな不連続面で形作られていることに着目してください。因みに チェロやビオラは下の写真にあるようにヘッドのペグボックス部は表側 ( 表板側 )下部の幅より 裏側( 裏板側 )下部の幅が狭い確立が高く、ヴァイオリンは逆にペグボックス部裏側下部の幅が表側よりひろい楽器が多いようです。
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参考例として下に J.B. ガダニーニとドメニコ・モンタニャーナ作のチェロ3台のヘッド裏側とそれを横方向に約5倍に引き延ばした画像をならべました。 特にペグボックス部の横側( チーク・オブ・ペグボックス )と裏側面との エッジを観察してみてください。
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Giovanni Battista Guadagnini   ( c.1711 – 1786 )   Cello 1777   ” Simpson “
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SDomenico Montagnana    ( 1686 – 1750 )   Cello   Venezia  1739   ” The Sleeping Beauty ”

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Domenico Montagnana     ( 1686 – 1750 )     Venezia    Cello  1742

                 Giovanni Paolo Maggini (  1580 – c.1632  )cello   Brescia   c.1610

SCittern   c. 1600  England  /  length 616.0 mm – string length 340.0 mm  National Music Museum
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SSSSSSCittern   c. 1600  England  /  length 616.0 mm – string length 340.0 mm  
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ここであらためて 『 ヴァイオリンの ” 工具痕跡 ( tool mark )” について 』の投稿で ペグボックス部の横側( チーク・オブ・ペグボックス )の不連続面の組み合わせの説明につかったヴァイオリン・ヘッドの写真をみてください。
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Giuseppe & Antonio  Gagliano ( Giuseppe 1726 – 1793 , Antonio 1728 – 1805 )1754年
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このヴァイオリンの確認しやすい尾根線はある程度の不連続面の存在を示していますが 実際のオールド・ヴァイオリンのペグボックスに組み込まれた不連続面は想像以上に細やかです。 画像を拡大するとライン上の赤色点の場所に焼いた針でつけた可能性が高い針痕がならんでいますし、 以前の投稿でふれましたようにヘッドのゆれを補助するため A~D の ” スジ状焼線  ” や、 ” 工具痕跡 ” が 複雑に仕掛けてあるのはこの写真からも感じられると思います。
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私はこれらのペグボックス製作技術は 左右非対称に加工してある横側( チーク・オブ・ペグボックス )2面と裏側を最終的にエッジ部分で機能的なゆれ方( ねじれ運動 )が起こるように接続したことが重要なポイントとなっている考えています。皆さんにオールド・ヴァイオリンなどで確認していただきたいのがこのエッジ部分が波うつように連なりながら横側( チーク・オブ・ペグボックス )と裏側の三面を 『 斜めにリンクさせながらつないである様子  』です。 上の3台のチェロヘッドで観察していただければ多少イメージがもてるかもしれませんので 取り敢えず良く見てください。
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では次にヴァイオリンのエッジ部を観察するために下に 1595年頃 アマティ兄弟が製作したとされるヴァイオリンのヘッドを見てみたいと思います。このヴァイオリン・ヘッドは先にあげたチェロ達とちがってヘッドの裏側が表側よりひろくつくられているために この写真では 横側( チーク・オブ・ペグボックス )をみることができませんが、先にあげたチェロ達とおなじように横側からの回り込みがエッジにはっきりあらわれているのではないでしょうか?
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” The King Henry IV  “ Violin by  Antonio and Girolamo Amati,   Cremona,   ca. 1595

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 ” The King Henry IV  “ Violin by  Antonio and Girolamo Amati,   Cremona,   ca. 1595
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この時に面の回り込みをアシストするためにエッジに入れられた” 針痕 ” ( 私は 焼いた針でつけたと考えています。)は とくに入念に確認してください。
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最後にゴフリラのヴァイオリン・ヘッドを参考にあげておきます。横側( チーク・オブ・ペグボックス )が どういうふうに設定されているか考えながら エッジ部の観察をおこなってみてください。
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Mattio Goffriller  ( 1670 – 1742 ) Violin  Venezia    1702年
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SSSSSSSMattio Goffriller  ( 1670 – 1742 ) Violin  Venezia    1702年
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SSSSSSMattio Goffriller  label( 1670 – 1742 ) Viola  Venezia    1727年頃 

今回はここまでとさせていただきます。ここまでお話ししたヴァイオリンやチェロのヘッドを不連続面の組み合わせで製作する技法はオールド・ヴァイオリンなどでは よく使われています。 古い弦楽器をみる機会がありましたら今お話しした観察のほかに 糸巻きの間をぬって横側の面( チーク・オブ・ペグボックス )をそっとなでてみてください。きっと思った以上にキッパリと面が組み合わせてあることを指先に感じることができると思います。

以上、長文にお付き合いいただきありがとうございました!
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