私は 弦楽器製作者を目指す人に “デッサン” を推奨します。

芦田直樹 | Facebook

2026年 3月 13日
とても、興味深い投稿でした。引用させていただきます。

AI モリエール   1

AI モリエール   2

モリエール像(石デッサン)

AIで「石膏デッサン」は作れるのか?
~美大の講評とプロンプト設計から見えてきた意外な発見~
AI画像生成で石膏デッサンを作る――。
最初はある方の書き込みからヒントを得た単純な思いつきでした。
「石膏像の写真をデッサン風に変換するだけなら、簡単なのでは?」
ところが実際にやってみると、すぐに壁にぶつかります。
AIは確かに「上手い絵」を描くのですが、石膏デッサンにはなかなかならないのです。
ここで初めて気づきました。
石膏デッサンというのは、単なるモノクロの写実ではない。
むしろ 非常に特殊な描画言語なのだということに。
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AIが最初に間違えるポイント
AIが生成した最初の画像は、ぱっと見はかなり上手でした。
しかし美術の講評の視点で見ると、いくつか典型的な問題がありました。
まず一つ目。
顔がリアルすぎる。
AIは「人の顔」を描こうとします。
しかし石膏デッサンでは、顔は人物ではなく 面の集合体です。
例えば
• 頬
• 鼻の側面
• 口周り
• 顎
これらはすべて「面」として理解されます。
ところがAIは、
目・鼻・口を「顔のパーツ」として処理してしまう。
つまり
portrait logic
で描いてしまうのです。
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最大の落とし穴「髪」
もう一つ、AIがほぼ確実に失敗する部分があります。
それは 髪の毛です。
AIは巻き毛を見ると、どうしても
• カール
• 毛束
• 流れ
を描こうとします。
しかし石膏デッサンでは髪は
mass(塊)
です。
極端に言うと
大きな形
↓
大きな形
↓
大きな形
だけで処理します。
細部は説明しません。
ここで初めて、AIの特徴が見えてきます。
AIは
「見えるもの」を描くのが得意です。
でもデッサンは
「削ること」が本質なのです。
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石膏デッサンの核心は「影」
実際にプロンプトを研究していくと、
石膏デッサンには明確な構造があることが分かります。
その一つが
Shadow Family
です。
影は基本的に
一つのグループ
になります。
つまり
• 明るい部分
• 中間
• 影
という構造。
AIはここでも間違えます。
影の中にさらに明暗を作ってしまうのです。
でも石膏デッサンでは
影はまとめる
これが非常に重要です。
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デッサンは「線」ではなく「空気」
もう一つ大きな気づきがありました。
それは
エッジ(輪郭)の扱いです。
普通の絵は
輪郭線
で形を作ります。
しかし石膏デッサンでは
• hard edge
• soft edge
• lost edge
• recovered edge
という階層があります。
特に面白いのは
lost edge
輪郭が消える場所です。
彫像の一部が背景と溶けることで、
空間が生まれる。
つまりデッサンは
線ではなく空気で描くのです。
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プロンプト設計で一番重要だったこと
色々試した結果、
一番効果があったのは次の三つでした。
① Plane reduction(面分解)
② Shadow family compression(影の統一)
③ Edge hierarchy(エッジ階層)
この三つが揃うと、
AIの画像が急に「デッサンらしく」なります。
逆に言えば、これがないと
リアルなモノクロ画像
になってしまう。
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そして見えてきた意外な結論
この実験で一番面白かったのはここでした。
AIは
描くこと
が得意です。
でもデッサンは
描かないこと
が重要です。
つまり
AIの本能とデッサンの本質は逆方向にある。
だからこそ、プロンプトには
detail suppression
つまり
細部を抑制する設計
が必要になるのです。
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AIと美術教育
今回の実験で感じたのは、
AIは意外な形で美術教育の本質を浮き彫りにするということでした。
石膏デッサンはよく
「古い訓練」
と言われます。
しかし実際には
• 形を見る力
• 光を見る力
• 編集する力
を鍛える、非常に合理的な方法です。
AIを使っていると、
逆にその意味がよく分かります。
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まとめ
AIで石膏デッサンを作るには、
単に「デッサン風」と書くだけでは足りません。
必要なのは
彫刻として理解する
↓
形を整理する
↓
影を統一する
↓
細部を削る
という構造です。
言い換えると、
石膏デッサンとは描く技術ではなく、
「見る編集術」なのです。
AIでそれを再現する試みは、
意外にもデッサンそのものを深く理解する
面白い方法なのかもしれません。

木炭デッサンは「柔らかい石膏」ではなかった
AIで変換を詰めるほど見えてきた、“描く”より先にあるもの
AIで画像を変換するとき、多くの人はまず「何風にするか」を考える。
油彩風、水彩風、鉛筆スケッチ風、木炭デッサン風。
言葉としてはどれもそれらしい。
そして実際、ある程度まではそれっぽい結果も出る。
でも、その「それっぽさ」は案外もろい。
少し見れば、ただの白黒化だったり、ただの質感変換だったり、あるいは写真の情報を残したまま表面だけを汚したようなものだったりする。
つまり、見た目だけは近いが、描画の思考が入っていない。
今回、自分はもともと持っていた「石膏デッサン風」の変換プロンプトを土台にして、そこから「木炭デッサン特化」の方向へ再設計していく作業をかなり深くやってみた。
最初は単純に考えていた。
石膏デッサン風の整理された構造をベースに、少し柔らかくして、少し空気感を出して、少しエッジを溶かせば木炭になるのではないか、と。
でも、結論から言うと、その考えは甘かった。
木炭デッサンは、柔らかい石膏ではなかった。
むしろ逆に、石膏デッサンとは別の判断体系で成立するものだった。
この発見は、思っていた以上に大きかった。
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最初の誤解は、「木炭=ふんわりした描画」だと思っていたこと
木炭という言葉から連想しやすいのは、やはりあの独特の質感だと思う。
柔らかい。
ぼける。
グラデーションが作りやすい。
シルキー。
空気感がある。
たしかにそれは間違っていない。
実際、木炭は濃淡や調子を扱いやすく、塗って、ぼかして、消して、また描くという往復運動に向いた画材だ。
だから、鉛筆とは違うやわらかな表情が出やすい。
ただ、今回あらためて見えてきたのは、そこは本質ではないということだった。
木炭デッサンの核心は、「柔らかさ」ではなく、
情報をどこまで残し、どこで消し、どこで構造を感じさせるかという選択の強さにある。
この認識に変わった瞬間、プロンプト設計の方向も一気に変わった。
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石膏デッサンは「整理する」
木炭デッサンは「選びながら成立させる」
最初に使っていた石膏デッサン用のプロンプトは、かなりよくできていたと思う。
大きな量塊を読む。
面を整理する。
影を一つの family として圧縮する。
エッジを制御する。
素材感を石膏として統一する。
これらは石膏デッサンとして非常に正しい。
そして実際、出てくる結果もかなり安定していた。
破綻しないし、構造は崩れないし、学習用・観察用のアトリエデッサンとして見ても筋が通っていた。
ただ、そのままでは木炭にはならなかった。
なぜなら、石膏デッサンの強みは、見えるものを整理して、正しく読めるようにすることにあるからだ。
対して木炭デッサンは、全部を均等に読ませる方向には向かわない。
むしろ、見えている情報の一部をあえて失わせながら、なお成立させる方向へ向かう。
この差は大きい。
石膏デッサンは、言ってしまえば「整理の芸術」だ。
一方で木炭デッサンは、「取捨選択の芸術」だと思う。
ここを取り違えると、どれだけ表面を木炭っぽくしても、出てくるのは結局「柔らかい石膏」になる。
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最初の変換結果は、上手かった。でも木炭ではなかった
実際に変換してみると、その差はかなりはっきり出た。
最初に木炭方向へ寄せたバージョンは、確かに雰囲気としてはかなり良かった。
柔らかさは出ていたし、背景にも少し空気が出たし、輪郭も多少溶けた。
一見すると「木炭デッサン風」と言ってしまいたくなる。
でも、見ているうちに違和感が残る。
なぜか。
答えは単純で、全部見えていたからだ。
布の折れも、盾の存在感も、顔の構造も、周辺物も、まだ丁寧に保存されていた。
つまり、描画としてはうまい。
でも、木炭として必要な「捨て」が起きていなかった。
ここでかなりはっきりした。
木炭デッサンに必要なのは、質感の追加ではなく、
“何を読ませないか”の設計なのだと。
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AIは「整理」は得意だが、「削除」は意外と苦手
この作業をしていて特に面白かったのは、AIの得意不得意がかなり見えたことだった。
AIは、全体を整えるのがうまい。
面を揃えるのも、ディテールをきれいにするのも、情報を均質にするのも得意だ。
要するに、全部をちゃんとやる方向には非常に強い。
でも、木炭デッサンに必要なのはそこではない。
必要なのは、
ここは残す、
ここは沈める、
ここは存在だけ残す、
ここは読めなくしていい、
というような、不均等な判断だ。
AIは放っておくと、つい全部をそれなりに成立させてしまう。
その結果、「上手いけど、全部ある」絵になる。
だから今回のプロンプト改定では、単に「木炭っぽく」と書くのではなく、
• 全情報を同じ強度で描いてはいけない
• 主役のみ fully readable
• secondary は reduced
• tertiary は lost
• 見えていても描かない
• 削除は必須
• 外周の一部は消失させる
といった形で、削除と主従をかなり強制的に埋め込んでいった。
このへんから、結果が明確に変わり始めた。
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変化の第一段階は、「全部見せない」が効き始めたこと
プロンプトを改定していくと、ある段階で画面の空気が明らかに変わる瞬間があった。
左側が沈む。
背景に吸収される部分が増える。
外周が消える。
フクロウの存在感が下がる。
布の折れが全部は読めなくなる。
この変化はかなり大きかった。
なぜなら、ここでようやく画面が「均等に説明された画像」ではなくなったからだ。
つまり、木炭デッサンらしさの第一歩は、
上手く描くことではなく、均等に見せることをやめることだった。
これは自分にとってかなり大きい気づきだった。
多くの人は、描き込みが多いほど完成度が高いと思いがちだ。
AIを使うと、その傾向はさらに強まる。
でも木炭デッサンではむしろ逆で、残すべきものだけを残した結果として、他が失われていくことに価値がある。
ここを超えると、画面がやっと呼吸し始める。
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ただし、「消す」だけではダメだった
次に必要だったのは、影の中で形を作ること
ところが、ここでまた次の壁にぶつかった。
削除は効いてきた。
主従も立ってきた。
外周も溶けてきた。
なのに、ある種の“物足りなさ”が残る。
そのタイミングで、実際に最近懇意にして頂いているプロの目からもらったコメントがすごく良かった。
要点はこうだった。
• 右側から背景に溶け込む描写はデッサンらしい
• ただし、顔のディテールはシャドーの中の塊として、まだ描ききれていない
• 講評会ならそこを指摘されそう
これを読んだとき、かなり腑に落ちた。
こちらは「削除が足りない」と考えていた。
でも実は顔の部分で起きていた問題は、単に描き込み不足ではなかった。
影の中で構造が成立していないことだった。
これはかなり重要な分岐だった。
木炭デッサンは、ただ曖昧にするものではない。
ただぼかすものでもない。
ただ消すものでもない。
本当に必要なのは、
影を“情報の墓場”にしないことだ。
暗くなっている場所の中にも、
• eye socket の塊
• cheek plane
• jaw shadow
• nose underplane
のような構造が、トーンの差として立っていなければならない。
ここで初めて、「消す力」の次に必要なのは「影の中で作る力」だと分かった。
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ここまで来ると、プロンプトは「画風指定」ではなく「判断設計」になる
最終的にやっていたことは、もう単なるスタイル変換ではなかった。
何風に見せるか、ではなく、
どこを最初に読むか、
どこを最後に読むか、
何を読めなくしていいか、
影の中でどこまで構造を立てるか、
副要素をどれだけ気配化するか、
そういう判断の順序そのものを設計していた。
つまりプロンプトは、表面の命令文ではなく、
描画の思考回路をどう並べるかの仕事になっていった。
この過程でかなり大事だったのが、長くて理念的な「説明プロンプト」を、そのまま使わないことだった。
理論としては正しくても、実行時に重すぎると、モデルは全部守ろうとしてかえって鈍る。
だから途中からは、
1. 解釈
2. 個性保持
3. 焦点設計
4. 構造・情報階層
5. 崩し/解放
6. マテリアル
7. エッジ
8. 禁止事項
というふうに、人間の制作順に近い順序へ再構成した。
この圧縮版はかなり効いた。
結果として、過剰な暴走は減り、
削除は安定し、
影の中の構造も少しずつ立ち上がってきた。
ここであらためて感じたのは、
良いプロンプトは長いプロンプトではなく、判断が強いプロンプトだということだった。
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最終的に見えてきたのは、「完成」とは改善が止まることではなく、選択の問題になること
最後の段階では、もう技術的な改善というより、どこまで攻めるかの選択になっていた。
盾をもっと沈めるべきか。
布をさらに削るべきか。
顔の輪郭をもう少し壊すべきか。
副要素を気配だけにするべきか。
でもこのあたりまで来ると、もはや「正解」はない。
あるのは好みや方針や個性だけだ。
つまり、ここから先は改善ではなく、選択になる。
ここで「もう完成でいい」と思えたのは、たぶんそのせいだと思う。
未熟だから止めるのではなく、目的が達成され、そこから先は別のフェーズに入るから止める。
この感覚はかなり大事だ。
実際、今回できあがったものは、
• 石膏デッサンとは明確に違う
• 木炭らしいトーンの呼吸がある
• 削除が画面の中で機能している
• エッジが部分的に消失している
• 影の中に構造を立てようとする意志がある
という意味で、もう十分に完成している。
少なくとも、「木炭デッサン変換エンジン」としては、かなり高いところまで到達したと思う。
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AIで絵を作るというより、「どう見るか」を設計していたのかもしれない
今回の一連の作業で、一番印象に残ったのはそこかもしれない。
自分はAIで画像を加工していたはずなのに、気づいたらやっていたのは
どう見るかを設計する仕事だった。
全部を見せるのではなく、
最初にどこを読ませ、
どこで止め、
どこを失わせ、
どこを暗がりの中で立たせるか。
木炭デッサンは、単なるモノクロ表現ではない。
それはたぶん、
情報を削ることで、逆に見えるものを強くする技術なのだと思う。
そしてAIは、描くことには強いが、描かないことはまだ人間の設計を必要とする。
逆に言えば、そこにこそ、今のAI時代の面白さがある。
出力して終わりではなく、
何を残し、何を捨てるかを考える人がいるからこそ、画面に意志が宿る。
今回の木炭デッサン化の試行錯誤は、
ただ一つのプロンプトを作ったというより、
「描画とは何か」を少し言葉で掴み直した時間だったような気がしている。
そしてたぶん、こういう回り道こそがいちばん面白い。

 

以上が、芦田直樹さん投稿の引用です。

 

 

古い投稿の続きで恐縮ですが、私は 2014年8月27日の
” 私はバイオリン製作者にも “デッサン力” が必要だと思います。”
の文中で デッサンを始めた四女のことをお話ししました。

彼女が初心者としてデッサンをはじめて 2年半ほど経過し、最近は 多少の成長がみとめられるようになりましたので 参考にしていただくために近作を公開することにしました。

先の投稿は私の妻が 18歳だったときのデッサンから話をはじめさせていただきました‥ 。


木炭デッサン (  A.F. YOKOTA  1978年 7月  )

デッサンは古くから絵画や彫刻、デザインや工芸などの創作活動においての基本として大切にされてきました。 これは人間の ” つくる力 “を向上させる‥ すぐれた教育効果が知られているためでした。

この場合の” つくる力 “には 観察する力、考える力、伝える力が含まれています。
つまり 物事を客観的に観察し、その構造を読みとることで課題を見つけ出し、細部にこだわりつつも全体を俯瞰しながら自らのしなやかな感性によった美的なかたちとして答えを導きだし‥ それを展開させる人間力をさします。

私は『 オールド・バイオリン 』を製作した人々も 同じように ” つくる力 “を磨く努力をいとわず、強い意志をもって弦楽器製作に取り組んでいたと信じています。

(  上記の” つくる力 “の定義は 平成27年度入試 東京藝術大学美術学部デザイン科の アドミッション ポリシーより引用させていただきました。)

   

 

デッサンの参考例として 私の妻がまだ 18歳だった 1978年に美術大学受験の訓練として描いた木炭デッサン( 上部 4枚 )と鉛筆デッサン( 下部 4枚 )を あげてみました。

一般社会では 絵が描けると その技術的な要素が着目され それを『 才能 』という言葉で捉えられがちですが、私は デッサンは 強い意志をもって基本から誠実に取り組んでいけば多くの人が上達することが可能と思っています。敢えてその言葉を用いるとすると デッサンが思ったように描ける人は 一定の努力を怠らなかったという点において『 才能のある人 』と言えるかもしれません。


静物 / 木炭デッサン  (  A.F. YOKOTA  1978年 7月  )

私達は デッサンの経験を通じて培われた 物の本質を読み解く能力を “デッサン力” と呼んでいます。

鉛筆デッサン  (  A.F. YOKOTA  1978年 9月 30日  )
    

静物 / 鉛筆デッサン  (  A.F. YOKOTA  1978年 1月  )

これらのデッサンを描いた私の妻は 美大への進学者としては後発組で、 高校 3年になってから志をたて受験準備のために鎌倉のアトリエに通いはじめたそうです。

因みに 私の場合は、なぜか‥ 小学3年生の秋に親類と家族があつまっていた場所で 『 決めた!僕は将来、画家か彫刻家になる。』と宣言した上で、中学1年生になると石膏像の木炭デッサンに猛烈にはげみました。

お陰さまで私にとって生涯の師である 彫刻家 松永正和先生との幸せな出会いなど、 人とのめぐりあいにも恵まれ ここまで物作りの道を歩んで来ることが出来ました。

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さて本題にもどりますが‥ ヴァイオリンやチェロを製作するためにはアーチのなかに組み込まれた複雑な立体的形状を読み解くために、その特徴を観察し理解する必要があります。

 


Hendrik Jacobs ( 1629-1699 ) violin  1690年頃製作

.


 

私は 現代の弦楽器製作者はある意味では『 オールド・バイオリン 』が製作されていた時代以上の注意深さがもとめられていると感じています。

 



ここで弦楽器製作者の私見として教育論をのべさせていただくと‥ ひとりの人間がどんなに知識を持っていたとしても 実際の仕事の現場で『 気づき 』がなくては『 知恵 』として用いることができません。 私は 物作りの現場で大切なこの『 気づき 』は、学習者が 徹底的な模倣の体験を通じてのみ習得できる能力だと考えます。

私は 若者が大胆にも弦楽器製作者をめざすとしたら‥ それは 結構なことだと思います。しかしそれが果たせるかは 実際の行動にかかっています。大きなことばかりしたがり 小さなことをしたがらない人は‥ 結局、何もできずに終わるでしょう。大きなことを成し遂げる力は小さなことに誠実に取り組み、小さなことから学んだ人だけに与えられるものなのです。

これは ヴァイオリンの誕生と発達をルネサンス後期からの歴史のなかで検証してみると、ギルド制度の枠組みのなか 親方の工房で『 徹底的な模倣 』が誠実におこなわれ、それによって 多くの弦楽器職人が育ったという事実で証明されていると思います。

そういう理由で 私は 物作りを目指す心が定まった人に時間が確保しやすく、感性がやわらかい中学生や高校生などの年齢で 『 小さなこと 』として  “デッサン力” をつけるため近辺のアトリエ等をリサーチのうえで木炭デッサンの初心者コースを受講することをお奨めしています。

因みに‥ 私の高校2年生の娘が はじめてデッサンを体験するために受講したお茶の水美術学院では 2014年度の夏期講習  7月28日から8月2日( 6日間 )の入門コース( 夜間基礎入門 17:00~20:00)の場合で 17,000円 で、次いで8月11日から8月16日に受講した初心者コース( 基礎初心者 A   9:00~16:00 )は 33,000円の受講費で 18名程のクラスで指導をうけました。

ここは東京藝術大学のデザイン科、工芸科の合格実績が全国的に有名で東京芸大受験希望者が多く‥ 木炭デッサン、鉛筆デッサンの経験がまったくなかった私の娘は高校1年生、2年生を対象とした基礎科の初心者・入門コースとはいえ一緒に受講しているまわりの受講生のデッサンにも良い刺激をいただいたようです。

お茶の水美術学院
http://gakuin.ochabi.ac.jp/view/K00100/
基礎部 – 夏期講習
http://gakuin.ochabi.ac.jp/view/L00002/

そして‥ 高校生だったその四女は2年半後の現在 18歳となりました。

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彼女が デッサンを始めて2年後の 今年 7月に描いた鉛筆デッサンがこれです。

この頃から 彼女はデッサンについて 多少は考えられるようになったようです。

そして、それから 4か月程経過した現在は 下の構成デッサン( 鉛筆デッサン    所要時間 8時間15分 )のような段階まで成長しました。

当日の朝に 彼女は 自由課題として 軍手と柿 そして紐を 身近なものからモチーフとして選び、画中でイメージとして構成しました。

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彼女には 描写の上では軍手などの攻め残しは残念だけれど、大胆な構成と鉛筆の特性の使い分けによって空気が描けていることが すばらしいと講評をしておきました。

ともあれ、 私はこれが 四女の仕事としては やっと第一作にたどり着いたものと評価しています。

デッサンの訓練を彼女がはじめたときに 私が予想したように 成長には時間がかかりましたが、お陰様でこれからの成長がより楽しみになりました。

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2016-11-19                Joseph Naomi Yokota

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構成デッサン( 鉛筆デッサン )
モチーフ   :     りんご 1個、アルストロメリア、トレッシングペーパー  1枚

そして、1ヶ月が経過しました。
現在も四女は 鉛筆デッサンでは なかなか 思ったように表現できず苦闘中といったところです。

結局、彼女は このデッサンに 21時間を費やしましたが‥ まだまだ ‥ といった感じですね。でも、これらの試みは「種まき」としては十分ではないでしょうか。

私は これらの試みが 10年後の彼女をささえてくれると信じています。

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2016-12-18          Joseph Naomi Yokota

●  ルネサンス期までの “比率”が意味すること

2025-9-13       Joseph Naomi Yokota