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「オールド弦楽器」においての音響システムについて

私は ヴァイオリンという楽器は ビオラやチェロと比べて共鳴現象が不全でも F字孔がエネルギー変換の受け皿になりやすいため、チェロやビオラと比べて 破綻しにくい弦楽器であると考えています。

逆に言えば、チェロやビオラは響胴の共鳴部が十分に機能しなければならないので 変換効率の側面から、完成度の高いものを製作することは ヴァイオリンを製作するより相対的にむずかしいと言えます。

Joseph Naomi Yokota     Violin, Tokyo  2008年

そこで 私は「オールド弦楽器」の特徴から 音響システムとして仮説を立てた上で、まず 検証ヴァイオリンの製作を 2004年11月11日に着手しました。これは 7年程の期間に及びましたが、試行錯誤しながら 7台のヴァイオリンを製作しました。

そして この過程で 仮説の音響システムに修正を加えながら、それをヴァイオリン族のプロト・タイプとして確定させました。

この準備を経た 2011年3月7日に、私は いよいよ‥ チェロの設計に取りかかりました。

ここから この時に製作した、私にとっての 原型チェロ ( Prototype cello ) の お話しをさせていただこうと思います。

■  響胴の軸組み調整

 これは 響胴に組み上げに着手したところで、ネックやF字孔の設定と 駒位置やブロック配置により 表板と裏板の基本となる軸線の組み合わせのバランスを修正しているところです。

私は 表板側の軸線を このように設定しています。

この表板側の軸線は 側板部とも連動します。私は 特にブロック部との関係が重要だと考えます。

そして、これにネックやサドル、エンドピン、それから表板と裏板のパフリングより外側部が 加わることで 楽器的個性が生れていると思っています。

たとえばネックの水平面上での傾きは、この 1700年頃製作されたチェロのようになっていたと考えています。

このチェロは 1986年の接ぎネックの際に、ネックが向かって左回りに起こされていますが、元々NHK交響楽団OBのチェリストが使用していた時は もっと幅が狭くてボタン部もクラウン無しで小さい設定であった製作時の様子が残っていました。

ですから この写真の時点では ネックがだいぶん起こされていますが、元の傾きの名残で右に傾いている様子は確認出来ると思います。




 

 

 

 

 

 

 

このようなネックの役割のうち “ネジリ” に関しては チェロとヴァイオリンは割合が違うだけで類似していますので、私は 1950年代にアメリカで撮影された ヴァイオリン演奏を鏡像の動画にしてあるものが、最も分かりやすい資料であると思います。


そして、サドル位置も同じ理由で黎明期から 上写真のような位置として設定されていたようです。このチェロでは「オールド弦楽器」の復元楽器としてこのように表板と側板、そして裏板のバランスを設定しました。

 

「オールド・チェロ」の製作方法についての検証実験

弦楽器のしくみは多少難解ですが‥「 オールド・ヴァイオリン 」と、「 “写し”として製作されたヴァイオリン 」、そして「 贋作ヴァイオリン 」を見分けるには、『 オールド弦楽器の製作方法 』を知ることが重要ではないかと 私は考えます。

そこで、16世紀中頃から 18世紀の終わりまで製作された弦楽器の音響システムを実証するために、2015年に私が製作したチェロの事例を用いて「オールド弦楽器」の特徴についてお話しさせていただこうと思います。

なお、ここでは ヴァイオリンより多少バランスの違いが見えやすいチェロを用いますが、基本的な仕組みはヴァイオリンや ビオラも同じとご理解ください。

Cello 1700年頃 パーツ無し重量 2280g / 総重量 2789g

弦楽器は固有振動がそのキャラクターを決定します。ですから製作する場合は まず、総重量とそれを構成する それぞれの部分の重量配置 ( 重心コントロール )と、 それらのゆれ方の関係性を決定する必要があります。

そこで まず基本からですが、 オールド・チェロは 響胴サイズが様々です。これを アントニオ・ストラディヴァリ ( ca.1644-1737 )や、ジロラモ・アマティ Ⅱ ( 1649-1740 )、ヨーゼフ・ガルネリ ( 1698-1744 ) などのチェロで見て下さい。

 

● Girolamo Amati Ⅱ ( 1649-1740 ) Cello, 1690年                                      F. 737 -352 – 243 – 439 / B. 738 – 352 – 239 – 431                                    Stop 397mm / ff ( between Tow holes ) 82.2mm                                     Head L. 209mm / Eyes width 63.2mm

● Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Cello,”Gore-Booth” 1710年     F. 756 – 343.5 – 230 – 437 / B. 756 – 341.5 – 229 – 437                            Stop 407mm / ff 90.8mm / Head L. 204.5mm / Eyes width 67.4mm

● Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Cello, “Pleeth” 1732年頃           F. 719 – 339.5 – 231 – 422 / B. 717 – 340 – 230 – 420                              Stop 398mm / ff 92.8mm / Head L. 214mm / Eyes width 66.5mm

● Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Cello, “Josefowitz” 1732年      F. 693.5 – 316.5 – 219 – 403 / B. 690 – 319.5 – 220 – 408                       Stop 375mm / ff 86.2mm / Head L. 204mm / Eyes width 67.5mm

● Guarneri del Gesù ( 1698-1744 ) Cello, “Messeas” 1731年                  F. 730 – 349 – 241 – 434 / B. 735 – 354 – 243 – 437                                  Stop 392mm / ff 102mm / Head L. 210mm / Eyes width 66.0mm

このように オールド・チェロは、総重量の前提となる響胴の大きさを理解するだけでも 難易度は高いと思います。

それらを勘案した上で、音響システムの実証用チェロ製作時に私が直接的に参考としたのは冒頭の画像のものも含めた下記の5台でした。

Nicola Albani / Cello ( Worked at Mantua and Milan 1753-1776 )

① Cello 1700年頃                       パーツ無し重量 2280g ( Back 735 – 349 – 225 – 430 / Stop 403.0 ) 総重量 2789g

② Nicola Albani Cello ( Worked at Mantua & Milan 1753~1776 )パーツ無し重量 2250g ( Back 734 – 343 – 236- 427.5 / Stop 392.5 )総重量 2747.8g

③ Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 ) Cello 1757年     総重量 2584g ( Back 712.2 – 332.7 – 237 – 419 / Stop 391.1 )

④ Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 ) Cello 1743年頃    総重量 2456g ( Back 716.6 – 340 – 228.7 – 423.3 / Stop 391.0 )

⑤ Cello 1790年頃                     パーツ無し重量 1826g ( Back 707 – 320 – 215 – 408 / Stop 379 )   総重量 2330g

そして、最終的に私は下記の規格を採用しました。

● Joseph Naomi Yokota Cello, 2015年                                                             総重量 2389g

表板サイズ:745.5 – 347.0 – 243.0 – 449.0                                                      裏板サイズ:741.0 – 356.5 – 239.5 – 448.0                                                      側板:ネック側 108.3mm – エンドピン側 120.0mm

表板アーチ:28.7mm                                                                                                     裏板アーチ:31.8mm

ヘッド長:205.0mm( ボトム・ヒール位置まで )                                スクロール・アイ幅:66.2mm 指板:30.0mm – 62.4mm – 583.5mm ストップ:403.0mm

この実証用チェロで重要と考えたのは次の5点です。

① オールド弦楽器の豊かな響きは それぞれの部分の振動が合成されることで成り立っていると考えられます。そして、それは 振動体の質量や長さが整数倍の関係のときに重なりやすいと推測できます。

例えば、下図のチェロのように 指板も含めたネック部と 響胴の重さの関係は 1 : 3 で、ヴァイオリンのそれは 1 : 2 といった設定が望ましいと私は考えます。

また、現代型の指板の場合は 指板が空中に突きでるネック端部に重心を合わせて 1 : 1 にしておくと 音量バランスが整いやすく、そのうえ指板自体の軸組を工夫することで運動特性をある程度 選択できるため、響胴に対してのバランスをあわせるときの大事な選択条件であると思われます。

② 弦楽器で深い響きを生むためには駆動系と変換点のエネルギーロスを減らすこと‥ あえて極端な表現をすれば「 振動の持続時間をすこしでも長くすること。」が大切だと考えられます。

このためには”対” となってゆれが残りやすい天秤の「 腹 – 節 – 腹 」の関係を剛性や運動を勘案し設定すること、そして振動エネルギーが通過する経路の工夫、変換点の「 節 – 腹 」の設定も表板の材料特性をよく観察し適切におこなうことで達成できると信じます。

③ 響胴部のバランスは6本の柱 ( ブロック ) の形状と、1本の交換式柱 ( 魂柱 ) やパフリング外縁部の剛性 ( 形状 ) を工夫して 表板と側板の接着面( Reference plane )に対しての重心位置をあわせることで調和させることが可能と思われます。

④ 響胴中央軸に対してのネック上面の軸は低音側 ( バスバー方向 )に合わせ、ネック下方面 の軸は裏板ジョイント方向にむけて「 ねじり 」を積極的に活用する設定で製作します。

⑤ 低音の共鳴現象が生じやすいように 表板の重さはバスバー無しの白木状態で 350g以下で、裏板は 550g以下、側板部が 500g以下とし、響胴部のなかで 表板と裏板側 ( 側板を含む )の関係を 1 : 3 で製作します。

同じく響胴とネック部の関係を 1 : 3 とするために指板は 200g以下で ネック & ヘッドは 300g以下にします。これらの合計である 2000g以下にするためには、立体的形状や幾何剛性を積極的に利用し安定した状態が持続できるように工夫します。

干渉についてのメモ

■ 自作チェロの重量配分図( 塗装前 )

総重量:2389.2g ( 完成日 2015-12-26 ) パーツ無し重量:1942.0g ( 白木 1885.5g ) / パーツ合計:447.2g

重量配分 ネック部 485.5g : 響胴 1456.5g

塗装前ネック & ヘッド:297.0g – 指板 & ナット:186.0g                   表板部: 411.0g – 側板部:484.7g – 裏板部:531.0g

このチェロは 仕上がり総重量が 2389.2g でしたが、これはもちろん偶々ではなく着手時の目標値が 2250g ~ 2500g でしたので計算の通りといったところです。

現代では チェロの重さは 2300g~3200g 位で、個体差が大きいようです。なお、一般的に使用されているパーツ重量の合計は 380g~580g 程で、普及品タイプのチェロはパーツ無し( 指板含む )重量が 2400g~2800g ほどだと思われます。

あくまで個人的な意見ですが‥ 私は チェロの総重量が 2900g を越えるのは避けたほうが望ましいと思っています。例えば、2012年製 GLIGA gemsⅠシリーズの 初心者用チェロは パーツ無し重量が 2800gで、総重量が 3186g もありました。

GLIGA Cello ( gems Ⅰ), 2012年

こういう楽器は響胴からネック、ヘッドが一直線に硬直していて鳴らすとチューニングも狂いやすく、響胴も硬いのでボーイングが難しく 右手が疲れやすいのではないでしょうか。

その上、音量が望めませんので 合奏楽器としては薦められません。こういう現実を常々目にしていますので、私は 初心者用のチェロがもっと楽器として性能が改善されることを心から願っています。

■ 響胴の軸組

私は 18世紀末までの弦楽器製作者は 響胴の「 節と腹 」の原理をほぼ正確に理解し、実際に用いていたと考えています。

それらの要素をバランスよく組み合わせるためには 座標となる多数の軸線が必要と考えられます。

このため、私は 16世紀中頃から 18世紀の終わりまで製作された弦楽器の音響システムとしてこれらに残されている座標軸線の痕跡を検証し、表板や 裏板の軸線としてまとめてみました。

ヤーノシュ・シュタルケル(János Starker 1924 – 2013 )さんが使用していたチェロは、1705年にベネチアで Matteo Goffriller ( 1659–1742 ) が 製作したものとされています。

 

この部分の’傷’は ストラディヴァリ・ソサエティの エドゥアルド・ウルフソン( Eduard Wulfson )氏が所有し、ナターリャ・グートマン( Natalia Gutman )さんが使用している グァルネリ・デル・ジェスが製作したとされる 1731年製のチェロとも共通しています。

Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 )                           Violoncello 1731, ” Natalia Gutman ”

このガルネリが製作したチェロは A ゾーンと B ゾーンの’傷’がとくに深くつけられています。

1982年にニューヨークで生まれたチェリスト、アリサ・ワイラースタイン( Alisa Weilerstein )さんが 2014年から使用しているチェロにも同じ特徴があります。

この楽器は Domenico Montagnana が 1730年に製作したとされています。そして この楽器ではA ゾーンとB ゾーンの傷が 確認できるとともに、C ゾーンの ‘深い傷’ も見ることができます。

私は これらを ‘節’としての ‘折れ軸’を調整した痕跡と考えています。

私は このような「オールド・チェロ 」などの分析から ‘座標’や ‘折れ軸’としてこれらの線分を製作のために 表板で 100本、裏板は 60本選び設定することにしました。

因みに、軸線が機能していない状態は 壊れた弦楽器で見ることが出来ます。

例えばこれは、壊れたコントラバスの修理をシュミレーションするために写真にしてプリントし切り抜いたあとで 破損個所をカットし表板の変形を実際のように折り込んだものです。

私の所見では‥ この破損の主因は、左右方向の剛性につながるアッパーやロワーの軸の不全です。

そもそも、弦楽器の多くは上図 点C, 点Dに弦の張力をかけることで 点A, 点B が 中央部に向かって倒れ込むような応力がかかるようになっています。

そして 点A, 点B からの応力は駒などによる中央部の剛性が高いゾーンを避けるように 点E と 点F のアッパーとロワー側にむかいます。

これによって弦楽器の多くは響胴にかかる応力で壊れないようになっています。



ですから、例として挙げさせていただいたコントラバスは下図のように折れ軸が機能するように、バスバーの形状を変更することでバランスを合わせ 再び使用出来るようにしました。

 

摩耗したように加工する “パティーナ加工” について

 

Nicola Gagliano ( ca.1710-1787 ) Violin, Napoli 1737年

「オールド・バイオリン」などでは 摩耗したように加工する “パティーナ加工 ( antique patina) ” が施されているものが多いので、ヘッド部を観察するときも これを念頭に置く必要があります。

その参考例として、このスクロールの右側突起部に注目してください。この部分は 製作された後の “修復” によって 現在この状態となっていると私は判断しました。

                  

Nicola Gagliano ( ca.1710-1787 ) Violin, Napoli 1737年

それは、この ヴァイオリン・ヘッドの “修理部分”が、同時期に製作されたヴァイオリンの摩耗痕跡( 上中央 )と 同様であったと考えられることが決め手となりました。

このような”特殊”と呼んでよいレベルの “パティーナ加工” が施されているヴァイオリンが複数台あるということは本当に素晴らしいと思います。

Nicola Gagliano ( ca.1710-1787 ) Violin, Napoli    1737年

   

私は これらを、製作時に摩耗したような加工をする弦楽器製作者がいた状況証拠であると考えています。

Johann Jais Viola Tölz ( 1715-1765 ) Viola 1760年頃

また、上記のように 摩耗仕様で生み出された非対称性については、このビオラのように 着手時の設定段階( 木取り )で意図されたことが分る弦楽器との比較がその理解をより深めることに役立つと思います。

このように、摩耗痕跡タイプの “パティーナ加工 ” は 複数の作品で比較してみると 一定の法則性を見出すことができます。

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  Violin, Cremona “Lipinski” “Giuseppe Tartini”    1715年

たとえば このヴァイオリンは、1700年代に ヴァイオリンソナタ『 悪魔のトリル ( Devil’s Trill Sonata ) 』で有名となった 作曲家 ジュゼッペ・タルティーニ( 1692-1770 )が使用したとされる ストラディバリウスです。

 

私は 「 クレセント・カット( Crescent cut )」と呼んでいますが 三日月型の” 激しい摩耗痕跡 “があります。           

因みに、上写真右側の ” Cremonese ” も イタリア・クレモナに展示されている 有名なヴァイオリンです。このヴァイオリンの 該当する部分には 修復痕跡 が認められます。

さて、これは どう考えるべきでしょうか?

残念ながら このような摩耗痕跡を 『 演奏するためのチューニングなどですり減った。』 と思っている方も多いようで、実際にその判断の誤りにより このように ‘修復’ されてしまう弦楽器もあとを絶ちません。

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, “Sunrise” 1677年

 

これは、 ストラディヴァリが製作した装飾文様入りの有名なヴァイオリン “Sunrise” です。 彼が初期に製作した作品ですが 装飾加工も含めて製作時の状況がよく保存されていることでも知られています。

このヴァイオリン・ヘッドにも 小さなクレセント・カットが入っています。ところがその周りには他に摩耗したような痕跡はあまり見られません。

私は このヘッドにみられる摩耗部とその隣接部との ‘様子の違い’ を不自然( = 意図的 )であると感じます。

それから、これは オーストリア国立銀行が ウィーン・フィル( Wiener Philharmoniker )のコンサートマスターに貸与している 1709製ストラディヴァリウス ”ex Hämmerle” の ヘッド写真です。

2008年に定年退団するまで ウェルナー・ヒンク氏 ( Werner Hink 1943 – ) が使用し、その後 1992年から コンサートマスターに就任していた ライナー・ホーネック氏 ( Rainer Honeck 1961- ) が 演奏に用いている有名な楽器です。

クレセント・カットとなっていたと考えられる 赤色部は接木されているようですが、このヴァイオリンで摩耗部とその周りとの 『 様子の違い 』を 見て下さい。

下画像のように 私はスクロール部を 1段目、2段目、3段目と区別していますが、摩耗痕跡が 1段目のエッジ部でみとめられるのに 2段目、3段目のエッジ部は 完成時のままであるかのように フレッシュです。

この 1709製 ストラディヴァリウス ”ex Hämmerle” の ヘッド1段目とそれ以外のエッジ摩耗の差は、ほかの ストラディヴァリウス‥ たとえば 下写真の 1714年製でも 見ることができます。

この 1714年製のストラディヴァリウスでも、前出の1709年製のヘッド程ではありませんが 同じように三角形の接木がしてあるようです。また、摩耗痕跡も 1段目のエッジ部でみとめられるのに 2段目、3段目のエッジ部は 完成時のままであるかのように フレッシュです。

ヴァイオリンを演奏したことがある方でしたらイメージ出来ると思います。もし チューニングでヘッドに触れたことが摩耗の原因だとしたら 「 この景色 」はあり得ないのではないでしょうか。

これらを検証した結果、ストラディヴァリは 摩耗加工を 多少不自然になるのを承知のうえで、 音響上必要とおもわれる最低限にとどめた弦楽器製作者だと私は考えるようになりました。

さて‥ ヴァイオリン族のなかでも ヴァイオリンと ビオラは 演奏者がヘッドに触れることがある訳ですが、チェロのヘッドは人が触れることは殆どありません。

ところがオールド・チェロの中には、製作者が 前出の ストラディヴァリウスのヘッドと同じように 2、3段目はそのままで1段目だけを”激しく摩耗させた” チェロが存在します。



私も 最初にプロのオーケストラで 2プルトに座っているチェリストから 『 演奏の最中に目の前のオールド・チェロのヘッドをいつも眺めていてね‥ヘッドが ”激しくすり減った” 理由が何度考えてもまったく解からないんだけどどうして?』と質問された時には まったく説明できませんでした。

しかし、同じような質問を何人かから受けましたので 本腰をいれて調べることになりました。

これは 1997年に ヴェネチアの南西80㎞程の街 Lendinara で開催された展示会カタログ ” Domenico Montagnana – Lauter in Venetia ” Carlson Cacciatori Neumann & C. の 109ページに掲載されている 1742年に Domenico Montagnana が製作したとされるチェロです。

16世紀から18世紀にかけて ヴァイオリンやチェロを製作した人は リュート 、シターン や テオルボ 、キタローネや ヴィオラ・ダ・ガンバ をよく知っている弦楽器製作者でした。

左側に1993年に ボローニャの博物館カタログとして出版された ” Strumenti Musicali Europei del Museo Civico Medievale di Bologna ” John Henry van der Meer の105ページに掲載してある、17世紀に製作されたと考えられる テオルボのヘッド写真を置きました。

両者とも、後ろから見たときに中心軸が右側に曲がっていくのが特徴となっています。左右の写真を見比べれば同じ軸取りがしてあるのが理解していただけると思います。

これらのことから、私はクレセント・カットなどのヘッド部の摩耗痕跡は人為的な加工 つまり、ヘッドの中央付近を上下に通る”ゆれるための軸”の調整痕跡であると判断しました。

 

 

ヴァイオリン誕生の土壌

Mandora 1420年頃 L 360.0 W 96.0 D 80.0( 83.0 ) / Wt. 255 g

ペグボックス壁部の厚さを左右差があるように製作すること自体は、ある意味では弦楽器製作者の常識でした。

“The Renaissance Cittern” Francis Palmer London 1617年

これは ルネサンス・シターンや テオルボ ( Theorbo ) などで、垂直軸に対して直交方向に取り付けられている ペグ、ナット、フレット、ブリッジなどの傾きや、ペグボックス部の左右壁厚差を見れば明白だと思います。

しかし 検証を進めた結果‥ 従来の宮廷音楽に加えて ヤコポ・ペーリ (1561-1633 ) や、クレモナに生まれ学び 後にヴェネツィアのサン・マルコ寺院楽長となった クラウディオ・モンテヴェルディ ( 1567-1643 ) 達が、1600年前後にオペラを誕生させたあたりから弦楽器には時代の風が吹いていたことが分りました。

オペラは 急速に普及し1637年には ヴェネツィアにサン・カッシアーノ劇場が開設されると歌劇場建設ブームが起こりました。この時期から 器楽や演奏会場の多様化は 急速に進んだようです。

たとえばフランスでは 1661年にルイ14世の親政が始まり ジャン=バティスト・リュリ ( 1632-1687 )は 宮廷音楽監督に任命され、それまで以上に活躍しました。

Plan du Château de Versailles 1664年

1678年 (1678–1684 )                                                                                                The opulent Hall of Mirrors at the Palace of Versailles

また、アルカンジェロ・コレッリ ( 1653-1713 )は 1675年に ボローニャからローマに移り ヴァイオリン奏者として本格的な活動を始め、1679年にはカプラニカ劇場でオーケストラを指揮し、1681年にはトリオ・ソナタ 作品1 ( 全12曲 )を ローマで出版しています。

Arcangelo Corelli ( 1653-1713 )

Michelangelo’s design of New St. Peter’s Basilica

現在のローマにあるサン・ピエトロ大聖堂は 1506年に建設に着手し、ミケランジェロ ( Michelangelo Buonarroti 1475-1564 ) が 担当したドームは 1588年に着工し1593年に頂塔部の工事が終わりました。

そして1666年にやっと全体が竣工し完成しています。また、ヴェネツィア共和国では 1685年にアントニオ・ヴィヴァルディ( 1678-1741 ) がサン・マルコ大聖堂のヴァイオリニストに就任しています。

Guardi 1775年~77年「1763年の総督アルヴィセⅣモセニーゴの選出」

“サン・マルコ寺院” は 他の都市の中心的聖堂とは異なり、ヴェネツィア共和国時代はカトリック教会の司教座聖堂ではなく、公式には共和国総督の礼拝堂だったそうです。ですから 総督の館であるドゥカーレ宮殿と隣接し繋がっています。これはヴェネツィア共和国のカトリック教会からの政治的独立性の象徴とされ、このことにより宗教関連以外で使用されることも多かったようです。

“18世紀の音楽ホール事情”

これらの時代状況により、私は 1600年代中頃から 弦楽器は ペグボックスの上端位置などで左右差を強くすることも含めた基礎性能の改変がおこなわれたのではないか推測しています。

アンドレア・アマティに代表される黎明期の弦楽器より、17世紀中頃から アントニオ・ストラディヴァリ ( ca.1644-1737 )や、ヨーゼフ・ガルネリ ( “Guarneri del Gesù” 1698-1744 ) も含めた 多くの製作者の弦楽器で “動的”な要素が増やされていくのがこの証と言えるのではないでしょうか。

弦楽器を知るための音楽年表

Sandro Botticelli  ( 1445-1510 )
” 地獄の見取り図”( La Carte de l’Enfer )1490年

ヴァイオリンという弦楽器は、14世紀初頭にはじまるルネサンスと 宗教改革により中世的な世界観に変わり 新しい認識や価値観がヨーロッパに広がっていくなかで考案され普及していきました。

その時期は、それまで長らく信じられてきた天動説の体系から コペルニクス ( 1473-1543 ) が唱えた地動説が常識となっていく激動の時代でした。

この時代の西欧の思索的世界は その源流を考えれば “ヘブライズム”と “ヘレニズム”に帰結することができます。

“ヘブライズム”と “ヘレニズム” はともに「人間の完成、あるいは救済」を究極目標としている点では共通しています。

これが器楽もふくめた西欧音楽世界が展開するためのエネルギー源となったようです。

Cathédrale Notre-Dame de Chartres

さて、そのような社会の中で ヴァイオリンなどが演奏された状況を考えるとき、野外は想定がむずかしいので 建築物の内部空間からイメージするのを 私はお奨めします。

たとえば パリのシテ島に1345年竣工した ローマ・カトリック教会の大聖堂ノートル・ダム大聖堂は どうでしょうか。この建築は 全長130m、幅46m、高さ91m程とされ、内部の身廊の天井高は 32.50mもあるそうです。

Cathédrale Notre-Dame de Chartres    130m × 46m ( 32m )

Cathédrale Notre-Dame de Chartres
身廊全長 128m / 幅 16.4m / 高さ 37mm

ピサの洗礼堂( ピサのドゥオモ広場 )

ところで 教会音楽にとって重要なことですが、1409年に イタリアのピサで「ピサ教会会議」がおこなわれクレタ島生まれのギリシャ人 アレクサンデル5世( 1339-1410 / 対立教皇、在位 1409年 – 1410年)が「教皇」に選出されました。カトリック教会においての教会大分裂 ( 大シスマ  Scisma d’Occidente ) がはじまります。

この「ピサ教会会議」は、1377年に 教皇グレゴリウス11世が アヴィニヨン ( Avignon 1309-1377 ) からローマに教皇庁を移しましたが その翌年に亡くなってしまい 、結果として ローマとアヴィニヨンに それぞれ「教皇」が存在する状況に陥っていたのを解決するために招集されたものでした。

しかし、ローマの教皇 グレゴリウス12世 ( 1326-1417 / ローマ教皇、在位 1406年 – 1415年 ) と アヴィニョンの ベネディクトゥス13世 ( 1328-1423  対立教皇、在位 1394年 – 1417年 )は廃位に応じませんでした。

その混乱の最中、「ピサ教会会議」で選出された アレクサンデル5世 ( 1339-1410 )が急死したために フィレンツェのメディチ家当主 ジョヴァンニ・ディ・ビッチ ( 1360-1429 ) の支援を受けた バルダッサレ・コッサ ( Baldassare Cossa  ca.1370-1419 ) が ヨハネス23世 (  1370-1419  対立教皇 / 在位 1410年 – 1415年 )として「教皇」となり、1399年にナポリから追われていたプロヴァンス伯 ルイ2世・ダンジューとともに軍を進め 1410年に ローマを占領しました。

そして目まぐるしいですが、ヨハネス23世 ( 1370-1419  )と ルイ2世・ダンジュー ( 1377-1417 )のローマ占領は、1413年にナポリ王 ラディズラーオの軍の反撃によりフィレンツェに退却する事で終わりました。

この教会大分裂を解消するために神聖ローマ帝国皇帝ジギスムントは 1414年、ドイツで コンスタンツ公会議を召集しました。 この公会議で3人の教皇は退位あるいは 廃位さとれ、1417年にマルティヌス5世 ( 1368- 1431  /  在位 1417年 – 1431年 )が選出されたことにより3人の教皇が同時に存在するという混乱は収束しました。


Battistero di San Giovanni ( Pisa ) / Piazza del Duomo
1152 年~ 1363年 外側高さ54.85m / 直径35.5m

ともあれ、ヴァイオリンなどの弦楽器を知るには、16世紀初めから400年ほどの期間を俎上に上げなくてはなりませんので、時間軸上での考察のために 私はこの投稿をまとめることにしました。

念のために申し上げれば  ここでは楽器と弓の製作者、そして時間座標のために音楽家、科学者などの生まれた年や重要な出来事を考慮して列挙してあります。そして、全体の項目を減らすために敢えて ハイドンやベートーヴェンさん達を記載していません。この点はどうかご了承ください。

■  Violin maker  ●  Violinist, Teacher, Composer  □  Bow maker

▶  Pythagoras ( BC.582-BC.496 )
▶  Archimedes ( BC.287-BC.212 )

1321年  Dante Alighieri ( 1265-1321 ) “La Divina Commedia” ( 神曲 )
1378 ~ 1417年   “Schisma” Roma : Avignon ( 1309-1377 )
1453年   コンスタンティノープル陥落によるビザンツ帝国の滅亡   Constantinopolis  /  The Eastern Roman Empire ( 330-1453 )

1492年   San Salvador Island  /  Columbus ( 1451-1506 )
1498年   Santa Maria delle Grazie /  Leonardo da Vinci ( 1452-1519 )

1499年   Vasco da Gama ( ca.1460-1524 ),  Lisbon-Inldia-Lisbon
1517年   “95 Thesen” Martin Luther ( 1483-1546 )

1538年   Naval battle of Preveza / Turkish Empire
1543年   Nicolaus Copernicus ( 1473-1543 )

ヴァイオリンの歴史を紐解くと”クレモナ派”の存在が重要であると分かります。ポー平原の中央に位置するクレモナは ミラノから 80㎞、ブレッシアから 60㎞、トリノと ヴェネツィアからおおよそ200㎞ほどに位置する古都で、ポー川などの水上交通や街道などによって それらの都市や モデナ、ボローニャ、フィレンツェ、ローマ、ナポリなどと繋がっていました。

ヨーロッパでは ヴァイオリンが誕生する直前にオスマン・トルコが支配地域を拡大させ、ついには 1453年にコンスタンティノーブルが陥落し東ローマ帝国 ( ヴィザンチン帝国 ) が滅亡するという事件がありました。

オスマン帝国はその後も勢力範囲をひろげ、この抗争の最終局面で ヴェネツィア共和国、スペイン、ジエノヴァ共和国、教皇領などの艦船で結成された神聖同盟艦隊( ローマ教皇連合艦隊  )とオスマン帝国艦隊が イオニア海にあるレフカダ島沖で戦うことになります。 この “プレヴェザの海戦”( 1538年 )は神聖同盟艦隊側の敗北に終わり、以降はオスマン帝国が地中海の制海権を握ります。

こうした変化はヨーロッパでの音楽事情に影をさし、当然ながらヴァイオリンなどの弦楽器製作にも影響を与えたと考えられます。

それから『 ペスト( 黒死病 ) 』などの疫病の大流行が大きな社会不安を発生させていたことも忘れてはならないと思います。

ペスト菌には3 種類の亜種が知られ、それぞれが歴史上有名なペストの大流行の原因となりました。541 年に東ローマ帝国から始まった大流行は ペスト菌 Antiqua によるもので、14 世紀からのヨーロッパでの大流行は Medievalis によるとされ 、そして中国雲南省で1855 年に始まった大流行は Orientalis によるものとされています。

このうち ルネサンス時代に大流行を引き起こしたペスト菌 Medievalis は まず1348年~1351年にかけてコンスタンティノープルをはじめ、キプロス、サルデーニャ 、コルシカ、マジョリカ等の地中海の主要都市、さらにマルセイユ、ヴェネチア等の港町に上陸します。

そして翌年に入ると アヴイニヨン、フイレンツェ、イングランドにまで広がり、その次の年にはスウエーデンやポーランドも浸食し 1351年末にはロシアにまで達したそうです。

この流行ではヨーロッパの総人口8000万人のうち、その3割にあたる2500万人が 犠牲となったといわれています。

悲しいことに このときの大流行をきっかけとして、ペストはいわば風土病化して ヨーロッパの地に根を下ろし、それ以後18世紀にいたるまで何度もくりかえし発生しました。


▶  1656年頃  A plague doctor in seventeenth-century Rome

とくに 17世紀にはヨーロッパの各地 で頻発したことが記録されています。アムステルダムでは 1622年から1628年にかけて毎年 発生して 3万5000人程が死亡し、パリでは 1612年、1619年、1631年、1638年、1662年、1668年( 最後の流行 )にペストの大流行があり深刻な被害がでました。


▶  1679年  ペスト撲滅( ウィーンでの ペスト最期の流行による 累計死者およそ10万人を追悼 ) 記念碑 1683~1693年建造

また、ロンドンでは 1593年から1664年にかけて、そして 翌年の1665年と ペストが 5回も流行し 死者の合計はおよそ 15万6000人におよんだと言われています。

因みに、1664年に『スカラー』となっていた ニュートン ( 1642-1727 ) は、 1665年から 翌年にかけてペスト禍を逃れて故郷のウールスソープへ戻り 18ヶ月程の期間をすごしたと言われています。

回想録などでは、25歳までの この期間にニュートンの三大業績は全て成されたとされています。

同じように、クレモナの街も何度にもわたってペスト禍にみまわれ 1630年の大流行の際には、クレモナ派の始祖アンドレア・アマティの息子で父の工房を引き継いでいた ジロラモ・アマティ( Girolamo Amati  1561-1630 )とその妻 そして 2人の娘が犠牲となり、アマティ工房は 34歳となっていた ニコロ・アマティ( Nicolò Amati  1596-1684 )が引き継いだといわれています。

また、アントニオ・ストラディバリ ( ca.1644-1737 ) の 生年月日と出生場所が 判然としないのも、ペスト禍をさけた両親の避難先の町で誕生したからと伝承されています。

1500 – 1550
■   Andrea Amati ( ca.1505-1577 ),  Cremona  /  1539年
Established a workshop in Cremona.
■   Antonio Amati ( 1540-1640 ),  Cremona
■   Gasparo di Bertolotti ( ca.1540- ca.1609 ),  “Gasparo da Salò”       Brescia

Andrea Amati ( ca.1505-1577 )   Violin,  Cremona  1555~1560年頃

Catherine de Médicis ( 1519-1589 )
1533年   She married Henry II at the age of 14.

Charles Ⅸ de France ( 1550-1574 )
1561年   He was crowned the king of France.

Andrea Amati ( ca.1505-1577 )   Violin,  “King Charles Ⅸ”  Cremona  1566年頃

Andrea Amati ( ca.1505-1577 )   Violin,  “King Charles Ⅸ”  Cremona  1566年頃

Andrea Amati ( ca.1505–1577 )  Violin,  “ex Ross”   1570年頃

1572年  “St. Bartholomew’s Day Massacre”


Charles Ⅸ de France  1574年

1550 – 1600
■  Girolamo AmatiⅠ( 1561-1630 ),  Cremona
■  Giovanni Paolo Maggini ( 1580- ca.1633 ),  Brescia
■  Nicolò Amati ( 1596-1684 ),  Cremona

▶  Galileo Galilei ( 1564-1642 )
▶  Johannes Kepler (1571-1630 )
▶  Marin Mersenne  ( 1588-1648 )
▶  René Descartes ( 1596-1650 )

●  Biagio Marini ( 1594-1663 ),  Brescia / 1615  Venezia ‘ Basilica di San Marco’ / 1620 Brescia / 1621 Parma / 1623 ~ 1649 Neuburg an der Donau / 1649 Milan / 1652 Ferrara / 1654 Milan / 1656 Vicenza  /  Venezia 1663  :   Violinist
“Scordatura”,   “double and even triple stopping”,   “Tremolo”   

1600 – 1650
▶  Otto von Guericke ( 1602-1686 )

Gaspar da Saló ( ca.1540-ca.1609 )  Violin,  Brescia  1600年頃 

■  Jacob Stainer ( 1617-1683 ),  Absam, Tirol


●  Maurizio Cazzati ( 1618-1678 ), Luzzara / 1641 Ferrara, Bozzolo, Bergamo / 1657 ~ 1671 Bologna / 1671 Mantova

Giovanni Paolo Maggini ( 1580 – ca.1633  )  Violin,  Brescia 1620年頃

Giovanni Paolo Maggini ( 1580 – ca.1633  )  Violin,  Brescia 1620年頃

Antonio Amati ( ca. 1540-1607 )  &  Hieronymus Amati ( ca. 1561-1630 )   Violin,   Cremona   1624年頃

■  Andrea Guarneri ( 1626-1698 ),  Cremona  /  1654年  He founded the workshop in Casa Guarneri .

 

  ca.1626 ~ ca.1761  ” Les Vingt-quatre Violons du Roi ” ( “The King’s 24 Violins” )  The Royal Palace in Paris

 

Antonio Amati ( ca. 1540-1607 )  &  Hieronymus Amati ( ca. 1561-1630 )   Violin,   Cremona   1629年頃

■  Giovanni Grancino ( 1637-1709 ),  Milan
■  Hendrik Jacobs  ( 1639-1704 ),   Amsterdam

▶  Christiaan Huygens ( 1629-1695 )
▶  Antonie van Leeuwenhoek ( 1632-1723 )
▶  Robert Hooke ( 1635-1703 )
▶  Isaac Newton ( 1642-1727 )

■  Alessandro Gagliano ( ca.1640–1730 ),  Napoli
■  Giovanni Tononi ( ca.1640-1713 ),  Bologna
■  Giovanni Baptista Rogeri ( ca.1642 – ca.1705 ),   Brescia

●  Jean-Baptiste Lully ( 1632-1687 ),  Firenze / 1646 France / 1652 The Royal Palace in Paris  / 1653 “Petits Violons” / 1661 French subject , 1661 ~ 1682 “Château de Versailles”  / 1685,1686,1687
●  Giovanni Battista Vitali ( 1632-1692 ),  Bologna / 1666 Accademia Filarmonica di Bologna / 1774 Modena  :   Violinist

Nicolò Amati ( 1596–1684 )  Violin,  Cremona  1641年

●  Heinrich Ignaz Franz von Biber ( 1644-1704 ), Bohemia / 1668  Zámek Kroměříž / 1671 Salzburg,  ca.1676 ” Rosenkranz-Sonaten ” ( Scordatura )  :   Violinist

■  Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ),  Cremona  /  1680年 He founded the workshop in Casa Stradivari .

▶  Arp Schnitger ( 1648-1719 ),  active in Northern Europe, especially the Netherlands and Germany,  Pipe organ builder.

■  Francesco Ruggieri ( ca.1645-1698 ),  Cremona
■  Girolamo Amati Ⅱ ( 1649-1740 ),  Cremona

1650 – 1700

●  Arcangelo Corelli ( 1653-1713 ), Fusignano / 1666 Bologna / 1675 Rome / 1681 München / 1685 Roma / 1689 Modena / 1708 Rome :   Violinist

●  Giuseppe Torelli ( 1658-1709 ), Verona / Bologna / 1684 Accademia Filarmonica di Bologna / 1697 ~ 1699 Fürstentum Ansbach / 1699 Wien / Bologna :   Violinist

Nicolò Amati ( 1596–1684  )  Violin,  Cremona  1651年

■  Matthias Klotz ( 1653-1743 ),   Mittenwald
■   Pietro Giovanni Guarneri ( 1655-1720 ),  Cremona  /  Mantua

Jacob Stainer ( 1617-1683 )  Violin,  Absam ( Tirol )  1655年頃

Andrea Guarneri ( 1626-1698 ),  Cremona 1658年頃
( 1654年  He founded the workshop in Casa Guarneri . )

■  Matteo Goffriller ( 1659–1742 ),  Venice
■  Vincenzo Ruggeri ( 1663-1719 ),  Cremona
■  Carlo Giuseppe Testore ( ca.1665-1716 ),  Milan

●  Giacomo Antonio Perti ( 1661-1756 ),  Bologna / Parma / Venezia / 1690 ~ 1756 Bologna  :   Violinist
●  Tomaso Antonio Vitali ( 1663-1745 ), 1674 Modena :  Violinist

■   Filius Andrea Guarneri ( 1666-1740 ),  Cremona

Nicolò Amati ( 1596–1684 )  Violin,  Cremona  1669年

Francesco Rugeri ( ca.1645-1698 )  Violin, 1670年

Giovanni Maria Del Busetto   Violin,  Cremona  1680年頃

■  Francesco Stradivari ( 1671-1743 ),  Cremona
■  Giovanni Battista Grancino II ( 1673-ca.1725 ),  Milan
■  Carlo Tononi ( ca.1675-1730 ),  Bologna  /  Venice
■  Johann Michael Albani ( 1677-1730 ),  Bozen / Bulsani in Tyroli  / Graz

  Louis XIV ‘Roi-Soleil’ ( 1638 – ‘1643-1715’ )
“Château de Versailles” 1661 ~ 1682 

Plan du Château de Versailles  1664年

1678年  (1678–1684 )
The opulent Hall of Mirrors at the Palace of Versailles

●  Antonio Vivaldi ( 1678-1741 ), Venezia 1703 / 1740 Wien :   Violinist
● 
Pietro Castrucci ( 1679-1752 ),  Roma / 1715 London / 1750 Dublin :   Violinist

■  Omobono Stradivari ( 1679-1742 ),  Cremona
■  Carlo Bergonzi ( 1683-1747 ),  Cremona

▶  Gottfried Silbermann ( 1683-1753 ) Saxony / Dresden, Pipe organ builder.
Zacharias Hildebrandt ( 1688-1757 ),  Pipe organ builder.

●  Johann Sebastian Bach ( 1685-1750 ), Eisenach / 1703 Weimar, Arnstadt / 1705.10 Lübeck 1706. 1 /  1707 Mühlhausen / 1708  Weimar / 1717 Köthen, 1721 Anna Magdalena Bach  / 1723 Leipzig

●  Giovanni Battista Somis ( 1686-1763 ), Turin / 1731 Paris / Turin :   Violinist

■  Domenico Montagnana ( 1686-1750 ),  Venice
■  Georg Klotz ( 1687-1737 ),   Mittenwald

●  Francesco Geminiani ( 1687-1762 ), Lucca / 1711 Naples / 1714 London  :   Violinist
●  Francesco Maria Veracini ( 1690-1768 ),  Firenze / 1711 Venezia / 1714 London / 1616 Venezia / 1723 Firenze / 1733 London / 1744 Firenze  :  Jacob Steiner violin  /   Violinist

Hendrik Jacobs (1639-1704)  Violin,   Amsterdam 1690年頃  

Giovanni Grancino ( 1637-1709 )  Violin,  Milan 1690年頃

Carlo Giuseppe Testore ( ca.1665-1716 )   Violin,  Milano  1690年

Giovanni Grancino ( 1637-1709 )  Violin,  Milan 1690年

■  Andrea Guarneri ( 1691-1706 ),  Cremona
■  Carlo Antonio Testore ( 1693-1765 ),   Milan

●  Giuseppe Tartini ( 1692-1770 ), Pirano / 1721 Padova, 1726 Violin School  :   Violinist
●  Pietro Locatelli ( 1695-1764 ), Bergamo / 1723 Mantua, Venezia, München, Dresden, Berlin, Frankfurt, Kassel / 1729  Amsterdam  :   Violinist

■  PietroⅡ Guarneri ( 1695-1762 ),  Cremona  /  1718年  moved to Venezia
■  Sebastian Klotz ( 1696-1775 ),  Mittenwald

Giovanni Baptista Rogeri ( ca.1642 – ca.1705 )   Violin, Brescia  1695年頃

Antonio Stradivari ( 1644-1737 ),  Violin   “Auer – Benvenuti”  Cremona   1699年

●  Jean-Marie Leclair ( 1697-1764 ), Lyon / Turin / 1723 Paris, ‘Palais des Tuileries’  / 1733 ~ 1737  ‘ Louis XV ( 1710 – ‘1715-1774’ ) / 1738 ~ 1743 Den Haag  / 1743 ~ 1764 Paris  :   Violinist

■  Andrea Castagneri ( 1696-1747 ),   Paris ■  Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 ),  “Guarneri del Gesù”  Cremona  /  1722年頃  He is independent.

 1700 – 1750
Giovanni Grancino ( 1637-1709 )  Violin,  Milan 1700年頃

Giovanni Grancino ( 1637-1709 )  Violin,  Milan 1702年頃

Giuseppe Guarneri ( 1666-1740 )   “filius Andrea”   Violin, 1703年

■  Camillo Camilli ( ca.1704-1754 ), Mantua,  Violin maker.

Carlo Tononi ( ca.1675-1730 )  Violin,    Bologna 1705年

1700 – 1750

1701 ~ 1714年  War of the Spanish Succession
“France : Louis XIV ( 1638-1715 ) × Habsburg : Karl VI ( 1685-1740 )”
Cremona governance countries
España ( 1513 ~ 1524, 1526 ~ 1701 ) – France (  1701 ~ 1702 ) –  Republik Österreich / Habsburg  ( 1707 ~ 1848 )

スペイン継承戦争 ( 1701-1714 )のさなか クレモナは、1701年から1702年の クレモナの戦いで オーストリア軍に敗れるまで フランスが短期間支配したのちに、1707年にミラノまでの北イタリア やナポリなどをオーストリア軍が平定したことによりハプスブルク家の所領となりました。そして、この状況は 1713年の ユトレヒト条約などにより確定しました。

ユトレヒト条約によるヨーロッパの勢力図

茶色はイギリス、青はフランス、黄色はスペイン、緑はオーストリア、橙はサヴォイア、深緑はブランデンブルク=プロイセン

Casa Savoia :  1713年 Regno di Sicilia – 1720年 Regno di Sardegna  / Torino – 1848年 The First War of Independence – 1859年 The Second War of Independence –  1866年 The Third War of Independence

●  Giovanni Battista Martini ( 1706-1784 ), Bologna / 1758 Accademia Filarmonica di Bologna / 1774 “Saggio dl contrapunto”

●  Franz Xaver Richter ( 1709-1789 ), Moravia / 1740 ~ 1747 Kempten i.a. / 1747 Mannheim / 1769 ~ 1789  ‘Cathédrale Notre-Dame-de-Strasbourg’  :  Violinist
●  Jean-Joseph de Mondonville ( 1711-1772 ), Narbonne / 1733 ~ 1772 Paris  :  Violinist

Antonio Stradivarius ( ca.1644-1737 )  Violin,  “Viotti”  1709年

Girolamo Amati Ⅱ ( 1649-1740 )   Violin,  Cremona  1710年

Vincenzo Ruggeri ( 1663-1719 )   Violin,  Cremona  1710年頃

■  Nicola Gagliano ( ca.1710-1787 ),  Napoli

■  Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 ),  Cremona  /  1729 Parma  /  1740 Piacenza  /  1749 Milan  /  1757 Cremona  /  1759 Parma  /  1771-1786 Turin

Giovanni Battista Grancino II ( 1673-ca.1725 )  Violin,  Milan 1715年

Antonio Stradivari ( 1644-1737 ),  Violin   “Tartini – Lipinski”  Cremona   1715年

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ),  Violin  Cremona  “Marsick – James Ehnes”  1715年

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ),  Violin  Cremona  1722年

●  Johann Wenzel Stamitz ( 1717-1757 ), Bohemian / Praha / 1741 Mannheim / 1754 ~ 1755 Paris / 1755 Mannheim :  Violinist

●  Leopold Mozart ( 1719-1787 ),  Augsburg / 1737 Salzburg / 1785 Wien, Salzburg :  Violinist
1751年  “Versuch einer gründlichen Violinschule”
– – – 
Wolfgang Amadeus Mozart ( 1756-1791 )

■ Giovanni Battista Gabrielli  ( 1716-1771 ),  Florence
■  Leopold Widhalm ( 1722-1776 ),  Nürnberg 

●  Pietro Nardini ( 1722-1793 ), Fibiana / Livorno / Padova / 1762 Stuttgart / 1770 Firenze :   Violinist
●  Pierre Gaviniès ( 1728-1800 ),  Paris /  1744 “The Concert Spirituel”  / 1795 He became a professor at the newly-founded ‘Conservatoire de Paris ‘.  :   Violinist

Matthias Klotz ( 1653-1743 )  Violin,  Mittenwald  1725年 

Giuseppe Guarneri ‘filius Andreae’ ( 1666-1740 )   Violin,  Cremona  1725年頃

Johann Michael Albani ( 1677-1730 )   Violin,  Bulsani in Tyroli   1728年頃

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )  Violin,  1729年頃

■  Johannes Theodorus Cuypers ( 1724-1808 ),  Hague Netherlands

Georg Klotz ( 1687-1737 )  Violin,  Mittenwald  1730年頃

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )  Violin,  Cremona
“Goldberg-Baron Vitta”  1730年頃

Antonio Stradivari ( 1644-1737 ) Violin,   “Lady Jeanne”  Cremona   1731年

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )  Violin,   “Posselt – Philipp”  1732年

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )   Violin,  “Spagnoletti”   1734年

●  Gaetano Pugnani ( 1731-1798 ), Torino / 1749 Roma / 1750 Torino / 1754 Paris, Nederland, London, Deutschland / 1763 Torino  / 1767 London / 1770 Torino / 1780 ~ 1782 Russia, 1782 Torino :  Violinist

■  Georg Klotz Ⅱ ( ca.1723-1797 ),  Mittenwald
■  Aegidius Klotz ( 1733-1805 ),  Mittenwald 

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  Violin,  Cremona
“Rode – Le Nestor”  1733年

■  Johann Gottfried Reichel ( ca.1735-1775 ),   Markneukirchen

Nicola Gagliano ( ca.1710-1787 )  Violin,  Napoli  1737年

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )  Violin,   “Ex Menuhin”   1739年

Carlo Antonio Testore ( 1693-1765 )   Violin,  Milan 1740年頃

Andrea Castagneri ( 1696-1747 )  Violin,  Paris 1742年


Bartolomeo Giuseppe Guarneri  / ” Guarneri del Gesù”
( 1698-1744 )  Violin,  “Carrodus”   1743年

■  Joseph Klotz ( 1743-1829 ),  Violin  Mittenwald  1760年
■  Lorenzo Storioni  ( 1744-1816 ),  Cremona

Andrea Castagneri ( 1696-1747 )  Violin,  Paris  1744年

Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 ) Violin, Piacenza 1747年

● Luigi Rodolfo Boccherini ( 1743-1805 ), 1743 Lucca / 1757 Vienna  “The court employed” / 1761 Madrid / 1771 String Quintet Op. 11  No. 5 ( G 275 ) :   Italian cellist and composer 

●  Johann Peter Salomon ( 1745-1815 ), Bonn / Prussia / ca.1780 London / 1791 ~ 1792, 1794 ~ 1795 Franz Joseph Haydn  :  Violinist

●  Carl Stamitz ( 1745-1801 ), Mannheim / 1762 Mannheim palace orchestra / 1770 Paris / Praha, London  :  Violinist

□  Nicolas-Léonard Tourte ( 1746-1807 ),   Paris  :   Bow maker
□  François-Xavier Tourte ( 1747-1835 ),   Paris  :   Bow maker

Camillo Camilli ( ca.1704-1754 )  Violin,  Mantua  1750年頃

Sebastian Klotz ( 1696-1775 )  Violin,  Mittenwald  1750年頃

Sebastian Klotz ( 1696-1775 )  Violin,  Mittenwald  1750年頃

1750 – 1800
●  Johann Anton Stamitz ( 1754 – ‥ ), Mannheim / 1770 Paris / 1782 ~ 1789 Versailles / ‘ 1798‥1809 Paris ‘  :   Violinist

■  Nicola Bergonzi ( 1754-1832 ),   Cremona
■  Antonio Vinaccia ( 1754-1781 ),   Napoli
■  Gennaro Vinaccia ( 1755-1778 ),  Violin  Napoli
■  Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 ),   Cremona

Giovanni Battista Gabrielli ( 1716-1771 )  Violin,  Florence  1755年

Joseph Klotz ( 1743-1829 )  Violin,  Mittenwald  1760年

●  Giovanni Battista Viotti ( 1755-1824 ), Fontanetto Po / Torino, Paris, Versailles, 1788 Paris, London, 1819-1821 Paris,  London :   Violinist

●  Federigo Fiorillo ( 1755-1823 ),  Braunschweig / 1780 Poland / 1783 Riga / Paris / 1788 London  He played the viola in Saloman’s quartet.  / 1873 Amsterdam, Paris

Marie Antoinette ( 1755-1793.10.16 )
1770年  She married  Louis-Auguste ( 1754-1793.1.21 )  /  ” Louis XVI ( 1774 ) “  at the age of 14.

French Revolution  1789 ~ 1793年

▶  1793年  ” Louis XVI ” ( 1774 )  /  Louis-Auguste ( 1754-1793.1.21 )

●  Wolfgang Amadeus Mozart ( 1756-1791 ), Salzburg / 1762 München, Wien / 1763 ~ 1766 Frankfurt, Paris, London / 1767 ~ 1769 Wien / 1769 ~ 1771 Milano, Bologna, Roma, Napoli / 1773, 1774 ~ 1775 Wien / 1777 München, Mannheim, Augsburg / 1778 Paris / 1779 Salzburg / 1781 München, Wien / 1783  Salzburg  / 1787 Praha, Wien / 1789 Berlin / 1790 Frankfurt / 1791 Wien, Praha, Wien

●  Bernhard Heinrich Romberg  ( 1767-1841 ),   “The Münster Court Orchestra” / 1790 Bonn  “The Court Orchestra” /  He lengthened the cello’s fingerboard and ‘Flattened’ the side under the C string  :   German cellist and composer

Leopold Widhalm ( 1722-1776 )  Violin,  Nürnberg  1769年

Tommaso Balestrieri ( ca.1735 – ca.1795 )  Violin,  Mantua  1770年

Johann Gottfried Reichel ( ca.1735-1775 ) Violin,   Markneukirchen  1770年頃

Giovanni Battista Gabrielli ( 1716-1771 )  Violin,  Florence
1770年頃

Georg Klotz Ⅱ ( ca.1723-1797 )  Violin,   Mittenwald  1773年

Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 ),  Turin  “Ex Joachim” 1775年

Gennaro Vinaccia ( 1755-1778 )  Violin,  Napoli  1780年頃

●  Rodolphe Kreutzer ( 1766-1831 ), Versailles / 1803 Wien “Kreutzer Sonata ” Ludwig van Beethoven 1770-1827,  Paris 1795 ~ 1826 ‘Conservatoire de Paris’ –  1796年 Caprices – 1807 comprises 40 pieces – “42 Études ou Caprices”  / Genève, Swiss :   Violinist
●  Pierre Baillot ( 1771-1842 ),  Paris :   Violinist
●  Pierre Rode ( 1774-1830 ), Bordeaux / 1787 Paris /  1804 Saint Petersburg, Moscow / 1812 Wien ” Ludwig van Beethoven 1770-1827  Violinsonate Nr. 10 in G-Dur, Op. 96 ” / 1814 ~ 1819年  Berlin,  “24 capricci”  /  1830 Lot-et-Garonne :   Violinist

□  François Lupot II (1774 – 1838),  He worked for Leonard Tourte in Paris. Once Lupot set up his own Parisian establishment in 1815.   :  Bow maker

18世紀の音楽ホール事情

▶  1763年  Haydn Saal ( Eisenstadt )  38.0m  ×  14.7m  (  H 12.4m )
▶  1766年  Eszterháza (  Fertőd )  15.5m  ×  10.3m  (   H  9.2m  )
▶  1772年  The Crown & Anchor  ( 271㎡ )   24.7m  × 11.0m

▶  1774年  Hanover Square R. ( 235㎡ ) 24.1m  ×  9.8m  (  H 8.5m  )

▶  1776年  Willis’s Rooms  (  305㎡  ) 25.0m  × 12.2m

 

▶  1781年  Leipzig Gewandhaus   23.0m  ×  11.5m   (  H  7.4m  )

▶  1795年  “Le Conservatoire de musique” ( Conservatoire de Paris )

▶  1780~1782年  弓のフェルールが考案される。

●  Niccolò Paganini ( 1782-1840 )
1802 ~ 1817年  ” 24 Caprices for Solo Violin ”  :   Violinist

●  Louis Spohr ( 1784-1859 ), Braunschweig / 1802 Saint Petersburg / 1804 Leipzig / 1805 ~ 1812 Gotha / 1813 ~ 1815 Wien /  1816,1817 Italiana / 1817 ~ 1819 ‘Oper Frankfurt’  / 1820 England / 1821 Paris / 1822 ~ 1859 Kassel :   Violinist
” Chin rest & Conductor’s stick “

■  Giovanni Francesco Pressenda ( 1777-1854 ),  Lequio Berria  /  Cremona  / 1815 Torino,  1821 was able to open his own firm.

Johannes Theodorus Cuypers ( 1724-1808 )  Violin,  Hague Netherlands   1780年頃

Antonio Vinaccia ( 1754-1781 )  Violin,  Napoli  1781年

1789年  “États généraux”

第一身分は10万人のカトリック聖職者で、彼らはフランス全土の10%程の土地を所有し、さらにその財産は免税されていました。第二身分は貴族で、子供や婦人を含んだ人口は40万人でした。1715年のルイ14世の崩御後、貴族は権力を回復し 高位官職や高位聖職、軍会議そしてその他の公共および半官半民の特権を独占していました。そして封建的慣習により彼らも第一身分と同じく免税されていました。第三身分は2500万人でブルジョワ、農民その他のフランス国民からなっていました。第一、第二身分と異なり、第三身分は納税を強いられていましたが、ブルジョワは何らかの手段でこれを逃れていたそうです。結局、フランス財政の重荷は農民や都市労働者といった貧しい人々に課せられていたのです。

French Revolution  1789 ~ 1793年
▶  1791年  Metric system ( metre & kilogram )
Maximilien Robespierre ( 1758-1794 )

Aegidius Klotz ( 1733-1805 )  Violin,  Mittenwald  1790年頃

Nicola Bergonzi ( 1754-1832 )   Violin,  Cremona  1790年頃

Lorenzo Storioni ( 1744-1816 )  Violin,  Cremona  1790年頃

 


Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   Violin, “ex Havemann”

Cremona 1791年

□  ■  Jean Baptiste Vuillaume ( 1798-1875 ),  Vuillaume was born in Mirecourt, He moved to Paris in 1818 to work for François Chanot.
In 1821, he joined the workshop of Simon Lété, François-Louis Pique’s son-in-law, at Rue Pavée St. Sauveur. He became his partner and in 1825 settled in the Rue Croix des Petits-Champs under the name of “Lété et Vuillaume”.
In 1827, at the height of the Neo-Gothic period, he started to make imitations of old instruments.  :  Bow maker.

Aegidius KLOTZ ( 1733-1805 )  Violin,  Mittenwald  1797年

Nicola Bergonzi ( 1754-1832 )   Violin,  Cremona  1800年頃

1800 – 1850

□  Nicolas Rémy Maire (1800–1878),   Maire was born in Mirecourt. He trained in the Lafleur workshop and served his apprenticeship in the workshop of Pajeot in Mirecourt. He opened his own workshop in Mirecourt in 1826 and left in 1853 to work in Paris.
:  Bow maker.

●  Georg Hellmesberger ( 1800-1873 ), Vienna / 1826 ~ 1833 ‘The Vienna Conservatory’ / His students were Joachim, Leopold Auer.  :  Violinist
●  Charles-Auguste de Bériot ( 1802-1870 ), Leuven / 1843  ‘Royal Conservatory of Brussels’ /  ‥ 1852. – 1858 – 1866 Brussels :   Violinist

■  Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 ),  Barbaresco / 1834 Turin,   It was during this time that he became acquainted with Luigi Tarisio, a violin dealer  / Rocca won prizes in his craft at a national arts and crafts exhibitions in 1844 and 1846.
■  Enrico Rocca ( 1847-1915 ),  Turin  /   1850 ~ 1865 Genova

■  Ferdinand Joseph Homolka ( 1810-1861 ),   Prague

□  Pierre Simon ( 1808-1881 ),  He apprenticed and worked in his hometown of Mirecourt until 1838, when he moved to Paris to join the workshop of Dominique Peccatte.  :  Bow maker

□  Dominique Peccatte ( 1810-1874 ),   He was born in Mirecourt. On the recommendation of Nicolas Vuillaume he moved to Paris in 1826 to join J.B. Vuillaume’s workshop. Paris 1838  / 1847 Mirecourt   :   Bow maker

▶  1804年 Napoléon Bonaparte  “Emperor”
Napoléon Bonaparte ( 1769-1821 / ” 1804 – 1814, 1815″ )

1812 – 1814年  [ ナポレオンのロシアからの撤退 ]

●  Heinrich Wilhelm Ernst ( 1812-1865 ), Moravia / 1825 ‘The Vienna Conservatory’ /  1828 Niccolo Paganini visited Vienna. 1830 He played Paganini’s Nel cor pìù non mi sento. / 1865 Nice :   Violinist
●  Jakob Dont ( 1815-1888 ), Vienna / 24 Etudes and Caprices :  Violinist
●  Henri Vieuxtemps ( 1820-1881 ),  Belgium / Liège , Brussels /  1829 Paris /  Brussels / 1833 Germany  /  1835 Wien / 1836 Paris / 1849  ~ 1851 Saint Petersburg / 1850 Paris / 1871  ‘Royal Conservatory of Brussels’ / Paris 1879 / Algeria :   Violinist

□  François Peccatte ( 1821-1874 ),  Mirecourt  /  1842 Paris   :   Bow maker
□  Joseph Henry ( 1823-1870 ),  Henry studied with Dominique Peccatte and established his own shop in 1851.   :   Bow maker

Niccolò Paganini ( 1782-1840 )
▶  1827年7月12日( 木曜日 )プログラム

イタリア・ジェノヴァ 生まれの パガニーニは ナポレオンの妹のエリーザ・バチョッキ( Elisa Baciocchi ) が 1805年にトスカーナ大公妃として設けたルッカの宮廷における独奏者として演奏活動をはじめます。

そしてナポレオンが失脚するとパガニーニは独奏者としての活動をはじめました。彼は 1809年より北イタリアからはじめた演奏会の開催場所をイタリア全土にひろげました。

その後の 1828年にはウィーンでも成功をつかみ、ついでプラハ そしてドイツ各地で開催した後である 1831年には 3月から4月にかけて有名なパリ・デビューを成功させ 5月にロンドンに渡り翌年にかけて イギリス、スコットランド、アイルランドでも大成功をおさめました。


     1831年4月17日( 日曜日 )

□  François Nicolas Voirin ( 1833-1885 ),  He was born in Mirecourt. He moved to Paris in 1855 to join his cousin Jean Baptiste Vuillaume.   :   Bow maker

▶  1831年  Gesellschaft der Musikfreunde ( Tuchlauben, Vienna )a concert hall for ca. 700 people

●  Joseph Joachim ( 1831-1907), Kittsee / 1833 Budapest / Wien / 1843 Leipzig / 1846 London / 1848  “Gewandhausorchester Leipzig ” / 1850 Weimar / 1852 Hannover  / 1866 ~ 1907 Berlin :   Violinist

●  Henryk Wieniawski ( 1835-1880 ), Lublin / 1843 ‘Conservatoire de Paris’ / 1874 ~ 1877 ‘Royal Conservatory of Brussels’ / Moscow :   Violinist

▶  1842年  The founding of the Vienna Philharmonic.

●  Pablo de Sarasate ( 1844-1908 ), Pamplona / 1854 Madrid / 1855 Paris / 1860 London, Paris, performing in Europe, North America, South America / 1864 Camille Saint-Saëns ‘Introduction et Rondo capriccioso en la mineur’   / 1878 Zigeunerweisen, 1883 Carmen Fantasy  / Biarritz 1908 :   Violinist

●  Leopold Auer ( 1845-1930 ),Veszprém  / Budapest, Wien / Hannover : Joachim / 1868 ~ 1917 Saint Petersburg  : St Petersburg Conservatory / 1918 America / 1824 The Curtis Institute of Music  :   Violinist

Ferdinand Joseph Homolka ( 1810-1861 )  Violin,  Prague   1840年  

Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 )  Violin,  Genoa
1845-1850 年頃

Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 )  Violin,  Turin  1850 年頃

Enrico Rocca ( 1847-1915 ) Violin,  Genova  1893年

□  Charles Nicolas Bazin ( 1847-1915 ),  Son of Mirecourt bowmaker François Xavier Bazin,  Charles Nicolas Bazin inherited the family workshop in 1859 following his father’s death from cholera.
Charles Nicolas was only 18 at the time, but already had ample experience from his father’s training, and the shop flourished under his leadership.  :   Bow maker

1848年  :  ウィーン体制が崩壊しヨーロッパの不安定化が進みます。

たとえば イタリアでは 1861年にヴィットーリオ・エマヌエーレ2世がイタリア統一をおこない、プロイセンは 鉄血宰相ビスマルク( 1815-1898 )の指導のもとクルップ社の鉄鋼製品( 鉄道、大砲 )を背景として 1866年の普墺戦争に勝利して 1867年に北ドイツ連邦に領土を拡大します。

そしてその後 の普仏戦争により 1871年には ワーグナーを擁護するとともにノイシュヴァンシュタイン城を建設させたルートヴィヒ2世( 1845 – 1886 )のバイエルン王国( Bavaria )やフランス領だったロレーヌ・アルザスを併合してドイツ帝国が成立しました。

また 1842年にアヘン戦争に勝利したヴィクトリア女王( 1819 – 1901 、在位 1837 – 1901 )のイギリスも植民地拡大をすすめ大英帝国を構築し繁栄します。 こうして帝国主義を国是としたヨーロッパ列強( ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、オーストリア、ロシア )が世界地図を分割していったことで『 諸戦争を終わらせる戦争( War to end wars )』と言われた1914年の第一次世界大戦( 1914 – 1918 )が発生することになりました。

 1850 – 1900

パブロ・デ・サラサーテ( 1844 – 1908 )

カミッロ・シヴォリは 神童の誉れ高くニッコロ・パガニーニに一人だけ弟子入りを許されたヴァイオリニストとして名を遺して います。

□  Charles Peccatte ( 1850-1918 ),  He was born in Mirecourt, the son of François Peccatte and the nephew of Dominique Peccatte.   :   Bow maker
□ Louis Thomassin (1856–1905),  He learned his craft in Mirecourt where he worked for the Bazin Family. In 1872 he went to Paris to work for François Nicolas Voirin and carried on Voirin’s shop after his death.   :   Bow maker

■  1830年~1850年  英国において 1830年に開設されたマンチェスター・リヴァプール鉄道にはじまる鉄道開設ブームがおこり、1850年までに営業開始した旅客鉄道のイギリス国内総延長は およそ9656km に達しました。

また、アメリカでも 1830年にボルチモア – メリーランド州エリコット間に旅客鉄道が開業し1850年には国内総延長が13,700kmを超え、1869年にはユニオン=パシフィック鉄道の東西路線がつながり最初の大陸横断鉄道が完成したことで国内総延長は79,000kmを超えました。

ドイツにおいては 1835年に最初の鉄道が開業し、1838年にベルリン – ポツダム間、1839年にはライプツィッヒ – ドレスデン間が開通し1840年頃には総延長469kmとなり、1871年には10,000kmを超えました。ロシアでは、1851年にペテルスブルク – モスクワ間が最初の鉄道開業でした。そして1891年にはシベリア鉄道( 9,000km )が着工されました。これは1913年に開業しました。因みに、日本の鉄道開業は 新橋駅 – 横浜駅間で、1872年のことでした。

■  1851年5月1日~10月15日    第1回万国博覧会であるロンドン万国博覧会がハイド・パークで開催されました。会場として建設されたクリスタル・パレスは 長さ約563m、幅約124mの規模で、1850年7月30日に着工され、1851年1月に完成しました。有料入場者数は 141日間で 6,039,000人におよびました。

■  1852年  大統領であったルイ・ナポレオンは 前年にクーデターを起こし、独裁体制である「第二帝政」を確立し、1852年に皇帝ナポレオン三世( Napoléon III 1808-1873 )として即位します。
■  1853年7月8日  ペリー提督の艦隊( 4隻 )が浦賀沖に来航し、次いで1854年には横浜沖に再来航( 9隻 )しました。これにより 1858年に日米修好通商条約が結ばれました。

フランス帝国とサルデーニャ王国の間で締結された「プロンビエールの密約 ( 1858年 )」で、ニースと サヴォイア地域がフランスに引き渡されるまでの地図

Nicolò Paganini( 1782-1840 ) died in Nice on May 27, 1840 :  in the will drawn up in 1837 he had ordered that the instrument be left to his hometown, Genoa, “So that it may be preserved in perpetuity”. The events surrounding the legacy were, however, complex and concluded only on July 14, 1851, with the delivery of the instrument by Baron Achille Paganini( 1825-1895 ), son of the maestro, to the then mayor of Genoa. 

■  1848年~1871年  「1815年のウィーン議定書で ジェノヴァ共和国を併合したトリノを事実上の首都とするサルデーニャ王国」が主導してミラノ、ヴェネツィアに反乱が起こり、イタリア統一運動( リソルジメント )が本格化し、1859年の第2次イタリア独立戦争を経た 1861年に南イタリアに「イタリア王国」が確立され、そのままサルデーニャ王国と合併します。

そして、1866年には ヴェネツィアを併合、その後 1871年に教皇領であったローマを占領し、「サルデーニャ国王 ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世( 1820-1878 / 在位1849-1861 )」が統一イタリアの国王( 在位1861-1878 )として正式にローマを首都として定め、近代国家であるイタリア王国が成立しました。

■  1851年7月14日 パガニーニが演奏に用いていたとされる「グァルネリ・デル・ジェズ」 “イル・カノーネ 1743年”が、ジェノヴァ市に引き渡されました。

■  1857年頃   前所有者が判然としない 1743年製「グァルネリ・デル・ジェズ」ヴァイオリンが 英国に出現しました。そして購入者である John Tiplady Carrodus( 1836–1895 )が リサイタルなどで使用したことで、このヴァイオリンは”キャロダス ( Carrodus )”と呼ばれるようになりました。

Guarneri del Gesù ( Bartolomeo Giuseppe Guarneri 1698-1744 )  Violin, “Carrodus” 1743年

J.T. Carrodus( 1836–1895 ) was an English violinist.
He had the advantage of studying between the ages of twelve and eighteen at London and Stuttgart, with Wilhelm Bernhard Molique( 1802-1869 ). On 1853, Sir Michael Costa got him engagements in the leading orchestras. He was a member of the Covent Garden opera orchestra from 1855. He made his debut as a solo player at a concert given on 22 April 1863 by the Musical Society of London.

キャロダスは、ルイ・シュポーア( Louis Spohr 1784-1859 )に学び シュトゥットガルトと ロンドンで活動したベルンハルト・モーリック( 1802-1869 )の生徒でした。

さて、ここからは私の見解で、現在も その証拠集めをしている途中であることをご承知置きください。

私は、パガニーニが演奏に用いていたとされ、現在も ジェノヴァ市に「グァルネリ・デル・ジェズ」 “イル・カノーネ 1743年”として展示されている楽器は、その規格等の特徴から考えて パガニーニが演奏に使用したヴァイオリンでは無いと判断しました。

Guarneri del Gesù ( Bartolomeo Giuseppe Guarneri 1698-1744 )  Violin, “Carrodus” 1743年

また その視点で、現代に残された”Guarneri del Gesù”のヴァイオリン達を検証した結果、パガニーニ ( Nicolò Paganini 1782-1840 )が “イル・カノーネ ( Il Cannone )”と呼んでいたヴァイオリンは、1857年頃に Londonに出現した 1743年製ヴァイオリン”Carrodus”である可能性が高いと考えています。

そもそもパガニーニがサルデーニャ王国のニース( Nice )で亡くなった1840年5月27日から、ヴァイオリンがジェノヴァ市に引き渡された1851年7月14日までの『11年間』遺産相続者である息子の Baron Achille Paganini( 1825-1895 )は不可解な行動を取っています。

私は ジェノヴァ市に遺贈された 1851年( 第1回ロンドン万国博覧会の年 )に、パガニーニの“イル・カノーネ ( Il Cannone )”は、ドイツ、カッセルの宮廷楽長を1822年~1859年の長期間務めるとともに、ヴァイオリニストでもあった ルイ・シュポーアに内密に譲渡されたと推測しています。

Guarneri del Gesù ( Bartolomeo Giuseppe Guarneri 1698-1744 )  Violin, “Carrodus” 1743年

興味深いことに、1851年にシュポーア ( 1784-1859 )は、雇用者であるカッセルの選帝侯が許可しなかった2ヵ月の旅行に出発し、その後 この期間分給与が未払いとなった事を不服とし、訴訟を起こしています。また、この時期に 財産の整理もしてもいるようです。そして、1857年には 腕を骨折したことによりヴァイオリニストとしての活動を終えているのです。

この ルイ・シュポーア( 1784-1859 )らが指導し、1825年に23歳の若さでシュトゥットガルト宮廷楽長兼コンサートマスターとなり、1849~1866年にはロンドンを拠点とし活動したベルンハルト・モーリック( 1802-1869 )の仲介により”イル・カノーネ”は 1851年の時と同じように、再び内密にキャロダス( 1836–1895 )に譲渡されたものと、私は 考えています。

この説にもとづき、”Guarneri del Gesù “と呼ばれた Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 )が製作したヴァイオリン“Carrodus” 1743年 の所有者名を “Il Cannone “期から時系列で並べるとこのようになります。

Nicolò Paganini ( 1782-1840 )  … 1840年
Baron Achille Paganini( 1825-1895 ) 1840年~1851年

Louis Spohr ( 1784-1859 ) 1851年~1857年頃 

Wilhelm Bernhard Molique( 1802-1869 )

John Tiplady Carrodus ( 1836-1895 ) 1857年頃~1895年
W.E. Hill & Sons 1895年
Major C. E. S. Phillips 1895年~1909年
W.E. Hill & Sons 1909年
Dr. Felix Landau (Berlin) 1909年~1931年
Margaret Abraham 1949年
Ossy Renardy 1955年
Henry Hottinger (New York) 1965年
Rembert Wurlitzer Inc. 1965年
Dr. Ephraim P. Engleman (San Mateo, California) 1976年
David L. Fulton 2003年~2007年
Anonymous 2007年

これは、音楽史にとって重要です。そして、もう一つの黒歴史を挙げさせていただきます。

Andrea Amati ( ca.1505-1577 )   Violin,  Cremona  1555~1560年頃

日頃から 私は “コーナー先端部の非対称性”についての確認をお奨めしています。

なぜなら、オールド・バイオリンやオールド・チェロでは それらの関係性が 響胴の共鳴現象を誘導する”ねじり”の要となっていると思っているからです。

Andrea Amati ( ca.1505-1577 )   Violin,  Cremona  1555~1560年頃

先ずは、それを見てください。上図で R1L1 、そして R2L2 とした「一対」の要素をもつ裏板コーナー先端部の面積差と、エッジの摩耗加工の様子をならべ、その下には他のヴァイオリンを列挙しました。

Andrea Amati ( ca.1505-1577 )   Violin,  Cremona  1555~1560年頃

Andrea Amati ( ca.1505–1577 )   Violin,   “Ex Ross”   1570年頃

Gaspar da Saló ( ca.1540-1609 )   Violin,   Brescia   1600年頃

Giovanni Paolo Maggini ( 1580 – ca.1633  )  Violin,  Brescia 1620年頃

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )   Violin,  “Lady Jeanne”    1731年

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )   Violin,   “Carrodus”   1743年

観察ポイントは、コーナー先端横の狭隘部にいれた左右の赤点の上下位置関係とそこからの垂線( 赤線 )の外側に突き出た幅、そして水平補助線( 黒線 )から突き出た高さから 相対的に小さくされている様子を観察するだけです。

そして 次に、 裏板を俯瞰しながらコーナー先端部を比較するためにヴァイオリンを年代順にならべました。


Andrea Amati ( ca.1505–1577 )  Violin,  “Ex Ross”   1570年頃

多数のオールド弦楽器を観察すると、 R2 コーナー先端部が相対的に小さくされているのが 裏板のトレンドと考えることができます。 ( R1 が最小の場合もそれなりあります。)

Gaspar da Saló ( ca.1540-1609 )  Violin,  Brescia  1600年頃

Giovanni Paolo Maggini ( 1580 – ca.1633  )  Violin,  Brescia 1620年頃

このヴァイオリンでは 裏板の L1 、 L2 と 表板の E1 、 E2 コーナー部が そのほかのコーナーに対して相対的に小さくされています。

Giovanni Paolo Maggini ( ca.1580 – ca.1632  )  Violin,  Brescia 1620年頃

これは、真上から ( スクロール側からエンドピン方向 )を見たときに四角い断面となっている 響胴の立体的対角を動きやすくすることで一方向の回転運動をアシストするための工夫であると 考えられます。

Giovanni Paolo Maggini ( ca.1580 – ca.1632  )  Violin,  Brescia 1620年

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  Violin “Lady Jeanne” 1731年

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  Violin “Lady Jeanne” 1731年

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )   Violin,   “Carrodus”   1743年

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )   Violin,   “Carrodus”   1743年

このようにヴァイオリン型の弦楽器は 黎明期からずっと、響胴のコーナー部の剛性差を工夫することで”ねじり”が俊敏になるように製作され続けました。

■  1855年  Jean-Baptiste Vuillaume ( 1798-1875 )が “Messiah violin, 1716″を Luigi Tarisio ( 1796-1854 )の遺族から購入したとして、店の ガラスケースに入れ展示をはじめました。

The world’s most valuable violin? The Messiah Stradivarius
0:57 ” 1716 ‥ It is the only as new Stradivarius ‥”

STRADIVARI’S FABLED “MESSIAH” THREE CENTURIES ON: THE MOST CONTROVERSIAL VIOLIN IN HISTORY?上記の事実により、私は このヴァイオリンは 1854年頃に製作されたものと判断しています。

It was donated to the Ashmolean Museum in 1940 by the firm of W.E. Hill & Sons to become a benchmark for future makers.

“Messiah Stradivarius  1716”  Forged Nails and Round head wood screw

“Messiah Stradivarius  1716”  Forged Nails and Round head wood screw

Jean Baptiste Vuillaume ( 1798-1875 ) Violin, No.2209
“Ex Hubermann” 1856年

“Round head wood screw” Jean Baptiste Vuillaume ( 1798-1875 ) Violin,  No.2209  “Ex Hubermann” 1856年

“Round head wood screw” Jean Baptiste Vuillaume ( 1798-1875 ) Violin,  No.2209 ” Ex Hubermann” 1856年

 

“Forged Nails and Round head wood screw” J.B.Vuillaume ( 1798-1875 ) Violin, No.2209 “Ex Hubermann” 1856年  –  “Messiah Stradivarius 1716”

“Messiah Stradivarius 1716”  Forged Nails and Round head wood screw

因みに 個人的なことで恐縮ですが、私は この音響的判断基準に関して、上左のオールド・バイオリンの “摩耗部”を観察していて 初めてこれらは 製作時のパティーナ加工であると確信しました。

私もその時まで、ヴァイオリンや チェロの表板、裏板のふちは ヨーロッパの街を囲む城壁のように一定の高さを持たせて連続させてあると思っていました。

ところが、実際のオールド・バイオリンなどでは 赤印を入れた位置のように、 摩耗したかのように削ってあったり、別の木片で継ぎがしてあったりすることに この裏板を観察していてやっと思いが至ったのです。

●  Eugène-Auguste Ysaÿe ( 1858-1931 ),  Liège / 1886 ‘Royal Conservatory of Brussels’  / 1918 Cincinnati  /  Brussels :   Violinist

●  Jenő Hubay ( 1858-1937 ),  Pest / Berlin / Paris / 1882 Brussels / 1886 Hungary, ‘Budapest Quartet’ / Hubay’s main pupils Joseph Szigeti.   :   Violinist

▶  1870年  Großer Musikvereinssaal( Wien )1680席,  48.8m  ×  19.1m  (  H 17.75m  )

1861年 Wilhelm I ( 1797 – “1861 – 1888”  / “Deutscher Kaiser 1871 – 1888” ) : Otto von Bismarck ( 1815 – 1898  / “Eiserner Kanzler 1862 – 1890″ )

▶  1870年9月2日 普仏戦争
投降したナポレオン3世とビスマルクの会見 ]
Napoléon III ( 1808-1873 / 1848 -“1852 -1870” )

□  Eugène Sartory ( 1871-1946 ),   Bow maker from Mirecourt. After having first apprenticed with his father, he went on to work in Paris for Charles Peccatte and Joseph Alfred Lamy (père) before setting up his own shop in 1889.   :   Bow maker

□  Victor Fétique ( 1872–1933 ),   He learned his craft in Mirecourt with J. B. Husson.  Later he went on to work for Charles Nicolas Bazin II, before joining Caressa et Français in 1901.   :   Bow maker

●  Lucien Capet ( 1873-1928 ), Paris / 1893 “Capet Quartet”  :   Violinist

▶  1884年  Neues Concerthaus – “Leipzig Gewandhaus ”
Die Gewandhaus-Ruine, 1947年

Regno d’Italia ( 1861 ~ 1946 ) Last Casa Savoia : 1946年 UmbertoⅡ( 1904-1983 )

Old Manhattan  1929年

この時期には産業革命の勝者である『 富豪 』が登場するなど経済の発展が続きヴァイオリンに対する強力な追い風が吹いていました。

アメリカでは南北戦争の軍需景気もあり製鉄業、鉄道、駅舎・交通業、それと石油や電気関連のエネルギー産業などから大富豪が誕生します。

アメリカ富豪の総資産ランキングでは 1位のビル・ゲイツを除くと 2位ロックフェラー、3位カーネギー、4位ヴァンダービルトとこの産業革命当時の富豪たちが名を連ねています。

製鉄では スコットランドからの移民でのちに『 鉄鋼王 』とよばれたアンドリュー・カーネギー ( Andrew Carnegie  1835-1919 )が最も有名です。彼は1860年代から 石油、電話、鉄道と新しい時代の中心産業に次々と投資しました。 そしてペンシルバニア州のピッツバーグに製鉄技術の向上により製造可能となっていた鋼鉄( スティール )を生産する大規模な製鉄所を設立します。

この工場での大量生産と鉄道での大量輸送はアメリカの産業発展に大きな役割をはたしました。なお‥ このカーネギー製鉄社は 1901年に『 金融王 』といわれた J.P.モルガンに 4億8000万ドルで売却され、これにフェデラル・スチール・カンパニー およびナショナル・スチール・カンパニーの2社が統合されUSスチール( 資本金の14億ドルは 当時のアメリカの国富の4%に相当しました。)が誕生しました。この年に USスチールは 1社でアメリカで生産されたすべての鋼の67%を生産しました。

Carnegie Hall   2013年

Carnegie Hall    1891年

Carnegie Hall

大富豪となったアンドリュー・カーネギーは 1891年にマンハッタンの7番街57丁目に『 音楽堂 』であるカーネギー・ホール ( Carnegie Hall )を建設します。ここではニューヨーク・フィルが リンカーン・センター内のフィルハーモニック・ホールへと拠点を移した1961年まで レジデンス・オーケストラを務めていました。

そしてカーネギー・ホールのメインホール( 2804席 )では 1893年12月16日アントニン・ドヴォルザーク( Antonín Leopold Dvořák  1841 – 1904 )が作曲した交響曲第9番 作品95『 新世界より』がアントン・ザイドル指揮のニューヨーク・フィルハーモニックで世界初演されるなど、中ホールであるザンケル・ホール( 599席 ) や 小ホールのウェイル・リサイタルホール( 268席 )も含めて アメリカの音楽文化の発展に大きく寄与しました。

アンドリュー・カーネギーは83歳の 1919年8月11日気管支肺炎のためマサチューセッツ州レノックスで亡くなりました。生前、既に3億5069万5653ドルを寄付済みで 遺産の3000万ドルも基金や慈善団体や年金などに遺贈されたそうです。

このように変わっていった時を理解するのには、たとえば 176年間にわたって変わらなかったもの達とを識別し、イメージの混乱を招かないようにする視線が 大事だと思います。

Walter Hunt ( 1796-1859 ) 1849年       U.S . patent number 6281 on April 10, 1849.

ともあれ、一部の”伝承”に誤りが混入したことなどは 本当に残念だと感じますが、 インターネットで情報が共有できる時代となりましたので 訂正されるのは時間の問題だと思います。

 

 

2018-2-16                Joseph Naomi Yokota

 

 

 

 

 

ヴァイオリンの音は 聴くほかに “見て‥” 知ることが出来ます。

皆さんがご存じなように、弦楽器の表板は スプルース材の年輪がたてになるように使用されています。

そのため縦に割れやすい特性があり それが影響して このチェロの魂柱部には縦方向の割れ( Sound post Crack )が入っていて 表面のニスにも 縦方向のひび割れがはいっています。


私はこのニスに入った縦ひび( a. )はバランスが調和していなかったことで歪みが溜まり 表板が疲労した過程できざまれたものと思っています。

では b. c. そして d. のひび割れはなぜ入ったのでしょうか?
私は この年輪に直交するひび割れは チェロやヴァイオリンに設定された音響システムによって入ったものと考えます。

因みに‥ 私がこのように ニスのひび割れと響きを関係づけて考えるようになったのは  2003年 9月29日 の 16:45頃からです。

長くなりますが、ここで その時のお話をさせて下さい。

それは 2週間前まで 11歳の長女が使っていた 1/2サイズのヴァイオリンを 7歳の二女が使いたいと言い張ったので 、その準備として 弦などの交換を検討するために 工房の入り口に立ってこのヴァイオリンを私がチェックしている時のことでした。

風もなく空が晴れわたったおだやかな夕方で 私が立っている工房の入り口には まだ日差しがさしこんでいました。

そのときニスのひび割れが 『 キラッ ! 』と蜘蛛の糸のように光ったのが 私の目にとびこんできました。 それで私は このヴァイオリンの表板と側板にはいった ニスのひびを確認してみました。 はじめは 『  なるほど。 分数ヴァイオリンでも フルサイズとおなじ入り方をするんだ‥‥ 。』と思いながら観察していたのですが、 当時 私が記憶していた他の事例とあまりにも合致していたので 『  これは‥ もしかして! 』と思ったときに 私の顔色は変ったと思います。

それまでニスのひび割れを特に重大なことと思っていなかった私でしたが、このときヴァイオリン響胴の振動モードとそれが きちんと繋がったのです。 私はこのとき『  ヴィジョンが降りてきた‥‥ 。』感覚のなかで 『  いま自分の頭のなかにうかんでいるヴァイオリンのヴィジョンは本当なのかな? 』と 戸惑いながらも楽器の角度を変えたりしながら観察して、もう一度 頭にうかんだ ヴァイオリンの振動モードに誤りがないかを検討しました。

その最中のことです。  私が表板側と側板に気をとられてよくみていなかった 裏板がレイヤー映像のように頭のなかに浮かんだのです。 『  表板がこう振動して側板はブロックによって こう動き‥ということは裏板のここら辺りにこういう形状のニスひびが‥‥ 。』と 私は 独り言をいいながら 裏板を見るために ヴァイオリンをひっくり返しました。

いまでも その瞬間をときどき思い出します。
とにかく感動しました。  私が予測したとおりの形状の小さなニスひび割れが 裏板の推定した位置に 入っていたのです。 おかげさまで 私は 鉱山技師が鉱脈を発見したような 歓びを経験しました。

下の図は そのニスひび( 表板側 )を 2005年になって 私のノートに記録したものです。


この時に私がはじめに気がついたのは下幅広部に真横に入っているニスひびが テールピースの下で繋がっておらず 魚のウロコ状のニスひびとなっている事でした。

それで私は このニスひびは ボトムブロックの端付近( 高音側 )の点 a. から ゆれがはじまる”ねじり”によるものと判断したのです。

その証拠に反対側のネックブロック部をみると 点 b. 辺りからブロックのねじりによるニスひびがはいっています。


このような ネックブロックのねじりは上の動画で確認できます。
おそらく撮影の都合だと思いますが鏡像になっていますので ネックブロックは手前側が高音でその奥が低音側となっています。

私は これらのニスに刻まれたヒビは弦楽器のねじりについて 決定的な状況証拠となるものと考えています。

“Varnish crack”   1970年製     Karl Hofner Cello( 2006年撮影 )

【  弦楽器のニスに入ったヒビが物語ること‥。】

この投稿はここまでとさせていただきます。

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2017-7-10               Joseph Naomi Yokota

それが本物の”オールド・バイオリン”でしたら 裏板の マークを確認してください。

 

私は”オールド・バイオリン” の特徴を確認 するときは 裏板駒下部と その左下に焼いた針などでつけられた マークが無いかを調べます。

例えば アントニオ・ストラディヴァリが製作したとされるヴァイオリン “ローデ” の裏板には下写真のような位置に それが見られます。
Antonio Stradivari ( 1644-1737 ),  Violin  “Rode / Le Nestor” 1733年

参考にして頂くために‥ このストラディヴァリウスと クレモナ派の始祖と伝えられる アンドレア・アマティが 1555年頃に製作したと考えられるもの、そして その孫である ニコロ・アマティが その 100年ほど後に製作したヴァイオリンの画像を並べました。

A、点 B は3台とも同じ座標です。

これを観察すると ニコロ・アマティ ( 1596–1684  ) の弟子である アントニオ・ストラディヴァリ ( 1644-1737 ) が アンドレア・アマティ( ca.1505–1577 )の 170年以上も後に、その製作方法を誠実に受け継いでいたことが感じられると思います。

私はこのようにして比較対象をしながら”オールド・バイオリン”の研究を進めました。

そのなかで 、参照のためにあげた アンドレア・アマティが 1555年頃に製作したと考えられる このヴァイオリンが 非常に重要な意味をもっていると考えるようになりました。

Andrea Amati ( ca.1505–1577 ) ,  Violin 1555年頃

なぜなら、この楽器は “オールド・バイオリン” に多数入っている焼いた針などでつけられた痕が直線状の軸線として用いられたことを暗示しているからです。

これらのピン・マークを 高解像度の画像で確認していくと、下の参考写真のように それらが連なる軸線を何本も見出すことができます。

Antonio Stradivari ( 1644-1737 ),  Violin  “Rode / Le Nestor” 1733年

この作業は‥ 満天の星空をながめながら星座を探すのに似ていますが、細かい “点” ではなくもっとはっきりした “工具痕跡” として加工された マークをもつ楽器を参考にすれば ニコロ・アマティ ( 1596–1684  ) が 1651年に製作したとされるヴァイオリンのように 拡大すると細かい “点” が多数見られる楽器でも それほど難しくはありません。

私は それらの マークが連なる線が 正中線に対して右回転、あるいは左回転で何度にあたるかを画像ソフト上で確認して資料化しています。


Nicolò Amati ( 1596–1684  ) violin 1651年

例えば このヴァイオリンの高解像度画像では上のストラディヴァリウスと同じ 右回転 21.6度の位置に 14個の焼いた針痕を見ることができます。

また 私は下図のように 右回転 14.8度と 28.2度にも軸線を見出しました。

同じように観察をしていくと 下写真の アンドレアの息子たちである アントニオと ジローラモの兄弟が製作したとされるヴァイオリンでも 21.6度 には 10個の針痕があるようです。

 Antonio and Hieronymus Amati        Cremona 1629

私は このようにして基礎資料を増やしていきました。
そしてその後の研究により 結局これが”オールド・バイオリン” の発音システムに繋がっていることが解明できました。

Gasparo da Salò  /  Violoncello

そういう事で、これは 弦楽器を鑑定する場合にも強力な状況証拠となり得ますので 私は皆さんにヴァイオリンなどを調べる際は 高解像度の写真を撮影し‥ それを 拡大して焼いた針などで付けられたマークの位置関係を検証することをお奨めいたします。

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2017-2-03                 Joseph Naomi Yokota

あなたは 三角フラッグ現象を ご存じでしょうか?

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私は時折 「 三角旗 」はいつごろ発明されたかを考えることがあります。シンプルな現象ですが ニュートン以前に十分意味が理解されていたことは驚愕するような事実だと私は思います。

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ヴァイオリンなどのサウンド・ホールは突き出した部分が単純な固定端振動につながるレベルではなく、エネルギーを収れんさせ激しく振動させる技術が用いられた可能性が高いと私は考えています。

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ともあれ 皆さんも『 オールド・バイオリン 』などのサウンド・ホール周りには これらの現象を誘導するためと考えられる ’焼針跡’が確認できると思います。

この投稿は以上です。

2016-10-24            Joseph Naomi Yokota

非対称楽器であるバイオリンの “名器的響き” を楽しんでください。

疑い深い人のことを英語では ” Doubting Thomas “と言います。新約聖書のヨハネによる福音書( ヨハネ20:24-29 )で 不在だった使徒トマスが他の弟子たちに非常に実証的な要求をしたことからきている訳ですが、悲しいことに 私が ヴァイオリンは 非対称楽器であることをお話しすると‥ 現代の 弦楽器製作学校では ヴァイオリンは左右対称の形をしていると教えられている関係でしょうか  “非対称” の意味が理解できずに似たような反応をされる方が少なくありません。

そこで私は ヴァイオリンのほんとうの響きを疑似体験していただくことで 誤った認識を修正していただこうと決心しました。

では‥ はじめに ルネサンス期にイタリアで製作された一枚の油画をみてください。

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Alessandro Bonvicino( ca. 1498–1554 ) Brescian   1530年頃

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Alessandro Bonvicino detto il Moretto da Brescia ( c.1498-1554 )1530年頃

アレッサンドロ・ボンビチーノは ヴァイオリンという楽器が誕生した時期に ブレシアとヴェネチアで活躍した画家です。 彼は宗教画を中心として すばらしく緻密な油画などを残しました。 因みにこの絵は 1530年頃に製作されたそうですが‥ 私はこのモチーフとされた楽器は本当にすばらしい響きをもっていたと信じています。

解像度が高い画像を拡大してみると‥ おそらくペグは左側 4本で 右側 3本となっていて これに 7本の演奏弦が張られているのですが、それに加えて テールピースの 6番、7番弦の穴を通して弦状のもの( 上図の赤線 )の両端を ペグボックス または糸巻きに刺した金属製ピンに縛りつけてあります。

一部の専門家はこれを レゾナンス弦と考えているようですが、私は一本のガット弦をテールピースの2つの弦穴を通し 両端を金属ピンに固定することで張力を加えるようにしてあると思っています。

上の絵画にある楽器もそうですが‥ この時期に製作されたリュートやヴィオール属、ヴァイオリン属の弦楽器の中には、下のオックスフォードのアシュモリアン博物館に展示されている古楽器や ジロラモ・アマティの リラ・ダ・ブラッチョのように『 回頭機構 』を持った弦楽器があったことが私の念頭にあるからです。

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因みに、ヴァイオリン製作の歴史では イタリア最古の製作者として知られる アンドレア・アマティ( Andrea Amati  ca.1505 – 1579 )は プレヴェザの海戦の翌年である 1539年頃にクレモナに工房を設立したことが知られています。

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このアマティ家は 1740年に アンドレアの曾孫である ジロラモ Ⅱ( Girolamo Ⅱ Amati  1649-1740 )が亡くなるまで四代、およそ200年間にわたって ヴァイオリンなどの名器を製作し続けたとされています。

ですから アマティ工房で 黎明期に製作されたヴァイオリンなどにも『 回頭機構 』として ペグボックス に斜めに金属製ピンを通した跡を見ることができるのです。

残念ながら現代では これらの弦楽器のほぼ全てのピン穴は埋められてしまったため正確な検証が難しくなっていますので、ジロラモ・アマティの リラ・ダ・ブラッチョは本当に重要だと私は思います。

 

それでは、ここからこの『 回頭機構 』のような揺れにより得られる響きの検証実験についてご説明したいと思います。

この実験に使用するために 私は アレッサンドロ・ボルティーニ氏が 1985年に製作したヴァイオリンと、サンドロ・アジナリ氏が 2000年に製作したヴァイオリンを用意しました。

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Alessandro Voltini(  born in Cremona, 1957 ) violin  1985年http://www.voltini.it/bio.htm

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さて 実験は簡単です。私たちが日常的に使用している輪ゴムを 1回の実験で 1本使用しますので 数本準備します。そして、まずなにもしていない状態で鳴らします。それから写真にあるように輪ゴムをかけて同じように試奏してみます。

私はこれまでこの手法を頻繁に試して その結果を知っていますので‥ 皆さんが ご自分のヴァイオリンで試した場合でも響きの差は 驚愕するくらいに違うと思います。

この時 なるべく比較し易いように私は輪ゴムをかけた状態で 1分くらい鳴らしたら、それをハサミなどで切ってはずして すぐにまた試奏をして違いを確認しています。『 無し→有り→無し 』で1回で 、これを2回くり返し 響きの変化を聴き分ければ 実験としては十分だと思います。

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なお‥ 私が 実験に使用した輪ゴムは下写真にあるものです。

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それから サンドロ・アジナリ氏が製作したヴァイオリンに取り付けられたペグは 輪ゴムが引っ掛かりにくかったので市販されているセロテープで止めました。

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この実験は輪ゴムの張力( 0.36kg )で ヘッドの回転運動などのゆれや響胴のねじりを増やしたことによる響きの変化を確認するものです。

そして‥ 今回 実例として挙げさせていただいた ヴァイオリン 2台を用いた実験でも響きの差は劇的な違いがあったことをここにご報告しておきます。

sandro-asinari-violin-2000%e5%b9%b4-3-l

 

Sandro Asinari(  born in Cremona, 1969 ) violin  2000年
https://www.facebook.com/sandro.asinari

 

最後に この実験のリスクについての考察をしておきたいと思います。

下図にあるように もしペーター・インフィールドの4本セットを張っていたヴァイオリンで、E線を コレルリ・アリアンス・ヴィヴァーチェに変更すると約 0.5kg 張力が増えます。

これとは逆に張力が約 8.3kg のペーター・インフィールドE線を張力が 7.2kg 程とされているドミナントのE線にすれば約 1.1kg 減ることになります。

私は このような状況でヴァイオリンは使用されていて それでも 強度上の大きな問題は起っていないことと、輪ゴムの張力が弦 4本の合計張力の 2%以下であることから‥ 特に問題はないと判断しています。

ただし、ご自分でこの実験を実施される場合は 当然ですが あなたの自己責任となりますので 慎重に状況把握をしながら行なって下さい。

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なお 剛体の『 運動 』につきましては 私の娘が使用した都立高校の物理の教科書を下に引用させていただきました。

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それから‥ 余談で恐縮ですが 私は 剛体の『 運動 』の具体例として私は いつもバトン・トワリングのバトンのお話しをしています。

バトンは中央の棒をシャフトと言い両端のおもりは大きい方がボール、小さい方はティップと呼ばれています。 そしてこの道具で最も重要なのは ボールとティップの重さが異なることで重心がシャフトの中心からずらしてあることです。

この結果‥ バトンを空中に回転させながら投げあげると回転運動を持続しながら落ちて来る現象が生じます。もし両端が同じ重さだったら 重心が中央に来てしまうので 回転運動だけでなく並進運動もおこりやすくなり 安定した回転運動が得られなくなってしまいます。 これはブーメランなどにも共通しています。

   

ヴァイオリンなどの弦楽器でもゆれを持続させることで より低い音域の響きがうまれる条件がそろうために‥ つりあいにくくする工夫がいくつもなされています。

たとえば ヘッドに糸巻きが交互に取り付けられていたり、響胴やF字孔が微妙な非対称とされていることなどが それにあたります。

私はこれらの実験により 新作イタリーに限らず現在 製作されているヴァイオリンの多くが “ねじり”が不足していることで 多くの不具合が生じていると考えています。

それから 私は『 オールド・バイオリン 』ではない 現代のヴァイオリンにおいても その仕組みの一部は継承されているので ‘節’と’腹’の役割を踏まえバランスをとれば 18世紀ころの豊かな響きはある程度は再現が可能と思っています。

 

 

今日はここまでといたします。
ありがとうございました。

2016-7-21         Joseph Naomi Yokota

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2010-12-12 16:20  /  Opening
2013- 8-24 16:08   /  50,000 passing
2013-12-04 13:25  /  60,000 passing
2014- 3-13  01:53  /  70,000 passing
2014- 6-17  22:34  /  80,000 passing
2014-10-10  14:42 /  90,000 passing
2015- 1-29  18:33  / 100,000 passing
2016- 7-17  18:45 /  150,102 passing
2016-10-20 16:27 / 158,752 passing
2025-7-03 10:03 / 347,861 passing

 

あなたの楽器とビニールテープで『 オールド・バイオリン 』の響きを疑似体験してください。

弦楽器裏板内側の帯状羊皮紙と 軸組について

『 オールド・バイオリン 』の時代に製作された ヴァイオリンやリュートなどの弦楽器で 裏板内側に帯状に貼られた羊皮紙( The parchment covering )についてお話ししたいと思います。


Jacob Steininger ( c.1751-1823 )violin  Mainz 1781年
“DIE MAINZER GEIGENBAUER”


Jacob Steininger  /  violin  Mainz 1781年

これは ヴァイオリンの場合では 裏板の中央付近に 幅が 6~7mm 程で、長さが 31cm 前後の帯状に貼られていたりします。

このような羊皮紙の利用方法を誰が発案したのかは正確にはわかりませんが、たとえば チロル地方の Absam の弦楽器製作家 Jacob Stainer( ca.1617-1683 )のヴァイオリンによく用いられたことは知られていますし、他の地域で製作された弦楽器でもめずらしくはありません。

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私がこの羊皮紙に着目したのは 1993年に Bologna で出版された ” Strumenti musicali europei del Museo Civico Medievale di Bologna ” に掲載された コレクション番号 97の 下にあげたテナー・リュートの写真を目にしたからです。

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これは Hans Frei in Bologna のラベルが入っていて 1597年製作の テナー・リュートとされています。

私は この写真で ジョイント部ではない中央付近にこのように羊皮紙が貼られているのを目にして‥ 強い衝撃を受けました。

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リュートは ジョイント部が剛性が高く、そのうえに下の製法のようにジョイント部の厚みはそのままにしてフラット部を溝状にスクレープされたことにより メリハリが大きくなるようにして仕上げられています。

    

ですから‥ 上図で羊皮紙が貼られている位置が重要な意味をもっていると 私は直感したのです。 そこで改めて 羊皮紙が貼られたヴァイオリンを調べてみたところ、センター位置から微妙にずれた位置が選ばれていることが分かりました。

その時から私は 音響上の判断としてどのような基準で その位置が選ばれたかを真剣に考えはじめました。

意外とこれは難問で 実際に表板をあけないで F字孔から羊皮紙を貼る実験をして それが実行不可能であることを確認したり‥ さまざまな試行錯誤が続きました。

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たとえば 弦楽器にとって ニカワで接着されている表板を剥がす作業は当然ながらリスクです。上写真の ヴァイオリンと出会った時期に私は『  ヴァイオリン内部に羊皮紙を貼るためだけに表板がはがされる事はあったのか? 』という設問について長考していました。

私は このヴァイオリンの幅の狭い羊皮紙跡を『 大急ぎで剥がしたかのような跡 』と解釈し‥  この楽器は内部の羊皮紙を貼りなおすために表板が剥がされ 幅の狭い羊皮紙をはぎ取り すぐに 幅広の羊皮紙を貼り その直後にふたがされたと判断しました。

これらの羊皮紙については いつ貼られたかの証明が事実上不可能なので あくまで個人的な見解としてですが‥  私は 羊皮紙は製作時だけでなく弦楽器の音響調整としても用いられていたと考えています 。

『 オールド・バイオリン 』などを調べてみると 下画像のシュタイナーのように製作時の位置そのままの可能性がある楽器もありますが、組みあげたときに不調和だった時は新品であっても表板をはがして位置の変更などの調整が必要となったと私は推測します。

なお‥ 話がそれて恐縮ですが、私は皆さんに 下のリンクでこの画像をご覧になることをお奨めしています。

状況証拠ではありますが ‥ 私は Rudolf Hopfner 氏のこのサイトの ” Measuring( 測定 )”の click here. にある羊皮紙下の印の存在は 私も意味深いと思います。

http://www.violinforensic.com/visualizations/measuring
Underneath the parchment covering the center joint of the back of the violin by Jacob Stainer mentioned above, five marking points are hidden. Their distance from the lower end of the body can be measured precisely. To run a video of this procedure click here.
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さて、ここから本題のお話しに入りましょう。
この技術でもっとも重要なのは羊皮紙を貼ることで得られる音響上の効果を事前に予測することです。 そこで私は 表板をはがさない状態で羊皮紙を貼る位置を探る実験方法を考えました。

これは 羊皮紙の効果を市販のビニールテープを利用して推測するものです。

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上写真のように ヘリを 2mm程折り返した状態で ビニールテープの粘着力を低下させるためにケント紙などにまっすぐに貼り 31cm程でカットします。

それから 実験に用いるヴァイオリンのニスを傷めないために‥ 何度か貼ったり剥がしたりをくり返して必ず軽く付着する程度まで粘着力を調整してください。

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粘着力の調整が済んだら カッターで幅が 6.0mm程にカットしてください。
因みに、私が この実験に使用したビニールテープ( 310mm × 6mm )の重さは  0.4g でした。

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ビニールテープの準備が済んだらヴァイオリンを用意します。
なお‥ 私はこの投稿写真を撮影するために 新作イタリー・ヴァイオリンを使用しました。

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これは日本国内で クレモナの製作者がつくったヴァイオリンとして販売されている標準的なグレードのものです。

さて実験は まずなにもしていない状態でヴァイオリンを鳴らし‥ その後で下写真のように裏板の中央より少し左側( E線側 )の位置で、上下ブロックの間にあたる部分に 先ほど準備したビニールテープを貼ります。

そしてこの状態で ヴァイオリンを試奏します。それから、このビニールテープをゆっくり剥がしてから‥ また試奏をします。これを数回繰り返し 響の変化を確認してください。

羊皮紙を貼るためのシュミレーションとしては、ビニールテープを貼る位置を少しななめにしたり左右にずらしたり、あるいは 5mm 位ずつ切って短くしていきながらヴァイオリンの響き方によって最良の位置を決定します。

私が実際に このシュミレーション結果に合わせて 表板を剥がしてからビニールテープの反対側の位置に同じサイズのティンパニーの薄皮を接着する加工を、自作ヴァイオリンやオールド・ヴァイオリンでおこなった限りでは‥ ほぼ同じ効果がみとめられました。

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私は このシュミレーションを皆さんに経験していただければ この投稿のタイトルとした  ” あなたの楽器と ビニールテープ 0.4g を使って 『 オールド・バイオリン 』の響きを疑似体験してください! ”  が 大袈裟な表現ではないことが理解していただけると思っています。
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結果としてこのシュミレーションによって 私は響胴中央部の軸組の設定を学び、製作に活かせるようになりました。

では‥ 本日はここまでという事にさせていただきます。
ありがとうございました。

 

2016-10-20     Joseph Naomi Yokota