NHKスペシャル ” 至高のバイオリン・ストラディヴァリウスの謎 “ は とても残念な番組だと思いました。



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先日、NHKスペシャルで” 至高のバイオリン・ストラディヴァリウスの謎 “という番組が放送( 2013年11月3日 午後9時00分 –  9時58分 )されましたが 内容の浅さに‥ 私は頭が痛くなりました。 公共放送として” 謎 ” という言葉が連呼されるエンターテインメント番組ではなく もう少し文化、芸術ジャンルの番組として ” 定量的 “にストラディヴァリウスを捉える努力をしていただきたいと思いました。

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私は大木裕子 氏 と古賀広志 氏 が 2006年の論文中で

‥( ヴァイオリンの )音色の評価はさらに困難である。楽器は演奏家によって奏でる音色がまったく異なることが知られている。それゆえ音色が楽器そのものの個性と言いきれない部分があるのだ。 たとえば アンドリュー・ヒル( Andrew Hill )はヴァイオリンの音について『 音というのは 9割が弾いている人に依るもので あとの1割だけが楽器に依るもの 』だと述べている。 また ストラディヴァリウスと双璧をなす名器グァルネリを愛用していたアイザック・スターンは ある時ストラディヴァリウスを弾く機会がありその時に『 自分が普段使っている楽器と全く同じ音がする 』と述べたと言われている。

つまり ヴァイオリンは ストラディヴァリによって完成形となったと言われるけれども 楽器として「真の完成」は演奏家の登場を待たなければならないのである。 演奏家は自分の理想とする音を出すために日々研鑽を重ね 自分の音を作り出す努力をしている。 演奏家にとってよい楽器とは自らの求める音をより容易に出すことができる楽器に他ならない。

ところで 楽器は演奏家によって音色を作られる一方で楽器が演奏家を育てていく面をあわせもつ。 諏訪内晶子は日本財団から「ドルフィン」というストラディヴァリの中でも屈指の名器を貸与されているが『 自分が出す音より楽器が自然に出す音に任せた方が良い 』と述べている。 それゆえ 楽器の個性と考えられる音色は 楽器そのものに備えられた属性なのか 演奏家によって紡ぎだされる属性なのかは 一義的には決められない。

真相は 演奏家のみぞ知るということかもしれない。 むしろ 真相不明の『 楽器と演奏家の相互依存関係ないしスパイラル関係 』はかえって神話化され ヴァイオリンという楽器の価値を高めるのに役立っていると言えるかもしれない。この限ににおいて音色に関わる神話そのものは楽器の個性を彩っている。 個性を備えた楽器は演奏家だけなく聴衆にとっても魅力的である。

( 中略 )

イタリアの片田舎の小さな街に過ぎないクレモナには 地味な職人達と質素な生活があるばかりだ。 90歳を超えるまで現役で楽器を作り続けていたストラディヴァリの最盛期は 1714年から16年までの3年間と言われる。 齢70を超える頃である。 華やかに神話化されるストラディの生活は 実際には極めて地道な作業の連続だったと言われる。  地道な作業を通じて宿る個性とは いかなるものであろうか。 神話化されたヴェールを剥がし 巨匠が生み出そうとした個性を少しでも明らかにしようとする試みは 伝統工芸の伝承と発展を考えるための手がかりを与えてくれるだろう。 そのために クレモナ独自の工程の意義について 知の伝承メカニズムという視点からさらなる研究を進めていくことが われわれに残された課題である。

http://ksurep.kyoto-su.ac.jp/dspace/bitstream/10965/160/1/KMR_9_19.pdf

とされていることに同感しています。

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大木 裕子氏プロフィール  東京藝術大学音楽学部器楽科卒業後、   東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団ビオラ奏者を経て、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科にて MBA、博士(学術)を取得。2012年 京都産業大学経営学部教授 、 京都産業大学大学院マネジメント研究科教授

『 イタリアにおけるヴァイオリン産業のブランド戦略 : クレモナのヴァイオリン工房  』(  2010年11月 )http://ci.nii.ac.jp/els/110008454112.pdf?id=ART0009692642&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1361461581&cp=

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NHKスペシャル ” 至高のバイオリン・ストラディヴァリウスの謎 ” で ブラインド テストを用いてストラディヴァリウスの音を聴き分けられるかやっていましたが‥ 研究としてはまったく無意味だと私は思います。

引用させていただいた論文中で 『 演奏家にとってよい楽器とは自らの求める音をより容易に出すことができる楽器に他ならない。』としてあるように ヴァイオリンの性能判断は演奏者が 聴覚、触覚 そして視覚などを用いて下すもので‥ 演奏家などの専門家であったとしてもブラインド テストのように 客席にすわった状態で聴覚情報のみで正確に判断するのが不可能なのは当然なことです。
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Lothar Cremer著   “Physik der Geige”   S.Hirzel Verlag, Stuttgart,  1981年初版

それからヴァイオリンの指向性の研究についてですが‥ 私が知る限りでは ドイツの建築音響学者 ロタール・クレーマー教授が 32年前に 1950年頃から1970年代半ばまでに発表した楽器に関する論文をまとめて編集し “Physik der Geige” のタイトルで出版されていて既に公知化された事実と認識していました。 番組中の『 新発見!』とは何をさしてそう言っているのか意味がわかりません。

ロタール・クレーマー( Lothar Cremer / 16. August 1905 in München – 16. Oktober 1990 in Miesbach )

建築音響学の大御所であり現在でも多くの学者に必須として読まれている著書を多数出版しました。 遮音材料の弾性と慣性によって定まる固有の周波数で透過損失が低下する現象は永らく不思議な現象とされていましたが、彼が「コインシデンス効果」の理論を発見したことによりきれいに説明されました。ユニークな構造のベルリンフィルハーモニーの本拠コンサートホールを名指揮者カラヤンと協力して音響設計にあたったことでも知られています。 同ホールに入るとすぐに目に入る『 浮雲 』と呼ばれる反射板を天井から多数吊るして配置し視覚的にも美しく音響的にも反射音が十分客席に伝えられるように考えたことでも有名です。

所属するベルリン工科大学では( 旧)西ベルリン市のほぼ中心にある広い敷地の中に一棟を独占してクレーマー音響研究室を設けそこに大型の無響室や音響測定設備を整えて研究をおこなっていました。また彼は楽器の研究にも大きな情熱を持ち楽器音響分野でまだ科学的に説明できていないテーマについての研究も進めました。

ベルリンのポツダム通り沿いにあるフィルハーモニーホールは 1956年に実施されたコンペで選ばれた ハンス・シャロウンさん( Bernhard Hans Henry Scharoun  1893 – 1972 )が設計した音楽専用ホールです。 ベルリンフィルの本拠地で ニックネームは 『 カラヤン・サーカス 』 なのは有名ですね!  樫本さんがコンサート・マスターですから 日本でも耳目を集めることも多いと思います。


このホールは前代未聞のヴィンヤード形式( アリーナ型 )として コンサートホールの新時代を切り開くことになりました。 それから このホールは建築コンペの段階ですでに優れた音響が条件として要求されていました。現在でも理想とされている “2秒 “の残響時間を達成することが 新ホールの要件として明確に設定されていたのです。過去にホールの大きさや座席数、装飾、施設などが条件に指定されたことはありましたが 残響時間までが要求された初めてのケースでした。
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ベルリン・フィルハーモニーホールの天井

建築家ハンス・シャロウンにとっても ベルリン・フィルハーモニーホールのような複雑な座席構造はそれまでに未経験でしたので どんな音響が実現できるかはまったくの未知数でした。 だからこそ彼はこの計画の早い段階から音響の専門家ロタール・クレーマー(  Lothar Cremer  1905 – 1990 )に音響設計を依頼しました。

しかしロタール・クレーマーは音響の専門家の立場からシャロウンの考える舞台を中央に据えるアイデアに反対せざるを得ませんでした。 舞台が中央に配置されると通常舞台を四方に囲んでいる壁の存在が無くなり、音が共鳴し合わずに空間に拡散してしまいます。 優れた音響を達成したいのであれば舞台を中央に置くアイデアをあきらめるしかないと、クレーマーはシャロウンを説得しようとしたそうです。 しかし シャロウンにとって最も重要なコンセプトである” 舞台の中央配置 “を妥協するわけにはいきませんでした。このためにクレーマーは前例の無い高度な音響設計の実現に立ち向かわなくてはならなくなったのです。
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クレーマーは本物に近い素材を利用した9分の1の模型を作って 実際に音がどのように伝達・反響するのかを研究しました。その結果、残響時間の” 2秒 “を達成することができました。ホールを構成する各パートの素材の選択や、ホール全体の空間体積量を計算することで実現することが可能なことがわかったからです。 このため 残響時間を達成するために必要なホールの空間体積から逆算で天井は 22メートルの高さと設計されました。

しかし、音響面での最大の問題は観客のための音響よりオーケストラ団員にとっての音響対策でした。 オーケストラが演奏する際には、団員1人1人がお互いの音を確認し合いながら合奏します。 通常の四角形のホールでは 舞台の両サイドと後ろの壁に音が反響して舞台上にも音が到達するようになっているのです。ところが舞台周辺を360度に客席が囲むシャロウンの建築案では音の跳ね返りがなく舞台上に音がほとんど残りません。 そこで、舞台の両サイドと背後の客席ブロックに大きめの反響面を舞台に対して設けるようにし、さらに残響時間2秒を達成するために決定した22メートルの天井は高すぎて上方に音が拡散してしまうため、天井から高さや角度が調整可能な10個の” 雲 “のような反射板『 浮雲 』が吊り下げられました。

最初は大きな反射板を1つ天井から吊り下げる予定でしたが上下に空間が分割されしまうのを避けるために、10個の目立たない反響板を吊り下げることでより自然な空間演出が考えられました。結局この天井の反響板は、舞台上の団員だけではなく舞台近くに座る客席にもバランスのよい音響をもたらす効果を生んでくれました。


ヴィンヤード型( アリーナ型 )の座席

また このホールの天井を見てみると 天井一面に小さなピラミッドのオブジェが突き出ているのが分かります。まるでデザインとしての演出のようですが、これも音響のしかけとして136個も天井に設置されているそうです。これらのオブジェは余分な低音を吸収するだけでなくピラミッドの形が音を適度に拡散させ一番遠い席にも密度のある音を伝える効果を生んでいるといわれています。 このベルリン・フィルハーモニーホールは開館後も舞台を高くするなどの工夫をしながら より完璧を求めて音響に磨きをかけられました。 こうして今では交響曲などの大規模なオーケストラ演奏にとって最も理想的なホールの1つとしての評判を得ました。

このホールは設計ハンス・シャロウン、音響設計ロタール・クレーマー そして監修 ヘルベルト・フォン・カラヤンで竣工し 1963年10月15日に ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、カラヤン指揮で ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」が演奏されて開館しました。 そして 1955年からベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を勤めていたヘルベルト・フォン・カラヤン( Herbert von Karajan  1908 – 1989 )は 1989年に他界するまでこのホールと共にベルリン・フィルハーモニーの黄金時代を築き上げました。

ロタール・クレーマー教授(  Lothar Cremer  1905 – 1990 )は父がミュンヘン大学の生理学の教授、兄と姉がアーヘン工科大学で数学の教授とインスブルック大学で物理化学の教授となる家に育ち、彼自身は電気工学の博士号を取得し大学で教壇に立ったのちに 1954年からベルリン工科大学で音響工学の教授を務めました。専門分野を電気工学から音響工学に変更したのはクレーマー教授が若い頃からヴァイオリンとビオラを演奏し造詣も深かったことが影響したそうです。 フィルハーモニー・ホールの音響設計の際にタッグを組んだ ヘルベルト・フォン・カラヤン( 1908 – 1989 )は 1926年に数カ月とはいえウィーン工科大学の学生であった人ですから理工系の素養があり‥ それらもプラスに働いたといわれています。そしてこの実績は 東京・赤坂のサントリー・ホールを建設する際に カラヤンの助言によりベルリンのフィルハーモニー・ホールが参考とされたことにつながりました。
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コンサートホールを建設する関係もあり‥ すでに50年ほど前に 彼らは  NHKスペシャル ” 至高のバイオリン・ストラディヴァリウスの謎 ” で放送されたような指向性の実験を実施したうえで、ヴァイオリンや菅楽器などオーケストラで使用される楽器それぞれの指向性を確認しました。 この結果はそれに対応する位置に設置され、実際にその反射音を確認したうえで角度調整して使用されている『 浮雲 』が象徴していると私は思っています。

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以上、ありがとうございました。

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